(Translated by https://www.hiragana.jp/)
橿原神宮 - Wikipedia

橿原神宮かしはらじんぐう

奈良ならけん橿原かしはら所在しょざいする神社じんじゃ

橿原神宮かしはらじんぐう(かしはらじんぐう)は、奈良ならけん橿原かしはら久米くめまちにある神社じんじゃきゅう社格しゃかくかんぬさ大社たいしゃみことのりさいしゃ現在げんざい神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃ畝傍山うねびやまふもとにあり、神武じんむ天皇てんのう畝傍山うねびやま東北とうほくりょうみなみにある。

橿原神宮かしはらじんぐう

そと拝殿はいでん畝傍山うねびやま
所在地しょざいち 奈良ならけん橿原かしはら久米くめまち934
位置いち 北緯ほくい3429ふん18びょう 東経とうけい13547ふん10びょう / 北緯ほくい34.48833 東経とうけい135.78611 / 34.48833; 135.78611 (橿原神宮かしはらじんぐう)座標ざひょう: 北緯ほくい3429ふん18びょう 東経とうけい13547ふん10びょう / 北緯ほくい34.48833 東経とうけい135.78611 / 34.48833; 135.78611 (橿原神宮かしはらじんぐう)
主祭しゅさいしん 神武じんむ天皇てんのう
ひめ蹈鞴たたら五十鈴いすずひめいのち
社格しゃかくひとし きゅうかんぬさ大社たいしゃ
みことのりさいしゃ
別表べっぴょう神社じんじゃ
創建そうけん 1890ねん明治めいじ23ねん
札所ふだしょとう 神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい33ばん奈良ならだい20ばん
例祭れいさい 2がつ11にち紀元きげんさい
地図ちず
橿原神宮の位置(奈良県内)
橿原神宮
橿原神宮かしはらじんぐう
地図
テンプレートを表示ひょうじ
橿原神宮かしはらじんぐう畝傍山うねびやま周辺しゅうへん空中くうちゅう写真しゃしん
画像がぞう中央ちゅうおう畝傍山うねびやま南南東なんなんとうふもと橿原神宮かしはらじんぐう畝傍うねび山北やまきた北東ほくとうふもとえる正方形せいほうけいじょう区画くかく神武じんむ天皇陵てんのうりょう。1985ねん撮影さつえいの2まい合成ごうせい作成さくせい
国土こくど交通省こうつうしょう 国土こくど地理ちりいん 地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス空中くうちゅう写真しゃしんもと作成さくせい

概要がいよう

編集へんしゅう

橿原神宮かしはらじんぐうは、神武じんむ天皇てんのう皇居こうきょであったとされる畝傍うねび橿原かしはらみや推定すいてい創建そうけんされている[1]

やく53まん面積めんせきゆうする[2]社務しゃむしょたる組織そしき橿原神宮かしはらじんぐうちょうばれる[3]

正月しょうがつさんにち参拝さんぱいしゃすうは101まんにんであり、県内けんない最多さいた参拝さんぱいしゃすうほこる(2016ねん時点じてん[4]

近代きんだい創建そうけんではあるが、奈良なら県内けんないでは春日大社かすがたいしゃならんで初詣はつもうで参拝さんぱいしゃすうおお神社じんじゃである。ほかにも、勅使ちょくし参向さんこうのもと紀元きげんさいおこなわれる2がつ11にち建国けんこく記念きねん)や、神武じんむ天皇てんのうさいおこなわれる4がつ3にち、および奉祝ほうしゅく行事ぎょうじはる神武じんむさい」の開催かいさい期間きかんにもおおくの参拝さんぱいしゃおとずれる。

周辺しゅうへん

編集へんしゅう

畝傍山うねびやま東麓ひがしふもと北側きたがわ神武じんむ天皇陵てんのうりょう畝傍山うねびやま東北とうほくりょう)、南側みなみがわ橿原神宮かしはらじんぐうとなっている。県道けんどう125ごうへだてて東側ひがしがわ奈良なら県立けんりつ橿原かしはらこうえんとして整備せいびされている。橿原かしはらこうえん野球やきゅうじょう橿原かしはらこうえん陸上りくじょう競技きょうぎじょう設置せっちされており、各種かくしゅスポーツ競技きょうぎ奈良ならけん予選よせん決勝けっしょう舞台ぶたいとして利用りようされている。また、おおやけえん隣接りんせつする施設しせつとして奈良なら県立けんりつ橿原考古学研究所かしはらこうこがくけんきゅうしょおよび付属ふぞく博物館はくぶつかんがある。また、付近ふきん神武じんむ天皇陵てんのうりょうほかにも多数たすう陵墓りょうぼ存在そんざいする。

1889ねん明治めいじ22ねん)、初代しょだい天皇てんのうである神武じんむ天皇てんのうみや畝傍うねび橿原かしはらみや)があったとされる橿原かしはらに、神武じんむ天皇てんのう皇后こうごうひめ蹈鞴たたら五十鈴いすずひめいのちまつるための神宮じんぐう創建そうけんすることを民間みんかん有志ゆうし請願せいがんし、感銘かんめいけた明治天皇めいじてんのうによって1890ねん明治めいじ23ねん4がつ2にちかんぬさ大社たいしゃとして創建そうけんされた。橿原神宮かしはらじんぐう設計せっけいは、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくげん東京大学とうきょうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅつとめた伊東いとう忠太ちゅうたによっておこなわれた[5]4がつ22にちには昭憲皇太后しょうけんこうたいごう参拝さんぱいおとずれた[6]けん当初とうしょ橿原かしはら神社じんじゃであったが、同年どうねんちゅう神宮じんぐうごう宣下せんげけて橿原神宮かしはらじんぐう改称かいしょうされた[6]

1898ねん明治めいじ31ねん)、にちしん戦争せんそう勝利しょうり記念きねんして神武じんむ天皇陵てんのうりょう整備せいび拡張かくちょうされた。1912ねん大正たいしょう元年がんねん)には「橿原神宮かしはらじんぐうだいいち拡張かくちょう計画けいかく」が発表はっぴょうされ、工事こうじやく70まんえん)のほとんどを寄付きふまかなうとした。1921ねん大正たいしょう10ねん)には衆議院しゅうぎいん議員ぎいんこうくさ美代みよぞうが「だいいち拡張かくちょうのみでは完成かんせいには程遠ほどとおいうえ、橿原神宮かしはらじんぐう伊勢神宮いせじんぐう明治めいじ神宮じんぐうくら規模きぼちいさすぎる。神域しんいき尊厳そんげんたもつためにもだい拡張かくちょうおこなうべき」として建議けんぎあん提出ていしゅつし、だい45かい帝国ていこく議会ぎかいにて満場一致まんじょういっち可決かけつされ、予算よさんとして527まんえんあたえられた。しかし2ねん1923ねん(大正たいしょう12ねん)に発生はっせいした関東大震災かんとうだいしんさいによって予算よさんけない状況じょうきょうになり、最終さいしゅうてき国庫こっこから支出ししゅつされたのは33まんえんであった[6]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)には昭和しょうわ天皇てんのう橿原神宮かしはらじんぐう行幸ぎょうこうし、あきには日本にっぽん各地かくち紀元きげんせんろくひゃくねん奉祝ほうしゅく式典しきてん挙行きょこうされた。このとし参拝さんぱいしゃやく1000まんにんたっしたという。

1948ねん昭和しょうわ23ねん)、神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃれつされた。

2016ねん平成へいせい28ねん)、神武じんむ天皇てんのうせんろくひゃくねん大祭たいさいおこなわれた[7]天皇てんのうげん上皇じょうこう明仁あきひと皇后こうごうげんうえ皇后こうごう美智子みちこ参列さんれつし、そのさい銅鏡どうきょうおく意向いこうしめし、2018ねん平成へいせい30ねん)に河相かあい周夫ちかお侍従じじゅうちょうから橿原神宮かしはらじんぐう銅鏡どうきょう橿原かしはらもり」とかがみばこおくられた[8]


橿原神宮かしはらじんぐう創建そうけん経緯けいい

編集へんしゅう

江戸えど時代じだい元禄げんろく年間ねんかんにまとめられたとされる『志願しがん問答もんどう』には「下賀茂しもがも神社じんじゃしゃ」には神武じんむ天皇てんのうをおまつりしているとのせつがあるが世間せけんひとらない秘説ひせつなので、神武じんむ天皇てんのうかみびょうあらたにつくることを提起ていきしていた[9]。また元禄げんろくじゅういちねん(1698)のじょをもつもりしょうけん『欽乞きょうづくりふとし祖神そしんたけ天皇てんのう神殿しんでんひょう』にも神武じんむ天皇てんのうまつ神社じんじゃ創建そうけん提示ていじされた[10]

江戸えど時代じだい末期まっき文久ぶんきゅう3ねん1863ねん)に中世ちゅうせい以降いこう不明ふめいとなっていた神武じんむ天皇陵てんのうりょう治定じじょうされる[11]と、明治めいじきゅうねん(1876)には神武じんむ天皇てんのう即位そくいである橿原かしはらみや特定とくていするための調査ちょうさ大和やまと高市たかいちぐん高取たかとりむら西内にしうちしげるきょうによって開始かいしされ[12]、これにみなみ葛城かつらぎぐん大正たいしょうむら奥野おくのじんなな協力きょうりょくして畝傍山うねびやま東南とうなん山麓さんろくの「御宮おみや趾トげんでん」えのあるいま橿原神宮かしはらじんぐう鎮座ちんざ特定とくてい1888ねん明治めいじ21ねん)2がつ奈良ならけんつうじて内務省ないむしょうに「橿原かしはら御宮おみや保存ほぞんづけ建言けんげん」を提出ていしゅつした[13]内務省ないむしょうから要請ようせいけた奈良ならけん実地じっち調査ちょうさまえた追加ついか調査ちょうさおこなった結果けっか西内にしうち建言けんげん正確せいかくせいみとめられ、みや内省ないせい再度さいど実地じっち検分けんぶんおこない「神武じんむ天皇てんのう橿原かしはらみや旧跡きゅうせき」を同省どうしょう保存ほぞんすることがまりみや内省ないせい土地とち買収ばいしゅうした。また西内にしうち独自どくじげた土地とち献納けんのうした[14]

また1881ねん明治めいじ14ねん)には大伴おおともけんぞう総裁そうさいとした一団いちだん神武じんむ天皇陵てんのうりょうない拝殿はいでん建設けんせつ計画けいかくしていた[15]1882ねん明治めいじ15ねん)にはうね火山かざん東北とうほく設立せつりつされた畝傍うねびうね教会きょうかい神武じんむ天皇てんのう皇祖こうそ天神てんじんまつかみびょう建設けんせつ運動うんどう展開てんかいし、1891ねん明治めいじ24ねん)4がつ2にちには橿原神宮かしはらじんぐう鎮座ちんざ記念きねんわたしさいにおいて巫女ふじょ神楽かぐら奉納ほうのうした。畝傍うねび教会きょうかいによる神楽かぐらやまとまい奉納ほうのう恒例こうれいとなり1903ねん明治めいじ36ねん)まで活動かつどうした[16]


橿原神宮かしはらじんぐう周辺しゅうへん環境かんきょう

編集へんしゅう

この地域ちいき開発かいはつすすんださい元々もともと周辺しゅうへん存在そんざいしていたむらが「負傷ふしょうみにくろうナル家屋かおくスコト」(奈良ならけん行政ぎょうせい文書ぶんしょ神苑しんえんかい関係かんけい書類しょるい』)の不都合ふつごうにより、奈良ならけんによって移転いてんさせられたという(高木たかぎ博志ひろし近代きんだい天皇てんのうせい古都こと』にくわしい)[17]

橿原神宮かしはらじんぐうえが切手きって

編集へんしゅう

前述ぜんじゅつのように1940ねん昭和しょうわ15ねん)には紀元きげんせんろくひゃくねん記念きねん行事ぎょうじ大々的だいだいてきおこなわれたが、当時とうじ逓信ていしんしょうげん日本にっぽん郵政ゆうせいグループ)は「紀元きげんせんろくひゃくねん記念きねん」の切手きってとして同年どうねんの11月10にちに20ぜに切手きって発行はっこうした[18]。この額面がくめん当時とうじ国際こくさい郵便ゆうびん書状しょじょう基本きほん料金りょうきんのための高額こうがく切手きってであった。

紀元きげん2700ねんけた境内けいだい特別とくべつ整備せいび事業じぎょう

編集へんしゅう

紀元きげん2700ねんたる2040ねんけて、境内けいだい整備せいび事業じぎょうおこなわれている。おも文化ぶんか殿どの表参道おもてさんどう周辺しゅうへん整備せいびおこなわれている[19]

境内けいだい

編集へんしゅう
参道さんどう
  • いち鳥居とりい表参道おもてさんどう) - だいいち鳥居とりいたかさ9.77m、はばやく7.5m[24]
  • 神橋しんきょう表参道おもてさんどう) - 鳥居とりい手前てまえ横切よこぎ宮川みやがわわたはしとしてかっており、両側りょうがわにはたいらきょうがある[25]
  • 鳥居とりい表参道おもてさんどう) - だい鳥居とりいたかさ10.51m、はばやく8.1m[24]
  • きた鳥居とりいきた参道さんどう
  • 西にし鳥居とりい西にし参道さんどう

文化財ぶんかざい

編集へんしゅう

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

編集へんしゅう
  • 本殿ほんでん[26]
  • きゅう織田おだ屋形やかた 2むね
    • だい書院しょいん
    • 玄関げんかん

に、1855ねん安政あんせい2ねん建立こんりゅう京都きょうと御所ごしょかみよしみ殿どの創建そうけんさいしてうつりけんした神楽かぐら殿どの饌殿)も重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされていたが、1993ねん平成へいせい5ねん2がつ4にち火災かさい焼失しょうしつした[27][28]

奉納ほうのうされたきん現代げんだい作者さくしゃ絵画かいが

編集へんしゅう
  • 横山よこやま大観たいかんさく正気しょうきひかり」、76.3×119.5cm、1940ねん昭和しょうわ15ねん)に奉納ほうのう[29]
  • 堂本どうもと印象いんしょうさく橿原かしはらわか武人ぶじん)」、50×36cm、1940ねん昭和しょうわ15ねん)に奉納ほうのう[29]
  • 中国人ちゅうごくじん水墨すいぼく画家がかしゃはるりんさく富士ふじ雄姿ゆうし」、ろくきょくそう山水さんすい屏風びょうぶ、800×200cm、1994ねん平成へいせい6ねん)に奉納ほうのう[30]
  • 小泉こいずみまもるくにさく黎明れいめいかみひかり」などけい9てん[31]

おも年中ねんじゅう行事ぎょうじ

編集へんしゅう

このうち紀元きげんさいは1ねんまつりのなかもっと重要じゅうようまつりであり、勅使ちょくし参向さんこうのもとでおこなわれる。この参列さんれつしゃは4せんにんにものぼる[32]

マスコットキャラクター

編集へんしゅう

マスコットキャラとしてはち咫烏がモデルとなったカーコちゃんとやたちゃんがいる。おもななさん時期じき11月土日どにち祝日しゅくじつなど)に神域しんいきないあらわれる[33]

前後ぜんご札所ふだしょ

編集へんしゅう
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
32 當麻寺たいまでら - 33 橿原神宮かしはらじんぐう - 34 安倍あべ文殊もんじゅいん

交通こうつうアクセス

編集へんしゅう

鉄道てつどう

編集へんしゅう

くるま駐車ちゅうしゃじょう

編集へんしゅう

境内けいだいやく800だいぶん駐車ちゅうしゃじょうがある。駐車ちゅうしゃ料金りょうきん普通ふつうしゃ500えん中型ちゅうがたしゃ1000えん大型おおがたしゃ2000えんとなっている。 また、正月しょうがつ臨時りんじで1500だいぶん駐車ちゅうしゃじょうがある[34]

報道ほうどう

編集へんしゅう

毎年まいとし2がつ11にち紀元きげんさいは、MBSテレビABCテレビといった地元じもとメディアによって、近畿きんきけんのローカルニュースとして報道ほうどうされることがおおい。また、2013ねん平成へいせい25ねん2がつ21にち)のBSジャパン「GRACE of JAPAN」(21:00-21:54)にて特集とくしゅう報道ほうどうされた[35]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 改訂かいてい新版しんぱん, デジタル大辞泉だいじせん,日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん. “畝傍うねび橿原かしはらみや(ウネビノカシハラノミヤ)とは? 意味いみ使つかかた”. コトバンク. 2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ 橿原神宮かしはらじんぐう”. 橿原かしはら (2023ねん4がつ4にち). 2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ 橿原神宮かしはらじんぐうちょう社務しゃむしょ) – 橿原神宮かしはらじんぐう”. kashiharajingu.or.jp. 2024ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ さんにち参拝さんぱいきゃく244まんにん 県内けんない社寺しゃじ あたたかい気候きこう前年ぜんねんぞう | 産経新聞さんけいしんぶん 奈良ならけん専売せんばいかい”. 産経新聞さんけいしんぶん 奈良ならけん伊賀地いかじ専売せんばいかい (2016ねん1がつ4にち). 2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  5. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 日本金属にっぽんきんぞく屋根やね協会きょうかいどう屋根やねクロニクル”. www.kinzoku-yane.or.jp. 2024ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c 勝井かついたつじき橿原神宮かしはらじんぐう造営ぞうえい拡張かくちょう」『高円こうえん史学しがくだい1かん高円こうえん学会がっかい、1985ねん10がつ、44-49ぺーじCRID 1050845762493852160hdl:10105/8617ISSN 0914-51762024ねん7がつ1にち閲覧えつらん 
  7. ^ にちに100ねんぶり神武じんむ天皇てんのう2600ねん大祭たいさい 2にち奉納ほうのう土俵入どひょういり 橿原神宮かしはらじんぐう ”. 産経新聞さんけいしんぶん (2016ねん4がつ2にち). 2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  8. ^ りょう陛下へいか橿原神宮かしはらじんぐう銅鏡どうきょうおく”. 時事通信社じじつうしんしゃ (2018ねん3がつ19にち). 2018ねん3がつ19にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  9. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 223.
  10. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 222-223.
  11. ^ 宝物ほうもつかん企画きかくてん神武じんむ天皇陵てんのうりょう天誅てんちゅうぐみ -幕末ばくまつ明治めいじ橿原かしはら- – 橿原神宮かしはらじんぐう”. kashiharajingu.or.jp. 2024ねん8がつ2にち閲覧えつらん
  12. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 309.
  13. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 310.
  14. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 311.
  15. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 312.
  16. ^ 清水しみずきよし 2020, p. 313.
  17. ^ 奈良ならけん神武じんむ天皇陵てんのうりょう見下みおろす 橿原かしはらほら集落しゅうらく移転いてんから100ねん 「強制きょうせいてきだった」 部落ぶらく解放かいほう同盟どうめいぜん国連こくれん三宅みやけさん研究けんきゅう成果せいか発表はっぴょう”. voiceofnara.jp. 2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  18. ^ 切手きって趣味しゅみ通信つうしん販売はんばい|スタマガネット 紀元きげん2600ねん 20ぜに: 日本にっぽん切手きって”. www.yushu.co.jp. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  19. ^ 境内けいだい特別とくべつ整備せいび事業じぎょう橿原神宮かしはらじんぐう”. kashiharajingu.or.jp. 橿原神宮かしはらじんぐう. 2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  20. ^ 本殿ほんでんぬさ殿どの”. 橿原神宮かしはらじんぐう. 2024ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  21. ^ 神楽かぐら殿どの(かぐらでん)”. 橿原神宮かしはらじんぐう. 2024ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  22. ^ 橿原神宮かしはらじんぐう神楽かぐら殿どの焼失しょうしつ”. 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん 国立こくりつ文化財ぶんかざい機構きこう 東京とうきょう文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ. 2020ねん12月11にち閲覧えつらん
  23. ^ 深田ふかたいけ”. 賀詞がしかい. 2013ねん8がつ31にち閲覧えつらん
  24. ^ a b 大鳥居おおとりい橿原神宮かしはらじんぐう”. 橿原かしはら高市たかいち広域こういき行政ぎょうせい事務じむ組合くみあい (2012ねん4がつ1にち). 2013ねん8がつ31にち閲覧えつらん
  25. ^ 神橋しんきょう”. 賀詞がしかい. 2013ねん8がつ31にち閲覧えつらん
  26. ^ 本殿ほんでんぬさ殿どの”. 橿原神宮かしはらじんぐう. 2024ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  27. ^ 神楽かぐら殿どの(かぐらでん)”. 橿原神宮かしはらじんぐう. 2024ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  28. ^ 橿原神宮かしはらじんぐう神楽かぐら殿どの焼失しょうしつ”. 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん 国立こくりつ文化財ぶんかざい機構きこう 東京とうきょう文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ. 2020ねん12月11にち閲覧えつらん
  29. ^ a b 橿原神宮かしはらじんぐう. “橿原神宮かしはらじんぐう - 書画しょが”. 奈良ならネット. 2013ねん8がつ31にち閲覧えつらん
  30. ^ 朝日新聞あさひしんぶん1994ねん7がつ13にち 夕刊ゆうかん 奈良なら
  31. ^ http://hsmiyaza.exblog.jp/17993469/ http://milnda.com/artists/data.php?id=a5537[リンク]
  32. ^ 紀元きげんさい橿原神宮かしはらじんぐう”. kashiharajingu.or.jp. 2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  33. ^ ななさん橿原神宮かしはらじんぐう”. kashiharajingu.or.jp. 2024ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  34. ^ アクセス・施設しせつ利用りようについて – 橿原神宮かしはらじんぐう”. kashiharajingu.or.jp. 2024ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  35. ^ BSジャパン「GRACE of JAPAN」だいよんじゅうろくかい放送ほうそう橿原神宮かしはらじんぐう[1]

関連かんれん図書としょ

編集へんしゅう

出版しゅっぱん文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 神武じんむ天皇てんのうろん清水しみずきよし監修かんしゅう橿原神宮かしはらじんぐうちょう、2020ねんひゃくさんじゅうねん記念きねん出版しゅっぱん
  • 橿原神宮かしはらじんぐう 続編ぞくへん田浦たうら雅徳まさのり監修かんしゅう橿原神宮かしはらじんぐうちょう、2020ねん
    • 橿原神宮かしはらじんぐうぜん3さつ、1981-82年刊ねんかん

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう