(Translated by https://www.hiragana.jp/)
覇-LORD- - Wikipedia コンテンツにスキップ

-LORD-

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
SOUL だい2しょうから転送てんそう
-LORD-
漫画まんが-LORD-
原作げんさく原案げんあんなど たけろんみこと
作画さくが 池上いけがみりょういち
出版しゅっぱんしゃ 小学館しょうがくかん
掲載けいさい ビッグコミックスペリオール
レーベル ビッグコミックス
発表はっぴょう期間きかん 2004ねん19ごう - 2011ねん5ごう
巻数かんすう ぜん22かん
漫画まんが:SOUL だい2しょう
原作げんさく原案げんあんなど たけろんみこと
作画さくが 池上いけがみりょういち
出版しゅっぱんしゃ 小学館しょうがくかん
掲載けいさい ビッグコミックスペリオール
レーベル ビッグコミックス
発表はっぴょう期間きかん 2011ねん13ごう - 2013ねん3ごう
巻数かんすう ぜん3かん
テンプレート - ノート

-LORD-』(は・ロード[1][信頼しんらいせいよう検証けんしょう])は、原作げんさくたけろんみこと作画さくが池上いけがみりょういちによる日本にっぽん漫画まんが三国志さんごくし題材だいざいとしている。『ビッグコミックスペリオール』(小学館しょうがくかん)にて連載れんさいされた。

2004ねん9がつ10日とおかから連載れんさい開始かいしした。2011ねんに4ヶ月かげつ中断ちゅうだんはさんで6がつ10日とおか発売はつばいごうから連載れんさい再開さいかいつき1かい連載れんさいに)、2012ねん2がつ10日とおか発売はつばいごうから『SOUL だい2しょう』(ソウル ロード だいにしょう)と改題かいだい[2]2013ねん1がつ11にち発売はつばいごうまで連載れんさいされた。 2007ねん2がつにはSANKYOが『CRフィーバー-LORD-』を販売はんばいした[3]

ストーリー

[編集へんしゅう]

舞台ぶたい中国ちゅうごくこうかん末期まっきからさんこく時代じだい西暦せいれき184ねん卑弥呼ひみこやまと統一とういつ貢献こうけんしたやつこく勇将ゆうしょう・燎宇はこうかんの“”をにぎることを決意けついする。単身たんしんこうかんかそけしゅうわたり、そこでりゅうせきはねちょうさん兄弟きょうだい出会であう。燎宇はこの3にん行動こうどうともにするが、やがてりゅう備が極悪ごくあく非道ひどう人間にんげんる。あるりゅう備があたらしいけんためりを目的もくてき罪人ざいにん殺害さつがいしようとするが、燎宇はこれを阻止そしし、さらにりゅう備のくびを刎ねてしまう。せきはねちょう憤慨ふんがいするが、燎宇はこの2人ふたり純粋じゅんすい気持きもちでりゅうつぶさしたがってはいなかったということを見破みやぶ指摘してきする。そのせきはねちょうは燎宇の行動こうどう思考しこうたりにし、燎宇をあらたなりゅう備として仕立したてげることを決意けついする。3にん桃園ももぞのあらたに義兄弟ぎきょうだいちかいをわした。

登場とうじょう人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

りゅう備軍

[編集へんしゅう]
燎宇/りゅう備玄とく(りょうう/りゅうびげんとく)
りゅう備軍の大将たいしょうもと倭人わじんで、卑弥呼ひみこやまと統一とういつ貢献こうけんしたやつこく武将ぶしょうである。卑弥呼ひみことは恋愛れんあい関係かんけいにあり、そのになればやまと統治とうちできたが、あえてそのおもいをにぎため単身たんしんかんわたる。
ながいたかそけしゅうりゅう備、せきはねちょう出会であい、大陸たいりく覇道はどういちとして3にん仲間なかまくわえることかんがえるが、残虐ざんぎゃく非道ひどうりゅう備を見限みかぎ殺害さつがいした。せき発案はつあんにより自分じぶんりゅうつぶさわることとなり、あらたにせきちょう桃園ももぞのちかわした。
本物ほんものりゅう備が使つか予定よていだったくびがたな装備そうびする。武術ぶじゅつ戦術せんじゅつにもすぐれ、ちょうくもやりさばきを見切みきり、素手すでつかむ。強固きょうこ信念しんねんかんじん独特どくとく思想しそうち、その行動こうどう発言はつげん周囲しゅうい驚嘆きょうたんさせる。ちょうかく見込みこまれて直轄ちょっかつぐん手中しゅちゅうおさめ、いむまさしなどはばしょうをも配下はいかいた。
せきはねくもちょう(かんううんちょう)
りゅう備軍のしょう洛陽らくようがあるつかさ隷のまれ。少年しょうねん時代じだいははいもうとくすが、桓帝の側室そくしつであるおうたま出会であい、かん王朝おうちょうははとすることをちかう。とう錮のきんさいかん王朝おうちょう腐敗ふはいすくうためにじゅうすう挙兵きょへいしたが、そのなかばで味方みかた豪商ごうしょう塩蔵えんぞうおそいにはしり、結果けっかしお泥棒どろぼう一味いちみがる。そのかそけしゅうながれてりゅう備、ちょう義兄弟ぎきょうだいちぎりをわした。しかしこれはりゅう備の「中山なかやまやすしおう末裔まつえい」というはたしかっただけであり、ちょうおなじく純粋じゅんすいかれしたがっていたわけではない。
燎宇と出会であい、のちに燎宇がりゅう備を殺害さつがいすると、燎宇をりゅうつぶさ仕立したてげること発案はつあんあらたに燎宇、ちょう桃園ももぞのちかいをわした。“じん”のおごりから倭人わじんの燎宇や田舎いなかしゃちょう見下みくだし、衝突しょうとつもするが、それをちょういさめられる。さらにある事件じけん契機けいき自分じぶんいのちを燎宇のいのちえること決意けついする。
偃月刀えんげつとう自在じざいあやつり、りょぬの互角ごかくわたうほどの卓越たくえつした武芸ぶげいくわえ、学才がくさい商才しょうさいわせる。ただしちょうわたる相手あいていち苦戦くせんしたりするひとし旧来きゅうらい武神ぶしんとなえられるほどつよさではない。
容姿ようし短髪たんぱつ筋肉質きんにくしつ細身ほそみえがかれており、これも旧来きゅうらいえがかれることのおおかった恰幅かっぷく大男おおおとことは差異さいがある。ちょうくもりょぬのであるせきたいら養父ようふでもある。
ちょうえきとく(ちょうひえきとく)
りゅう備軍のしょうりゅう備、せきはねとは義兄弟ぎきょうだいだが、自身じしんれていたはな琳をちからずくでうばうなどしたりゅうつぶさ恐怖きょうふいており、せきはねおなじく純粋じゅんすいかれしたがっていたわけではない。燎宇をあらたなりゅう備とするせきあん反対はんたいするが、燎宇によってふたたはな琳にわされたことかんがえをあらため、燎宇・せきはねあらたに桃園ももぞのちかいをわした。
くもわるくも直情ちょくじょうてき性格せいかくで、粗暴そぼう短慮たんりょ酒好さけずきだがなみだもろく義理堅ぎりがたい。女性じょせい子供こどもにはやさしく、けんじみかど曹丕まごさくらにもしたわれる。肥満ひまんたいだがへびほこ自在じざいあやつ怪力かいりきほこり、りゅう備軍の主力しゅりょくとして活躍かつやくする。
ちょうくもりゅう(ちょううんしりゅう)
りゅう備軍のしょうじつ女性じょせいで、ひげ変装へんそうしている。諸国しょこく修行しゅぎょうちゅうに燎宇とう出会であい、燎宇に心服しんぷくする。りゅう備軍へのさそいをして公孫こうそんしたはたらき、そのりゅう備軍輜重しちょうたい警護けいごへいとなった。りょぬのさらわれたうららあまたすけるためみずからの処女しょじょりょぬのささげ、その身篭みごもった。子供こどもろすつもりであったが、ははとなるよろこびを燎宇にさとされる。しょかずらあきらによりせきたいら名付なづけられ、3年間ねんかん女性じょせいとしてせきたいらそだてた。のちに燎宇の暴挙ぼうきょしんいため、曹操そうそうもとせるが曹操そうそう策略さくりゃくによりめられ、くびを刎ねられるがじつ影武者かげむしゃであり本物ほんものちょうくも牢獄ろうごくらえられていた。
女性じょせいではあるがやり腕前うでまえ一流いちりゅうで、やりはやさはちょうでも見切みきれない。その才能さいのうせきたいらにもがれた。
こう茗(こうめい)
りゅう義勇軍ぎゆうぐんへい一族いちぞく全員ぜんいん殺害さつがいされた過去かこっている。初期しょきりゅう義勇軍ぎゆうぐん隆義たかよしむ。初陣ういじん戦場せんじょう現実げんじつたたかいからこうとかんがはじめるが、燎宇がはばへい首領しゅりょう一族いちぞく殺害さつがい阻止そししたのを感動かんどうし、燎宇にいていく。
りゅう備が曹操そうそうぐんやぶれたとき投降とうこうし、曹操そうそうぐんあおしゅうへいとなる。りゅうつぶさたいする恩義おんぎわすれておらず、自分じぶんたちくにつくため決意けついあらたにする。
隆義たかよし(りゅうぎ)
りゅう義勇軍ぎゆうぐんへい結婚けっこんしたばかりのよめがおり、きるため義勇軍ぎゆうぐん志願しがんした。こう茗とは対照たいしょうてき戦場せんじょうでのころいをある程度ていど覚悟かくごしている。ころいをおそれるこう茗を気遣きづかやさしいいちめんっている。
ちょうかく(ちょうかく)
白衣はくい長髪ちょうはつながひげ大男おおおとことしてえがかれる。太平たいへいどうおこし、はばらん首謀しゅぼうしたが、あくまで王朝おうちょう権力けんりょくあらそいにはしはっしたみん窮状きゅうじょうおもったうえでの蜂起ほうきで、みんのために一刻いっこくはや平定へいていのぞむ。りゅう備の器量きりょう見抜みぬいて直轄ちょっかつぐんたくす、しょかずらあきらおうたまたくすなどつが、はいみ「こころざしなかばで病死びょうし」した。
うららあま(れいかん)
かそけしゅうむらむすめあかりすずともやまとからながいた燎宇に出会であう。むらちされ、あきらすずころされたのちりゅう備(燎宇)と行動こうどうともにし、そのおうたましょかずらあきらせきたいららす。燎宇につよ恋心こいごころいだきながらも、自分じぶんわりにりょぬのおかされたちょうくもへの感謝かんしゃから、あえてその気持きもちをめたままにしている。
おうたま(おうじゅ)
もと桓帝側室そくしつで、慈愛じあい理念りねんをもつ女性じょせい行啓ぎょうけいちゅう瀕死ひんしいもうといた少年しょうねんせきはね)に出会であい、いもうとげた。そのみかどへの諫言をなんしん退しりぞけられ、さらにじゅうつねさむらいによってひかりうしない、われた。旅路たびじちょうかくりゅう備軍に出会であい、せきはねとも再会さいかいする。人柄ひとがらったちょうかくしょかずらあきら養育よういくたくされ、うららあませきたいららす。
しょかずらあきら孔明こうめい(しょかつりょうこうめい)
おうたましたそだてられている子供こども。3さい孫子まごこみ、そのする。ちょうかくによってざい見出みいだされ、ちょうかく自身じしん死期しきさとるとおうたま身柄みがらあづけられた。せきたいら名付なづおやでもある。
せきたいら(かんぺい)
おうたましたそだてられている子供こどもちょうくもりょぬの両親りょうしんつサラブレッドであり、幼少ようしょうころから武芸ぶげい才能さいのうあらわしている。実父じっぷりょぬのにはったことがなく、せきはね養父ようふとなっている。ちょうくもった首巻くびまきを白夜はくやられ、その首巻くびまきは白夜はくやぬしであるりょぬの所有しょゆうしている。
公孫こうそん瓚伯珪(こうそんさんはくけい)
正史せいしには秀麗しゅうれい威風いふう堂々どうどうとした容姿ようしとの記述きじゅつがあるが、ほんさくではそれとは対照たいしょうてきたんあし肥満ひまんたいである。 りゅう備とは同門どうもんだったが、醜男ぶおとことからかわれていたことから内心ないしんきらっていた。そのため、燎宇がわったことはさほど問題もんだいせず、初対面しょたいめんの燎宇に自分じぶん醜男ぶおとこたずねたところ、臆面おくめんもなく肯定こうていした燎宇をり、りゅう備軍との同盟どうめい関係かんけい継続けいぞくした。
ちょうつばめ(ちょうえん)
くろ山賊さんぞく首領しゅりょう。ともに醜男ぶおとこ理由りゆうろうへの登楼とうろうことわられた公孫こうそん瓚とは義兄弟ぎきょうだい

曹操そうそうぐん

[編集へんしゅう]
曹操そうそうはじめとく(そうそうもうとく)
曹操そうそうぐん大将たいしょうかん王朝おうちょう武将ぶしょうだがかん衰退すいたいにもじょうもちいだく。りゅう備、まごけんらのちからみとめつつも、かれらにさきんじてにぎろうと様々さまざまさくをめぐらす。鋭敏えいびんだが冷徹れいてつ性格せいかくで、窮地きゅうちけるためには部下ぶかてることもいとわない。ろうかん時代じだいやまと使者ししゃとして来訪らいほうした燎宇とったことがあり、その燎宇がりゅう備であることにづいていなかったが、やまと軍勢ぐんぜい人相見にんそうみてその事実じじつ気付きづく。
りゅうつぶさたいして自分じぶん精鋭せいえい黒山くろやまぞくしょうしてもぐませて挟撃きょうげきりゅう備軍を壊滅かいめつさせる一方いっぽうで、らえたちょうせきはね解放かいほうすることを承知しょうちで荀彧・てん韋らにころようめいじるなどじょうする部分ぶぶん存在そんざいする。
なつほうあつしもとゆずる(かこうとんげんじょう)
曹操そうそうぐん副将ふくしょうかく曹操そうそう親族しんぞく精鋭せいえい部隊ぶたいくろ騎兵きへいひきいる。おさなとき曹操そうそうより「おのれ素直すなおさをほこれ」と薫陶くんとうけて以来いらい忠臣ちゅうしん武勇ぶゆうりょぬのにも一目いちもくおかれ、また荀彧とてん韋がせきはねちょうがしたときにもかれらにアドバイスをおこなっている。
なつほうふかしみょうざい(かこうえんみょうさい)
曹操そうそうぐん副将ふくしょうかく曹操そうそう親族しんぞく精鋭せいえい部隊ぶたいくろ騎兵きへいひきいる。
曹丕(そうひ)
曹操そうそう息子むすこ。まださいでありながら、ただしたくによるけんじみかど擁立ようりつさいには“世話せわがかり”という名目めいもく人質ひとじちとしてされた。おなじく人質ひとじちとなったちょうあにのようにしたう。
荀彧(じゅんいく)
王佐おうさざい”ととなえられる当代とうだい随一ずいいち知略ちりゃく軍略ぐんりゃくぬし。袁紹ぐんたが、袁紹見限みかぎり、かれもとはなれた。その曹操そうそう参謀さんぼうとして勧誘かんゆうされるが、それには曹操そうそうこうかん王朝おうちょう存続そんぞく繁栄はんえいのためにはたらくことを、条件じょうけんす。袁紹からはなれたのち常元つねもとからしたせきたいらひろった。そのときせきへいせきちょうくもせきはね養父ようふ)だとる。
りゅう備と対面たいめんすると曹操そうそうもとにつくことを決意けついいわく「ひいでたものたたかいたくなる性分しょうぶん」だから。
てん(てんい)
曹操そうそうぐんしょう。“いちさんじゅうしゅ”の異名いみょう巨漢きょかん巨体きょたいなため、うまではなくうし騎乗きじょうする。曹操そうそうのことを畏怖いふふくめ、したっている。曹操そうそうから荀彧とせきたいらじょしゅうまでの警固けいごめいじられるが、それはもし荀彧がりゅう備とむようであれば、荀彧をころすよう密命みつめいされてのことだった。道中どうちゅうせきたいら武芸ぶげいおしえる。

まごけんぐん

[編集へんしゅう]
まごけん文台ぶんだい(そんけんぶんだい)
まごけんぐん大将たいしょうかん王朝おうちょうしんとして、またちちとしてのつよ自負じふしんもとづ行動こうどうする。澄明ちょうめい性格せいかくおもんじ、はなつよしりゅう備、はな陀らとも意気投合いきとうごうする。
はな陀に心臓しんぞうやまい指摘してきされ、療養りょうようすすめられるも袁術にまごけん人質ひとじちとされたため無理むりして荊州のりゅうひょうもと進軍しんぐんする。
自身じしん寿命じゅみょうのこすくないことまごさくりゅうつぶさけたのち戦場せんじょうにててきへい自分じぶん射掛いかけさせ戦場せんじょうでの息子むすこたちしめして天命てんめいむかえる。
まごさくはく(そんさくはくふ)
まごけん長男ちょうなんただしたくによるけんじみかど擁立ようりつさいには“世話せわがかり”という名目めいもく人質ひとじちとしてされたが、ちちまごけんしんじておくしなかった。おなじく人質ひとじちとなったちょうあにのようにしたう。
戦場せんじょうまわさいしゅう瑜との抜群ばつぐんのコンビネーションをしめしており、ちちおとらぬ武勇ぶゆう発揮はっきしている。
まごけんなかはかりごと(そんけんちゅうぼう)
まごけん次男じなんまごけん留守るすちゅうに袁術におそわれ人質ひとじちとなる。ちちしばらないようみずかしたんだが、はな陀によってたすけられる。
まごけんたりにしたさいちち寿命じゅみょうについてらされていなかったため自身じしん制止せいししたりゅう備をちち見殺みごろしにしたとおもむ。
ちち死後しご、どこかねじくれた感情かんじょう目立めだつようになり、りゅう備やあにまごさくらともちが人生じんせいあゆもうとする。
しゅう瑜公瑾(しゅうゆこうきん)
まごさく友人ゆうじんまごけんさらわれたことをき、まごさくもとけつけた。女性じょせいばかりの騎兵隊きへいたいひきいる。
だいたかし(だいきょう)
まごさく恋人こいびとあい金髪きんぱつ美女びじょいえ教会きょうかいのようであることから、ローマでの迫害はくがいからのがれてきたキリスト教徒きりすときょうと末裔まつえいだとおもわれる。
しょうたかし(しょうきょう)
しゅう瑜の恋人こいびとあねおなじくあい金髪きんぱつ少女しょうじょ病弱びょうじゃくであるらしく、寝床ねどこからほとんどうごけずにいる。

ただしたくぐん

[編集へんしゅう]
ただしたくなか(とうたくちゅうえい)
あたまげるとき、かならしたしていることから、“したしのただしたく”ともばれる。一介いっかいいち地方ちほうかんだったが王朝おうちょう後継こうけいしゃあらそいにじょうじ、たくみにけんじみかどうしたてになることに成功せいこうした。相国しょうこく最高さいこう行政ぎょうせいかん)にまでのぼりつめ、“みんはすべからく平等びょうどうであるべし”というかんがえのもと専制せんせい強行きょうこうする。はらうち小出こだしにしながら「かげ」(かげむし)という忍者にんじゃのような集団しゅうだんあやつり、りょぬの義子ぎしとしてしたがえる。
すべての人間にんげんへい百姓ひゃくしょうにすることを目指めざし、強制きょうせい移住いじゅう子供こどもあつめ、偶像ぐうぞう破壊はかい略奪りゃくだつといった圧政あっせいく。それはただしたく自身じしんまずしい百姓ひゃくしょうまれであることと、ただしたく恋焦こいこがれながらも百姓ひゃくしょうさげすんでんでいったはるという女性じょせいとのおも背景はいけいにあった。
過去かこ出来事できごとから「」にきるような心境しんきょうであったが、てんせみ寝屋ねやきょうにするごとおのれしん徐々じょじょいろもどようになっていく。
てんせみ自身じしん子供こども宿やどったことり、その子供こどもいたときから人間にんげんらしい感情かんじょうもどすが、そこにかくされた真実しんじつったさいいか心頭しんとうはっし、てんせみとその子供こども処刑しょけいしようとする。
そこに処刑しょけいめようとりょぬの乱入らんにゅうし、重傷じゅうしょうったため自分じぶん覚悟かくごする。最後さいごてんせみいだかれ、はる幻影げんえいなか天命てんめいむかえる。
りょぬのたてまつさき(りょふほうせん)
おおかみそだてられ、おおかみれることから「やしなえおおかみてき猛男たけお」(ヤンランダモンナン)ともばれる。金髪きんぱつオッドアイという中央ちゅうおうアジアけいうかがわせる容貌ようぼうえがかれる。武術ぶじゅつひいでるが行動こうどう本能ほんのうもとづいており一貫いっかんせいがない。おおかみあかうさぎしんつうう。
うららあまをつけねらうが、うららあままもるためみずかおんなさらしたちょうくもいだく。ちょうげんただしたくあるじえるあいだにもちょうくものことがわすれられず、ちょうくもあいしているおのれ気付きづく。やがてちょうくもから自分じぶん子供こどもせきたいら)がいることをらされるが、ただしたくにもそれをられ、やむなくちゅうけんよそおう。
ただしたく死後しご独立どくりつ勢力せいりょくとして行動こうどうはじめたさい鮮卑王族おうぞく一団いちだん遭遇そうぐうし、そこで自身じしん出生しゅっしょう秘密ひみつることになる。
みちもと/はなつよし(どうき/かゆう)
ただしたくぐん武将ぶしょうりょぬの力量りきりょうたか評価ひょうかし、りょぬの部下ぶかとなることをのぞむ。また、かつては燎宇(りゅう備)、まごけんとも意気投合いきとうごうした。
じつ倭人わじんで、やまと使節しせつだんとして朝貢ちょうこうする途中とちゅう通訳つうやく常元つねもとめられ、やまと親書しんしょ献上けんじょうひん諸々もろもろうばわれた。いのち以外いがいすべてをうしない、おめおめと祖国そこくにもかえれず彷徨ほうこうっていたしょただしたくひろわれた。ひとひととしてあつかわないただしたく反発はんぱつする一方いっぽうひろわれた恩義おんぎかんじている。
圧倒的あっとうてき不利ふりまごけんぐんたいしてそれをめるは不義ふぎかんがえ、まごけんとの一騎討いっきうちちをいど敗北はいぼくりゅう備やまごけん看取みとられながら死亡しぼう
てん(ちょうせん)
西国さいこくからおどしょうするが、正体しょうたいかん王室おうしつりょうしゅういち名門めいもんりゅうの16代目だいめ当主とうしゅ圧政あっせいくるしむみんのために、13さいにしてあたりあたりすい親子おやこともに“りょうしゅうらん”を蜂起ほうきした。反乱はんらんぐんりょぬのひきいるただしたくぐんやぶられたが、一人ひとりでもたたかつづけることをちか自分じぶん肉体にくたい武器ぶきにしようとねやわざけた。
負傷ふしょうしたちょうたすけたことからりゅうせきはねう。事情じじょうったりゅうつぶさねぎらわれるが、そのじょうはらい、単身たんしん洛陽らくようむ。
せきはね救出きゅうしゅつときにも、けんじみかど見捨みすてられぬおもいと自分じぶんかん王朝おうちょうしんであるということから王宮おうきゅうのこことつたえ、かんざしかれたくす。
ただしたく死後しごけんじみかどがわつかえており、かん王朝おうちょうささげる決意けついかためている。
ちんみやおおやけだい(ちんきゅうこうだい)
小男こおとこだが知略ちりゃくすぐれ、おのれざいかす主君しゅくんもとめる。県令けんれいとしてりゅう備、いで曹操そうそううがどちらもおのれざいかせないとかんがえ、りゅう備のさそいもことわる。やがてりゅう備からたくされたりょぬのかれはじめ、かれについていくこと決意けついする。
たけれども、不器用ぶきよう武将ぶしょう」がつかえるに一番いちばんふさわしいとかんがえており、かれはそれにもっと合致がっちしているとえる。

こうかん

[編集へんしゅう]
きょう王子おうじけんじみかど(けんてい)
れいみかど次男じなんべん王子おうじしょうみかどべん)のおとうとただしたく擁立ようりつされ帝位ていいく。明朗めいろう快活かいかつ性格せいかくで、幼時ようじからははとも曹操そうそうしたう。ちょうてんせみおうまことらにもしんひらき、権力けんりょくあらそいに翻弄ほんろうされながらもくにえようとこころざす。
なんしんとげだか(かしんすいこう)
あしなえせき(けんせき)
楊奉(ようほう)
かん王朝おうちょう臣下しんか傕に反抗はんこうしたためりょううで両目りょうめうしなう。
けんじみかどらを長安ながやすから脱出だっしゅつさせる手引てびきをし、さらにかつてひきいていた「白波しらなみはばとう」をきつれて救援きゅうえんるなど、けんじみかどかん王朝おうちょう絶対ぜったい忠誠ちゅうせいしんつ。
おう允子のぶこ(おういんしし)
かん王朝おうちょう大臣だいじんけんじみかどともくにうれい、ただしたく暗殺あんさつ画策かくさくするが、徐々じょじょ自身じしん天下てんか牛耳ぎゅうじ野望やぼういだはじめる。
袁紹本初ほんしょ(えんしょうほんしょ)
名門めいもん袁家の長男ちょうなん曹操そうそう幼馴染おさななじみで、おぼっちゃんそだち。そのためか「苦労くろうらずの青瓢箪あおびょうたん(荀彧だん)」と評価ひょうかされる小物こものはらくろむしっているとひょうされ、本性ほんしょう陰険いんけん人物じんぶつ外見がいけんのモデルはリリー・フランキー
袁術おおやけ(えんじゅつこうろ)
袁紹のおとうとかみみじかんでいる。小心しょうしん策謀さくぼうとしてえがかれがちだった作品さくひんくらべると荒々あらあらしい言動げんどう外見がいけん特徴とくちょう後年こうねん暴君ぼうくんおもわせる傍若無人ぼうじゃくぶじんいをする。まごけん人質ひとじちにしてまごけんまごさくを荊州めに利用りようするなど「外道げどう(まごけんだん)」っぷりが目立めだつ。外見がいけんのモデルは清原きよはら和博かずひろ
りゅう焉君ろう(りゅうえんくんろう)
かそけしゅう刺史ししみだれにじょうじてあらたな王朝おうちょう野望やぼうめる。野望やぼう実現じつげんためがらす桓、鮮卑から兵馬へいばあつめるが、曹操そうそう見破みやぶられ曹操そうそう暗殺あんさつ計画けいかく。このあいだはばらん首謀しゅぼうしゃちょうかく秘密裏ひみつり捕縛ほばくしている。りゅう備・りょぬの2人ふたりへい5000をあたえること条件じょうけん曹操そうそう暗殺あんさつ依頼いらいしたが、りょぬのによってちょうかくうばわれると、がらす桓のへい使つか曹操そうそうりゅう備をまとめてつぶそうとした。
うまあが寿ことぶきしげる(ばとうじゅせい)
長安ながやす城壁じょうへき守備しゅび隊長たいちょうこうかん王朝おうちょうつかえ、ただしたくきらっており、りゅう備やりょぬのただしたくとうと行動こうどうしたときには援軍えんぐんひきいたりする。わずとれたうまちょう父親ちちおやである。

はばぞく

[編集へんしゅう]
ちょうかく
じょひがし(じょとう)
ちょうたから(ちょうほう)
ちょうはり(ちょうりょう)
なみざい(はさい)
ちょうひろし(ちょうこう)

かそけしゅう

[編集へんしゅう]
あかりすず
かそけしゅうむら少女しょうじょうみわたってかそけしゅう辿たどいた燎宇をいえまねき、貧乏びんぼうべるものいのにもかかわらず燎宇に食事しょくじあたえようとした。はば志願しがんしたあにけんじょう逮捕たいほ斬首ざんしゅされ、うららあま面倒めんどうてもらっていたが、りゅう備一あじけんじょうごろしのつみむら全体ぜんたいわされてむらちされ、へいながたって死亡しぼうした。
はな
農民のうみんむすめちょう好意こういいだかれていたが、あるりゅうつぶさ強姦ごうかんされる。この出来事できごとったちょうりゅう備がこわくてさからえず、自分じぶんなにもしなかったちょうにくんでいた。燎宇のりゅう殺害さつがい、燎宇によってふたたちょう対面たいめんちょう謝罪しゃざいされたのち立派りっぱおとこになってかえってことちょうのぞみ、かそけしゅうかえりをつ。

邪馬台国やまたいこく

[編集へんしゅう]
卑弥呼ひみこ
邪馬台国やまたいこく女王じょおう当時とうじやつこくしょうであった燎宇の活躍かつやくもあり戦乱せんらんつづいていたやまと統一とういつ。燎宇とは恋愛れんあい関係かんけいにあり、燎宇ととも邪馬台国やまたいこく統治とうちすることのぞんでいたが燎宇の“”をにぎ野望やぼうみとべつはなした。
れん
邪馬台国やまたいこくしん。燎宇を殺害さつがいして卑弥呼ひみこ篭絡ろうらくさせる計画けいかくてたが、刺客しかくすべて燎宇にころされ失敗しっぱい卑弥呼ひみこにより短剣たんけん股間こかんされ、宦官かんがんとしてきることとなった。

その

[編集へんしゅう]
白夜はくや
りょぬのそだてたおおかみひと力量りきりょう見抜みぬき、人心じんしんかいしてりょぬのめることもある。まえせきたいらもとおとずれ、その首巻くびまきをりょぬのとどけて力尽ちからつきた。
あかうさぎ
りょぬの愛馬あいば。かつて野生やせいれをひきいていたが、やま火事かじれをうしなった。そのときがくあかうさぎのような火傷かしょうったことから、“あかうさぎ”とづけられた。ただしたくりょぬの民族みんぞくへい調練ちょうれん依頼いらいするさい報酬ほうしゅうとしてあたえた。りょぬのいわく、ちょうくもおなひとみをしている。
はな
流浪るろう名医めいいくにちゅうたびしてひと観察かんさつするのにけ、軍師ぐんしもどきの分析ぶんせきもできる。まごけん自害じがいしたさいに、まごけん復讐ふくしゅうおそれた袁術にされた。はな陀はまごけんったしたわせてたすけた。まごけん心臓しんぞうやまい一目いちもく見抜みぬき、治療ちりょうすすめる。
仮名がなすべて「かた」で統一とういつされている。
常元つねもと
倭人わじんであり、盗人ぬすっと子供こどもらしい。やまとからの使節しせつだまちしてますも曹操そうそう見破みやぶられ、奴隷どれいとなる。奴隷どれいしたのちただしたく曹操そうそう、袁術ととき権力けんりょくしゃあいだわたあるき、なん絶体絶命ぜったいぜつめい危機ききひんしながらもあざとくき、物語ものがたりのさまざまな局面きょくめんかれうごくたびに天下てんかうごほんさくうら主役しゅやくともえる役割やくわりたす。


脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ NHK「漫勉」出演しゅつえん池上いけがみりょういちによる発音はつおん
  2. ^ 単行本たんこうぼん『SOUL』だい1かん連載れんさい再開さいかい以降いこうのものを収録しゅうろくしている。
  3. ^ http://www.sankyo-fever.co.jp/pachinko/2007/lord/index2.html

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]