(Translated by https://www.hiragana.jp/)
丸藤正道 - Wikipedia コンテンツにスキップ

まるふじ正道せいどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
まるふじ 正道せいどう
丸藤 正道の画像
プロフィール
リングネーム まるふじ 正道せいどう
ドクトル・マルフジJr.
りゅう不死ふし
本名ほんみょう まるふじ 正道せいどう
ニックネーム 方舟はこぶね天才てんさい
そら天才てんさい
不死鳥ふしちょう(IMMORTAL BIRD)
天空てんくうファンタジスタ
身長しんちょう 176cm
体重たいじゅう 90kg
誕生たんじょう (1979-09-26) 1979ねん9月26にち(44さい
出身しゅっしん 埼玉さいたまけん北足立きたあだちぐん吹上ふきあげまちげん鴻巣こうのす
所属しょぞく プロレスリング・ノア
スポーツれき レスリング
バスケットボール
トレーナー ジャイアント馬場ばば
三沢みさわ光晴みつはる
デビュー 1998ねん8がつ28にち
テンプレートを表示ひょうじ

まるふじ 正道せいどう(まるふじ なおみち、1979ねん9月26にち - )は、日本にっぽん男性だんせいプロレスラー埼玉さいたまけん北足立きたあだちぐん吹上ふきあげまちげん鴻巣こうのす出身しゅっしんプロレスリング・ノア所属しょぞく血液けつえきがたOがた

概要がいよう

[編集へんしゅう]

かるのこなしが特徴とくちょうで、トップロープやコーナーポスト、エプロンサイドなどリング全体ぜんたいかしたわざ得意とくいとしている。ただし、アマチュア時代じだいはレスリングの経験けいけんくわスーパータイガージム所属しょぞくしていた経験けいけんがあり[1]関節かんせつわざやグラウンドの技術ぎじゅつについてもたかいものをっている。過去かこ高山たかやまよしひろPRIDE参戦さんせんするさいには、高山たかやまからの要請ようせいによりスパーリングパートナーをつとめている。

プロレスラーとしての技術ぎじゅつたいする評価ひょうかたかく、団体だんたいおおくのレスラーや関係かんけいしゃから賞賛しょうさんされることがおおい。「ジュニアヘビーきゅうだけでなく、日本にっぽんのプロレスかい牽引けんいんする一人ひとり」「ひゃくねん一人ひとり天才てんさい」「馬場ばば三沢みさわのDNAをおとこ」ともばれる。

王座おうざ獲得かくとくについての記録きろくおおく、2010ねんにメジャー3団体だんたい新日本しんにほん全日本ぜんにほん・ノア)のジュニアヘビーきゅうのシングル王座おうざすべ戴冠たいかんメジャー完全かんぜん制覇せいは)した史上しじょうはつのレスラーである。

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

入門にゅうもんまえ - デビュー - 全日本ぜんにほん時代じだい

[編集へんしゅう]

まるふじ幼少ようしょうころからヤンチャであり、いえにいるよりはそとあそぶのがきであった。4兄弟きょうだいすえであり、よく兄弟きょうだいでプロレスごっこをしてあそんでいた。まるふじ本格ほんかくてきにプロレスファンになったのは、あにってきた週刊しゅうかんプロレスの表紙ひょうし掲載けいさいされていたロード・ウォリアーズ一目惚ひとめぼれしてからである[2]。ロード・ウォリアーズにしんうばわれたまるふじ中学生ちゅうがくせいになると徐々じょじょにプロレスラーになる準備じゅんびはじめた。中学ちゅうがく入学にゅうがくすると『SLAM DUNK』の影響えいきょう身長しんちょうばすためにバスケットボール入部にゅうぶはせひろし筆頭ひっとうにレスラーの著書ちょしょ参考さんこうにし、自宅じたくではしん日本にっぽんプロレス伝統でんとうの”トランプ練習れんしゅう”もれながらからだきたえた。当時とうじについてまるふじのちに「ほかになりたい職業しょくぎょうがなかったし、プロレスしかあたまになかったんで。ボクらは四天王してんのうさんじゅう時代じだい爆発ばくはつてき人気にんきがありましたよ。新日本しんにほん夕方ゆうがたながれてたし、全日本ぜんにほんテレビ埼玉てれびさいたまでは午後ごご6くらいからさい放送ほうそうがあったし。そのなかでも、三沢みさわ光晴みつはるさんと武藤むとうけいさんは、スタイルてき自分じぶん目標もくひょうとしていたひと。ああいうふうなプロレスラーになりたいなとおもってました」とかたっている。プロレス以前いぜんにプロレスをなま観戦かんせんしたのは近所きんじょ熊谷くまがい市民しみん体育館たいいくかんで2、3かい程度ていどしかなく、”るというより自分じぶんがやってみたい”という意識いしきつよかった。中学ちゅうがく2年生ねんせい後半こうはん進路しんろ相談そうだんでは「オレはレスラーになる」とったが、おやから「高校こうこうぐらいはなさい」と反対はんたいされ、そこで将来しょうらいてきなにやくつかをかんがえた。

埼玉さいたまさかえ高校こうこう入学にゅうがくし、レスリング見学けんがくくと、顧問こもん先生せんせいがちょうどプロレスきというえんもあり、入部にゅうぶめた。レスリング同期どうきには新日本しんにほんでメディカル・トレーナーをつとめている新島にいじま栄一郎えいいちろうがおり、まるふじ怪我けがでデビューを断念だんねんした新島にいじまについて「かれがケガしてなかったら、確実かくじつ試合しあいしてただろうね。もしかしたらIWGPジュニアをけて対戦たいせんしてたかも」となつかしむコメントをせたこともある。高校こうこう時代じだい近所きんじょ書店しょてんたのんで自宅じたくとどくようにした週刊しゅうかんプロレスんでいたが、気持きもちは総合そうごう格闘技かくとうぎおさむほうへとおこなった。レスリングではインターハイ出場しゅつじょう経験けいけんもあり(いち学年がくねんじょうには柔道じゅうどう所属しょぞく土方ひじかた隆司たかしがいた)、平柳ひらやなぎげんはんとは高校生こうこうせいときに2かい試合しあいおこない2かいともった。ちなみに、この埼玉さいたまさかえ時代じだい卒業そつぎょうまえには、ロンドンブーツ1ごう2ごう番組ばんぐみに「全日本ぜんにほんプロレス入団にゅうだん内定ないてい」というみで、名前なまえかさなかったうえすこしではあるが出演しゅつえんたしている。また、高校こうこう時代じだいには大宮おおみやのスーパータイガージム(当時とうじ朝日あさひのぼるエンセン井上いのうえ在籍ざいせき)にかよっていたことをみずかかしている[3]高校こうこう2年生ねんせいキングダム入門にゅうもんテストに合格ごうかくしているが、キングダム崩壊ほうかいにより、入団にゅうだんたされなかった。また船木ふなきまことかちによると、パンクラスの入団にゅうだんテストをけにたこともあり合格ごうかくになっている[4]。1997ねん12月、高校こうこう3年生ねんせい冬休ふゆやすちゅう全日本ぜんにほんプロレス合宿がっしゅくじょうかり入門にゅうもんというかたちで1週間しゅうかんしん弟子でし体験たいけんたす。このときは、このチャンスをにがせばプロレスラーになることはできないと自分じぶんへプレッシャーをかけ、せっせと練習れんしゅう雑用ざつようをこなしていた。

卒業そつぎょう全日本ぜんにほんプロレスに入門にゅうもん。1998ねん8がつ28にち愛知あいちけん岡崎おかざき体育館たいいくかん金丸かねまる義信よしのぶせんでプロレスラーとしてデビューをたした。入門にゅうもんから5ヶ月かげつでのデビューは師匠ししょう三沢みさわ光晴みつはるなら異例いれいはやさである。この試合しあいでは三沢みさわが”おふる”にサインをれてコスチュームにプレゼントしたそのタイツであいだわせた。それまでの全日本ぜんにほんでは、新人しんじん基本きほんわざだけで試合しあいてなくてはならないという伝統でんとうがあったが、三沢みさわから「やれるならなんでもやれ」と助言じょげんされたこともあって空中くうちゅうころせほう駆使くししたファイトをせた。まるふじジャイアント馬場ばば存命ぞんめいちゅう最後さいごにデビューしたレスラーとなったため、当時とうじは「馬場ばば最後さいご弟子でし」ともばれ[5]、『スポーツうるぐす』(日本にほんテレビ)で特集とくしゅうまれたこともあった。馬場ばばかたうえからミサイルキックしたこともある。 そのあこがれだった三沢みさわびとつとめ、見習みならあつかいでアンタッチャブル所属しょぞくする。

ノア時代じだい - GHCジュニアヘビーきゅう王者おうじゃ時代じだい

[編集へんしゅう]

2000ねん7がつ三沢みさわ中心ちゅうしんとした新設しんせつされたばかりのプロレスリング・ノアに移籍いせきする。移籍いせきにコスチュームをみどりのショートタイツからパンタロンに変更へんこうして、師匠ししょう三沢みさわがリーダーをつとめるユニット「WAVE」の一員いちいんとして参加さんかした。馬場ばばごしたみじか日々ひび三沢みさわいてったことについてまるふじは「かかわった時間じかんみじかいですけど、馬場ばばさんにれられたことは、自分じぶんなか素晴すばらしいおもになってます。当時とうじ全日本ぜんにほんはいろいろあったけど、オレは三沢みさわさんにいていくだけでしたよ。社会しゃかいじんとしてもみぎひだりもわからなかったし、お世話せわになってる三沢みさわさんの言葉ことばしんじるしかなかった。オレがんだ質問しつもんをできる立場たちばでもないし、当時とうじはただうなずいてばかりでしたね」と述懐じゅっかいしたことがある。

2001ねん12月19にち有明ありあけコロシアム大会たいかいで、当時とうじZERO-ONE所属しょぞく高岩たかいわ竜一りゅういちやぶり22さい団体だんたい流出りゅうしゅつしていたGHCジュニアヘビーきゅう王座おうざ奪還だっかんした。

2002ねん1がつ20日はつか視察しさつのためにしん日本にっぽんしししんサンダー・ライガー田中たなかみのるがやってていたが、まるふじ自身じしん試合しあいにマイクをり「ノアのジュニアは最強さいきょうです」と挑発ちょうはつしたことでライガーがブチれ、しん日本にっぽんとの対抗たいこうせん発展はってんする。しかし、3月にひだりひざ靭帯じんたい損傷そんしょうし、まともにあるけない状態じょうたいでありながら4がつ7にちはしまこととの2度目どめ防衛ぼうえいせんのぞんだことからさらひざ状態じょうたい悪化あっか、この試合しあいはレフェリーストップでやぶれた。

三沢みさわからの独立どくりつ - KENTAとのタッグ

[編集へんしゅう]

復帰ふっき直後ちょくごの2003ねん1がつ三沢みさわとのシングルを経験けいけんするも、結果けっかまるふじ敗北はいぼくわった。これをまるふじはWAVEを脱退だったいし、三沢みさわびと同時どうじ卒業そつぎょうする。その直後ちょくごから「下克上げこくじょう」を旗印はたじるしに、おなじく若手わかてのWILD II(森嶋もりしまたけし&ちからすめらぎたけし)やKENTA共闘きょうとうはじめ「ジュニアのからだのままヘビーに挑戦ちょうせん」と目標もくひょうさだめる。この一環いっかんで2003ねん4がつ5にちには秋山あきやまじゅん&齋藤さいとうあきらしゅんくみ保持ほじするGHCタッグ王座おうざにも森嶋もりしまとも挑戦ちょうせんたした。

同年どうねん7がつには、KENTAとのタッグで初代しょだいGHCジュニアヘビーきゅうタッグ王座おうざ決定けっていトーナメントに参加さんかする。順調じゅんちょうすすみ7がつ16にちおこなわれた決勝けっしょうせんで、因縁いんねん相手あいてであるライガー&むらはま武洋たけひろくみやぶ初代しょだいGHCジュニアヘビーきゅうタッグ王座おうざ君臨くんりんした。その、KENTAとのタッグは連戦れんせん連勝れんしょうかさね、ノアのジュニア戦線せんせんはヘビーきゅう上回うわまわ人気にんき獲得かくとくするようになる。

かく王座おうざ戦線せんせん最前線さいぜんせん

[編集へんしゅう]

2004ねん9がつ10日とおかパンクラス鈴木すずきみのる対戦たいせんした。試合しあいにはやぶれたが、鈴木すずきまるふじおおきく評価ひょうかしその意気投合いきとうごうしタッグを結成けっせいした。そして、2004ねん10がつ16にちには秋山あきやま創設そうせつしたしろGHCことグローバル・ハードコア・クラウンのタイトルにも挑戦ちょうせんする。王者おうじゃ秋山あきやまとは体格たいかくのハンデがあったものの、リングアウトちをおさめ、だい2だい王者おうじゃとなった。

これと同時どうじ進行しんこうしていたKENTAとのタッグでは、防衛ぼうえい回数かいすうかさね「ジュニアばん絶対ぜったい王者おうじゃ」とまでしょうされた。けい9かい防衛ぼうえい成功せいこうし、2005ねん5がつ7にち・8にちおこなわれたジュニアの祭典さいてんだいかいディファカップでも決勝けっしょう日高ひだかいくじん&藤田ふじたミノルくみやぶって優勝ゆうしょう。しかし6がつ5にち過去かこ2KENTAとのタッグでやぶれている金丸かねまる&杉浦すぎうらぐみさんはいきっし、どう王座おうざから陥落かんらくした。

しかし王座おうざ陥落かんらく直後ちょくごの6がつ18にち、イギリス・モアカムにおいてスコーピオ&ダグ・ウイリアムスくみ鈴木すずきとのタッグで勝利しょうりし、だい10代GHCタッグ王者おうじゃとなった。

KENTAとのベストバウトからたいヘビーきゅう戦線せんせん

[編集へんしゅう]

2006ねん1がつ22にち、KENTAがつGHCジュニアヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんやぶれたもののこう評価ひょうかた。この試合しあいでジュニア戦線せんせん一区切ひとくぎりをつけたまるふじは、ヘビーきゅうえるべくヘビーきゅう戦線せんせん参入さんにゅうした。

3月5にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいでは5だいシングルせん一戦いっせんとして、当時とうじぜんGHCヘビーきゅう王者おうじゃであった田上たうえあきらとシングルで対決たいけつ最後さいごすきいて完璧かんぺきくびがためで四天王してんのう一角いっかくから金星きんぼしうばった。

3がつ10日とおかリアルジャパンプロレスにてジュニアかい伝説でんせつ初代しょだいタイガーマスクはつ対決たいけつまるまれやぶれはしたものの、佐山さやま(タイガー)を「日本にっぽんのプロレスにはまだすごいのがいる。」とおどろかせた。

4がつ23にち日本武道館にほんぶどうかん小橋こはし建太けんたとシングルマッチをおこなうも敗北はいぼく

GHCヘビーきゅう王座おうざはつ戴冠たいかん

[編集へんしゅう]

9月9にちさき田上たのえせん小橋こはしせんたいヘビーきゅう自信じしんつかんだまるふじGHCヘビーきゅう王者おうじゃ秋山あきやまいど完璧かんぺきくびがためで勝利しょうりだい10代GHCヘビーきゅう王者おうじゃとなるのと同時どうじに、当時とうじのGHCぜん王座おうざ獲得かくとく(ヘビー・ジュニア・タッグ・ジュニアタッグ・ハードコア)を達成たっせいした[6]

10月29にちには1がつにGHCジュニアヘビーきゅう選手権せんしゅけんやぶれたKENTAを次期じき挑戦ちょうせんしゃ指名しめいはつ公開こうかいのポールシフトではつ防衛ぼうえい成功せいこうした。この試合しあい同年どうねんのベストバウトにえらばれた。

しかし12月10にち三沢みさわとの防衛ぼうえいせん雪崩なだれしきエメラルド・フロウジョンやぶれ、王座おうざから陥落かんらくした。

団体だんたい進出しんしゅつ、GHCタッグ、ヘビー戦線せんせん

[編集へんしゅう]

2006ねん12月24にちだいよんかい力道山りきどうざんはい受賞じゅしょう

2007ねん4がつ1にちDDTプロレスリングはつ参戦さんせん男色なんしょくディーノとのタッグでKUDO&マッスル坂井さかい対戦たいせんし、試合しあいちゅうディーノの求愛きゅうあい行動こうどうこずりながらもディーノの勝利しょうりをアシストした。

4がつ30にちにはKAIENTAI-DOJOにもはつ参戦さんせんし、えんはなとのタッグでしもこぶしごう&房総ぼうそうボーイかみなり対戦たいせんし、かみなり卑怯ひきょう攻撃こうげき翻弄ほんろうされるもしっかりと勝利しょうりをアシストした。

6月8にち横浜よこはま大会たいかいビッグマウス・ラウド村上むらかみ和成かずなりはつ対戦たいせんしたが、注目ちゅうもくあつめたこの試合しあいまるふじだい流血りゅうけつ敗北はいぼくきっした。試合しあいまるふじ村上むらかみ終始しゅうし乱闘らんとうひろげた。

GHCヘビーきゅう選手権せんしゅけん次期じき挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグせんにエントリーし齋藤さいとうやぶれる波乱はらんがありつつも優勝ゆうしょう決定けっていせん進出しんしゅつする。優勝ゆうしょう決定けっていせんでは森嶋もりしま対戦たいせんまるふじ勝利しょうりした。優勝ゆうしょうしたことによりだい11だいGHCヘビーきゅう選手権せんしゅけんしゃ三沢みさわへの挑戦ちょうせんけんれた。2007ねん9がつ29にち大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかんでGHCヘビーきゅう王座おうざうばわれた三沢みさわ挑戦ちょうせんするも変型へんけいエメラルド・フロウジョンで敗北はいぼくした。

10月27にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいにてディーロ・ブラウン、ブキャナンのつGHCタッグ王座おうざ杉浦すぎうらたかんで挑戦ちょうせん見事みごと勝利しょうりだい16だいGHCタッグ王者おうじゃとなった。獲得かくとく、2防衛ぼうえいをしたが、2008ねん5がつ23にち新潟にいがた体育館たいいくかん齋藤さいとうバイソン・スミスくみやぶ王座おうざから陥落かんらくした。

欠場けつじょう復帰ふっき、メジャー3団体だんたいジュニア制覇せいは

[編集へんしゅう]

2008ねん9がつ28にち古巣ふるす全日本ぜんにほんプロレスで高校こうこう時代じだい先輩せんぱいである土方どかたポールシフトやぶり、世界せかいジュニアヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとくした。

10月25にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいまるふじ世界せかいジュニアヘビーきゅう王座おうざとKENTAのつGHCジュニアヘビーきゅう王座おうざのダブルタイトルせんおこなわれたが60ふん時間切じかんぎけにわり、両者りょうしゃ防衛ぼうえい成功せいこうとなった。この興行こうぎょうはノアの主催しゅさいであったが、試合しあい世界せかいジュニアヘビー公式こうしきPWFルールでおこなわれ、場外じょうがいカウント10という方法ほうほうがとられ、レフェリーは和田わだ京平きょうへいさばいている。

2009ねん2がつ6にち全日本ぜんにほん後楽園こうらくえんホールにてカズ・ハヤシにパワープラントでやぶ王座おうざから陥落かんらくした。

3月11にち有明ありあけ大会たいかい合体がったいパイルドライバーをかけたさいに、相手あいて体重たいじゅうみぎヒザにかかり負傷ふしょうした。よく12にちにMRI(磁気じき共鳴きょうめい画像がぞう装置そうち検査けんさけ、みぎヒザぜん十字じゅうじ靱帯じんたい(じんたい)だんきれ全治ぜんち9かげつ診断しんだんされ、様子ようすながら4がつ手術しゅじゅつけた。この負傷ふしょう年内ねんない絶望ぜつぼう重傷じゅうしょうわれた。

12月6にち、「青木あおき篤志あつし閃光せんこうじゅうばん勝負しょうぶだい9せん」(元々もともと最終さいしゅうせんのはずだったが中嶋なかじま負傷ふしょう欠場けつじょうのためだい9せんになった)で復帰ふっきし、タイガー・フロウジョンで勝利しょうりおさめた。

12月23にち、ノアの自身じしんプロデュースの試合しあいのメインイベントに出場しゅつじょうしたのちしん日本にっぽんプロレス「SUPER J-CUP 5th STAGE」に出場しゅつじょう。ノアの試合しあいとJ-CUP決勝けっしょうまでの3連戦れんせんけい4試合しあいき、大会たいかいはつの2連覇れんぱ達成たっせいした。

2010ねん1がつ4にちしん日本にっぽんプロレス東京とうきょうドーム大会たいかいにて、王者おうじゃタイガーマスクくだIWGPジュニアヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅ史上しじょうはつのメジャー3団体だんたい新日本しんにほん全日本ぜんにほん・ノア)のジュニアヘビーきゅうシングルベルトをすべ獲得かくとくする快挙かいきょげた。

しかし6がつ19にち大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかんにてプリンス・デヴィット雪崩なだれしきブラディ・サンデーで3カウントをうばわれ、IWGPジュニアヘビーきゅう王座おうざ6度目どめ防衛ぼうえい失敗しっぱい王座おうざから陥落かんらくした。

7がつ25にち、DDTプロレスの両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかい負傷ふしょうし、変形へんけいせい頸椎しょうせい神経しんけいしょう診断しんだんされた[7]。この怪我けが原因げんいん翌月よくげつ出場しゅつじょう予定よていだったG1 CLIMAX欠場けつじょう余儀よぎなくされ、IWGPジュニア王者おうじゃのデヴィットがまるふじ代役だいやくとして出場しゅつじょうすることとなった。

12月5にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいのKENTAせん復帰ふっきたした。また、この試合しあいでは初心しょしんかえるという意味いみめて普段ふだんのようにオーバーマスクを着用ちゃくようせずに入場にゅうじょうした。

2011ねん4がつ17にち変形へんけいせい頸椎しょうせい神経しんけいしょう再発さいはつうたがいによりふたた欠場けつじょうとなった。

11月27にち有明ありあけコロシアム大会たいかいでの杉浦すぎうらせんで7かげつぶりの復帰ふっきたす。試合しあい杉浦すぎうらからタッグをこと提案ていあんされ、これをれた。

2012ねんしんユニット「BRAVE」結成けっせい

[編集へんしゅう]

2012ねん1がつ4にちANMU潮崎しおざきとタッグをみ、東京とうきょうドーム大会たいかい「レッスルキングダム」に2ねんりに出場しゅつじょうしん日本にっぽんプロレスのちゅう邑真輔矢野やのとおるくみ対戦たいせんしこれに勝利しょうりする。

同月どうげつ中旬ちゅうじゅん昨年さくねん11月での杉浦すぎうらとの対戦たいせんをきっかけに、杉浦すぎうらともしんユニット「まるふじぐん(のちのBRAVE)」を結成けっせいときおなじくしてどうユニット加入かにゅうもうんできたモハメド・ヨネ拒絶きょぜつわりにANMUで居場所いばしょうしなった石森いしもりふとし同月どうげつ29にち正式せいしき加入かにゅうさせ、どう軍団ぐんだんのメンバーが3にんとなった。

2がつ14にちNO MERCY高山たかやま金丸かねまる平柳ひらやなぎげんはん)を相手あいてにしたタッグマッチちゅう、NMCに加入かにゅうした谷口たにぐち周平しゅうへい乱入らんにゅう。これをかねたヨネが自軍じぐん加勢かせいするかたち乱入らんにゅうし、試合しあいは8にんタッグマッチへと発展はってん試合しあいはヨネが谷口たにぐちからフォールをうばい、まるふじぐん勝利しょうり)。試合しあいどう試合しあいでの奮闘ふんとうりをみとめヨネをどう軍団ぐんだん加入かにゅうさせる。また同日どうじつリッキー・マルビンむか軍団ぐんだん規模きぼ拡大かくだいさせた。

8がつには前年ぜんねん欠場けつじょうしたG1 CLIMAXに参戦さんせんし、リーグせんIWGPヘビーきゅう王者おうじゃ棚橋たなはしひろしいたり勝利しょうりした。これをけて9がつ23にち新日本しんにほんプロレス神戸こうべ大会たいかい棚橋たなはしつIWGPベルトに挑戦ちょうせんしたが、やぶれた。

GHCヘビーきゅう王座おうざかえき〜鈴木すずきぐんとのこうそう

[編集へんしゅう]

2014ねん7がつ5にち永田ながた裕志ひろしやぶり7ねん7ヶ月かげつぶりにGHCヘビーきゅう王座おうざにした[8]

2015ねん1がつからノアになぐみをけてきた鈴木すずきみのるひきいる鈴木すずきぐんとのこうそう激化げきか。3月15にちまるふじは1がつ年内ねんない開幕かいまくせんでの試合しあい襲撃しゅうげきされた鈴木すずき相手あいてにGHCヘビーきゅう王座おうざ7度目どめ防衛ぼうえいせんおこなったが、試合しあいまるふじやぶ王座おうざから陥落かんらくした。そのまるふじ鈴木すずきとのリターンマッチをおこなうも、ふたた敗北はいぼくきっした。

9月19にちには、たい鈴木すずきぐん最後さいごとりでわれた杉浦すぎうらも、鈴木すずきやぶれた。翌日よくじつまるふじは「グローバル・リーグせん2015で鈴木すずきまたは鈴木すずきぐんのメンバーが優勝ゆうしょうした場合ばあいには団体だんたい解散かいさんする。」とふく社長しゃちょうとして声明せいめい発表はっぴょうした。結果けっかは、まるふじがリーグせん優勝ゆうしょうした。

まるふじはリーグせん優勝ゆうしょうけて、12月23にち大田おおた総合そうごう体育館たいいくかん大会たいかい鈴木すずきのGHCヘビーきゅう王座おうざふたたいど勝利しょうりしてどう王座おうざかえいた。が、直後ちょくご杉浦すぎうらまるふじ反旗はんきひるがえし、鈴木すずきぐんりをたした。

2016ねん1がつ31にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかい杉浦すぎうらはつ防衛ぼうえいせんおこなうも、やぶれて王座おうざから陥落かんらくした。

グローバル・タッグ・リーグせんには盟友めいゆうである矢野やのとおるとタッグをんで出場しゅつじょうし、優勝ゆうしょうする。リーグせん優勝ゆうしょうけて5がつ28にち大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかん大会たいかいランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミス・ジュニアK.E.S.)のつGHC タッグ王座おうざ矢野やのとのタッグで挑戦ちょうせんした。まるふじからも不知火しらぬいし、会場かいじょう一体いったいとなり勝利しょうりおさめノアへ473にちぶりにどうタイトルをもどした。

7がつ、2012ねん以来いらいのG1 CLIMAXに参戦さんせんし、開幕かいまくせんではIWGPヘビーきゅう王者おうじゃオカダ・カズチカたいして勝利しょうりおさめるが、5しょう4はいわった。しかし、この結果けっかしん日本にっぽんプロレスの2016ねん10がつ10日とおか両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかいメインイベントでオカダの保持ほじするIWGPヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんするも、試合しあいまるふじ惜敗せきはいだった。

チャンピオン・カーニバル優勝ゆうしょうさんかんヘビーきゅう王座おうざへの挑戦ちょうせん

[編集へんしゅう]

2018ねん4がつまるふじ古巣ふるす全日本ぜんにほんプロレスのチャンピオン・カーニバル全日本ぜんにほんプロレス時代じだいふくはつ出場しゅつじょうたす。まるふじは、関係かんけい悪化あっかしたのち全日本ぜんにほんプロレスにノアの所属しょぞく選手せんしゅとしてはじめて出場しゅつじょうし、諏訪すわゼウス敗戦はいせんするも決勝けっしょうせん進出しんしゅつし、決勝けっしょうせん宮原みやはらけんやぶ優勝ゆうしょうする。その、チャンピオン・カーニバルの覇者はしゃとして同年どうねん5がつ宮原みやはら保持ほじするさんかんヘビーきゅう王座おうざはつ挑戦ちょうせんするも、結果けっかまるふじ惜敗せきはいだった。

デビュー20周年しゅうねん興行こうぎょう開催かいさい - 現在げんざい

[編集へんしゅう]

2018ねん9がつ両国りょうこく国技こくぎかんにて、デビュー20周年しゅうねん記念きねん興行こうぎょうまるふじ正道せいどうデビュー20周年しゅうねん記念きねん大会たいかい飛翔ひしょう」』が開催かいさいされ、メインイベントにてWWEヒデオ・イタミ対戦たいせんし、勝利しょうり

2019ねん2がつ19にち新崎あらさき人生じんせいとのタッグで『ジャイアント馬場ばば没後ぼつご20ねん追善ついぜん興行こうぎょうだい6試合しあい出場しゅつじょう[9]

2019ねん12月15にちDRAGON GATEはつ参戦さんせんし、"ハリウッド"ストーカー市川いちかわマスカラ・コントラ・カベシェラ対戦たいせん[10]試合しあいまるふじには2カウントフォール+場外じょうがい5カウント、市川いちかわにはギブアップしの変則へんそくルールでおこなわれたが、これに勝利しょうり市川いちかわにマスク(実際じっさいかぶもの)をがせ、本名ほんみょうなどのプロフィールを公開こうかいさせた。

2020ねん1がつ5にち望月もちづきしげるあきらとのタッグでGHCタッグ王座おうざ獲得かくとく

5がつ10日とおか、ノア特設とくせつアリーナでグレート・ムタのタッグパートナーとして、まるふじ化身けしんとされるりゅう不死ふし(まるふじ)が魔界まかいよりはつ降臨こうりんし、桜庭さくらば和志かずし&望月もちづきしげるあきらぐみ対戦たいせん。スモークを噴射ふんしゃするなどして勝利しょうり貢献こうけんした。試合しあいのバックステージでは「おれはこの世界せかい言葉ことばまなんだ、またおう」と日本語にほんごでコメントし、さい降臨こうりん予告よこくした[11][12][13]

6月19にちしんユニットM's alliance結成けっせい

2021ねん6がつ6にちさいたまスーパーアリーナ大会たいかい武藤むとうやぶり、5ねんりにGHCヘビーきゅう王座おうざ戴冠たいかん

2024ねん5がつ5にち前田まえだ日明ひあがりとのシングルマッチ (グロリアス製薬せいやくプレゼンツ特別とくべつ試合しあい1ふん1ほん勝負しょうぶ) が、プロレスリング・ノア道場どうじょうおこなわれ、けた。試合しあいまるふじは「前田まえださんがはいってくるリングにてているだけで光栄こうえい」「 (前田まえだ選手せんしゅの) 威圧いあつかんがすごい」とうかたっている。前田まえだ日明ひあがりカレリンたたかえ以来いらいじつに25ねんりのリングであった[14]

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

運動うんどう神経しんけいいのは父親ちちおやゆずりだという[2]。なお、次兄じけいまるふじひろたか[15]はサテライト所属しょぞくアニメーターで、『マクロスF』などの作画さくが監督かんとくやキャラクターデザインをつとめており、まるふじプロデュース大会たいかいTてぃーシャツをデザインしたこともある[2]

KENTAとのタッグチームは「イケメンタッグ」などとばれることもあった。

プロレスラー引退いんたいのセカンドキャリアについても意識いしきしており、2014ねん8がつにはみずからが社長しゃちょうつとめるしん会社かいしゃ「キュリオシフト」を設立せつりつ同社どうしゃだいいちだん業務ぎょうむとして、東京とうきょう赤坂あかさかに「不知火しらぬいカレー City's Bar」をオープンさせた。当面とうめん後援こうえんしゃ経営けいえいするバーを昼間ひるまだけ間借まがりするかたちだが、先々さきざき店舗てんぽ展開てんかい視野しやれている[16]。City'sBar閉店へいてん代官山だいかんやま間借まがり→現在げんざい 不知火しらぬいカレーグリドルズ・バーTokyoあか蔵店くらみせ として間借まが営業えいぎょう

武藤むとうたかしまるふじのレスラーとしての特徴とくちょうを「三沢みさわって、デーッとして力強ちからづよさがあったりして、かといって寡黙かもくかんじだけど、まるふじほうがもっと柔軟じゅうなんせいんだ、要領ようりょうのいいところをかんじるんだよ」と2017ねんのインタビューにおいて三沢みさわ光晴みつはるとの比較ひかく表現ひょうげんしている[17]

2019ねん遠藤えんどう哲哉てつやけたインタビューによると、まるふじ試合しあいちゅうのヒラメキにすぐれるという評価ひょうか一般いっぱんてきだが、遠藤えんどうしん弟子でし時代じだい全日本ぜんにほんきびしい練習れんしゅういていたことがまるふじのバックボーンとなっているとはなしていた[18]

かなりの酒豪しゅごうであり、YouTubeじょうで「まるふじつぶしたら100まんえん」なる企画きかく実施じっしされるほどである[19]が、食事しょくじかんしては本人ほんにんいわく「一般いっぱん女性じょせいよりべない」とのことちょう正洋まさひろのYouTubeチャンネルない発言はつげん[20]

タイトルれき

[編集へんしゅう]

メジャー3団体だんたい全日本ぜんにほん新日本しんにほんノア)のジュニアシングル王座おうざすべ獲得かくとくしている。

プロレスリング・ノア
パートナーは鈴木すずきみのる(10代)、杉浦すぎうらたか(16・27・67だい)、矢野やのとおる(34だい)、マイバッハ谷口たにぐち(39だい)、齋藤さいとうあきらしゅん(45だい)、望月もちづきしげるあきら(52だい)、武藤むとうたかし(57だい
パートナーはKENTA初代しょだい)、青木あおき篤志あつし(13だい
  • 2デイズ・タッグ・チーム・トーナメント優勝ゆうしょう(2004ねん
パートナーはちからすめらぎたけし(2004ねん
パートナーはモハメドヨネ(2012ねん)、矢野やのとおる(2016ねん)、マイバッハ谷口たにぐち(2017ねん
全日本ぜんにほんプロレス
しん日本にっぽんプロレス
アパッチプロレスぐん[21]
パートナーは本田ほんだ多聞たもん(8だい
DDTプロレスリング
パートナーはHARASHIMA(62だい
SUPER J-CUP
Differ Cup
パートナーはKENTA(2005ねん
プロレス大賞たいしょう
1999ねん 新人しんじんしょう
2003ねん 最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう(パートナーはKENTA)
2006ねん 年間ねんかん最高さいこう試合しあいしょうまるふじ正道せいどう×KENTA
2006ねん 殊勲賞しゅくんしょう
2008ねん 年間ねんかん最高さいこう試合しあいしょうまるふじ正道せいどう×近藤こんどう修司しゅうじ
2016ねん 年間ねんかん最高さいこう試合しあいしょうまるふじ正道せいどう×オカダ・カズチカ
2018ねん 殊勲賞しゅくんしょう

得意とくいわざ

[編集へんしゅう]
不知火しらぬひ
コーナーポストにったかたちち、背後はいご相手あいてあたまつかんでみずからのかたせるようなかたち固定こていする。そのままコーナーをがり相手あいてえるように宙返ちゅうがえりをし、相手あいて後頭部こうとうぶをマットにたたきつけるわざ。NOAH旗揚はたあから一貫いっかんして使用しようしているフィニッシュムーブ。[22]
不知火しらぬいあらため
通常つうじょう不知火しらぬいとはことなり、コーナートップでマットをにして相手あいてかいった状態じょうたい相手あいてくびをロックし、その体勢たいせいのまま自分じぶんムーンサルトプレスおこなうことで、相手あいて背中せなかからたたきつけるわざ[22]
ポール・シフト
まるふじは、「三沢みさわ光晴みつはるたおわざとして開発かいはつした」とコメントしている[23]りょううでのロックをはずしたあと右側みぎがわたおまず、そのまま垂直すいちょく背中せなかからとすバージョンもある。
とらおう
段式だんしきひざり。
助走じょそうしてだん仕掛しかけるかんじでかるちゅう舞上まいあがり、じくあしとはぎゃくあしげたあと、すぐにそのあしげると同時どうじじくあしげ、じくあし相手あいて顔面がんめんあごしたからげるようなひざりをたたむ。[24]
しんとらおう
相手あいて左腕さわんハンマーロックらえた状態じょうたいぜんかたぶけ姿勢しせいにし、みぎサイドからがわ頭部とうぶ段式だんしきみぎひざりをたたとらおう新型しんがた[25][24]
とらおうれい
相手あいてからだ(みぞおち、はら)をひざり、ぜんこごめ状態じょうたいになった相手あいてりょうみみつかみ、相手あいて顔面がんめんひざりするわざ[26][24]
完璧かんぺきしゅかため(パーフェクト・スモール・パッケージ・ホールド
まるふじ得意とくいとするまるわざの1つで、リストクラッチしてまるむため相手あいてかえしにくいのが特徴とくちょう左手ひだりて相手あいて右足みぎあし左手ひだりてを、両足りょうあし相手あいて左足ひだりあしを、右手みぎて相手あいてくびからみぎ上半身じょうはんしんさえむ。
劣勢れっせいからのカウンターとしても使用しようされる[27]
コブラクラッチしき三角さんかく[24]

入場にゅうじょうテーマきょく

[編集へんしゅう]

テレビゲームきのため、新人しんじんころダンスダンスレボリューションきょく使用しようしていた。

  • つめたくしないで / Eriko with Crunchきょく冒頭ぼうとうに「ALL MY TRUE LOVE」 / SPEED効果こうかおんけ、そのに「つめたくしないで」のボーカル部分ぶぶんをカットした編集へんしゅう全日本ぜんにほんプロレス時代じだい初期しょき使用しようした。
  • BRILLIANT 2U / NAOKI
  • 5,6,7,8 / The Steps
めちゃ×2イケてるッ!のコーナー「めちゃSTEPS」にのノア所属しょぞく選手せんしゅらととも出演しゅつえんしたさいナインティナイン岡村おかむら隆史たかしからプレゼントされ、三沢みさわからなか脅迫きょうはくちかかたち使用しようさせられる[28]。しかし、その試合しあい敗北はいぼくしたため使用しようは1試合しあいのみにわった。
  • HYSTERIC
  • HYSTERIC(Trance Version)

デビュー20周年しゅうねん記念きねん大会たいかい飛翔ひしょう

[編集へんしゅう]

2018ねん9がつ1にち自身じしんのデビュー20周年しゅうねん記念きねんした興行こうぎょう両国りょうこく国技こくぎかん開催かいさい。メインではまるふじ正道せいどうと、現役げんえきWWEスーパースターのヒデオ・イタミ(KENTA)とのシングルせん実現じつげん。またもとノア所属しょぞく選手せんしゅをはじめ、全日本ぜんにほんプロレス、WRESTLE-1、DDTプロレスリングの参戦さんせん決定けってい メインイベント:○まるふじ正道せいどうVSばーさすヒデオ・イタミ× 34ふん12びょう ポールシフトしきエメラルド・フロウジョン→からだかた[29]

メディア出演しゅつえん

[編集へんしゅう]
  • 邦子くにこまるふじのやまだかつてないラジオ(2021ねん9がつ28にち - 、渋谷しぶやクロスFM) - パーソナリティ[33]

舞台ぶたい

[編集へんしゅう]

書籍しょせき

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 週刊しゅうかんプロレス」2013ねん1がつ11・18合併がっぺいごう pp71 - 74掲載けいさい『レスラーヒューマンストーリ』だい75かい まるふじ正道せいどう へん
  • 週刊しゅうかんプロレス」2013ねん8がつ31増刊ぞうかんごう pp87 - pp96掲載けいさいまるふじ正道せいどう15周年しゅうねん記念きねん特集とくしゅう
  • ベースボールマガジンしゃ『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラーおとこ履歴りれきしょ』p112-119

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ しゅうプロ』2013-01-11 pp72
  2. ^ a b c 「プロレスラーの家族かぞくたち だい8かい」『週刊しゅうかんプロレス 2012ねん4がつ4にちごう (No.1623) 』 スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2012ねん、pp.48-49。
  3. ^ まるふじ正道せいどう(プロレスリング・ノア)が、初代しょだいタイガーマスクとの対戦たいせん熱望ねつぼう マッチメイク・チケット情報じょうほうブログ“押忍オス” 2006ねん1がつ30にち
  4. ^ Masakatsu Funaki「まるふじ選手せんしゅ素晴すばらしいです。100ねん1人ひとりのプロだな、と」 - YouTube
  5. ^ 馬場ばばさん最後さいご弟子でしまるふじ正道せいどう壮絶そうぜつ打撃だげきせん存在そんざいかん”. 日刊にっかんスポーツ (2019ねん2がつ19にち). 2022ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ のちにGHCナショナル王座おうざ新設しんせつされており、まるふじはまだ獲得かくとくしていない。
  7. ^ 門馬もんま忠雄ただおおそれが現実げんじつとなったまるふじ正道せいどう過労かろう欠場けつじょう」 『Sports Graphic Number』2010ねん9がつ2にちごう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2010ねん雑誌ざっし26851・9・2、116ぺーじ
  8. ^ 高木たかぎ裕美ひろみ (2014ねん7がつ6にち). “まるふじやく7ねんはんぶりにGHC王者おうじゃかえ弾丸だんがんヤンキースはTMDKを退しりぞはつ防衛ぼうえい”. スポーツナビ. 2014ねん7がつ6にち閲覧えつらん[リンク]
  9. ^ ジャイアント馬場ばば没後ぼつご20ねん追善ついぜん興行こうぎょう猪木いのき初代しょだいタイガー、しんあいだ寿ことぶき坂口さかぐちせい、ハンセンらが集結しゅうけつ!76さいのマスカラスがそら勝利しょうりしん日本にっぽんvs全日本ぜんにほん全面ぜんめん対抗たいこうせん全日本ぜんにほん軍配ぐんばい?!”. バトル・ニュース (2019ねん2がつ20日はつか). 2019ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  10. ^ DRAGONGATE:ドラゴンゲート公式こうしきサイト このまま市川いちかわ”. GAORA. 2020ねん6がつ20日はつか閲覧えつらん
  11. ^ グレート・ムタ&りゅう不死ふしどくきり消火しょうか噴射ふんしゃ勝利しょうり”. 日刊にっかんスポーツ. 2020ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  12. ^ 5/10【NOAH】"りゅう不死ふし"(まるふじ)はつ降臨こうりんでムタと魔界まかいタッグ 桜庭さくらば望月もちづきちょう次元じげんマッチ展開てんかい”. プロレス格闘技かくとうぎDX. 2020ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  13. ^ 【ノア】5.10 ノアTVマッチにグレートムタ見参けんざんりゅう不死ふしともどくきりほのお炭酸たんさんガス放出ほうしゅつ魔界まかい空間くうかんに!ジュニアは裏切うらぎり・しんユニット誕生たんじょう混沌こんとん”. プロレスTODAY. 2020ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  14. ^ (日本語にほんご) 電撃でんげき復活ふっかつ前田まえだ日明ひあがり vs まるふじ正道せいどう シングルマッチ特別とくべつ試合しあい格闘かくとうおう 前田まえだ日明ひあがり、カレリンせん以来いらい25ねんりにリングに復活ふっかつ!」 世紀せいきいちせん見逃みのがすな!inプロレスリング・ノア道場どうじょう, https://www.youtube.com/watch?v=vIkvroTVKmg 2024ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん 
  15. ^ Cell Expression Archived 2016ねん8がつ3にち, at the Wayback Machine. まるふじひろアートギャラリー
  16. ^ 【NOAH】まるふじ業種ぎょうしゅにも挑戦ちょうせん 東京とうきょう赤坂あかさか不知火しらぬひカレー』が28にちオープン(写真しゃしんあり) - プロレス格闘技かくとうぎDX・2014ねん8がつ26にち
  17. ^ 週刊しゅうかんプロレス2017ねん9がつ13にちごうp.98.
  18. ^ 週刊しゅうかんプロレス』No.1997 2019ねん2がつ20にちごう
  19. ^ つぶしたら100まんえんちょう酒豪しゅごうプロレスラーが後輩こうはいさけでガチ勝負しょうぶ”. YouTube (2020ねん11月27にち). 2021ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  20. ^ ちょう正洋まさひろ 年末ねんまつ大晦日おおみそかスペシャル】だいはやいプロレスラー事情じじょう聴取ちょうしゅ⁉︎杉浦すぎうらぐん杉浦すぎうらたか桜庭さくらば和志かずししお﨑豪・まるふじ正道せいどう直撃ちょくげき”. YouTube (2020ねん12月31にち). 2021ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  21. ^ 戴冠たいかん管理かんり団体だんたいFMW
  22. ^ a b 3/3 近代きんだい芸術げいじゅつてき必殺ひっさつわざベスト5をだい公開こうかい! [プロレス All About]”. All About(オールアバウト). 2023ねん11月5にち閲覧えつらん
  23. ^ まるふじ 三沢みさわさんにささげる3団体だんたいジュニア制覇せいは - スポニチ Sponichi Annex 格闘技かくとうぎ”. スポニチ Sponichi Annex. 2023ねん11月5にち閲覧えつらん
  24. ^ a b c d (日本語にほんご) プロレスかい席巻せっけんする「方舟はこぶね天才てんさいまるふじ正道せいどう必殺ひっさつわざ紹介しょうかい不知火しらぬひ、コブラクラッチしきさんかくめ、とらおう|プロレスリング・ノア, https://www.youtube.com/watch?v=JRYLoLri0FA 2023ねん11月5にち閲覧えつらん 
  25. ^ (日本語にほんご) プロレスかい席巻せっけんする「方舟はこぶね天才てんさいまるふじ正道せいどう必殺ひっさつわざ紹介しょうかい不知火しらぬひ、コブラクラッチしきさんかくめ、とらおう|プロレスリング・ノア, https://www.youtube.com/watch?v=JRYLoLri0FA 2023ねん11月5にち閲覧えつらん 
  26. ^ 【ノア】まるふじ正道せいどうしんわざとらおうれいため武藤むとうせんへ「非常ひじょうくとおもう」”. ひがしスポWEB (2021ねん5がつ2にち). 2023ねん11月5にち閲覧えつらん
  27. ^ 馬場ばばさん最後さいご弟子でしまるふじ正道せいどう壮絶そうぜつ打撃だげきせん存在そんざいかん - プロレス : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com. 2023ねん11月5にち閲覧えつらん
  28. ^ 当時とうじ番組ばんぐみ参加さんかしていた選手せんしゅでは一番いちばんだったため。
  29. ^ デビュー20周年しゅうねん記念きねん大会たいかい飛翔ひしょう特設とくせつサイト
  30. ^ “フジテレビドラマ「若者わかものたち2014」選手せんしゅ出演しゅつえんのおらせ”. プロレスリング・ノア公式こうしきサイト. (2014ねん6がつ27にち). http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=6243 2017ねん5がつ5にち閲覧えつらん 
  31. ^ 真夜中まよなかのおバカさわぎ! 番組ばんぐみ公式こうしきHP
  32. ^ まるふじ 正道せいどう @noah_marufuji_ #WOWOW の連続れんぞくドラマ「#密告みっこくはうたう 警視庁けいしちょう監察かんさつファイル」 だい出演しゅつえんさせていただきました。
  33. ^ 山田やまだ邦子くにこがGHC王者おうじゃまるふじ正道せいどうと「やまだかつてないラジオ」28にちから渋谷しぶや公開こうかい生放送なまほうそう”. スポーツ報知ほうち (2021ねん9がつ25にち). 2021ねん10がつ10日とおか閲覧えつらん
  34. ^ MARUfujiyaのツイート(905977051001241602)
  35. ^ noah_marufuji_のツイート(1212295854855376896)

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]