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石川いしかわ修司しゅうじ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川いしかわ 修司しゅうじ
石川 修司の画像
2023.08.23 撮影さつえい
プロフィール
リングネーム 石川いしかわ 修司しゅうじ
Koo
へびイアント
本名ほんみょう 石川いしかわ 修司しゅうじ
ニックネーム 王道おうどうだい巨人きょじん
だい巨人きょじん
21世紀せいき世界せかいきょほう[1]
進撃しんげきだい巨人きょじん
身長しんちょう 195cm
体重たいじゅう 130kg
誕生たんじょう (1975-09-25) 1975ねん9月25にち(48さい
出身しゅっしん 岩手いわてけん奥州おうしゅうきゅう胆沢いさわぐん前沢まえさわまち[1]
所属しょぞく フリー
スポーツれき 柔道じゅうどう
野球やきゅう[1]
デビュー 2003ねん6月15にち
テンプレートを表示ひょうじ

石川いしかわ 修司しゅうじ(いしかわ しゅうじ、1975ねん9月25にち - )は、日本にっぽん男性だんせいプロレスラー岩手いわてけん奥州おうしゅうきゅう胆沢いさわぐん前沢まえさわまち出身しゅっしん血液けつえきがたBがた

経歴けいれき[編集へんしゅう]

DDTプロレスリング[編集へんしゅう]

2002ねん
DDTプロレスリング入門にゅうもんテストを受験じゅけんしたが準備じゅんび不足ふそくたたって合格ごうかく。だが当時とうじ社長しゃちょうであった三和さんわあきら社会しゃかいじん経験けいけんのある石川いしかわ信用しんようしてかり練習れんしゅうせいのようなポジションで石川いしかわをDDTにき、会計かいけいなどの受付うけつけ業務ぎょうむを1ねんほどまかせた[2]
2003ねん
石川いしかわ受付うけつけがかりをやっていたため練習れんしゅう個人こじんでしかできなかったが、若手わかてのレベルアップということであるときJWP道場どうじょうりてしゅう2かい合同ごうどう練習れんしゅうはじまる。先輩せんぱいたちの怪我けが退団たいだん相次あいつぎ、レスラーのかずりなくなったことで高木たかぎ三四郎さんしろうから「おまえ馬場ばばさんてるから馬場ばばさんのマネをしろ」とわれて6がつ5にちにClub atomで開催かいさいされた橋本はしもと友彦ともひことのダークマッチでプレデビュー[2]
6月15にち、DDT横浜よこはまあかレンガ倉庫そうこ大会たいかいにおいてたいスーパー宇宙うちゅうパワーせんでデビュー[1]。このときについては「こわかったことしかおぼえてません。自分じぶんには馬場ばばさんのマネ以外いがいなににもなかったので」と195cmの長身ちょうしんという武器ぶきちながらも自分じぶんのプロレスがどんなものであるのかがえずしばらくもがきつづけた[2]
2004ねん
もとネオ・レディース しの社長しゃちょうひきいるS-DDTに加担かたんし、本隊ほんたい対立たいりつする。S-DDT崩壊ほうかいポイズン澤田さわだJULIE改造かいぞうされてへびこう教団きょうだん入信にゅうしんし、戦闘せんとういんへびイアント」となる。

ユニオンプロレス[編集へんしゅう]

2005ねん
血清けっせいんでポイズン澤田さわだとともに真人間まにんげんへともどり、さい旗揚はたあげすることとなったユニオンプロレス移籍いせき。あとからデビューした柿本かきもと大地だいちマサ高梨たかなしにタイトル奪取だっしゅにおいてさきされるなどした石川いしかわは、これをきっかけによりふかくプロレスについてかんがえる時間じかんおおつようになった[2]
2006ねん
ポイズン澤田さわだとも空手からてぐんきゅうユニオンぐんこうそう展開てんかい。バチバチへも参戦さんせんはじめたことで、着実ちゃくじつ地力じりきげる。ただつよいだけでなく、ているファンにいたみがつたわるようなプロレスが自分じぶん目指めざすプロレスとしてかたちになっていった[2]
2007ねん
ポイズン澤田さわだがユニオンを離脱りだつ。ユニオンのしんエースとして、佐々木ささき恭介きょうすけ中心ちゅうしんとするSTYLE-Eぐんや、ZERO1-MAX 佐々木ささき義人よしひと (プロレスラー)こうそうひろげる。またDDTにもハワイぐん(aWo)の一員いちいんで"ハワイのたたかいのかみ"というギミックのマスクマンKooとして参戦さんせんだい24だいKO-D差別さべつきゅう王者おうじゃとなるなど、躍進やくしんとしとなった。
12月31にちプロレスサミット出場しゅつじょうし、房総ぼうそうボーイかみなりとのタッグで高山たかやまよしひろきょう真実しんじつくみ対戦たいせん
2008ねん
3月16にち、DDTのあらたなサブブランドであるハードヒット旗揚はたあせんめしふくさいわいふとし勝利しょうり
5月24にち、ハードヒットだい2せんパンクラスMISSION所属しょぞくとなった佐藤さとうひかりとめのプロレスデビューせん相手あいてつとめるが、敗戦はいせんきっした。
6月18にち、ユニオン新木場しんきば大会たいかい東京とうきょう愚連隊ぐれんたいTAKEMURAとシングルマッチをおこなうが敗北はいぼく
8がつ9にち、ユニオン新木場しんきば大会たいかいだかイサミ小笠原おがさわら和彦かずひこんで東京とうきょう愚連隊ぐれんたいと6にんタッグで対戦たいせん。32ぶんドロップキックでTAKEMURAからフォールをうばい、リベンジをたした。
11月16にち、ユニオン北千住きたせんじゅ大会たいかいでKO-D差別さべつきゅう選手権せんしゅけんいどむが、高木たかぎ三四郎さんしろう敗北はいぼく
11月30にち、DDT後楽園こうらくえんホール大会たいかいKO-Dタッグ王座おうざ挑戦ちょうせん(パートナーは高木たかぎ三四郎さんしろう)。HARASHIMAあおがたなでフォールをうばわれ、敗北はいぼく
12月31にち、プロレスサミットでメインの6にんタッグせん出場しゅつじょう
2009ねん
1がつ2にちだい日本にっぽんプロレス 後楽園こうらくえんホール大会たいかい宮本みやもとひろしむかい佐々木ささきたかくみ対戦たいせん相手あいてはつ蛍光けいこうとうデスマッチいどむ(パートナーは伊東いとう竜二りゅうじ)。タッグせんながらデスマッチはつ挑戦ちょうせん勝利しょうりげた。
2がつ - 5月、だい日本にっぽんさい侠タッグリーグせんにエントリー(パートナーは伊東いとう竜二りゅうじ)。決勝けっしょうせんまでこますすめたが、伊東いとう負傷ふしょう欠場けつじょうにより失格しっかくわる。
11月29にち、DDT後楽園こうらくえんホール大会たいかいめしふくさいわいふとしくだし、KO-D差別さべつきゅう王座おうざ奪取だっしゅだい30だい王者おうじゃとなる。
12月16にち新木場しんきば大会たいかいにてだかイサミの挑戦ちょうせんけ、はつ防衛ぼうえいたした。
12月27にち、DDT後楽園こうらくえんホール大会たいかいにてHARASHIMAの挑戦ちょうせんけ、2度目どめ防衛ぼうえい成功せいこう
2010ねん
1がつ24にち新木場しんきば大会たいかいにて佐々木ささき義人よしひと挑戦ちょうせん退しりぞけ、3度目どめ防衛ぼうえい成功せいこう
2がつ11にち、DDT後楽園こうらくえんホール大会たいかいにて男色なんしょくディーノ挑戦ちょうせん退しりぞけ、4度目どめ防衛ぼうえい成功せいこう
2がつ28にち新木場しんきば大会たいかいにて関本せきもと大介だいすけ挑戦ちょうせん敗退はいたい防衛ぼうえい失敗しっぱいする。
6月13にち大家だいけけんからKO-Dいつでもどこでも挑戦ちょうせんけん譲渡じょうとけ、ふたた関本せきもと大介だいすけ挑戦ちょうせんするも敗退はいたい自動的じどうてき両国りょうこく大会たいかいのメインイベント出場しゅつじょうがなくなる。
8がつ9にちだい日本にっぽん名古屋なごや大会たいかい南野みなみのタケシんでのたい伊東いとう竜二りゅうじ星野ほしの勘九郎かんくろうたたかえ蛍光けいこうとう凶器きょうきみデスマッチ)で勝利しょうり試合しあい関本せきもとやぶDDT両国りょうこく大会たいかいのメイン出場しゅつじょうのがしたことたいするだい日本にっぽんへの報復ほうふくとして、伊東いとう竜二りゅうじBJW認定にんていデスマッチヘビーきゅう王座おうざへの挑戦ちょうせん要求ようきゅう
8がつ29にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかい、9にち名古屋なごやでのデスマッチヘビー挑戦ちょうせん要求ようきゅうたいし、アブドーラ小林こばやしから「だい日本にっぽんは1かい指名しめいしただけでやらせてくれるようやすみせじゃない」と糾弾きゅうだん。これにたいし、次期じき挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん開催かいさい要求ようきゅう受理じゅりされる。
9月19にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかいデスマッチヘビーきゅう次期じき挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん蛍光けいこうとう261ほんデスマッチで、アブドーラ小林こばやし勝利しょうり伊東いとうへの次期じき挑戦ちょうせんけん獲得かくとくする。
10月17にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかいデスマッチヘビーきゅう選手権せんしゅけん試合しあい・「デスマッチ3だいアイテム 蛍光けいこうとうガラスボード&画鋲がびょう4まん9205デスマッチ」で伊東いとう竜二りゅうじ挑戦ちょうせんするも敗退はいたい
10月24にち、JWP女子じょしプロレスシアター1010大会たいかい倉垣くらかきつばさとのシングルせん勝利しょうり
2011ねん
5月4にち、DDT後楽園こうらくえんホール大会たいかいディック東郷とうごうくだし、KO-D差別さべつきゅう王座おうざ奪取だっしゅだい36だい王者おうじゃとなる。
2012ねん
3月26にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかいで6にんタッグでの蛍光けいこうとうデスマッチでデスマッチヘビーきゅう王者おうじゃ・アブドーラ小林こばやし勝利しょうり試合しあい小林こばやしから次期じき挑戦ちょうせんしゃ指名しめいされる。
5月4にち、ユニオン後楽園こうらくえん大会たいかい入江いりえ茂弘しげひろんで佐々木ささき義人よしひとにんくだし、BJW認定にんていタッグ王座おうざ奪取だっしゅ
5月5にちだい日本にっぽん横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかいデスマッチヘビーきゅう選手権せんしゅけん試合しあい自作じさく凶器きょうき蛍光けいこうとう306ほんデスマッチ」でアブドーラ小林こばやし挑戦ちょうせん激闘げきとう展開てんかいするも敗退はいたい
6月17にち、ユニオン北沢きたざわタウンホール大会たいかいでアブドーラ小林こばやし伊東いとう竜二りゅうじ退しりぞけBJWタッグ王座おうざはつ防衛ぼうえい
7がつ15にち札幌さっぽろテイセンホール大会たいかい岡林おかばやし裕二ゆうじにんやぶれタッグ王座おうざうしなう。
2013ねん
1がつ2にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかいでのBJW認定にんていデスマッチヘビーきゅう王座おうざせんでアブドーラ小林こばやし勝利しょうりだい27だい王者おうじゃとなる[1]。4防衛ぼうえいたしたが、11月4にちだかイサミとの王座おうざせん陥落かんらく。こののちストロングBJへ転向てんこう現行げんこう主要しゅようベルト3かんねらうことを表明ひょうめい
2014ねん
5月31にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかい佐藤さとう耕平こうへいと「ツインタワーズ」を結成けっせいし、ヤンキーちょう拳銃けんじゅうだかイサミ・宮本みやもとひろしむこう)をくだして2度目どめのBJW認定にんていタッグ王座おうざ奪取だっしゅ
7がつ26にちだい日本にっぽん後楽園こうらくえん大会たいかい一騎当千いっきとうせんstrong climb決勝けっしょうせん進出しんしゅつ関本せきもと大介だいすけくだして優勝ゆうしょう。これにより当時とうじBJW認定にんてい世界せかいストロングヘビーきゅう王座おうざだった石川いしかわすすむと「最強さいきょう石川いしかわ対決たいけつ」を決定けっていさせる。
8がつ13にち王座おうざ前哨ぜんしょうせんとしておこなわれた試合しあいで、自身じしんわざにより石川いしかわすすむ也が負傷ふしょうしタイトルマッチが延期えんきとなり、そのまま石川いしかわすすむ也が引退いんたいしたことから「最強さいきょう石川いしかわ対決たいけつ」はまぼろしとなった。
12月21にちだい5だいBJW認定にんていストロングヘビーきゅう王座おうざ決定けっていせんおこなわれることになり、河上かわかみ隆一りゅういちやぶってだい5だい王座おうざ獲得かくとくだい日本にっぽんはつとなる主要しゅようベルト3かん獲得かくとく達成たっせいした。
2015ねん
1がつ3にち全日本ぜんにほんプロレス参戦さんせんあけぼの大森おおもり隆男たかおなど、自身じしんちかおおきさのヘビーきゅうレスラーとぶつかりあった。

フリー[編集へんしゅう]

2015ねん10がつのユニオンプロレス解散かいさんに、フリーランスに転身てんしんする。

2016ねん、DDTでは3がつ21にち両国りょうこく大会たいかい佐々木ささき大輔だいすけんで竹下たけしたみゆきかい遠藤えんどう哲哉てつやくみくだし、自身じしんはつとなるKO-Dタッグ王座おうざ奪取だっしゅ。のちに佐々木ささきひきいるユニット「DAMNATION」に加入かにゅう。6月にKING OF DDTトーナメントはつ出場しゅつじょうはつ優勝ゆうしょうたすが、7がつ3にちにKO-Dタッグ王座おうざから陥落かんらく。8月28にちには両国りょうこく大会たいかい竹下たけしたみゆきかいくだし、KO-D差別さべつきゅう王座おうざ奪取だっしゅ、5ねんぶり4度目どめ戴冠たいかんたすが、12月4にちにHARASHIMAにやぶしつかんむりだい日本にっぽんでは一騎当千いっきとうせんstrong climbで優勝ゆうしょうしstrong climbを連覇れんぱ。5月30にち後楽園こうらくえん大会たいかい佐藤さとう耕平こうへいとのコンビ「ツインタワーズ」ではま亮太りょうた神谷かみやえいけいぐみくだし、3度目どめのBJW認定にんていタッグ王座おうざ奪取だっしゅ。3かい防衛ぼうえいするも、2017ねん1がつ2にちにBJW認定にんていタッグ王座おうざから陥落かんらく

2017ねん1がつ全日本ぜんにほんへの本格ほんかく参戦さんせん宣言せんげん。4月、チャンピオン・カーニバルはつ出場しゅつじょうジョー・ドーリングくだはつ優勝ゆうしょう。5月21にち宮原みやはらけんさんかんヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせん勝利しょうりさんかんはつ戴冠たいかん。しかし8がつ27にち両国りょうこく大会たいかい宮原みやはらのリベンジをゆるし、3ヵ月かげつ天下てんかわる。一方いっぽう、ジョーのエボリューション脱退だったいせいパートナー不在ふざいとなった諏訪すわとコンビ「暴走ぼうそうだい巨人きょじん」を結成けっせい世界せかい最強さいきょうタッグ決定けっていリーグせん優勝ゆうしょうかざ[3]同年どうねんプロレス大賞たいしょう最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう獲得かくとくした。DDTでは同年どうねんまつより予選よせん開催かいさいされた「Dおう GRAND PRIX 2018」に参戦さんせん2018ねん1がつ28にち決勝けっしょうせんでHARASHIMAに勝利しょうり優勝ゆうしょう[4]

2018ねん1がつ3にち全日本ぜんにほん後楽園こうらくえん大会たいかい諏訪すわとの「暴走ぼうそうだい巨人きょじん」で秋山あきやまじゅん大森おおもり隆男たかおぐみくだし、世界せかいタッグ王座おうざ獲得かくとく[5]。2月3にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかいはつ防衛ぼうえいせん宮原みやはら&ヨシタツくみやぶしつかんするも、6月30にちには札幌さっぽろで2度目どめ世界せかいタッグ王座おうざ獲得かくとく世界せかい最強さいきょうタッグではじゅん優勝ゆうしょうわったが、暴走ぼうそうだいきょじんはプロレス大賞たいしょう最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょうを2ねん連続れんぞく受賞じゅしょうした。

全日本ぜんにほんプロレス[編集へんしゅう]

2019ねん1がつ1にちづけ全日本ぜんにほんプロレスに正式せいしき入団にゅうだん[6][7]。その直後ちょくご世界せかいタッグ王座おうざから陥落かんらくするが、同年どうねん3がつ19にち奪回だっかい、しかし3かい防衛ぼうえいののち9がつ3にちふたた手放てばなす。同年どうねん世界せかい最強さいきょうタッグでは暴走ぼうそうだいきょじんで2ねんぶりに優勝ゆうしょうし、3ねん連続れんぞくでプロレス大賞たいしょう最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう受賞じゅしょうよく2020ねん1がつ2にち世界せかいタッグを奪還だっかんし、通算つうさん4度目どめ戴冠たいかんたした。

新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうにより興行こうぎょうすう激減げきげんするなか暴走ぼうそうだいきょじんいちねんとおして世界せかいタッグ王座おうざ防衛ぼうえいしたが、世界せかい最強さいきょうタッグはじゅん優勝ゆうしょうわり、プロレス大賞たいしょう最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょうの4ねん連続れんぞく受賞じゅしょうのがす。また世界せかい最強さいきょうタッグに優勝ゆうしょうした宮原みやはら&青柳あおやぎゆうくみ世界せかいタッグ王座おうざ挑戦ちょうせんけ、けたら暴走ぼうそうだいきょじん解散かいさん宣言せんげん[8]2021ねん1がつ2にち選手権せんしゅけん試合しあいやぶれ、公約こうやくどおり暴走ぼうそうだい巨人きょじん解散かいさんさせた[9]

世界せかいタッグしつかんむり翌日よくじつGAORA TV チャンピオンシップ葛西かさいじゅんわたり、デスマッチ防衛ぼうえいせん要求ようきゅうする葛西かさい石川いしかわ名乗なのりをげる。「全日本ぜんにほんプロレスはデスマッチ団体だんたいではないので、選手せんしゅからんでほしくない」との石川いしかわ要望ようぼうから、全日本ぜんにほんはつのワンマッチ興行こうぎょうでの選手権せんしゅけん試合しあい実施じっし[10][11]。3月18にち葛西かさいとのデスマッチをせいしGAORA TV王座おうざはつ戴冠たいかん[12][13]

フリー[編集へんしゅう]

2024ねん1がつ31にちづけ全日本ぜんにほんプロレスを退団たいだん以降いこうエボリューション (Evoおんなのゼネラルマネージャーをおこないつつ、フリーランスとしてEvoおんなやDDTやプロレスリング・ノア興行こうぎょう出場しゅつじょうしている。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

DDTプロレスリングでデビューし、ユニオンプロレス→フリーランスを全日本ぜんにほんプロレス所属しょぞくしたが、前述ぜんじゅつのように全日本ぜんにほんプロレス退団たいだんはEvoおんなのゼネラルマネージャーを担当たんとうしつつフリーランスとして活動かつどうしている。デビュー当初とうしょ長身ちょうしんだからとジャイアント馬場ばばギミックだった[14]。ユニオンでの異種いしゅ格闘技かくとうぎせんやデスマッチ、バチバチへの参戦さんせんたたかいのはばひろげ、インディーかい屈指くっし巨体きょたいとパワーを武器ぶきにしたファイトスタイルを身上しんじょうとしている。後述こうじゅつのようにユニオンプロレス所属しょぞくまでは会社かいしゃいんとしてもはたらいていた。

エピソード[編集へんしゅう]

  • 佐々木ささきたかとは岩手いわて県立けんりつ一関いちのせきだい高等こうとう学校がっこういち学年がくねんじょう先輩せんぱいで、ともに柔道じゅうどう所属しょぞくしていた。
  • カラテバラモンかかわることがおおく、シングルマッチをやったり東洋とうよう魔女まじょデラックス入信にゅうしんしている。
  • 佐々木ささきDDT退団たいだんすると石川いしかわけたさい、「めないでくださいよ!」と号泣ごうきゅうしながらめた。
  • ダムネーション加入かにゅう正当せいとうなマイクアピールをおこなうと、リーダーでもある佐々木ささきからられることが非常ひじょうおおい。
  • きなものカルピス
  • 2008ねん12月7にち一関いちのせき総合そうごう体育館たいいくかんおこなわれた興業こうぎょうで、はじめて両親りょうしん自分じぶんがレスラーになったことをつたえた。それ以前いぜんまで、石川いしかわ両親りょうしん自身じしん普通ふつう会社かいしゃいんだとおもっていた[2]
  • めしふく存在そんざい石川いしかわにとってたかかべのようにあったため、石川いしかわは「自分じぶんめしふくくらべたら劣等れっとうせいめしふくがすごいからこそ、自分じぶん頑張がんばれたし、後楽園こうらくえん(2009ねん11月29にち)でベルトをけてめしふくたたかえたことがうれしかった。素質そしつとかはなとかかなわない部分ぶぶんはたくさんあるんですけど、それでもけたくない。めしふくからベルトをったということは、自分じぶんのなかでものすごく価値かちがあった」とはなしたことがある[2]
  • 立場たちばてきには全日本ぜんにほんプロレスの外敵がいてきであったが、参戦さんせん選手せんしゅとして全日本ぜんにほんらしさをしていることから全日本ぜんにほんファンからもたか支持しじていた[15]

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

フィニッシュ・ホールド[編集へんしゅう]

スプラッシュマウンテン
石川いしかわおもなフィニッシャー。ビッグマッチではめしふく考案こうあんしたクロスアームしきす。一騎当千いっきとうせん全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうしたさいには、最後さいごまでかかげずにすぐさまとす垂直すいちょく落下らっかしきせた。
クロスアームしきスプラッシュマウンテン
ピラミッドドライバーの体勢たいせいかかげた相手あいてからだカナディアンバックブリーカーかたち左肩ひだりかたまでかつげ、相手あいてかついだままかる助走じょそうをつける。そのあと相手あいてからだ前方ぜんぽうげながらひらけあしジャンプし、尻餅しりもちをつくように着地ちゃくちすると同時どうじ落下らっかさせた相手あいてからだ自分じぶん両足りょうあしあいだへとたたきつける。
ジャイアントスラム
変型へんけいリストクラッチアングルスラム。ここ一番いちばん使つかわれる石川いしかわ最上級さいじょうきゅうのフィニッシュホールド。
相手あいてひだりわきうしろから頭部とうぶみ、右腕うわん相手あいて左足ひだりあしかかみつつ、さらに左腕さわんもクラッチしのこった右腕うわんつかんでいきおいよく後方こうほうげる変型へんけいリストクラッチしきアングルスラム。
ジャイアントフライ
巨体きょたいからはなたれる豪快ごうかいフロッグスプラッシュ
ジャイアント・ドライバー
相手あいてあたままえにしたうつぶせ状態じょうたいにしてかたかつぎあげたあと、胴体どうたいかかみそのまま脳天のうてんからとす変形へんけいパイルドライバー。フィニッシュホールドにもなる。ファイアーサンダーおなわざ
宮原みやはらころ
相手あいてファイアーマンズキャリー体勢たいせいかかげて胴体どうたいかかみそのまま相手あいて脳天のうてんから垂直すいちょくとす、変形へんけいファイアーサンダー
2017ねん宮原みやはらけんへのさんかん挑戦ちょうせんさい開発かいはつ[16]
宮原みやはらころし2019
正面しょうめんから相手あいて左腕さわん右腕うわんつかんで、背後はいごまわりながらそのうでくびもとけ、コブラクラッチ体勢たいせいから相手あいて左足ひだりあしかか後方こうほうかえって相手あいて後頭部こうとうぶからマットにたたきつけるコブラ・クラッチしき変形へんけいレッグ・ロック・スープレックス
2019ねんのチャンピオン・カーニバルよう秘密ひみつ兵器へいきとして開発かいはつ[17]
宮原みやはらころし2022別名べつめいリバース・ファイヤーサンダー
カナディアン・バックブリーカー体勢たいせい相手あいて右肩みぎかたかつげ、そこから相手あいてくび右手みぎて固定こていして左手ひだりて胴体どうたいかかえた状態じょうたい脳天のうてんからマットにすデンジャラスわざで、いわゆる変形へんけいパイルドライバー

打撃だげきわざ[編集へんしゅう]

エルボー
エルボー・スタンプ
ぎゃく水平すいへいチョップ
ヘッドバット
石川いしかわのヘッドバットははなつと会場かいじょうちゅうにぶおとひびわたり、一撃いちげき試合しあいながれがわるほどの威力いりょくつとわれる。石川いしかわ場合ばあいは、相手あいてりょううでかかえてきわめてから連発れんぱつする「カンヌキしき」や、背後はいごから相手あいて片腕かたうでぎゃくがわってばし、もどってきた相手あいてはなつ「レインメーカーしき」も使用しようする。
カミゴェ
ひざをついた状態じょうたい相手あいてりょううで自分じぶん両手りょうてでそれぞれつかみ、ノーガード状態じょうたい相手あいて顔面がんめんたたひざり。元々もともとめしふくしんわざとして開発かいはつしたわざで、道場どうじょうわざためしているの石川いしかわめしふくに「使つかっていいですか?」といたところ、めしふく了承りょうしょうしたためそれ以降いこう使用しようしている。
ニーリフト
試合しあいとおしてこう頻度ひんど使用しようされる。はしんでからはなつランニングニーリフトは、フィニッシュホールドにもなる。
32ぶん人間にんげんロケット
ビックブーツ

わざ[編集へんしゅう]

チョークスラム
オレが修司しゅうじ
アトミック・ドロップの体勢たいせい相手あいて高々たかだかげたのち、ノドとしでマットにたたけるわざ。こののち、さらにがりこぼし形式けいしきでノドとしをすこともある。田上たうえあきらオレが田上たうえ同型どうけい
ボスしけてるぜ
相手あいてからだをチョークスラムのクラッチでかかえたあとたいをブリッジさせ、後方こうほうへとげた相手あいて背中せなか豪快ごうかいにマットへたたきつける。
ランニングネックブリーカードロップ
かんぬきスープレックス(ダブル・アームリスト・スープレックス)
かいった相手あいてりょううでみずからのりょうわきかかんできわめるかんぬき(かんぬき)の状態じょうたいから後方こうほうへ90ひねりをくわえてげつける変形へんけいスープレックス。別名べつめいダブル・アームリスト・スープレックス。石川いしかわ場合ばあいあたまとっきを連発れんぱつしてからはなつ。

関節かんせつわざわざ[編集へんしゅう]

ブレーンクロー
地獄じごくかた
相手あいて監獄かんごくかた捕獲ほかくし、さらうでかんぬききわめてあたまとっきを連打れんだする。過去かこにこのわざにん失神しっしんKOしたこともある。

フォールわざ[編集へんしゅう]

雁之助がんのすけクラッチ

合体がったいわざ[編集へんしゅう]

以下いかはすべて諏訪すわとの連係れんけいわざ

ラストマウンテン
相手あいてがグランドの状態じょうたいから2人ふたり相手あいて一気いっきにぶっこき、諏訪すわのラストライド、石川いしかわのスプラッシュマウンテンの要領ようりょう高々たかだかげて豪快ごうかいにマットにたたきつける。
だい巨人きょじんデストロイ
諏訪すわ同時どうじ相手あいてかいサンドイッチラリアットから相手あいていちかいころがして諏訪すわひだりラリアット、つづけて石川いしかわ相手あいてにドラゴンスープレックスでげて石川いしかわのファイアーサンダーでめる連係れんけいわざ
アルティメット・デストロイ
諏訪すわ相手あいて雪崩なだれしきスロイダーを仕掛しかけたところ石川いしかわがパワーボムの体勢たいせい諏訪すわ相手あいてにんおなじにてる、合体がったいわざ
ロケット・ブロッサム
2人ふたりがそれぞれとなったコーナーにならちクロスするかたち同時どうじにドロップキックをたたわざ。2019ねん最強さいきょうタッグのためにしたしんわざ
境川さかいがわ
ロープにった対戦たいせん相手あいて交互こうごにランニングラリアットをむ。名前なまえ由来ゆらい同名どうめい河川かせんで、諏訪すわ居住きょじゅう藤沢ふじさわ石川いしかわ居住きょじゅう町田まちだをつなぐことから[18]

タイトルれき[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほんプロレス
プロレスリング・ノア
だい日本にっぽんプロレス
DDTプロレスリング
ユニオンプロレス
プロレス大賞たいしょう
  • 2017ねん最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう(パートナーは諏訪すわ
  • 2018ねん最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう(パートナーは諏訪すわ
  • 2019ねん最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう(パートナーは諏訪すわ
日本にっぽんインディー大賞たいしょう
  • 2013ねんベストバウトしょう
  • 2016ねんMVP、ベストユニットしょうDAMNATION

入場にゅうじょうきょく[編集へんしゅう]

  • バッテリー(「large and」 MIX) - MetallicaBattery』のオリジナルリミックス

メディア出演しゅつえん[編集へんしゅう]

  • ようこそうんダーランド~今年ことしイチのつようんだれだ?~(東海とうかいテレビ制作せいさく・フジテレビけい全国ぜんこくネット、2022ねん12月24にち
  • ようこそうんダーランド~最強さいきょううんNo.1決定けっていせん2023あき~(東海とうかいテレビ制作せいさく・フジテレビけい全国ぜんこくネット、2023ねん10月7にち

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 「2014プロレスラー カラー写真しゃしん名鑑めいかん」p.10、週刊しゅうかんプロレスNo.1714、2013ねん12月5にち増刊ぞうかんスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ
  2. ^ a b c d e f g ベースボールマガジンしゃ『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラーおとこ履歴りれきしょ』p64-71
  3. ^ 諏訪すわ石川いしかわ修司しゅうじが「ケンカもしたけど」最強さいきょうタッグ”. 日刊にっかんスポーツ. (2017ねん12月13にち). https://www.nikkansports.com/battle/news/201712130000186.html 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん 
  4. ^ Dおう GRAND PRIX 2018 the FINAL!” DDTプロレスリング公式こうしきサイト. 2018ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  5. ^ 諏訪すわ石川いしかわ修司しゅうじ世界せかいタッグ王座おうざ戴冠たいかん初代しょだい王者おうじゃ谷津たにつ嘉章よしあき立会たちあいじんとして登場とうじょう”. バトル・ニュース (2018ねん1がつ4にち). 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  6. ^ だい巨人きょじん石川いしかわ修司しゅうじ全日ぜんじつプロ入団にゅうだんあかるくはげしいプロレスでげたい」. 東京とうきょうスポーツ. 2018ねん1がつ2にちづけ(2018ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  7. ^ 石川いしかわ修司しゅうじ選手せんしゅ 全日本ぜんにほんプロレス入団にゅうだんのおらせ”. 全日本ぜんにほんプロレス. 2019ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  8. ^ 12/8【全日本ぜんにほん暴走ぼうそうだい巨人きょじんが「けたら解散かいさん宣言せんげん NEXTREAMとの世界せかいタッグV6せん背水はいすいじん”. プロレス格闘技かくとうぎDX (2020ねん12月8にち). 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  9. ^ 諏訪すわ石川いしかわ修司しゅうじの“暴走ぼうそうだい巨人きょじん”が世界せかいタッグをうしな解散かいさん!「いでこのチームをつづけたくない」”. バトル・ニュース (2021ねん1がつ3にち). 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  10. ^ 1/27【全日本ぜんにほん】「葛西かさいvs石川いしかわ」デスマッチGAORA王座おうざせん 全日本ぜんにほん史上しじょうはつのワンマッチ興行こうぎょう3・18新木場しんきば実現じつげん”. プロレス格闘技かくとうぎDX (2021ねん1がつ27にち). 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  11. ^ 3/14【全日本ぜんにほん】GAORA王座おうざせん葛西かさいvs石川いしかわ」の試合しあい形式けいしきが「ガラスボード&有刺鉄線ゆうしてっせんボード&TLC+αあるふぁデスマッチ」に決定けってい”. プロレス格闘技かくとうぎDX (2021ねん3がつ14にち). 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  12. ^ 石川いしかわ修司しゅうじ異例いれいデスマッチに勝利しょうり葛西かさいじゅんからTVてれび王座おうざ奪取だっしゅ全日本ぜんにほんプロレスはつワンマッチ興行こうぎょう. スポーツ報知ほうち (報知新聞社ほうちしんぶんしゃ). (2021ねん3がつ19にち). https://hochi.news/articles/20210318-OHT1T50282.html 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん 
  13. ^ ““王道おうどう”で歴史れきしてきデスマッチ特別とくべつ興行こうぎょう石川いしかわしん王者おうじゃ“カリスマ”葛西かさいまみれ撃破げきは. デイリースポーツ. (2021ねん3がつ19にち). https://www.daily.co.jp/ring/2021/03/19/0014162759.shtml 2021ねん3がつ19にち閲覧えつらん 
  14. ^ ジャイアント馬場ばばのギミックからはじまった――“きょしん石川いしかわ修司しゅうじ辿たどったいばらどう最強さいきょうレスラー数珠じゅずつなぎvol.6】date=2017ねん01がつ28にち”. 日刊にっかんSPA!. 2019ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  15. ^ 週刊しゅうかんプロレス2017ねん9がつ13にちごうpp.48-49.
  16. ^ “【全日ぜんじつ】CC覇者はしゃ石川いしかわの3かん挑戦ちょうせん決定けってい しんわざ宮原みやはらころし”ではつ戴冠たいかんねらう”. 東京とうきょうスポーツ (東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ). (2017ねん5がつ2にち). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/199916 2020ねん8がつ11にち閲覧えつらん 
  17. ^ 4/14【全日本ぜんにほん】CCよう新兵しんぺい石川いしかわ宮原みやはらりでAブロック単独たんどく首位しゅいさんかん挑戦ちょうせんけんもらった」”. プロレス格闘技かくとうぎDX (2019ねん4がつ14にち). 2020ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  18. ^ g0925unionの2018ねん6がつ13にち85ぶんのツイート- X(きゅうTwitter)

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]