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さとし

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さとし
智者ちしゃだい师画ぞう
別名べつめい天台てんだい大師だいし智者ちしゃ大師だいし,顗禅师,东土しょう释迦
个人资料
出生しゅっしょう
ちんいさおやすとくやすため),陈光どう,陈王どう

(538-02-16)538ねん2がつ16にち
逝世597ねん8がつ3にち(597さい—08—03)(59さい
宗教しゅうきょう信仰しんこう汉传佛教ぶっきょう
學校がっこう天台宗てんだいしゅう
傳承でんしょうよん
法号ほうごう释智顗
諡號しごう智者ちしゃ
てらびょう国清寺こくせいじ
高級こうきゅう職位しょくい
きょうはてねがいてらほういとぐちとしりつ师,南岳みなみだけとしおもえだい

しゃくさとし(538ねん—597ねん),俗姓ぞくせいとくやす法名ほうみょうさとし法號ほうごう智者ちしゃ[1]なま荆州华容けん於今中國ちゅうごく湖北こほくせんこう),かんでん佛教ぶっきょう出家しゅっけ僧侶そうりょ。曾居於天台山てんだいざん國清寺こくせいじ人稱にんしょうてんだいTāi大師だいしただし事實じじつじょうため天台宗てんだいしゅうてき實際じっさい創始そうしじん後世こうせい尊崇そんすうため天台宗てんだいしゅうよん[4]智者ちしゃ大師だいし完成かんせいりょう天台てんだいさん大部たいぶ”《法華ほっけ文句もんく》、《法華ほっけげんよし》、《訶止かん》;佛學ぶつがく思想しそううけたまわかさね南嶽みなみだけとしおもえ禪師ぜんじ。 其学说以《ほう华经》为主きょうすえ天台宗てんだいしゅうまたたたえほう华宗;广弘教法きょうほう,创时八きょうまとばんきょう,发明一念いちねんさんせん,圆融さん谛的思想しそうきょう调止观双おさむてきげん则,たて一心いっしんさん观。さとし顗于ずい两朝ふか受帝おう礼遇れいぐうずい煬帝楊廣授予さとし顗“智者ちしゃこれごうせいたたえ智者ちしゃだいほまれためひがし釋迦しゃか[5][6]

生平おいだいら

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先祖せんぞ出身しゅっしん穎川えいせんぐん於今河南かなんしょうもとあきらけん),ため潁川ちんざいあずますすむ初年しょねん家族かぞく遷居荊州はなひろし[7]。其父ひねおこりつう經傳けいでん有武ありたけりゃくざいしょう繹任荊州刺史ししため幕僚ばくりょうざいしょう繹登もとためりょうもとみかどふうえきけん開國かいこくこう[8]。其母じょけんまこと佛教ぶっきょう信徒しんとさとし顗是家中いえじゅう次子じし,其長けいひね[9]

さとし顗目ゆうそうひとみ[10]いん出生しゅっしょうゆう祥瑞しょうずい幼名ようみょう王道おうどうまためいひかりどうなりためてき[11]。7さい就表現出げんしゅつたい佛教ぶっきょうてき興趣きょうしゅ[12]。554ねんはりうけたまわきよし3ねん),西にしたかし宇文うぶんたい于謹とうひとりょうぐん南下なんかおさむおちいこうりょうりょうもとみかど出城でしろ投降とうこうころせよし此戰みだれざい其15さいさとし顗全きたいたり硤州いま湖北こほくしょうむべあきら西北せいほく),もたれ其舅,いん而升おこり出家しゅっけてき願望がんぼうただし父母ちちはは同意どうい[13]ざい父母ちちははけい其兄同意どういあずかおうてきすけざい18さいいたり湘州けん於今湖南こなんちょうすな),ざいはてねがいてらほう绪門出家しゅっけほういとぐちため十戒じっかいなみ教導きょうどう律藏りつぞう[14]。20さいさとし顗受具足ぐそく師事しじとし曠律學習がくしゅう大乘だいじょう經典きょうてんこれ進入しんにゅう大賢たいけんさん於今湖南こなみしょう衡陽けんせんおさむ學習がくしゅう法華ほっけさんけい包括ほうかつ法華經ほけきょう》、《無量むりょう義經よしつね》、《ひろしけんかんけい》)とうなみ進行しんこうほうひとし懺法[15]當時とうじとしおもえ禪師ぜんじちゅうすずざい光州こうしゅうけん於今河南かなんしょう光山こうやまけんだいやまさとし顗在23さいぜん往參がくおさむ习禅ほうあかしとく法華三昧ほっけざんまい前方ぜんぽう便びんはつはつ陀羅尼だらに[16]曾代としおもえ說法せっぽう開講かいこうだいしな般若はんにゃけい[17]

としおもえうつりきょ衡山いのち往南かた傳播でんぱ佛法ぶっぽうさとし顗在567ねんひねひかりだい元年がんねん到達とうたつひねあさてき首都しゅときむりょういま南京なんきん[18]さとし獲得かくとく當地とうち著名ちょめい佛教ぶっきょう僧侶そうりょ,如きょうすめらぎほうろうちょうとしべんひとし人的じんてき支持しじ官員かんいんじょりょうもうとうひとなるためてき信徒しんと沈君請智顗住すずかわらかんてらこう法華經ほけきょう》。さとし顗在此居住きょじゅうはちねん開講かいこう大智たいちろんあずか次第しだい禪門ぜんもん[19]よし過多かた事務じむ繁雜はんざつさまたげ修行しゅぎょうさとし決定けってい入山にゅうざんりん修行しゅぎょう[20]。575ねんひねふとしけん7ねんあきたかしいれ天台山てんだいざん於今浙江せっこうしょう天台てんだいけん),ざい此隱おさむこう建立こんりゅう寺院じいんそく後來こうらいてき國清寺こくせいじ[21]さとし顗在北峰きたみねじょう獨修どくしゅう頭陀ずだくだりあかしいれいちじつたい法門ほうもん[22]ざい居住きょじゅういちだん時間じかんひねせんみかどしもみことのりけんてら[23],以始ゆたかけんてき稅收ぜいしゅうらい作為さくい國清寺こくせいじてき支出ししゅつこれよう。其徒眾慢慢擴大かくだい[24]

さとし顗在天台山てんだいざん修行しゅぎょう11ねんよりどころせつざい浙江せっこう天台山てんだいざん居住きょじゅう时,为使临海きょ民放みんぽう棄以杀生为业,曾自しゃころも,并劝募众人购置放生ほうじょう,复传授池ちゅうぞく类“さん皈戒”,为彼とう说《金光かねみつあきら经》、《ほう华经》とう,以结ほう缘,从而开佛教ぶっきょう放生ほうじょうかい滥觞。陈后ぬし即位そくいみことのり請智顗回きんりょう。584ねんひね至德しとく2ねん),さとし顗回いたかねりょうにゅうみや說法せっぽう[25]はつきょれい曜寺,ざい此開こう仁王におう般若はんにゃけい》。よし此地ぼう狹小きょうしょううつりきょひかりたくてら[26]ひねしゅ太子たいし陈渊ひとしみな尊崇そんすうさとし顗,太子たいし曾請さとし顗授菩薩戒ぼさつかい[27]。587ねんひねただしあきら元年がんねん),于光たくてら讲《妙法みょうほう莲华经》,其講內容ざい弟子でしあきらやす灌頂收集しゅうしゅう集成しゅうせい法華ほっけ文句もんく》。

588ねんちんただしあかり2ねんずいひらきすめらぎ8ねん),ずいぶんみかど派兵はへい南下なんかひねあさくつがえほろびため避金りょう戰亂せんらんさとし準備じゅんびかいいた荊州,途中とちゅう居留きょりゅうざい潯陽ただしさんそくいおりやま於今江西えにしきゅう[28]はたたかしおう楊俊曾想招募さとし顗,ただしよしため發生はっせい叛亂はんらんさとし顗並ぼつゆうぜん[29]。590ねんずいひらきすめらぎ10ねん),はら擔任たんにん并州そうかんてきすすむおう楊廣後來こうらいてきずい煬帝),調しらべにんあげしゅうそうかん鎮守ちんじゅこうみやこいま江蘇ちぁんすーしょうあげしゅう),ざい創立そうりつとしにち道場どうじょう招請しょうせい各地かくち著名ちょめい佛教ぶっきょう僧侶そうりょぜん往講がく。591ねんずいひらきすめらぎ11ねん),ざいすすむおう楊廣てき召請さとし顗至あげしゅうそうかんてらため其授菩薩戒ぼさつかい受贈じゅぞう智者ちしゃ稱號しょうごう[30]。592ねんずいひらきすめらぎ12ねん)3がつさとし顗由あげしゅうかえしかいいおりさん途中とちゅう曾至衡山いたりとしおもえはかとう所在しょざいさがせざい當年とうねんそこかいいた荊州,ざいとうけんたま泉山いずみやま建造けんぞう精舍しょうじゃそく玉泉寺ぎょくせんじ[31]さとし顗在玉泉寺ぎょくせんじこうけいてき內容,けい弟子でしあきらやす集成しゅうせい法華ほっけげんよしあずか訶止かん》。

596ねんずいひらきすめらぎ15ねん),受晉おう楊廣邀請,さとし再度さいどいたりあげしゅうきょぜん眾寺,せんうつしきよしめいけい疏》,めんていきゅう楊廣[32]同年どうねん9がつかいいた天台山てんだいざんあずか弟子でし整理せいりきゅう有居ありいしょさとし顗向其弟子でしあずかつげ其死はたちか[33]口授くじゅかんしんろん》。597ねんずいひらきすめらぎ17ねんふゆてんさとし顗在天台山てんだいざんねん60さいそう臘40[34]

思想しそう

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さとし顗眼佛教ぶっきょう教義きょうぎ複雜ふくざつ佛經ぶっきょう文義ふみよし互相抵牾もどきとげ建立こんりゅうはんきょうてき學說がくせつみとめため佛教ぶっきょう教導きょうどうてき不同ふどう階段かいだん對應たいおう佛陀ぶっだ生平おいだいらてき不同ふどう時期じき,以及佛陀ぶっだざいいち時期じきてき受眾。教義きょうぎてきまいそう有效ゆうこうみやこただし邁向佛教ぶっきょう真理しんりてきいち,而最終さいしゅうさい圓融えんゆうてき教義きょうぎ於《妙法みょうほう蓮華れんげけい》(《簡稱法華經ほけきょう》)[35]さとし顗依此经りつ时八きょうてきばん教理きょうり论。ところ谓“はちきょう”,そく为“ほうよんきょう”,教化きょうか众生てきほう门、えきてき内容ないようそくぞうきょうつうきょう,别教、圆教;“仪四きょう”,佛教ぶっきょうてき教化きょうか过程方式ほうしきそく顿教、渐教、秘密ひみつきょう不定ふていきょう仪譬如药かたほうたとえ如药あじ

さとし臨終りんじゅうたい弟子でしだれむねおおせてき詢問,回答かいとう:「あに曾聞なみひさげまたなんじわれつねせつよんしゅ三昧ざんまいなんじあかりしるべ……ただ此大のうさくとめ。」[36][37]

一念いちねんさんせん

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一念いちねんさんせん智者ちしゃだい师的どくいた見解けんかい佛教ぶっきょうくびさきはた衆生しゅじょうぶんためじゅう法界ほうかいふつ菩薩ぼさつえんさとし聲聞しょうもんてんひと修羅しゅら畜生ちくしょう餓鬼がき地獄じごく。這十法界每一界又有十法界,如人ちゅう有人ゆうじんあいだふつ菩薩ぼさつえんさとし聲聞しょうもんてんひと修羅しゅら畜生ちくしょう餓鬼がき地獄じごく。這樣じゅうじょうじゅう就是いちひゃく法界ほうかいまいいちかいまた妙法みょうほう蓮華れんげけいちゅうしょこうてきじゅう如是にょぜ如是にょぜしょう如是にょぜせい如是にょぜたい如是にょぜりょく如是にょぜさく如是にょぜいん如是にょぜえん如是にょぜはて如是にょぜむくい如是にょぜ本末ほんまつ究竟きゅうきょういちひゃく法界ほうかいじょうじゅう如是にょぜ,就是いちせん如是にょぜさいじょうさんしゅ世間せけん國土こくど世間せけん、眾生世間せけんかげ世間せけん,就是さんせんせいあいださんせんせいあいだ就在一念いちねん心中しんちゅうの所以ゆえんしょうため一念いちねんさんせん”。《诃止观》まきうん:“此さんせんざい一念いちねんしんわか无心而已,かい尔有しんそくさんせんまた不言ふげんいちしんざいまえ一切いっさいほうざいきさきまた不言ふげん一切いっさいほうざいまえ一心いっしんざいきさきれいはちそう迁物,ものざいしょうまえもの迁,そうざいぶつまえまた迁。まえまた不可ふかきさきまた不可ふかただぶつ论相迁,ただしょう迁论ぶついまこころまた如是にょぜわか从一しんせい一切いっさいほうしゃ,此即纵,わかしんいち时含一切いっさいほうしゃ,此即よこ。纵亦不可ふかよこまた不可ふかただしん一切いっさいほう一切いっさいほうこころ纵非よこいち异,玄妙げんみょうふか绝,识所识,げんしょげん,…… 所以ゆえんしょう不可ふかおもえ议境かい。”

師承ししょう

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法嗣ほうし

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主要しゅよう著述ちょじゅつ

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さとし顗專こころざし於講がくしょうゆう著述ちょじゅつ。其著述ちょじゅつよし其門弟子でしずいろく整理せいりなりしょ[38]。其中《法華ほっけげんよし》、《法華ほっけ文句もんく》、《訶止かん》、《しょう止觀しかん》、《かんしんろんとうりゅう传久远,ざい日本にっぽん也有やゆう很大かげ响。

みちせんだいから內典ろく》(おおやけもと664ねん)、最澄さいちょう傳教大師でんぎょうだいし將來しょうらいうてなしゅうろく》(おおやけもと804ねん)、圓仁えんにん入唐にっとうしんもとめ聖教せいきょう目錄もくろく》(おおやけもと838ねん)、圓珍えんちんさとししょう大師だいし請來しょうらい目錄もくろく》(おおやけもと853ねん),いたりちゅうとうどきしょ認定にんていてき天台てんだい智者ちしゃ著作ちょさく[39]現存げんそんしゃ如下:

  • 法華ほっけ
    • 妙法みょうほう蓮華れんげけいげんよし
    • 妙法みょうほう蓮華れんげ經文きょうもん
    • 妙法みょうほう蓮華れんげけい觀音かんのんひんげんよし》(簡稱觀音かんのんげんよし
    • 妙法みょうほう蓮華れんげけい觀音かんのんひん疏》(簡稱かん音義おんぎ疏)
  • 維摩
    • 《維摩けいげん疏》(含《よん悉檀よし》、《さんかんよし》、《よん教義きょうぎ內容)
    • 《維摩經文きょうもん疏》(ぜんじゅうかんおやせんさんかんあきらやす灌頂ぞく荊溪たたえしか刪略ため《維摩經略けいりゃく疏》じゅうかん
    • よん教義きょうぎ》(ゆかりきよしめいげんよしぶん
  • ざつ疏部
    • 金光かねみつあきらけいげんよし
    • 金光かねみつあきら經文きょうもん
    • 《請觀おんけい疏》
    • 菩薩戒ぼさつかい疏》(まためい梵網けい
    • 仁王におう護國ごこく般若はんにゃけい疏》[40]
    • きむつよし般若はんにゃけい疏》[41]
    • かん無量むりょうことぶき佛經ぶっきょう疏》[42]
    • 阿彌陀あみだけい[43]
  • 止觀しかん禪門ぜんもん
    • 訶止かん》(まためいえんひたぶる止觀しかん
    • 禪門ぜんもんおさむしょう》(まためいしゃくぜん波羅蜜はらみつ次第しだい法門ほうもん
    • 禪門ぜんもんあきら
    • 禪門ぜんもん要略ようりゃく
    • ろく妙法みょうほうもん
    • 禪門ぜんもん口訣くけつ
    • しょう止觀しかんにち天台てんだいしょう止観しかん》(まためい修習しゅうしゅう止觀しかん坐禪ざぜん法要ほうようほぼあきらひらき矇初がく坐禪ざぜん止觀しかんようもん
    • 法界ほうかい次第しだいはつもん
    • さとし三昧ざんまい
    • さんかんよし》(ゆかりきよしめいげんよしぶん
    • かんしんろん》(まためいせんじちちろん)
    • かんしんしょくほう
    • かんこころ誦經じゅきょうほう
    • 天台てんだい智者ちしゃ大師だいしはつ願文がんもん
    • 法華三昧ほっけざんまい行法ぎょうほう》(まためい法華三昧ほっけざんまい懺儀)
    • ほうひとし三昧ざんまい行法ぎょうほう》(まためい大方おおがたとう行法ぎょうほう。另有べつぎょうもとおさむ於《國清くにきよひゃくろく》,めいかたとう懺法)
    • 金光かねみつあきら懺法》(おさむ於《國清くにきよひゃくろく》)
    • 《請觀世音かんぜおん懺法》(まためい請觀おん行法ぎょうほうおさむ於《國清くにきよひゃくろく》)
    • 方便ほうべん念佛ねんぶつもん》(ゆう廣本ひろほんりゃくほん[44][45]廣本ひろほんうたぐため後人こうじん於中あいだ份增華嚴宗けごんしゅう念佛ねんぶつだい寶積ほうしゃくけい念佛ねんぶつぶん而成[46]

さとし顗的著述ちょじゅつよりどころしょうなおゆう彌勒みろく成佛じょうぶつけい疏》、《大智たいちろん疏》、《般舟三昧ざんまい行法ぎょうほう》、《雜觀ざっかんぎょうとうやめ散佚さんいつそん。另外,慈雲じうん遵式てき天台てんだいきょうかん目錄もくろくちゅう以《よんねんしょかず淨土じょうどじゅううたぐろんため天台てんだい智者ちしゃ所作しょさ[47],內典ろくうてなしゅうろくよんねんしょ作者さくしゃためあきらやす灌頂[48][49]。而最登載とうさい淨土じょうどじゅううたぐろん阿彌陀あみだけいけつじゅううたぐてき目錄もくろくうてなしゅうろく其作しゃ名號みょうごう書中しょちゅうまた引用いんようげん奘的《だいから西域せいいきかずとうだい譯出やくしゅつてきざつしゅうろん》。よし此,這兩著作ちょさくためさとし顗所さくなおゆう疑問ぎもん

そうだい天台宗てんだいしゅう山家やまがやまがいたい金光かねみつあきらけいげんよし》(廣本ひろほん真偽しんぎほう不同ふどう[50]。另外,やまがいてきやまさとしえんみとめためでん阿彌陀あみだけい俚義疏,懷疑かいぎ日本人にっぽんじん假託かたくさとし顗而さく[43][51]またよりどころ新編しんぺんしょ宗教しゅうきょうぞうそうろくきよしさとしじんだけみとめためきむつよし般若はんにゃけい疏》さとし顗所さくひがしいき傳燈でんとう目錄もくろくそくゆび此疏與署名しょめいためそうはじめよりどころ引文たい,其真實しんじつ作者さくしゃしゃれいうん[52][53]てききむつよしけいちゅうこと[41][54]

よりどころきんひと研究けんきゅう,《かん無量むりょうことぶき佛經ぶっきょう疏》採用さいようすくなきよしかげ慧遠えおんかんけい疏的見解けんかい,其五重玄義之文取自智顗《金光かねみつあきらけい疏》,近代きんだい學者がくしゃうたぐかんけい疏非さとし顗所さく[42][55]。《仁王におう護國ごこく般若はんにゃけい疏》現存げんそんほんためげんゆたか年間ねんかん(1078-1085)したがえ日本にっぽんでんいれよりどころきんひと研究けんきゅうみとめため此疏採用さいようすくな吉藏よしぞう仁王におうけい疏的見解けんかいあるもとため後人こうじん假託かたくさく[40]

往生おうじょう

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さとし顗常發願ほつがん往生おうじょう彌勒みろくほとけてきかぶとりつ淨土じょうど臨終りんじゅううん觀音かんのん來迎らいごう[56][57]なみこたえ修行しゅぎょういたりえんきょう品位ひんい[58][59]。《報恩ほうおんろく[60]、《淨土じょうど往生おうじょうでんあずか往生おうじょうしゅう》,はたさとし顗列にゅう往生おうじょう西方にしかたわたる陀淨高僧こうそう。《ぞく高僧こうそうでんのりさとし顗之さとし晞在臨終りんじゅうまえ回答かいとう於夢ちゅういた智者ちしゃ大師だいしざいかぶとりつてん[61]荊溪たたえしかみとめため無論むろんもとめなまかぶとりつある臨終りんじゅうぜん觀音かんのん來迎らいごうみやこただしずい教化きょうかてき示現じげん方便ほうべん[62]さとし弟子でしえいようおうまた發願ほつがんあるせい安樂あんらく世界せかいあるしょかぶとりつ天宮てんぐう。」[63]

しるしこうだいみとめため智者ちしゃだい师是释迦牟尼ほとけこれ化身けしん[64]

相關そうかん條目じょうもく

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注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ また有人ゆうじん主張しゅちょうしたがえ普通ふつうばなしTāi/ㄊㄞ,推論すいろん粵音おう讀作toi1[2]
  2. ^ 早期そうき中華民國ちゅうかみんこく教育きょういくせいてい發音はつおんため陰平かげひら調ちょう「ㄊㄞ/tāi」,ざい1999ねん機關きかん公布こうふ國語こくご一字多音審訂表》ちゅうやめㄊㄞ/tāiおん發音はつおんため「ㄊㄞˊ/tái」,ただし2021ねん機關きかんじゅうへん國語こくご辭典じてん修訂しゅうていほんやめあらためれつㄊㄞ/tāiおん[3]當地とうちじんのり多讀たどくさく陰平かげひら調ちょう「ㄊㄞ/tāi」,普通ふつうばなしせいてい發音はつおんまた跟隨
  1. ^ たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「智者ちしゃそく教主きょうしゅ幼名ようみょうこうどうまためい王道おうどう,此從初生しょせい瑞相ずいそうりつめい法名ほうみょうさとし顗,顗,靜也しずやそく出家しゅっけためりつごうしたがえとくためめいようせいこうすすむおう菩薩戒ぼさつかいひんいんそくため王立おうりつほうごううん:『大王だいおう,紆遵せいきんめい曰總。』おう曰:『師傳しでん佛法ぶっぽうとうしょうため智者ちしゃ。』こんしたがえせつうん智者ちしゃ。」
  2. ^ そん副本ふくほん. [2018-11-28]. (原始げんし内容ないようそん于2021-06-11). 
  3. ^ 辭典じてん檢視けんし [だい:ㄊㄞ/tāi] - 教育きょういくじゅうへん國語こくご辭典じてん修訂しゅうていほん》2021. [2024-04-06]. (原始げんし内容ないようそん于2024-02-15). 
  4. ^ Arthur F. Wrightちょつねつぼみやく:《中國ちゅうごく歷史れきしちゅうてき佛教ぶっきょう》(北京ぺきん北京ぺきん大學だいがく出版しゅっぱんしゃ,2009),ぺーじ59。
  5. ^ 傳燈でんとうえいよしみ禪宗ぜんしゅうしゅう註》じょ:「たたえしゃ曰:智者ちしゃはちそう成道じょうどう人稱にんしょうためひがししょう釋迦しゃか。」
  6. ^ こん西にし行儀ぎょうぎまき1:「於同元年がんねんざい佛頂山ぶっちょうざんとしずみてら,閱淨じゅうよう至寶しほうおうろんちゅう智者ちしゃ大師だいし臨終りんじゅうれい讀四じゅうはちねがい九品くほんかんあきらそう智者ちしゃ乃東釋迦しゃか臨終りんじゅうれい讀,あに至要しようげんよし熟讀じゅくどくたてまつため日課にっか。」
  7. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「大師だいしいみなさとし顗,とくやす俗姓ぞくせいちん穎川えいせんじん也。こう宗茂むねしげ績,もりつたえ於譜矣。暨晉遷都せんといえしたがえ南出みなみで寓居ぐうきょ江漢こうかんいんどめ荊州はなひろしけん。」
  8. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「ちちおこりがくどおり經傳けいでんだん絕倫ぜつりん,而武さくうん籌,へんいさみけつはり湘東おうしょう繹之荊州,れつため賓客ひんきゃくたてまつきょう入朝にゅうちょうりょうぐん……こうもと即位そくいはい使ぶしつねさむらいえきけん開國かいこくこう。」
  9. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「りょうすすむ安王やすおうちゅうへいさんぐんひね鍼,そく智者ちしゃ長兄ちょうけい也。」
  10. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「ゆうじゅうひとみ父母ちちははぞうまもるよく人知じんち,而人知之ともゆき矣。」。
  11. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「鄰里憶先れいみずよびため王道おうどうけん用後ようごしょうふくめいひかりどう小立おだち。」
  12. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「いたりねんななさい伽藍がらんしょそう口授くじゅひろしもんひん》,はつけいいちへんそく。而父母ちちはは遏絕,聽數往。まいそんしょ誦,而惆悵未聞みもん,奄忽,自然しぜんどおりあまり文句もんく經驗けいけんしょ遺失いしつさと閭嗟こと溫故知新おんこちしん,其若此乎。」
  13. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「としじゅう,值孝もとこれはいいえこく殄,おやぞくりゅう徙。歎榮かいなんひさつう凋離えき及。於長すなぞうまえはつひろし大願たいがんちかいさく沙門しゃもん荷負におい正法しょうぼうためおのれ重任じゅうにん。……よしふかいやごくおもえめつほんただし二親ふたおや恩愛おんあい不時ふじ聽許ちょうきょ。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「志學しがくこれねんはりうけたまわきよしぞくもとみかど淪沒,きた硤州,乎舅。」
  14. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「こうおや殄喪,ちょう艱荼どく,逮于ふく訖,從兄じゅうけいもとめ。……どきおう琳據湘,したがえ琳求。琳以ひねこう故舊こきゅうまたよしみ此志ぶしきゅうほうふかじょ隨喜ずいきとしじゅうゆうはちとう湘州はてねがいてら沙門しゃもんほういとぐち而出焉。いとぐち授以十戒じっかいしるべ律儀りちぎ。」
    たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「はつはり太平たいへい二年魏主令宇文泰,やぶりょうもとみかどじゅうまん眾。大師だいしねんじゅうはちいたりじょうしゅうはてねがいてら乎舅而出焉。」
  15. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「仍攝以北いほくまいとし曠律けんどおりかたとう北面ほくめんごと焉。まいだいかしこさん,誦法華經ほけきょう無量むりょう義經よしつねひろしけんかんけいれきわたるしゅんさん究竟きゅうきょうすすむおさむかたとう,懺心きよしぎょうつとむかちしょう現前げんぜん。」
    たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「いたりひね太平たいへいさんねんねんじゅうしん具足ぐそくとし曠律どおり於律ぞう。」
  16. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「江東こうとうあしといときゆうとしおもえ禪師ぜんじたけじん也。名高なだかたかしみねぎょうふからく。……衡嶽以希棲,遁權どめ光州こうしゅうだいやま先師せんしはるか餐風とく,如飢渴矣。其地乃是ちんひとし邊境へんきょう兵刃へいじんしょ衝。而能けい於生,じゅう於法,ゆるがせゆうあさ聞,わたるけん而去。はついただきはいおもえ曰:『昔日せきじつ靈山れいざんどう聽法はな宿緣しゅくえんしょおいこんふくらい矣。』そくしめせひろしけん道場どうじょうためせつよん安樂あんらくぎょう。於是昏曉いた,如教けんしん。……いききょ黈,げん妄出。けいななにち,誦至やくおうひん諸佛しょぶつどうたたえ精進しょうじんめいしんほう供養くよういたいち身心しんしん豁然かつぜんさび入定にゅうじょう。……しょうしょうしろさら開演かいえん。……よんすすむこうこうひゃくねんもんいちじゅうなんのうため喻。かんとし無礙むげ禪門ぜんもん壅。宿やど開發かいはつ,煥若はなじき矣。おもえ歎曰:なんじどるしょう非我ひが莫識。ところ入定にゅうじょうしゃ法華三昧ほっけざんまい前方ぜんぽう便びん也。ところはつしゃはつ陀羅尼だらに也。縱令たとい文字もじせんぐんまん眾。ひろなんじわきまえ不可ふかきゅう矣。於說法人ほうじんちゅうさいためだいいち。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「またまい光州こうしゅうだいやまとしおもえ禪師ぜんじ受業じゅぎょうしんかん。……おもえまい歎曰:『むかしざい靈山れいざんどう聽法はな宿緣しゅくえんしょおいこんふくらい矣。』そくしめせひろしけん道場どうじょうためせつよん安樂あんらくぎょう。顗乃於此山行さんこう法華三昧ほっけざんまいはじめけいさんゆう,誦至やくおうひんこころえん苦行くぎょういたり精進しょうじんかいさとる便びんはつどもおもえしょれい鷲山わしやま七寶しっぽう淨土じょうど,聽佛說法せっぽうおもえうんなんじどるかん非我ひが莫識,此法華三昧ほっけざんまい前方ぜんぽう便びん也。またにゅう熙州白砂山しらすなやま,如前いれかん,於經ゆううたぐ,輒見おもえらいめいため披釋。爾後じごつねれい代講だいこう,聞者ふくおもんみさん三昧ざんまいさんかんさとしよう以諮しん自餘じよなみにんさいかい,曾不留意りゅういおもえ躬執如意にょいざいすわかん聽,學徒がくと曰:『此吾,恨其じょうりょくしょうみみ。』」
    たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「いたりひねいぬいあきら元年がんねんはじめにゅう光州こうしゅうおもえ禪師ぜんじ,稟受禪じゅぜんほうねんじゅうさん。」
  17. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「おもえづくり金字こんじだいひんけい竟,ひらきげんよし命令めいれい代講だいこう。……ただゆうさん三昧ざんまい及三かんさとしよう以諮しん悉自さいおもえ手持てもち如意にょい臨席りんせきたたえ曰:いいほうづけほうしん法王ほうおう無事ぶじしゃ也。とし曠律また來會らいかいすわおもえいい曰:ろうそう嘗聽賢子さとこほうみみこたえうん禪師ぜんじ所生しょせい曠之また曰:おもえまたこう法華ほっけつとむみみ。」
  18. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「すんでたてまついむさとしとく扈從こしょう衡嶽。もと聞金りょう仁義じんぎふちやぶためし往觀わか法弘のりひろ其地,のり不孤ふこづけしょく。仍共ほうとうじゅうななにんどういたりひね。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「及學なり往辭。おもえ曰:『なんじ於陳こく有緣うえん,往必利益りえき。』おもえすんでゆう南岳みなみだけ,顗便まいかねりょうあずかほうとうさんじゅう餘人よにんざいかわらかんてらそうひろぜんほう。」
    たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「いたりちんひかりふと元年がんねんにゅう鄴,ねんさんじゅう。」
  19. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「ゆかりごえはせ道俗どうぞく,請益なり蹊。……于時ちょうとしべんのべ入定にゅうじょう天宮てんぐうそうあきら請居ふつくつみなよく講習こうしゅうぜんえんなが恨。……ただしどう沈君,請住かわらかんひらけ法華經ほけきょうだい。……おきすめらぎほうろうもりひろしりゅういつきさら高足こうそく,構難るいしゅん。……とまかわらかんはちこう大智たいちろん》,せつ次第しだい禪門ぜんもん》。こうむだまこれえきしゃりゃくなんしょう。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「ぼくしゃじょりょう尚書しょうしょとうあきらもちがくすべしゃく儒。なみ稟禪とし,俱傳ほう。欣重頂戴ちょうだいしょさかえおおせちょうてら大德だいとくさとしべんのべにゅうそう熙。天宮てんぐう寺僧じそうあきら,請居ふつくつ。斯由どう弘行ひろゆきかんため彥齊むかえ。……綿めんれきはちしゅうこうさとしろん》,肅諸らいがくつぎせつ禪門ぜんもん》,よう清心せいしんかい。」
  20. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「むかし南嶽みなみだけ,及始ずみ江東こうとうほうきょう屢明こころ絃。かずおうはつかわらかんよんじゅうにんどもすわじゅうにんとくほうつぎねんひゃく餘人よにんどもすわじゅうにんとくほうつぎねんひゃくにんどもすわげんじゅうにんとくほう。其後眾轉とくほううたてすくなさまたげわがくだりどう可知かちぐんけんかく隨所ずいしょやすわれよくしたがえわれこころざし。蔣山きん避喧しょ。聞天台地だいちたたえゆう仙宮せんきゅうしろどう所見しょけんしゃしん矣。やまようよもぎ萊,まごきょうこうげんとく矣。わかいきえん,茲嶺ついばめほういん澗,てん平生へいぜいねがい也。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「かたりだまこれさいまいおもえりんさわ。乃夢いわおがけまんじゅうくもはんたれ。其側滄海そうかいほとり,泓澄ざい于其また一僧搖手申臂,いたり于岥ふもと,挽顗上山かみのやま云云うんぬん。顗以夢中むちゅう所見しょけん通告つうこく門人もんじん。咸曰。此乃かい稽之天台山てんだいざん也。……いんあずかとしべんとうじゅう餘人よにんはさみどうみなみせいかくれ淪斯だけ。……とき以陳ふとしけんななねんあききゅうがつ矣。」
  21. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「ひねせんみかどゆう敕留れんじょぼくしゃずみ涕請じゅう。匪從物議ぶつぎちょくゆび東川ひがしがわそくちんふとしけんななねんあききゅうがつはつにゅう天台てんだい。……ゆう一老僧引之而進曰:『禪師ぜんじわかよくづくりてら山下やましたゆう皇太子こうたいしてらもと,捨以おおせきゅう。』いん而問曰:『とめ如今くさしゃなおむずかしとうなんのう辦此てら?』ろうそうこたえうん:『こん其時。三國みくにしげるいちゆうだい勢力せいりょくじんのうおこり此寺。てらわかなりこく則清のりきよとうよびため國清寺こくせいじ。』……有定ありさだこう禪師ぜんじさんさんじゅうあとみそ道明どうみょうえき狎難識。ゆうしょかかみなあらわけん。其夕乃宿定光じょうこう草庵そうあん。……仍於こうしょじゅう北峰きたみね創立そうりつ伽藍がらん。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「顗乃卜居ぼっきょ勝地しょうちこうしょじゅうきたふつ壟山みなみにしけいこれげんしょ。……於是聿創くさ菴,以松はてすうねんあいだみやつこてんしょうしたがえふくなり衢會。ひかり曰:『且隨よろし安堵あんどいたり國清くにきよさんぽう總一そういちとうゆう人為じんい禪師ぜんじりつてら堂宇どうう滿山まんざん矣。』」
  22. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「てらきたべつほうよびためはないただきとうながめぐんやま,暄涼ながことあまりしょ先師せんし捨眾,獨往どくおう頭陀ずだゆるがせ於後よる大風おおかぜ拔木,かみなり震動しんどうやま魑魅すだませんぐんいちかたちひゃくじょうあるあたま戴龍虺,あるくちほしがた如黑くもこえ霹靂へきれき,倏忽轉變てんぺん不可ふかしょうけい。……またさく父母ちちはは師僧しそうかたち,乍枕乍抱,悲咽流涕りゅうていただしふかねん實相じっそうからだたちほん憂苦ゆうくこれしょうひろふく消滅しょうめつつよえんしょ能動のうどう明星みょうじょうかみそうげん……すんでやす慰已,ふくため說法せっぽう。……そく便びんとい曰:『大聖たいせいなに法門ほうもんとううんなんがくうんなんひろしせん?』こたえ:『此名いちじつたいがく般若はんにゃ宣之のぶゆき大悲だいひ。』」
  23. ^ たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「いたりちんふとしけんななねんはついれ天台てんだいどきねんさんじゅうはちいたりふとしけんきゅうねん,敕置修禪寺しゅぜんじ。」
  24. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「しかふつ隴艱阻,ふねしゃいたりとしすんでしつみのりそう眾隨えんどもとし綽種苣拾とちやすひん慼。にわか而陳せんみかどみことのりうん:『禪師ぜんじ佛法ぶっぽうゆうすぐるたくみしょむねくんけん道俗どうぞく國之くにゆきもち也。むべわりはじめゆたかけん調ちょう,以充眾費,蠲兩みんようきゅう薪水しんすい。』眾因さら聚,また不為ふため欣。
  25. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「ちんしょうしゅ顧問こもん群臣ぐんしん:『釋門しゃくもんだれため名勝めいしょう?』じょりょうたい曰:『かわらかん禪師ぜんじとく邁風しもぜんかんふちかいむかしとおゆうきょう邑,ぐん賢所かしこどころむねこんこうあゆみ天台てんだいほうくもひがし靄,えいようおう北面ほくめんおやうけたまわねがい陛下へいかみことのりかえ弘法ぐほう使つかい道俗どうぞく咸荷。』ちんしゅはつつてせん左右さゆうちょうくんきょうさいおもしょしゅかみなり,三傳遣詔,四遣道人法昇。みなみかど手書しゅしょ,悉稱やまし不當ふとうひねぬしとげ仗三使さら敕州あつし請。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「ひねみかど意欲いよくめんれいはたさる謁敬。『釋門しゃくもんだれため名勝めいしょう?』ちんそう曰:『かわらかん禪師ぜんじとく邁風しもぜんきょうふちかいむかし在京ざいきょう邑,ぐん賢所かしこどころむねこんこうあゆみ天台てんだいほうくもあずましげるねがい陛下へいかみことのりかえ使つかい道俗どうぞく咸荷。』いんくだ璽書,じゅうくつちょういれ。顗以じゅうほうつとむ賤其,乃辭こう為永ためながよう諫,いんまたくだみことのり前後ぜんごなな使つかいなみみかどしゅ疏。顗以どうどおりおもんみじんおうためほうよせとげいで焉。むかいにゅう太極たいきょく殿どの東堂とうどう,請講《さとしろん》。」
    たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「いたりじゅうさんねんみかど請出鄴。」
  26. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「しかきょれい耀,ため褊隘。さらもとめ閑靜かんせいたて眾安ぜんゆるがせゆめいちにんつばさしたがえいむせい稱名しょうみょうかんむりたち,請住さんきょううん:『かんむりいたるりょう武法たけのりめいさんきょうあにひかりたく!』とげうつりきょ。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「まつためれい曜褊隘,さらもとめ閑靜かんせいゆるがせゆめいちにんつばさしたがえ嚴正げんせい自稱じしょうめいうん:『かんむり達也たつや。請住さんきょう。』顗曰:『かんむりいたるりょう武法たけのりめいさんきょうあにひかりたく耶!』乃移きょ。」
  27. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「其年よんがつちんしゅこうてら捨身しゃしんだいほどこせまたこう仁王におう般若はんにゃ。敘經纔訖,ちんしゅ於大おだい眾內おこりれい三拜さんぱい俯仰ふぎょういんつとむ,以彰敬重けいちょう太子たいしやめなみたく舟航しゅうこう,咸宗戒範。……皇太子こうたいし請戒ぶんうん:……いまがつにち,於崇正殿せいでんしつらえ千僧せんぞ法會ほうえたてまつ請為菩薩戒ぼさつかい。」
  28. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「かねりょうすんではいさくつえ荊湘,路次ろじぼんじょうゆるがせゆめろうそう曰:とうただしみずぞうけいこごめ守護しゅご。於是往憩ただしさんめぐみどお圖像ずぞうけんかりもん法師ほうしれい也。にわか而潯はん叛,てら宇焚しょうどくゆう茲山,ぜんおかせ擾。まもるぞうこう,其在此矣。」
  29. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「はたたかしおう聞風のべこごめ先師せんしたい使つかい而言:『雖欲しょうおわりおそれえん。』すんで而王じん催促さいそくさことくどめはたよく解纜かいらんゆるがせ值大ふうるいしゅんあいだ,妖賊そつおこり水陸すいりく壅隔,とげ成行しげゆき。」
  30. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「至尊しそんむかしかん淮海,萬里ばんり廓清かくせい,慕義たかしけんかえり如舍,使つかい招引,たばはち赴期。うん:『わがあずか大王だいおうふかゆう因緣いんねんじゅんすいふう不日ふじつ而至,菩薩ぼさつ律儀りちぎそくしたがえ稟受。』……。請戒ぶん曰:……以今ひらきすめらぎじゅういちねんじゅういちがつじゅうさんにち,於總かん金城きんじょう殿どのしつらえせんそうかいけいこごめ菩薩戒ぼさつかい戒名かいみょうためこうまためい制止せいし。……うん:『大王だいおう紆遵せいきんめい曰總。』おう曰:『だい師傳しでん佛法ぶっぽうとうしょうため智者ちしゃ。』」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「かい大業おおわざざいはんにんそう淮海,うけたまわふう佩德,欽注しょう仍。よく遵一戒法,たてまつ以為。乃致しょるい請。……いまひらくすめらぎじゅういちねんじゅういちがつじゅうさんにち。於揚しゅうそうかんてらじょうしつらえせんそうかいけいこごめ菩薩戒ぼさつかい戒名かいみょうためこうまためい制止せいし。……つげ曰:『だいためとおずみためむね名實めいじつしょうよしけいやくこん法名ほうみょうためそう也。もちいあいけん道也みちや。』おういただき受其むねきょう,曰:『大師だいしぜんとし內融,しるべほうさわ。輒奉めいため智者ちしゃ。』」
  31. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「すんでとしやめあきら福庭ふくばしょうけん,於當けんだま泉山いずみやま而立じりつ精舍しょうじゃこうむ敕賜がくごうためいちおとじゅうあらためためだまいずみ。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「便びん泝流上江うわえじゅうひろただしみねゆい行道ぎょうどうしきかんきゅうちょうひゃくえつそう,聞風いたりしゃるい迹相づくりまたうえなぎさ宮鄉みやごう壤,以答生地きじおん也。道俗どうぞくのべ頸,老幼ろうようしょう携。戒場かいばこうすわ,眾將及萬。とげ於當けんだまいずみ山立やまだち精舍しょうじゃみことのりきゅうてらがくめいためいちおと。」
    たたえしか止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「いたりちん貞明さだあきさんねんそくずいひらきすめらぎじゅういちねん,旋荊おけてら,以答おんはついちおとあらためだまいずみいずみしょく如玉,いん以名焉。」
  32. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「其年おう使奉迎ほうげい,荊人たがえ覲,むこうかたはるかあや,臨岐もちぜっすんで而重くつこう道俗どうぞくさいはせ欣戴。……智者ちしゃしきめん,乃著《きよしめいけい疏》。河東かわとうやなぎ顧言東海とうかいじょりょうなみざい華族かぞく胄,おう奉文ともゆきよし,緘封寶藏ほうぞうおう躬受。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「其年,すすむおうまたのこ疏,請還。……れいみやつこきよしめい疏,河東かわとうやなぎ顧言,東海とうかいじょただしなみざい華冑かちゅう績,おう奉文ともゆき。緘封寶藏ほうぞうおう躬受。」
  33. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「こんおう入朝にゅうちょうかえり東嶺ひがしみねくれみんえつぞく掃巷。よなげみぞ沿道えんどうれいまき旛華交候。てらきゅうしょ荒廢こうはい,凡一じゅうにん蹤久だんたけじゅなりりん。……侍者じしゃさとし晞明だんけい曰:『しん昨夜さくやなん因緣いんねん?』こたえ曰:『……此死しょうげん也。われ憶小ゆめとうおわり此地,所以ゆえんごと歸山きさんいまたてまつめいつげいきおいとうひさこうやす厝西南峰みなみみねしょゆびるいせきしゅうかばね植松うえまつくつがえ坎。だてしろとう使つかい人見ひとみしゃはつ菩提心ぼだいしん。』」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「ときぐう入朝にゅうちょう,旋歸だいだけ。躬率禪門ぜんもんさらぎょうまえ懺。仍立ちかいうん:『わか三寶さんぼう有益ゆうえきしゃ當限とうぎり此餘ねんわか其徒せいねがいそくしたがえ。』ひさつげ眾曰:『われとうそつ此地矣,所以ゆえんごとよく歸山きさんいまたてまつめいつげいきおいとうしょうつき死後しごやす措西南峯みなみみねじょう。』」
  34. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「其冬じゅうがつすめらぎじょうかえりしげるくだりさんだか孝信たかのぶ入山にゅうざん奉迎ほうげい。……しめぎてらもとやめずいしん出山でやまぎょういたり石城せきじょう,乃云ゆうやましいいさとしえつうん:『大王だいおうよく使われらいわれまけげん而來也。われ知命ちめいざい此,須進ぜん也。』石城せきじょう天台てんだい西門にしもんてんふつ當來とうらい靈像れいぞうしょしょ。……以大ずいひらきすめらぎじゅう七年歲次丁巳十一月二十四日未時入滅。春秋しゅんじゅうろくじゅうそうなつよんじゅう。」
    みちせんぞく高僧こうそうでんまき17〈ずい國師こくし智者ちしゃ天台山てんだいざん國清寺こくせいじしゃくさとし顗傳〉:「またみことのり維那:『人命じんめいはたおわり,聞鍾かおるごえぞう正念しょうねんただちょうただひさしつきためうんなんひえほうふくひびきかおる世間せけん哭泣ちょふくみなおうさく。且各默然もくぜんわれはた矣。』げんやめ端坐たんざ如定,而卒於天だい山大やまだい石像せきぞうまえ春秋しゅんじゅうろくじゅうゆうななそくひらけすめらぎじゅうななねんじゅういちがつじゅうにち也。
  35. ^ Wright:《中國ちゅうごく歷史れきしちゅうてき佛教ぶっきょう》,ぺーじ59。
  36. ^ 灌頂せんずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「臨終りんじゅううん:『……われ知命ちめいざい此,須進ぜん也。石城せきじょう天台てんだい西門にしもんてんふつ當來とうらい靈像れいぞうしょしょすんでこのみむべ最後さいご用心ようじんころも道具どうぐぶん滿まん兩分りょうぶんいちふんたてまつ彌勒みろくいちふんたかし羯磨。』やめみぎわき西向にしむき而臥,せんたたえわたる陀、般若はんにゃ觀音かんのん。……われこんひさ當為とうい此輩,やぶじょうたぐそしかんしんろんやめかい今更いまさらむくいなんじわれりょう眾,必淨六根ろっこんためそんおのれただ品位ひんいみみなんじといなん生者しょうじゃわれしょ師友しゆう侍從じじゅう觀音かんのんみな來迎らいごうといだれむねおおせあに曾聞ひさげまたなんじわれつねせつ四種三昧是汝明導。」
  37. ^ 訶止かん》:「また佛子ぶっしおさむ種種しゅじゅぎょう以求佛道ぶつどうぎょうほう眾多略言りゃくげん其四:いちつねすわ常行つねゆきさんはんぎょうはんすわよん非行ひこうすわ。……《だいろんうん善心ぜんしんいちしょじゅう不動ふどうめい三昧ざんまい法界ほうかいいちしょせいかんのうじゅう不動ふどうよん行為こういえんかんこころ藉緣調ちょうじきしょうさん昧也。
    • いちつねすわしゃ文殊もんじゅせつ》《文殊もんじゅといりょう般若はんにゃめいためいちぎょう三昧ざんまい。……ひらくつねすわ,『さえぎぎょうじゅう。……
    • 常行つねゆき三昧ざんまいしゃ……此法《般舟三昧ざんまいけいこぼしためふつりつ……のう於定ちゅう十方じっぽう現在げんざいほとけざい其前りつ,如明じんきよよるかんほし十方佛亦如是多,めいふつりつ三昧ざんまい。……
    • さんあかりはんぎょうはんすわ……此出けい。《ほうひとしうんひゃくじゅう匝却坐思惟しい。《法華ほっけうん其人わかゆきわかたて讀誦とくしょうけいわかすわ思惟しいけいじょう六牙白象現其人前。故知こち俱用はんぎょうはんすわため方法ほうほう也。……
    • よん非行ひこうすわ三昧ざんまいしゃうえ一向用行坐,此既ことじょうためなり四句故名非行非坐,じつ通行つうこうすわ一切いっさいこと,而南だけよびためしたがえおこりそくおさむ三昧ざんまいだいしなたたえさとし三昧ざんまい趣向しゅこうみなさとし識明りょう,雖復さん名實めいじつ一法いっぽういまけいしゃくめいさとししゃあきらりょう也,しゃしんすうしんしょ)也,三昧ざんまい如前しゃく行者ぎょうじゃしんすうおこり反照はんしょう觀察かんさつ動轉どうてん根原ねばら終末しゅうまつらいしょしょめいさとし。……よんしゅ三昧ざんまい方法ほうほうかくことかんそくどう。」
  38. ^ あきらやす灌頂ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでん》:「智者ちしゃ弘法ぐほうさんじゅうねん畜章疏,やす無礙むげべんちぎりぶんていせい天智てんじ世間せけんしょふくゆうだいかん乃為ちょぶん奉勅ほうちょくせんきよしめいけい疏》,いたり佛道ぶつどうひんためじゅうはちかん。《さとし三昧ざんまいいちかん。《ろくみょうもんいちかん。《法界ほうかい次第しだいあきらもんさん百科ひゃっかはじめちょろくじゅうためさんかん。《しょう止觀しかんいちかん。《法華三昧ほっけざんまい行法ぎょうほういちかんまたつねざい高座こうざうんわかせつ次第しだい禪門ぜんもんいちねんいちへんわかちょあきら疏可じゅうかんわかせつ法華ほっけげんよし》并《えんひたぶる止觀しかん半年はんとしかくいちへんわかちょあきら疏各さんじゅうかん。此三法門皆無文疏,こう授而やめだい莊嚴寺しょうごんじほうまき私記しき禪門ぜんもんはつぶんとくさんじゅうかんなお刪定而法まきおわり國清寺こくせいじ。灌頂私記しき法華ほっけげんはつぶんとくじゅうかん止觀しかんはつぶんとくじゅうかんほうのぞみさい聽畢其首尾しゅびかい智者ちしゃ涅槃ねはん。」
    慈雲じうん遵式天竺てんじくべつしゅう·天台てんだいきょうかん目錄もくろくじょ》:「……ただ法華經ほけきょう疏,いただきじゅう七於金陵聽受,ろくじゅう九於丹丘添削十卷成文,だいため文句もんくまた智者ちしゃとまかわらかん八載講大智度論,而不うんゆう記章きしょう疏。しょうからひらけもと岑法於智しゃふんぜんこく石柱せきちゅううん大智たいちろんじゅうかん,甞詢しょ先達せんだつ未見みけん其文。ふく於丹おかれい石寺いしてらえんじ涅槃ねはんひゃく解脫げだつためまんつて後世こうせいため灌頂歎息たんそく自餘じよしょざつ疏論莫能悉舉,みな備書於後。」
  39. ^ みちせんだいから內典ろく》:「えんひたぶる止觀しかん(十卷於荊州玉泉寺說沙門灌頂筆記)、ぜん波羅蜜はらみつもん(十卷於金陵瓦官寺說沙門法慎記)、維摩けい疏(さん十卷隋帝請出并前玄十卷後玄六卷)、法華ほっけげん(じゅうかん沙門しゃもん灌頂筆記ひっき)、法華ほっけ疏(じゅうかん沙門しゃもん灌頂筆記ひっき)、しょう止觀しかん(かん)、ろくみょうもんさとし三昧ざんまい法華三昧ほっけざんまいかんしんろんさんかんよしよん教義きょうぎよん悉檀よし如來にょらいことぶきりょうよし法界ほうかい次第しだいあきら(さんかん)、大方おおがたとう行法ぎょうほう、般舟しょうしょう行法ぎょうほう、請觀おん行法ぎょうほう南嶽みなみだけおもえ禪師ぜんじでんみぎじゅうきゅうはちじゅうななかん天台山てんだいざん沙門しゃもんしゃくさとし顗撰。」
    最澄さいちょう傳教大師でんぎょうだいし將來しょうらいうてなしゅうろく》:「妙法みょうほう蓮華れんげけいげんじゅうかん(智者ちしゃ大師だいし)…妙法みょうほう蓮華れんげ經文きょうもんじゅうかん(智者ちしゃ大師だいし)…妙法みょうほう蓮華れんげけい觀音かんのんひんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…妙法みょうほう蓮華れんげけい觀音かんのんひんかん(智者ちしゃ大師だいし)…妙法みょうほう蓮華れんげけい懺法いちかん(あるめい三昧ざんまい行法ぎょうほう)(智者ちしゃ大師だいし)…訶止かんじゅうかん(智者ちしゃ大師だいし)…ぜんぶんおさむしょう(禪門ぜんもんおさむしょう?)じゅうかん(智者ちしゃ大師だいし)…禪門ぜんもんしょういちかん(智者ちしゃ大師だいし)…禪門ぜんもん要略ようりゃくいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…おさむぜんろくみょうもんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…くちけつぜんほういちかん(智者ちしゃ大師だいし)…かんしんろんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…しょう止觀しかんいちかん(まき上智じょうちしゃ大師だいし)…さとし三昧ざんまいいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…雜觀ざっかんぎょういちかん(智者ちしゃ大師だいし)…金光かねみつあきら懺法いちかん(智者ちしゃ大師だいし)…維摩けいげんろくかん(智者ちしゃ大師だいし)…よんきょうじゅうかん(智者ちしゃ大師だいし)…方便ほうべんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…法界ほうかい次第しだいさんかん(智者ちしゃ大師だいし)…金光かねみつあきらけいげんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…金光かねみつあきらけいさんかん(智者ちしゃ大師だいし)…菩薩戒ぼさつかいけいかん(智者ちしゃ大師だいし)…請觀おんけいいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…かん無量むりょうことぶきけいいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…阿彌陀あみだけいいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…えんきょうろくそくいちかん(智者ちしゃ大師だいし)…天台てんだい闕本目錄もくろくあい疏并とういちじつ肆部肆拾いちまき仁王におう般若はんにゃけいよんかんきむつよし般若はんにゃけいいちかん彌勒みろく成佛じょうぶつけいかんしゃくろんじゅうかんさんかんかんかんこころしゃく一切經いっさいきょういちかんしゃくじゅう如是にょぜいちかん(智者ちしゃ大師だいし)、しゃく一切經いっさいきょうげんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)、なながくじんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)、なな方便ほうべんいちかん(智者ちしゃ大師だいし)、いちさん四身よつみ義一ぎいちしょう止觀しかんいちかん(まき)、かんこころじゅうほういちかん、般舟三昧ざんまい行法ぎょうほういちかんひらけもとじゅう二年龍泉寺岑法師與僧道謀所書智者大師墳前右柱碑上…天台てんだいずい目錄もくろくあいざつとういちひろえ
    圓仁えんにん入唐にっとうしんもとめ聖教せいきょう目錄もくろく》:「仁王におう般若はんにゃけいさんかん(天台てんだい)…さんかんかん(天台てんだい大師だいしせん)…しょう止觀しかんいちかん(下卷げかん 天台てんだい大師だいしせん)…行法ぎょうほうとう懺悔ざんげほういちかん(天台てんだい)…智者ちしゃ大師だいしおさむ三昧ざんまい常行つねゆきほういちかん方便ほうべん念佛ねんぶつもんいちかん(智者ちしゃ大師だいしじゅつ)…かんこころゆうこうけついちかん(さとし顗大じゅつ)」
    圓珍えんちんさとししょう大師だいし請來しょうらい目錄もくろく》:「妙法みょうほう蓮花れんげけいげんじゅうかん(天台てんだい)…妙法みょうほう蓮花れんげ經文きょうもんさんほんさんじゅうかん(天台てんだい)…妙法みょうほう蓮花れんげ經文きょうもんさんかん(だいいちさん天台てんだい)…訶止かんじゅうかん(天台てんだい)…訶止かんいちじゅうよんかん(天台てんだい)…金光かねみつあきらけいげんいちかん(天台てんだい)…金光かねみつあきら經文きょうもんさんかん(天台てんだい)…禪門ぜんもん要略ようりゃくいちかん(天台てんだい)…智者ちしゃ大師だいしこうけついちかん(天台てんだい)…かんこころ誦經じゅきょうほう并發願文がんもんいちかん(天台てんだい)…かんしんろんいちかん(天台てんだい)…りゃくあきらひらき矇初がく坐禪ざぜん止觀しかんよういちかん(あるめいしょう止觀しかんあるためりょうまき天台てんだい)…かんしょくほういちかん(天台てんだい)…きむつよし般若はんにゃけいいちかん(天台てんだい)…法界ほうかい次第しだいさんかん(冊子さっし 天台てんだい)…菩薩戒ぼさつかいけいかん(天台てんだい)…天台てんだい智者ちしゃ大師だいしろく禮文れぶんいちかん(天台てんだい)…天台てんだい智者ちしゃ大師だいし金光かねみつあきら懺儀いちかん(天台てんだい)」
  40. ^ 40.0 40.1 * ふつこうだい辭典じてん. 仁王におう護國ごこく般若はんにゃけい. [2021-07-03]. (原始げんし内容ないようそん于2021-07-09). 本書ほんしょ注釋ちゅうしゃく方式ほうしきあずか天台てんだい三大部等大致相同,以じゅうげんよしよんしゃくひとし解釋かいしゃくけいただ釋義しゃくぎ缺乏けつぼう生動せいどうあるため後人こうじん假託かたくしゃく 
  41. ^ 41.0 41.1 新編しんぺんしょ宗教しゅうきょうぞうそうろく》:「きむつよし般若はんにゃけい いちかん(たけうん後人こうじんにせせんまちかん) 天台てんだいせつ
    ひがしいき傳燈でんとう目錄もくろく》:「(きむつよし般若はんにゃけいどうけいいちかん(天台てんだい顗禪せん往年おうねん披見ひけんあずかはじめ註不ほんむねまたうたぐ)」
  42. ^ 42.0 42.1 けい. 淨土じょうどかいしゃく傳統でんとうちゅうてき宗門しゅうもん意識いしき ──ろんそう天台てんだい學者がくしゃたいげんあきらかん無量むりょうことぶきけい疏》批判ひはん及其しょ造成ぞうせい反響はんきょう. 中華ちゅうか佛學ぶつがくがくほう. 2001 [2020-06-25]. (原始げんし内容ないようそん于2012-10-11). 以《かん無量むりょうことぶき佛經ぶっきょうてき註疏ちゅうそらいせつよりどころしょう天台てんだいさとし顗(538~597)所作しょさてき疏(以下いかたたえ天台てんだいかんけい疏》ある天台てんだい疏》),就採用さいようしょうきよしかげ慧遠えおん(523~592)よし疏之見解けんかいゆう慧遠えおん疏的成分せいぶんざい內,ただししつ仍為いち嶄新さく天台てんだい學者がくしゃ仍然みこと而不うたぐ 
  43. ^ 43.0 43.1 やまさとしえん阿彌陀あみだけい疏》:「有彌あや陀經疏,日東にっとう傳來でんらいごと智者ちしゃせつしゃ也。俚義うとりょう倭人わじん假託かたく乎?」
  44. ^ 天台てんだい方便ほうべんもんから寫本しゃほん. [2022-02-11]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-03-05). 
  45. ^ らくくに遺稿いこう智者ちしゃ大師だいし念佛ねんぶつ方便ほうべんもん智者ちしゃ大師だいし念佛ねんぶつ禪門ぜんもんよんきょうはなれねん. [2022-02-11]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-06-15). 
  46. ^ 佐藤さとうあきらえい. せいくらいんひじり藏本ぞうほん天台てんだい大師だいし方便ほうべんもんについて. 印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅう. 1954, 2 (2): 43-50 [2020-06-23]. (原始げんし内容ないようそん于2020-06-26). 
  47. ^ 慈雲じうん遵式天竺てんじくべつしゅう·天台てんだいきょうかん目錄もくろく》:「法華ほっけげんじゅうかん法華ほっけ文句もんくじゅうかん訶止かんじゅうかんぜん波羅蜜はらみつじゅうかん、維摩げんかん金光かねみつあきらげんいちかん金光かねみつあきら文句もんくさんかん菩薩戒ぼさつかいかん法華ほっけ次第しだい(法界ほうかい次第しだい?)さんかん觀音かんのん品別しなわけぎょうげんかん觀音かんのんひんかんかん無量むりょうことぶき佛經ぶっきょういちかんきむつよしけいいちかん、請觀おんけいいちかんよん教義きょうぎよんかんしょうわたる陀義いちかん法華三昧ほっけざんまいいちかんよんねんしょよんかんかんしんろんいちかんほうひとし懺儀いちかんさとし三昧ざんまいいちかんおさむぜんろくみょうもんいちかん禪門ぜんもん口訣くけついちかん(已上いじょうななじゅう六卷智者說聖朝新編入大藏)。…さとしろんじゅうかん仁王におう般若はんにゃかん(こん在日ざいにち本國ほんごく)、彌勒みろく成佛じょうぶつけいかん彌勒みろく上生わぶけいいちかんしゃく一切經いっさいきょうげんいちかん坐禪ざぜん止觀しかんいちかんかんこころしゃく一切經いっさいきょういちかん方便ほうべんもんいちかんなな方便ほうべんいちかんいちさん四身よつみいちかんなながくじんいちかん、般舟しょうしょう行法ぎょうほういちかん法門ほうもんいちかん禪門ぜんもん要略ようりゃくいちかん禪門ぜんもんしょういちかん雜觀ざっかんぎょういちかん入道にゅうどうだいむねいちかん(已上いじょう四十一卷智者說今闕本)。さんかんかんよん悉檀かんよんしゅ三昧ざんまいいちかんしゃくじゅう三昧ざんまいいちかんろくそくいちかんしゃくじゅう如是にょぜいちかん如來にょらいことぶきりょういちかん(已上いじょう九卷智者說今參入大部)。維摩げんじゅうはちかん淨土じょうどじゅううたぐろんいちかんしょう止觀しかんいちかんかんしんしょくほういちかんかんこころ誦經じゅきょうほういちかんかんしんじゅうけいいちかん(已上いじょうさんじゅう三卷智者說其本現存但不入大藏)。」
  48. ^ みちせんだいから內典ろく》:「よんねんしょかん(よんかん)天台山てんだいざん國清寺こくせいじひゃくろく(かん)金光かねみつあきら行法ぎょうほうおさむぜんしょうしょう口訣くけつ天台てんだい智者ちしゃ別傳べつでん杭州こうしゅうしんかん法師ほうし別傳べつでんみぎじゅう三卷天台山國清寺沙門釋灌頂撰。」
  49. ^ しゃくただし. 天台てんだいほうよんきょう三藏さんぞうきょう研究けんきゅう──以《きょうかんつなむねため. 大藏經だいぞうきょうぜん解說かいせつだい事典じてんうん:「經過けいか考察こうさつ實際じっさい弟子でし灌頂以《大本おおもとよん教義きょうぎため指南しなんしょ參照さんしょう訶止かん》而著。」鎌田かまた茂雄しげおとうちょ,(東京とうきょう雄山閣ゆうざんかく平成へいせい10ねん初版しょはん),ぺーじ561。……佐藤さとうあきらえい於(つづけ).《天台てんだい大師だいし研究けんきゅうちゅうゆう詳細しょうさい論證ろんしょう「《よんねんしょよんかん灌頂てき著作ちょさく。」(京都きょうとひゃくはなえん昭和しょうわ56ねん),ぺーじ434。 
  50. ^ ただしたいら. ろんそうだい天台宗てんだいしゅう山家やまがやまがいそう (PDF). ひろしもんがくほう. 2001 [2020-06-23]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2020-06-26). せき於《金光かねみつあきらけいげんよしこうりゃくほん真偽しんぎ問題もんだいてき爭論そうろんさとし顗所ちょ金光かねみつあきらけいげんよし》,ざいそうけいとくいち○○よんいち○○ななぜんゆうひろりゃくほん同時どうじ流通りゅうつうこう本有ほんゆうじょうしたかん上卷じょうかんしゃく教義きょうぎ下卷げかんろんかんこころ;而略本則ほんそく下卷げかんそくぼつゆうかんしんろんてき部分ぶぶん。……需要じゅよう指出さしでてき,這一場爭論的實質並不僅僅是《金光かねみつあきらけいげんよし廣本ひろほんためさとし顗所さくてき問題もんだい,而是如何いか理解りかいかんしん」這一天台宗之核心教義的問題。 
  51. ^ 中山なかやま正晃まさあき. れいさとし えん (PDF). 印度いんどがく佛學ぶつがく研究けんきゅう. 1966 [2020-06-23]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2020-06-23). 
  52. ^ ちょう曜鐘. ばと什譯《きむつよし般若はんにゃ波羅蜜はらみつけいこうしゃく. ふつこう人文じんぶん社會しゃかい學院がくいん文學ぶんがく研究所けんきゅうじょ. 2003. 
  53. ^ 鵜飼うかいひかりあきら. しゃれいうんきむつよし般若はんにゃけいちゅう』の基礎きそてき研究けんきゅううえ):そうはじめせんつたえられる『きむつよしけい註』いちかんとの関係かんけいについて (PDF). 佛教ぶっきょう大學だいがく大學院だいがくいん研究けんきゅう紀要きよう. 1992, 20 [2021-05-01]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2021-05-04). そうはじめせんつたえられる『きむつよしけい註』いちかんしゃれいうんしるわした『きむつよし般若はんにゃけいちゅう』との関係かんけい究明きゅうめいつうじて、散逸さんいつしたとかんがえられてきたしゃれいうんの『きむつよし般若はんにゃけいちゅう』が現存げんそんしていることを証明しょうめいすることによ 
  54. ^ ふつこうだい辭典じてん. きむつよし般若はんにゃけい. [2020-06-24]. (原始げんし内容ないようそん于2020-06-26). 本書ほんしょ採用さいようじゅうげん義之よしゆき釋義しゃくぎなみ以序、ただし流通りゅうつうとうさんふん解釋かいしゃく經文きょうもんしか書中しょちゅうなん圓融えんゆうこれてん甚多,而不さとし特有とくゆう解釋かいしゃく風格ふうかくおそれがかり後人こうじんかり藉之さくあるさとし顗初しょじゅつ,而由つくりじんひつろく 
  55. ^ ふつこうだい辭典じてん. かん無量むりょうことぶき佛經ぶっきょう. [2020-06-25]. (原始げんし内容ないようそん于2020-06-27). 
  56. ^ 灌頂《止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「しか大師だいし生存せいぞんつねねがいせいかぶとりつ臨終りんじゅう乃云觀音かんのん來迎らいごう當知とうち軌物ずい順緣じゅんえんしつらえ不可ふかいちじゅん。」
  57. ^ 灌頂《ずい天台てんだい智者ちしゃ大師だいし別傳べつでんいただきてんふつ當來とうらい靈像れいぞうしょしょすんでこうむべ最後さいご用心ようじん衣鉢いはつ道具どうぐぶん滿まん兩分りょうぶんいちふんたてまつ彌勒みろくいちふんたかし羯磨。かたりやめみぎわき西向にしむき而臥。せんたたえわたる陀般わか觀音かんのん
  58. ^ 灌頂《止觀しかん輔行でんひろしけつまき1:「われりょう眾,必淨六根ろっこん,以損おのれえきただしくらいひんなま何處どこしゃわれしょ師友しゆうなみしたがえ觀音かんのんみな來迎らいごう。」
  59. ^ さとし顗講,灌頂訶止かんまき1:「智者ちしゃせい光滿みつましつげんそうひとみぎょう法華經ほけきょう懺,はつ陀羅尼だらにだい受法こう金字こんじ般若はんにゃちんずい二國宗為帝師。やすぜん而化,ひん。」
  60. ^ きよし沈善とう報恩ほうおんろくまき1:「此經(佛說ぶっせつ無量むりょうことぶきけいじょうやからとう出家しゅっけちゅうやからとう在家ありいえ,乃從其多數たすう大凡おおよそ。……智者ちしゃ大師だいし僅登ひん在家ありいえ也。りゅうのこみんさんふつころもくつがえとううえやから出家しゅっけ也。而凡はちすそうしょ,及維けんまもるとう一切いっさい緇素しそめい德之のりゆき往生おうじょうしゃれい可知かち矣。」
  61. ^ ぞく高僧こうそうでん》:「如吾ゆめむくいざいかぶとりつ宮殿きゅうでん青色あおいろきょてん西北せいほく智者ちしゃ大師だいし左右さゆうゆうしょ天人てんにんみなすわたからただ一座いちざどくそらわれとい所以ゆえんとううん:『灌頂卻後ろくねん當來とうらいのぼり此說ほう。』
  62. ^ しゃくせいひろ維基すう據所よりどころれつQ118941363さとし顗大晚年ばんねんとめ觀修かんしゅうしょう研究けんきゅう
  63. ^ 國清くにきよひゃくろくえいようおうかいこう疏第じゅうろく
  64. ^ しるしこうだい师《佛法ぶっぽう修行しゅぎょうどめへん法要ほうよう》:「智者ちしゃだい师,释迦化身けしん也。临终ゆう问:『审大师证いれなん?』こたえ曰:『わが领众,必净六根ろっこんそくじゅうしん)。损己じんただしとうひんそく观行)。』……实恐きさきじん证谓证,以身说法,れい其自惭愧,敢妄拟故みみ。」

外部がいぶ連結れんけつ

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