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南海11001系電車 - Wikipedia

南海なんかい11001けい電車でんしゃ(なんかい11001けいでんしゃ)は、南海電気鉄道なんかいでんきてつどう在籍ざいせきした優等ゆうとう列車れっしゃよう電車でんしゃ

本稿ほんこうでは旧型きゅうがたしゃ機器きき流用りゅうようしゃである12001けい電車でんしゃおよほん系列けいれつ改造かいぞうしゃである1000けい電車でんしゃ初代しょだいについても記述きじゅつする。

11001けい・12001けい

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製造せいぞう経緯けいい

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11001けい南海電気鉄道なんかいでんきてつどうはつカルダン駆動くどうくるまである。1954ねんから1962ねんにかけて5りょう編成へんせい3ほん(15りょう)・4りょう編成へんせい5ほん(20りょう)・2りょう編成へんせい4ほん(8りょう)の合計ごうけい43りょう帝國ていこく車輛しゃりょう工業こうぎょうのち東急とうきゅう車輛しゃりょう製造せいぞうげん総合そうごう車両しゃりょう製作所せいさくしょ)に吸収きゅうしゅう合併がっぺい)で製造せいぞうされた[1]。また、1954ねんには11001けい同一どういつ車体しゃたいながら駆動くどうくるまとした12001けい2りょう編成へんせい2ほん(4りょう)が近畿車輛きんきしゃりょう製造せいぞうされた[1]のち編成へんせいえをすうかいおこない、12001けいの11001けいへの編入へんにゅうて、最終さいしゅうてきに6りょう編成へんせい2ほん(12りょう)・5りょう編成へんせい7ほん(35りょう)となった。

11001けい初期しょきしゃ・12001けい

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1954ねん制御せいぎょ電動でんどうしゃ(Mc)であるモハ11001かたち11001〜11008、モハ12001かたち12001・12002、それに制御せいぎょしゃ(Tc)であるクハ12801かたち12801・12802の3形式けいしき12りょう製造せいぞうされた。

モハ11001かたち奇数きすう番号ばんごうしゃ偶数ぐうすう番号ばんごうしゃでペアをんで、モハ12001かたちとクハ12801かたちもペアをんで、それぞれ2りょう編成へんせい最小さいしょう単位たんいとしてこれを2くみわせた4りょう編成へんせい運用うんようされた[2]。ただし、これらのグループは2りょう単位たんいでの使用しよう考慮こうりょされていたため、2りょう当時とうじ運行うんこうされていた難波なんば - 住吉公園すみよしこうえんげん住吉すみよし大社たいしゃあいだ各駅かくえき停車ていしゃ天王寺支線てんのうじしせん入線にゅうせんする場合ばあいもあった[3]。また11001けいについても一部いちぶ編成へんせい分割ぶんかつした片割かたわれのモハ11001かたちべつ編成へんせい増結ぞうけつして3りょう編成へんせいとして運用うんようするれい[注釈ちゅうしゃく 1]られた[3]

編成へんせい

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(←難波なんば

  • 11001けい
    • 11001-11002
    • 11003-11004
    • 11005-11006
    • 11007-11008
  • 12001けい
    • 12001-12801
    • 12002-12802

車体しゃたい

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車体しゃたい2001かたち最終さいしゅうぞう備車のながれをまど配置はいちであり、前面ぜんめん貫通かんつうとびらづけ・20mきゅう2とびらという構成こうせいはこれと共通きょうつうする。ただし、当時とうじ私鉄してつ各社かくしゃきそって製造せいぞうしていた高性能こうせいのうしゃぐんにならって構体構造こうぞうじゅんちょうから構造こうぞうとなり、構体の基本きほん部分ぶぶんこう抗張力こうちょうりょくこうもちいることで自重じちょう大幅おおはば軽量けいりょう実現じつげんしている。

外観がいかんじょうは、あめとい位置いちひくくなり、ノーシル・ノーヘッダー構造こうぞうとなったことで平滑へいかつかつ実際じっさいよりもながえるエクステリアデザインとなった。

塗装とそう社内しゃない呼称こしょうをオリエンタルグリーンとしょうするあわみどりいろ基本きほんとし、前面ぜんめんまどからがわまどにかけてエメラルドグリーンほそたいかれた。

車内しゃないではオール転換てんかんしきクロスシートシートピッチ905mmで配置はいちし、棚下たなしたには読書どくしょとう設置せっちするなど、戦前せんぜん伝統でんとうがれる一方いっぽうで、車内しゃない照明しょうめいへの蛍光けいこうとう採用さいよう扇風機せんぷうき設置せっちなど、接客せっきゃく設備せつび向上こうじょうはかられた。

主要しゅよう機器きき

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11001けいではしゅ電動でんどう東洋電機製造とうようでんきせいぞうTDK-822-A[注釈ちゅうしゃく 2]しゅ制御せいぎょ日立製作所ひたちせいさくしょMMC-HB11[注釈ちゅうしゃく 3]電動でんどう発電はつでん交流こうりゅうしき東芝とうしばCLG-305を採用さいようし、独立どくりつした電動でんどうしゃつらねたあきら電動でんどうしゃ組成そせいとしたため、全車ぜんしゃ難波なんばりにパンタグラフとして東洋電機製造とうようでんきせいぞうPT-35S-Zが搭載とうさいされていた[注釈ちゅうしゃく 4]。また、制動せいどう方式ほうしきはA動作どうさべん中継ちゅうけいべん付加ふかし、発電はつでん制動せいどう連動れんどうする三菱電機みつびしでんきAMAR-D自動じどう空気くうきブレーキ採用さいようされ、空気くうき圧縮あっしゅく三菱電機みつびしでんきDH-25、台車だいしゃ鋳鋼ちゅうこうせいウィングバネ式台しきだいしゃである住友金属工業すみともきんぞくこうぎょうFS19[注釈ちゅうしゃく 5]装着そうちゃくされた。

駆動くどう装置そうち軌間きかん1067mmけとしては日本にっぽんはじめて、東洋電機製造とうようでんきせいぞう開発かいはつした中空ちゅうくうじく平行へいこうカルダン駆動くどう方式ほうしき採用さいようした。当時とうじ狭軌きょうきでは元来がんらい車輪しゃりんあいだのバックゲージの制約せいやくから、継手つぎて寸法すんぽうおおきなWNドライブ採用さいよう困難こんなんであり、そのためカルダン駆動くどうには構造こうぞう複雑ふくざつ直角ちょっかくカルダン駆動くどう方式ほうしき選択せんたくするほかかった。しかし、11001けいにおける中空ちゅうくうじく平行へいこうカルダンの成功せいこうにより、保守ほしゅじょう理由りゆうなどからカルダン駆動くどうしゃ製造せいぞうしぶっていた国鉄こくてつでもその導入どうにゅううごし、やがてそれはモハ90けいの101けい)として結実けつじつした[注釈ちゅうしゃく 6]。もっとも、11001けい設計せっけい時点じてんでは中空ちゅうくうじくカルダン駆動くどうといえどもだい出力しゅつりょく電動でんどう採用さいよう困難こんなんであり、このためてい出力しゅつりょくしゅ電動でんどう全車ぜんしゃそうするぜん電動でんどうしゃ方式ほうしき[注釈ちゅうしゃく 7]らざるをなかった。歯車はぐるまは80:14 = 1:5.71に設定せっていされている。[4]

一方いっぽう、12001けい新車しんしゃ製造せいぞうコスト節約せつやく目的もくてきとして、モハ2001かたちぞう備車ようとして購入こうにゅうされたものの使用しようされず、ながらく天下茶屋てんがちゃや工場こうじょうでストックひんとなっていたしゅ電動でんどう流用りゅうようしたため、従来じゅうらいどおりの駆動くどうとされ、編成へんせいだい出力しゅつりょくしてMT1:1の1M1T編成へんせいとされた。

このため、しゅ電動でんどう三菱電機みつびしでんきMB-186-AFR[注釈ちゅうしゃく 8]しゅ制御せいぎょ新造しんぞう東洋電機製造とうようでんきせいぞうAUD-20 (単位たんいスイッチしき停止ていしよう発電はつでん制動せいどうづけ) 、電動でんどう発電はつでん東芝とうしばCLG-305を採用さいようし、パンタグラフはモハ12001がた難波なんばりに東洋電機製造とうようでんきせいぞうPT-35S-Zが搭載とうさいされた。また、制動せいどう方式ほうしき三菱電機みつびしでんきAMAR-D(モハ)およびATAR(クハ)、空気くうき圧縮あっしゅくおなじく三菱電機みつびしでんきD-3-Fで、台車だいしゃは11001けいのFS19と同系どうけいであるものの大型おおがただい出力しゅつりょくしき電動でんどうそうするためにじく距が500mm延伸えんしんされて2,600mmへ、車輪しゃりんみちも860mmから914mmへそれぞれ大型おおがたされた、ウィングバネ式台しきだいしゃ住友金属工業すみともきんぞくこうぎょうFS18を新造しんぞううえ装着そうちゃくした。

11001けい後期こうきしゃ

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1956ねんから1962ねんにかけて、制御せいぎょ電動でんどうしゃ(Mc)であるモハ11001かたち11009〜11022と中間なかま電動でんどうしゃ(M)であるモハ11100かたち11100〜11120のけい35りょう製造せいぞうされた。

1956ねん製造せいぞう開始かいし当初とうしょはモハ11001-モハ11100-モハ11100-モハ11001の4りょう固定こてい編成へんせいであったが、1957年度ねんどぞう編成へんせい以降いこうはモハ11100かたちを1りょう追加ついかし、モハ11001-モハ11100-モハ11100-モハ11100-モハ11001の5りょう固定こてい編成へんせいとなった[注釈ちゅうしゃく 9]

なお、モハ11100かたち奇数きすう偶数ぐうすう区別くべつ全車ぜんしゃ同一どういつ仕様しよう製造せいぞうされている。

編成へんせい

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(←難波なんば

  • 1957ねん8がつ2にち時点じてん[注釈ちゅうしゃく 10]
    • 11009-11100(11010)-11101(11011)-11010(11012)
    • 11011(11013)-11102(11014)-11103(11015)-11012(11016)
    • 11013-11106-11107-11014
  • 1958ねん9がつ12にち時点じてん
    • 11009-11100-11101-11102-11010
    • 11011-11103-11104-11105-11012
    • 11013-11106-11107-11108-11014
    • 11015-11109-11110-11111-11016
    • 11017-11112-11113-11114-11018
    • 11019-11115-11116-11117-11020
    • 11021-11118-11119-11120-11022

車体しゃたい

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車体しゃたい基本きほんてき初期しょきしゃ同様どうようであるが、先頭せんとうしゃはんりゅう線形せんけい前面ぜんめん貫通かんつうがた2まいまどのいわゆる「湘南しょうなんがた」となった。そして、あめとい屋根やねじょう移動いどうしてちょううえ屋根やねになり、構体構造こうぞう一部いちぶ見直みなおしで車体しゃたいすそまるみがつけられた。

ダークグリーンのほそたい前面ぜんめんは「金太郎きんたろうり」のけラインとなり、1000けい初代しょだいへの改造かいぞうも「ヒゲしん」(「ヒゲの新車しんしゃ」のりゃく)とばれてしたしまれるようになった。これらは、20mきゅう車体しゃたいのぞ高野たかのせんよう21000けい(および旧型きゅうがたしゃ機器きき流用りゅうようしゃ21200けい)にもがれている。

車内しゃない混雑こんざつ乗降じょうこう容易よういとすべく、くるまはしロングシートとし、がわとびらあいだ転換てんかんしきクロスシートとしたセミクロスシート採用さいようした。のち初期しょきしゃくるまはしはロングシートに改造かいぞうされている[2]

主要しゅよう機器きき

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制御せいぎょ方式ほうしきおよび主要しゅよう機器ききるいは11001けい初期しょきしゃ同様どうようである。ただし、連結れんけつ初期しょきしゃでは柴田しばたしきなみがた自動じどう連結れんけつであったが、後期こうきしゃでは密着みっちゃく自動じどう連結れんけつ変更へんこうされた。また、初期しょきしゃ区別くべつするために便宜べんぎてきに「11009けい」と記述きじゅつしている資料しりょうもあるが、正確せいかくには初期しょきしゃ後期こうきしゃともすべて11001けいである。

運用うんよう

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登場とうじょうから主力しゅりょく

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1954ねんだい1じん竣工しゅんこうし、同年どうねん10がつダイヤ改正かいせいより運転うんてん開始かいしした南海本線なんかいほんせん難波なんば和歌山わかやまあいだ特急とっきゅう龍神りゅうじん1955ねん4がつ21にちのショートカットで駅名えきめいさかい変更へんこう)・泉大津いずみおおつ岸和田きしわだ貝塚かいづか泉佐野いずみさの停車ていしゃ)・急行きゅうこう従来じゅうらいより設定せってい)で華々はなばなしくデビューをかざった。

しずかで心地ごこちほん系列けいれつ就役しゅうえき開始かいしは、並行へいこうせんであり、かつて南海なんかい鉄道てつどう時代じだいにはどういち資本しほんした運営うんえいされていた国鉄こくてつ阪和線はんわせん利用りようきゃく不満ふまん増大ぞうだいさせた[注釈ちゅうしゃく 11]。このため、戦時せんじ買収ばいしゅうせんたいするものとしては異例いれい措置そちであったが、当時とうじさい新鋭しんえいしゃである70けい電車でんしゃ直接ちょくせつしんせい配置はいち[注釈ちゅうしゃく 12]という緊急きんきゅう対策たいさくこうじることをいるなど、絶大ぜつだい影響えいきょう国鉄こくてつあたえた。

この成功せいこうくした南海なんかいは、とく好評こうひょうであった11001がたぞう備を決定けっていし、1956ねんには4りょう固定こてい編成へんせいとしてだい2しゃ投入とうにゅう開始かいしした。

また、同年どうねん和歌山港わかやまこうせん和歌山わかやま和歌山わかやまこう築港ちっこうまちげん廃止はいしあいだ開業かいぎょうすると、ほん系列けいれつ運転うんてん区間くかん難波なんばえき和歌山港わかやまこうえきあいだ延長えんちょうされた。これにより、和歌山港わかやまこう小松島港こまつしまこう現在げんざい徳島とくしまこう)の航路こうろ接続せつぞくすることで関西かんさい四国しこくあいだ最短さいたんルートが形成けいせいされ、たい四国しこく連絡れんらく優等ゆうとう列車れっしゃようをはじめとする南海なんかい本線ほんせん代表だいひょう車種しゃしゅとして、11001けいと12001けい隆盛りゅうせいきわめることとなった。

さら1962ねん4がつ12にちには、それまで18mきゅうモハ1201かたち出力しゅつりょく強化きょうかしたモハ1551かたち同系どうけいのクハ1901がたとも充当じゅうとうされていた四国しこく連絡れんらく急行きゅうこう「あわごう」を特急とっきゅう格上かくあげのうえで11001けいえ、同時どうじ高知こうち連絡れんらく特急とっきゅう「とさごう」を新設しんせつし、そちらにも同系どうけい充当じゅうとうされた。また、1963ねん12月1にちにはこれらの列車れっしゃ特別とくべつ料金りょうきん徴収ちょうしゅうする座席ざせき指定していしゃ設定せってい和歌山港わかやまこうり1〜2りょうをこれにてた。

1964ねん12月1にちには、南海なんかい汽船きせん就航しゅうこうしたカーフェリー「きいまる」に連絡れんらくする「きいごう」を新設しんせつし、こちらにも11001けい充当じゅうとうされている。

かくして「あわ」「とさ」「きい」が出揃でそろい、殷賑いんしんきわめた四国しこく連絡れんらく特急とっきゅうであったが、1968ねん10月1にちのダイヤ改正かいせい特急とっきゅう四国しこくごう名称めいしょう統合とうごうされ、停車駅ていしゃえき新今宮しんいまみや1966ねん12月1にち開設かいせつ)・さかい岸和田きしわだ和歌山わかやま整理せいり変更へんこうされている。

12001けいの11001けい編入へんにゅうと6りょう編成へんせい実施じっし

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1960年代ねんだい後半こうはんはいると、4りょう編成へんせい(11001けい初期しょきしゃ・12001けいは2りょう編成へんせい2ほんの併結)・5りょう編成へんせいの11001けい・12001けい輸送ゆそうりょく不足ふそく目立めだはじめた。このためまず1969ねんに、少数しょうすうであった12001けいをモハ12001がた電装でんそう解除かいじょ付随ふずいしゃ、クハ12801がた付随ふずいしゃ実施じっしうえ11001けいへの編入へんにゅう[注釈ちゅうしゃく 13]おこなわれた[6]

これらは当初とうしょ4りょう編成へんせい運用うんようされていたモハ11001〜11004・11005〜11008の2編成へんせい一部いちぶの11001けい5りょう編成へんせい挿入そうにゅうされ、それぞれ5りょう編成へんせい・6りょう編成へんせい実現じつげんした。

これらは付随ふずいしゃであったためぐみこみさき編成へんせい性能せいのう低下ていかまねいたが、この時期じき南海本線なんかいほんせん輸送ゆそうじょうきょう逼迫ひっぱくしており、また架線かせん電圧でんあつ昇圧しょうあつ実施じっし目前もくぜんせまりつつあったため、将来しょうらい車両しゃりょう運用うんよう計画けいかく考慮こうりょすると、選択肢せんたくしがないのが当時とうじ実情じつじょう[注釈ちゅうしゃく 14]であった。

昇圧しょうあつともなう1000けいへの改造かいぞう

編集へんしゅう

1973ねん10月、貴志川線きしがわせんのぞ南海なんかいせん架線かせん電圧でんあつ直流ちょくりゅう600Vから直流ちょくりゅう1,500Vへの昇圧しょうあつおこなわれることとなった。しかし系列けいれつちがい、11001けい初期しょき高性能こうせいのうしゃであり、直流ちょくりゅう600V専用せんようとして設計せっけいされていた主要しゅよう機器ききるいとくしゅ電動でんどうしゅ制御せいぎょ改造かいぞう困難こんなんであった。このため特急とっきゅう運用うんよう必要ひつよう最低限さいていげんりょうかずのみ、車体しゃたい流用りゅうようして主要しゅよう機器ききるいとうだい改造かいぞう詳細しょうさい後述こうじゅつ)を実施じっしすることとし、後期こうきしゃのうちくるまよわいわかいラストナンバーから逆順ぎゃくじゅんにモハ11001かたち8りょう、モハ11100かたち16りょう抽出ちゅうしゅつうえ、6れん4ほんさい編成へんせいして1000けいへと改称かいしょうされた。一方いっぽう、それ以外いがいの23りょうについては1973ねんから1974ねんにかけて除籍じょせきすることとし、11001けい形式けいしき消滅しょうめつした[注釈ちゅうしゃく 15]

除籍じょせきしゃ順次じゅんじ解体かいたいすすめられたが、昇圧しょうあつ困難こんなんであるだけで、製造せいぞうから10〜20ねんほどくるまよわいわか状態じょうたい良好りょうこうであったことから、モハ11001かたち初期しょきしゃ3りょう(11001・04・08)・後期こうきしゃ6りょう(11009〜14)のけい9りょう[注釈ちゅうしゃく 16]京福電気鉄道けいふくでんきてつどう福井ふくい支社ししゃげんえちぜん鉄道てつどう)へ譲渡ゆずりわたされ、同社どうしゃ3001かたちとなった[注釈ちゅうしゃく 17]

1000けい電車でんしゃ初代しょだい

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1000けい四国しこくごう」 1985ねん

改造かいぞう経緯けいい

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南海電気鉄道なんかいでんきてつどう鉄道てつどうせん全線ぜんせん架線かせん電圧でんあつ直流ちょくりゅう600Vから直流ちょくりゅう1,500Vへ昇圧しょうあつされるさいに、11001けい後期こうきしゃ一部いちぶ主要しゅよう機器ききるいとう更新こうしん改造かいぞうほどこした車両しゃりょうである。1973ねん〜1974ねんにかけて6りょう編成へんせい4ほん合計ごうけい24りょう改造かいぞうされた。

たねしゃとなったのは1957ねん以降いこう製造せいぞうされたモハ11001かたち11015〜11022とモハ11100かたち11105〜11120で、5りょう編成へんせいを6りょう編成へんせいえたため、不足ふそくする4りょうはより竣工しゅんこう時期じきふる編成へんせい2ほんから抽出ちゅうしゅつされた。

車種しゃしゅ構成こうせい全面ぜんめんてき変更へんこうされ、難波なんばりからモハ1001がた(Mc)-サハ1801がた奇数きすうしゃ)(T)-サハ1801がた偶数ぐうすうしゃ)(T)-モハ1101がた偶数ぐうすうしゃ)(M)-モハ1101がた奇数きすうしゃ)(M)-クハ1901がた(Tc)とされ、MT1:1の3M3T編成へんせいとされた。

モハ1001かたち1001〜1004はモハ11001かたち11015・11017・11019・11021、
モハ1101かたち1101〜1108はモハ11100かたち11105・11107・11109・11111・11113・11115・11117・11119、
サハ1801かたち1801〜1808はモハ11100かたち11106・11108・11110・11112・11114・11116・11118・11120、
クハ1901かたち1901〜1904はモハ11001かたち11016・11018・11020・11022をそれぞれたねしゃとした[7]

編成へんせい

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(←難波なんば

  • 1001-1801-1802-1102-1101-1901
  • 1002-1803-1804-1104-1103-1902
  • 1003-1805-1806-1106-1105-1903
  • 1004-1807-1808-1108-1107-1904

車体しゃたい

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車体しゃたい基本きほんてきに11001けい後期こうきしゃ車体しゃたい流用りゅうようしている。ただし、各車かくしゃとも三菱電機みつびしでんきCU73集中しゅうちゅうしき冷房れいぼう装置そうち冷凍れいとう能力のうりょく42,000Kcal/h)が屋根やねじょう搭載とうさいされ、車内しゃない天井てんじょう風洞ふうどう設置せっちうえ冷房れいぼう改造かいぞうされている。このため、構体内部ないぶについてはおも集中しゅうちゅうしき冷房れいぼう装置そうち支持しじする必要ひつようから骨組ほねぐみ補強ほきょう工事こうじ実施じっしされている。

主要しゅよう機器きき

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昇圧しょうあつ改造かいぞうさい主要しゅよう機器ききるい基本きほんてき6100けい7100けい同型どうけい機器ききしんせいして交換こうかんされた。

しゅ電動でんどう三菱電機みつびしでんきMB-3072-B[注釈ちゅうしゃく 18]しゅ制御せいぎょバーニア制御せいぎょ併用へいようする日立製作所ひたちせいさくしょVMC-HTB-20ANを採用さいようし、台車だいしゃについては電動でんどうしゃ7000けい電動でんどうしゃ同一どういつのミンデン空気くうきばね台車だいしゃである住友金属工業すみともきんぞくこうぎょうFS355を新造しんぞうしたうえ装着そうちゃくしたが、制御せいぎょしゃ付随ふずいしゃについては従来じゅうらいのFS319からしゅ電動でんどうはずしたうえ装着そうちゃくしている。

駆動くどう装置そうちについては、しゅ電動でんどう変更へんこうともない11001けい中空なかぞらじく平行へいこうカルダン駆動くどう方式ほうしきから三菱電機みつびしでんきせいWNドライブ変更へんこうされ、ブレーキもAMAR-D発電はつでん制動せいどうづけ自動じどう空気くうきブレーキからでんそら同期どうき完全かんぜんなHSC-D発電はつでん制動せいどうづけ電磁でんじ直通ちょくつうブレーキ変更へんこうされている。

電動でんどう発電はつでんについても、冷房れいぼう装置そうちけたため7100けい冷房れいぼうしゃ同様どうようだい容量ようりょうのものに交換こうかんされている。

運用うんよう

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登場とうじょう

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1973ねん改造かいぞうだい1じん竣工しゅんこうし、同年どうねん10がつ10日とおか南海電気鉄道なんかいでんきてつどう鉄道てつどうせん全線ぜんせん昇圧しょうあつ同時どうじ南海本線なんかいほんせん和歌山港わかやまこうせん難波なんば和歌山港わかやまこうあいだ特急とっきゅう四国しこくごう」・急行きゅうこうさいデビューをかざった。

昇圧しょうあつおこなわれたダイヤ改正かいせい和歌山わかやまこう小松島港こまつしまこう航路こうろ全便ぜんびんカーフェリー・2あいだヘッドされたのをけて特急とっきゅう四国しこくごう」も2あいだヘッドされ、さら難波なんば和歌山わかやまあいだ全車ぜんしゃ自由じゆうせき特急とっきゅう増発ぞうはつされて、それとわせて南海本線なんかいほんせん特急とっきゅうが1あいだヘッドとなり、従来じゅうらいどお和歌山港わかやまこうり1〜2りょう座席ざせき指定していしゃとなった特急とっきゅう四国しこくごう」には1000けいが、難波なんば和歌山わかやまあいだ自由じゆうせき特急とっきゅうにはほん系列けいれつほか、7000・7100けい夏季かき冷房れいぼうしゃのみ)も充当じゅうとうされた。これにより夏季かき南海本線なんかいほんせん特急とっきゅうは1974ねん以降いこうぜん列車れっしゃ冷房れいぼうされた。また朝夕あさゆうラッシュなど合間あいまに「四国しこくごう以外いがいにも自由じゆうせき特急とっきゅう急行きゅうこうなどにも日常にちじょうてき充当じゅうとうされたほか、多奈川たながわせん直通ちょくつう急行きゅうこう淡路あわじごう」に使用しようされることがあった。

1974ねん10月27にちのダイヤ改正かいせい昇圧しょうあつによる運転うんてん速度そくど向上こうじょうはかられ、「四国しこくごう」をふく特急とっきゅう難波なんば和歌山わかやまあいだ所要しょよう時間じかんは55ふんとなった。

1000けいは「四国しこくごう」・自由じゆうせき特急とっきゅう急行きゅうこうなどの定期ていき列車れっしゃのほか、帰省きせいラッシュの「臨時りんじ四国しこくごう」、はるあき行楽こうらくシーズンの「みさきごう」、なつ海水浴かいすいよくシーズンの「サマー特急とっきゅう」など全車ぜんしゃ座席ざせき指定してい臨時りんじ特急とっきゅうにも充当じゅうとうされた。なお、帰省きせいラッシュ全車ぜんしゃ座席ざせき指定していの「臨時りんじ四国しこくごう」が運転うんてんされるときには、本来ほんらいのダイヤで運行うんこうされる「四国しこくごう」は全車ぜんしゃ自由じゆうせきとして、7000・7100けいによって運転うんてんされた。

終焉しゅうえん

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こうして関西かんさい四国しこくあいだ最短さいたんルートの一翼いちよくとして使用しようされていた1000けいも1980年代ねんだいはいると車体しゃたい老朽ろうきゅう車内しゃない設備せつび陳腐ちんぷ顕著けんちょになりはじめていた[注釈ちゅうしゃく 19]。そのころ特急とっきゅう「こうやごうでは新型しんがた30000けい就役しゅうえきし、1984ねん20000けい営業えいぎょう運転うんてん終了しゅうりょう[注釈ちゅうしゃく 20]しており、どう世代せだいの1000けいについても新形しんがたしゃへの代替だいたい検討けんとうされるようになった。

もっとも、全席ぜんせき座席ざせき指定してい特急とっきゅう専用せんようしゃである20000けいとはことなり、1000けい場合ばあい座席ざせき指定していしゃ一般いっぱんしゃ混在こんざいする運用うんよう充当じゅうとうされていたため、単一たんいつ系列けいれつでの代替だいたい困難こんなん状況じょうきょうであった。

そこで1000けい置換おきかえにさいして、座席ざせき指定していしゃは30000けい同一どういつのリクライニングシートをそなえる前面ぜんめん貫通かんつうづけの20mきゅう車体しゃたいに1000けい主要しゅよう機器きき流用りゅうようして組合くみあわせた10000けい新造しんぞうし、1000けいになっていた朝夕ちょうせきラッシュ運用うんよう置換おきかえについては9000けい新造しんぞうし、これにより余剰よじょうとなった7000けい更新こうしんしゃ)・7100けい自由じゆうせきしゃとして10000けいと併結して特急とっきゅう運用うんよう充当じゅうとうすることとなった。また、これらにくわえて1000けい廃車はいしゃ発生はっせいするFS355を、6000けい更新こうしんしゃ転用てんようすることで心地ごこちわるいパイオニアIII台車だいしゃ淘汰とうたはかることとした。

1000けい1985ねんから廃車はいしゃはじまり、同年どうねん11がつ1にち特急とっきゅう四国しこくごう」が廃止はいしされ10000けい「サザン」がデビュー、1000けい特急とっきゅう運用うんようから離脱りだつあさラッシュのみの運用うんようとなった。1987ねん6月28にち最後さいごまでのこった1003Fによるさよなら運転うんてんおこなわれ[8]同年どうねん7がつどう編成へんせい廃車はいしゃされ1000けい形式けいしき消滅しょうめつとなった。ほん系列けいれつ廃車はいしゃ経年けいねんによる車体しゃたい老朽ろうきゅうのため、泉佐野いずみさの業者ぎょうしゃ車体しゃたいのみ譲渡じょうとされた1003・1903号車ごうしゃのぞいて全車ぜんしゃ解体かいたいとなった[注釈ちゅうしゃく 21]一方いっぽう同様どうよう車体しゃたいスタイルで高野たかのせんけの21000けいは、1997ねんまで自社じしゃせんない使用しようされたのち地方ちほう私鉄してつ2しゃ譲渡ゆずりわたされた。

形式けいしきめいについて

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南海なんかい鉄道てつどう南海電気鉄道なんかいでんきてつどうにおいて1000番台ばんだい形式けいしき称号しょうごう車両しゃりょうとしては、1924ねん登場とうじょうしたでん7かたちがモハ201かたち1936ねん出力しゅつりょくべつ形式けいしき称号しょうごう改正かいせいモハ1001かたちあらためばんされている。この初代しょだいモハ1001かたちは11001けいが1000けい改造かいぞうされる以前いぜん1963ねん全車ぜんしゃ廃車はいしゃ形式けいしき消滅しょうめつしている。よってこの1000けい南海なんかいの「1000けい」としては初代しょだいたる[注釈ちゅうしゃく 22]が、1000番台ばんだい形式けいしき称号しょうごう車両しゃりょうとしては初代しょだいではなく2代目だいめとなる。

なお、とう形式けいしき全車ぜんしゃ廃車はいしゃ形式けいしき消滅しょうめつ1992ねん1000けいが2代目だいめ個別こべつ形式けいしきとしては3代目だいめ)として登場とうじょうしている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ モハ11001かたち機器きき構成こうせいじょうは1りょう完結かんけつしていたため、このよう運用うんよう可能かのうであった。
  2. ^ 端子たんし電圧でんあつ300Vていかく出力しゅつりょく75kW≒100PS。2永久えいきゅう直列ちょくれつ接続せつぞくして使用しようした。
  3. ^ 電動でんどうカムじくしき停止ていしそもそもそくよう発電はつでん制動せいどうづけ
  4. ^ このため奇数きすうしゃ偶数ぐうすうしゃではパンタグラフ位置いちことなり、また機器きき配置はいち編成へんせい単位たんい場合ばあいどう位置いちとなるよう、180°反転はんてんしていた。
  5. ^ 南海なんかいでの社内しゃない呼称こしょう住友すみともがわでの呼称こしょうは100のくらい平行へいこうカルダンようしめす“3”が挿入そうにゅうされるため、FS319となる。
  6. ^ この国鉄こくてつ101けい中空ちゅうくうじく平行へいこうカルダン方式ほうしき採用さいようしている。なお、国鉄こくてつでは101けい開発かいはつまえキハ44000けい直角ちょっかくカルダンを導入どうにゅうしているが故障こしょう不具合ふぐあいおおく、国鉄こくてつでは電気でんきしき気動車きどうしゃそのもののぞう備が見送みおくられ、キハ44000けい自体じたいのち液体えきたいしき改造かいぞうされた。
  7. ^ 既存きそんのモハ2001がたでは150kWきゅう電動でんどう標準ひょうじゅん採用さいようされており、2001がたMT1:1の編成へんせいえるには、単純たんじゅん計算けいさんでも75kWきゅう電動でんどう編成へんせい全車ぜんしゃ搭載とうさいする必要ひつようがあった。さらに大阪おおさか和歌山わかやま府県境ふけんきょうには孝子峠きょうしとうげの22.5‰連続れんぞく勾配こうばいがあり、勾配こうばい区間くかんでの速度そくど低下ていかふせぐという観点かんてんからも、カルダン駆動くどうしきだい出力しゅつりょく電動でんどうがまだない時代じだいぜん電動でんどうしゃとせざるをなかったという事情じじょうもあった。ちなみに南海なんかいにおいてカルダン駆動くどうしきだい出力しゅつりょく電動でんどう採用さいようしたのは1962ねん製造せいぞうされた6000けい以降いこうである。
  8. ^ 端子たんし電圧でんあつ600Vていかく出力しゅつりょく150kW≒200PS。
  9. ^ ただし、くるまばんはそれぞれの竣工しゅんこう時期じき関係かんけいでばらばらになっており、のち再編さいへんおこなってとお番号ばんごうとなるようになおされた。
  10. ^ カッコない竣工しゅんこう時点じてんでのくるまばん[5]
  11. ^ 戦前せんぜん阪和はんわ電鉄でんてつ時代じだいきゅう株主かぶぬし経営けいえいじん中心ちゅうしん阪和はんわせん民間みんかん復帰ふっきはら運動うんどう再興さいこう運動うんどうなどが当時とうじおこなわれており、国鉄こくてつ当局とうきょくがこれらの不満ふまん放置ほうちした場合ばあい、これらの運動うんどう激化げきかするおそれがあった。
  12. ^ 一般いっぱん国鉄こくてつでは、とく電車でんしゃ場合ばあい「〜せん電化でんか開業かいぎょうよう」などという名目めいもく予算よさん確保かくほしても、その予算よさんわくしんせいされた車両しゃりょう名目めいもくじょう投入とうにゅう線区せんく直接ちょくせつ配置はいちされることはほぼ皆無かいむで、原則げんそくてきには名目めいもくとは無関係むかんけい首都しゅとけんなどへ新車しんしゃ配置はいちし、そこからの捻出ねんしゅつしゃ順次じゅんじうたてはいして最終さいしゅうてき老朽ろうきゅうしゃ当該とうがい線区せんく投入とうにゅうされる、というパターンを1970年代ねんだい後半こうはんまで定石じょうせきとしていた。その意味いみでは、1950年代ねんだい後半こうはん時点じてんでの買収ばいしゅう線区せんくである阪和はんわせんへの最新さいしんがたしんせいしゃ直接ちょくせつ配置はいちは、きわめて異例いれい出来事できごとであった。
  13. ^ 当初とうしょはモハ12001・12002・クハ12801・12802のじゅんでサハ11801かたち11801〜11804とされたが、そのきゅうモハ12001・クハ12801・モハ12002・クハ12802のじゅんにサハ11801かたち11801〜11804として、奇数きすうしゃ偶数ぐうすうしゃ仕様しようそろうようにあらためばんされた。
  14. ^ 電動でんどうようとして910mmみち車輪しゃりん使用しようするFS18はそのままではカルダン駆動くどう台車だいしゃ改造かいぞう不能ふのうであり、モハ11100かたち相当そうとう仕様しようとするには電装でんそうひんだけではなく台車だいしゃまで新規しんき製作せいさくしなくてはならず、これは昇圧しょうあつ準備じゅんびや1967〜1968ねん発生はっせいした重大じゅうだい事故じこ補償ほしょうとうきびしい財政ざいせい状況じょうきょうとなっていた当時とうじ南海なんかいには実現じつげん困難こんなんであった。そればかりか、昇圧しょうあつ直前ちょくぜんには乗客じょうきゃくすう激増げきぞうで5りょう編成へんせいでさえ輸送ゆそう力不足ちからぶそくとなり、貫通かんつうそなえるモハ11001〜11008を1りょう単位たんいのこる5りょう編成へんせい挿入そうにゅうして6りょう編成へんせいするなどの対応たいおう実施じっしされている。
  15. ^ 昇圧しょうあつ冷房れいぼう改造かいぞう対象たいしょう全車ぜんしゃではなく一部いちぶ車両しゃりょうのみとしたのは、当時とうじ南海なんかいは1967ねんから1968ねんにかけて次々つぎつぎ発生はっせいした重大じゅうだい事故じこ被害ひがいしゃたいする損害そんがい賠償ばいしょうわれており、全車ぜんしゃ昇圧しょうあつ冷房れいぼう改造かいぞうするほどの経済けいざいてき余裕よゆう当時とうじ南海なんかいにはなかったことも原因げんいんである。
  16. ^ 部品ぶひんしゃ1りょうふくむ。
  17. ^ 譲渡じょうとはクロスシート装備そうびすぐれた車内しゃない設備せつびで、きょうぶく福井ふくい支社ししゃ看板かんばん電車でんしゃとしてなが重用じゅうようされた。しかしながら、2002ねんきょうぶくからえちぜん鉄道てつどうへの経営けいえい譲渡じょうとさいしては、全車ぜんしゃ一旦いったんえちぜん鉄道てつどうがれたものの、製造せいぞう45ねん以上いじょう経過けいかしていて老朽ろうきゅういちじるしかったことからいち運用うんようはいらないまま全車ぜんしゃ廃車はいしゃ形式けいしき消滅しょうめつとなった。最終さいしゅうてきには、南海なんかいのこって1000けい改造かいぞうされた車両しゃりょうよりも、きょうぶく譲渡ゆずりわたされた車両しゃりょうほう寿命じゅみょうが15ねんながかったという結果けっかになった。
  18. ^ 端子たんし電圧でんあつ375Vていかく出力しゅつりょく145kW。また、昇圧しょうあつまえ端子たんし電圧でんあつ300Vていかく出力しゅつりょく115kW。
  19. ^ 特急とっきゅう四国しこくごう」の座席ざせき指定してい車両しゃりょうのうち、半数はんすうちかくの座席ざせき(中間なかましゃ場合ばあい68せきちゅう32せき)がくるまはしのロングシート部分ぶぶんてられており、そのようなせきでも指定していせき料金りょうきん徴収ちょうしゅうしていた。
  20. ^ 除籍じょせき1985ねん実施じっし
  21. ^ 1003号車ごうしゃ車体しゃたいはその泉佐野いずみさの市内しない堆肥たいひ倉庫そうことして使用しようされていたが、火災かさいによる焼損しょうそん使用しよう不能ふのうとなり、解体かいたいされた。また、1903号車ごうしゃ車体しゃたい泉佐野いずみさの市内しない民間みんかん業者ぎょうしゃ一旦いったん保有ほゆうされていたが、車体しゃたいふたつに分断ぶんだんしたうえ廃材はいざい置場おきばとして使用しようされたのち解体かいたいされた。本来ほんらい目的もくてきである焼肉やきにく店舗てんぽとしてのさい利用りよう計画けいかく破綻はたんしてしまったためである。
  22. ^ 鉄道てつどう車両しゃりょうにおける系列けいれつという概念がいねん自体じたい日本にっぽんでは戦後せんご鉄道てつどう愛好あいこうしゃによってグループけのために便宜べんぎてき考案こうあんされたものであり、それ以前いぜんには存在そんざいしないものであった。事実じじつ戦前せんぜん南海なんかい鉄道てつどう時代じだいには「〜けい」という呼称こしょう一切いっさいもちいておらず、社内しゃないでは「貫通かんつう」あるいは「きゅう貫通かんつう」の呼称こしょうでそれらを識別しきべつしていたという。なお、昇圧しょうあつ南海なんかいでは公式こうしき系列けいれつ概念がいねん採用さいようするとともに、系列けいれつめいについてしたいちけたを0であつかっており、ほん系列けいれつについてもこれが適用てきようされたものであった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 藤井ふじい信夫しのぶ車両しゃりょう発達はったつシリーズ 6 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 下巻げかん関西かんさい鉄道てつどう研究けんきゅうかい、1998ねん12月、36-37ぺーじ 
  2. ^ a b 吉川よしかわひろし藤井ふじい信夫しのぶ私鉄してつ車両しゃりょうめぐり(73) 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 鉄道てつどうせん電車でんしゃ (おわり)」『鉄道てつどうピクトリアル』1968ねん2がつごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1968ねん、65ぺーじ 
  3. ^ a b 吉川よしかわひろし藤井ふじい信夫しのぶ私鉄してつ車両しゃりょうめぐり(73) 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 鉄道てつどうせん電車でんしゃ (おわり)」『鉄道てつどうピクトリアル』1968ねん2がつごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1968ねん、66ぺーじ 
  4. ^ 日本にっぽん民営みんえい鉄道てつどう車両しゃりょう形式けいしきしゅううえへん〕』鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい、1977ねん7がつ15にち、819ぺーじ 
  5. ^ 藤井ふじい信夫しのぶ車両しゃりょう発達はったつシリーズ 6 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 下巻げかん関西かんさい鉄道てつどう研究けんきゅうかい、1998ねん12月、38ぺーじ 
  6. ^ 藤井ふじい信夫しのぶ車両しゃりょう発達はったつシリーズ 6 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 下巻げかん関西かんさい鉄道てつどう研究けんきゅうかい、1998ねん12月、96ぺーじ 
  7. ^ 藤井ふじい信夫しのぶ車両しゃりょう発達はったつシリーズ 6 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう 下巻げかん関西かんさい鉄道てつどう研究けんきゅうかい、1998ねん12月、97ぺーじ 
  8. ^ 鉄道てつどうジャーナルだい21かんだい11ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、1987ねん9がつ、124ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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