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イラン・コントラ事件 - Wikipedia

イラン・コントラ事件いらんこんとらじけん

アメリカ政府せいふがレバノンでテロリスト集団しゅうだんらえられたアメリカじん解放かいほう目的もくてきにイランとうら取引とりひきをしたうえ同国どうこく武器ぶき売却ばいきゃくし、その代金だいきんをニカラグアの反共はんきょうゲリラに提供ていきょうした事件じけん

イラン・コントラ事件いらんこんとらじけん(イラン・コントラじけん、Iran-Contra Affair)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくロナルド・レーガン政権せいけんが、レバノンシーアテロリスト集団しゅうだんらえられているアメリカじん解放かいほう目的もくてきとしてイランうら取引とりひきをしたうえに、アメリカ国家こっか安全あんぜん保障ほしょう会議かいぎから同国どうこく武器ぶき売却ばいきゃくし、さらにその代金だいきんニカラグア反共はんきょう右派うはゲリラコントラ」の援助えんじょ流用りゅうようしていた事件じけん1986ねん発覚はっかくするや、アメリカ国内こくないのみならず世界せかい政治せいじてきスキャンダルに発展はってんした。イランゲート(Irangate)といわれた。

ホワイトハウスうち記者きしゃ会見かいけんおこなうロナルド・レーガン大統領だいとうりょうなか

概略がいりゃく

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イランとのうら取引とりひき

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イランアメリカ大使館たいしかん人質ひとじち事件じけん

1985ねん8がつに、アメリカぐん兵士へいしらがレバノン(内戦ないせんちゅう)での活動かつどうちゅうイスラム教いすらむきょうシーアけい過激かげきであるヒズボラ拘束こうそくされ、人質ひとじちとなってしまった[注釈ちゅうしゃく 1]

人質ひとじち救出きゅうしゅつするため共和党きょうわとうのロナルド・レーガン政権せいけんひきいるアメリカ政府せいふは、ヒズボラのうしたてであるイランと非公式ひこうしきルートで接触せっしょくし、イラン・イラク戦争せんそうイラクたたかっていたものの劣勢れっせいであったイランにたいし、極秘ごくひうら武器ぶき輸出ゆしゅつすること約束やくそくした。このよう状況じょうきょうでのイランへの武器ぶき輸出ゆしゅつ提案ていあんは、ヒズボラおよび西欧せいおう諸国しょこくでのばくだんテロ支援しえんしたグループにたいする影響えいきょうりょくつイランの歓心かんしんった。

しかし当時とうじのアメリカは、イラン革命かくめい1979ねん発生はっせいしたイランアメリカ大使館たいしかん人質ひとじち事件じけんによりイランとの国交こっこう断絶だんぜつしており、当然とうぜんのことながらイランにたいする武器ぶき輸出ゆしゅつ公式こうしききんじていたうえに、政治せいじ官僚かんりょう軍人ぐんじんによる同国どうこく政府せいふとの公式こうしき交渉こうしょうきんじられていた。さらにイランの敵国てきこくであるイラクとアメリカは国交こっこうがあり、このことがあかるみに場合ばあいアメリカとイラクとの外交がいこうじょう問題もんだいとなることは必至ひっしであった。

資金しきん流用りゅうよう

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ロナルド・レーガン大統領だいとうりょう直々じきじき承認しょうにんけて極秘ごくひうらにイランにたいして武器ぶき輸出ゆしゅつしたばかりか、国家こっか安全あんぜん保障ほしょう担当たんとう補佐ほさかんのジョン・ポインデクスターと、国家こっか安全あんぜん保障ほしょう会議かいぎ軍政ぐんせい次長じちょうでアメリカ海兵かいへいたいオリバー・ノース中佐ちゅうさらが、イランに武器ぶき売却ばいきゃくしたことで収益しゅうえきを、左傾さけいすすむニカラグアではん政府せいふ戦争せんそうコントラ戦争せんそう)をおこな反共はんきょう右派うはゲリラ「コントラ」にあたえていた。

「アメリカの裏庭うらにわ」とも揶揄やゆされる中南米ちゅうなんべいにあるニカラグアは、1979ねんサンディニスタ革命かくめいにより、40ねん以上いじょうつづいた親米しんべいソモサ王朝おうちょう独裁どくさい政権せいけん崩壊ほうかいし、キューバおよびソ連それん支援しえんされ、社会しゃかい主義しゅぎりのサンディニスタ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん(FSLN)政権せいけん統治とうちしており、中南米ちゅうなんべい赤化せっか警戒けいかいし、冷戦れいせんたたかこうとするアメリカにとっては看過かんか出来できないことであった。

しかし、イランへの武器ぶき輸出ゆしゅつと、反共はんきょうゲリラへの資金しきん流用りゅうようというそれぞれの行為こういは、本来ほんらいなら必要ひつようである議会ぎかい了解りょうかいっていなかったばかりか、当時とうじ民主党みんしゅとう多数たすうめた議会ぎかい議決ぎけつ完全かんぜんはんしていた。

また、このとき、アメリカのイランとコントラの双方そうほう交渉こうしょう窓口まどぐちは、ロナルド・レーガン政権せいけんにおいてふく大統領だいとうりょうだったジョージ・H・W・ブッシュ大統領だいとうりょう)であったとされ、このブッシュの関与かんよが、民主党みんしゅとう政権せいけん連邦れんぽう議会ぎかいにおける公聴こうちょうかいりあげられたが、その真相しんそうはいまもってうやむやである。

ノース中佐ちゅうさ

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オリバー・ノース中佐ちゅうさ

この2つの行為こういあきらかになったのち、オリバー・ノース中佐ちゅうさは、全米ぜんべいにテレビ中継ちゅうけいされた、連邦れんぽう議会ぎかいでの公聴こうちょうかいにおける証言しょうげんによって著名ちょめいになった。どう事件じけんにおいてノース中佐ちゅうさは、武器ぶきブローカーをとおしてイランへ武器ぶき密輸みつゆする計画けいかく責任せきにんしゃつとめ、そこでられた資金しきんでニカラグアのはん政府せいふ組織そしきコントラへ資金しきん援助えんじょ道筋みちすじけた。ノース中佐ちゅうさはまた、コントラを援助えんじょする目的もくてきもちいられた秘密ひみつのネットワークの設置せっちにも関与かんよしていた。

1986ねん11月、ノース中佐ちゅうさはレーガン大統領だいとうりょう直属ちょくぞくとなり、1987ねんイラン・コントラ事件いらんこんとらじけん調査ちょうさするために設定せっていされた両院りょういん協議きょうぎかいのテレビ公聴こうちょうかい先立さきだって証言しょうげんのために召喚しょうかんされた。聴聞ちょうもんあいだ、ノース中佐ちゅうさ自分じぶん議会ぎかいたい虚偽きょぎ証言しょうげんをしたことをみとめ、このことによってのち告訴こくそされることになった。

ノース中佐ちゅうさは、「自分じぶんが『自由じゆう戦士せんし』となしたコントラを援助えんじょする目的もくてきただしいものであることをしんじている」とべることで自身じしん行為こうい弁護べんごした。そして非合法ひごうほうのイラン・コントラ計画けいかくを「素晴すばらしいアイデア」であると自分じぶんかんがえているとべた。

裁判さいばん結果けっか

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イラクのサッダーム・フセイン大統領だいとうりょう事件じけん説明せつめいおこなうリチャード・マーフィー国務こくむ次官補じかんほ(1986ねん

1988ねんにノース中佐ちゅうさは「国家こっか安全あんぜん保障ほしょう会議かいぎ(NSC)」に所属しょぞくしていたときの活動かつどう関係かんけいして法廷ほうていった。ノース中佐ちゅうさは16の重罪じゅうざい告訴こくそされ、1986ねん5月4にち判決はんけつで、収賄しゅうわい聴聞ちょうもん議会ぎかい妨害ぼうがい支援しえんおよび幇助ほうじょ、(ノース中佐ちゅうさ命令めいれい秘書ひしょファウン・ホールおこなった)書類しょるい破棄はきの3つの罪状ざいじょう有罪ゆうざい宣告せんこくされた。そして1989ねん11月5にち、ゲートハルト・A・ゲゼル連邦れんぽう地方裁判所ちほうさいばんしょ判事はんじによって執行しっこう猶予ゆうよ3ねん保護ほご観察かんさつ2ねん罰金ばっきん15まんドル、1,200あいだ社会しゃかい奉仕ほうし活動かつどうけい宣告せんこくされた。

しかしながら1990ねん7がつ20日はつか、3にん判事はんじからなる上訴じょうそ審査しんさ委員いいんかいは、上告じょうこくしんにおいてノース中佐ちゅうさへの有罪ゆうざい判決はんけつくつがえした。ノースが以前いぜんおこなった公開こうかいでの証言しょうげんによって、公正こうせい裁判さいばんけるノースの権利けんり侵害しんがいされた可能かのうせいがあるとの理由りゆうだった。連邦れんぽう最高裁さいこうさいはこの訴訟そしょうさい審理しんり却下きゃっかした。

ゲゼル判事はんじ1991ねん9月16にち独立どくりつ検察官けんさつかん動議どうぎによる免責めんせき問題もんだいする公聴こうちょうかい審議しんぎ罰金ばっきん判決はんけつ棄却ききゃくした。本来ほんらい、ノース中佐ちゅうさには議会ぎかい証言しょうげんたいして限定げんていてき免責めんせきあたえられており、この宣誓せんせい証言しょうげん審議しんぎにおける証言しょうげん影響えいきょうあたえたとなされたので有罪ゆうざい判決はんけつくつがえされたのであった。

イスラエルの活動かつどう

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イランへの支援しえん

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このころイスラエルは、アメリカによる極秘ごくひうら支援しえん開始かいしされる以前いぜんからイランを支援しえんし、武器ぶき密輸みつゆしていた。イラン革命かくめい直後ちょくごにイラクに攻撃こうげきされたイランは、国際こくさいてきには敗北はいぼく必至ひっし判断はんだんされ、実際じっさい戦死せんししゃはイラクをはるかに上回うわまわっていた。

革命かくめいのイランは「はんイスラエル・はんシオニズム」が国是こくぜであったが、戦争せんそう敗北はいぼくおそれから、イスラエルからの武器ぶき援助えんじょ快諾かいだくした。戦争せんそう、イランの武器ぶき輸入ゆにゅう総額そうがく半分はんぶんがイスラエルからのものであった。そのイスラエルが販売はんばいする武器ぶきは、友好国ゆうこうこくであるアメリカや西欧せいおう諸国しょこくぐん使用しようする数多すうた最新さいしん兵器へいきであった。

アメリカ政府せいふはこれにをつけ、人質ひとじち解放かいほうのために、身代金みのしろきんとしてアメリカの武器ぶきをイランへ輸出ゆしゅつするように要請ようせいした。これは、イランとの武器ぶき貿易ぼうえき公式こうしきにしたいイスラエルにとってのぞむところであり、アメリカはイスラエルによるイランへの武器ぶき輸出ゆしゅつ承認しょうにんし、みつ貿易ぼうえき公式こうしき間接かんせつ貿易ぼうえきとなった。これによって人質ひとじち一部いちぶ解放かいほうされたが、そのころからイスラエルはアメリカの代理人だいりにんとしてイランへ武器ぶき輸出ゆしゅつすることをしぶるようになった。そのため、アメリカ政府せいふ直接ちょくせつ、イランにたいして武器ぶきみつ輸出ゆしゅつするようになったが、これが発覚はっかくしてスキャンダルになってしまった。

コントラへの支援しえん

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一方いっぽう、ニカラグアの「コントラ」にたいしても、元々もともと左傾さけいすす中南米ちゅうなんべいで、ニカラグアをはじめとする複数ふくすうこく右派うはゲリラを積極せっきょくてき支援しえんしていたイスラエルが単独たんどく支援しえんしていた。アメリカも1970年代ねんだい前半ぜんはん反共はんきょうゲリラを公式こうしき支援しえんしていたが、民主党みんしゅとう左派さはであるジミー・カーター大統領だいとうりょうによってその支援しえん非合法ひごうほうされた。そののちアメリカは、イスラエルをかいして間接かんせつてき援助えんじょするようになり、イスラエルはすうじゅうにわたってアメリカの代理人だいりにんとなって、反共はんきょうゲリラにたいしてアメリカの最新さいしん兵器へいき輸出ゆしゅつしていた。

レーガン政権せいけんはイスラエルの外交がいこう利用りようしてイランとニカラグア双方そうほう接触せっしょくしたものの、暴露ばくろされてしまった。イスラエルは暴露ばくろまえに、アメリカとのこのよう取引とりひき清算せいさんしようとしており、スキャンダルによって攻撃こうげきされることはまぬかれた。そののイランの政治せいじ状況じょうきょう変化へんかけて、一転いってんしてイスラエルははんイランの姿勢しせいつよめている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なおヒズボラは、1983ねんベイルートアメリカ海兵かいへいたい兵舎へいしゃ付近ふきん自動車じどうしゃばくだん攻撃こうげきおこない、アメリカぐん兵士へいし241にんと、フランスぐん兵士へいし58にん殺害さつがいしていた。ベイルート・アメリカ海兵かいへいたい兵舎へいしゃ爆破ばくは事件じけん参照さんしょう

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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