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金樓子 : 說蕃 - Chinese Text Project
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Chinese Text Project

せつしげる

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1 せつしげる:
しゅうこう攝政せっしょうかん叔欲ためらんよし流言りゅうげん於國曰:「おおやけはた不利ふり孺子じゅし。」奄君聞之,せつ祿ろくちち舉兵。祿ろくちちさんかんとげ于公。おおやけいい召公曰:「わが攝政せっしょうしゃおそれ天下でんか叛周也。以告我先われさきおう。」乃奉なり王命おうめい東征とうせい剋殷,ころせ祿ろくちち,踐奄,誅其くん,戮管叔,ころせ蔡叔,くだ霍叔ため庶人。おうすんで流言りゅうげんいよいよえつとき雷電らいでん且風,禾黍つき偃,大木たいぼくみな拔。おう懼,あずか大夫たいふけいきんかがしょおうしょ泣曰:「おおやけ勤勞きんろう王家おうけ不知ふちこんてんどうあきらこうとく。」おうとげよるむかいこうてん乃雨はんふう,禾盡おこり公定こうていかなえ郟鄏。えつさんぞうじゅうきゅうやくけんじしろ雉,肅慎またらい入貢にゅうこうけんじしろ雉。だん讀書どくしょいちひゃくへんゆうのりななじゅうにん也。鸞鳳いたり,蓂莢せいおおやけ以天既定きていむべ有事ゆうじ于河らくしめせしん祗之へんていひとしんちょう。往從,沈壁于河,有光ありみつ滿まんかわあおりゅう銜元かぶと而出。もと龜甲きっこうゆう赤字あかじおおやけうつししょなり,其赤字あかじずいほろびかめ於是墮甲而去。けい星見ほしみ,醴泉吐,麒麟きりんしゅ草生くさわおう公有こうゆうくんろう於下おしたきゅうじゅうきゅう薨。

2 せつしげる:
召公奭與しゅう同姓どうせいひめしゅうたけしおうほろび紂,ふう召公於燕。其在なりおう,召公ためさんおおやけ以西いせい,召公ぬし以東いとうしゅう公主こうしゅなりおうすんでようしゅうこう攝政せっしょうとうくに祚,召公うたぐこれさくくん奭,きみ奭不せつしゅうこうしゅう公稱こうしょうゆういんかり于皇てんざいふとしつちのえのりゆうわかのぼるしん扈,かり上帝じょうていみこ咸治王家おうけおつゆうみこけんたけひのとゆうあまいわお乂于いん也。於是召公乃說。召公西方せいほう,甚得兆民ちょうみん。召公巡行じゅんこうきょう邑,ゆう棠樹,けつごく政事せいじ於其ほうはく庶人,かくとく其所,失職しっしょくしゃ

3 せつしげる:
ひとし桓公かんこうしょうしろ,雍林じんかさねころせひとしくん無知むち桓公かんこうたてはつへいおさむ魯,こころよくころせかんなかあわび叔諫。桓公かんこうしたがえこれ,乃佯ため召管なかよく甘心かんしん實用じつようかんなか知之ともゆき往見桓公かんこう桓公かんこうじょれい,以為大夫たいふにんせい桓公かんこう既得きとくかんなかあわび叔隰ともだか徯修せいひとしこくれん五家之兵伐魯。魯莊こう請獻とげ邑,以平いたいら諸侯しょこうかい桓公かんこう於甄,而桓公かんこうはじめ霸焉。やまえびすつばめつげきゅう於齊おさい桓公かんこうすくいつばめとげやまえびすいたりちく而還。まもるぶん公有こうゆう狄亂,つげきゅう於齊おさいりつ諸侯しょこうじょうすわえおか而立じりつまもるくん蔡,蔡潰,とげすわえすわえめい而去。狄伐ひねなつかい諸侯しょこう於葵おかしゅうじょうおうたまもの桓公かんこう文武ぶんぶ胙,彤弓だい輅。これさいはた繆入すすむ公子こうしえびすわれ桓公かんこう於是討晉みだれ至高しこうはり使つかい隰朋りつすすむくん而還。しゅうしつ衰微すいびどくひとしため中國ちゅうごくれい諸侯しょこうじょうしげるしゅう也。

4 せつしげる:
すすむぶんこうじゅうみみせい而胼おびえねんじゅうななけんにん,曰趙おとろえきつね偃、とがめはん、賈佗、さき軫。すすむめぐみおおやけそつじゅうみみとくいれためぶんこうすすむじん焉。しゅうじょうおう以弟なんきょていつげきゅうすすむ乃發へいいたり樊圍ゆたかにゅうじょうおう於周。しゅうおうたまものすすむかわ內陽樊,いのちすすむこうためはく

5 せつしげる:
はた繆公にんこう即位そくいすすむけんじこうめつおそれ虢,とりこおそれくんあきおおやけはたすすむせん於河西にしすすむ驪姬さくみだれえびすわれ使じんいいはたもとむにゅうすすむおおやけもと使ひゃくさと奚,將兵しょうへいおくえびすわれえびすわれいい曰:「わかとくりつ,請割すすむ河西かさい八城やしろしん。」及至やめたて而不ひでり,請粟於秦,繆公あずかこれはたひだる,請粟於晉,すすむいんひだるはた使つかい丕豹往擊あずかすすむめぐみおおやけえびすわれ合戰かっせん於韓すすむくん棄其ぐんあずかしんそうかえ而馬縶,きよしおおやけおいはんためすすむぐんしょかこえ岐山きざんしょくぜんしゃさんひゃくにんはせおかせかいかこえとげだつきよしおおやけはん生得しょうとくすすむおおやけけんじ其河西にしはつへいかさねてい。賈人つるだかじゅううしうりいんしんへいけんじ其牛曰:「聞大こくはた誅鄭,ていくん謹修守備しゅびれいしん以牛ろうぐん。」はたさん將軍しょうぐんしょういい曰:「はたかさねていていじんやめさとし,往無及已。」めつすべりすすむこれへん邑。とうすすむぶんこうひさしそう太子たいしじょうおおやけいか,縗絰はつへいさえぎしんへい於殽,大破たいはとりこさんしょうすすむぶんこう夫人ふじんきよしおおやけおんな也,曰:「繆公怨此さんにん骨髓こつづい心願しんがんわがきみとく此快烹之。」すすむくんもとさんしょうかえりいたり,繆公もとふく郊迎。哭曰:「不用ふようひゃくさと奚、あしなえ叔之ごと,以辱さん三子みつごなんざい乎?」ふくかん秩,えきあつこれ使つかいはじめあかりとうすすむおうかん及鄗,以報殽之やくしんようよしあまりはかりごとえびすおうえきこくじゅうひらき千里せんり也。

6 せつしげる:
すわえそうおう即位そくい不出ふしゅつ號令ごうれいにちよるためらくゆう諫者舉入諫不したがえきょすうがつえき甚,したがえ乃入諫。於是乃罷淫樂いんらく聽政,にん舉蘇したがえ以政。國人くにびとえつとしめつえびすりく渾戎,とげいたりらく觀兵かんぺい於周郊,もんかなえ輕重けいちょう而歸。わか敖反,擊滅げきめつひねころせなつちょう舒。かこえてい,剋之。引兵さんじゅうさと而避しゃとげもとひらめ大敗たいはいすすむ河上かわかみいたり衡雍而歸。かこえそう,以宋ころせすわえ使也。そうはなもとつげ以情,とげやめへい焉。

7 せつしげる:
そうじょうおおやけ茲甫即位そくいそう隕星如雨あずか俱下,ろく鷁退おおやけため鹿上しかがみめい,以求諸侯しょこう於楚,すわえじんもとあき諸侯しょこうかいそうこう於盂。於是すわえそうこう以伐そうふゆかい於亳,以釋そうこうまたすわえなりおうせん於泓,そう大敗たいはい公傷こうしょうまた國人くにびとみなこわ

8 せつしげる:
むかししげるへい盛德せいとくしゃのりりゅういさおくんどう造次ぞうじ儒服,たくしかぐんこう古文こぶんまい就人あいだもとめぜんしょ,必為こううつしあずかこれとめ其真ほん以金帛。ゆうとお千里せんり而至しゃけんじ先祖せんぞきゅうしょ:《しゅうかん》、《尚書しょうしょ》、《れい》、《れい》、《孟子もうし》、《老子ろうし》,けんじおう好之よしゆきさいしゅうかん》及諸らくごとさくらく》,けんじはち佾之まい使つかい弟子でしおうじょうでんじゅうよんくびひょうりつもう》、《ひだり春秋しゅんじゅう博士はかせたけみかど在位ざいい來朝らいちょうたい辟雍あかりどうれいれいいいさん雍對也。及詔さくしょといさんじゅう餘事よじ,及著らくひとしごとうんてん子取ことり諸侯しょこうやめりつひとしすなわちよんつねひとし強者きょうしゃこまじゃく富者ふしゃとくようひんのりいえ有餘ゆうよおん及於しょうみん矣。おうすんでゆうみやびざいいんけんじしょしゅう雅樂ががく天子てんし下大しもおおらくかんつねそん肄之,さい以備すうつね山王さんのう禹世受河あいだらくのうせつ其義。弟子でしそう上書うわがきうん:「河間こうまおう躬求かそけかくれきょう禮樂れいがくぶた有漢うかん所以ゆえんきょう也。おうつねいいじん曰:『禹鑿つう乎九だに,灑分而注東海とうかいみん怨者,利也としやわれ將行まさゆきこれ。』もとぞくげんえさ巴豆はず雲母うんもうれ都市としななまるいちせんひゃくびょうおうびょうふくしもへびじゅうとう俗言ぞくげんおうびょうろくせいあまり殃,おうしょ招也。おう嘗放ちち鹿しかひとししんかんてんとうぐうみみ。」ぞく形無かたなしかげけんじおうよく以女はいぞく遁去。みかどところただしといおうおう輒對かげみかど曰:「ななじゅうぶんおうひゃく,其勉。」おうともそくたてしゅ聽樂,またためしゅうせいじゅうへん

9 せつしげる:
りゅうゆうこのみしょ多才たさいげい少時しょうじ嘗與魯穆生白なまじろなまさるこう俱受於浮おかはくおかはくしゃまごきょう門人もんじん也。こうきさき浮丘はくざい長安ながやすもとおう郢客あずかさるこう卒業そつぎょうぶんみかど聞申こうためさいしらげ,以為博士はかせもとおうよしみ》,諸子しょしみな讀《》。さるこうはじめためでん》,ごう「魯詩」,もとおうまたつぎでん》,ごう曰「もとおう」。

10 せつしげる:
りゅうあおいこうけい博學はくがく識,きょう畏敬いけいあかりみかどじゅう其器のうとくあいこれにゅう為相ためすけこも郇恁、桓榮とう。其後あおすうじょう疏,ひねはんしょくいたりじゅうむべ久留くる京師けいしあおためじん體貌たいぼう長大ちょうだいよし鬚髯しゅぜんこしはちしゃくすんみかどげんふくこしはら也。みかど以所自作じさく光武みつたけ本紀ほんぎしめせあおあおいいん上世じょうせい受命じゅめい中興ちゅうこう頌》,咸言るいしょう如、あげゆう前世ぜんせい岑也。あきらみかどおう入朝にゅうちょう,以王さわさむわたるどう使つかいちゅう謁者逢迎,たまものおうじょう輿こしてんかさね

11 せつしげる:
りゅう輔性矜嚴,ゆう盛名せいめい深沈しんちんこう經書けいしょぜんせつきょうえき》。論集ろんしゅう經傳けいでん及圖讖文,さく五經ごきょう通論つうろん》,儒者じゅしゃとく以明ごとせいごう曰「沛王通論つうろん」。あかりみかど敬重けいちょう賞賜しょうし恩寵おんちょうすう訪問ほうもん以事。京師けいし少雨しょうううえくもだい,召尚せき,以《しゅうえきりんうらない,其繇曰:「愷封あな大雨おおあめしょうしゅう。」明日あした大雨おおあめうえそく以詔しょとい輔,輔對ふか知遇ちぐうみことのりほう曰:「善哉ぜんざいおう次序じじょ也。つきためいち,以當ゆうおどけしょうため聖王せいおう。」

12 せつしげる:
りゅうともしょう好學こうがくはくどおり經傳けいでんゆう威嚴いげんあずかしょ儒講ろん於白とら殿どのみかど以廣ひらたざいきたゆう,乃徙ともため西平にしだいらおうまた徙封ひねおう

13 せつしげる:
りゅうあつししょう好學こうがくはくどおりしょでん光武みつたけあいすう延納えんのう顯宗けんそうざい東宮とうぐうゆうこうにゅうのり諷誦ふうしょうそくくつわ中興ちゅうこうはつきんもうなお闊,而睦せいけんきょうこう千里せんり交結,大儒たいじゅ宿德しゅくとく莫不づくりもんゆかり聲價せいかえきひろなが平中たいらなかほうけん頗峻,むつみ謝絕しゃぜつ賓客ひんきゃく放心ほうしん音樂おんがくとし大夫たいふたてまつ朝賀ちょうが,召而とい曰:「朝廷ちょうてい設問せつもん寡人,大夫たいふはたなに以對?」使者ししゃ曰:「大王だいおう忠孝ちゅうこう仁慈じんじけいけん樂士がくし。」むつみ曰:「吁!危我也。其對以孤襲爵しゅうしゃく以來いらいこころざしおとろえ惰,聲色こわいろ娛,犬馬けんばこのみ。」使者ししゃ受命じゅめい而行。其能屈伸くっしん如此。はつやすしおう薨,悉推財產ざいさんあずかしょおとうと。雖王しゃふく珍寶ちんぽう列侯れっこうせいみな以為ぶんしかこうずい以金帛贖のうぞくぶんさく春秋しゅんじゅうむねよし》、《終始しゅうしろん》及賦頌數じゅうへんまたしょ史書ししょ當時とうじ以為楷則。及寢やましみかどえきうまれいさく草書そうしょ尺牘せきとくじゅうしゅ

14 せつしげる:
曹裒好學こうがく讀書どくしょ左右さゆうつねおそれ精力せいりょくためびょう諫之。まいおとうとけいゆう娛,裒獨覃思經典きょうてん文學ぶんがくぼう輔相あずかげん曰:「受詔察公舉措,ゆう過當かとうそう,及有またむべ以聞,不可ふか匿其美也みや。」とげどもひょうしょうひね裒美。裒聞だいおどろきせめ文學ぶんがく曰:「修身しゅうしんもり常人じょうじんこれぎょうみみ諸君しょくん乃以上聞じょうぶんてき所以ゆえんぞうるい也。」龍見たつみ鄴西漳水,裒上書うわがきたたえ頌。せいなお儉約けんやくきょう敕妃わらわ紡績ぼうせき,習為家人かじんことやまいこま,敕令かんぞく曰:「われ寡忝ちょう大命たいめいはたつきわれすんでこう儉,而聖あさちょおわり誥之せいため天下でんかほうわれ氣絕きぜつにち殯及そうつとむたてまつ詔書しょうしょまもる大夫たいふ蘧璦そう濮陽,われもち其墓,つねそう遺風いふうねがいたくけんれい,以弊かみ,營吾ちょういき,必往したがえこれ。」れい男子だんしそつ婦人ふじん,亟以成東なるとうどうどうなりめい曰遂こころざしどう

15 せつしげる:
司馬しば攸少以奇えいたたえながこう經書けいしょたけみかど受禪じゅぜん,攸督そち鎮撫ちんぶ中外ちゅうがい有佐ありさいのちくんふうひとしおうはつきょぶんみかどうえ以攸至孝しこう毀甚,文明ぶんめい皇太后こうたいごう親臨しんりんしょう攸。攸毀やせちりすみ,貌不可ふか識。ふとしきさきとめ攸宅,なで慰旬。及還,ちゅうみことのりつとむ攸曰:「わかまんいち以他やましはたふく如何いかむべ遠慮えんりょふかけい不可ふかもり一意以陷於不孝。わかふくしたがえ往言,とうひと監守かんしゅ飲食いんしょく。」攸好がく倦,ひとしょみなためまもる。攸自受國秩,おもてもとめぜっつねたまもの前後ぜんごじゅうあまり,輒不聽。國之くにゆき文武ぶんぶしもいたり士卒しそつふん租賦以給疾病しっぺい死亡しぼう醫藥いやくみなゆうどき有水ありみずひでりくに內百姓則加賑貸,須豐ねん乃責じゅうげん其二そのじくに內賴文明ぶんめい皇太后こうたいごう臨崩,いいたけみかど曰:「もも性急せいきゅうなんじむべ宏之ひろゆき。」みことのり當世とうせいすべかただけとげ加都かつとくあおしゅうぞうふうずみみなみぐん,備物てんさくけんかからくろく佾之まい,馮紞也。攸結氣病きやみ暴薨。

16 せつしげる:
司馬しばやすしれんせいきん聲色こわいろうたげいたりふとしじょう衣食いしょくゆう如布もとにん簡率,每朝まいあさかい識者しきしゃ不知ふち其王公也きみやことおやきょう謹,きょしょけんため宗室そうしつ儀表ぎひょう當時とうじ諸王しょおうただ高密こうみつおうやすししも邳王あきら,俱以儉稱。あきらあきらためふとでん

17 せつしげる:
りゅうきゅうけいしょう而間もとあつし好文よしふみせきぶんみかど寵愛ちょうあいことつねためりつだい於雞籠山かごやまつき山水さんすいけんたいらこくしょくだか他國たこくいちかいため尚書しょうしょひだりぼくしゃけん儉周まきれいけんせっあきらあかつき政事せいじうえふかしんじ仗之。

18 せつしげる:
りゅうよしけいため荊州刺史ししせい謙虛けんきょはじめいたり及去鎮,むかえおくものなみ受。ざいしゅうはちねんため西土せいどしょやすせんじょしゅう先賢せんけんでん奏上そうじょうまたなずらえはんかたてん引》ためてんじょ》,以述すめらぎだいためせい簡素かんそ,寡嗜よく愛好あいこう文義ふみよしため宗室そうしつひょう受任じゅにんれきしげる浮淫ぜん騎乘きじょう,招聚ざいがくきんとお必至ひっし。袁淑ぶんかんむり當時とうじ,請為まもるぐんはかさんぐんくれぐんくがてん東海とうかいなにちょう瑜、あわびあきらとう引為

19 せつしげる:
竟陵しょうりょうひらくわたしくらにぎわい貧民ひんみんしょう有清ありきよなおれいざいこうきょうたぐこれかたぶけ賓客ひんきゃく天下てんかざいがくみなゆうしゅう焉。ぜんりつかちごと夏月かづききゃくいたりためしつらえふりいん及甘はてちょ文教ぶんきょう文章ぶんしょう及朝翰皆はつきょうせんろくきょ雞籠山西さんせいていしゅう學士がくししょう五經ごきょうひゃくいえすめらぎらんれつためよん要略ようりゃくせんかん招致しょうち名僧めいそうこうろん佛法ぶっぽうみやつこけいうたしんこえ道俗どうぞくもりこうひだりゆう也。こう文學ぶんがくわが高祖こうそおう元長もとながしゃもとあきらちょうおもえこうなにけんにん昉、あなひろこう淹、おそれえんなに僩、しゅう顒之儔,みな當時とうじすぐるごうりん也。

20 せつしげる:
ずいぐん王子おうじたかしこう文章ぶんしょうたいこえつねふくあし茹丸以自きえなお無益むえき也。

21 せつしげる:
りゅうやすしゆう文才ぶんさいこうしょきん弋獵いぬ馬馳まばせ聘。くだり陰德いんとく,拊循百姓ひゃくしょう,沽名譽めいよ招致しょうち賓客ひんきゃく方術ほうじゅつすうせんにんさく《內書》じゅういちへんそとしょ甚眾。またゆう中篇ちゅうへんはちへんげん神仙しんせん黃白こうはくじゅつまたじゅうあまり萬言まんげんときたけみかどかたこう藝文げいぶん,以安ぞくためしょちちべんはくぜんため文辭ぶんじ,甚尊重そんちょうまいためほうしょ及賜,つね召司しょう如等くさ,乃遣はつやす入朝にゅうちょうけんじ所作しょさ《內篇》新出にいでうえあい使つかいためはなれ騷傳》,だん受詔,日食にっしょくじょうまたけんじ頌及まいだんせつ,昏暮而罷。

22 せつしげる:
曹子たてよしぞくぶんたけみかど其文,いいうえ曰:「なんじ倩人よこしま?」うえ跪曰:「しんげんためろんしたひつ成章せいしょう當面とうめんこころみ奈何いかん倩人よこしま?」鄴銅すずめだい新成しんせいたけみかど悉將諸子しょしとうだい使つかいかくためうえ援筆りつなりぶんいろどりかん

23 せつしげる:
りゅうきゅうもとしょう好學こうがく,嘗為《水仙すいせん》,當時とうじ以為げんらくしん》;《擬古ぎこ》,時人じじん以為陸士りくし衡之りゅうしき征戰せいせんみなけんじとし

24 せつしげる:
りゅうあきらねんじゅう,忿劉とくしょく常入ときいりまちつばめいんこうきさきれいあきらためしゅ吏,あきら請曰:「しんしょうしゅ也,請得以軍ほうぎょうしゅ。」こうきさき曰:「。」さけたけなわしょうすすむ歌舞かぶおのれ而曰:「請為ふとしきさきごと耕田こうだ。」こうきさき畜之わらい曰:「顧而ちち知田ちたみみ若生わこう而為王子おうじやす知田ちた?」あきら曰:「しん知之ともゆき。」ふとしきさき曰:「ためしためわがげん。」あきら曰:「深耕しんこう穊種,たてなえよく疏。其種しゃすき而去。」ふとしきさき默然もくぜんころしょりょいちにんよいほろびあきらこれしょりょはばかこれ,雖大臣だいじんみなしゅきょこうりゅうためきょう。其明ねんりょさんほっさくみだれあきらくびさきさん,以定天下でんかりゅうためなんじみなみおうすわえはんとしじゅうゆう才氣さいき上書うわがき請擊くれけいみかどたまもの將軍しょうぐんしるしげきくれやめやぶ,徙王くれこく,以軍こうたまもの天子てんし

25 せつしげる:
曹子ぶんしょうぜん膂力りょりょくひとかく猛獸もうじゅう險阻けんそすうしたがえ征伐せいばつこころざし慷慨こうがいたけみかどつねそもそも曰:「なんじ不念ぶねん讀書どくしょ而好じょう汗馬かんば擊劍げっけん,此一おっともちいなにあし也?」あきら讀書どくしょあきらいい左右さゆう曰:「丈夫じょうぶいちためまもる霍,はたじゅうまんはせ沙漠さばくえびす狄,たてこうけんごうみみなにのうさく博士はかせよこしま?」烏丸からすまはん,以子ぶんため北中きたじゅうろうしょうぎょう驍騎將軍しょうぐんとき兵馬へいばしゅうただゆう步卒ほそつせんにんすうひゃくひき用田ようだけい固守こしゅよう鄛,とりこ乃散退すさあきらおい搏戰,しゃえびすおうつる而倒しゃ前後ぜんごしょうぞくせん過半かはんあきらよろいちゅうすう意氣いきえき厲,じょうかち逐北,いたり於桑いぬいしょしょう以為しんわたるとおつかれひたぶるまた節度せつどとくだい不可ふかふかすすむあきらとげ上馬かみうまれいぐん中後なかごしゃいちにち一夜いちやあずかとりこしょう及,擊破げきは斬首ざんしゅなま以千すう武喜たけよしはたあきらひげ曰:「ひげ竟大也。」

26 せつしげる:
司馬しばうけたまわきょ藩屏はんぺい,躬處儉約けんやくじょうあし笨車,いえ別室べっしつおうあつしふところきみしんもとみかど召承曰:「湘州みなみすわえけわしかたざい上流じょうりゅうようひかえさんしゅうかいよう武之たけゆきこくちょん勝之かつゆきこん叔父おじきょ如何いか?」うけたまわ曰:「きみこれしょいのち,敢有焉?」うけたまわくだりたちたけあきらしゃくえびす備,おうあつしあつしいんえんしゅういいうけたまわ曰:「大王だいおうみやびもとけいしょうざい也。」うけたまわ曰:「あんともなまりがたな不能ふのういちわり?」あつしはていいぜにおおとり曰:「かれ不知ふち懼,而學壯語そうご,此不知ふちたけなにのうため也?」

27 せつしげる:
りゅうちょうははほんちょう敖美じんすわぬきだかごと,繫之かわ內。おとうとちょうけんいん辟陽こうつげりょきさききさき妒不肯白。辟陽こうつよしそう美人びじんやめなま厲王,恚即自殺じさつちょうゆうざいちから扛鼎,乃往請辟こうほういずるこれそくそできんしいしいきょしょためぶたなずらえ天子てんし,擅為法令ほうれい不用ふようかんほう,以罪徙蜀,しょげんどうにちさんしょくきゅうたきぎさいしお炊食せき蓐,せい曰:「しょくちょうきゅうにくきんさけ。」れい美人びじん才人さいじんとくこうしゃしたがえこれ,乃不しょく而死。

28 せつしげる:
とげおうだん壯大そうだい就國,ためじんべんりゃく博學はくがく經書けいしょざつせつこうほしれき術數じゅっすう、倡優しゃりょうこと招致しょうちゆう。及衛太子たいしはいひとしふところおうまた薨,だん以次だいとうだて上書うわがきもとめにゅう宿衛しゅくえいうえいかしも其使ごくすわ藏匿ぞうとく亡命ぼうめいそぎ良鄉よしさと安次やすつぐぶんやすさんけんたけみかどよしあくだんとげたてしょう於子ため太子たいしみかどくずれ太子たいしりつためあきらみかどたまもの諸侯しょこうおう璽書,だん肯,哭曰:「璽書ふうしょう京師けいしうたぐゆうへん。」きょう宗室そうしつとげ招來しょうらいぐんこくかんじん斂銅てつさくかぶとへいすう閱其しゃざいかんそつけん旌旗せいきしゃ旄頭,先驅せんくろうちゅう侍從じじゅうちょてん黃金おうごん蟬,みなごうさむらいちゅうだんしたがえしょう中尉ちゅうい以下いか勒車はつみんかいかこえ大獵たいりょうぶんやすけん,以講。須期てんにじぞく宮中きゅうちゅういんすいすい竭,廁中いのこぐん,壤大かん灶,がらすかささぎ鬥死,ねずみまい殿どのはしもんちゅう殿上てんじょう不可ふかひらけ天火てんかしょう城門じょうもん大風おおかぜ宮城みやぎろうおり樹木じゅもく流星りゅうせい墮。おうおどろきびょう使つかいじんほこらかやすい台水だいすいおうきゃくりょこうとうぼしためおうげんとうゆうへいかこえじょうざいきゅうがつじゅうがつかんとうゆう大臣だいじん戮死しゃかいつばめくらつげぶた主上しゅじょうかん桀與だんゆうぎゃくはかりごと,桀等みなふく誅。ゆう赦令いたおう讀之曰:「嗟乎,どく赦吏みん赦我。」いんむかえきさきひめしょ夫人ふじん明光めいこう殿でんおう曰:「ろうとりこ為事しごととうぞくよく自殺じさつ。」以綬しぼきさき夫人ふじんずいだん自殺じさつしゃじゅう餘人よにん

29 せつしげる:
りゅう胥壯だいこう倡樂逸遊いつゆうちから扛鼎,空手からて搏熊彘猛じゅう動作どうさ法度はっとおわりとくためかん嗣。せんみかど即位そくいふうよんきよし、曾、たからあきらみなため列侯れっこうまたたて胥小ひろしため高密こうみつおうしょ褒賞ほうしょう甚厚。はじめあきらみかど,胥見じょう年少ねんしょうゆう覬欲しん。而楚みこおに,胥迎おんなみこおんな須,使つかい下神しもつわしゅくのろいおんな須泣曰:「こうたけみかどわが左右さゆうみなふくげんわれ必令胥為天子てんし。」胥多たまものおんな須錢,使つかい禱巫やま。及昌邑王ちょうふく使つかい巫祝ふしゅくのろいこうおうはい,胥寢信女しんにょ須等,すうたまものぜにぶつせんみかどりつ,胥曰:「太子たいしまごなん以反とくりつ?」ふく使おんな須咒のろい如前,胥宮えんちゅうなつめ樹生みきおじゅうあまりくきくきせいあかようしろ如素,池水いけみずへんあかさかなゆうねずみひるりつまいおうきさきにわちゅう。胥謂ひめみなみとう曰:「なつめ水魚すいぎょねずみかい,甚可あく也。」きょすうがつしゅくのろいごとはつ自殺じさつ

30 せつしげる:
りゅう荊。光武みつたけくずししょあずか東海とうかいおうつよしおそれせつすすむれいきょうへいためぎゃくみだれ,乃封荊廣りょう就國。こうふくよびしょうこういい曰:「わが貌最るい先帝せんてい先帝せんていさんじゅうとく天下でんかわが今年ことしまたさんじゅうおこりへい?」相者そうしゃまい吏告こう竟使巫祝ふしゅくのろい自殺じさつ

31 せつしげる:
りゅうすぐる交通こうつう賓客ひんきゃく晚節ばんせつがくろう浮屠ふとながたいらはちねんみことのり:「こん天下てんか辜,みなにゅう縑贖。えいろうちゅうれいまいくにしょう曰:「あく累積るいせき歡喜かんきだいおん奉送ほうそう縑白紈さんじゅうひきいれ贖。」すわえしょう以聞,詔書しょうしょしめせ諸國しょこくちゅうつて曰:「すわえおう誦黃ろうほろげんなお浮屠ふとじんほこら潔齋けっさいさんがつあずかかみためちかいなにいやとうゆう悔吝,かえ贖縑紈,以助ふさが桑門そうもんもり饌。」えいとげ交通こうつうかたじゅうさんねんちゅう男子だんしつばめ廣告こうこく英作えいさく金龜こんきだまくぐい謀反むほんすわ,徙者以千すう

32 せつしげる:
りゅうはしためじんぞく盭,またかげ痿,いちきん婦人ふじんやまいすうがつゆうしょ愛幸あいこう少年しょうねん以為ろうろうあずか後宮こうきゅうちちはしとりこめつ。及殺其子ははすうはんほうかん公卿くぎょうすう請誅はしみかどどるしのべ,而所為しょいしげる甚。有司ゆうしさい請,そぎ其國大半たいはんはしこころ慍,とげため訾省,ふう其宮もんしたがえいちもん出入でいりすうへん姓名せいめいため布衣ふい他國たこくくにじょ

33 せつしげる:
りゅう彭祖ためじんたくみ佞,卑諂あしきょう而心こくふかこう法律ほうりつもち詭辯きべん以中じん寵姬ちょうき子孫しそんあいせんせきほしたてまつかんほう以治,のりがい於王以每しょうせんせきいたり,彭祖ころも帛布たんころもぎょうむかえじょしゃしつらえうたぐこと以詐どうせんせき莫敢,而趙おう擅使使そくけんため賈人榷會,にゅう於國租稅そぜい,以是金錢きんせんしかところたまものひめ諸子しょしまたつきこれ。彭祖好治こうじ宮室きゅうしつ禨祥,こうため上書うわがきねがいとくこくちゅう盜賊とうぞくつねよるしたがえはしそつぎょう邯鄲かんたんちゅうしょ使つかい過客かかく,以彭けん詖莫敢留。

34 せつしげる:
りゅうけんゆうあきらだいれい女子じょしじょう小船こぶね,以足蹈覆其船,よんにんみなおぼれ二人ふたりこうゆうかみなり陂,てん大風おおかぜけん使ろう二人乘小小舟入中,せんくつがえりょうろうよじせん,乍見乍沒,たて臨觀だいわらいれいみな宮人みやびとひめ八子やこゆうしゃ輒令はだかりつげきあるおけじゅじょうひさしゃさんじゅうにち乃得ころもある髡鉗以鉛きねうす中程なかほど輒掠,あるたておおかみれいかじころせこれけんかん而大わらいある閉不しょくれい餓死がしけんほっれいじんあずか禽獸きんじゅう交而生子おいごつよれい宮人みやびとはだか而與羝羊及狗交,せんためいんしいたげおうきさきちちえびすおうため將軍しょうぐんちゅう大夫たいふやましゆうざいりょくぜん騎射きしゃごう曰靈たけしくん作治さくじぶたこく皇帝こうてい璽,將軍しょうぐんじょう金銀きんぎんしるしさくかん使節しせつじゅう綬千あまりせきすうさい,以謀はん自殺じさつ

35 せつしげる:
りゅう嗣為廣川ひろかわおう,其殿もんゆうなりけいたんころもだいはかま長劍ちょうけん好之よしゆきさくななしゃくすんけん被服ひふくみなこう焉。ゆうこう姬王ひめおう昭平しょうへい王地おうじあまりもと以為きさきとうやましひめ陽成ようぜい昭信あきのぶさむらい甚謹,さらあいあずかあまりおどけとく襃中がたなむちといじょうふくほしあずか昭平しょうへいきょうころせ昭信あきのぶむちとい昭平しょうへい不服ふふく,以鐵鍼鍼つよしふく。乃會しょひめ以劍げきあまりれい昭信あきのぶげき昭平しょうへいみなれい昭信あきのぶためきさきさいわいひめとうのぞむきょうためおさむ靡夫じんしゅ繒帛;ちぇ修成しゅうせいため貞明ていめい夫人ふじんしゅながちまた昭信あきのぶふく譖望きょう曰:「あずかわが無禮ぶれい衣服いふくつね鮮於わがつきぜん繒,匄諸宮人みやびと。」これしんまたたくみ譖之。昭信あきのぶやめいかそく誣言ぶげんもちきょうれきゆびしょろう吏臥しょ其主めいまたげんろうちゅうれいにしき被疑ひぎゆうかんそくあずか昭信あきのぶしたがえしょひめいたるもちきょうしょはだか其身さらげきれいしょひめかく燒鐵やきがね灼望きょうもちきょうはしとうしょこう於去しゃ昭信あきのぶ輒譖ころせじゅうよんにんすわ徙,自殺じさつ昭信あきのぶ棄市。

36 せつしげる:
りゅうゆずる嗣為はりおうはつこうおうゆう罍尊ちょく千金せんきん,戒後世こうせいぜんたから,毋得以與じんゆずるきさき曰任きさき,聞而欲得よくとくゆずる祖母そぼふとしきさき曰:「先王せんおうゆういのち,毋得以尊じん也。他物たぶつ雖鉅まんなお自恣じしおう。」ゆずるちょく使つかいじん開府かいふそく以尊たまものにんきさきまたおう及母ひねきさきことふとしきさき不順ふじゅん有漢うかん使者ししゃらいふとしきさきほしげんおう使謁者ちゅうろうえびすとうさえぎとめ閉門へいもんふとしきさきあずかそうもん措指,ふとしきさきびょう薨,やまい時任ときとうきさき嘗問やましまたさむらい

37 せつしげる:
りゅうあきらためひとしおう,其母曰紀ふとしきさきふとしきさきおとうとおさむおんなためおうきさきおうあいきのふとしきさきよく其家じゅうちょうれい其長おんなきのおうしゅいれ王宮おうきゅうせい後宮こうきゅうれいとくきんおうよくれいあいおさむおんなおういんあずか其姊おうしゅかんひとしゆう宦者じょきのえにゅうことかん皇太后こうたいごう皇太后こうたいごうゆうあいおんな曰修成君なりぎみりゅう氏子うじこふとしきさき憐之。修成しゅうせいきみゆうおんな娥,ふとしきさきよくよめ於諸こう,宦者かぶと乃請使つかいひとし,必令おう上書うわがき請娥。皇太后こうたいごう使つかいかぶとひとしぬしちち偃知かぶと使つかいひとし以取きさきごとまたいんいいかぶと即事そくじなりこうげん偃女ねがいとくたかしおう後宮こうきゅうきのえいたるひとしふう以此ごときのふとしきさきいか曰:「おうゆうきさき後宮こうきゅう備具。且甲,ひとしひんじん,及為宦者にゅうことかんはつえき,乃欲らんわれ王家おうけ。且主ちち偃何ためしゃ,乃欲以女たかし後宮こうきゅう。」きのえだいきゅうかえほう皇太后こうたいごう曰:「おうやめねがいなお娥,しかことゆうしょがいおそれ如燕おう。」つばめ王者おうじゃあずか其子こんおとうとかんしんすわ以燕かん皇太后こうたいごうふとしきさき曰:「毋復げん嫁女よめじょひとしことしゃ也。」こといん聞於じょう

38 せつしげる:
りゅう宇壯だいつうかんはんほううえ以至おやどる辜,でんしょう連坐れんざ久之ひさゆきごとふとしきさき內不しょうふとしきさき上書うわがきごと,璽書敕諭。もとみかどくずれ,宇謂ちゅう謁者しんとう曰:「かんたいしん天子てんししょうじゃくのう天下でんか,以為わが文法ぶんぽう建言けんげんほっ使わが輔佐ほさ天子てんし我見がけん尚書しょうしょ晨夜ごくろうわか使つかいわがため不能ふのう也。こん暑熱しょねつけんかん年少ねんしょうふくこわしょしょわが危得いたり闕下。」宇凡さん哭,飲酒いんしゅ食肉しょくにく妻妾さいしょう不離ふりがわこうためひめ朐臑其家つげすわそぎりょうけん

39 せつしげる:
其功ぎょうなりしゃのり司馬しば穎初おこりぐんかわついたち三軍さんぐん畢從,每夜まいよかたなせんはし有光ありみつわかるい中井なかいみなゆうりゅうぞうちょうすなおうすんでぞうふうじゅうぐんはい丞相じょうしょう,一如魏武九錫故事。じょう輿こしふくみな遷於鄴。其掾ぐまわたし曰:「雖為ふとしおとうととく嗣也。」穎遂りつくに郊兆於鄴じょう。及敗,ためひたぶるおか太守たいしゅ馮嵩しょ。穎素ため鄴都しょふくおもんばかためへん偽稱ぎしょうだい使たまもの穎死。穎曰:「わが放逐ほうちく於今さんねん身體しんたい手足てあしあらい沐,湯來ゆき。」其二そのじ號泣ごうきゅう,穎叱よく訖,散髮さんぱつたばくびいのち縊之,みな,鄴中為之ためゆき悲哀ひあい

40 せつしげる:
司馬しば乂忠あつし方正ほうせい成都せいとおう穎、河間こうまおう顒同おさむ京師けいし,乂敗績。どき東海とうかい王越おうごしりょう中書ちゅうしょかん慮外りょがいなんやめ逼,せんあずか殿中でんちゅう將士しょうしおさむ乂送きん墉城。成都せいとぐんつよし,恨乂こうたれなり而敗はかりごと其劫乂,さら以距穎。あさ廷及東海とうかい王越おうごし懼難ふくさくよくとげ誅乂。黃門こうもんさむらいろうはん滔曰:「不可ふかはたゆうしずかこれしゃ。」せい西にし將軍しょうぐんはりかたはた郅輔勒兵さん千至金墉城收乂,うまいたり營縊,三軍莫不為之垂涕。

41 せつしげる:
司馬しばえつしょうゆう令名れいめいもとあきらりつ荀晞及冀しゅう刺史ししひのと劭討汲桑,やぶこれえつはいふとでんさきうたい曰:「もとちょう兄弟きょうだいだい落度おちどうえくわさわらため苟作。」晞亦懼逼,せつえつ曰:「兗州天下でんかようおおやけよろしまき。」大治おおはる官舍かんしゃ以待えつゆう大星おおぼしあたま如箕,長五ちょうごろくたけおこり西方せいほうりゅうひがしぎょういたりゆうあかりゅうこうわかところあきらみなあかにちちゅうわか飛燕ひえんしゃじゅうはちにちゆう流星りゅうせいわか東北とうほく西南せいなんぎょういたりえつ請討せき勒,且鎮しゅう兗豫以援京師けいしえつせん擅威けんため霸業,しゅうぐん攜貳,上下じょうげくずしはなれゆう懼成やまし,薨。

42 せつしげる:
りゅうあまりはつふうため淮陽おうすわえはんやぶのち,徙王魯,好治こうじ宮室きゅうしつえん囿狗ねんこうおとくちどもなんげんはつ壤孔舊宅きゅうたく,以廣其宮。聞鐘かおる琴瑟きんしつこえとげ敢壤。於其かべちゅうとく古文こぶん經傳けいでん

43 せつしげる:
りゅうきょうせいきょうこうこう經學けいがく京都きょうと莒,こう宮室きゅうしつ窮極きゅうきょく伎巧,殿しんがりかんかべたいみなかざり金銀きんぎんかずじょう詩賦しふ頌德,みかど嘉美かみきょうこく中有ちゅうう城陽じょうようけいおうまつ,吏民たてまつほこらかみすうげん宮中きゅうちゅうおお不便ふべん,乃復徙宮開陽かいよう

44 せつしげる:
司馬しば道子みちこ於府だい內築土山つちやま穿ほじ池沼ちしょうちくようこうすうじゅうひゃくまんまた使つかい宮人みやびとためしゅ肆酤賈於すいがわ道子みちこあずかしんこう乘船じょうせん就其いんえんわかざい肆,以為わらいらくもとあらわねんじゅうろく為政いせい苛刻,なまころせ自己じこ,矜豪奢侈しゃしはつひがししょぐんめんやつためきゃくしゃごう曰樂ぞくうつりおけ京師けいし,以充兵役へいえき道子みちこすんでしつけんとげ終日しゅうじつ昏醉ふく厝意,せい大小だいしょういちもとあらわもとあきら大治おおはる兵器へいき,聚徒じゅうまん百姓ひゃくしょう饑饉ききん人情にんじょう危懼きく,而道もとあらわおけさけ作樂さくら,竟以此敗。

45 せつしげる:
りゅうきゅうゆうざい荊州裒刻,在所ざいしょ財貨ざいか,以短ぜにいちひゃく民田みんだとうすんで就求白米はくまいいち斛,べいつぶみなれい潔白けっぱくわかゆうやぶおりしゃ,悉刪揀不受,民間みんかん糴此まいいちいちひゃく至時よしときまた受米,けいべいせめぜに,百姓嗷然不復堪命。せい狠戾,前後ぜんご忤上一旦いったんおもんばか將來しょうらいなんせいとげ方便ほうべんころせこれおくりなとげおう

46 せつしげる:
りゅう義康よしやすせいこう吏職,銳意えいい文案ぶんあん是非ぜひ不精ぶしょうつきためさむらいちゅうつかさろく尚書しょうしょごとすんでせんそう朝政ちょうせいなまころせ大事だいじみな以錄いのちだん。凡所ひねそうにゅう不可ふかかたはく以下いかなみ義康よしやす授用。よし朝野ちょうや輻湊ふくそういきおいかたぶけ天下でんか義康よしやすまたつよいきゆうたゆ倦。もんごとだんつね有數ゆうすうひゃく乘車じょうしゃ,雖復位ふくい卑人ほろみな引接いんせつまたさとし識過じんいち聞必,嘗所暫遇,終身しゅうしん忘。稠人こうすわまい標題ひょうだいしょ憶,以示聰明そうめい物議ぶつぎえき以此推服すいふく愛惜あいせきかん嘗以階級かいきゅう私人しじん。凡朝ゆうざいようしゃみな引入ほどこせ及忤むねそくためだいかんしたたのしため竭力。わたしおけろくせん餘人よにん以言だいとき四方しほうけんじ饋,みな以上いじょうしなこも義康よしやす,而以しゃ供御くごうえ嘗冬がつ啖柑,歎其がたあじなみれつ義康よしやすざいすわ曰:「今年ことし柑殊有佳ゆかしゃ。」ひとかえひがし柑,だい供御くごしゃさんすんいん此見はい

47 せつしげる:
りゅうよしきょう鎮彭じょう魯郡孔子こうしきゅうびょうかしわじゅじゅうよんかぶ經歷けいれきかんすすむ,其大連たいれんだきしゃかぶさきたおせおり土人どじん崇敬すうけい,莫之敢犯,きょう悉遣じんこれ父老ふろう莫不歎息たんそくよしきょうせい嗜不つねあずかときうつりへんはじめいたりおわり,屢遷だいたくあずかひとゆう款,こうまたおわり,而奢侈無あい財寶ざいほう左右さゆうおやこうしゃいちにち乞與いちひゃくまんしょうゆう忤意,輒追だつこれ大明だいめいともゆたかあつ,而用つね不足ふそく。賒市百姓ひゃくしょうぶつぜにかえ民有みんゆう通辭つうじもとめぜにしゃ,輒題作原さくはらぜん騎馬きばかい音樂おんがくゆうこうあるさんひゃくあずまいたるくれぐんとうとら丘山おかやままたとうすず烏山からすやま以望たい

48 せつしげる:
りゅう義宣よしのぶざい荊鎮じゅうねんへいつよしざいとみすんでくびそう大義たいぎ元凶げんきょう劭,威名いめいぶた天下でんか,凡所もとめほし畢從。朝廷ちょうていしょ制度せいどしょ不同ふどうしゃいち遵奉じゅんぽう。嘗獻しゅさきしゃくいんふうじおくしょあまり,其不識大體だいたい也如此。ため臧質所說しょせつにわか舉兵はん,以第八子慆為輔國將軍,荊州刺史ししひだり司馬しば竺超民輔たみすけこれおうもと謨舟ひたすらやなさんしゅう內,東西とうざいりょうきしため卻月じょう,營柵甚固。なでぐんやなぎもとけいよりどころしゅうとじゅく,臧質みちいれやなさんもと謨一里許結營。義宣よしのぶたむろかぶら西にし南風みなみかぜたけししつじょうふうしたがえりゅうおさむもと謨西るい,冗從ぼくしゃえびすともとうせんしつ,棄壘わたり就元謨。義宣よしのぶいたりやなさんぐん東岸とうがんおさむもと謨,もと分遣ぶんけんゆうげき將軍しょうぐんかきまもる、竟陵太守たいしゅ薛安出壘しゅつるい奮擊,大破たいは軍人ぐんじんいちとうすいまもるいんふうたて焚其ぶねじょう風勢ふうせいたけしけむり焰覆こうたてへいおさむだい眾奔つぶせ義宣よしのぶあずかしつしょうしつかくたんはやぶねほとばしはしあずか義宣よしのぶしょうずいせんはやぶねなおゆうひゃくそうおんなさきてき臧質ひろ入城にゅうじょうじょ以西いせい奔,いたり江夏えなつ,聞巴りょうゆうぐん,懼被鈔,かいいれ逕口,向江むかえりょう,眾散且盡,腳痛ふくぎょう。就民あいだ僦露しゃふくしょくえんどうもとめつげいたりこうりょうくるわがいひとほう竺超みんちょうみんへい眾迎とき內外なお如舊,おびかぶとまん餘人よにん義宣よしのぶすんで入城にゅうじょう,仍出聽事きゃく左右さゆう靈寶れいほう戒使拊慰うん:「むかしかん高祖こうそひゃくはいおわりなり大業おおわざ。」而義せん忘所戒告かいこくうん項羽こううせんはい」。眾咸掩口而笑,乃於內戎ふく,攜息慆及しょ愛妾あいしょうにんみなちょ男子だんしふくしょうずいいれしろ擾亂じょうらん白刃はくじん交橫,義宣よしのぶだい落馬らくば,仍便ちょうみん送出そうしゅつじょうがいいたりかく將士しょうし逃散つきただあまりおもんみ慆及わらわりょう黃門こうもん而已。よるかえこうしろ入南にゅうなんぐんそら廨,ゆかせきいたりだん黃門こうもんほうちょうみんくるまいちじょうおく剌姦義宣よしのぶいたりごく內,すわ歎曰:「臧質ろうやつあやまわが!」はじめあずかわらわ入獄にゅうごく。五妾尋被遣出,義宣よしのぶ號泣ごうきゅう獄吏ごくり曰:「つねにち今日きょう分別ふんべつはじめ。」ひろつきころせこれ

49 せつしげる:
りゅうきゅうはんよく舉兵かさね朝廷ちょうていみつあずかてん簽新蔡人もとこう輿こしはかりごと上表じょうひょうじょうろう堞,かい榜板,なずらえ以供ようとげ舉兵はんとりこはつ百姓ひゃくしょうせんじょう使つかい軍隊ぐんたいしょうりょく請受,づけ以先かい榜板,ごうしゅそうさん日間にちかん使つかい悉整辦,りつまん鐵騎てっきすうひゃくひきはつひろつき晝夜ちゅうやみちだいかみなり戍主もりどう欣馳つげへんみち欣至いち宿しゅくきゅうはんそくやめいたり新林しんばやし朝廷ちょうてい震動しんどううえおさむしんちんるい臨城みなみ,於前巘樓じょう以數ひゃくにん自衛じえいたむろこうじょうかい其可じょう,乃偽往請降,なみいつわりせんひとしおうむねきゅうはんだいせつ,以二子德宣德嗣與回為質,いたりそくこれ

50 せつしげる:
しょうはるかひかりはたはいふく識人,まごらく、曹樹せいつね心腹しんぷくづけ望見ぼうけんおこりもん左右さゆう:「此是なん?」こたえ曰:「したかんむこうれいじんしょう。」外間ほかま左右さゆう,仍問きょうだれ,曹樹せいこたえ曰:「まごらく。」仍問曹復だれ,曹以名答めいとう,仍言左右さゆうしたかん熱發ねっぱつひや沈飲,并勸はじめやす且還べつしょう消息しょうそく。於是よび轝至はじめやす便びんうつりころせ。於時めいみなざいがわ識人,沈昭りゃく昭光あきみつ一時いちじみなはるか光美てるみ風姿ふうし眉目びもく如畫,かみびんわかてんうるしたかしじゅんくち如含而足あしなえたいことこえたけしなおさんさい小兒しょうにせいさとし察,ぜん吏政,まいいたり朝廷ちょうてい大事だいじ,及揚しゅう曹獄,どういたりさんよんさら前列ぜんれつ倡人,後列こうれつ侍女じじょはなどくあきらただれ於其あいだ捉玉おうぎゆう以金縷灸刀自とじわりうし胘而しょくまいあかりみかどゆうしょ誅殺ちゅうさつ,必先取せんしゅ其名。あかりみかどだいややたく以後いごごとこうおもうたぐ焉,つね就王さく寶物ほうもつおうたてまつ琥珀こはくばんまいまいこうすん,炯然ほら澈,ゆうきずかすこうおもいかうん:「琥珀こはくしゃよく使とららいはくわが也。」仍匍匐ほふく下地したじさくひつじぎょうとげどうしんやましゆうちょころも祫而ふく入戶にっとおうぎうらおう交道もとたけしかち忿怒ふんど一旦いったん以手扳陰,とげちょうすうしゃく,屢有べつしゃ恆見つねみ丈夫じょうぶたぶさしたがえらいしも以齧じんにわかしつ所在しょざいまたゆうころせおにらい其齋ごう,轝兒むち流血りゅうけつ而反。つねしょおやしん鮮卑どう,及閹じんあきら紹,とうどうひざじょういたりよんさらちゅう覓飲,やめ而無じん矣。喚道またただあきら紹伏床下ゆかしたとううん:「ひとみな叛去。」眾軍悉至,於床これ

51 せつしげる:
しょうひびきざい荊州づくり仗,ちょう吏司みな以啟聞。おう知大ともひろいか,乃偽請入すわおこりすんでいたりすわ厲聲しょく而語曰:「ちちそく天子てんしせいふくづくりせんにん仗,此複なんいや,而君とげ以上いじょうけい?」二人ふたりゆか叩頭こうとう,拔褥刀自とじこれ,甚有膂力りょりょく,曾出獵しゅつりょうあたまらんよびくしけずすり於馬じょう,以手捉左右さゆう襢帶,すうしゃくれいりょうあたま竟乃放。此其いさむ也,竟被誅。

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