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はちせいみちぶん

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上座かみざ佛教ぶっきょう

佛教ぶっきょう大綱たいこうえいOutline of Buddhism 佛教ぶっきょう主題しゅだい
さんじゅうなな菩提ぼだいぶんほう
  よんねんじゅう  
  よんせいつとむ よん神足こうたり  
五根ごこん りょく
  ななさとしささえ   
  はち正道せいどう  

はちせいみちぶんともえとしAriyo aṭṭhaṅgiko maggo梵語ぼんごĀrya aṣṭāṅga mārgaḥ),またわけためはち正道せいどうはちひじりどうはちささえ正道せいどうはちささえ圣道、はちせいささえどう佛教ぶっきょう术语,ゆび佛教徒ぶっきょうと修行しゅぎょう达到最高さいこう理想りそう境地きょうち涅槃ねはんてき八种方法和途径,またしょうはちせんはちいかだ包括ほうかつせい見解けんかいせい)、せい思惟しいせいげんせい)、せい行為こうい正業せいぎょう)、せい生活せいかつせいいのち)、せい精進しょうじんせいねん正念しょうねん)、せい禪定ぜんじょうせいじょう梵语ただし也有やゆう“圆、全面ぜんめんてき意思いし。一般都將八正道作為戒、じょうとしさんがくてき展開てんかいさんじゅうなな菩提ぼだいぶんほう之總しそうゆい

字源じげん

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ざい梵文ぼんぶんちゅう,Ārya(まさとし)きよしてき意思いし。aṣṭa數字すうじはち,āṅgaささえ」、「ぶん」、「肢體したい,而mārgaḥためどう字面じめん直譯ちょくやくためはちせいみちぶん[1][2]あるはちささえせいみち

かん譯本やくほんちゅうためもとめ簡潔かんけつ通常つうじょうやくためはち正道せいどうあるはちひじりどう

內容

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はち正道せいどうせいせいおもえ維、せい正業せいぎょうせいいのちせい精進しょうじん正念しょうねんせいじょう。”佛弟子ぶつでし四聖諦修行的八步過程。四聖諦正見為主軸,以正てい目標もくひょう成就じょうじゅせいじょう才能さいのうてんどう智慧ちえ」。

せい

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またさくたいみるゆびてき是正ぜせいかくてき四聖諦和正確的增上次第[3][4][5]此依四聖諦尋伺五蘊等,也是正ぜせい見解けんかいぶんためさんるい邪見じゃけん[6]ゆうせい[7]せい[8]四聖諦有漏正見,だん外道げどう邪見じゃけんしか四聖諦有漏正見,輔助せい精進しょうじんぞうじょう(ゆう及無みなささえ)。

せい思惟しい

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またつくせいこころざし諦念ていねんせい思惟しいゆびせいたい而正かく思惟しい思惟しいせいたい見積みつもりしゅう如實にょじつ知見ちけんひとてんじょう學習がくしゅうてきだんさんゆい聲聞しょうもんじょう學習がくしゅうてきよんはて乃至ないし大乘だいじょうとうぞうじょうとくはなれひらき四聖しせいたい思惟しいまた分類ぶんるいため出離しゅつり思惟しい思惟しい無害むがい思惟しい[9] よこしま思惟しい[10]ゆうせい思惟しい[11]せい思惟しい[12]ひとし

せい

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またつくせいげんたい四聖諦正見而正思惟,成就じょうじゅせいそう及正せいそう及正妄語もうご(謊言ある虛妄きょもうたいこれ)、慢語、あくそし綺語きご暴語,とおはなれ一切いっさいおどけろん[13]せい语的とくせい为,適時てきじ真實しんじつ柔和にゅうわ有益ゆうえき慈愛じあい而語[14]佛陀ぶっだせんしょう需要じゅよう考慮こうりょ三個要素決定其是否說:はなし真實しんじつたい聽眾有益ゆうえきため聽眾しょあい[15][16]

佛教ぶっきょう佛子ぶっしやめおさむ四聖しせいたい,也應とう避免てき两種话题为:無益むえき徒勞とろうこれろん[17]いさかいろん[18]。而应とう谈论てきじゅう种话题包括ほうかつ少欲しょうよく知足ちそくとおはなれはなればく精進しょうじん、戒、じょうとし解脫げだつ解脫げだつ知見ちけん[19]

正業せいぎょう

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またさく正行まさゆきたいぎょうゆびひじりたい知見ちけんくだりせい造作ぞうさく,如活動かつどう行為こうい工作こうさくとう。也就殺生せっしょう五戒ごかいこれいち)、偷盜(五戒ごかいこれいち)、邪淫じゃいん五戒ごかいこれいち),不作ふさく一切いっさい惡行あくぎょう[20]

せいいのち

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またさくたい受。ゆびひじりたい知見ちけん而說ことぶきいのちあるゆびてきはかりごとせい手段しゅだんとおはなれ一切いっさい正當せいとうてき職業しょくぎょう[21]。於《おもね難問なんもんごとふつ吉凶きっきょうけいちゅう,谋生手段しゅだんぶん类为さん种:そくよこしまめいじゆうせいいのちせいいのち[22]


せい精進しょうじん

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またさくただし方便ほうべん正治しょうじたいいい正確せいかくてき努力どりょく克服こくふく種種しゅじゅ困難こんなんたくみほどこせ方便ほうべんれい未生みしょう惡心あくしんせいやめ生者しょうじゃれいだん使未生みしょう善心ぜんしん生起せいきやめせいてき善心ぜんしんおうちょうやしなえ[23]精進しょうじんゆび懈怠けたい、昏沉睡眠すいみん懈怠けたいゆび知正ともまさ而不おさむ,昏沉ゆび軟弱なんじゃくある沉滯,睡眠すいみんゆびきよし醒。

正念しょうねん

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またさくたい正念しょうねん就是ゆび憶記,よし聞知ぶんちせい經歷けいれきせい思惟しいせい正業せいぎょうせいいのちせい精進しょうじん久所ぐぞ曾習,久所ぐぞ曾聞,成就じょうじゅ正念しょうねんそくかい忘記[24] [25]

せいじょう

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またさく禪定ぜんじょうたいじょう四聖しせいたい知見ちけん經歷けいれき七正道而成就正諦確定、せいたい肯定こうていてき智慧ちえ[26]けんていうたぐてき定見ていけんたいせいてい無量むりょう。「おごちょうようせんちゅうたい散亂さんらん目的もくてき「輔助よんひじりたいぞうじょううたてどう智慧ちえおごめい禪定ぜんじょう外道げどう主張しゅちょう散亂さんらん分別ふんべつてきおさむじょうぼつゆう四聖諦智慧轉動,不能ふのうおさむてん四聖諦智慧增上的四禪定。

參考さんこう條目じょうもく

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參考さんこう文獻ぶんけん

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  1. ^ ざつおもね含經》まき28〈753けい〉:「おもねなし瑟吒比丘びくしろふつごと:『世尊せそん有道ありみちゆうあと修習しゅうしゅう修習しゅうしゅうとく甘露かんろほう?』ふつつげ比丘びく:『ゆう所謂いわゆるはちせいみちぶん——いいせい乃至ないしせいじょう。』 」
  2. ^ ざつおもね含經》(ななはちよん如是にょぜ我聞がもん一時いちじふつじゅうしゃまもるこく祇樹きゅう孤獨こどくえんなんじ世尊せそんつげしょ比丘びく:「ゆうよこしま有正ありまさたい聽,ぜんおもえ當為とういなんじせつ何等なんらためよこしまいい邪見じゃけん乃至ないしよこしまじょう何等なんらためただしいいせい乃至ないしせいじょう何等なんらためせいいいせつゆうほどこせゆうせつゆうときゆう善行ぜんこうゆう惡行あくぎょうゆう善惡ぜんあくぎょう果報かほうゆう此世、ゆうゆう父母ちちははゆう眾生せいゆう阿羅漢あらかんぜんいたぜんむこうゆう此世、さくしょう具足ぐそくじゅう:『わがなまやめつき,梵行やめりつ所作しょさやめさく受後ゆう。』何等なんらためせいこころざしいいようこころざし恚志、がいこころざし何等なんらためせいいいはなれ妄語もうごはなれ兩舌りょうぜつはなれ惡口わるぐちはなれ綺語きご何等なんらため正業せいぎょういいはなれころせぬすめいん何等なんらためせいいのちいい如法にょほうもとめ衣服いふく飲食いんしょくやく如法にょほう何等なんらため正方せいほう便びんいいよく精進しょうじん方便ほうべん出離しゅつりつとむきそえ堪能たんのう常行つねゆき退すさ何等なんらため正念しょうねんいいねん隨順ずいじゅんねん妄、きょ何等なんらためせいじょういいじゅうこころ不亂ふらん堅固けんごさびどめ三昧ざんまい一心いっしん。」佛說ぶっせつ此經やめしょ比丘びく聞佛所說しょせつ歡喜かんき奉行ぶぎょう
  3. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22 《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせい呢?しょさとししゅうさとしめつさとししるべいたりめつ道之みちゆきさとししょ,這稱ためせい。”
  4. ^ ともえとし大藏おおくら·相應そうおう》(まき45):“しょずいあかり於有智者ちしゃそくせいせい有正ありまさのりせいせい思惟しい有正ありまさ思惟しいそくせいせい有正ありまさのりせい正業せいぎょうゆう正業せいぎょうそくせいせいいのち有正ありまさいのちそくせいせい精進しょうじん有正ありまさ精進しょうじんそくせい正念しょうねんゆう正念しょうねんそくせいせいじょう。”
  5. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき117):“しかしょ!須先行正ゆきまさみる。”
  6. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき117):“ほどこせ供養くよう犧牲ぎせいしょ善行ぜんこう惡行あくぎょうぎょうじゅくはて此世,ははちちしょ化生かせい有情うじょう,於世しょ沙門しゃもん婆羅門ばらもんせいいたり正行まさゆき通達つうたつあかし此世、やめ而宣せつしょ!此為邪見じゃけん。”
  7. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき117):“ゆうほどこせゆう供養くよう犧牲ぎせいゆうしょ善行ぜんこう惡行あくぎょうぎょうじゅくはてゆう此世,ゆうゆうははゆうちちゆうしょ化生かせい有情うじょう,於世沙門しゃもん婆羅門ばらもんせいいたり正行まさゆきゆう通達つうたつあかし此世、やめ而宣せつしょ!此是正ぜせいゆう而有福分ふくぶんゆうはてしゃ。”
  8. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき117):“れい成就じょうじゅ聖心せいしんこころせい道者どうしゃため修習しゅうしゅうせいみち結果けっかとしとしとしりょくほうさとしささえせいみちささえしょ!此等ためせいきよし出世しゅっせみちささえしゃ也。”
  9. ^ ともえとし大藏經だいぞうきょう·長部おさべ》(まき22《だいねんしょけい》):“しょ什麼いんも是正ぜせい思惟しい呢?出離しゅつり思惟しい思惟しい無害むがい思惟しいしょ,這稱ためせい思惟しい。”
  10. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき117):“よく思惟しい、嗔思惟しいがい思惟しいしょ!此等ためよこしま思惟しい。”
  11. ^ ともえとし大藏經だいぞうきょう·中部ちゅうぶ》(まき117):“出離しゅつり思惟しい思惟しい無害むがい思惟しいしょ!此等是正ぜせい思惟しいゆう而有福分ふくぶんゆうはて。”
  12. ^ ともえとし大藏經だいぞうきょう·中部ちゅうぶ》(まき117):“以成就じょうじゅ聖心せいしんこころせい道者どうしゃ修習しゅうしゅうせいみち結果けっかおもえ思惟しいせんちゅうほそせんちゅうしんせんしらげかたりぎょうしょ!此等ためせい思惟しいきよし出世しゅっせ而有どうささえしゃ。”
  13. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせい呢?はなれ妄語もうごはなれ兩舌りょうぜつはなれ惡口わるぐちはなれ綺語きごしょ,這稱ためせい。”
  14. ^ ともえとし大藏おおくら·ぞう支部しぶ》(まき5しょう198):“們,具有ぐゆう五個要素的言語為善說,而非不善ふぜんため無疵むきず不為ふため智者ちしゃしょせめ備。呢?‘適時てきじ真實しんじつ柔和にゅうわ有益ゆうえき慈愛じあい而語’。”
  15. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき58):“如來にょらい其語ためしん不具ふぐ利益りえきしゃ,其因ため他人たにんしょあいところこのみしゃ如來にょらいそくかたり此語。また如來にょらい其語雖為如實にょじつ真諦しんたいしか不具ふぐ利益りえきしゃ,其因他人たにんしょあいところこのみしゃ如來にょらいまたかたり此語。しか如來にょらい其語ため真諦しんたい利益りえきしゃ,其因他人たにんしょあいところこのみしゃたい如來にょらいせつ其語しゃ也。また如來にょらい其語ためしん不具ふぐ利益りえきしゃ、雖然かれ他人たにんしょあいところよしみしゃ如來にょらいそくかたり此語。また如來にょらい其語ため如實にょじつ真諦しんたい不具ふぐ利益りえきしゃ,其因他人たにんしょあいところよしみしゃ,此語如來にょらいかたり此語。如來にょらい其語ため如實にょじつ真諦しんたい利益りえきしゃ,且彼他人たにんしょあいところよしみしゃたい此,如來にょらいそくごとかれせつ其語しゃ也。なに以故?王子おうじ如來にょらい於諸有情うじょうゆう憐憨こころ也。”
  16. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき61):“とう你以こうさくくちぎょうやめのりおう省察せいさつ你之こうぎょう:“わがやめさくくちぎょう危害きがい自己じこ嗎?危害きがい他人たにん嗎?倆害嗎?ため不善ふぜんなりはてほう嗎?”のど,如果省察せいさつ你知どうわがやめさくくちぎょう危害きがい自己じこ危害きがい他人たにん倆害,ため不善ふぜんなりはてほうのど!你之如是にょぜこうぎょうとうたい於師ちょう智者ちしゃどう梵行しゃ懺悔ざんげおう發露はつろおうあらわはつ懺悔ざんげやめ發露はつろやめあらわはつやめおう成就じょうじゅ將來しょうらい防護ぼうごただし如果你省察せいさつ你知どうわがやめさくくちぎょう危害きがい自己じこ危害きがい他人たにん倆害,ためぜんなりらくはてらくむくい麼你とう晝夜ちゅうやずいがくぜんほうじゅう喜悅きえつちゅう。”
  17. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき2):“ゆうぼう沙門しゃもん婆羅門ばらもん、受食しんじほどこせ生活せいかつ專心せんしんじゅう於無えき徒勞とろうこれろんれい如王ろん盜賊とうぞくろん大臣だいじんろん軍兵ぐんびょうろん恐怖きょうふろん戰爭せんそうろん食物しょくもつろん飲料いんりょうろん衣服いふくろんろん華鬘けまんろん香料こうりょうろん親族しんぞくろん乘具じょうぐろんむらうらろんさと鎮論、都市としろん國土こくどろん婦女ふじょろん英雄えいゆうろん路邊ろへんろん井邊いのべふうでんろん祖先そせんろんたねせいろん世界せかい起源きげんろん海洋かいよう起源きげんろん如是にょぜ有無うむ論爭ろんそうとおはなれ如是にょぜとう無益むえき徒勞とろうこれろん。此亦ため戒之いち份。”
  18. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき2):“またゆうぼう沙門しゃもん婆羅門ばらもん,受食しんじほどこせ生活せいかつ專心せんしんじゅう於諍ろんれい如“なんじ不知ふち此法、りつわが如此ほうりつなんじ如何いか如此ほうりつ耶?”“ なんじ耶行しゃわが是正ぜせい行者ぎょうじゃ,”“わがげん[前後ぜんご]相應そうおうなんじげん不相應ふそうおう。”“ なんじおうげん於前しゃ而言於後,おうげん於後しゃ而言於前。”“ なんじぼそおもんばか而[]げんかえしふく。”“ なんじ立論りつろん,墮於しょ。”“ ためかいなんじまけせつ而尋おもえわかのうしゃそくかい!”とおはなれ如是にょぜとうにんなんいさかいろん。此亦ため戒之いち份。”
  19. ^ ともえとし大藏おおくら·ぞう支部しぶ》(まき10しょう69)
  20. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせいぎょう呢?はなれ殺生せっしょうはなれあずかはなれよくよこしまぎょうしょ,這稱ため正業せいぎょう。”
  21. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせいいのち呢?しょ,於此,せい弟子でししゃはなれよこしまめいじ,以正いのち而營せいしょ,這稱ためせいいのち。”
  22. ^ ともえとし大藏おおくら·中部ちゅうぶ》(まき117):“しょ如何いかためよこしまいのち?以欺騙、にょうせつうらないしょうかたいつわり利之としゆきねつもとめしょ!此等ためよこしまいのちしょ如何いかためせいいのちゆう而有福分ふくぶんゆうはて?於此,しょゆうせい弟子でしだんよこしまめいじせいいのち以養いのち。於此,しょ有正ありまさいのちゆう而福ぶんゆうはてしゃしょ如何いかためせいいのちきよし出世しゅっせ而有どうささえしょ成就じょうじゅかれ聖心せいしんこころせい道者どうしゃ修習しゅうしゅうひじり道之みちゆき結果けっかよこしまいのちらくはなれらく別離べつりらくとおはなれしょ!此等ためせいいのちきよし出世しゅっせ而有どうささえしゃ。”
  23. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせい精進しょうじん呢?しょ,於此,ためりょう未生みしょうあく不善ふぜん法的ほうてき生起せいき生起せいき意欲いよく努力どりょく激發げきはつ精進しょうじんさく勵心、精勤せいきんためりょうやめせいあく不善ふぜん法的ほうてきだんじょ生起せいき意欲いよく努力どりょく激發げきはつ精進しょうじんさく勵心、精勤せいきんためりょう未生みしょう法的ほうてき生起せいき生起せいき意欲いよく努力どりょく激發げきはつ精進しょうじんさく勵心、精勤せいきんためりょうやめせい法的ほうてきじゅうりつ忘、增長ぞうちょう廣大こうだい修習しゅうしゅう圓滿えんまん生起せいき意欲いよく努力どりょく激發げきはつ精進しょうじんさく勵心、精勤せいきんしょ,這稱ためせい精進しょうじん。”
  24. ^ ちゅうおもね經卷きょうかんだいいち》(ちゅうおもね含七ほうひん ぜんほうけいだいいち):“「うんなんせい弟子でしとくななぜんほういいせい弟子でしどく堅固けんごしんじふかしちょ如來にょらいしんやめりつおわり不隨ふずいがい沙門しゃもん、梵志,わかてん、梵及あまり世間せけんいいせい弟子でしとくいちぜんほうふくせい弟子でし常行つねゆき慚耻,慚知慚,あく不善ふぜんほうけがれ煩惱ぼんのう,受諸惡報あくほうみやつこせい死本しぼんいいせい弟子でしとくぜんほうふくせい弟子でし常行つねゆき羞愧,愧知愧,あく不善ふぜんほうけがれ煩惱ぼんのう,受諸惡報あくほうみやつこせい死本しぼんいいせい弟子でしとく三善さんぜんほうふくせい弟子でし常行つねゆき精進しょうじんだんあく不善ふぜんおさむしょぜんほうつねおこりせんいち堅固けんごためしょ善本ぜんぽん捨方便びんいいせい弟子でしとくよんぜんほうふくせい弟子でしこうがく多聞たもんまもり忘,せき博聞はくぶん所謂いわゆるほうしゃはつぜんちゅうぜん、竟亦ぜんゆうよしゆうぶん具足ぐそく清淨せいじょう顯現けんげん梵行,如是にょぜ諸法しょほうこうがく多聞たもん,翫習いたりせんしょおもんみかん明見みょうけんふかたちいいせい弟子でしとくぜんほうふくせい弟子でし常行つねゆき於念,成就じょうじゅ正念しょうねん久所ぐぞ曾習,久所ぐぞ曾聞,つね憶不忘,いいせい弟子でしとくろくぜんほうふくせい弟子でし修行しゅぎょう智慧ちえかんきょうおとろえほうとく如此さとしひじりとし明達めいたつ分別ふんべつあかつきりょう,以正つきいいせい弟子でしとくななぜんほう也。”
  25. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせいねん呢?しょ,於此,於身ずいかん而住,熱誠ねっせいせいねん調伏ちょうぶく世間せけんてきむさぼゆう;於受ずいかん受而じゅう熱誠ねっせいせいねん調伏ちょうぶく世間せけんてきむさぼゆう;於心ずいかんこころ而住,熱誠ねっせいせいねん調伏ちょうぶく世間せけんてきむさぼゆう;於法ずい觀法かんぽう而住,熱誠ねっせいせいねん調伏ちょうぶく世間せけんてきむさぼゆうしょ,這稱ため正念しょうねん。”
  26. ^ ともえとし大藏おおくら·长部》(まき22《だいねん处经》):“しょ什麼いんも是正ぜせいてい呢?しょ,於此,やめはなれしょよくはなれしょ不善ふぜんほうゆうひろゆう伺,はなれせいらく具足ぐそくはつぜん而住;ひろ伺寂どめ,內潔きよしこころせんいちせいひろ伺,ていなまらく具足ぐそくだいぜん而住;はなれじゅう於舍,ねんあずかせい,以身受樂,せい如聖しゃ們所せつてき:『しゃねんらくじゅう。』具足ぐそくだいさんぜん而住;しゃだんらくあずかしゃだんさきまえてきゆうやめめつぼつらくしゃねん清淨せいじょう具足ぐそくだいよんぜん而住。しょ,這稱ためせいじょう。”

參考さんこう書目しょもく

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