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金樓子 : 興王 - Chinese Text Project
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Chinese Text Project

きょうおう

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1 きょうおう:
粵若稽古けいこ天皇てんのうすめらぎ人皇じんのう分有ぶんゆうじゅういちきゅうとう曰五りゅうさん曰括つつみよん曰合雒,曰連どおりろく曰序いのちなな曰脩はち曰因きよしきゅう曰禪どおりじゅう曰疏訖。よう成氏しげうじ大庭おおばかしわすめらぎ中央ちゅうおうぐりりく、驪連、赫蘇そうほうりかず渾沌こんとんひろしえいゆうしゅじょうかずらたかしかげやすしふところ

2 きょうおう:
ふとひろしみかど庖犧ふうせい也,はは華胥かしょひうちじんゆう大跡おおあとかみなりさわ華胥かしょくつなま庖犧。へびじんくびゆう聖德せいとくひうちじんぼつ,庖犧だいつぎてん而王くびとく於木,ためひゃくおうさきひねいたり于其こう,霸而やめ

3 きょうおう:
ほのおみかどかみみのりきょうせい也,はは曰女とうためしょうてんゆう華陽かようゆうかみりゅうかんおんなとうなまえんみかど人身じんしん牛首うしくびゆう聖德せいとく,以火うけたまわひね,遷魯。よしみ禾生,醴泉在位ざいいひゃくじゅうねん

4 きょうおう:
みかどゆうぐまごうのきながえまた曰帝おおとりしょうてん之子ゆきこひめせい也。またせい公孫こうそんしょうてんめとゆう蟜女たからだい電光でんこうにょう北斗ほくとくるるほしあきら郊野,たからじゅうがつせいみかど龍顏りゅうがんゆう聖德せいとくなま而神れいじゃく而能ごとよう而循ひとしちょう而敦さとしなり聰明そうめい。受國於有ぐまきょのきながえ邱,迺與えんみかどせん於阪いずみ,三戰然後得行其志。こごめ軼草せいにわ佞人ねいじんいれそくゆびまたゆうけいぼし、麟鳳みず,乃以ふうきさきはい上台うわだいてんろうはい中台ちゅうたいせい配下はいかだいいいさんおおやけおけ左右さゆうだいかん以治じんとくたからかなえきょうふうぜんみかど於元扈之じょう太一たいちらいゆうだい螻如ひつじみかど曰,土氣つちけしょう以土德王とくおう在位ざいいいちひゃくねんゆうよんなまじゅう

5 きょうおう:
しょうひろしみかどきむたかしいちごうきゅうくわ,二曰白帝朱宣帝,みかど之子ゆきこひめせいはは曰女ぶしみかどゆう大星おおぼし如虹,下流かりゅうはななぎさかんせいしょうひろし於窮くわためもと囂,せいひめあるうんおのれくだきょすい,以登帝位ていい。以金うけたまわきょく阜,ゆうおおとりとりみず。以鳥かんおおとりとりためれきただしもととりためぶんはくちょうためつかさいたるあおとりためつかさひらくとりため閉,しゅくばとため雎鳩みさごためそら,爽鳩ため寇,鶻鳩ためごと雉為こうただし,九扈為九農正,天下てんか大治おおはる焉。

6 きょうおう:
みかど顓頊だかようみかどまごあきら之子ゆきこはは曰女くるるきむたかしすえよう光之みつゆきほしぬき如虹,かんおんなくるる於幽ぼうみやみぎおびえゆうきゅうしょくなま顓頊。以水うけたまわきむはじめきゅうくわ,徙商邱。

7 きょうおう:
みかど嚳高からししょうひろしまご,蟜極之子ゆきこなま而神れいげん其名曰逡,𪘀。以木うけたまわ亳。在位ざいいじゅうねんもとゆう邰氏,おんな曰薑嫄,なまきさききびつぎゆう娀氏,おんな曰簡翟,なまちぎりつぎひね鄷氏おんな曰慶なま堯。つぎ陬訾おんな曰常生子おいご摯。摯立不善ふぜん,乃立堯。

8 きょうおう:
みかど堯,勛,いちめいどう成育せいいくとうとうみかど嚳之祁姓也。はは曰慶ため嚳妃,かんかわなぎさぐうあかりゅう而孕。やどりきちょう儒家じゅかさんきのえさるとし而生堯,りょう也。堯眉はちさいにちかくかたそく有元ありもと武之たけゆきゆうさんかわぶんゆたかするどじょう,就之如日,もち如雲。おさむじゅんころも,彤車白馬はくばふゆそく鹿しか裘,なつそく絺葛。さい椽不斲,かいさんとう克明こくめい俊德としのり,以親九族きゅうぞく九族きゅうぞくすんでむつみたいらあきら百姓ひゃくしょう百姓ひゃくしょう昭明しょうめい協和きょうわ萬邦ばんぽうこげ僥氏らいけんじぼつつねとしひととくしんけんじわかひつじめい曰獬豸,堯乃緝其がわ以為ちょうふんいのち羲仲、かずなかにちちゅうぼしとり,以殷仲春ちゅうしゅう日永ひながほし,以定仲夏ちゅうかよいちゅうほしむなし,以正仲秋ちゅうしゅうにちたんぼしすばる,以正仲冬ちゅうとうときもとみみ之子ゆきこめい曰由,どうひらけいちなかたけしなかたけし黃白こうはくしょくちょうはちしゃくきゅうすん兄弟きょうだいななにんじゅうきゅう而隱。堯欲ぜん由乃ゆのあらいみみ後景こうけいぼし曜於てん甘露かんろくだ於地,しゅ草生くさわ於囿,鳳凰ほうおうとめ於庭。以艸疌莆蓂莢みず於平いのち羲仲、羲叔、かずなかかず叔掌四方しほう在位ざいいよんじゅういちねん洪水こうずい滔天とうてん懷山ふところやまじょうりょうよんたけ舉鯀治水ちすいきゅうねん績庸なり。五十年乃更諮四岳,とくしゅん,乃在璿璣だま衡,以齊ななせいるい上帝じょうてい,禋於ろくむねもち山川やまかわべん於群みず。堯崩,乃葬ずみかげじょうびょうきょひとしぐんゆうかしわじゅ更生こうせい焉。しゅん攝政せっしょうじゅうはちねん,堯乃殂。さんねんれい畢,しゅん避丹しゅ於河みなみ諸侯しょこうあさ覲,訟獄しゃこれしゅ而之しゅんしゅん曰:「乃天いのち也。」はつ堯教しゅ棋,以文くわためきょくさいぞうため

9 きょうおう:
みかどしゅんゆうおそれ龍顏りゅうがん大口おおぐちえん天日てんじつかくがくじゅうはなそくくつかめぶんじゅう瞳子どうし身長しんちょうきゅうしゃくいちすんつねゆめげきてんはは曰握とうはやおわり。瞽叟さらめとなまぞうぞう傲,瞽叟頑,はは囂。咸欲ころせしゅん使つかいしゅんにゅう鑿井さくせいつくりぎょうじゅうさと。以孝聞。さん十而帝堯問可用者,よんたけ咸舉しゅん。堯於くだ以女娥皇おんな瑩配つましゅん,以觀其內。使つかい九男與處以觀其外。二女不敢以貴驕事舜親戚,甚有婦道ふどう。堯きゅうなんみなえきあつししゅんこう於歷さんれきやまひとみなゆずるほとり耕地こうちとく金枝きんしぎんぶしりょう於靈さわ土人どじんみなゆずるきょすえ於河はまかわはまみな窳。一年而所居成聚,ねんなり邑,さんねん成都せいと。堯乃ためししゅんてん百官ひゃっかんみなぬの五教ごきょう四方しほう。堯乃おい使つかいしゅんあるき天子てんしせいじゅんかりとく用事ようじきょう雲出くもいでけい星見ほしみ西王母せいおうぼ使使じょうしろ鹿しか羽車はぐるまたてむらさきはたらいけんじしろたまき玦,えきじょう。綏耳ぬきむねみんらいけんじたまえびすんでのぼる帝位ていい,以土うけたまわ都平みやこたいいのち禹為そら,棄為きさききびちぎりためとがめ繇為たれためどもこうえきためちんおそれはくえびすため秩宗,夔為てんらくりゅうため納言なごん。庶績咸熙,ぐんみず畢集,しょう韶九なり鳳凰ほうおうらいげきせき拊石,ひゃくけんじりつまい生子おいごしょうひとし不肖ふしょうしゅんふくぜん禹,いれきゅううたぐやまおけ銅劍どうけんいちまいためつぶてこんすみみなみれき城有しろありほこら太陽たいようさんゆうおそれさんせき闕也。禹即じゅうねんしゅん乃殂。禹讓しょうひとし,避之じょう天下てんか不歸ふきしょうひとし而之禹。はつしょう均一きんいつめいあきら

10 きょうおう:
みかど禹夏きさきめい曰文いのち高密こうみつははおさむやめ山行さんこう流星りゅうせいぬきすばるかんまた吞神たま薏苡,むね坼而せい禹於せき坳,よるゆうしんこうちょう於隴西にしだいなつけんりゅうかくたまにわとらはな大口おおぐちりょうみみさんちりばめしゅ戴鉤鈐,身長しんちょうきゅうしゃくきゅうすんむねゆう黑子ぼくろ如玉焉,手長てながいたりひざずね左手ひだりてちゅうじゅうなな黑子ぼくろためじんさとしきゅうかつつとむ,其德たがえ,其言しんこえためりつため。乃遂あずかえききさききびたてまつみかどれい諸侯しょこう百姓ひゃくしょうきず先人せんじんちちこんこうなり受誅,乃勞こげおもえもん不入ふにゅう而洪水平すいへいすんでのぼるもときさき,以金うけたまわ都平みやこたいある營安邑,うす衣食いしょく而致こう於鬼しん,卑宮しつ而致於黻冕。陸行りくこう乘車じょうしゃみずゆき乘舟のりぶねどろぎょうじょうそり山行さんこうじょう檋。かみ鹿しか於河すいてんすずもとけいいぬいわれこくけんじ裘,毛有けありさいふくこもとがめ繇於てんはた以致ぜんかいとがめ繇終,ふくこもえき。禹殂,そうかい稽。びょう中有ちゅううてつ屟鐵さいかち石船いしぶりびょううらゆうぬり山神さんじんしゅうとぞうたま璣為ちょう寶玉ほうぎょく琱華,しょびょう莫及。とうちゅう山水さんすいもり良辰りょうしん吉日きちじつあやぎぬ袨服,滿まんはし樑之じょうみなきんみどりためかざりかみまた甚靈,かれにんしょけいはつ,禹娶ぬりやまおんななまけいさんねんれい畢,えき避啟,にん不歸ふきえき而歸けいいちめいけんいちめいあまりはは而為せきけい即位そくいゆう扈氏,けい庶兄也。なつ禹氏ぜっしょうかんいずる於竇なかふく禹跡也。

11 きょうおう:
なりせいめいくつてんおつおおかみぼししらげかんくろりゅう而生。高天こうてん廣角こうかくたかしじゅんゆうたて,如印綬いんじゅぶんゆたか兌上,皙而ゆうひげちょうきゅうしゃくよんすんはちひじ。凡有ななごういちめいせいせいうんくつちょうさんうんやせ肚,よんうん天成てんせいうんてんおつろくうんかぶとななうんなりなりはじめきょ亳,したがえ先王せんおうきょさくしょう誥》。せい諸侯しょこうかずらはくまつはじめこれ曰:「なんじ不能ふのうけいいのちだい殛之,ゆう攸赦。」さくせい》。いんごうおもね衡,おもね衡欲みき而無ゆかり,乃為ゆう莘氏媵臣,かなえまないた以滋あじせつ,致於王道おうどういい曰:「すすむ道也みちや。」乃令かえ其本使つかいじん聘迎,五反然後從之,にん國政こくせいしろおおかみ銜劍,ゆうかみ人身じんしんとらくびけんじだまきょう白狐びゃっこきゅう諸國しょこくみつぎだまばんにゅう北門きたもんぐう女房にょうぼうさく女房にょうぼううた》。はやしいつきひさしはな一旦いったんなま如凰つばさ湯出ゆで見野みのはりもうよんめんしゅく曰:「上下じょうげ四方しほうみなにゅうわれもう。」曰:「噫!つき矣!」乃去其さんめんしゅく曰:「よくひだりひだりよくみぎみぎ用命ようめい,乃入われもう。」諸侯しょこう聞之曰:「とくいたり矣,及於禽獻。」とうなつ桀為虐政ぎゃくせいいんあら而諸こうこんわれためらん乃興りつ諸侯しょこう桀,はい於有娀氏墟,奔於鳴じょう,乃改正かいせいついたちふくしょくあさ諸侯しょこうくずしそう於濟かげ亳縣東北とうほくかくけんさん,冢高ななしゃくかんあいみかどだいつかさ空行くうぎょう冢。またせつ曰:いんそうしょ。此言焉。たけちょうだいつちのえなみ賢君けんくん也。しゅうぶんおうあきらおおかみぼしせいはは大任たいにんゆめ長人ながとかんおのれゆう胎。あくしょくみみ聽淫ごえ,以胎教之のりゆき。溲於いのころうなまぶんおう龍顏りゅうがんとらまゆ身長しんちょうじゅうしゃくむねゆうよんちち即位そくいため西伯さいはくゆうすずめせい鸇於いん城隅じょうぐうぶんおうぞうおさむせいさんねん四方しほう諸侯しょこうみなふくたかしこう譖之於紂,紂不納ふのうなかまたげん於紂,よく誅之,紂不したがえきゅうねんはるさんがつりつろくしゅう諸侯しょこうあさ於殷。たかしこうとらまた譖之,紂怒。しゅうぶんおう於羑さと,雖有憂患ゆうかんほうおさむさききよしこれぎょうこうかいろくじゅうよんちょ其卦いいためしゅうえき》,いい西伯さいはくためひじり。紂疑而未たがえ長子ちょうしはく邑考しつ於殷,ため紂御,紂烹ためあつものたまものぶんおう以試じつきよしとうしょくあつものぶんおうとく而食焉,紂笑曰:「だれいい西伯さいはく聖者せいじゃしょく其子而尚不知ふち。」紂謂西伯さいはく曰:「譖汝しゃちょうはなけつみみ也。」ぶんおう曰:「此崇こうとらじょう。」紂赦ぶんおう。四十三年春正月庚子朔,ぶんおうざい鄷,九州きゅうしゅう諸侯しょこう咸朝,ぬき聚房しんしゅう分野ぶんやどき有鳥あっとり銜丹しょしゅう於周しゃおう乃獻らく西にしあか壤之こくかた千里せんり,請除炮烙けい,紂許焉。たまもの弓矢ゆみや鈇鉞,使つかいせんせい天下てんかだいえつゆう鳳凰ほうおう銜書而至,ぶんおう稽首受命じゅめいとし即位そくい江漢こうかんいき。以受命じゅめいはじめねん也。

12 きょうおう:
しゅうたけしおうはつもちひつじだか𪘀なま而有こうふとしおおやけしゅうこうさく輔。たけおう渡河とか紂,中流ちゅうりゅう白魚しらうおおど入舟いりふねちょういちしゃくよんすん一說いっせつうんこい未知みち孰是。たけおう俯取以祭。すんでわたりゆういたり於王りゅうためがらす,其色あか,其聲たまうん諸侯しょこう而會めいしゃはちひゃく諸侯しょこうみな曰:紂可也。たけおう曰未。乃還きょねん,聞紂昏亂暴虐ぼうぎゃくしげる甚。ころせ王子おうじしゅうたいきずしょうつよしだき其樂而奔しゅうつちのえうまわたりめい諸侯しょこう咸會,ともぎょう天罰てんばつ甲子きのえね昧爽まいそうたけ王朝おうちょういたり於商郊牧野ぼくや,乃誓。たけおうひだり仗黃鉞,みぎ秉白旄。紂聞たけおうらいまたはつへいななじゅうまんにん距武おう。紂師雖眾,皆無かいむせんこころこころよくたけしおう亟入。及紂みなたおせへい以戰,以開たけおうたけおうはせこれもち太白たいはくはた以麾。諸侯しょこう畢拜たけおうおう乃揖諸侯しょこう諸侯しょこう畢從たけおういたるしょうこくしょう百姓ひゃくしょうまち於郊。於是てんすず黃鳥こうちょうはたとげにゅういたり紂死しょたけおうしゃさんはつ而後下車げしゃ,以輕けんげき,以黃鉞斬紂頭,かかこれ大白たいはくはた。肅眘けんじせき砮楛にわくにけんじぶんさい駝。いのちしゃく百姓ひゃくしょうこれしゅうおもてしょうよう閭,いのち南宮なんぐうくく鹿しかだいざいはつ鉅橋あわ以賑貧弱ひんじゃくときえびす雍之めいはくえびす、叔齊,しょくしゅうあわかつえ於首おうしか鹿しか以為ぐん。叔齊おこりがい鹿しか鹿しかはくえびす恚之而死。

13 きょうおう:
かん高祖こうそりゅうちち名執なとりよしみはは曰含はじめいれちゅうよくだま雞銜あかたまめい曰玉えい,吞之ゆう孕。むかし孔子こうしゆめ三槐間豐沛邦有赤蛇,ため黃玉おうぎょくうえゆうぶん曰「きんがたな,此其みず矣。みかど須髯,たかしなずらえよう直言ちょくげんこうはかりごと多欲たよくたいらしんすわえなんばちらんはんせい,雖不おさむ文學ぶんがく,而性明達めいたつさとしかんもん戍卒,みる如舊。はつしたがえ民心みんしんさくさんしょうやく天下てんか既定きていいのちしょうなん律令りつりょうかんしんさる軍法ぐんぽうちょうあおいじょう章程しょうてい,叔孫どおりてい禮儀れいぎりく賈造《新語しんご》,またあずか功臣こうしん剖符さくちかいしょてつけんきむ匱石しつぞう宗廟そうびょう。雖日ひまきゅう規模きぼ宏遠こうえん矣。

14 きょうおう:
かんふとしそうひさし即位そくい宮室きゅうしつえん囿、くるまふくしょ增益ぞうえきゆう不便ふべん輒弛以利みん。嘗欲さく露臺ろだいだいもとやめなりはた構,召匠けいちょくひゃくきん,乃曰:「ひゃくきんちゅうじんじゅういえこれさん也。われたてまつ先帝せんてい宮室きゅうしつ,嘗恐羞之,なに以臺ため?」ころも弋綈,しょさいわいまこと夫人ふじんころも曳地ひきち,幃帳無文むもん繡,つねしゅう上書うわがき囊以ため殿どのとばり兵器へいき,以示あつしほおため天下でんかさきそう霸陵,みな瓦屋かわらや金銀きんぎんどうてつためかざりよしやまおこりふんみなみ粵尉佗自立じりつためみかど,召佗兄弟きょうだい以德ふところ,佗遂しょうしんあずか匈奴きょうどゆい和親わしん,而背やくいれぬすめれいあたり備守,不發ふはつへい深入ふかいりおそれはん百姓ひゃくしょうくれおう濞詐びょうあさたまもの以几つえ群臣ぐんしん袁盎とう諫說雖切,つね假借かしゃくおさめよう焉。ちょうたけしとう受賂金錢きんせんさとしさら賞賜しょうし以愧其心。專務せんむ德化とっかみん以海內殷とみきょう於禮斷獄だんごくすうひゃくいく致刑措。いたり於中むねせんみかど樞機すうき周密しゅうみつひんしき備具,こうたくみ器械きかい先代せんだい莫及。みんかしこ其法,吏奉其職矣。

15 きょうおう:
かんぶん叔,たてひら元年がんねんじゅう二月甲子夜生於武帝故宮,ゆうあか光照みつてるしつかげ如五麟ななおおとりこうもちはくおもねためおう莽。使つかいいたり南陽なんようはるかうすりょう城郭じょうかく,曰:「けい哉美うつうつねぎねぎ。」みかどひげまゆ身長しんちょうはちしゃくななすん,腳下ゆう文色あいろ如銀しるしあついちふん更始こうしおこりへいかえはるりょう遠望えんぼうしゃ內火,ひかり赫然ぞくてんゆめじょうあかりゅうのぼる天上てんじょうたま陛玉闥,乃以さん千人破王莽百萬眾。及即位そくい能平のっぺい隗器公孫こうそんじゅつとうざいへいすんでひさしいや武事ぶじ,嘗思いきかた皇太子こうたいしとうといおさむせんことみかどさとし曰:「まもるれいこうといひね於孔孔子こうしたいなんじしょ及也。まいだんことにち仄乃やめだん遠方えんぽう餉異あじめずらし功臣こうしん高枕たかまくらしょ誅殺ちゅうさつ。引公卿くぎょうこうろん經理けいり夜分やぶん乃寐。太子たいし諫曰:「陛下へいかゆう禹湯あかりしつ彭聃ぶくねがい顧愛精神せいしん。」みかど曰:「わがらく不為ふためつかれ也。」雖身ずみ大業おおわざ兢兢きょうきょう如不及。のうあきらまき政體せいたい總覽そうらんけんつな。嘗有けんじせんさとしゃみかど曰:「鑾旗ざいまえぞくしゃざいちんじょう此安。」乃以しゃはつじゅんかりうすりょう父老ふろう曰:「乞蠲じゅうねん。」みかど曰:「天下てんか艱難かんなんさんねんやめがいあにのう?」乃蠲さんねん退すさくんしんしんぶん吏,ころもだいねりいろじゅうさいみみ聽鄭まもるおと珠玉しゅぎょくおうぎみやぼう無私むしあい左右さゆうへんおんそん篽,はいほこりょうたまものしゅうこくなみみな一札いっさつじゅうぎょう細書さいしょ成文せいぶんつとむやくこれふうぎょう上下じょうげ。嘗著みずかご,內外匪懈。百姓ひゃくしょうひろしいき,戢弓矢ゆみやうまうししんとめほこため武也たけや

16 きょうおう:
たけみかど曹操そうそうようだい較依孫吳そんごほう。而因ごとしつらえりょうてき制勝せいしょう變化へんか如神。自著じちょ兵書へいしょじゅうあまり萬言まんげんしょしょう征伐せいばつみな以新しょ從事じゅうじ臨時りんじ義手ぎしゅため節度せつどしたがえれいしゃかつとしたがえきょうしゃはいあずかとりこふうじん意思いしやすあいだ,如不ほっせんしか。及至けつじょう氣勢きせいみつる溢。まいせん必克,ちょうりょうじょあきら於亡とりこなかみないのちりつこうれつため名將めいしょう。其餘拔出ぬけで細微さいびとうためまきもりしゃ不可ふかかちすう創造そうぞう大業おおわざ文武ぶんぶなみほどこせ御事おんことさんじゅうねん捨書。ひるのりこうぐんさくよるのりおもえ經傳けいでん登高とうこう必賦,これ管弦かんげんみななり樂章がくしょう才力さいりょくぜっじんしゃ飛鳥あすか,躬擒猛獸もうじゅう。嘗於みなみがわいち日射にっしゃろくじゅうさんとう。及造宮室きゅうしつつくろえ器械きかい不為ふため法則ほうそくみなつき其意。みやびせい節儉せっけんこう華麗かれいおさむじょう拔邑,とく靡麗もののり悉以たまもの有功ゆうこうくんろうよろししょうしわ千金ちがねこうもちほどこせふん毫不あずか四方しほうしょけんじあずかぐん共之ともゆき自制じせいおくおわり衣服いふくよん篋而やめ

17 きょうおう:
すすむ安世やすよしょう厲高ぎょう造次ぞうじ必於仁恕じんじょ未曾有みぞう失言しつげんしょく於人。しか而明たちぜんはかりごとのうだん大事だいじ。暨登だい阼之せい強國きょうこく御下おしも有禮ありのり所以ゆえん鎮壓ちんあつ內外,輯靜四方しほうめぐみまいりひろし文武ぶんぶ必舉,天下てんかふく焉。うけたまわたかし奢侈しゃし刓弊これ,百姓思古之遺風。みかどすんでけん儉寡よくまたみやび識時へん,臨朝ふところ愷悌,つとむたかし簡泰。有人ゆうじん餉雉あたま裘者,そくれいやき朝廷ちょうてい輯睦,きょうきょかん威服いふくきょうくれ規模きぼ宏遠こうえん,雖饗こくひさとくあまね於民矣。其後めぐみふところみだれちゅうむねひがしわたり所謂いわゆる五馬俱渡江,一馬化為龍者也。

18 きょうおう:
そう高祖こうそいさお輿こしきよし簡寡よくいむせいゆう法度はっと嘗視珠玉しゅぎょく輿こしかざりにわ紈綺絲竹いとたけおとせんしゅう嘗獻琥珀こはくまくらひかりしょく甚麗。ときしょしょうきたせい,以琥珀治金瘡きんそうみかどだいえついのち搗分たまものしょしょうたいらせきちゅうとく姚興したがえおんなゆうもりちょう以廢ごとしゃみそ諫,即時そくじだしざい帛皆在外ざいがい,內無私藏しぞうそうだいけん有司ゆうしそう東西とうざいどうほどこせきょく腳床ぎんぬりくぎみかどもと使用しようちょく腳床,くぎようてつしょあるじてきおくじゅうまんにしき鏽金だま,內外たてまつきん,莫不節儉せっけんこうこうたけみかど大明だいめいちゅう,壞帝しょきょかげしつ,於其しょおこりだましょく殿どのあずか群臣ぐんしんかんゆかあたまゆうさわかべじょう挂葛燈籠どうろう廣州こうしゅう所部ところぶせんせきゆうけんじにゅうつつほそぬの一端いっぱし八丈はちじょうみかどすんであく其精うららろう民力みんりょくそくづけ所司しょしだんまきまもる,以布かえこれ,并制りょうみなみ勿作此布。みかどもとゆうねつやまし,并患金瘡きんそうすえねんゆうげき坐臥ざがつね須冷ぶつ,而未のうとく後人こうじんけんじせきゆかみかど善之よしゆき其上,そくさとしごく以為けい。乃歎曰:「ゆかなおもちいいさおしょうきょう乃鐫せき。」そくかえ其人,またれい毀之。みかどはじめゆうぐん彭城,おけしゅいのちひつ曰:「さきとろけ臨淄寇,卻清かわらくちり華陽かようゆういっ驥,ももりんふく。」於是ぐんざいなみさく也。

19 きょうおう:
そうふとし義隆よしたかねんじゅうよん身長しんちょうななしゃくすんこう讀史どくししょぜん楷隸,のう文章ぶんしょう溫和おんわ有人ゆうじんくんとく,及南めん扆,ふか以子みんためさきだい殿どの堂宇どううしょ改易かいえきため吏長子孫しそんきょかんなりせいごうあきら法令ほうれい時人じじんいいゆうけん安永やすなが平之ひらのふうまいいたり諸侯しょこうおうえんしゅう,必先ろん國家こっか政務せいむあさ訖晡,迺設しょくれい而語じん曰:「せんじょうきみようきょじんたかわれ所以ゆえん便びんしつらえしょくれい此輩やや饑寒きかん也。」けい巡歷じゅんれき至上しじょういい左右さゆう曰:「此庫內大ゆうぜにことともねがい。」左右さゆう曰:「此縣かんものみみなにともねがい耶?」みかど曰:「此皆國家こっかものわれたてまつ先帝せんていまつつね懼羞四方よもゆたかみのりくらあわみなべにしょう租賦まいぜに也。」

20 きょうおう:
りょう高祖こうそたけし皇帝こうていなま靈異れいいゆう聖德せいとく。頸光りゅうえきしたぶんはちいただきたれたいじゅうおかがく照日てるひぞうゆうぶんざい曰武みかど并上いみなさんはじめざい髫髮,便びんあいきんしょ容止ようし進退しんたい自然しぜんあいれいつねあずか兒童じどう鬥技,所持しょじ,躡空而立じりつかんしゃげきぶし,咸共しょうしん。及遭けんじぶときさきゆう,哭踴だいいたりきょあい高柴たかしば不能ふのう也。まい孝子こうしでん曾終じく輒輟しょ悲慟。よし家門かもん愛重あいちょう使つかいたれどうとう於晚ねんさがせ賾索かくれ窮理きゅうりつきせいきわむらんふんせきかみさとる讀書どくしょまちぬる,一閱皆能成誦憶。所以ゆえんはせ古今ここん,備該內外,辨解べんかいれんたまきろんせいけんしろ。沛國りゅう瓛,當時とうじうまていうえごと疑義ぎぎみやびしょう推揖,ふか沈靜ちんせいだま雜交ざっこうゆう所與しょよ往來おうらい一時いちじざい雋。いたり於得じんもんしょう多士たしきょ宇精肅,つねゆう煙霧えんむたれれん拱帳,もちしゃ竦然しょうぜんろくよんはじめゆうかいれいたい登高とうこう必賦,莫非警策きょうさく弱冠じゃっかんますあされいといせき甚。ふとしじょうおう儉,ひとしこくおもね衡,欽上風雅ふうが,請為曹屬。つかさ竟陵おうひとししつ驃騎,招納りんまちじょうまろうど友之とものれい。范雲ためしつふか慕上とくゆいしんゆうくるまいたもん頃日けいじつ驟至,うえ嘗旦往報くもくも街衢がいく灑掃,喚呼清道きよみちにわか聞笳こえくも天子てんし幸南こうなんえんひろ乃上どおり焉。こころどくかい敢言也。うえあきら於知じんおもんばかのこことれき法曹ほうそうさいしゅじょう會友かいゆう輔仁しょくえいあきらきゅうねんため鎮西ちんぜい諷議,西にし上述じょうじゅつしょくくだりぎゅうなぎさちょく暴風ぼうふうそつおこりにゅうとまりりゅう瀆,すんで波浪はろう不可ふかしずかのぼりきし逍遙しょうようよんもちやなさん,瞻眺墟落。いち長老ちょうろう,披儒ふくいたり,揖上曰:「きみ龍顏りゅうがんとらそう不可ふかげん天下てんかかたみだれ四海しかいいちやす蒼生そうせいしゃ其在くん乎?」じょうわらい曰:「かんこう長者ちょうじゃようおどけ。」にわか而風せい,此夕竟屆しゅうとじゅくえいあきらじゅうねんふとし登遐とうかうえはじめうけたまわ便びんそくげんけいふね仍發,しゅうおくのこいちしょ受。ひとしずいぐんおうとめいち宿やどもととくたんていもちぼし上路あげろはんふうおかせなみ兼行けんこういき。雖狂飆地はつ高浪たかなみたかしゆうふね行平ゆきひらただしつねわかやすりゅうふね中之なかのじんみなしょうしんこと。及舟臨沒,さけべ輟聲,かささぎあたま戍主しゅうたちたてまつうえいちせん,奔波就路,いたりきょうしゅん自在じざい便びんたらいくし寢食しんしょく俱廢,こげゆうえきがたじん識。もちたくたてまついみな氣絕きぜつ良久よしひさすんでそう,嘔血すうしょうみず漿不入口いりくちしゃよんにちゆうふく內,ふく嘗米,しょむぎにちちゅう溢。再拜さいはい山陵さんりょうつえ而後おこり涕淚ているいしょ灑,まつため變色へんしょく。及號おもえいおりしつとう,仍留山陵さんりょうよしよく隱遁いんとんふとしでんせんおう諫乃どめゆう桑門そうもんしゃくそうてる不知ふちしたがえなんらい也。うんゆうもとまけほうつうめいまいじょう而驚曰:「檀越だんおちいただきゆうふくりゅう,此非人臣じんしんこれしょう貧道ひんどうしょ未見みけん也。わかふう泰山たいざんねがい能見のみ覓。」うええみ而不こたえ。此後莫知しょひとしあきらみつ敕上ため雍州りょうへい,往救新野あらたの。仍即はつ引,たび長途ちょうと號令ごうれいせいいわおところ秋毫しゅうごう不犯ふぼんしんしょう分明ぶんめい士卒しそつ咸思つきいのち。凡公わたし行旅こうりょとまだいかみなり,輒逾信次しんじ肯時はつうえぐん浦口うらぐち,值風おこりなみせい,沿流さかのぼなみ敢行かんこうしゃぐんちょくへいけい風浪ふうろうだい不可ふかおかせむべにゅううらまちせいけんおうかいしゅうなんろうしんうえ曰:「しゅうこう瑾何ざいむかし勤王きんのう,如我今日きょうまたふくなんことしかわかゆうれいとうれいふうしずか。」いんじょう催進。くだりとお便びん恬風いき。於是わたるつねじょう便びんふうかん沔穀とうと百姓ひゃくしょうおおひだるうえにぎわいすくいとぼしぜっ,闔境匱。九月くがつきゅうにち上出かみでこうおんなかんしゃ遠近えんきん畢至。中間なかまゆるがせ暴風ぼうふうおこりけむりちりよんごうとううえしょ獨白どくはく清照きよてるゆう紫雲しうんとくおこりはじめひとしこう在府ざいふゆめちょ屐,うえ太極たいきょく殿どのさんにんしたがえいちしたがえひとしたけ一人ひとりひとしあきら,一人張天地圖而不識。げんふとし子弟してい。及踐阼,嘗與太よた密謀みつぼういいふとし租曰:「わが辛苦しんくとく天下でんか,而祚つてまごわが龍子りゅうことうとく龍子りゅうことうぞくおもねたび。此後とうかえさと。」子孫しそんとげ至大しだい霸。及太でん援京邑,よるざいえつじょうかり寐,ゆるがせ夢見ゆめみいち大人おとなちょしゅころも,牽さんひきらいふとしでんいんいちひきあがむなし半天ばんてん而墜。つぎ衡陽おう,一馬踴過屋而落。こううえいちひきいん化成かせいりゅうとげ上天じょうてん。此幽さん神明しんめい吉之よしゆき先見せんけん。及受おわりふとしまこときょうたかられきたいじょう內起いたりたかし殿どの,庶羞ひゃくひんわかいんこも焉。其中ずいたま璧,えんふちかた,侔於宗廟そうびょううえみそさくひさしごう慟哽ぜっ,躬至もんわかぶんおうため世子せいし也。またたてまつためふとし,於鍾山起やまおこしだい愛敬あいきょうてらまたたてまつためけんじきさきおこり大智たいちてら即位そくいじゅうねんいたり於安上治うえじみんうつりふうえきぞくえつおわりいにしえとく而稱焉。またさく聯珠れんじゅじゅうしゅ以明孝道たかみちうんふくひろわがすめらぎため孝也たかやよんうん推移すいい以榮落遷貿,五德ごとくさらよう以貴賤革しん。臨朝はしだますきおもえわたる慚;たれ拱巖ろう風樹ふうじゅ悲踰きりひとしきよし宗廟そうびょうけんごと郊禋。げん未發みはつ而涕れいようどるあらため而傷慟。所謂いわゆる終身しゅうしんしゃいい也。ぶたおそれしゅんなつ禹,しゅうぶんはりみかどばんこれちゅうよんにん而已。

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