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LATAM ブラジル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
TAM航空こうくうから転送てんそう
LATAM ブラジル
IATA
JJ
ICAO
TAM
コールサイン
TAM
設立せつりつ 1961ねん
ハブ空港くうこう サンパウロ・グアルーリョス国際こくさい空港くうこうコンゴーニャス空港くうこう
焦点しょうてん空港くうこう リオ・デ・ジャネイロ(アントニオ・カルロス・ジョビン国際こくさい空港くうこうサントス・デュモン空港くうこう)、ベロオリゾンテ(タンクレド・ネヴェス国際こくさい空港くうこう)、サルヴァドルルイス・エドアルド・マガリョンイス国際こくさい空港くうこう
マイレージサービス LATAM Pass
会員かいいんラウンジ VIP Lounge
航空こうくう連合れんごう 加盟かめい
もとワンワールドメンバー)
親会社おやがいしゃ LATAM航空こうくうグループ
保有ほゆう機材きざいすう 159(37発注はっちゅうちゅう)
就航しゅうこう 63
本拠地ほんきょち ブラジル サンパウロしゅう サンパウロ
代表だいひょうしゃ Marco Antonio Bologna (CEO)
外部がいぶリンク www.latam.com
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LATAM ブラジル(らたん ぶらじる, LATAM Airlines Brasil)は、LATAM航空こうくうグループぞくするブラジル最大さいだい航空こうくう会社かいしゃである。

きゅう「TAM航空こうくう」の後継こうけい

概要がいよう

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2010ねん8がつチリフラッグ・キャリアワンワールド主要しゅようメンバーの1しゃであるラン航空こうくう買収ばいしゅうされることが発表はっぴょうされ、2012ねん6がつ経営けいえい統合とうごうされ現在げんざいLATAM航空こうくうグループ傘下さんかにある。これにともない、2014ねん3がつ30にちスターアライアンスから脱退だったいし、よく31にちワンワールド加盟かめいした[1]

航空こうくうけん座席ざせきやくシステム(CRS)は、アマデウスITグループ運営うんえいするアマデウス利用りようしている。 [2]

沿革えんかく

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創業そうぎょう当初とうしょ

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1961ねん2がつ21にち短距離たんきょり航空こうくう便びんタクシー航空こうくう事業じぎょう目的もくてきとして、5にんパイロットによってサンパウロしゅうマリーリアにて創業そうぎょうされた。創業そうぎょう当時とうじ名称めいしょう創業そうぎょうり「Táxi Aéreo Marília(マリーリア・タクシー航空こうくう)」というものであったが、のちにこれをりゃくして「TAM」とばれるようになった。

当初とうしょは4セスナ180と1セスナ170ゆうし、サンパウロしゅうとそれに隣接りんせつするパラナしゅうマットグロッソしゅう現在げんざいのマットグロッソしゅうではなく、マットグロッソ・ド・スルしゅう地域ちいき)のあいだむす運航うんこうした。

1964ねん農業のうぎょうビジネスにおける実業じつぎょうオルランド・オメットが、その飛行機ひこうきみずからの農業のうぎょうビジネスを拡大かくだいさせる目的もくてきでTAMしゃ株式かぶしき50%を取得しゅとくした。オメットの投資とうしにより、TAMしゃあらたな機体きたいることができるようになったが、おな時期じき創設そうせつ当初とうしょのパイロットけんオーナーたちはいずれも会社かいしゃり、オメットはかれらが保有ほゆうしていた株式かぶしきすべりTAMしゃ株式かぶしき100%を取得しゅとくした。

この時期じき、ブラジル中西部ちゅうせいぶにおける農地のうち拡大かくだいなみにもうまくったことでTAMしゃには一定いってい利益りえきがもたらされ、1966ねんにははつ双発そうはつとしてパイパーしゃせい機体きたいすう導入どうにゅうするまでになり、本社ほんしゃもマリーリアからどうしゅう州都しゅうとであるサンパウロへと移転いてんした。

ロリン・アマロ

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その赤字あかじつづきとなり業績ぎょうせき不振ふしん苦慮くりょしたオメットにより、1971ねんに、TAMしゃもとパイロットで当時とうじ自身じしんのタクシー航空こうくう会社かいしゃおこしていたロリン・アドルフォ・アマロがスカウトされた。

このさい、アマロはオメットにたいして自社じしゃをTAM航空こうくう吸収きゅうしゅうさせる見返みかえりにTAM航空こうくう株式かぶしき50%を自分じぶんゆずるようちかけた。これはややむしのいい提案ていあんであったこともあって、もしも1ねん以内いないにTAMしゃ黒字くろじできれば株式かぶしきの50%をわたし、もしもそれが成功せいこうしなければオメットはなん見返みかえりもはら必要ひつようがない、という条件じょうけんけられた。

1972ねん4がつ両者りょうしゃあいだでこのけは成立せいりつし、1ねん以内いない黒字くろじ達成たっせいさせるため、アマロには経営けいえい全権ぜんけんあたえられた。同年どうねんまつけにたアマロはTAMの既存きそん機体きたいすべはらい、セスナしゃ本社ほんしゃがあるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカンザスしゅうウィチタ)にわたり、2かげつもの交渉こうしょうすえ、10のセスナ402がた購入こうにゅう成功せいこうした。これにより、オメットはアマロにTAMしゃ株式かぶしき50%をわたし、この時点じてんでオメットとアマロがそれぞれ株式かぶしきの50%ずつをめる共同きょうどうオーナーとなった。

1974ねんになるとTAMしゃ同社どうしゃとしてははつジェット機じぇっときとしてリアジェット2調達ちょうたつした。これにともない、そのうち1については、その見返みかえりとしてぜん所有しょゆうしゃであるティアン・マイアにたいしてTAMしゃ株式かぶしきうちの33%がわたされ、株式かぶしきはオメット、アマロ、マイアによりさん分割ぶんかつで33%ずつ保有ほゆうされるかたちとなったが、1975ねんにマイアがオメットにたい株式かぶしき売却ばいきゃくしたことにより、オメットとマイアとのかぶ比率ひりつ均衡きんこううしなわれ、両者りょうしゃ関係かんけい悪化あっかする結果けっかとなった。そのため、よく1976ねんにはアマロはオメットと交渉こうしょうし、結果けっか200まんドル支払しはらうことを条件じょうけん株式かぶしきもどすこととなる。

この時期じきアマロはコスト削減さくげん目的もくてきに、機体きたいたいして保険ほけんけずにいることがしばしばであったが、1977ねん9がつ24にち、リアジェットの1サントス・デュモン空港くうこう着陸ちゃくりく事故じここすという事態じたい見舞みまわれ、負傷ふしょうしゃこそなかったものの機体きたいぜんそんとなった。このリアジェット機じぇっときには保険ほけんがかけてあったため、保険ほけんきんにしたアマロはTAMしゃのこりの株式かぶしき取得しゅとくすることを決断けつだんした。

TAM地域ちいき航空こうくう

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1976ねん、アマロはTAMしゃぜん株式かぶしき取得しゅとくすると、当時とうじサンパウロしゅう州立しゅうりつ航空こうくう会社かいしゃであったVASP航空こうくう提携ていけいし、サンパウロしゅうとマットグロッソしゅう(1977ねん分割ぶんかつされた現在げんざいのマットグロッソしゅう地域ちいきす)とをむすカル線かるせん就航しゅうこうへとすこととなる。しん会社かいしゃTAM地域ちいき航空こうくう(TAM Regional Airlines)とづけられ、当初とうしょエンブラエルEMB110「バンデイランテ」かた運航うんこうした。

ほどなく定員ていいん21めい同機どうきでは旅客りょかく能力のうりょく不十分ふじゅうぶんであることが判明はんめいし、中古ちゅうこフォッカーF27ターボプロップ3あらたに導入どうにゅうすることとなった。しかしながら、国産こくさんであるエンブラエルえて外国がいこくさん導入どうにゅうするかたちとなるため(なお、エンブラエルでは当時とうじEMB-110よりおおきな機体きたい生産せいさんされていなかった)、この機体きたいオランダフォッカー社本しゃもとしゃレストアされたのちにブラジルにはこまれるさいに、エンブラエルしゃのオーナーであるブラジル政府せいふとのあいだ問題もんだいこすこととなり、結果けっかとして、エンブラエルのEMB110がたを3のこすことと、フォッカーF27かくから座席ざせきをそれぞれ5せきはず定員ていいんを40めい削減さくげんすることを余儀よぎなくされた。

こうした一幕ひとまくがありながらも、1981ねんには4のフォッカーF27をニュージーランド航空こうくうから購入こうにゅうし、1983ねんには10のフォッカーF27を保有ほゆうするまでになった。旅客りょかく能力のうりょく増強ぞうきょうともない、1981ねんには年間ねんかん旅客りょかくすう100まんにん達成たっせいし、よく1982ねんにはさらに倍増ばいぞうして旅客りょかくすう200まんにん達成たっせいした。

1986ねん8がつ財務ざいむじょうあつりょくにより、TAMしゃ株式かぶしき市場いちば公開こうかいした。同年どうねんにはブラジル国内こくない地域ちいき航空こうくう会社かいしゃであるVOTECしゃ買収ばいしゅうし、ブラジルの北部ほくぶ地域ちいきとマットグロッソしゅう以外いがい中西部ちゅうせいぶ地域ちいき連邦れんぽう直轄ちょっかつゴイアスしゅう)への航路こうろ確保かくほした。

この時期じき、TAMしゃ自社じしゃの「TAM」という名称めいしょうについて「Transportes Aéreos Meridionais南方なんぽう航空こうくう)」の略号りゃくごうであるという見解けんかいあらため、社名しゃめいとして「TAM Transportes Aéreos Meridionais(TAM南方なんぽう航空こうくう)」をもちいるようになった。1988ねんには年間ねんかん旅客りょかくすうが300まんにんたっした。

フォッカー100

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フォッカー100。機種きしゅわず、保有ほゆうぜん機体きたい側面そくめんには「ORGULHO DE SER BRASILEIRA(ブラジル企業きぎょうであるほこり)」とのフレーズがえられている

TAMしゃ自身じしん市場いちばにおいて一定いってい成功せいこうおさめたものの、1980ねんまつ時点じてんでは、ボーイング737のような1で100めい以上いじょうはこべる機体きたいかかえるヴァリグ・ブラジル航空こうくうやVASP航空こうくうといった航空こうくう会社かいしゃたいしては依然いぜんとしておおきくはなされた存在そんざいぎなかった。この時期じき、アマロはVASP航空こうくう民営みんえいとともにそれを買収ばいしゅうすることを画策かくさくし、その計画けいかくのことを「革命かくめい」とづけた。しかしながら、買収ばいしゅう不可能ふかのうであるとさとると、自社じしゃ機体きたい徐々じょじょにより大型おおがたのものに転換てんかんしていくという、よりゆるやかな成長せいちょうみちえらび、これを「発展はってん」とづけた。

1989ねん9がつ15にち、TAMしゃパンアメリカン航空こうくうから中古ちゅうこフォッカー100を2購入こうにゅうした。この機体きたい実際じっさいにはTAMしゃ保有ほゆうしたわけではなく、資産しさん運用うんよう会社かいしゃであるギネス・ピート・アビエーションによって保有ほゆうされ、TAMしゃはそのリースをけるというかたちをとった。これはギネス・ピート・アビエーションとアマロとのあいだ個人こじんてき信頼しんらい関係かんけいによってったものであり、1992ねんにはさらに2のフォッカー100が就航しゅうこうすることとなり、同年どうねんにはTAMしゃ年間ねんかん旅客りょかくすうは800まんにんたっし、よく1993ねんには14のフォッカー100をようし、56都市としむすぶまでに「発展はってん」をげた。

LATAM パラグアイ

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1994ねんにアマロはパラグアイにARPAというちいさな航空こうくう会社かいしゃ設立せつりつし、208がたセスナなど小型こがたもちいて営業えいぎょうおこなっていたが、1996ねん9がつ当時とうじ経営けいえい不振ふしんおちいっていたラプサ・エア・パラグアイを買収ばいしゅうしてARPAしゃ合併がっぺいさせ、南米なんべい各国かっこく就航しゅうこうするTAMメルコスーしゃ設立せつりつした。TAMメルコスーしゃかぶ比率ひりつはTAM航空こうくう94.98%、パラグアイ政府せいふ5.02%である。また、2008ねん社名しゃめいをTAM航空こうくう変更へんこうした。現在げんざい同社どうしゃは3エアバスA320保有ほゆうしている。

海外かいがい路線ろせん開設かいせつ

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1997ねん、TAMしゃ同社どうしゃとしてははつ大型おおがたとして、エアバスしゃエアバスA330・10A319・4A320・34けい45発注はっちゅうした。エアバスしゃからは即時そくじ機体きたい供給きょうきゅうされ、同年どうねんちゅうにサンパウロ - マイアミマイアミ国際こくさい空港くうこうあいだ同社どうしゃとしてははつ海外かいがい路線ろせん開設かいせつした。

2ねんの1999ねんにはヨーロッパへも路線ろせんひらき、エールフランスコードシェアをし、サンパウロ - パリシャルル・ド・ゴール国際こくさい空港くうこうあいだでの定期ていき路線ろせん開設かいせつするにいたる。その国際線こくさいせん拡張かくちょうつづけ、ミラノロンドンニューヨークリマなどへのれをおこなっている。

フラッグ・キャリア

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2000ねんには社名しゃめい現在げんざいの「TAM Linhas Aéreas(TAM航空こうくう)」へと改称かいしょう。2000年代ねんだいはいって従来じゅうらいブラジルの航空こうくう市場いちばにおいてトップであったヴァリグ・ブラジル航空こうくう乱脈らんみゃく経営けいえいによって凋落ちょうらくしたことにともない、今日きょうでは、TAM航空こうくうはブラジル国内こくない旅客りょかくシェアで50%をめるにいたり、これにゴル航空こうくう(36%)、ゴル航空こうくう傘下さんかのヴァリグ(4%)がつづかたちとなっており、知名度ちめいど路線ろせんもう歴史れきしじょう観点かんてんから事実じじつじょうブラジルにおけるフラッグ・キャリアといえる地位ちいにある。

LAN航空こうくうによる買収ばいしゅう

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2008ねん航空こうくう連合れんごうであるスターアライアンスへの加盟かめい決定けっていしたが、2010ねん8がつ13にちワンワールド加盟かめい航空こうくう会社かいしゃであるラン航空こうくうがTAM航空こうくう買収ばいしゅうすることで合意ごうい[3]。2012ねん6がつ22にち正式せいしき合併がっぺいした[4]合併がっぺいのグループめいはLATAM Airlines Group S.A. [5]しん会社かいしゃ世界せかい11規模きぼとなる[6]

なお、ワンワールドに加盟かめいしているラン航空こうくうとの航空こうくう連合れんごう一本いっぽんについては2012ねんまで結論けつろん保留ほりゅうする方針ほうしんとされていた[7]が、2013ねん3月7にちワンワールドは、2014ねん4がつから6がつだい2四半期しはんきに、TAM航空こうくうがスターアライアンスを脱退だったいし、ワンワールドに加盟かめいすると発表はっぴょうした。また、ラン航空こうくう子会社こがいしゃラン・コロンビアも、2013ねん10がつから12月のだい4四半期しはんきに、ワンワールド・アフィリエイトメンバーとして、ワンワールドに加盟かめいする。これにより、ラン航空こうくう傘下さんかラン・エクスプレスラン・エクアドルラン・アルヘンティナ航空こうくうラン・ペルー航空こうくうわせ、ラン航空こうくうグループ各社かくしゃ搭乗とうじょうで、マイルの獲得かくとく特典とくてん航空こうくうけん交換こうかんなどが可能かのうとなる[8]

またこれにともない、日本航空にほんこうくうアメリカン航空こうくうカンタス航空かんたすこうくうブリティッシュエアウェイズなどのワンワールド航空こうくう会社かいしゃとのコードシェア運航うんこうをはじめとする各種かくしゅ提携ていけいおこなわれると発表はっぴょうされた。

保有ほゆう機材きざい

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運航うんこう機材きざい

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LATAM ブラジル 運航うんこう機材きざい一覧いちらん(2023ねん11がつ現在げんざい[9]
機材きざい 運用うんようすう 発注はっちゅうすう 座席ざせきすう 備考びこう
J W Y 合計ごうけい
エアバスA319-100 19 - - - 144 144
エアバスA320-200 58 - - - 174 174
180 180
エアバスA320neo 15 3 - - 180 180
エアバスA321-200 31 - - - 224 224 A321neoに予定よてい
エアバスA321neo 2 10 - - 224 224 A321-200を予定よてい
ボーイング767-300ER 2 - 30 - 191 221 ボーイング787-9予定よてい[10]
ボーイング777-300ER 10 - 38 50 322 410 スター・ウォーズ/ウォルト・ディズニーワールド特別とくべつ塗装とそう (PT-MUA)
ボーイング787-9 1 - 30 57 216 303 LATAM チリから[11]
LATAM カーゴ ブラジル
ボーイング767-300F 3 - 貨物かもつ
合計ごうけい 141 13

当社とうしゃ便びんタラップ使用しようして搭乗とうじょうする場合ばあいは、地上ちじょう部分ぶぶんあか絨毯じゅうたんいて乗客じょうきゃくむかえるのが慣習かんしゅうとなっている。ブラジルではこのあか絨毯じゅうたんをテーマにしたCMも放送ほうそうされたことがある。

2014ねん5がつ、ブラジル-アメリカ、欧州おうしゅうかく長距離ちょうきょり路線ろせんファーストクラス廃止はいしし、ビジネスクラス拡張かくちょうすることを発表はっぴょうした。同年どうねん11がつ1にち以降いこう、チケットの発売はつばい停止ていしする予定よていである。

2020ねん4がつ経営けいえい破綻はたんともない、エアバスA350-900をぜん退役たいえきさせた[12]

退役たいえきずみ機材きざい一覧いちらん

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ギャラリー

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おも就航しゅうこう

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国内こくない

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2006ねん現在げんざい、ブラジル国内こくない州都しゅうと位置いちするすべての空港くうこう就航しゅうこうしている。
太字ふとじ州都しゅうとである。

国外こくがい

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LATAM パラグアイふくむ。

コードシェア便びん

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コードシェア便びんにおいて、以下いか都市としとのあいだにも定期ていき便びんつ。
()ないはコードシェアの相手あいてとなる航空こうくう会社かいしゃ

マイレージサービス

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同社どうしゃのマイレージサービス「LATAM Pass」は、ワンワールド加盟かめい航空こうくう会社かいしゃ以外いがい以下いか会社かいしゃ提携ていけいしている。

事故じこ

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  • 1979ねん2がつ8にちサンパウロしゅうアグドにおいてエンブラエルEMB110がた墜落ついらくし、乗客じょうきゃく乗員じょういん18めい全員ぜんいん死亡しぼうした。TAMにとってははつ死亡しぼう事故じことなった。
  • 1984ねん7がつ4にち前回ぜんかいおなじくエンブラエルEMB110がたリオデジャネイロしゅうマカエーで墜落ついらくし、乗客じょうきゃく乗員じょういん17めい死亡しぼうした。
  • 1990ねん2がつ12にちフォッカーF27がサンパウロしゅうバウルーの空港くうこう着陸ちゃくりくするさい着陸ちゃくりく回避かいひこころみたところ、空港くうこうがい民家みんか自動車じどうしゃ直撃ちょくげきし、自動車じどうしゃなかにいた2めい死亡しぼうした。
  • 1996ねん10月31にちTAM航空こうくう402便びんフォッカー 100)がコンゴーニャス空港くうこう離陸りりくまもなくエンジンの故障こしょうにより操縦そうじゅう不能ふのうとなり、同機どうきはビルや家屋かおく衝突しょうとつ墜落ついらくした。乗客じょうきゃく90めい乗員じょういん5めい全員ぜんいん死亡しぼうし、地上ちじょうでも4めい死者ししゃ惨事さんじとなった。
  • 1997ねん7がつ9にちエスピリトサントしゅうヴィトーリアからサンパウロにむけ航行こうこうしていたフォッカー100が、サンパウロしゅうスザノ上空じょうくう2,400メートル付近ふきん時速じそく500キロ前後ぜんこう航行こうこうちゅう機体きたい後部こうぶにしかけられたばくだん起爆きばくし、爆発ばくはつによりしょうじたあなから乗客じょうきゃく4めい機外きがいされ死亡しぼうした。爆発ばくはつにより機体きたい右側みぎがわめんしょうじたあなたかさ1.5メートル、はば2.5メートルにもおよぶものであったが、機体きたい目的もくてきであるコンゴニャス国際こくさい空港くうこう着陸ちゃくりくした。
  • 2001ねん9月18にち、フォッカー100のエンジンが故障こしょうしたさい、その部品ぶひん機内きない乗客じょうきゃく1めい死亡しぼうした。
  • 2002ねん8がつ30にち燃料ねんりょうれによりフォッカー100がサンパウロしゅうアラサツトゥバ近郊きんこう農場のうじょう不時着ふじちゃくした。乗客じょうきゃく死者ししゃ負傷ふしょうしゃなかったものの、着陸ちゃくりく農場のうじょううし1とう犠牲ぎせいとなった。同日どうじつおなじくTAM航空こうくうのフォッカー100がヴィラコッポス国際こくさい空港くうこう緊急きんきゅう着陸ちゃくりくするという出来事できごとがあったため、TAMはフォッカー100の退役たいえきはやめ、3ねん以内いないどう機種きしゅ完全かんぜん退役たいえきさせるとの声明せいめい事態じたいとなった。(実際じっさいには実現じつげんしなかった)
  • 2006ねん8がつ8にち、フォッカー100の搭乗とうじょうようドアがコンゴニャス空港くうこう離陸りりくした直後ちょくご脱落だつらくし、脱落だつらくしたドアはサンパウロ市内しないのスーパーマーケットちかくに落下らっかした。同機どうきはすぐさまどう空港くうこうかえした。落下らっかしたドアがスーパーマーケットのよけを破壊はかいしたものの、地上ちじょうふく負傷ふしょうしゃなかった。
  • 2007ねん7がつ17にちコンゴーニャス空港くうこうエアバスA320かた着陸ちゃくりく失敗しっぱい空港くうこうがいのTAMエクスプレス(TAM航空こうくう子会社こがいしゃ)の建物たてもの激突げきとつ炎上えんじょうした。乗客じょうきゃく乗員じょういん地上ちじょう死者ししゃ合計ごうけいは199めいにものぼり、TAM航空こうくうにとっては、エアバスによるはつ死亡しぼう事故じこかつ同社どうしゃ最悪さいあく航空こうくう事故じことなり、さらには南米なんべいでも史上しじょう最悪さいあく航空こうくう事故じことなった。A320ファミリーにおいても、メトロジェット9268便びん爆破ばくは事件じけんいで死者ししゃおおい。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ブラジルのTAM航空こうくうとLANコロンビア航空こうくうがワンワールド加盟かめい”. レスポンス(Response.jp) (2013ねん10がつ3にち). 2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  2. ^ Airlines using Amadeus” (英語えいご). アマデウスITグループ. 2016ねん3がつ31にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ 中南米ちゅうなんべい最大さいだいのラン航空こうくう、ブラジルのTAM航空こうくう買収ばいしゅう合意ごうい-37おくドル”. Bloombelg (2010ねん8がつ14にち). 2010ねん8がつ25にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  4. ^ 南米なんべい航空こうくう大手おおてしゃ経営けいえい統合とうごう”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2012ねん6がつ23にち). 2012ねん6がつ24にち閲覧えつらん
  5. ^ "LAN AND TAM ANNOUNCE INTENTION TO COMBINE" (Press release). LAN. 13 August 2010. 2016ねん3がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  6. ^ ブラジルとチリの航空こうくう最大手さいおおて統合とうごう 南米なんべい最大さいだい日航にっこう匹敵ひってき”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2010ねん8がつ14にち). 2010ねん8がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  7. ^ Sobie, Brendan (2010ねん8がつ16にち). “LAN-TAM alliance decision not expected until at least 2012: Barroso”. Flightglobal. 2010ねん12月26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  8. ^ LATAM Airlines Group chooses oneworld as its global alliance”. ワンワールド・アライアンス (2013ねん3がつ7にち). 2013ねん4がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  9. ^ LATAM Airlines Brasil Fleet Details and History
  10. ^ Sena, Gastón (7 May 2021). “LATAM Airlines to sell nine B767s under restructuring plan” (英語えいご). Ch-Aviation. 2023ねん7がつ9にち閲覧えつらん
  11. ^ Sena, Gastón (2021ねん7がつ26にち). “LATAM Brazil will replace the Airbus A350 with the Boeing 787 registered in Chile” (スペイン). Aviacionline.com. 2022ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  12. ^ Reports Suggest LATAM Will Retire Its Entire Airbus A350 Fleet” (英語えいご). Simple Flying (2021ねん4がつ8にち). 2022ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  13. ^ Reports Suggest LATAM Will Retire Its Entire Airbus A350 Fleet” (英語えいご). Simple Flying (2021ねん4がつ8にち). 2022ねん1がつ28にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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