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井上いのうえ京子きょうこ (プロレスラー)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上いのうえ 京子きょうこ
Kyoko Inoue
井上 京子 Kyoko Inoueの画像
2023.07.18 撮影さつえい
プロフィール
リングネーム 井上いのうえ 京子きょうこ
アダモ井上いのうえ
本名ほんみょう 井上いのうえ 京子きょうこ
ニックネーム 天才てんさい
アダモ
世界せかいをぶちごううで
身長しんちょう 167cm
体重たいじゅう 108kg
誕生たんじょう (1969-04-22) 1969ねん4がつ22にち(55さい
出身しゅっしん 山形やまがたけん南陽なんよう
所属しょぞく ワールド女子じょしプロレス・ディアナ
トレーナー ジャガー横田よこた
ブル中野ぶるなかの
デビュー 1988ねん10がつ10日とおか
テンプレートを表示ひょうじ
獲得かくとくメダル
女子じょし レスリング
全日本ぜんにほんレスリング選手権せんしゅけん大会たいかい
どう 1988 75kgきゅう
きむ 1989 75kgちょうきゅう

井上いのうえ 京子きょうこ(いのうえ きょうこ、1969ねん4がつ22にち - )は、日本にっぽんプロレスラーワールド女子じょしプロレス・ディアナ株式会社かぶしきがいしゃ代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう山形やまがたけん南陽なんよう出身しゅっしん[1]かおほどこしたペイントがトレードマークである。

所属しょぞく[編集へんしゅう]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほん女子じょしプロレス所属しょぞく時代じだいは、体重たいじゅう100Kgのきょたいながら抜群ばつぐんのスタミナ・スピード・テクニック・パワーをそなえ、さらヒールでありながらのヒールレスラーのように凶器きょうき攻撃こうげきなどのあくどいファイトをおこなわなかったため、男女だんじょさかいしに人気にんきはくした。団体だんたい対抗たいこうせん時代じだいは、ぜんおんな代表だいひょうしてJWPLLPW対戦たいせんし、神取かんどりしのぶともシングルマッチをおこなったが、元々もともと対抗たいこうせん自体じたいにそれほど興味きょうみっていたわけではなかった。後年こうねん文献ぶんけんでは、ぜんおんな選手せんしゅなかでも井上いのうえ京子きょうこアジャ・コング団体だんたい対抗たいこうせんであっても、むやみに相手あいてつぶしにかからずにプロレスをおこな選手せんしゅであったとひょうされている[2]次第しだいに、みずからのアイドルであり獄門ごくもんとうのトップで師匠ししょうでもあるブル中野ぶるなかのえ、1ねん先輩せんぱいでありこころわざたいとも双璧そうへきといってよい存在そんざいであった豊田とよだ真奈美まなみえが、おおきなテーマとなっていった。

1988ねん
1990ねん
  • 7がつ21にち大田おおた体育館たいいくかんでは、神谷かみや美織みおり吉田よしだ万里子まりこみ、三田みた英津子えつこ&下田しもだ美馬みま&伊藤いとうかおる対戦たいせん。コスチュームの背中せなかには「井上いのうえ京子きょうこ」の文字もじがあった。だい場所ばしょでの試合しあいとしては最初さいしょにあたる。この試合しあいでは、まだフェイスペイントをしていなかった。あしよんかためてのジャイアントスイング、カンパーナなどもせた。
  • 10月7にち後楽園こうらくえんホールアジャ・コングんでみなみすず&北斗ほくとあきらくみ対戦たいせん試合しあい勝利しょうりしたアジャが獄門ごくもんとう脱退だったい宣言せんげんすると、獄門ごくもんとうのボスであるブル中野ぶるなかのはアジャにたいして破門はもん宣言せんげんし「いてくるやつだけついてこい」とマイクし控室ひかえしつかえす。この試合しあいでパートナーをんでいた井上いのうえ京子きょうこはどちらにつくかまよった様子ようすせたが、なみだせながらブルのほうあるいていった。
  • 11月14にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかんでのブル中野ぶるなかのたいアジャ・コングの金網かなあみデスマッチ。ブルの伝説でんせつてき金網かなあみさい上段じょうだんからのギロチン・ドロップのた、女子じょしプロレス史上しじょうめい勝負しょうぶとなったこの試合しあいバイソン木村きむらかたきちをアピール、アジャがタッグでの対戦たいせん要求ようきゅうする。そこで京子きょうこはマイクをって「中野なかのさん、自分じぶんじゃ駄目だめですか、自分じぶんじゃ? やりましょう! やりましょう! やりましょう! やりましょう!」と連呼れんこ。ブルもそれをれ、敗者はいしゃかみりタッグを宣言せんげんした。
1991ねん
  • 1がつ11にち後楽園こうらくえんホールでのメインイベントで、ブル中野ぶるなかののパートナーとしてバイソン木村きむら&アジャ・コングぐみ敗者はいしゃかみりマッチで対戦たいせん史上しじょうはつのタッグでのかみりマッチとなったが、ブルをアシストして勝利しょうりおさめた。
  • 3月17にち後楽園こうらくえんホールのメインイベントで、ブル中野ぶるなかののパートナーとしてバイソン木村きむら&高橋たかはし美華みかくみ対戦たいせん。デビュー2ねんはんにして、メイン・イベンターとして、そしてブルのパートナーとしての成長せいちょうぶりをせた。19ふん7びょう、ブルのギロチン・ドロップで勝利しょうり
  • ジャパン・グランプリ'91で、1にち3連勝れんしょう破竹はちくいきおいではつ優勝ゆうしょう一躍いちやく、スターダムにのしがる。
1992ねん
  • 2がつ9にちW☆ING」の後楽園こうらくえんホール大会たいかいにて山田やまだ敏代としよみ、豊田とよだ真奈美まなみ&長谷川はせがわ咲恵さきえくみ対戦たいせんつぎ試合しあい出場しゅつじょうディック・マードックが、「さきほどの女子じょしプロレスは、わたしなかでも最高さいこうレベルだった」 とって控室ひかえしつもどっていた4選手せんしゅを、わざわざリングじょうせ、称賛しょうさんした。
  • 7がつ5にち後楽園こうらくえんホールでのジャパン・グランプリ公式こうしきせんで、吉田よしだ万里子まりこ対戦たいせん。この試合しあいではルチャ・リブレをベースにした京子きょうこ吉田よしだのレスリング・センスが発揮はっきされた、あかるさ、たのしさとはげしさがならったこう試合しあいであった。会場かいじょうないおにごっこをする、トペこころみた京子きょうこけた吉田よしだが、リングのしたもぐって反対はんたいがわから姿すがたあらわす、京子きょうこ吉田よしだ得意とくいわざである、バンザイしきモンキー・フリップを敢行かんこう、コーナーにレフェリーの村山むらやまだい京子きょうこんで、京子きょうこにかけるつもりが京子きょうこげられ、村山むらやまにバンザイがたのモンキー・フリップを敢行かんこう、すかさず京子きょうこがカウント3をれる、といったおおくのがあった。試合しあい結果けっかは30ふんフルタイムのけ。
1993ねん
  • 4がつ2にち横浜よこはまアリーナでの「ゆめのオールスターせん」にて団体だんたい対抗たいこうせんはつ出場しゅつじょう井上いのうえ貴子たかこんで、JWPのキューティー鈴木すずき&尾崎おざき魔弓まゆみ対戦たいせん。キューティーをジャイアントスイングで39回転かいてんするなどびとしたプロレスを展開てんかい最後さいごはのどとしとナイアガラ・ドライバーで貴子たかこ尾崎おざきをフォール。
  • 4がつ11にち大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかんでの「ゆめのオールスターせんだい2だん」では堀田ほった祐美子ゆみこ井上いのうえ貴子たかこんで、JWPのキューティー鈴木すずき&コマンド・ボリショイ&プラム麻里子ぷらむまりこくみとの対決たいけつ。いきなりボリショイとのムーブ合戦かっせんでおたがいがおたがいを真似まねてユニークなうごきを連発れんぱつ観客かんきゃくだい歓声かんせいをあげた。試合しあいではボリショイに32回転かいてんのジャイアントスイングを見舞みまい、最後さいごは21ふん28びょう、エアプレーン・スピンからボリショイをフォール。
  • 8がつ25にち日本武道館にほんぶどうかんでの「武道館ぶどうかん女王じょおう列伝れつでん」では、LLPW神取かんどりしのぶはつ対決たいけつ。かみわないとおもわれていたが、京子きょうこ神取かんどりのサブミッションをかえし、いつもとどう京子きょうこワールドを展開てんかい。パワーでは神取かんどりまさるところもせたが、徐々じょじょ神取かんどり無骨ぶこつあらわざ関節かんせつわざわざめられ、だい熱戦ねっせんとなった。最後さいごは18ふん44びょうはらがためでギブアップけをきっした。試合しあい京子きょうこは、神取かんどり印象いんしょうかれ「かたかった・・・いしみたいだった・・・」とかたった。
  • 10月9にち東京とうきょうベイNKホールでの「レッスル・マリンピアード'93」では、JWPのデビル雅美まさみ対戦たいせん新旧しんきゅう実力じつりょくしゃ同士どうし対決たいけつとなったが、デビルがペースをにぎり、苦戦くせんする。ナイアガラ・ドライバーもかえされ、こう角度かくどパワーボムをうなどきびしい展開てんかいとなったが、最後さいごは11ふん50びょう、ブレーンバスターにたデビルを、意表いひょう一瞬いっしゅんしき回転かいてんエビがためで仕留しとめ、金星きんぼしげた。
  • 11月28にち大阪城おおさかじょうホールでの「大阪おおさか美神びしん王国おうこく」では、FMWなべゆきとシングルマッチ。FMいきおい唯一ゆいいつ参戦さんせんとなったが、小兵こひょうでアンコがたのユニークななべあきらかに格下かくしたであったが、不器用ぶきようながらガッツあふれるファイトをせた。京子きょうこもしっかりそれにこたえ、ちょう高速こうそくのジャイアントスイングもせた。最後さいご三角さんかくしきダイビング・エルボー・ドロップでフォふぉル勝るがち。試合しあいなべをあげて、奮闘ふんとうとなえた。
1994ねん
  • 8がつ24にち日本武道館にほんぶどうかんで、オールパシフィック王者おうじゃとして、IWA王者おうじゃである豊田とよだ真奈美まなみとダブル・タイトルマッチ。ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスをかえすなど、こういちのところまでめるが、豊田とよだも、京子きょうこ三角さんかくびからの雪崩なだれしきフロント・スープレックス、ナイアガラ・ドライバーをしのぎる。両者りょうしゃフィニッシュ・ホールドをくした死闘しとうとなったが、豊田とよだがカウンターでのロープの反動はんどう利用りようしてのこう角度かくど回転かいてんがためで23ふん31びょう勝利しょうりをもぎとりシングルかんおうとなり、京子きょうこ無冠むかんとなった。
  • 10月9にち川崎かわさき体育館たいいくかんの「レッスル・マリンピアード'94」では、井上いのうえ貴子たかこんでのダブル井上いのうえコンビで、山田やまだ&豊田とよだぐみWWWA世界せかいタッグ王座おうざ挑戦ちょうせん、2-1で勝利しょうりし、どう王座おうざはつ戴冠たいかん
  • 11月20にち東京とうきょうドーム憧夢ちょうおんな大戦たいせんでの「V☆TOP WOMAN日本にっぽん選手権せんしゅけんトーナメント」では、1回戦かいせんダイナマイト・関西かんさい対戦たいせん敗戦はいせん本来ほんらいこの大会たいかいではルシア・ライカとの対戦たいせん計画けいかくされていたが直前ちょくぜんながれ、どうトーナメントでいていた最後さいごいちわく長与ながよ千種ちぐさやデビル雅美まさみ打診だしんしていたがいずれもくびたてらなかったといわれている)に急遽きゅうきょまれるということで、京子きょうこにとってはきわめて不本意ふほんいなかたちでのトーナメント参加さんかであった。
1995ねん
  • 3月21にち大阪城おおさかじょうホールひらかれた「大阪おおさか美神びしん王国おうこくSUCCESS」では、自主じしゅてき返上へんじょうしただい100だいWWWA世界せかいタッグ王座おうざ決定けっていせんに、ダブル井上いのうえとして参加さんか。1回戦かいせんではみなみすず&レジー・ベネットくみのパワーに苦戦くせん準決勝じゅんけっしょうではアジャ・コング&吉田よしだ万里子まりこぐみのコンビネーションとねばりに苦戦くせんいられたが、決勝けっしょうでは豊田とよだ真奈美まなみ&ブリザードYuki(長谷川はせがわ咲恵さきえぐみをナイアガラ・ドライバーでしずめ、1にち3試合しあいいて、2度目どめ王座おうざとなった。
  • 3月26にち横浜よこはまアリーナブル中野ぶるなかの保持ほじするWWF世界せかい女子じょしシングル選手権せんしゅけん挑戦ちょうせん。ブルをかなりんだが、最後さいごはギロチン・ドロップ2はつからローリング・ギロチンという必殺ひっさつフルコースのまえしずんだ。ブルは試合しあい獄門ごくもんとう解散かいさん宣言せんげんしたが、京子きょうこは「中野なかのさんとのシングルでわたしってからにしてください!」となみだながらにうったえた。ブルは「てるか? ってるんだぞ、ずっと! てよ!」とこたえ、解散かいさん延期えんき快諾かいだくした。
  • 5月7にち後楽園こうらくえんホールでの王者おうじゃ豊田とよだ真奈美まなみとのWWWAシングル選手権せんしゅけん。60ふんノンストップの時間切じかんぎけ。女子じょしプロレス史上しじょうのこめい試合しあいひとつといってよい、充実じゅうじつした内容ないようであった。この試合しあいはアメリカの専門せんもん「レスリング・オブザーバー」選定せんていの「年間ねんかん最高さいこう試合しあい」にえらばれた。
  • 9月2にち日本武道館にほんぶどうかんブル中野ぶるなかのとのシングル・マッチ。ブルの場外じょうがい攻撃こうげきやプランチャ、エプロンから場外じょうがいへのギロチン・ドロップ2連発れんぱつなどの猛攻もうこうはん失神しっしん状態じょうたいとなり、リングアウト寸前すんぜんまでまれるが、最後さいごは20ふん53びょう、ナイアガラ・ドライバー3連発れんぱつでついにブルえを達成たっせい
1996ねん
  • 3月31にち横浜よこはまアリーナで豊田とよだ真奈美まなみ保持ほじするWWWA世界せかいシングル選手権せんしゅけん挑戦ちょうせん怪我けがかかえており体調たいちょう万全ばんぜんではなかったが、1994ねん8がつ24にち、1995ねん5がつ7にちのタイトルせん同様どうよう、おたがいにわざ熱戦ねっせんとなった。最後さいごは21ふん29びょう豊田とよだのジャパニーズ・オーシャン・ボムのまえしずんだ。健闘けんとうをたたえる豊田とよだのマイクにたいし「今日きょう完全かんぜんに3カウントとられました。すっごいくやしくて、すごくにくたらしいんですけど、ほんとにほんとににくらしいんですけど、あの、怪我けがなおしたら、そのベルト豊田とよださんから絶対ぜったいりますんで、そのときまでっててください」とおうじた。
  • 6月22にち豊田とよだ真奈美まなみ&下田しもだ美馬みまぐみやぶれ、WWWA世界せかいタッグ王座おうざうばわれる。
  • ジャパン・グランプリ'96では決勝けっしょうすすむものの、アジャ・コングとの死闘しとうやぶれてじゅん優勝ゆうしょうわる。
  • 12月8にち両国りょうこく国技こくぎかん豊田とよだ真奈美まなみ保持ほじするWWWA世界せかいシングル王座おうざ挑戦ちょうせんつい豊田とよだやぶって王座おうざ獲得かくとくした。
1997ねん
  • オールパシフィック選手権せんしゅけんとIWA世界せかい女子じょしシングル選手権せんしゅけんかん保持ほじしていた井上いのうえ貴子たかこと、みずからがWWWA世界せかいシングル王座おうざ防衛ぼうえいせんったほうすべてのベルトをるという試合しあい勝利しょうりし、史上しじょうはつ女子じょしさんかん王者おうじゃとなった。
  • 8がつ9にち したっていた先輩せんぱいアジャ・コングが全日本ぜんにほん女子じょしプロレスを退団たいだんすることになり、最後さいごにタッグを三田みた&下田しもだぐみ最終さいしゅう決戦けっせん。のちにかたぐさとなるこの試合しあい両者りょうしゃ希望きぼう完全かんぜん決着けっちゃくルール、反則はんそくOKであったため消火しょうか発射はっしゃするなど衝撃しょうげきてき内容ないようであったが勝利しょうりする(於 後楽園こうらくえんホール)。
  • 8がつ20日はつか武道館ぶどうかん女王じょおう列伝れつでんbrightness』大会たいかい堀田ほった祐美子ゆみことのWWWA世界せかいシングル王座おうざ防衛ぼうえいせん直前ちょくぜん全日本ぜんにほん女子じょしプロレスを退団たいだんすることを宣言せんげんするが、防衛ぼうえいせんやぶれる結果けっかとなる。
1998ねん
2000ねん
  • ネオ・レディースを解散かいさんする。どう団体だんたいではぜん大会たいかいでメインに出場しゅつじょうした。
  • ネオ・レディースの後継こうけいとなるNEO女子じょしプロレスに所属しょぞくし、『団体だんたい象徴しょうちょう』として人気にんきあつめる。
2001ねん
2007ねん
  • 3月より子宮しきゅう筋腫きんしゅによる期限きげん欠場けつじょう
  • 7がつ3にち妊娠にんしん発表はっぴょうし、11月2にち男児だんじ出産しゅっさん父親ちちおや存在そんざい姻戚いんせき関係かんけい有無うむなどの詳細しょうさい公表こうひょうしておらず、プロフィールじょう本名ほんみょうわっていない。
2008ねん
  • 1がつ6にち後楽園こうらくえんホールで開催かいさいされた『BE HAPPY AGAIN〜アレから10周年しゅうねん〜』メインの「30選手せんしゅ参加さんか時間じかんバトルロイヤル」にて「31にん」として登場とうじょう最後さいごまでのこった下田しもだ美馬みま退しりぞ優勝ゆうしょう
  • 3月2にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい完全かんぜん復帰ふっき野崎のさきなぎさみ、さくらえみ&勇気ゆうきいろどりくみ対戦たいせん勇気ゆうきからピンフォールをうば健在けんざいりをアピールした。
  • 5月5にち後楽園こうらくえんホールで開催かいさいされた『MAY HISTORY'08』でだい18だいNWA女子じょしパシフィック&NEO認定にんていシングル王者おうじゃ松尾まつお永遠えいえん勝利しょうりし5ねんぶりにどう王座おうざかえく。
  • 10月4にち川崎かわさき体育館たいいくかん開催かいさいされた『NEO DREAM 2008〜わらないゆめるのもいいがあたらしいゆめえがいてみせよ 〜井上いのうえ京子きょうこデビュー20周年しゅうねん記念きねん興行こうぎょう』では全日本ぜんにほん女子じょしプロレス時代じだい後輩こうはいもとびとであった高橋たかはし奈苗ななえ相手あいてにNWA女子じょしパシフィック王座おうざ&NEO認定にんていシングル選手権せんしゅけん試合しあいおこない、やぶれる。
2010ねん
  • 5月5にち、NEO女子じょしプロレスが同年どうねん12がつ31にちをもって解散かいさんすることが発表はっぴょうされ、その団体だんたいとのかんがかたちがいにより自身じしん退団たいだんすることを表明ひょうめいした。「当面とうめんはフリーで活動かつどうしていくが、将来しょうらいてきにはしん団体だんたい旗揚はたあげしたい」と後日ごじつインタビューでコメントしている[3]
  • 7がつ29にちしん団体だんたい母体ぼたいたる会社かいしゃ設立せつりつ
  • 11月、カンボジア遠征えんせい終了しゅうりょう手術しゅじゅつ
  • 12月26にち、NEO板橋いたばし大会たいかい最後さいご古巣ふるすリングにがる。ただし手術しゅじゅつ直後ちょくごのためバトルロイヤルのみ参加さんか
  • 12月31にち、NEO最終さいしゅう興行こうぎょう来場らいじょうし、団体だんたい最後さいご見送みおくった。
2011ねん
  • 1がつ9にちTommyレフェリー25周年しゅうねん記念きねんイベントで本格ほんかく復帰ふっき
  • 1がつ28にちしん団体だんたいワールド女子じょしプロレス・ディアナ設立せつりつ運営うんえい会社かいしゃたるワールド女子じょしプロレス・ディアナ株式会社かぶしきがいしゃ社長しゃちょう就任しゅうにん発表はっぴょう自身じしん団体だんたい運営うんえい会社かいしゃ社長しゃちょうつとめるのははつとなる。
2012ねん
  • 4がつ1にち、ディアナの経営けいえいけん株式会社かぶしきがいしゃサンに移譲いじょうされ、運営うんえい会社かいしゃ社長しゃちょう退任たいにん団体だんたい代表だいひょうへ)。
  • 10月8にち、ディアナベルサール六本木ろっぽんぎ大会たいかいでデビュー25周年しゅうねん記念きねんして25にんがけ。所属しょぞく選手せんしゅえんある関係かんけいしゃ25にんたり、最後さいごに26にんとして師匠ししょうブル中野ぶるなかの登場とうじょう
2013ねん
2014ねん
  • だい仁田にったあつし許可きょかて17ねんぶりに女子じょし選手せんしゅ参戦さんせん電流でんりゅう爆破ばくはマッチをおこなうことを決定けってい対戦たいせん相手あいて堀田ほった祐美子ゆみこ
2016ねん
  • 1がつ6にち、ディアナ新宿しんじゅく大会たいかい体調たいちょう不良ふりょうにより欠場けつじょう。その精密せいみつ検査けんさ結果けっか長年ながねん試合しあいくび状態じょうたい悪化あっかしたことが原因げんいん頚椎けいついヘルニアとなったことを発表はっぴょう手術しゅじゅつおこなわず欠場けつじょうとなる。
2022ねん
  • 4がつ15にち後楽園こうらくえんホール60周年しゅうねん還暦かんれきさい』に6にんタッグマッチで出場しゅつじょう[4]

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

初代しょだいタイガーマスクしししんサンダー・ライガーあこがれていたこともあり、初期しょきにはタイガーマスクのムーブなどをせることもあったが、ルチャにまなびつつ、オリジナリティあふれるレベルのたかわざ数多かずおおくマスターし、女子じょしプロレスラーとしては豊田とよだ真奈美まなみなら高度こうど華麗かれいわざ多数たすうっていた。

ラリアット
ロープにもたれている相手あいて目掛めがけてすラリアット。体重たいじゅうのある選手せんしゅのためその威力いりょく強力きょうりょく。このほか、かいった相手あいて小橋こはし建太けんたばりにショートレンジでしたり、リング対角線たいかくせんから、あるいは場外じょうがい花道かどうじゅうすうメートル、大会たいかいじょうではすうじゅうメートルはしんではなつこともあった。
ナイアガラ・ドライバー
若手わかて時代じだいから使つかっている、代名詞だいめいしひとつであるフィニッシュ・ホールド。うでつくって観客かんきゃくにアピールしてからはなつのが定番ていばんのムーブ。サンダーファイヤー・パワーボムのように相手あいて背中せなかかつぎ、ライガー・ボムのようにまえすててフォールをうばわざダイナマイト関西かんさい使つかうスプラッシュ・マウンテンとちがい、相手あいてげたさい空中くうちゅうでのめが非常ひじょうすくない。
ビクトリア・ドライバー
っている相手あいてうしろからかたかつげ、そのままよことすわざデスバレーボムちかいが相手あいてかたうえ仰向あおむけにっているのが特徴とくちょうたい豊田とよだ真奈美まなみせんのために開発かいはつされた必殺ひっさつわざ
ジャイアントスイング
試合しあいではかならずといっていほどせる人気にんきたかわざ対抗たいこうせん時代じだいには、キューティー鈴木すずきボリショイ・キッドなど比較的ひかくてき軽量けいりょう団体だんたいレスラーを、ちょう高速こうそくないしは30かい以上いじょうまわした。ブル中野ぶるなかの神取かんどりしのぶにも見舞みまったことがある。まわしたのち自分じぶんまわったというムーブをせた。豊田とよだ真奈美まなみとのタッグでは、相手あいてはジャイアントスイングとローリング・クレイドルのコンボわざうことになり、半端はんぱでなくまわ羽目はめになった。
キョーコスペシャル
ジャイアントスイングのバリエーションわざで、仰向あおむけに相手あいて両足りょうあしテキサスクローバーホールド同型どうけいのクラッチでかため、まわす。現在げんざいはほとんど使用しようしないまぼろしわざとなっている。なお、北尾きたお光司こうじが「サンダーストーム」という名称めいしょう同型どうけいわざ使用しようしている。
ダイビング・エルボー・ドロップ(三角さんかくしきダイビング・エルボー・ドロップ)
相手あいてをボディスラムなどでたおしておいて、三角さんかくびの要領ようりょうでコーナーポストさい上段じょうだんがり、そのまま背中せなかから落下らっかしエルボーをめる。
カンパーナ(釣鐘つりがねかため)
うつぶせになった相手あいて両足りょうあしあいだち、両足りょうあしでレッグロックをかけてあしをフックした状態じょうたいで、尻餅しりもちをつき、相手あいて両手りょうてってがり、てこの原理げんり応用おうようして、相手あいてがねのように前後ぜんごらす、ルチャのわざぜんおんなでは以前いぜんからられたわざであるが、その京子きょうこ以外いがいはあまり使つかていない。このほか、エル・ヌド(むすかため)というルチャのストレッチわざも、まれせた。
ロメロ・スペシャル天井てんじょうかため)
相手あいて両足りょうあしをロックし、りょう手首てくびつか相手あいてうえげる。井上いのうえ京子きょうこ使つかさいは、両足りょうあしをロックしたさいこしふりダンスのパフォーマンスをせ、そのわざ完成かんせいさせる。ロメロのあと、相手あいてろすがあしをフックしたまま、そのままスリーパー・ホールドにはいることもあった。
べつバージョンとして、うしろではなくまえころがって相手あいてげるパターンも使用しようした。
ダンシングツリー
両足りょうあしでの変形へんけいインディアン・デスロック自分じぶん両足りょうあしを、うつぶせになった相手あいてのクロスしたあしなかれてロックする。そのままの状態じょうたいおど観客かんきゃくにアピールする。一時期いちじきは、豊田とよだ真奈美まなみとタッグをんださいにはかならず、豊田とよだにもこのわざをやるよううながしていた。豊田とよだは、最初さいしょはいやいやっていたが、次第しだいすすんでおどるようになった。こののちあしをフックしたままみずからが仰向あおむけになり両足りょうあしばし、相手あいて両手りょうてをとってつりげるストレッチわざってくこともあった。
スパイダーズネスト
カンパーナの要領ようりょう両足りょうあしをフックしたまま、うつせの相手あいてにおおいかぶさり、片腕かたうでをとるわざ。このわざ山田やまだ敏代としよなどトップレスラーをギブアップさせたこともある。
反転はんてんしきミサイルキック
ロープにばされながら、セカンドロープにり、180反転はんてんしてドロップキックをはなつのが基本形きほんけい。さらに、コーナーにばされながら、同様どうようにコーナーロープにって見舞みまうこともある。どちらにしても、京子きょうこ圧倒的あっとうてき運動うんどう神経しんけいとバランス感覚かんかく存分ぞんぶん発揮はっきされたわざ
トペ・レベルサ
ロープにばされながら、セカンドロープにり、そのまま相手あいてにエルボー・パッドを見舞みまわざ。タッグマッチでは相手あいてチーム2にんに、りょううででエルボーを見舞みまう。これもまた、るいまれなプロレスセンスの賜物たまものえるわざ
三角さんかくしき雪崩なだれしきヘッドシザース・ドロップ
コーナーポストさい上段じょうだんからわざそうとしている相手あいてたいして、三角さんかくびの要領ようりょうがり、間髪かんぱつれずそのままヘッドシザース・ドロップをかけてフォールにむ。タイミング、スピード、パワーいずれも高度こうどなレベルを要求ようきゅうされるわざ
三角さんかくしき雪崩なだれしきフロント・スープレックス
上記じょうき三角さんかくしき雪崩なだれしきで、一瞬いっしゅんのうちに相手あいてかかんでフロント・スープレックスでてる。これもきわめて高度こうどわざである。
雪崩なだれしきプレーンバスターをかえしての雪崩なだれしきアバランシュ・ホールド
相手あいてがコーナーポストさい上段じょうだんから雪崩なだれしきブレーンバスターをかけてくるところをみとどまり、コーナーポストさい上段じょうだんぎゃく相手あいていだきかかえ、そのまま落下らっかするあらわざ豊田とよだ真奈美まなみとの攻防こうぼうでもよくせた。
ファイヤーマンズキャリー
相手あいてかつげ、高速こうそく回転かいてんして前方ぜんぽうげつける力業ちからわざときには対角線たいかくせんじょうはしみながら相手あいてげるため、相手あいてこしおおきなダメージをあたえることができた。

入場にゅうじょうテーマきょく[編集へんしゅう]

  • PANAMA(VAN HALEN
  • Ready to Fight?(「完全かんぜんばん全日本ぜんにほん女子じょしプロレステーマきょくしゅう」に収録しゅうろく
  • WILD×3 KYOKO

タイトルれき[編集へんしゅう]

プロレス大賞たいしょう
  • 女子じょしプロレス大賞たいしょう

その[編集へんしゅう]

新人しんじんころベビーフェイス志望しぼうだったが、当時とうじ交際こうさいしていた男性だんせいがいたため、ぜんおんな時代じだいさんきんさけ煙草たばこおとこ)に抵触ていしょくし、その男性だんせいとはわかれたが、ペナルティとして「ヒールになるかぜんおんなめるか」をせまられ、ヒールになったと2010ねん7がつ23にち放送ほうそうの「やじうまプラス」にて紹介しょうかいされている。

過去かこに2リングネームえたことがある。1度目どめは『アダモ井上いのうえ(アダモいのうえ)』で、2度目どめは『井上いのうえきょうとら本名ほんみょうおなじく、いのうえきょうこ)』。ともブル中野ぶるなかのひきいる獄門ごくもんとう加入かにゅうしたさい、ほんの一時期いちじき使用しようしている。ちなみに、これらのリングネームは地方ちほう興行こうぎょうちゅう改名かいめいしたのち、すぐ本名ほんみょうもどしていて、大都市だいとしでのビッグマッチとうでは名乗なのっていないので、あまりられていない。

ちなみに『アダモ井上いのうえ』の由来ゆらいは、入団にゅうだん当時とうじ先輩せんぱいレスラーたちまえげい披露ひろうすることになり、島崎しまざき俊郎としおちネタであるアダモステ披露ひろうしたところ非常ひじょうにウケ、それ以降いこうアダモ』というあだをつけられたことによる。師匠ししょうブル中野ぶるなかの愛称あいしょうの『アダモちゃん』とんでいる。

井上いのうえ京子きょうこえばペイントレスラーとして有名ゆうめいだが、1試合しあいのみペイントのかわりに覆面ふくめんこうむ試合しあいおこなっている。だが、覆面ふくめんになり試合しあい集中しゅうちゅうできず、それ以降いこうこうむっていない。なお、フェイスペイントのデザインは井上いのうえみずか考案こうあんしたもので、あか部分ぶぶんチャコットドーラン黄色きいろ縁取へりと部分ぶぶんポスカ蛍光けいこうイエロー(生産せいさん終了しゅうりょう)を使用しようしている[5]

2003ねんプロレスリング・ノア選手せんしゅかい興行こうぎょうにて井上いのうえまさひさしが「けたら井上いのうえ京子きょうこ改名かいめいする。」とって敗北はいぼく。その試合しあい京子きょうこのコスチュームとメイクで本人ほんにんとともに登場とうじょうした。

現在げんざいはレスラー活動かつどう並行へいこうして居酒屋いざかや「あかゆ」(もと実家じっか経営けいえいするラーメン屋号やごう)も経営けいえいしており、NEO時代じだい後輩こうはい現役げんえきもとわずスタッフとして手伝てつだっている。

テレビ出演しゅつえん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]