五 街道
五 街道 (ごかいどう)
1601
東海道 (東海道 五 十 三 次 )- 1624
年 (寛永 元年 )完成 。江戸 ・日本橋 から小田原 、駿府 、浜松 、宮 、桑名 、草津 を経 て、京都 ・三条 大橋 までの五 十 三 次 (約 500 km)。江戸 幕府 のある江戸 から帝 の座 す京都 までの始点 から終点 までの五 十 五 地点 を結 ぶ道 。延長 部 にあたる京街道 (大坂 街道 )の4宿 も加 えて、五 十 七 次 ともいう[6]。 日光 街道 (日光 道中 )- 1636
年 (寛永 13年 )頃 完成 。日本橋 から、千住 、宇都宮 、今市 を経 て、日光 までの二 十 一 次 [6]。 奥州 街道 (奥州 道中 )- 1646
年 (正保 3年 )完成 。日本橋 から宇都宮 まで日光 街道 (重複 区間 )を経 て、宇都宮 より陸奥 ・白河 までの二 十 七 次 [6]。日本橋 から宇都宮 までの17宿 は日光 街道 と重複 する。函館 に至 る延長 部 あり。 中山道 (中山道 六 十 九 次 )- 1694
年 (元禄 7年 )完成 。中仙道 とも表記 する。江戸 幕府 のある日本橋 から高崎 、下諏訪 、木曽 路 の妻 籠 を経 て、草津 までの六 十 七 次 。草津 、大津 の2宿 を加 えて帝 の座 す京都 までの六 十 九 次 ともいう[6]。 甲州 街道 (甲州 道中 )- 1772
年 (明和 9年 )完成 。日本橋 から、内藤 新宿 、八王子 、甲府 を経 て、下諏訪 で中山道 に合流 する四 十 三 次 [6]。
宿駅 制度
幕府 の取 り締 まりと街道 の発展
街道 の規格 ・構造
維持 管理
また、
街道 並木
その他 の五 街道 の解釈 と定義
徳川 幕府 は、江戸 を起点 とする東海道 、中山道 、日光 道 中 、奥州 道 中 、甲州 道 中 を五 街道 と称 したこと五 街道 のほか、水戸 佐倉 街道 、伊勢路 、中国 路 等 を本 海道 と称 したこと- その
他 の支 路 を脇 往還 と称 すること
なお、
「
575 | 58 | 9.7 | 59 | |||
530 | 67 | 7.8 | 68 | |||
150 | 21 | 6.8 | 22 | |||
84 | 9 | 8.4 | 10 | |||
214 | 22 | 9.3 | 23 | |||
1553 | 177 | 8.5 | 182 |
現在 に受 け継 がれる五 街道
五 街道 以外 の主要 街道
佐屋 路 :東海道 宮宿 (熱田 宿 )から桑名 宿 に至 る街道 。東海道 の七 里 の渡 しを迂回 し、宮宿 から、佐屋 路 の佐屋 宿 までの陸路 、佐屋 宿 から木曽川 の三里 の渡 しを経 て東海道 桑名 宿 に至 る。美濃 路 :東海道 宮宿 (熱田 )から中山道 垂井 宿 に至 る街道 。東海道 の鈴鹿峠 ・七 里 の渡 し、中山道 の太田 の渡 し等 の難所 を迂回 できた。日光 例幣 使 街道 :中山道 倉賀野 から日光 へ至 る街道 。壬生 通 :日光 街道 小山 宿 (の北 の喜沢 追分 )から壬生 宿 ・鹿沼 宿 を経由 して日光 街道 今市 宿 へ至 る道 。日光 西 街道 。水戸 街道 :日光 街道 ・奥州 街道 の脇 街道 。江戸 から仙台 まで太平洋 岸 をたどる街道 を総称 して「浜 街道 」といい、徳川 御三家 のひとつが置 かれていた水戸 までを「水戸 街道 」と称 する。佐倉 道 :中央 より佐渡 に通 じる陸海 路 。古代 の駅路 は北陸 道 で小路 。海路 は越前 敦賀 津 より渡船 し,越中 亘理 湊 (わたりみなと) を経 て佐渡 にいたる。近世 には脇 街道 として,中山道 より分岐 する北国 ,三 国 の両 街道 ,日光 ・奥州 道中 より分岐 する会津 街道 などがあった。 (→北国 街道 ,三 国 街道 )本坂 通 :東海道 見附 宿 と御油 宿 を結 ぶ街道 である。浜名湖 の北側 、本坂 峠 を経由 して道程 約 60キロメートル。中世 以降 、本坂 峠 を経由 したことから本坂 越 、本 坂道 、本坂 街道 などと呼 ばれた。幕末 頃 から姫 街道 の呼称 が見 られている。日光 御 成道 :将軍 が日光 東照宮 参詣 の為 に利用 した街道 。本郷 追分 で中山道 から分 かれ、岩淵 宿 や岩槻 を経由 して幸手 で日光 街道 と合流 する。「日光 御成 街道 」、「岩槻 街道 」とも呼 ばれる。
伊勢 参宮 街道 :日本 の各 方面 から伊勢神宮 への参拝 道 として整備 された街道 。伊勢 街道 ・伊勢 本 街道 ・参宮 街道 と呼 ばれる。伊勢路 :伊勢 国 ・伊勢神宮 から熊野 三山 へ通 じる参詣 道 で、熊野 古道 のひとつ。『東海道 中 膝栗毛 』にも登場 する。古 くからの交通 路 で「伊勢 へ七 度 、熊野 へ三 度 」と呼 ばれる信仰 の路 であった。中原 街道 :江戸 から平塚 間 をほぼ直線 につなぐ脇 往還 として沿道 の農産物 等 の運搬 や旅人 の最速 ルートとして利用 された。東海道 は大名 行列 が通 る為 、その煩 わしさを嫌 う庶民 が利用 した。川越 街道 :中山道 の脇 街道 。板橋 宿 より川越 城 に至 る。現在 の川越 街道 は1941年 (昭和 16年 )に新道 として整備 されたもので、宿場 のあった川越 街道 は旧 川越 街道 などと称 され、区間 によっては平行 している。鎌倉 街道 :鎌倉 に直通 できるように作 られた軍事 道路 。上道 ・中道 ・下道 があった。大山 街道 :神奈川 県 大山 参 りへの街道 。北陸 道 :北国 街道 から加賀 国 金沢 、近江 国 木之本 を経 て中山道 に至 る。北国 街道 :中山道 追 分宿 から分 かれ、善光寺 を経 て越後 国 高田 へ至 る街道 。三 国 街道 :中山道 高崎 宿 から分 かれ、越後 国 寺泊 へ至 り、佐渡 国 へ渡 る街道 。現在 は国道 17号 が通 る。京街道 (大坂 街道 ):東海道 終点 の京 (三条 大橋 )から大坂 へ向 かう街道 。大和 の古道 :大和 地方 を貫通 する飛鳥 ・奈良 時代 の街道 。高野 街道 :京 、大坂 から高野山 への参詣 道 。西国 街道 :京 から大坂 を経由 せずに下関 へ向 かう街道 。江戸 時代 における山陽 道 の呼称 で、公称 中国 道 。幕府 の道中 奉行 が管轄 した五 街道 に次 ぐ重要 な道 であった。奥州 街道 (延長 部 ):道中 奉行 直轄 の白河 以南 の延長 部 にあたり、最終 的 に函館 まで至 る主要 街道 。主 に奥州 街道 の名称 が多 く使 われ、そのほかに陸 羽 街道 ・江戸 海道 ・松前 道 ・外 が浜道 など様々 に呼称 する場合 がある。羽 州 街道 :中 桑折 宿 から小坂峠 ・金山 峠 を越 えて山形 、秋田 から青森 へ至 る街道 。会津 西 街道 :日光 街道 の今市 宿 から会津 の若松 城下 へ至 る街道 。下野 街道 とも呼称 され、会津 や出羽 国 ・越後 国 の藩 が、参勤交代 時 に使用 した重要 な街道 である。米沢 街道 :若松 城下 から米沢 城下 へ向 かう街道 。会津 街道 とも呼 ばれていた。山陰 道 :京 から丹波 を経 て山陰 地方 へ向 かう街道 。金毘羅 街道 :金刀比羅宮 への参詣 道 。讃岐 街道 :讃岐 国 に至 る街道 。土佐 街道 :土佐 国 に至 る街道 。日光 脇 往還 :甲州 街道 八王子 から日光 へ向 かう日光 街道 の脇 往還 。秩父 往還 :中山道 熊谷 宿 から秩父 大宮 を経 て甲州 甲府 へ至 る街道 。長崎 街道 :山陽 道 につながる豊前 小倉 から長崎 へ到 る街道 。薩摩 街道 :長崎 街道 より分岐 し、山家 宿 から鹿児島 城 に至 る街道 飯田 街道 :徳川 家康 によって作 られた、尾張 名古屋 から信州 飯田 に至 る街道 。東金 御成 街道 :将軍 が鷹狩 をする為 に土井 利勝 によって造成 された街道 。船橋 から上総 国 東金 へ至 る。初代 家康 から三 代 家光 までが下向 した。佐渡 路 :塩 の道 :海岸 から山中 へ海産物 を運 ぶために使用 された道 の総称 。特 に中部 地方 の塩 の道 が有名 。
脚注
注釈
出典
- ^ a b
浅井 建 爾 2001, p. 94. - ^
浅井 建 爾 2001, p. 114. - ^ a b
浅井 建 爾 2015, p. 114. - ^ a b c ロム・インターナショナル(
編 ) 2005, p. 143. - ^ ロム・インターナショナル(
編 ) 2005, p. 144. - ^ a b c d e f
浅井 建 爾 2001, pp. 94–95. - ^
武部 健 一 2015, p. 41. - ^ a b c
武部 健 一 2015, p. 108. - ^ a b c
武部 健 一 2015, p. 109. - ^ a b
浅井 建 爾 2001, p. 95. - ^
武部 健 一 2015, p. 126. - ^
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武部 健 一 2015, pp. 127–128. - ^ a b
武部 健 一 2015, p. 128. - ^
武部 健 一 2015, pp. 128–129. - ^
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徳川 禁令 考 五 十 二 拝借 銭 による。 - ^
深井 甚三「五 街道 」(『歴史 学 事典 14 ものとわざ』(弘文 堂 、2006年 ) ISBN 978-4-335-21044-0 P192-193) - ^
渡辺 (2000, pp. 29–30) - ^
武部 (1985)、4頁 。 - ^ a b
浅井 建 爾 2015, p. 115. - ^
豊田 ・児玉 (1970)105頁 。 - ^
豊田 ・児玉 (1970)107頁 。
参考 文献
浅井 建 爾 『道 と路 がわかる辞典 』(初版 )日本 実業 出版 社 、2001年 11月 10日 。ISBN 4-534-03315-X。浅井 建 爾 『日本 の道路 がわかる辞典 』(初版 )日本 実業 出版 社 、2015年 10月 10日 。ISBN 978-4-534-05318-3。武部 健一 「招待 論文 日本 幹線 道路 網 の史的 変遷 と特質 」『土木 学会 論 文集 』第 359集 Ⅳ-3、土木 学会 、1985年 、1-16頁 。武部 健一 『道路 の日本 史 』中央公論 新 社 〈中公新書 〉、2015年 5月 25日 。ISBN 978-4-12-102321-6。豊田 武 、児玉 幸 多 編 『体系 日本 史 叢書 24、交通 史 』山川 出版 社 、1970年 。- ロム・インターナショナル(
編 )『道路 地図 びっくり!博学 知識 』河出書房新社 〈KAWADE夢 文庫 〉、2005年 2月 1日 。ISBN 4-309-49566-4。 渡辺 和敏 『東海道 の宿場 と交通 』2、静岡新聞社 〈東海道 双書 〉、2000年 。ISBN 4-7838-1071-0。
関連 項目
外部 リンク
- 『
五 街道 』 - コトバンク 五 街道 の旅 ホームページ