(Translated by https://www.hiragana.jp/)
中世ラテン語 - Wikipedia

中世ちゅうせいラテン語らてんご

中世ちゅうせいはなされていたラテン語らてんご

中世ちゅうせいラテン語らてんご(ちゅうせいラテンご、えい: medieval latin)は、中世ちゅうせいカトリック教会きょうかい文語ぶんごとしてもちいられたラテン語らてんごである。

現代げんだいにおけるラテン語らてんご同様どうよう、あくまでもだい2言語げんごとして使用しようされたものである。かく使用しようしゃかならべつ言語げんご母語ぼごとしてもっており、そうしたしょ言語げんごぞくラテン語らてんごから発達はったつしたロマンス諸語しょごや、ドイツなどのゲルマン諸語しょご)の特徴とくちょうが、音韻おんいん文法ぶんぽう両面りょうめんで、中世ちゅうせいラテン語らてんごおおきく影響えいきょうしている。

表記ひょうきはイタリアしきの「教会きょうかいラテン語らてんご」(Lingua Latina Ecclesiastica)の発音はつおん反映はんえいされたものにわっているが、部分ぶぶんてき伝統でんとうてき表記ひょうき維持いじされる場合ばあいもあり、あるいはぎゃく伝統でんとうてきつづりに回帰かいきしようと過剰かじょう修正しゅうせいhypercorrection)される場合ばあいもあり、かなりのれがある。

影響えいきょう

編集へんしゅう

キリスト教きりすときょうラテン語らてんご

編集へんしゅう

中世ちゅうせいラテン語らてんごから自由じゆう借用しゃくようをし語彙ごい拡大かくだいした。ウルガタ言語げんごから重大じゅうだい影響えいきょうけており、これはギリシアヘブライだいなりしょうなり直接的ちょくせつてき翻訳ほんやく由来ゆらいする古典こてんラテン語らてんごとは異質いしつおおくの特異とくいせいを、語彙ごいだけでなく文法ぶんぽうおよび構文こうぶんろんにおいてもふくんでいた。ギリシアキリスト教きりすときょう専門せんもんてき語彙ごいおおくを提供ていきょうした。みなみヨーロッパに侵入しんにゅうしたゲルマン民族みんぞくはなしていたさまざまなゲルマンもまた、新語しんごおおきな源泉げんせんであった。ゲルマンじん指導しどうしゃたちはかれらが征服せいふくしたマ帝国まていこく一部いちぶ支配しはいしゃとなり、かれらの言語げんご由来ゆらい単語たんご自由じゆう法律ほうりつ用語ようごにとりいれた。古典こてん単語たんご使つかわれなくなったため、そのおおくの通常つうじょう単語たんごぞくラテン語らてんごまたはゲルマン起源きげん造語ぞうごきかえられた。

 
どきいのりしょ装飾そうしょく写本しゃほん (Milan, Biblioteca Trivulziana, Cod. 470) は中世ちゅうせいラテン語らてんごいのりをふくんでいる。

ラテン語らてんごは、ロマンス諸語しょごはなされておらずローマ支配しはいふくしたこともないアイルランドドイツのような地域ちいきへもひろまった。ラテン語らてんご現地げんち土着どちゃく無関係むかんけいまなばれたこれらの地域ちいきかれた著作ちょさくも、中世ちゅうせいラテン語らてんご語彙ごいおよび構文こうぶん影響えいきょうあたえた。

科学かがく哲学てつがくのような主題しゅだいラテン語らてんご意見いけん交換こうかんされたため、それらによって発展はってんしたラテン語らてんご語彙ごい現代げんだい言語げんごにおける専門せんもん用語ようご非常ひじょうだい部分ぶぶん源泉げんせんになっている。abstract, subject, communicate, matter, probable といった英単語えいたんごや、のヨーロッパの言語げんごにおけるこれらの同根どうこんは、がいして中世ちゅうせいラテン語らてんごにおいてこれらにあたえられた意味いみゆうしている[1]

ぞくラテン語らてんご

編集へんしゅう

古典こてんラテン語らてんごおおいに尊重そんちょうされつづけ、文章ぶんしょう構成こうせい模範もはんとしてまなばれたが、ぞくラテン語らてんご影響えいきょうもまた、何人なんにんかの中世ちゅうせいラテン語らてんご作家さっかたちの構文こうぶんろんにおいて明白めいはくである。文章ぶんしょうとしての中世ちゅうせいラテン語らてんご発展はってんたかみにたっしたのは、フランクおうシャルルマーニュ後援こうえん促進そくしんされた教育きょういく再生さいせいであるカロリング・ルネサンスのときであった。アルクインがシャルルマーニュのラテン語らてんご秘書ひしょつとめ、かれ自身じしん重要じゅうよう作家さっかである。西にしマ帝国まていこく権威けんい最終さいしゅうてき崩壊ほうかいしたあとの後退こうたい以後いごラテン語らてんご文学ぶんがく学習がくしゅう復興ふっこうをみたのはかれ影響えいきょうによってであった。

どう時期じきにロマンスへの発展はってんこっていたが、ラテン語らてんごそのものは非常ひじょう保守ほしゅてきでありつづけた。もはや母語ぼごではなくなって、古代こだいおよび中世ちゅうせいおおくの文法ぶんぽうしょがひとつの標準ひょうじゅんがたあたえていた。他方たほうで、厳密げんみつうならば「中世ちゅうせいラテン語らてんご」なる単一たんいつかたち存在そんざいしない。中世ちゅうせいのすべてのラテン語らてんご著作ちょさくラテン語らてんごだい言語げんごとしてはなしており、その流暢りゅうちょうさの程度ていどことなり、構文こうぶん文法ぶんぽう語彙ごいはしばしばかれらの母語ぼご影響えいきょうされていた。このことはそれ以後いごラテン語らてんごがますます不純ふじゅんになっていく12世紀せいきころにおいてとりわけただしい。フランス語ふらんすご話者わしゃによってかれた後期こうき中世ちゅうせいラテン語らてんご文書ぶんしょ中世ちゅうせいフランス語ふらんすごへの、ドイツじんによってかれたものはドイツ等々とうとうの、文法ぶんぽう語彙ごい類似るいじしめすようになる。れいをあげると、一般いっぱん動詞どうし末尾まつびくという古典こてんラテン語らてんご慣行かんこうしたがうかわりに、中世ちゅうせい著作ちょさくたちはしばしばかれ自身じしん母語ぼご慣習かんしゅうしたがったものだった。ラテン語らてんごには定冠詞ていかんし定冠詞ていかんしもなかったが、中世ちゅうせい著作ちょさくたちはときに unus の変化へんかがた定冠詞ていかんしとして、ille の変化へんかがたを(ロマンスにおける用法ようほう反映はんえいして)定冠詞ていかんしとして、さらには quidam(古典こてんラテン語らてんごでは「ある、なんらかの」の)を一種いっしゅ冠詞かんしのようにもちいた。esse(英語えいごの be)が唯一ゆいいつ助動詞じょどうしであった古典こてんラテン語らてんごことなり、中世ちゅうせいラテン語らてんご著作ちょさくは habere(英語えいごの have)を助動詞じょどうしとしてもちいることがあったが、これはゲルマンおよびロマンスにおけるぶん構成こうせいている。古典こてんラテン語らてんごにおける対格たいかくつき不定ふてい構文こうぶん (accusative and infinitive construction) はしばしば quod または quid にみちびかれる従属じゅうぞくぶしきかえられた。このことはたとえばフランス語ふらんすごにおける類似るいじ構文こうぶんでの que の用法ようほうとほとんど同一どういつである。

8世紀せいき後半こうはん以降いこうのすべての時代じだいにおいて、これらのかたち用法ようほうは「あいだちがっている」とづけるだけ古典こてん構文こうぶんろん十分じゅうぶんしたしんでいた(とりわけ教会きょうかいないの)教養きょうようある著作ちょさくたちがおり、これらの使用しよう抵抗ていこうしていた。こうしてきよしトマス・アクィナスのような神学しんがくものや、ギヨーム・ド・ティールのような学識がくしきある聖職せいしょくしゃ歴史れきしラテン語らてんごは、上述じょうじゅつ特徴とくちょうだい部分ぶぶん忌避きひする傾向けいこうにあり、その語彙ごいやつづりにおいていち時期じきかくしている。列挙れっきょした特徴とくちょうは、法律ほうりつ(たとえば11世紀せいきイングランドのドゥームズデイ・ブック)、医師いし技術ぎじゅつかんする著作ちょさく世俗せぞく年代ねんだい作家さっからの言語げんごにおいてはるかに優勢ゆうせいである。しかしながら従属じゅうぞくぶしみちびく quod の用法ようほうはとりわけひろ普及ふきゅうしておりすべてのそうられる。

発音はつおんおよび表記ひょうき

編集へんしゅう

以下いか、*をした項目こうもく古典こてんでもられた現象げんしょう(ただし、古典こてんでは時折ときおりられる程度ていどだったのが、中世ちゅうせいではいちじるしくえている)。 ほか、おおくの特徴とくちょうぞくラテン語らてんごられた特徴とくちょういだかたちとなっている。

長短ちょうたん母音ぼいん合流ごうりゅう
  • つづりにはあらわれない変化へんか
重母音じゅうぼいんたん母音ぼいんたん母音ぼいんとの混同こんどう
  • 重母音じゅうぼいん ae と oe はたん母音ぼいん /e/ として発音はつおんされ、e あるいは ę (e caudata 、尻尾しっぽつき e)とかれる。
れい: puellae → puelle,   poena → pena
  • ぎゃくに e が ae(æ)、oe(œ) とかれる
れい: ecclēsiaaecclesia,   cēna → coena
ぜんした母音ぼいんまえの C, G の口蓋こうがい
  • つづりにはあらわれない変化へんか/e/母音ぼいん(e, ae, oe)および /i/母音ぼいん(i, y)のまえの c, g が口蓋こうがいし、それぞれ [ʧ], [ʤ]発音はつおんされる
TI のやぶおと
  • s, t, x に先行せんこうされない、母音ぼいんまえの ti は、[ʦi]発音はつおんされ、ci と表記ひょうきされる。
れい: dīvitiae → divicie,   tertius → tercius,   vitium → vicium
I と Y の混同こんどう
れい: īsidōrusYsidorus,   Aegyptus → Egiptus,   ocius → ocyus,   silva → sylva
H と無音むおんとの混同こんどう
  • 無音むおんした h がかれない、あるいはぎゃくに、本来ほんらいはない位置いちとくに r のちかく)に h がかれる
れい: mihi → mi,   habēre → abere,   corōna → chorona *
H と CH の混同こんどう
  • 母音ぼいんあいだの h が /k/ としてあつかわれ、ch とかれる
れい: mihi → michi
じゅう子音しいんたん子音しいん混同こんどう
れい: tranquillitās → tranquilitas,   Āfrica → Affrica
わたりおん挿入そうにゅう
れい: alumnus → alumpnus,   somnus → sompnus
V の摩擦音まさつおん
  • つづりにはあらわれない変化へんか) v は [v] として発音はつおんされる。

文法ぶんぽう語彙ごい

編集へんしゅう

ex. quod si tacita cogitatione responderis quomodo possum intellegere verbum quod non est locutus Dominus (さるいのち18:21)

ex. propheta autem qui arrogantia depravatus voluerit loqui in nomine meo quae ego non praecepi illi ut diceret aut ex nomine alienorum deorum interficietur(さるいのち18:20)
ex. omnis arbor quae non facit fructum bonum exciditur et in ignem mittitur (マタイ 7:19)

ex. adtendite a falsis prophetis qui veniunt ad vos in vestimentis ovium intrinsecus autem sunt lupi rapaces(マタイ 7:15)

中世ちゅうせいラテン語らてんご文献ぶんけん

編集へんしゅう

中世ちゅうせいラテン語らてんご文献ぶんけんには、説教せっきょう聖歌せいかせい人伝ひとづて紀行きこうぶん歴史れきし叙事詩じょじし叙情詩じょじょうしといった幅広はばひろ作品さくひんふくんでいる。

5世紀せいき前半ぜんはんには偉大いだいキリスト教きりすときょう著作ちょさくであるヒエロニムス (c. 347–420) とヒッポのアウグスティヌス (354–430) の文学ぶんがくてき活動かつどうており、かれらの文章ぶんしょう中世ちゅうせい神学しんがくてき思想しそうと、後者こうしゃ弟子でしアクィタニアのプロスペル (c. 390-455) のそれに甚大じんだい影響えいきょうあたえた。5世紀せいき後半こうはんと6世紀せいき初頭しょとうでは、いずれもガリア出身しゅっしんシドニウス・アポリナリス (c. 430 – 489) とエンノディウス (474–521) が詩作しさくによって有名ゆうめいであり、ウェナンティウス・フォルトゥナトゥス (c. 530–600) も同様どうようである。これはまた伝達でんたつ時代じだいでもあった:ローマ貴族きぞくボエティウス (c. 480–524) はアリストテレス論理ろんりがく著作ちょさく一部いちぶ翻訳ほんやくして西方せいほうラテン世界せかいのためにこれを保存ほぞんし、影響えいきょうりょくある文学ぶんがくてき哲学てつがくてき論考ろんこう哲学てつがくなぐさ』をあらわしたし、カッシオドルス (c. 485–585) はスクイッラーチェ近郊きんこうウィウァリウム修道院しゅうどういん重要じゅうよう図書館としょかん設立せつりつし、そこで古代こだいからのおおくのテクストが保存ほぞんされることになった。セビリャのイシドルス (c. 560-636) はかれ時代じだいにまだ入手にゅうしゅ可能かのうであった科学かがくてき知識ちしきのすべてを、最初さいしょ百科ひゃっか事典じてんびうる『語源ごげん』に集成しゅうせいした。

トゥールのグレゴリウス (c. 538–594) はフランクじん歴代れきだいおうについて長大ちょうだい歴史れきしいた。グレゴリウスはガロ・ローマ貴族きぞく階級かいきゅう出身しゅっしんで、かれラテン語らてんご古典こてんがたからのおおくの逸脱いつだつしめしており、ガリアにおける古典こてん教育きょういく重要じゅうようせい衰退すいたい証言しょうげんしている。どう時期じきに、ラテン語らてんごとさらにはギリシアまでものすぐれた知識ちしきアイルランド修道しゅうどうそう文化ぶんかのなかにたもたれており、これはイングランドやヨーロッパ本土ほんどに6世紀せいきと7世紀せいきとおして、たとえばイタリア北部ほくぶボッビオ修道院しゅうどういん建立こんりゅうしたコルンバヌス (543–615) などの伝道でんどうによってつたえられた。アイルランドはまたヒベルノ・ラテン (Hiberno-Latin, Hisperic Latin) としてられている奇妙きみょう詩文しぶんたい誕生たんじょうでもあった。そのほかとう重要じゅうよう著作ちょさくには歴史れきしギルダス (c. 500–570) と詩人しじんアルドヘルム (c. 640–709) がいる。ベネディクト・ビスコプ (c. 628–690) はウェアマス゠バローじゅう修道院しゅうどういん設立せつりつし、そこにかれローマへのたびからかえったほん提供ていきょうした。これらはのちベーダ (c. 672–735) が『えい国民こくみん教会きょうかい』をくさいにもちいられることになる。

おおくの中世ちゅうせいラテン語らてんご作品さくひんPatrologia Latina, Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum, Corpus Christianorum叢書そうしょ刊行かんこうされている。

おも中世ちゅうせいラテン語らてんご作家さっか

編集へんしゅう

4世紀せいきから5世紀せいき

編集へんしゅう

6世紀せいきから8世紀せいき

編集へんしゅう

9世紀せいき

編集へんしゅう

10世紀せいき

編集へんしゅう

11世紀せいき

編集へんしゅう

12世紀せいき

編集へんしゅう

13世紀せいき

編集へんしゅう

14世紀せいき

編集へんしゅう

オンラインのリポジトリ

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ J. Franklin, Mental furniture from the philosophers, Et Cetera 40 (1983), 177-91.

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • K.P. Harrington, J. Pucci, and A.G. Elliott, Medieval Latin (2nd ed.), (Univ. Chicago Press, 1997) ISBN 0-226-31712-9
  • F.A.C. Mantello and A.G. Rigg, eds., Medieval Latin: An Introduction and Bibliographical Guide (CUA Press, 1996) ISBN 0-8132-0842-4
辞典じてん