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HITAC

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HITAC(ハイタック)とは、日立製作所ひたちせいさくしょ自社じしゃせいコンピュータ使用しようしていた商標しょうひょう。 "HItachi Transister Automatic Computer" から。

黎明れいめい

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日立製作所ひたちせいさくしょ以下いか日立ひたち)では、1951ねんごろからアナログコンピュータ研究けんきゅう開始かいしされ、1956ねんごろからデジタルコンピュータの研究けんきゅう着手ちゃくしゅした。まずパラメトロン使用しようしたプロトタイプとして1957ねんHIPAC MK-1開発かいはつ電源でんげん開発かいはつ只見ただみ幹線かんせん設計せっけい送電そうでんせんたゆたび張力ちょうりょく計算けいさんなどに使つかわれた。そのパラメトロン計算けいさんとしてはHIPAC 101HIPAC103製品せいひんされることとなったが、以降いこう並行へいこうして研究けんきゅうしていたトランジスタしきコンピュータ製品せいひんしていくことになった。

HIPAC MK-1(1957ねん[1]
38ビットワード。固定こてい小数点しょうすうてんすう。メモリは磁気じきドラムメモリで1024ワード。
HIPAC 101(1960ねん[2]
42ビットワード。固定こてい小数点しょうすうてんすう。メモリは磁気じきドラムメモリで2048ワード。1959ねんパリで開催かいさいされた Automath に出展しゅってん
HIPAC 103(1961ねん[3]
48ビットワード。固定こてい/浮動ふどう小数点しょうすうてんすう。メモリは磁気じきコアメモリで1024/4096ワードおよび磁気じきドラムメモリで8192ワード。

トランジスタしきコンピュータはETL Mark IVをベースとして技術ぎじゅつ導入どうにゅうし、1959ねんHITAC 301として製品せいひんしたのが最初さいしょである。これは事務じむよう指向しこうし、日本にっぽん電子でんし工業こうぎょう振興しんこう協会きょうかい納入のうにゅうされた。翌年よくねんには制御せいぎょようコンピュータとしてHITAC 501開発かいはつ関西電力かんさいでんりょく東大阪ひがしおおさか変電へんでんしょ納入のうにゅうしている。また電気でんき試験しけんしょから ETL Mark V の製作せいさく受注じゅちゅうしている。これをベースに京都きょうと大学だいがく研究けんきゅうしゃらの協力きょうりょく改良かいりょうした製品せいひんHITAC 102(1960ねん)である。京都大学きょうとだいがくではKDC-1 (Kyoto-Daigaku Digital Computer 1) とばれた。経済企画庁けいざいきかくちょう経済けいざい研究所けんきゅうじょパンチカードシステム代替だいたいとして改良かいりょうがたの HITAC 102B を導入どうにゅう。1961ねんには事務じむ用途ようと小型こがたコンピュータとしてHITAC 201開発かいはつした。

HITAC 301(1959ねん[4]
BCD12けた+符号ふごうを1ワードとする固定こてい小数点しょうすうてんしき。メモリは磁気じきドラムメモリで1960ワード(うち60ワードは高速こうそくアクセス可能かのう)。
HITAC 501(1960ねん[5]
はつ制御せいぎょようコンピュータ
HITAC 102(1960ねん
ETL Mark V ベース
HITAC 201 (1961ねん[6]
BCD11けた+符号ふごうを1ワードとする固定こてい小数点しょうすうてんしき。メモリは磁気じきドラムメモリで4000ワード。

さらに1958ねん国鉄こくてつ鉄道てつどう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょからマルス1製作せいさく依頼いらいされ、完成かんせいさせる[7]。マルス1は専用せんよう設計せっけいのコンピュータということもあってかHITACのめいかんされなかったが、後継こうけいのマルス101では同様どうようなシステムにも使つかえるよう設計せっけいされHITAC 3030とし、全日空ぜんにっくう座席ざせきやくシステムなどにも使つかわれた。マルスには、その一貫いっかんして日立ひたちのメインフレームが使つかわれることとなった。[8]

メインフレーム

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日産自動車にっさんじどうしゃ計算けいさんセンターにてHITAC 3010(1963ねん設置せっち

1961ねん日立ひたちRCAとコンピュータ技術ぎじゅつ提携ていけい契約けいやくむすんだ。この契約けいやくにより1962ねん、RCA 301を国産こくさんしたHITAC 3010開発かいはつした。1号機ごうき神奈川かながわけんちょう納入のうにゅうされた。なお、3010は無人むじん証券しょうけん取引とりひきシステムの構想こうそうがあったが、関係かんけいしゃ合意ごういられず、棚上たなあげとなっている。後継こうけいHITAC 4010(1963ねん)はオンラインリアルタイム処理しょり銀行ぎんこう為替かわせオンラインシステムなどに使つかわれた。

また、RCAからの技術ぎじゅつ導入どうにゅうとはべつに、TAC開発かいはつおこなった村田むらた健郎たけお中沢なかざわ喜三郎きさぶろう設計せっけいした科学かがく技術ぎじゅつよう大型おおがたコンピュータHITAC 5020が1963ねん完成かんせいしている。ビット単位たんいのアドレス指定してい可能かのうとするために、ワードちょう32ビットのアーキテクチャをち、当時とうじとしてはめずらしいビット操作そうさ命令めいれいつ、などといった特徴とくちょうつ。しかしそのために、ワード単位たんいでのアドレス空間くうかんが16ビットしかなく、せまいという問題もんだいなどがあった。電総研でんそうけんから日立ひたちはいった高橋たかはししげるは、単位たんいのアドレス指定していへの変更へんこう主張しゅちょうしていた[注釈ちゅうしゃく 1]。5020は国産こくさんはつ大型おおがたであり、IBM 7090みのスペックをつ。レジスタ電磁でんじ遅延ちえんせん利用りようすることでトランジスタをやさずにレジスタの本数ほんすうおおくした。遅延ちえんせん直列ちょくれつ動作どうさによるおそさは最新さいしんのトランジスタによる高速こうそく動作どうさ(スペックひょうには「18MHz」とあるが、そのはビット単位たんい直列ちょくれつ動作どうさ周波数しゅうはすうであって、現代げんだい我々われわれっているコンピュータのクロックの感覚かんかく評価ひょうかしてはいけない。おなじスペックひょうにある「サイクル時間じかん」の「2マイクロびょう」というから逆算ぎゃくさんすれば、「サイクル周波数しゅうはすう」は 0.5MHz となる。それでももちろん当時とうじとしては高性能こうせいのうである)でまかなったが、それでも前述ぜんじゅつのメモリ空間くうかんとも速度そくど問題もんだいになり、改良かいりょうがたどうEとどうFでは並列へいれつはかられた。1965ねん製品せいひんとして出荷しゅっかされ、東京大学とうきょうだいがく大型おおがた計算けいさんセンター(げん東京大学とうきょうだいがく情報じょうほう基盤きばんセンター)をはじめ、おおくの組織そしき納入のうにゅうされた。

なお、RCAはしん製品せいひんがなかなかてこず、やっとてきたものも日立ひたち期待きたいしたアーキテクチャではなかった。そういったこともあり、前述ぜんじゅつの3030などもRCAからの技術ぎじゅつではない。そうこうしているうちにIBMが、1964ねん4がつSystem/360発表はっぴょうし、どう対抗たいこうしていくかがRCAと日立ひたちあいだはなわれた。その結果けっかIBM互換ごかん路線ろせんることとなった。

2001ねんよりCPUはIBMと共同きょうどう開発かいはつ、2018ねんよりハードウェアをIBM z Systemsベースの日立ひたち仕様しようメインフレームを提供ていきょう予定よてい[9][10]

1967ねんには日立製作所ひたちせいさくしょ越智おち利夫としお中心ちゅうしんとするグループが5020Eを使用しようして詰将棋つめしょうぎ回答かいとうすることに成功せいこう加藤かとう一二三ひふみ当時とうじはちだん)が60びょう問題もんだいを90びょういたことでアマ初段しょだん腕前うでまえとされた[11][12][13]1968ねん週刊しゅうかん朝日あさひ企画きかく人間にんげんたいコンピュータの詰将棋つめしょうぎはや競争きょうそうおこなわれることとなり、コンピュータには「Hくん」(HITAC5020)が選定せんていされた。人間にんげんがわおおくはアマ有段者ゆうだんしゃであり、結果けっか人間にんげんがわの49しょう53はいであった。審判しんぱん解説かいせつ原田はらだ泰夫やすおはちだん加藤かとういちさんはちだんは、「Hくん」の詰将棋つめしょうぎ棋力きりょくをアマさんだん認定にんていした[14]

HITAC 3010(1962ねん[15]
文字もじ単位たんいのアドレス指定してい。1文字もじは7ビット(データ6ビット+パリティ1ビット)。メモリは20,000文字もじ~40,000文字もじ
HITAC 4010(1963ねん[16]
3010と互換ごかんせいあり。
HITAC 2010(1964ねん[17]
3010/4010の後継こうけい製品せいひん断念だんねん
HITAC 5020(1963ねん[18]
アキュムレータインデックスレジスタがメモリの0~15番地ばんち対応たいおう。ワードちょうは32ビット/64ビットの固定こてい/浮動ふどう小数点しょうすうてんしき。メモリは磁気じきコアメモリで16Kワード~64Kワード。
HITAC 3030(1964ねん[19]
40ビットワード。磁気じきコアで4096ワード。1ワードに2命令めいれい格納かくのう前述ぜんじゅつのように国鉄こくてつMARS 101よう設計せっけいされたものだが、のオンラインシステムにも使つかわれた。
HITAC 5020E/F(1966ねん
4ビットちょく並列へいれつ処理しょり先行せんこう制御せいぎょによって 5020 を 8~12ばい性能せいのう強化きょうか東京大学とうきょうだいがくへの5020納入のうにゅうのち開発かいはつちゅうの5020Eにえるとの約束やくそくがあった(5020では競合きょうごうしたIBM 7094性能せいのうけていたため)。

HITAC 8000 シリーズ

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HITAC 8000 シリーズは、RCAがIBMに対抗たいこうして1964ねん発表はっぴょうしたSpectra 70シリーズの基本きほん設計せっけいをベースとして日立ひたち独自どくじ技術ぎじゅつくわえて開発かいはつしたものである。特徴とくちょう以下いかとおり。

  • IC全面ぜんめんてき採用さいよう
  • System/360とプログラムの互換ごかんせいがある
  • 入出力にゅうしゅつりょくインターフェイスを標準ひょうじゅん

HITAC 8400はマルス103/104/201で使つかわれた。また、東京慈恵会医科大学とうきょうじけいかいいかだいがくでの日本にっぽんはつ医事いじ会計かいけいシステムでも採用さいようされた。HITAC 8500は1974ねん運用うんよう開始かいしされた証券しょうけん市場いちば情報じょうほうシステムで使用しようされた。さらに社会保険庁しゃかいほけんちょうのオンラインシステムにも採用さいようされている。そのデータベース重視じゅうしされるようになったため、8x50系列けいれつではデータベースけの機能きのう拡張かくちょうおこない、価格かかく性能せいのう向上こうじょうさせた。

HITAC 8200, 8300, 8400, 8500(1965ねん[20]
メモリは最大さいだい512Kバイト。レジスタとうはスクラッチパッドメモリとばれる高速こうそく磁気じきコアメモリを使用しようしゅメモリの4~7ばいのアクセス性能せいのう)。CPU状態じょうたい対応たいおうした4種類しゅるいのモードをち、一部いちぶレジスタはモードごと独立どくりつしてっている。このため、処理しょりゆるさなければコンテキストスイッチする必要ひつようがない。また、チャネル・コントローラのインターフェイスを標準ひょうじゅんして周辺しゅうへん機器ききによらずおな入出力にゅうしゅつりょく命令めいれいあつかえるようにした。
HITAC 8250, 8350, 8450(1971ねん[21][22]
データベース対応たいおう、オンライン対応たいおう、リモートバッチシステムなどの強化きょうか

なお、RCAはSystem/370たんなる360の改良かいりょう予想よそうして Spectra 70 を値下ねさげして対抗たいこうしようとした。この予想よそうはずれ、事業じぎょうそのものがかなくなった。結果けっかとしてRCAは1971ねんにコンピュータ事業じぎょうUNIVAC売却ばいきゃくすることになり、日立ひたち独自どくじ開発かいはつすすめることとなった。

ちょう高性能こうせいのう電子でんし計算けいさんプロジェクト

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1967ねん通産省つうさんしょう主導しゅどうちょう高性能こうせいのう電子でんし計算けいさんプロジェクト日立ひたち中心ちゅうしんとなって開発かいはつおこなわれることになった。このプロジェクトで以下いかのような技術ぎじゅつ開発かいはつされた。

また、NECはこのプロジェクトでNMOSがたメモリチップを開発かいはつした(キャッシュメモリに使用しようされた)。現在げんざいもキャッシュメモリに使用しようされるSRAM原点げんてんである。これもふくめ、プロジェクトの成果せいかDIPS[23]にもかされることとなった。なお、8000シリーズの入出力にゅうしゅつりょくインターフェイスを発展はってんさせた「インターフェイス69」が標準ひょうじゅん仕様しようとして策定さくていされISOにも提案ていあんされたが、審議しんぎ順序じゅんじょについてアメリカからの反対はんたいがあって審議しんぎさきばしとなり、結局けっきょく標準ひょうじゅんとして採用さいようされることはなかった。また、8800にもそのまま採用さいようされることはなかった。プロジェクト自体じたいは1972ねん8がつ完成かんせいしたが、その成果せいか先行せんこうして製品せいひんされた。

このプロジェクトの成果せいか改良かいりょう商用しょうようしたのがHITAC-8800とHITAC-8700である。8800/8700を使用しようした東京大学とうきょうだいがく計算けいさんセンターのタイムシェアリングシステムは1973ねん稼動かどう開始かいしした。

HITAC 8700(1970ねん[24]
マイクロプログラム方式ほうしきでマイクロコードはICえで変更へんこう可能かのう。このため、システムによっては性能せいのう影響えいきょうのある部分ぶぶんをマイクロコードして性能せいのう強化きょうかはかった事例じれいがある。マルス105や自衛じえい艦隊かんたい指揮しき支援しえんシステム[25]使用しよう
HITAC 8800(1971ねん[24]

HITAC M シリーズ

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1971ねん日立ひたち富士通ふじつう提携ていけいし、アーキテクチャを共通きょうつうすることとなる(さんだいコンピューターグループ参照さんしょう)。両社りょうしゃはIBM互換ごかん路線ろせん採用さいようし、Mシリーズという共通きょうつうのサブシリーズめいけた(MITI(通産省つうさんしょう)のM[26])。通産省つうさんしょう販売はんばいめんでも協力きょうりょくするよう指導しどうし、ファコム・ハイタックという会社かいしゃ(略称りゃくしょうはFHL、現在げんざい日立ひたち 公共こうきょうシステム事業じぎょう前身ぜんしん)が設立せつりつされたが、これはおも値引ねびきりつおおきい大学だいがくなど教育きょういく関連かんれん入札にゅうさつ関与かんよするだけで、両社りょうしゃはそれ以外いがい市場いちばでははげしく競合きょうごうしていた。

IBMはハードウェアとオペレーティングシステム (OS) などのソフトウェア、さらにはサービスをまとめてレンタルしていた。これが私的してき独占どくせん禁止きんしおよ公正こうせい取引とりひき確保かくほかんする法律ほうりつ独占どくせん禁止きんしほう違反いはんにあたるとして提訴ていそされ、1969ねんにこれらを分離ぶんりして販売はんばいするようになった(OSとハードの分離ぶんりは1978ねん)。これはおおきな影響えいきょう周辺しゅうへん業界ぎょうかいにもたらしたが、そのひとつとしてアムダールなどの互換ごかん(プラグコンパチブルマシン)メーカには後押あとおしとなった。また、おなじく独占どくせん禁止きんしほう対策たいさくとして1956ねんにはレンタルだけでなくりもできるようにしていた。こちらはIBMってすリース業者ぎょうしゃした。リースぎょう製品せいひん寿命じゅみょうながくないとりたないため、当初とうしょはほとんど出現しゅつげんしなかったもののSystem/360のころには多数たすうのリース業者ぎょうしゃ登場とうじょうすることになった。System/370登場とうじょうでリースひん陳腐ちんぷし、リース業者ぎょうしゃだい打撃だげきけたが、370をリースする業者ぎょうしゃ当然とうぜん登場とうじょうした。そのいちしゃがアイテルである。また、IBMはIBMのマシンに独自どくじ周辺しゅうへん機器きき追加ついかして販売はんばいするOEM業者ぎょうしゃのために周辺しゅうへんインターフェイスを公開こうかいしていた。このことが互換ごかん周辺しゅうへん機器きき製造せいぞう業者ぎょうしゃそだてることになった。アイテルはIBM純正じゅんせいひんよりもやす互換ごかん周辺しゅうへん機器ききをIBMの本体ほんたいわせてリースしていたのである。アイテルはさらにCPU互換ごかん採用さいようした。ナショナル セミコンダクター (NS) の製造せいぞうするIBM互換ごかん中小ちゅうしょうがた)と日立ひたち大型おおがた HITAC M-180である。

しかし、1979ねんにIBMが価格かかく性能せいのう劇的げきてき向上こうじょうさせたしん製品せいひん登場とうじょうさせるとアイテルは危機ききおちいり、コンピュータ部門ぶもんをNSに売却ばいきゃくすることになった。日立ひたちはNSにMシリーズを供給きょうきゅうつづけたが、1989ねんにNSの汎用はんようコンピュータ部門ぶもん日立ひたちり、日立ひたちデータシステムズ (HDS) を設立せつりつした。

日立ひたち富士通ふじつう両社りょうしゃは、通産省つうさんしょう補助ほじょきんけてIBMとプラグコンパチブルの汎用はんようシリーズ、Mシリーズを開発かいはつし(Mの由来ゆらいについては前述ぜんじゅつ)、1974ねん11月に最初さいしょ機種きしゅ発表はっぴょうした。[27]

IBM互換ごかん路線ろせん採用さいようした日立ひたちは、つねにIBMのしん製品せいひん追随ついずいしなくてはならない立場たちばかれた。性能せいのう独自どくじにハードウェアを強化きょうかできたとしても、ソフトウェアてき機能きのう追加ついかには、互換ごかんたも関係かんけいじょう、IBMの動向どうこう注目ちゅうもくせざるをないのである。そのような背景はいけいなかで1982ねん発生はっせいしたIBM産業さんぎょうスパイ事件じけんは、だいスキャンダルあつかいされ、おおきな影響えいきょうかく方面ほうめんにあった。

HITAC M-170/160II(1975ねん
どちらも1プロセッサ。メモリは最大さいだい4Mバイト (160II) と8Mバイト (170)。170にはキャッシュメモリも搭載とうさい
HITAC M-180(1976ねん
最大さいだい2プロセッサ。メモリは最大さいだい16Mバイト。キャッシュメモリ搭載とうさい
HITAC M-150(1977ねん
1プロセッサ。メモリは最大さいだい1Mバイト。
HITAC M-200H(1978ねん[28]
当時とうじ世界せかい最大さいだい最高さいこうそく。2プロセッサ。TLB採用さいようメモリインターリーブ
HITAC M-140H, 150H, 160H(1979ねん[29]
価格かかく性能せいのう改善かいぜんした中小ちゅうしょうがた
HITAC M-220H, 240H, 260H, 280H(1981ねん[30]
価格かかく性能せいのう改善かいぜんしたなか大型おおがた
HITAC M-600 シリーズ(1985ねん[31]
最大さいだい4プロセッサ。完全かんぜんLSIしゅ記憶きおく最大さいだい512Mバイト。プロセッサの冗長じょうちょう構成こうせいによる可用性かようせい向上こうじょう
HITAC M-880 プロセッサグループ(1990ねん[32]
最大さいだい4プロセッサ。しゅ記憶きおく最大さいだい2Gバイト。
HITAC M-840プロセッサグループ(1991ねん[33]
ネットワークのプロトコルとしてTCP/IPもサポートした。リレーショナルデータベースのサーバーをシステムの基本きほん機能きのうとして搭載とうさいしたVOS K(当時とうじのパンフレットではKのまえにスペースがある)というOSを使つかい、ネットワークじょうのクライアント・コンピュータのパソコンからデータベースにアクセスできた。
HITAC M-860プロセッサグループ(1992ねん[34]
MP5800プロセッサ・グループ(1995ねん[35]
MP6000プロセッサ・グループ(1999ねん[36]

スーパーコンピュータ

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日立ひたちスーパーコンピュータは1978ねんのM180ようIAP(Integrated Array Processor)[37]からはじまった。これはメインフレームのコプロセッサとして使用しようするベクタープロセッサ機構きこうである。そののスーパーコンピュータもMシリーズにベクタープロセッサを接続せつぞくした構造こうぞうである。HITAC S 810の1号機ごうき東京大学とうきょうだいがく納入のうにゅうされた。

HITAC S 810(1982ねん[38]
当時とうじ世界せかい最高さいこうそく最大さいだい630MFLOPS(倍精度ばいせいど)。
HITAC S 820(1988ねん[39]
当時とうじ世界せかい最高さいこうそく最大さいだい3GFLOPS(倍精度ばいせいど)。
HITAC S-3000シリーズ(1992ねん[40]
4だいのマルチプロセッサ構成こうせい最大さいだいベクトル性能せいのう32GFLOPS。

以下いかはHITACめいかないが参考さんこうのため掲載けいさいする。

SR2001, 2201(1994ねん[41]
SR2201参照さんしょう。PA-RISCベースで日立ひたちせいのHARP-1を改造かいぞうしたHARP-1Eプロセッサ。
SR8000(1998ねん[42]
w:Hitachi SR8000参照さんしょう。POWERプロセッサあらため
SR11000(2003ねん[43]
SR16000(2008ねん[44]
SR24000(2014ねん[45]
(2018ねん
気象庁きしょうちょうに Cray XC50 ベースのシステムを納入のうにゅう[46]
終息しゅうそく(2022ねん
日立ひたちウェブサイトの「技術ぎじゅつ計算けいさんけサーバ」のページが、2022ねん9がつ30にちをもって閉鎖へいさ[47]

オフィスコンピュータ

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HITAC 8100(1965ねん[48]
どちらかといえば小型こがたメインフレーム。
HITAC 8210(1967ねん[49]
8100の改良かいりょう機種きしゅ
HITAC 1(1970ねん[50]
製造せいぞう日本にっぽん信号しんごう電動でんどうタイプライター、かみテープリーダー/さんこう装備そうび。プログラムはメモリに格納かくのうされず、かみテープで供給きょうきゅうする。
HITAC 5, 55[51]
プログラムは記録きろく媒体ばいたい磁気じきカードで、プログラム内蔵ないぞう方式ほうしきとなった。
HITAC L320(1977ねん[52]
HITAC L-30, -50, -70(1983ねん[53][54][55][56]
HITAC L700(1989ねん[57][58]

ミニコンピューター

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HITAC 10
HITAC 10(1969ねん[59]
日立製作所ひたちせいさくしょが、国産こくさんとして最初さいしょのミニコンピューターとして発表はっぴょうし、小型こがた高性能こうせいのう高信頼こうしんらいせいによりミニコンのベストセラーとなった。最大さいだい記憶きおく容量ようりょう32Kワード(1ワード=16ビット)、磁気じきディスク磁気じきドラムラインプリンターをはじめ、各種かくしゅのインターフェイス接続せつぞく機能きのうち、ソフトウェアはFORTRANBASIC、FALCULATOR、アセンブラーそなえていた[60]
HITAC 10II(1973ねん[61]
16ビットワード。集積しゅうせき向上こうじょうして容積ようせき半分はんぶんになった。磁気じきコアメモリ32Kワード。
HITAC 20(1975ねん[62]
16ビットワード。マイクロプログラム方式ほうしきICメモリ最大さいだい64Kワード。
HITAC E 600, 800(1981ねん[63][64]
600は16ビット、800は32ビット。アーキテクチャもことなり、600は従来じゅうらいのミニコン(10/10II/20)を踏襲とうしゅうし、800はMシリーズのアーキテクチャを採用さいよう

日立ひたち開発かいはつしたOSが使つかわれた。VOSK、VOS1、VOS2、VOS3というOSがあった。

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 石田いしだ晴久はるひさ村田むらた健郎たけお:「ちょう大型おおがたコンピューターシステム」、産業さんぎょう図書としょ (1975ねん12月10にち)。※ HITAC8800/8700システムの技術ぎじゅつ構成こうせい解説かいせつした書籍しょせき
  • 情報処理じょうほうしょり学会がっかい歴史れきし特別とくべつ委員いいんかいへん)、『日本にっぽんのコンピュータの歴史れきしム社むしゃ(1985ねん
  • 情報処理じょうほうしょり学会がっかい歴史れきし特別とくべつ委員いいんかいへん)、『日本にっぽんのコンピュータ発達はったつム社むしゃ(1998ねん)、ISBN 4-274-07864-7
  • 相磯あいそ秀夫ひでおへん)、『国産こくさんコンピュータはこうしてつくられた』共立きょうりつ出版しゅっぱん(1985ねん)、ISBN 4-320-02278-5
  • 高橋たかはししげるちょ)、『コンピュータクロニクル』ム社むしゃ(1996ねん)、ISBN 4-274-02319-2

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 高橋たかはし『コンピュータ クロニクル』 p. 42。JAWP編集へんしゅうしゃちゅう: 5020は通常つうじょうのワード単位たんいのアドレス指定してい整合せいごうせいたせてビット単位たんいのアドレス指定していをするために、命令めいれいちゅうのアドレス指定していみぎに5ビットびてビットをアドレスする。その5ビットの余裕よゆうるための犠牲ぎせいになり空間くうかんせまい。これの修正しゅうせい単純たんじゅんではなく(当時とうじの「」は8ビットではない)、高橋たかはし具体ぐたいてきにアーキテクチャをどう変更へんこうさせようとしていたかは同書どうしょにはい。

出典しゅってん

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  1. ^ HIPAC MK-1-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ HIPAC 101-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  3. ^ HIPAC 103-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ HITAC 301-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  5. ^ 制御せいぎょよう電子でんし計算けいさん(トランジスタ計算けいさん) HITAC 501-産業さんぎょう技術ぎじゅつ資料しりょうデータベース2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  6. ^ HITAC 201-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  7. ^ MARS-1-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  8. ^ MARS 101および後継こうけい-コンピュータ博物館はくぶつかん2023ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  9. ^ メインフレームのハードウェアにかんするIBMとの協業きょうぎょう強化きょうか - 日立製作所ひたちせいさくしょ2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  10. ^ 日立製作所ひたちせいさくしょあたらしいメインフレーム環境かんきょうにハードウェア技術ぎじゅつ提供ていきょう - 日本にっぽんIBM”. 2017ねん9がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  11. ^ 電子でんし計算けいさん将棋しょうぎ アマ初段しょだん腕前うでまえ」『朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ42ねん7がつ4にち朝刊ちょうかん、12はん、15めん
  12. ^ 計算けいさん詰将棋つめしょうぎ 越智おち利夫としお/亀井かめい達弥たつや/徳増とくます真司しんじ/内ヶ崎うちがさきただし一郎いちろう 数学すうがくセミナー1968ねん6がつごう pp.44 日本にっぽん評論ひょうろんしゃ 2017ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん
  13. ^ 棚瀬たなせ やすしコンピュータ将棋しょうぎまらない : 5.棚瀬たなせ将棋しょうぎ技術ぎじゅつ背景はいけい」『情報処理じょうほうしょりだい49かんだい8ごう、2008ねん、987-992ぺーじ  かこみコラム「おふぃすらん」
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