「ドラゴンさくら」「クロカン」などのヒットさくられる漫画まんが三田みたおさむぼうさん。20だい前半ぜんはん家業かぎょう洋品ようひんてんいだが、1おくえん借金しゃっきん返済へんさいくるしむ日々ひびおくった。そんな現実げんじつからすこしでものがれたいと、漫画まんがえがはじめたことで人生じんせい激変げきへん。30さい漫画まんがデビュー、32さいのときに漫画まんが連載れんさい開始かいしはつ単行本たんこうぼんをかなえるなど、順調じゅんちょうなスタートをった。しかし、連載れんさい終了しゅうりょうすると、つぎ連載れんさい企画きかくとおらず、ふたた窮地きゅうちに。「新婚しんこん早々そうそうつま生活せいかつたよ生活せいかつをしていた」とはな三田みたさんだが、そこからどのようにして「ドラゴンさくら」や「クロカン」といっただいヒット作品さくひんしたのだろうか。

うえドラゴンさくら三田みたおさむぼう 20だい借金しゃっきん1おくえん 漫画まんが現実げんじつ逃避とうひのため
した三田みたおさむぼう サボるために前進ぜんしんする 完璧かんぺき目指めざすな、○○もどきでいい今回こんかいはココ

「漫画家になる条件が一つだけあるとすれば、体力です。私の場合は、学生時代に剣道で鍛えていたから体力があった。その点はラッキーでしたね」と話す漫画家の三田紀房さん
漫画まんがになる条件じょうけんひとつだけあるとすれば、体力たいりょくです。わたし場合ばあいは、学生がくせい時代じだい剣道けんどうきたえていたから体力たいりょくがあった。そのてんはラッキーでしたね」とはな漫画まんが三田みたおさむぼうさん

連載れんさい終了しゅうりょうニート状態じょうたいに、漫画まんが廃業はいぎょう危機きき

 漫画まんがデビューから2ねん、「月刊げっかんアフタヌーン」(講談社こうだんしゃ)のはつ連載れんさい好評こうひょうのうちにえた三田みたさん。すぐにつぎ連載れんさい作品さくひん構想こうそうり、高校こうこう野球やきゅう監督かんとく主人公しゅじんこうにしたスポーツ漫画まんが構想こうそうしていた。しかし、残念ざんねんながら編集へんしゅう却下きゃっかされてしまった。

 それからしばらくのあいだ、どこからも連載れんさいりのオファーがず、三田みたさんは失業しつぎょう状態じょうたいに。教員きょういんをしていたつま収入しゅうにゅう生活せいかつはできたため、しばらくそのままでごしたが、最初さいしょはあまりんでいなかったという。

 「雑誌ざっし新作しんさくめば掲載けいさいしてくれる可能かのうせいもあるし、またべつ新人しんじんしょう応募おうぼするのもいいかも、と気楽きらくかんがえていました。企画きかくとおらなかったのは残念ざんねんでしたが、自分じぶんがダメだとはおもわなかったですね。

 それに漫画まんがえがうえ大事だいじなのは、自分じぶんえがけるものをえがくこと。えがけないものをえがこうとしてもむずかしい。わたしはじめていた漫画まんがは、自分じぶん身近みぢかきた出来事できごとふくらませてつくったストーリーですし、はつ連載れんさい漫画まんがそらる』も、学生がくせい時代じだい剣道けんどうでの経験けいけんがベースになっています。

 企画きかく段階だんかいとおらなかった高校こうこう野球やきゅうはなしも、わたし当時とうじ担当たんとう編集へんしゅうしゃ高校こうこう野球やきゅうだいファンで、自分じぶん母校ぼこう練習れんしゅう見学けんがくき、監督かんとくはなしたことでひらめいたストーリーでした。ですから、これからも自分じぶんえがけるものをえがいていくという気持きもちでしたね」

 しかし、ニート状態じょうたいになって半年はんとしぎると、さすがの三田みたさんもあせりをかんじるように。「このままでは、漫画まんがあきらめなければならないかも」と、あたまかかえていたとき、ミラクルがこった。