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ちからすめらぎたけし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちからすめらぎ たけし
プロフィール
リングネーム ちからすめらぎ たけし
井上いのうえ たけし(プレデビュー
本名ほんみょう 井上いのうえ たけし(いのうえ たけし)
ニックネーム 無双むそう
身長しんちょう 190cm
体重たいじゅう 120kg
誕生たんじょう (1972-12-20) 1972ねん12月20にち(51さい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
奈良ならけん桜井さくらい
所属しょぞく プロレスリング・ノア
スポーツれき 大相撲おおずもう
トレーナー 小橋こはし建太けんた
三沢みさわ光晴みつはる
デビュー 2000ねん5月28にち(2000ねん3月11にちプレデビュー)
引退いんたい 2011ねん11月27にち
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ちからさくら たけし
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい 井上いのうえ たけしさくら たけしちからさくら たけしちからさくら たけし
本名ほんみょう 井上いのうえ たけし(いのうえ たけし)
生年月日せいねんがっぴ (1972-12-20) 1972ねん12月20にち(51さい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
奈良ならけん桜井さくらい
身長しんちょう 191cm
体重たいじゅう 153kg
BMI 41.9
所属しょぞく部屋へや 鳴戸なると部屋へや
得意とくいわざ 上手じょうず
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にし前頭まえがしら4まい
生涯しょうがい戦歴せんれき 307しょう248はい20きゅう(58場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 54しょう51はい15きゅう(8場所ばしょ
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう2かい
データ
はつ土俵どひょう 1988ねん3がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 1996ねん7がつ場所ばしょ
引退いんたい 1997ねん9月場所ばしょ
引退いんたい プロレスラー
備考びこう
2019ねん2がつ25にち現在げんざい

ちからすめらぎ たけし(りきおう たけし、本名ほんみょう井上いのうえ たけし(いのうえ たけし)、1972ねん12月20にち - )は、日本にっぽんもと男性だんせいプロレスラーもと大相撲おおずもう力士りきし実業じつぎょう血液けつえきがたBがた奈良ならけん桜井さくらい出身しゅっしん愛称あいしょうは「リキ」、「リキさん」。力士りきし時代じだい四股しこめいちからさくら たけしおなじ)。最高さいこう西にし前頭まえがしら4まい

来歴らいれき[編集へんしゅう]

大相撲おおずもう時代じだい[編集へんしゅう]

さくら井東いとう中学校ちゅうがっこう時代じだい野球やきゅう所属しょぞくしていたが、当時とうじ二子山ふたごやま部屋へや部屋へや親方おやかただった鳴戸なると親方おやかたもと横綱よこづなりゅうさと)から熱心ねっしん勧誘かんゆうされ、二子山ふたごやま部屋へや鳴戸なると内弟子うちでしとして入門にゅうもんした。1988ねん3がつ場所ばしょ本名ほんみょうはつ土俵どひょうむが、同期どうきにはあけぼののちだい64だい横綱よこづな)、貴乃花たかのはなのちだい65だい横綱よこづな)、若乃花わかのはなのちだい66だい横綱よこづな)、魁皇かいおうのち大関おおぜき)、和歌わか乃山のち小結こむすび)などおおくの強豪きょうごう力士りきしがおり、「はなろくさんくみ」としょうされた。

1989ねん2がつ鳴戸なると親方おやかた二子山ふたごやま部屋へやから分家ぶんけ独立どくりつして鳴戸なると部屋へや創設そうせつしたさい鳴戸なると部屋へや移籍いせきした。ちからさくら自身じしん二子山ふたごやま部屋へやへの残留ざんりゅう希望きぼうしたこともあり、移籍いせき師匠ししょうきびしい指導しどう方法ほうほう反発はんぱつし、ことあるごとに鳴戸なると親方おやかたとは対立たいりつした。幕下まくした時代じだいには門限もんげんおくれたことを叱責しっせきされて自分じぶんまげとしたほどであった。

1996ねん7がつ場所ばしょ、ライバルながら仲良なかよしだった琴龍ことりゅうともしん入幕にゅうまくたす。これにより、戦後せんごはつとなる奈良ならけん出身しゅっしん幕内まくうち力士りきしとなった。腕力わんりょくつよ強烈きょうれつ上手じょうず豪快ごうかいくちで、将来しょうらいさんやく嘱望しょくぼうされた。しかし幕内まくうち8場所ばしょ1997ねん9月場所ばしょまえ交際こうさい女性じょせいはなしめぐって、師匠ししょう女将おかみらと対立たいりつだい喧嘩けんかすえみずか鳴戸なると部屋へやしてしまう。その1997ねん9がつ場所ばしょは、自身じしん最高さいこう前頭まえがしら4まいまで昇進しょうしんしながら、初日しょにちから全休ぜんきゅうだった(当初とうしょかん機能きのう障害しょうがいによる病気びょうき理由りゆう休場きゅうじょうとどけ提出ていしゅつしていた)。その部屋へやにはもどることもなくそのまま24さい角界かくかいから引退いんたいした。一説いっせつには、ちからさくらみずか破門はもんもうれ、鳴戸なると親方おやかたもそれにおうじるかたち引退いんたいとどけ提出ていしゅつしたともいわれる。それゆえに、引退いんたい記者きしゃ会見かいけんおこなわれることもなかった。なおちからさくら断髪だんぱつしき鳴戸なると親方おやかたらは出席しゅっせきせず、相撲すもう関係かんけいしゃ有志ゆうしがそれぞれあつまったうえおこなわれ、最後さいごやっとこれたのはもと大関おおぜきしょうにしきはちじゅうきちやま親方おやかたげん・KONISHIKI)であった。

プロレス時代じだい[編集へんしゅう]

廃業はいぎょうから1ねん1999ねん8がつ全日本ぜんにほんプロレス入門にゅうもん2000ねん3月11にち後楽園こうらくえんホールでのバトルロイヤルで井上いのうえたけしでプレデビューする。5月28にちおなどし親友しんゆう魁皇かいおう武双山むそうやま応援おうえんけるなか、後楽園こうらくえんホールでちからすめらぎたけしのリングネームで正式せいしきデビュー。

2000ねん6がつプロレスリング・ノア旗揚はたあげに参加さんかし、小橋こはし建太けんたをリーダーに同期どうき小橋こはしびと小林こばやし健太けんたげん:KENTA)らと(新生しんせい)バーニングというチームを結成けっせいした。この時期じきから、小橋こはしちからすめらぎにかけた「チェンジ・ザ・ボディー」という言葉ことば合言葉あいことばにして肉体にくたい改造かいぞうこころみ、相撲すもう時代じだいからのアンコがた体型たいけいからおなかていないまった体型たいけいになった。小橋こはしひざ手術しゅじゅつ長期ちょうき欠場けつじょうはいると三沢みさわ光晴みつはるひきいるWAVEに加入かにゅうした。

2001ねん4がつ18にち日本武道館にほんぶどうかんでのZERO-ONE旗揚はたあだい2せんにおいて、小川おがわシュートマッチ対策たいさくとして三沢みさわのパートナーに抜擢ばってきされ、小川おがわ直也なおや&村上むらかみ和成かずなりくみ勝利しょうり評価ひょうかげる。たれつよさをかし、小川おがわ村上むらかみ顔面がんめんへの打撃だげきけきり、三沢みさわがバックドロップホールドで村上むらかみからフォールをった瞬間しゅんかんも、場外じょうがい小川おがわから完全かんぜんマウントポジションをとって、打撃だげきはなっていた。

同年どうねん森嶋もりしまたけしとのタッグチーム「WILD II」を結成けっせいする。2002ねん2がつ17にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいで「WILD II」として大森おおもり隆男たかお&高山たかやまよしひろくみたおし、GHCタッグ王座おうざ戴冠たいかん。しかし、9月23にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかい齋藤さいとうあきらしゅん&秋山あきやまじゅんくみやぶれ、GHCタッグ王座おうざうしなった。

2004ねんなかごろ、オリジナルの必殺ひっさつわざ無双むそう」を開発かいはつした。このわざ駆使くしし、11月27〜28にち札幌さっぽろメディアパークスピカでのヘビー&ジュニアヘビー・ミックスド・タッグ・2デイズ・トーナメントにまるふじ正道せいどうんで出場しゅつじょう決勝けっしょう進出しんしゅつ決勝けっしょうでは小橋こはし&KENTAぐみ対戦たいせん小橋こはし無双むそうやぶ優勝ゆうしょうした。

2005ねん3月5にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかい小橋こはしやぶだい7だいGHCヘビーきゅう王座おうざ戴冠たいかん。9月18にちには日本武道館にほんぶどうかん大会たいかい三沢みさわ勝利しょうり防衛ぼうえい成功せいこうする。しかし、11月5にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかい田上たうえあきらやぶれ、4度目どめ防衛ぼうえい失敗しっぱいした。このとし、2005年度ねんどプロレス大賞たいしょう殊勲賞しゅくんしょう獲得かくとくしている。

2006ねん1がつ22にちあけぼの太郎たろうみ、小橋こはし&泉田いずみだじゅんいたりくみから合体がったいわざ『リキボノ・スプラッシュ63』で泉田いずみだじゅんいたり2人ふたりしつぶし、あけぼの泉田いずみだからフォふぉル勝るがちをおさめた。

2007ねん4がつ1にち秋山あきやまじゅんとのタッグで森嶋もりしまモハメド・ヨネくみ勝利しょうりだい14だいGHCタッグ王座おうざくも、8がつ14にちから頸椎損傷そんしょうのため大会たいかい欠場けつじょう出場しゅつじょうしていたGHCヘビーきゅう選手権せんしゅけん次期じき挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグせんは、モハメド・ヨネせん勝利しょうりした試合しあい以外いがいすべ不戦敗ふせんぱいとなってしまった。

2008ねん2がつ28にち秋山あきやまとのタッグで田上たうえ泉田いずみたぐみ相手あいて復帰ふっきせんおこなった。

2009ねん1がつ、モハメド・ヨネとしん軍団ぐんだんディスオベイ結党けっとう。6月14にち三沢みさわ死去しきょ翌日よくじつおこなわれた博多はかたスターレーン大会たいかいのメインイベントで潮崎しおざきごうとGHCヘビーきゅう選手権せんしゅけんたたかうが敗北はいぼく。12月6にちにはヨネとのタッグで森嶋もりしま&佐々木ささき健介けんすけくみやぶり、GHCタッグ王者おうじゃとなる。

2010ねん4がつ14にちバイソン・スミス&キース・ウォーカーくみやぶれ、GHCタッグ王座おうざから陥落かんらく。5月、しん日本にっぽんプロレスIWGPヘビーきゅう王者おうじゃ真壁まかべがたなよし挑戦ちょうせん表明ひょうめい。6月19にちのIWGPヘビーきゅうタイトル挑戦ちょうせん決定けっていしたものの、そのヘルニア発症はっしょうによる欠場けつじょう発表はっぴょうし、タイトルせんをキャンセルした。

2011ねん11月27にち、ノア有明ありあけ大会たいかいにリングにがり、重度じゅうど頚椎けいついヘルニアが完治かんじしないため年内ねんない現役げんえき引退いんたい発表はっぴょう

2012ねん7がつ22にちにノアはつ進出しんしゅつとなる両国りょうこく国技こくぎかんにおいて「ちからすめらぎもう引退いんたいセレモニー大会たいかい」とだいして興行こうぎょうおこなわれ、ぜん試合しあい終了しゅうりょうちからすめらぎ引退いんたいセレモニーが華々はなばなしくおこなわれた。今後こんご去就きょしゅうとして、よく23にちづけでGHCタイトル管理かんり委員いいん就任しゅうにんすることも発表はっぴょうされた[1]

引退いんたい[編集へんしゅう]

2013ねん12月5にち奈良ならけん天理てんりでラーメンてんめんじょうりょくすめらぎ」をオープン。 プロレス引退いんたいみせのオープン1ねんまえから燕三条つばめさんじょうラーメンの人気にんきてんとして有名ゆうめい新潟にいがたけんつばめのラーメンてんじゅん つばめそう本店ほんてん」に弟子でしりしてラーメン修業しゅうぎょうをしていた。2014ねん10月には、東京とうきょうラーメンショー2014に参加さんかして関東かんとうはつ出店しゅってんした[2]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • デビューまえもと力士りきし関取せきとり)であるという理由りゆう小橋こはしからエドモンド井上いのうえというリングネームを命名めいめいされそうになったが、拒否きょひした。
  • 大相撲おおずもう時代じだいはオレンジしょくまわしをめることがおおかった。
  • 甘党あまとうである。「週刊しゅうかんプロレス」の選手せんしゅ名鑑めいかんコーナーにあるきなものらんには「シュークリーム」、「プリン」、「メロンパン」とかれている。
  • ラグビーファンである。

大相撲おおずもう時代じだい成績せいせきとう[編集へんしゅう]

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:307しょう248はい20きゅう 勝率しょうりつ.553
  • 幕内まくうち成績せいせき:54しょう51はい15きゅう 勝率しょうりつ.514
  • 現役げんえき在位ざいい:58場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:8場所ばしょ
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:2かい(1996ねん1がつ場所ばしょ、1996ねん5がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

ちからさくら たけし
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1988ねん
昭和しょうわ63ねん
x ぜん相撲すもう 西にし序ノ口じょのくち17まい
4–3 
ひがしじょだん127まい
4–3 
ひがしじょだん93まい
3–4 
ひがしじょだん114まい
7–0 
1989ねん
平成へいせい元年がんねん
ひがしさんだん101まい
3–4 
西にしじょだん17まい
4–3 
西にしさんだん93まい
4–3 
ひがしさんだん71まい
4–3 
西にしさんだん52まい
3–4 
ひがしさんだん67まい
1–1–5 
1990ねん
平成へいせい2ねん
西にしじょだん8まい
3–4 
ひがしじょだん34まい
5–2 
西にしさんだん97まい
6–1 
ひがしさんだん42まい
3–4 
ひがしさんだん61まい
3–4 
西にしさんだん76まい
6–1 
1991ねん
平成へいせい3ねん
ひがしさんだん25まい
2–5 
ひがしさんだん50まい
5–2 
西にしさんだん21まい
5–2 
西にし幕下まくした56まい
4–3 
ひがし幕下まくした43まい
6–1 
ひがし幕下まくした19まい
3–4 
1992ねん
平成へいせい4ねん
ひがし幕下まくした26まい
3–4 
西にし幕下まくした34まい
6–1 
ひがし幕下まくした14まい
4–3 
西にし幕下まくした8まい
5–2 
西にし幕下まくした2まい
3–4 
ひがし幕下まくした7まい
4–3 
1993ねん
平成へいせい5ねん
ひがし幕下まくした4まい
3–4 
ひがし幕下まくした7まい
4–3 
西にし幕下まくした3まい
5–2 
ひがしじゅうりょう12まい
6–9 
ひがし幕下まくした2まい
3–4 
西にし幕下まくした5まい
3–4 
1994ねん
平成へいせい6ねん
ひがし幕下まくした9まい
4–3 
ひがし幕下まくした5まい
4–3 
西にしじゅうりょう13まい
8–7 
ひがしじゅうりょう12まい
8–7 
ひがしじゅうりょう9まい
7–8 
ひがしじゅうりょう11まい
9–6 
1995ねん
平成へいせい7ねん
ひがしじゅうりょう8まい
8–7 
ひがしじゅうりょう7まい
9–6 
ひがしじゅうりょう4まい
10–5 
西にしじゅうりょう2まい
5–10 
ひがしじゅうりょう7まい
9–6 
西にしじゅうりょう2まい
4–11 
1996ねん
平成へいせい8ねん
ひがしじゅうりょう9まい
優勝ゆうしょう
10–5
西にしじゅうりょう4まい
9–6 
西にしじゅうりょう3まい
優勝ゆうしょう
12–3
西前にしまえあたま14まい
9–6 
西前にしまえあたま9まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら15まい
8–7 
1997ねん
平成へいせい9ねん
西前にしまえあたま13まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら12まい
6–9 
西前にしまえあたま15まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら12まい
9–6 
西前にしまえあたま4まい
引退いんたい
0–0–15
x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ
  • 1989ねん1がつ場所ばしょ番付ばんづけではじょだんひがし44まいにランクされていたが、これは番付ばんづけ編成へんせいじょうのミスだったため[3]さんだん最下位さいかいかく土俵どひょうにあがった。

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおいいつきさん 2 0 安芸乃島あきのしま 1 0 あさ乃翔 2 1 あさ乃若 2 2
あさひゆたか 2 0 小城おぎにしき 1 2 いわおゆう 3 3 きた勝鬨かちどき 3 3
旭鷲山きょくしゅうざん 0 2 旭道山きょくどうざん 0 2 久島くしまうみ 1 0 剣晃けんこう 1 1
五城ごじょうろう 3 0 琴稲妻こといなづま 2 2 きんわか 1 0 琴別府ことべっぷ 3 0
琴龍ことりゅう 0 5 小錦こにしき 2 2 敷島しきしま 2 4 だいいたり 3 1
だいしょうおおとり 1 0 だい飛翔ひしょう 3 1 寺尾てらお 2 0 土佐とさうみ 1 0
とちひがし 1 2 とち乃洋 1 1 とち乃和 1 3 なみ乃花 1 1
はましま 0 4 肥後ひごうみ 2 1 まいうみ 2 0 三杉里みすぎさと 0 1
水戸みといずみ 0 1 みなと富士ふじ 3 3 大和やまと 2 1

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • 井上いのうえ たけし(いのうえ たけし)1988ねん3がつ場所ばしょ
  • さくら たけし(ふたござくら - )1988ねん5がつ場所ばしょ - 1989ねん1がつ場所ばしょ
  • ちからさくら たけし(りきおう - )1989ねん3がつ場所ばしょ - 1993ねん5がつ場所ばしょ
  • ちからさくら たけし(りきおう - )1993ねん7がつ場所ばしょ - 1997ねん9がつ場所ばしょ

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

相撲すもうかした実績じっせきち、めぐまれたゴツい体格たいかく武器ぶき自慢じまん怪力かいりきかしたオリジナルわざ無双むそうをはじめ、ノアでは滅多めったられないパワーファイターでもあった。

フィニッシュ・ホールド[編集へんしゅう]

無双むそう
かいった相手あいてみぎわきあたまもぐませて相手あいて腹部ふくぶ右腕うわんまわし、胴体どうたいかかみ、相手あいて背中せなかほうまわした左手ひだりて相手あいてみぎもも内側うちがわからかかみ、相手あいてからだをリフトアップして相手あいてからだびせかけるようにこう角度かくどまえのめりにたおみ、相手あいて背中せなかから体重たいじゅうびせながらとす変形へんけいロックボトム落下らっかさせた相手あいて背中せなかたたきつける。
ちからすめらぎのオリジナル必殺ひっさつわざ名前なまえ由来ゆらいちからすめらぎ親友しんゆうでもある武双山むそうやま名前なまえと、「なかふたつとい」という意味いみ言葉ことば無双むそうをかけたもの。
無双むそうあらため
上記じょうき無双むそうのアレンジとして開発かいはつ
相手あいて背後はいご自身じしんからだまわませて背中せなかほうから相手あいてひだりわきあたまもぐませて相手あいて背中せなか右腕うわんかかみ、からだをブリッジさせて相手あいて後方こうほうへとげて後頭部こうとうぶ背中せなかたたきつける。
うら無双むそう
上記じょうき無双むそうのアレンジとして開発かいはつ
相手あいて表裏ひょうりぎゃくにしてかける無双むそう
相手あいて背後はいご自身じしんからだまわませて背中せなかほうから相手あいてひだりわきあたまもぐませて相手あいて背中せなか右腕うわんかかみ、相手あいて正面しょうめんへとまわした左手ひだりて相手あいてひだりもも内側うちがわからすくげて相手あいてからだをリフトアップしてまえのめりにたおみ、うつせの状態じょうたい落下らっかさせた相手あいてからだたたきつける。
いまのところ、GHCヘビーきゅう選手権せんしゅけん試合しあい小橋こはし建太けんたとの試合しあいにていちだけ披露ひろう
天下てんか無双むそう
変形へんけい喉輪のどわしき無双むそう
かいった相手あいてのど右手みぎて鷲掴わしづかみにして左手ひだりてつかんでげた相手あいて右腕うわん自身じしんくびうしろにまわし、相手あいて背中せなかほうまわした左手ひだりて相手あいてみぎもも内側うちがわからかかみ、相手あいてからだをリフトアップして相手あいてからだびせかけるようにまえのめりにたおみ、落下らっかさせた相手あいて背中せなかたたきつける。
2007ねん7がつ15にち日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいのGHCヘビーきゅうタッグ選手権せんしゅけん試合しあい川畑かわはたあきらにこのわざ勝利しょうり

打撃だげきわざ[編集へんしゅう]

エルボー
エルボー・スタンプ
バックエルボー
顔面がんめんおおきくりかぶって見舞みまう。左右さゆううで交互こうごすうはつ連発れんぱつし、つづけてラリアットを敢行かんこうするパターンもある。
相撲すもう経験けいけんかした強烈きょうれつさがあじ。ビンタ気味ぎみすタイプではいちげきでグロッキー状態じょうたいにすることもめずらしくない。
ぶちかまし
相撲すもう応用おうようわざあたまから相手あいて腹部ふくぶあたりに体当たいあたりする。ここ一番いちばんすこともあり、小橋こはしたおだい7だいGHCヘビーきゅう王者おうじゃになったときは、フィニッシュの無双むそう直前ちょくぜんしリング中央ちゅうおう付近ふきんから一気いっきにコーナーポストへとしやった。
ぎゃく水平すいへいチョップ
チョップ・スマッシュ
ラリアット
パワーをしたタックルのようなランニングしき腕力わんりょく駆使くししたショートレンジしき使つかう。ショートレンジしきおおきくりかぶってすうはつってからのコンビネーションで使用しようすることもある。

わざ[編集へんしゅう]

こう角度かくどパワーボム
かつげたのちめをつくってとす。師匠ししょう小橋こはし使つかう、ターンバックルにける非常ひじょう危険きけんなパワーボムもだい試合しあいでは敢行かんこうする。
ブレーンバスター
ちからすめらぎ場合ばあいは、通常つうじょうのブレーンバスターとうよりも自身じしん体重たいじゅうびせるジャックハマーのような体勢たいせいとすことがおおい。
雪崩なだれしきブレーンバスター
合掌がっしょうとし
合掌がっしょうひねとし」のりゃく若手わかて時代じだい開発かいはつしたオリジナル必殺ひっさつわざ相撲すもう合掌がっしょうひねりのように相手あいてかお両手りょうてはさみ、左右さゆうおおきくらしてから真上まうえ背面はいめんからマットへてる。どちらかというと「徳利とっくりげ」の体勢たいせいちかい。最近さいきん使用しよう頻度ひんどった。
ベアハッグブレーンバスター
ベアハッグから相手あいてくびかかえ、相手あいてうで自分じぶんくびけるようにえながらブレーンバスターはなつ。ちからすめらぎ定番ていばんわざ
ベアハッグDDT
ベアハッグから相手あいてくびかかえるようになおし、DDTのように脳天のうてんからとしていくあらわざキン肉きんにくバスター体勢たいせい全身ぜんしんをガチガチにかためられた状態じょうたいあたまからたたけられるため、相手あいて受身うけみつらい。ちからすめらぎのこのわざをまともにらった齋藤さいとうあきらしゅんは、頸椎捻挫ねんざ胸骨きょうこつ亀裂きれつ骨折こっせつというだい怪我けがった。

関節かんせつわざわざ[編集へんしゅう]

スリーパーホールド
ボストンクラブ
ハーフ・ボストンクラブ
ベアハッグ
相手あいてびかかってきたところをとらえてボディをげる。ちからすめらぎには、ここからの派生はせいわざおおい。

わざ[編集へんしゅう]

ダイビングボディプレス
おおきな試合しあい使つかわれることがおおい。

入場にゅうじょうテーマきょく[編集へんしゅう]

  • A Passage In Time / Authority Zero

タイトルれき[編集へんしゅう]

プロレスリング・ノア
GHCヘビーきゅう王座おうざ
  • だい7だい防衛ぼうえい3かい
GHCタッグ王座おうざ
2デイズ・タッグ・チーム・トーナメント
プロレス大賞たいしょう
  • 2000ねん 新人しんじんしょう
  • 2005ねん 殊勲賞しゅくんしょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 「GREAT VOYAGE 2012 in RYOGOKU」7がつ22にち(日)にち両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかい 試合しあいコメント
  2. ^ 高山たかやまちからすめらぎ東京とうきょうラーメンショーで合体がったい - 東京とうきょうスポーツ・2014ねん10がつ25にち
  3. ^ じょだん優勝ゆうしょう決定けっていせんにおける1はいを、本場所ほんばしょでの1はい勘違かんちがいしたためとみられる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]