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分裂選挙 - Wikipedia

分裂ぶんれつ選挙せんきょ(ぶんれつせんきょ)は、同一どういつ政党せいとう派閥はばつなどが同一どういつ選挙せんきょ候補者こうほしゃ二分にぶんしておこな選挙せんきょのことである。

概要がいよう

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ある政党せいとう本部ほんぶぼう選挙せんきょ候補者こうほしゃAを推薦すいせん、しかし、政党せいとう地方ちほう支部しぶべつ候補者こうほしゃBを推薦すいせんする。通常つうじょう本部ほんぶ地方ちほう支部しぶとのあいだはないや調整ちょうせいおこなわれ候補者こうほしゃ一本いっぽんするが、はないにおうじず(決裂けつれつし)候補者こうほしゃAとBがおな選挙せんきょ立候補りっこうほしてしまうことによりひょう分裂ぶんれつしてしまう。それによって候補者こうほしゃあいだのみぞがりになったり選挙せんきょ自体じたいひょう分裂ぶんれつだいさん候補こうほ当選とうせんしてしまう可能かのうせいめている。

日本にっぽんにおける分裂ぶんれつ選挙せんきょれい

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日本にっぽん社会党しゃかいとうれい

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1950年代ねんだい日本にっぽん社会党しゃかいとうサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやくへの賛否さんぴや、日本にっぽんさい軍備ぐんびなどをめぐり左派さは右派うは分裂ぶんれつ統一とういつかえした。1955ねんさい統一とういつするまでのあいだおこなわれた選挙せんきょでは左派さは右派うは2つの政党せいとう候補者こうほしゃてていたため事実じじつじょう分裂ぶんれつ選挙せんきょとなっている。

青嵐会せいらんかいれい

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1970年代ねんだい自由民主党じゆうみんしゅとう派閥はばつ横断おうだんてき結成けっせいされた保守ほしゅ衆参しゅうさんりょう若手わかて議員ぎいんあつまりであった青嵐会せいらんかい自由民主党じゆうみんしゅとう執行しっこう田中たなか金権きんけん政治せいじ)に反発はんぱつだい10かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょにおいてとう方針ほうしん反発はんぱつし、青嵐会せいらんかい独自どくじ候補者こうほしゃ擁立ようりつ選挙せんきょせんのぞんだ[1]とく北海道ほっかいどう選挙せんきょでは河口かわぐち陽一よういち西田にしだ信一しんいちりょう現職げんしょく公認こうにん不満ふまんった青嵐会せいらんかい浜田はまだ幸一こういち武部たけべつとむらが高橋たかはし辰夫たつお出馬しゅつば強行きょうこうした結果けっか保守ほしゅひょう分散ぶんさんし3めいとも共倒ともだおれとなり全員ぜんいん落選らくせんした[2]。その得票とくひょうすう影響えいきょうりょくおも自民党じみんとう執行しっこう青嵐会せいらんかい処罰しょばつしないことを決定けっていした[3]

阿波あわ戦争せんそう

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1974ねんだい10かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょにおいて、1人ひとり徳島とくしまけん選挙せんきょには現職げんしょく久次ひさつぎまい健太郎けんたろうがいたが、当時とうじ田中たなか角栄かくえい首相しゅしょう現職げんしょく優先ゆうせんするという不文ふぶんりつはん内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかんであった後藤田ごとうだ正晴まさはる自民党じみんとう公認こうにん候補こうほとし、現職げんしょく久次ひさつぎまい公認こうにんさなかった。徳島とくしま選挙せんきょ三木みきひきいる三木みき武夫たけお地元じもとであり、久次ひさつぎまいは「三木みき武夫たけお城代しろだい家老がろう」とばれていた三木みき側近そっきん一人ひとりであったことから、三木みき田中たなか決定けっていもう反発はんぱつし、派閥はばつをあげてとう公認こうにん候補こうほ後藤田ごとうだ対立たいりつ候補こうほである久次ひさつぎまい選挙せんきょせん支援しえん保守ほしゅ陣営じんえい分裂ぶんれつする選挙せんきょせんとなった。

結果けっかてきには無所属むしょぞく出馬しゅつばした現職げんしょく久次ひさつぎまい当選とうせんし、後藤田ごとうだ落選らくせんした。この選挙せんきょ以後いごながきにわたって徳島とくしまけんでは三木みきけい後藤田ごとうだけい国政こくせい徳島とくしま県政けんせいめぐって自民党じみんとう完全かんぜん分裂ぶんれつ状態じょうたいになり、県議会けんぎかい会派かいは別々べつべつとなり、その徳島とくしま知事ちじせんでも分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった。

1991ねん東京とうきょう都知事とちじ選挙せんきょ

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現職げんしょく鈴木すずき俊一しゅんいち自身じしん年齢ねんれい多選たせん批判ひはんけていた。自民党じみんとう本部ほんぶ中央ちゅうおうのままにならぬ鈴木すずき引導いんどうわたすため、鈴木すずき引退いんたいうながしたが鈴木すずき拒否きょひ、また自民党じみんとう東京とうきょうれん鈴木すずき続投ぞくとう支持しじし、民社党みんしゃとうれん鈴木すずき支持しじまわった。そのため自民党じみんとう本部ほんぶ公明党こうめいとう民社党みんしゃとう共同きょうどうNHK報道局ほうどうきょくちょう磯村いそむら尚徳なおのり擁立ようりつした。表面ひょうめんじょう鈴木すずき磯村いそむら無所属むしょぞくであったが自民党じみんとう本部ほんぶたい東京とうきょうれん代理だいり戦争せんそうとなっていたため分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった。民社党みんしゃとう公明党こうめいとう分裂ぶんれつ選挙せんきょになったほか民社党みんしゃとう協力きょうりょく体制たいせいにあったスポすぽツ平和党つへいわとうアントニオ猪木いのき一時いちじ都知事とちじせん出馬しゅつば表明ひょうめいした(のち出馬しゅつば撤回てっかい)。結果けっか現職げんしょく鈴木すずき当選とうせんし、当時とうじ自由民主党じゆうみんしゅとう幹事かんじちょうだった小沢おざわ一郎いちろう責任せきにん幹事かんじちょう辞任じにんした。

1993ねん衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ

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自民党じみんとう派閥はばつあらそいにやぶれた小沢おざわ一郎いちろうのグループ改革かいかくフォーラム21野党やとう提出ていしゅつした内閣ないかく不信任ふしんにん決議けつぎあん造反ぞうはん賛成さんせいひょうとうじた。結果けっか不信任ふしんにんあん可決かけつ衆議院しゅうぎいん解散かいさん選挙せんきょになった。当初とうしょ小沢おざわグループは自民党じみんとうないのこ選挙せんきょせんたたか予定よていであったが、不信任ふしんにんあん反対はんたいした武村たけむら正義まさよし鳩山はとやま由紀夫ゆきおなどが自民党じみんとう離党りとうし「新党しんとうさきがけ」を結成けっせいしたため小沢おざわグループは自民党じみんとう離党りとうし「新生党しんせいとう」を結党けっとうした。

1996ねん衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ

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消費しょうひぜい増税ぞうぜい反対はんたいし、選挙せんきょせんたたかっていた新進党しんしんとうであったが、きゅう公明党こうめいとう支持しじ母体ぼたいである創価学会そうかがっかいとう方針ほうしん反発はんぱつし、複数ふくすうしょう選挙せんきょにおいて、対立たいりつ候補こうほ自民党じみんとうおなじく増税ぞうぜい反対はんたいしていた民主党みんしゅとう候補者こうほしゃ投票とうひょうし、事実じじつじょう分裂ぶんれつ選挙せんきょになった。新進党しんしんとう改選かいせん議席ぎせき下回したまわ敗北はいぼくきっし、2ねんには解党かいとうした。

2005ねん衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ

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郵政ゆうせい民営みんえい法案ほうあん採決さいけつをめぐり、郵政ゆうせい民営みんえい反対はんたいする議員ぎいん自民党じみんとうないにいた。郵政ゆうせい民営みんえい法案ほうあん衆議院しゅうぎいんでは可決かけつしたが、参議院さんぎいん党内とうない造反ぞうはん議員ぎいんによって否決ひけつされた。法案ほうあん参議院さんぎいん否決ひけつされた場合ばあいにはただちに衆議院しゅうぎいん解散かいさんすると公言こうげんしていた小泉こいずみ政権せいけん予告よこくどお衆議院しゅうぎいん解散かいさん法案ほうあん造反ぞうはんした議員ぎいん公認こうにんせず、刺客しかく候補こうほ造反ぞうはん議員ぎいん選挙せんきょおくんだ。造反ぞうはん議員ぎいん公認こうにんられなかったため、ほとんどが無所属むしょぞく立候補りっこうほした。自民党じみんとう都道とどう府県連ふけんれん刺客しかく候補こうほ容認ようにんしたが、都道とどう府県連ふけんれんなかには法案ほうあん反対はんたいした造反ぞうはん議員ぎいん支持しじした都道とどう府県連ふけんれんもあり、しょう選挙せんきょにおいて分裂ぶんれつ状態じょうたいになった。また、マスコミも分裂ぶんれつ選挙せんきょ対立たいりつしている選挙せんきょ注目ちゅうもく選挙せんきょとして放送ほうそうした。しょう選挙せんきょでは自民党じみんとう公認こうにん候補こうほ造反ぞうはん議員ぎいん勝利しょうりするケース、しょう選挙せんきょやぶれるも比例ひれい復活ふっかつしたケース、民主党みんしゅとう候補者こうほしゃ漁夫ぎょふしょう選挙せんきょ勝利しょうりしたれいもあった。またこのとき造反ぞうはんし、自民党じみんとうからっていった議員ぎいんたちのおおくは2006ねんから2007ねんにかけてと2012ねん4がつ与党よとう民主党みんしゅとう提出ていしゅつした日本にっぽん郵政ゆうせいグループの組織そしきのありかた見直みなおしをはしらとした郵政ゆうせい改革かいかく法案ほうあん自民党じみんとう賛成さんせいして成立せいりつするひとして自民党じみんとう郵政ゆうせい民営みんえい姿勢しせいおおきな変化へんかがでたのち自民党じみんとうふくとうしている。

2007ねん宮崎みやざき県知事けんちじ選挙せんきょ

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官製かんせい談合だんごう事件じけん当時とうじ知事ちじ安藤あんどう忠恕ただひろ逮捕たいほされたことにともな知事ちじ選挙せんきょにおいて、自民党じみんとう公明党こうめいとう持永もちなが哲志てつし推薦すいせんしたが、おな保守ほしゅ陣営じんえいから川村かわむら秀三郎ひでさぶろう立候補りっこうほしたため保守ほしゅ陣営じんえい分裂ぶんれつ選挙せんきょとなる。選挙せんきょでは保守ほしゅひょう分裂ぶんれつしたことにくわえ、無党派むとうはそうんだ宮崎みやざき出身しゅっしんタレントそのまんまひがし本名ほんみょう東国原ひがしこくばる英夫ひでお勝利しょうりする[4]

2012ねん自民党じみんとう総裁そうさい選挙せんきょ

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自民党じみんとう最大さいだい派閥はばつ町村派まちむらは安倍晋三あべしんぞう支持しじしていたが、会長かいちょう町村ちょうそん信孝のぶたか総裁そうさいせん出馬しゅつば意向いこうかためたため派閥はばつによる分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった[5]結果けっか安倍晋三あべしんぞう国会こっかい議員ぎいんによる決選けっせん投票とうひょう石破いしばしげる逆転ぎゃくてん勝利しょうりする。

2013ねん参議院さんぎいん選挙せんきょ

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民主党みんしゅとうは5にんである東京とうきょう選挙せんきょにおいて2めい候補こうほ擁立ようりつ目指めざしていたが直前ちょくぜんおこなわれた東京とうきょう都議会とぎかい議員ぎいん選挙せんきょにおいて複数ふくすうにおける民主党みんしゅとう候補こうほ共倒ともだおれが相次あいついだため、大河原おおかわら雅子まさこ公認こうにん鈴木すずきひろし一本いっぽんしたが、かん直人なおともと内閣ないかく総理そうり大臣だいじんすうめい民主党みんしゅとう議員ぎいん大河原おおがわら支援しえん表明ひょうめいし、実質じっしつてき分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった。しかし結果けっかてき大河原おおがわら鈴木すずきりょうどもひょう落選らくせんした。

2016ねん東京とうきょう都知事とちじ選挙せんきょ

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舛添ますぞえ要一よういちまえ東京とうきょう都知事とちじ辞職じしょくともな執行しっこうされた2016ねん東京とうきょう都知事とちじ選挙せんきょでは、小池こいけ百合子ゆりこもと防衛ぼうえい大臣だいじん自民党じみんとうたい推薦すいせんねがい提出ていしゅつしたが、党内とうないからは小池こいけとう無断むだん立候補りっこうほ表明ひょうめいしたことに批判ひはん噴出ふんしゅつしたことから、自民党じみんとう本部ほんぶ公明党こうめいとう日本にっぽんのこころを大切たいせつにするとう自民党じみんとう東京とうきょうれん擁立ようりつした増田ますだひろしもと総務そうむ大臣だいじんまえ岩手いわてけん知事ちじ)に推薦すいせんすこととした。これをけた小池こいけは、推薦すいせん希望きぼうげ、政党せいとう支援しえんけずに立候補りっこうほ結果けっか小池こいけやく291まんひょう獲得かくとくし、次点じてん増田ますだに100まんひょう以上いじょう大差たいさをつけて圧勝あっしょうした。

2019ねん福岡ふくおか県知事けんちじ選挙せんきょ

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過去かこ2かい支援しえんした現職げんしょく小川おがわひろしではなくもと厚生こうせい労働ろうどう官僚かんりょう武内たけうち和久かずひさふく総理そうりけん財務ざいむ大臣だいじん麻生あそう太郎たろう擁立ようりつ主導しゅどう自民じみん福岡ふくおか県連けんれん会長かいちょう藏内くらうち勇夫いさお推薦すいせんした[6]小川おがわには福岡ふくおかけん選出せんしゅつ議員ぎいん武田たけだ良太りょうた鳩山はとやま二郎じろう鬼木おにきまこと議員ぎいん引退いんたいした古賀こがまこと山崎やまざきたく太田おおた誠一せいいちなどが支援しえんした[7]小川おがわ圧勝あっしょうして3せん

2020ねん富山とやま県知事けんちじ選挙せんきょ

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51ねんぶりとなる保守ほしゅ分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった。自民党じみんとう県連けんれん現職げんしょく石井いしい隆一りゅういち推薦すいせんするも、もと日本海にほんかいガス社長しゃちょう新田にった八朗はちろうが6まんひょう以上いじょう大差たいさ当選とうせんたした。

2021ねん岐阜ぎふ県知事けんちじ選挙せんきょ

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55ねんぶりとなる保守ほしゅ分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった[8]自民党じみんとう県議けんぎ猫田ねこだこうらはもと内閣ないかく大臣だいじん官房かんぼう審議しんぎかん江崎えざきただしえい擁立ようりつするも、現職げんしょく古田ふるたはじめが5当選とうせんたした。

2021ねん横浜よこはま市長しちょう選挙せんきょ

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統合とうごうがたリゾート(IR)誘致ゆうち賛成さんせいする地元じもと経済けいざいかいされ、現職げんしょくはやし文子ふみこが4せん目指めざ立候補りっこうほ一方いっぽうで、自民党じみんとう県連けんれん会長かいちょう現職げんしょく閣僚かくりょうであった小此木おこのぎ八郎はちろうがIRりやめをかか立候補りっこうほ自民党じみんとう横浜よこはまれん自主じしゅ投票とうひょう決定けっていしたが、首相しゅしょうかんよしえらとう神奈川かながわ県議けんぎ全員ぜんいん市議しぎの8わりきょう小此木おこのぎ応援おうえんはいり、事実じじつじょう保守ほしゅ分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった[9][10]

市長しちょうせん立憲りっけん民主党みんしゅとう連合れんごう神奈川かながわ推薦すいせん[11]日本にっぽん共産党きょうさんとう支援しえんけたもと大学だいがく教授きょうじゅ山中やまなか竹春たけはる当選とうせんした[12]小此木おこのぎ得票とくひょうすう2はやしは3落選らくせんした。

2022ねん石川いしかわ県知事けんちじ選挙せんきょ

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7つとめた現職げんしょく谷本たにもと正憲まさのり出馬しゅつばのため、28ねんぶりの新人しんじん同士どうし選挙せんきょせんとなったが、おな保守ほしゅ陣営じんえいから自民党じみんとうもと衆議院しゅうぎいん議員ぎいんげん文部もんぶ科学かがく大臣だいじん石川いしかわけんだい2選出せんしゅつ議員ぎいんであったはせひろしもと参議院さんぎいん議員ぎいんげん農林のうりん水産すいさん審議しんぎかん石川いしかわけん選挙せんきょ選出せんしゅつ議員ぎいんであった山田やまだおさむ[13]ぜん金沢かなざわ市長しちょう山野さんやよし出馬しゅつばし、分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった。自民党じみんとうがわ対応たいおう苦慮くりょし、県連けんれんはせ山田やまだに「支持しじ」をしたうえ自主じしゅ投票とうひょうとした。 結果けっかはせ接戦せっせんせいし、はつ当選とうせんたした。

2023ねん奈良なら県知事けんちじ選挙せんきょ

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自民党じみんとう県連けんれん会長かいちょう高市たかいち早苗さなえ総務そうむ官僚かんりょう平木ひらきしょう擁立ようりつするかたちうごいた一方いっぽう現職げんしょく荒井あらい正吾しょうごも5せん目指めざ立候補りっこうほ表明ひょうめいした。両者りょうしゃ県連けんれん推薦すいせんもとめ、県連けんれん推薦すいせん平木ひらきとなったものの、荒井あらい県議けんぎ市町村しちょうそんちょうもいるという分裂ぶんれつ選挙せんきょとなった。結果けっか日本にっぽん維新いしんかい公認こうにん山下やましたしん漁夫ぎょふかたち当選とうせんたし、大阪おおさか以外いがいでははつ維新いしん公認こうにん知事ちじとなった。

外国がいこくにおける分裂ぶんれつ選挙せんきょれい

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アメリカでは共和党きょうわとう民主党みんしゅとう、2だい政党せいとうがそれぞれ予備よびせんたたかいそのしゅうでの勝利しょうりしゃ選挙せんきょじん人数にんずうひとめする独特どくとく選挙せんきょ制度せいどのため分裂ぶんれつ選挙せんきょというものはない。1992ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょではロス・ペローだいさん勢力せいりょくとして人気にんきはくし、2だい政党せいとう支援しえんしゃからも支持しじけ20%ちか得票とくひょうりつをマークした。(選挙せんきょじん獲得かくとくはない)

分裂ぶんれつ選挙せんきょ回避かいひされたれい

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1980ねん衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ

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当時とうじ自民党じみんとうでは主流しゅりゅうはん主流しゅりゅうはげしく対立たいりつしていた。対立たいりつはげしさを一触即発いっしょくそくはつ状態じょうたいであった。実際じっさい野党やとう提出ていしゅつした内閣ないかく不信任ふしんにん決議けつぎあんはん主流しゅりゅう欠席けっせきにより可決かけつしてしまう。首相しゅしょう大平おおひら正芳まさよし衆議院しゅうぎいん解散かいさんしたが、主流しゅりゅうはん主流しゅりゅうがおたがいを批判ひはんするなど、分裂ぶんれつ選挙せんきょ様相ようそうていした。しかし、総理そうり総裁そうさい大平おおひら急逝きゅうせいしたことをけて主流しゅりゅうはん主流しゅりゅう一致いっち団結だんけつして選挙せんきょせんたたかい、地滑じすべてき勝利しょうりおさめた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 青嵐会せいらんかい候補者こうほしゃはすべて無所属むしょぞく立候補りっこうほした
  2. ^ 武部たけべつとむかたる-あのとき世代せだい交代こうたいのきっかけとなった“たつちゃん”の参院さんいんせん
  3. ^ 月刊げっかん自由じゆう民主みんしゅ』1974ねん9がつごう45P~46P
  4. ^ 宮崎みやざき知事ちじせん、そのまんまひがし大勝たいしょう 自公じこう推薦すいせん候補こうほやぶる2012ねん12月1にち閲覧えつらん
  5. ^ 自民じみん総裁そうさいせん:安倍あべ勉強べんきょうかいに47にん町村派まちむらは分裂ぶんれつ選挙せんきょ毎日まいにちjp2012ねん12月1にち閲覧えつらん
  6. ^ 知事ちじせん大敗たいはい自民じみん福岡ふくおか県連けんれん会長かいちょう辞任じにんへ” (日本語にほんご). 毎日新聞まいにちしんぶん. (2019ねん4がつ8にち). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190408/k00/00m/010/178000c 2019ねん4がつ8にち閲覧えつらん 
  7. ^ 麻生あそう足元あしもと包囲ほういもう 福岡ふくおか知事ちじせん現職げんしょく支持しじの「造反ぞうはん続々ぞくぞく (日本語にほんご). 産経新聞さんけいしんぶん. (2019ねん3がつ6にち). https://www.sankei.com/article/20190306-CP6CG7TYSNJMPHMHOQJX4GMFKM/ 2019ねん4がつ8にち閲覧えつらん 
  8. ^ 岐阜ぎふ県知事けんちじせん 4にん立候補りっこうほ 55ねんぶり「保守ほしゅ分裂ぶんれつ」に” (日本語にほんご). NHK. (2021ねん1がつ8にち). https://web.archive.org/web/20210107045628/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210107/k10012801251000.html 2021ねん1がつ24にち閲覧えつらん 
  9. ^ かん首相しゅしょうけんみね横浜よこはま市長しちょうせん 保守ほしゅ分裂ぶんれつ次期じき衆院しゅういんせん影響えいきょうも”. 産経新聞さんけいしんぶん. (2021ねん8がつ1にち). https://www.sankei.com/article/20210801-DECYHVJRT5KJZKHAX736ALK3N4/ 2021ねん8がつ14にち閲覧えつらん 
  10. ^ 志村しむらあきらふとし丸山まるやま耀平、村上むらかみ一樹かずき (2021ねん8がつ19にち). 横浜よこはま市長しちょうせん結果けっか次第しだい政権せいけん左右さゆう 首相しゅしょう推進すいしんのIR、コロナで先行さきゆ不透明ふとうめい 誘致ゆうち方針ほうしん影響えいきょうも”. 東京とうきょう新聞しんぶん. https://www.tokyo-np.co.jp/article/125220 2021ねん8がつ19にち閲覧えつらん 
  11. ^ 連合れんごう神奈川かながわ山中やまなか推薦すいせん 14項目こうもく政策せいさく協定きょうていへ”. 神奈川かながわ新聞しんぶん. (2021ねん7がつ28にち). https://www.kanaloco.jp/news/government/electiondata/article-596979.html 2021ねん7がつ28にち閲覧えつらん 
  12. ^ 無党派むとうはそう支持しじあつ山中やまなかとうかく 横浜よこはま市長しちょう選挙せんきょ出口でぐち調査ちょうさ朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. 2021ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  13. ^ はせ山田やまだ国会こっかい議員ぎいん時代じだいおな清和せいわ政策せいさく研究けんきゅうかい所属しょぞくしていた