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ジャッキー吉川とブルー・コメッツ - Wikipedia

ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ

日本にっぽんのグループサウンズバンド

ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ(ジャッキーよしかわとブルー・コメッツ、Jackey Yoshikawa & His Blue Comets)は、日本にっぽんのバンドで1960年代ねんだい一世いっせい風靡ふうびしたグループ・サウンズの1つ。1957ねん結成けっせいされたロックコンボが母体ぼたい。グループめい由来ゆらい[1]「どのほしよりもひかかがや彗星すいせいのように」である。当時とうじ所属しょぞく芸能げいのう事務所じむしょ大橋おおはしプロダクション(渡辺わたなべプロダクション業務ぎょうむ提携ていけい)。21世紀せいき所属しょぞく事務所じむしょはオフィス・アタック。略称りゃくしょうは「ブルコメ」が定着ていちゃくしているが、公式こうしきでは「コメッツ」をもちいている。なお、ステージよう衣装いしょうスーツは紳士しんしふくメーカー「エドワーズ」の特別とくべつせい着用ちゃくようしていた。

ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ
Jackey Yoshikawa & His Blue Comets
別名べつめい ブルー・コメッツ
ブルコメ
コメッツ
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
ジャンル グループ・サウンズロックポップス歌謡かようきょくJ-POPディスコポップ
活動かつどう期間きかん 1957ねん -
レーベル CBSコロムビア
(1965ねん-1968ねん
日本にほんコロムビア
(1968ねん-1972ねん
ビクター音楽おんがく産業さんぎょう
(1973ねん-1984ねん
BLUE COMETS RECORDS
(2002ねん-現在げんざい
事務所じむしょ 大橋おおはしプロダクション
オフィス・アタック
公式こうしきサイト http://www.bluecomets.jp/
メンバー
きゅうメンバー 本文ほんぶん参照さんしょう

「ジャッキー吉川よしかわとニューブルーコメッツ」のメンバーをふくむ(正式せいしき加入かにゅう脱退だったい時期じき不明ふめい)。

略歴りゃくれき

編集へんしゅう

ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツの前身ぜんしんであり母体ぼたいであるブルー・コメッツは、1957ねん9月大橋おおはし道二どうにロジェ滋野しげの(男爵だんしゃく滋野しげの清武きよたけとフランス人妻ひとづまとの)らべいぐんキャンプまわりのバンドマンを中心ちゅうしん結成けっせいされた。専属せんぞくシンガーをけ、渋谷しぶやのジャズ喫茶きっさ中心ちゅうしん活動かつどうした。1959ねん6がつには、来日らいにちしたジーン・ヴィンセント地方ちほう巡演じゅんえんのツアーバンドにえらばれるほどまでに音楽おんがくせいたかめた。1959ねん9月一旦いったん解散かいさんするが、かれらの支持しじしゃだった鹿内しかないタカシによって再興さいこうされ、1960ねん4がつしんメンバーでさいスタートした。当初とうしょ鹿内しかないタカシをメインに中尾なかおミエ伊東いとうゆかりえんまりこまどり姉妹しまい尾藤びとうイサオアイ・ジョージら、多数たすう歌手かしゅのバックバンドとしてコンサートやスタジオ・レコーディングをこなし「日本一にっぽんいち伴奏ばんそうグループ」を目指めざしていた。フジテレビの「ザ・ヒットパレード出演しゅつえん注目ちゅうもくあつめるようになり、1965ねんにはザ・ピーナッツのバックでだい16かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出演しゅつえんたす。

1961ねん小田おだあきら加入かにゅうするが1ねんで「田代たしろ久勝ひさかつとウエスタンキャラバン」に移籍いせき

1962ねん大橋おおはし引退いんたいにより高橋たかはし健二けんじ加入かにゅう

1963ねんからはジャッキー吉川よしかわがリーダーになり(ジャッキー吉川よしかわ参照さんしょう)、高橋たかはし脱退だったいし、ベーシストが江藤えとういさお交代こうたい。また井上いのうえ忠夫ただお加入かにゅう

1964ねん小田おだ復帰ふっきし、三原みはら綱木つなき加入かにゅう

1965ねん江藤えとう脱退だったいし、高橋たかはし復帰ふっきしたことにより、グループ・サウンズ全盛ぜんせい時代じだいきずくメンバーがほぼそろった[2]

地方ちほう公演こうえん電車でんしゃそこねた尾藤びとうイサオの代役だいやくうたったのをきっかけにグループ・サウンズとしての活動かつどうはじまったとされていたが、小田おだ証言しょうげんで「バックバンドとしての紅白こうはく出演しゅつえん(1965ねん)にらなくなった井上いのうえが、『バックバンドは所詮しょせん裏方うらかたである。ぼくらはうたってこそ本物ほんもののグループになれるんだ。』とバンドの方向ほうこうせい見直みなお進言しんげんをし、ザ・ヒットパレードのディレクターであった椙山すぎやま浩一こういち(のちの作曲さっきょくすぎやまこういち)に相談そうだんをもちかけ、CBSコロムビアからのデビューにいたった。」と詳細しょうさい経緯けいいあきらかになっている。本格ほんかくてきなデビューに先駆さきがけてブルー・コメッツはマネージャー川村かわむら龍夫たつお助言じょげんにより「デューク・エイセス」の当時とうじのセカンド・テナー、和田わだ昭治しょうじにコーラスのもう特訓とっくんける。

1966ねん日本にほんコロムビア(レーベルは洋楽ようがく部門ぶもんCBSコロムビア[注釈ちゅうしゃく 1])から発売はつばいされた(ボーカルりの楽曲がっきょくとしては)デビューきょくとなる英語えいごばんあおひとみ「Blue Eyes」が10まんまい日本語にほんごばんの「あおひとみ」が50まんまいのヒットになった。日本にほんコロムビアは家電かでん音響おんきょう機器きき部門ぶもんげんデノンコンシューマーマーケティングディーアンドエムホールディングス〉)の業績ぎょうせき悪化あっか当時とうじ5おくえん借金しゃっきんかかえていたが、ブルー・コメッツの偉業いぎょう窮地きゅうちだっした。66ねんにはかれらは、ザ・ドリフターズ内田うちだ裕也ゆうやらとともにビートルズ日本にっぽん公演こうえん[3]前座ぜんざとして出演しゅつえん。そのさいかれらはビートルズよりややひくめの位置いちもうけられたステージで井上いのうえ忠夫ただお作曲さっきょくのビートルズ讃歌さんか「ウェルカム・ビートルズ」を演奏えんそうした。ビートルズのメロディーやハーモニーを重視じゅうししたきょくづくりはかれらを日本にっぽん独特どくとくのグループサウンズへとがれた[4]。そのも「あおなぎさ」「何処どこ」など順調じゅんちょうにヒットをつらねていき、1967ねん発売はつばいされた「ブルー・シャトウ」は自身じしん最大さいだいの150まんまいだいヒットを記録きろくし、このとしだい9かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう受賞じゅしょう名実めいじつともに「日本一にっぽんいちのグループ」になった。

「グループ・サウンズ=不良ふりょう」のイメージがつよかった1960年代ねんだい当時とうじ数多すうたのグループ・サウンズのなかザ・ワイルドワンズともNHKへの出演しゅつえんゆるされ、NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせんだい17かい(1966ねん)から3かい連続れんぞく前年ぜんねんのザ・ピーナッツのバックをふくめれば4かい連続れんぞく)で出場しゅつじょうした。これはまずなにより、のグループ・サウンズよりも圧倒的あっとうてき音楽おんがくてき水準すいじゅんたかかったことである。すべてのメンバーは読譜りょくすぐれ、さく編曲へんきょくができ、卓越たくえつした楽器がっき演奏えんそうとアンサンブル、緻密ちみつなコーラス・ワークで、あらゆるジャンルをたか完成かんせい演奏えんそうできるバンドだった。

NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出演しゅつえんできた理由りゆうは、外見がいけん短髪たんぱつスーツ姿すがた銀行ぎんこういんふうのサラリーマンにえることが、評価ひょうかされたからでもある。(「ジジコメ」というあだすらついたこともある。)もっとも、メンバーにしてみれば、長髪ちょうはつ似合にあわなかったから短髪たんぱつにしていただけで、NHKへの出演しゅつえん意図いとしていたものではなかった。ぎゃくにコンサートなどでかつらこうむって長髪ちょうはつためしたところファン不評ふひょうだった(ただし、70年代ねんだいはいると三原みはらやジャッキー吉川よしかわかみばすようになっている)。ビジュアルイメージをかんがえていなかったわけではなく、ショーン・コネリーえんじるジェームズ・ボンドをコンセプトに、全員ぜんいん移動いどうにおぞろいのアタッシェケースをっていた(デビューきょくが「サンダーボール」のカバーだったことからもその姿勢しせいうかがえる)。

1967ねん美空みそらひばり希望きぼうで「真赤まっか太陽たいよう」のレコーディング参加さんか音楽おんがくてき能力のうりょくたか評価ひょうかされ、そのたびたび共演きょうえんする。
1968ねんにはエド・サリヴァン・ショー出演しゅつえんのため渡米とべい[1]。このときに演奏えんそうしたのはイントロにきんおとフィーチャーした、編曲へんきょくえた「ブルー・シャトウ」だった。欧米おうべいのロックやポップス圧倒あっとうされた井上いのうえ忠夫ただおは、帰国きこくすぐにグループの解散かいさんすつもりだったが周囲しゅうい反対はんたいにより断念だんねんみずからの活動かつどう見直みなおすことによって「だつGS宣言せんげん」をす。同年どうねん発売はつばいされたムード歌謡かようてき傾向けいこうつよいシングル「さよならのあとで」がヒット。そのしばらくはムード歌謡かよう路線ろせんつづくも、1971ねんの「あめ賛美さんび」から原点げんてん回帰かいきせつつ、独自どくじのサウンドを展開てんかいしてきょく次々つぎつぎ発表はっぴょうした。

またこのとし発売はつばいしたカバーアルバム「G.S.R.」では、バート・バカラックふうのアレンジのきょく挑戦ちょうせんするなどした。しかし、「グループサウンズ」としてられつづけたことがあしかたちとなり1969ねん以降いこうレコードげと人気にんき徐々じょじょがり、のGSバンドの解散かいさんつづなかでも活動かつどうつづけたが、かえしはならず1972ねん10月にコロムビアが契約けいやくり。井上いのうえ高橋たかはし三原みはらの3にん脱退だったいし、しんメンバーが加入かにゅう、これにともな1973ねん3がつにビクター音楽おんがく産業さんぎょうげんビクターエンタテインメント代目だいめ〉)へ移籍いせきした(GSとしてのブルー・コメッツの終焉しゅうえんでもあり、GSブームをささえた有名ゆうめいグループはすで早期そうき解散かいさんしていたことから「最後さいごのGS解散かいさん」=おそすぎた解散かいさん報道ほうどうされた)。なお、ほしかちらのモップスは、こののちもバンド活動かつどう継続けいぞくした。1977ねんにもメンバーチェンジし、1984ねんには小田おだ脱退だったいする。時代じだい平成へいせいはいると「ジャッキー吉川よしかわとニューブルーコメッツ」に改称かいしょうして活動かつどうしている。GS時代じだいのメンバーでもなつメロ番組ばんぐみ出演しゅつえんすることが度々たびたびあったが、井上いのうえ2000ねん5月自殺じさつしてしまう。2002ねんにGS時代じだいのメンバーでも本格ほんかくてきさい結成けっせいした。バンドは、全国ぜんこくツアーを展開てんかいするなど精力せいりょくてき活動かつどうつづけていたが井上いのうえ死去しきょからやく20ねん2020ねん4がつ、リーダーの吉川よしかわ死去しきょ[5]2021ねん7がつには高橋たかはし死去しきょ。これにより、存命ぞんめいオリジナルメンバーは小田おだ三原みはらの2めいのこすのみとなった。

使用しよう楽器がっき

編集へんしゅう

井上いのうえ忠夫ただお(セルマーしゃ/テナー・サクソフォン、フルート)

三原みはら綱木つなき(フィルモアしゃ/ファーストマン エレキ・ギター)

高橋たかはし健二けんじ(フィルモアしゃ/ファーストマン エレキ・ベース・ギター)

小田おだあきらよし(エーストーンしゃ/コンボ・オルガン、ハモンドしゃB-3/オルガン)

ジャッキー吉川よしかわ(ラディックしゃ/ダウンビート)

ディスコグラフィ

編集へんしゅう
  1. サンダー・ボール / ミスター・キス・キス・バン・バン (1966.2.10)
    • Aめん:サンダー・ボール
    • 作曲さっきょくジョン・バリー / 編曲へんきょく井上いのうえ忠夫ただお(ノンクレジット)
    • Bめん:ミスター・キス・キス・バン・バン
  2. あおひとみ英語えいご)(1966.3.10) - 1981ねん4がつにオリジナル音源おんげんのままさい発売はつばい
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく井上いのうえ忠夫ただお
    • Bめんあお彗星すいせい
  3. あいおわりに (1966.4.10)
    • 作曲さっきょく新居にい一芳かずよし / 編曲へんきょく小田おだあきらよし(ノンクレジット)
    • Bめんバラ色ばらいろのドレス
  4. あおひとみ日本語にほんご)(1966.7.10)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく井上いのうえ忠夫ただお
    • Bめん:マリナによせて
  5. あおなぎさ (1966.9.1)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく井上いのうえ忠夫ただお
    • Bめんほしいのりを
  6. ジングル・ベル (1966.11.1)
    • 作曲さっきょく:J.Pierpont / 編曲へんきょく井上いのうえ忠夫ただお(ノンクレジット)
    • Bめん:ブルー・クリスマス
  7. 何処どこ (1966.12.5)
  8. ブルー・シャトウ (1967.3.15) - だい9かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう受賞じゅしょうきょく。1969ねん1がつ25にちにBめんステレオ音源おんげんされた「あおひとみ日本語にほんご)」に、1976ねん7がつにBめんを「あまいおはなし」から後述こうじゅつする「マリアのいずみ」にそれぞれえてさい発売はつばい
  9. マリアのいずみ (1967.6.25)
    • 作詞さくしまん里村さとむらゆき / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめんしろ恋人こいびと
  10. 北国きたぐににん (1967.9.15)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく井上いのうえ忠夫ただお
    • Bめん銀色ぎんいろなみ
  11. こころのにじ (1968.1.25)
  12. 白鳥はくちょううた (1968.4.25)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく平尾ひらお昌晃まさあき / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめんあめ舗道ほどう
  13. 草原そうげんかがや (1968.6.30)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく筒美つつみ京平きょうへい
    • Bめん:マイ・サマー・ガール
  14. さよならのあとで (1968.10.15)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく筒美つつみ京平きょうへい
    • Bめんちいさな秘密ひみつ
  15. あめ赤坂あかさか (1968.12.25)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく三原みはら綱木つなき / 編曲へんきょく筒美つつみ京平きょうへい
    • Bめんくろいレースのおんな
  16. なみだいと (1969.4.25)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく筒美つつみ京平きょうへい
    • Bめん:ブルー・シャンソン
  17. 海辺うみべ石段いしだん (1969.10.1)
    • 作詞さくしなかにしあや / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめんふゆあらし
  18. それはキッスではじまった (1970.2.20)
    • 作詞さくし:なかにしあや / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめん:あじさいしょくこい
  19. きながらこいをして (1970.7.10)
    • 作詞さくし:なかにしあや / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめんかなしき玩具おもちゃ
  20. むらさき日記にっき (1970.9.25)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめん:だからいますぐ
  21. あめ賛美さんび (1971.1.10)
    • 作詞さくし:なかにしあや / 作曲さっきょく井上いのうえ忠夫ただお / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめん運命うんめいだから
  22. 津軽つがるうみ (1971.4.25)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく三原みはら綱木つなき / 編曲へんきょく川口かわぐちしん
    • Bめんかがみなかこい
  23. エデンのひがし/慕情ぼじょう (1971.7.25)
    • Aめん:エデンのひがし
    • 作曲さっきょくレナード・ローゼンマン / 編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
    • Bめん慕情ぼじょう
  24. きるよろこびを (1971.8.25)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく編曲へんきょく筒美つつみ京平きょうへい
    • Bめん:そのとき くもながれてた
  25. にじゆきのバラード (1971.9.10)
  26. 希望きぼうにみちた二人ふたりのために (1972.2.10)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょく三原みはら綱木つなき / 編曲へんきょく高田たかだひろし
    • Bめんおも彼方かなた
  27. あめあさ少女しょうじょ (1972.8.10)
  28. かなしい少女しょうじょ (1973.4.30)(後述こうじゅつするアルバム『ブルー・コメッツの素晴すばらしきおと殿堂でんどう』からのシングルカット)
  29. シンデレラ (1973.7.20)(後述こうじゅつするアルバム『ブルー・コメッツの素晴すばらしきおと殿堂でんどう』からのシングルカット。本来ほんらいのタイトルは「シンデレラのあし(あし)」)
  30. 優等生ゆうとうせいにはなりたくない (1974.1.20)
    • 作詞さくし千家せんげ和也かずや / 作曲さっきょく編曲へんきょく小田おだあきらよし
    • Bめん妖精ようせい世界せかい
  31. あめ晩夏ばんか (1974.9.20)
    • 作詞さくしはやし春生はるお / 作曲さっきょく編曲へんきょく小田おだあきらよし
    • Bめん今日きょうもひとりぼっち
  32. 二人ふたりだけの天地てんち (1975.5.30)
    • 作詞さくし有馬ありま三恵子みえこ / 作曲さっきょく編曲へんきょく鈴木すずき邦彦くにひこ
    • Bめん表通おもてどおりの恋人こいびと
  33. こい星座せいざ (1975.11.30)
  34. ピーナッツ (1976.10.25)(1976ねん7がつ5にちDr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスがシングルきょくとしてリリースした楽曲がっきょくのボーカルりカヴァー・ヴァージョン)
    • 作詞さくし橋本はしもとあつし / 作曲さっきょくJack“Dr.Dragon“Diamond / 編曲へんきょく小田おだあきらよし
    • Bめん:キス・ミー
  35. 北国きたぐにえきから (1977.9.30)(2002ねんのブルー・コメッツさい結成けっせいともない、タイトルを「これからは北国きたぐに」に改題かいだい
    • 作詞さくし作曲さっきょく小田おだあきらよし / 編曲へんきょく川口かわぐちしん
    • Bめんながれに
  36. ミッドナイト・スペシャル (1984.8.21)(おなじく1984ねん三浦みうら友和ともかずもシングルきょくとしてリリース)
  37. ブルー・シャトウ / あおひとみ スーパー・セレクト・シリーズ (1991.7.21)
    • りょうAめんCDシングル
(#1 - #27・#37:コロムビア、#28 - #36:ビクター)
  1. グランド・ヒット・パレード(だい3しゅう)(1965.8.10)
  2. クリスマスをエレキ・ギターで (1965.10.20) - 1966ねん11月1にちにタイトルを「ブルー・コメッツのクリスマス」に改題かいだいしてさい発売はつばい
  3. あおひとみ / あおなぎさ ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒットしゅう (1966.9.10)
  4. ベスト・ヒット'66 (1966.11.1)
  5. ブルー・コメッツ・リサイタル (1967.2.25)
  6. これぞヤング・ビート (1967.7.20)
  7. ブルー・コメッツ=オリジナル・ヒットだい2しゅう (1967.10.25)
  8. ヨーロッパのブルー・コメッツ (1968.2.25)
  9. アメリカのブルー・コメッツ (1968.12.10)
  10. ベスト・オブ・ブルー・コメッツ (1968.12.25)
  11. ヤング・ビート・ブルー・コメッツ (1969.9.10)
  12. ポピュラーヒット25ねん上巻じょうかん)(1970.10.10)
  13. ポピュラーヒット25ねん下巻げかん)(1970.10.10)
  14. ベスト・オブ・ブルー・コメッツVol.2 (1970.12.10)
  15. スター・ダブル・デラックス / ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ (1971.10.25)
  16. G.S.R. (1971.12.25)
  17. ラヴ・サウンド / ブルー・コメッツ (1972.7.10)
  18. ブルー・コメッツの素晴すばらしきおと殿堂でんどう (1973.3.25)
  19. ブルー・コメッツの素晴すばらしきオリジナル・サウンド(1974.7.25)
  20. ゴールデン・スター・ワイド・デラックス / ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ (1975.10.25)
  21. ディスコだい作戦さくせん (1976.9.5) - 小林こばやし克也かつやDJとして参加さんか
  22. ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ・ベスト (1981.10.25)
  23. THE TALES OF BLUE COMETS PAST MASTERS 1965-1972 (2000.9.21)
  24. THE TALES OF BLUE COMETS PAST MASTERS BOX 1965-1972 (2000.11.28)
  25. ブルー・コメッツ フォーエバー (2002.10.20)
  26. ジャッキー吉川よしかわとブルーコメッツ ベストセレクション(2003.06.01)
  27. ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ ゴールデン☆ベスト (2009.2.18) - 2019ねん2がつ20日はつかUHQCDばんとしてさい発売はつばい
  28. ジャッキー吉川よしかわとブルー・コメッツ ゴールデン☆ベスト コロムビア・イヤーズ (1966~1972) (2017.7.26)

(#1 - #17・#20・#23 - #24・#27 - #28 :コロムビア、#18 - #19・#21:ビクター、#25:インディーズ、#26:渡辺わたなべ音楽おんがく出版しゅっぱん

NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうれき

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年度ねんど/放送ほうそうかい 曲目きょくもく 対戦たいせん相手あいて
1966ねん昭和しょうわ41ねん)/だい17かい あおひとみ ザ・ピーナッツ
1967ねん昭和しょうわ42ねん)/だい18かい ブルー・シャトウ 金井かない克子かつこ
1968ねん昭和しょうわ43ねん)/だい19かい 草原そうげんかがや ピンキーとキラーズ

NHKみんなのうた出演しゅつえんれき

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放送ほうそう年月としつき 曲目きょくもく さい放送ほうそう
1968ねん昭和しょうわ43ねん)10がつ - 11月 ぶたがげた 1969ねん昭和しょうわ44ねん)1がつ2にち
1969ねん昭和しょうわ44ねん)2がつ - 3がつ
2021ねんれい3ねん)12月
  • 番組ばんぐみでは「ブルー・コメッツ」名義めいぎ
  • 「1969ねん1がつ2にちさい放送ほうそうは『特集とくしゅうみんなのうたない
  • 2021ねんさい放送ほうそうはラジオのみ。

おも出演しゅつえん

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テレビ番組ばんぐみ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1968ねん6がつ30にちのシングル「草原そうげんかがやき」リリース日本にほんコロムビアからCBSレーベルが離脱りだつしたため、それ以降いこうの1972ねんまでの作品さくひんは「(洋楽ようがくレーベルとしての)COLUMBIA」(Lばん)の日本にっぽんローカルばんからのリリースとなった。

出典しゅってん

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  1. ^ 近代きんだい映画えいが 1967ねん12がつごう 近代映画社きんだいえいがしゃ p.129。
  2. ^ GSアイ・ラヴ・ユー ニュー・ロック&アフターGSサウンド世代せだい 音楽おんがく出版しゅっぱんしゃ p.32。
  3. ^ http://music-calendar.jp/2017062901
  4. ^ 朝日新聞あさひしんぶん学芸がくげいへん戦後せんご芸能げいのう物語ものがたり
  5. ^ 「ブルー・コメッツ」ジャッキー吉川よしかわさん死去しきょ 「ブルー・シャトウ」がだいヒット - スポニチアネックス 2020ねん4がつ21にち(2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん)。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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