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蒸気船 - Wikipedia

蒸気じょうきせん(じょうきせん)とは、蒸気じょうき機関きかんもちスクリュー・プロペラ外輪がいりんまわすことより推進すいしんするふねのことである。ふけ汽船きせん汽船きせんともいう。

ミシシッピーがわ河船かせんをモデルにした蒸気じょうき外車がいしゃせんフロンティアごう

一般いっぱん蒸気じょうきせんといえば石炭せきたん燃料ねんりょうとする古典こてんてきふねのことをし、蒸気じょうきタービン原子力げんしりょくによる蒸気じょうき機関きかんふね蒸気じょうきせんばれない。

蒸気じょうきせん登場とうじょうは、それまで大型おおがた船舶せんぱく主要しゅよう地位ちいめていた帆船はんせん最終さいしゅうてきには実用じつようせんとしてのおもて舞台ぶたいから駆逐くちくすることになるが、蒸気じょうきせん外輪船がいりんせん時代じだい帆船はんせん優劣ゆうれつあらそっていた。実際じっさいこのあいだに、蒸気じょうき機関きかんそなえた帆船はんせん汽帆せん)がおおつくられた。

蒸気じょうきせん帆船はんせんあらそいとはべつに、港内こうないせま水路すいろでのはしけひとしゃ輸送ゆそうなどをおこなっていたふねは、それまで人力じんりきか、またあつかいにくい帆走はんそう推進すいしんされていたが、蒸気じょうき機関きかん登場とうじょうすみやかに小型こがた蒸気じょうきせん導入どうにゅうされていった。

やがて、スクリュープロペラ登場とうじょうによって蒸気じょうきせん実用じつようせんとして主要しゅよう位置いちめてゆく。

欧米おうべい蒸気じょうきせん

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最初さいしょ蒸気じょうきせん

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クラーモント
外輪がいりん蒸気じょうきせん

世界せかい最初さいしょ実用じつようてき蒸気じょうきせんは、1783ねんにフランスじんであるクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバン ( Claude-Francois-Dorothee, marquis de Jouffroy d'Abbans ) によってつくられた。

1788ねん2がつ1にちに、アイザック・ブリッグスとウィリアム・ロングストリートによって、蒸気じょうきせん特許とっきょ取得しゅとくされている。1791ねんにはアメリカでジョン・フィッチらが蒸気じょうきせん特許とっきょている。しかし、ロバート・フルトンが、1809ねん2がつ11にち改良かいりょう設計せっけいした特許とっきょ取得しゅとくし、商業しょうぎょうてき成功せいこうした。

ロバート・フルトンは、外輪がいりんしき蒸気じょうきせん「クラーモントごう」を開発かいはつし、1807ねん8がつ17にちハドソンがわ乗客じょうきゃくせた試運転しうんてん成功せいこうしたことでもられている。このため、一般いっぱんには(実用じつようてきものとしての)蒸気じょうきせん発明はつめいしたのはフルトンだという印象いんしょう定着ていちゃくしている。

外輪船がいりんせん

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ローマ時代じだい外輪船がいりんせん絵画かいが

外輪がいりんのアイデアはローマ時代じだいからあったこと確認かくにんされているが、人力じんりき駆動くどうではオールほうてきしていた。

初期しょき蒸気じょうきせんは、ふね側面そくめんうしろに石炭せきたん燃料ねんりょうとしたレシプロ機関きかんちからによってうご外輪がいりん、または外車がいしゃともばれるおおきな推進すいしんった外輪船がいりんせん外車がいしゃせんパドル・ホイーラー)であった。この外輪船がいりんせんまさしくパドルで水面すいめんくために喫水きっすい一定いっていたも必要ひつようがあったが、水深すいしんあさくてもはしれるためおだやかなかわ沿岸えんがん航行こうこうするにはてきしていた。しかし、左右さゆう舷側げんそく配置はいち外輪がいりんでは、駆動くどうじく設計せっけい製造せいぞう簡単かんたんわり、波浪はろう流氷りゅうひょうなどで外輪がいりん破損はそんしたり、波高はこう船体せんたいかたむきによって左右さゆう推進すいしんりょく一定いっていつたわらないこと、また、効率こうりつひくボイラー大量たいりょう消費しょうひする石炭せきたん必要ひつようがある、といった問題もんだいがあり、外洋がいよう航海こうかいにはてきしていなかった。そのきゅうずみ整備せいび蒸気じょうき機関きかん改良かいりょうなどによって航続こうぞく距離きょりび、外洋がいよう横断おうだんできるまでになった。

1829ねんにフランスのエリアン・ガロウェーは、パドルがつね垂直すいちょくになるように改良かいりょうした外輪がいりん考案こうあんした。

軍艦ぐんかん商船しょうせん

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ハンブルク
ドイツ汽帆コルベット

商船しょうせんはや段階だんかい外輪がいりんによる蒸気じょうきせん(パドル・スチーマー)へとわってったが、ふね中央ちゅうおう蒸気じょうき機関きかん占領せんりょうされていたため、帆船はんせんくら船倉ふなぐらちいさくなり、機関きかん前後ぜんこう空間くうかん燃料ねんりょうとも配置はいちされた。

一方いっぽう軍艦ぐんかん大型おおがたかん蒸気じょうき機関きかん採用さいようされたのはそれよりもおそかった。19世紀せいき初頭しょとうにおいて、海戦かいせん主力しゅりょく戦列せんれつかんフリゲートであった。とくにフリゲートは、幅広はばひろ任務にんむ実行じっこうりょく快速かいそくりょくあわち、イギリス、フランス、オランダなど各国かっこく建造けんぞうされていたが、汽走フリゲートの大々的だいだいてき運用うんようおくれていた。その理由りゆうとして、舷側げんそく目立めだ場所ばしょおおきく露出ろしゅつした脆弱ぜいじゃく外輪がいりんは、てき攻撃こうげきすこしでもければ容易ようい被害ひがいけてかん推進すいしん手段しゅだんうしなうとかんがえられたことや、当時とうじ戦列せんれつかんふくめフリゲートの有力ゆうりょく攻撃こうげき手段しゅだんであったいぬいふなばた大砲たいほう砲門ほうもんもうける余地よちが、おおきな外輪がいりんによってかぎられることをきらったことである。

海戦かいせんにおいての2けん実例じつれいでは、片側かたがわ外輪がいりん使つかえなくても、速力そくりょくげんじながら自力じりき航行こうこう可能かのうであったが、汽走フリゲートが普及ふきゅうするのは、蒸気じょうき機関きかんそのものの性能せいのう向上こうじょうやスクリュー・プロペラの実用じつようせい一般いっぱんみとめられてからとなった。

しかし、アヘン戦争せんそう、それにつづアロー戦争せんそうでの白河しらかわ遡行そこうだい3ビルマ戦争せんそう (Third Anglo-Burmese War) では、河川かせん近海きんかいという条件じょうけんめぐまれたため、蒸気じょうきせん優位ゆうい証明しょうめいされた[1]。これにより、兵員へいいん輸送ゆそうせん河船かせん小型こがた砲艦ほうかん汽船きせん主力しゅりょくかん先立さきだって普及ふきゅうした。

スクリュープロペラの登場とうじょう

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初期しょきまい羽根はねプロペラ

18世紀せいきまつごろから19世紀せいきはじめにかけて、多数たすうのスクリュープロペラが考案こうあんされたが実用じつようにはもちいられなかった。

イギリスのフランシス・ペティ・スミスが1836ねん5がつ31にちにスクリュープロペラの特許とっきょり、「フランシス・P・スミス」ごう(6トン)をつくり2ピッチのながいスクリュープロペラでの実験じっけんはじめた。偶然ぐうぜん水中すいちゅうでプロペラが破損はそんしたのちふねそくがり、こののち、1ピッチのものに変更へんこうして5.5ノットまで速度そくどげられた。出資しゅっししゃられたため、シップ・プロペラしゃ設立せつりつして本格ほんかくてきなスクリューせん建造けんぞうはじめた。スミスはその、ラトラーごうのスクリュープロペラを設計せっけいする。

どう時期じきに、スウェーデンじんジョン・エリクソンはスミスの6週間しゅうかん特許とっきょり、よく1837ねん船長せんちょう14mの「フランシス・B・オグデン」ごうつくってロンドンのテムズがわで100トンの石炭せきたんはしけ4せきを5ノットでいてみせた。えい海軍かいぐん高官こうかん水面すいめん推進すいしんじくのためのあなきらい、直進ちょくしんせいけているはず、ふうたいして不安定ふあんていという評価ひょうかによって軍艦ぐんかんへは採用さいようとなった。

翌年よくねんの1838ねんには36トンの「ロバート・F・ストックトン」ごうつくったが、イギリスでは進展しんてんられなかったため、1839ねん帆走はんそうによって米国べいこくわたった。ストックトンごうはプロペラを2つから1つに改造かいぞうけたのち、デラウェアがわふねとなった。エリクソン自身じしんはそのべい海軍かいぐん造船ぞうせん協力きょうりょくした。

その徐々じょじょにスクリュープロペラをそなえたふねつくられるが、まだ帆船はんせん主体しゅたいであり、蒸気じょうきせんでも外輪がいりんによって推進すいしんされるものが主体しゅたいであった。1850ねん船舶せんぱく総トン数そうとんすうでは帆船はんせん9にたいして蒸気じょうきせん1の比率ひりつであった。

ラトラーたいアレクト

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ナポレオン (1850)
フランス汽走戦列せんれつかん

1845ねん3がつ、イギリス海軍かいぐんはスクリュープロペラと外輪がいりん性能せいのう比較ひかくおこなうため、スクリュープロペラをそなえた867トンのラトラーごうと800トンの外輪がいりん蒸気じょうき軍艦ぐんかんアレクトごう風向かざむきや帆走はんそう併用へいようなど条件じょうけんえて競走きょうそうさせた。いずれもラトラーがち、最後さいご綱引つなひきをおこなわせた結果けっか、ラトラーが2.8ノットでアレクトを曳航えいこうしたことで、ラトラーのスクリュープロペラが有効ゆうこうであると結論けつろんけられた。

イギリス海軍かいぐんでは、1809ねん建造けんぞうされた帆走はんそう74もん戦列せんれつかんエイジャックスごうが1846ねんにスクリュー推進すいしんの汽走戦列せんれつかん改装かいそうされた。はつの汽走90もん戦列せんれつかんはフランス海軍かいぐんのナポレオンごうが1850ねん完成かんせいし、イギリス海軍かいぐんでも1852ねんには最初さいしょから汽走91もん戦列せんれつかんとして建造けんぞうされたアガメムノンごう就役しゅうえきした。

イギリスとフランスでは汽走軍艦ぐんかん広範こうはんけんかん競争きょうそうはじまる。両国りょうこくが1853ねんクリミア戦争せんそう参戦さんせんする要因よういんとなったシノープ海戦かいせん、そして、過去かこのアヘン戦争せんそうなど、浅瀬あさせはげしい抵抗ていこうくわした場合ばあい機動きどうりょくんだ喫水きっすいあさい汽走砲艦ほうかん有利ゆうりであることは認識にんしきされていた。

外輪がいりん蒸気じょうきせん終焉しゅうえん

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19世紀せいき大半たいはん20世紀せいき前半ぜんはんミシシッピーがわおこなわれた貿易ぼうえきは、外輪がいりんしき蒸気じょうきせんによっておこなわれた。現在げんざいのこっているふねわずかで、ほとんどのふね酷使こくしによるボイラー爆発ばくはつ火災かさい焼失しょうしつしている。1900ねん船舶せんぱく総トン数そうとんすうでは帆船はんせん4にたいして蒸気じょうきせん6の比率ひりつであった[2]

蒸気じょうきタービンの登場とうじょう

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みずかんしき蒸気じょうきボイラー断面だんめん
1.けむり 2.予熱よねつ 3.上下じょうげすいタンク 4.加熱かねつすいかん

19世紀せいきまつチャールズ・アルジャーノン・パーソンズによって蒸気じょうきタービン開発かいはつされた。

20世紀せいき初頭しょとうまではレシプロしき蒸気じょうき機関きかん搭載とうさいした大型おおがたせん建造けんぞうされてきたが、だいいち大戦たいせん次第しだいにタービンしき主流しゅりゅうとなる。

蒸気じょうきタービンはレシプロしき蒸気じょうき機関きかんくら振動しんどう騒音そうおんすくなくてねつ効率こうりつたかいという特徴とくちょうがある。レシプロしきでは3だん膨張ぼうちょうしきがあったが、タービンしきであれば蒸気じょうき膨張ぼうちょう最大限さいだいげん利用りようできるのですぐれている。かくタービンではぎゃく回転かいてん出来できないために、ぎゃく転用てんようタービンをそなえるか、可変かへんピッチスクリューによって逆進ぎゃくしんおこなうことがおおい。

蒸気じょうきボイラーは当初とうしょ煙管きせるしき主流しゅりゅうであったが、こうあつすすむにつれみずかんしき主流しゅりゅうになる。みずかんしき水垢みずあか(スケール)の付着ふちゃくふせため供給きょうきゅうする清水しみず品質ひんしつ管理かんりもとめられる。タービンを回転かいてんさせた蒸気じょうき海水かいすいによって冷却れいきゃくされたふくすいによってふたた液体えきたいもどされ蒸気じょうきボイラーで循環じゅんかん使用しようされる[3]

またこの時期じき燃料ねんりょう石炭せきたんから重油じゅうゆへと移行いこうしていった。

きよしへの影響えいきょう

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きよしでは、1757ねんから対外たいがいてき貿易ぼうえきみなととして広州こうしゅうのみを開港かいこうしていたが、アヘン戦争せんそう結果けっか1842ねん南京なんきん条約じょうやくにより、ふくしゅう厦門あもいやすし上海しゃんはい開港かいこうすることになった[4]。これらの開港かいこうによって、それまで貿易ぼうえき使用しようされていた木造もくぞう帆船はんせんジャンクせんわって、きよしとシャムとの貿易ぼうえきなどに蒸気じょうきせんもちいられることがおおくなった[4]

きよし蒸気じょうきせんもちいた海運かいうん会社かいしゃ育成いくせいこころみたが、当時とうじ企業きぎょう経営けいえい効率こうりつで、欧米おうべい海運かいうん会社かいしゃ競争きょうそうすることはむずかしかった[4]帆船はんせんふう影響えいきょうけやすく、航海こうかい規則きそくせいおとっており、アジア内部ないぶ物流ぶつりゅうでも欧米おうべいとくにイギリスせんによる物流ぶつりゅう中心ちゅうしんとなった[4]

日本にっぽんへの影響えいきょう

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黒船くろふね来航らいこう

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サスケハナ

日本にっぽんへもアヘン戦争せんそうなどでの蒸気じょうきせん活躍かつやく情報じょうほうは、オランダ風説ふうせつしょ輸入ゆにゅう書物しょもつによってすこしずつつたわっていた。1843ねん天保てんぽう14ねん)には幕府ばくふオランダ商館しょうかんちょうに、蒸気じょうきせん輸入ゆにゅう長崎ながさきでの建造けんぞう照会しょうかいするなどしていた[5]

実物じつぶつ蒸気じょうきせん日本にっぽんおとずれたのは、1853ねん黒船くろふね来航らいこうはじめてである。1853ねん7がつ8にち浦賀うらがおきあらわれた4せきアメリカ海軍かいぐん軍艦ぐんかんは、2せき外輪がいりん蒸気じょうきフリゲート「サスケハナ」、「ミシシッピ」が、帆走はんそうスループの「サラトガ」、「プリマス」を曳航えいこうして江戸えどわんうち侵入しんにゅうしてきた。来航らいこうした黒船くろふねのうち2せき蒸気じょうきせんであった。

よく1854ねんペリー提督ていとくふたたび3せき外輪がいりん蒸気じょうきフリゲート「ポーハタン」、「サスケハナ」、「ミシシッピ」と帆走はんそうスループ「レキシントン」、「マセドニアン」、「ヴァンダリア」、「サラトガ」、「サプライ」の5せき外輪がいりん汽帆補給ほきゅうかん「サザンプトン」、けい9せき浦賀うらがおきあらわれた。

外国がいこくせい蒸気じょうきせん配備はいび

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黒船くろふね来航らいこうで、蒸気じょうきせん威力いりょくたりにした江戸えど幕府ばくふは、大船おおふな建造けんぞうきんかれ、蒸気じょうきせんふく西洋せいようしき艦船かんせん整備せいび着手ちゃくしゅされた。帆船はんせん日本にっぽんでの製造せいぞうもすぐにおこなわれたが、技術ぎじゅつてきにより高度こうど蒸気じょうきせんは、外国がいこくせい導入どうにゅう主流しゅりゅうとなった。

日本人にっぽんじん最初さいしょ入手にゅうしゅした蒸気じょうきせんは、1855ねんにオランダから寄贈きぞうされた外輪がいりんしきコルベット「スンビン」(スームビング)で、「観光かんこうまる」と改名かいめいされた。スクリューしき蒸気じょうきせんとしては、おなじくオランダせいのコルベット「咸臨丸かんりんまる」(1857ねん就役しゅうえき)が最初さいしょである。

以後いご幕府ばくふ海軍かいぐんのほか、薩摩さつまはん佐賀さがはん長州ちょうしゅうはんなどの雄藩ゆうはんはじめとして続々ぞくぞく蒸気じょうきせん取得しゅとくすすめた。幕末ばくまつ蒸気じょうきせん取得しゅとくしたのは幕府ばくふのほか19はんで、総数そうすうは80せき以上いじょうのぼった。そのおおくは中古ちゅうこ商船しょうせんで、武装ぶそうほどこされて軍艦ぐんかん兼用けんようとして運用うんようされた。

蒸気じょうきせん建造けんぞう

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日本にっぽん最初さいしょ建造けんぞうされた蒸気じょうきせんは、1855ねん薩摩さつまはん竣工しゅんこうさせた「くもぎょうまる」である。それまでに「のぼり平丸ひらまる」など西洋せいようしき帆船はんせん建造けんぞうすすめていた薩摩さつまはんは、黒船くろふね来航らいこうまえの1851ねんから蒸気じょうき機関きかん製造せいぞうこころみていた。オランダ書物しょもつ翻訳ほんやくして参考さんこうとし、1855ねん7がつ江戸えど藩邸はんていにおいて陸上りくじょうでの試運転しうんてん成功せいこうした。そして、同年どうねん8がつ薩摩さつまから回航かいこうした「くもぎょうまる」への搭載とうさいおこない、日本にっぽんはつ蒸気じょうきせんとした。同船どうせん全長ぜんちょう54しゃく(16.4m)で、推進すいしん方式ほうしきはサイドレバーしき外輪船がいりんせんだった。同船どうせんたんなる実験じっけんせんにとどまらず、連絡れんらくようなどとして実用じつようされた[6]。もっとも、書物しょもつのみを参考さんこう製造せいぞうされたため、設計せっけい出力しゅつりょくよりもかなりひく性能せいのうしか発揮はっきできなかった。

また、よしみなが6ねん1853ねん[注釈ちゅうしゃく 1]佐賀さがはん精錬せいれんほうであった田中たなか久重くしげ中村なかむら石黒いしぐろひろしらによって外国がいこく文献ぶんけんたよりに蒸気じょうき機関きかんしゃ蒸気じょうきせんひながた (模型もけい) が製作せいさくされた。

このほか、宇和島うわじまはんでも、藩主はんしゅ伊達だて宗城むねなり村田むらた蔵六ぞうろくめいじてオランダの書物しょもつ翻訳ほんやくさせ、嘉蔵よしぞうという提灯ちょうちんおとこ前原まえはらたくみさん)を製造せいぞう担当たんとうしゃとして実験じっけんてき蒸気じょうきせんを1855ねん完成かんせいさせている。

実用じつようてき国産こくさん蒸気じょうきせんとしては、佐賀さがはん三重みえ海軍かいぐんしょ建造けんぞうした「凌風丸りょうふうまる」(1865ねん竣工しゅんこう外輪がいりんしき)が最初さいしょわれ、ほか幕府ばくふ建造けんぞうした軍艦ぐんかん千代田ちよだがた」(1866ねん竣工しゅんこう・スクリューしき)がある。おなじく幕府ばくふ建造けんぞうせんとして「先登せんとうまる」というふねもあるが、詳細しょうさいあきらかでない。

現代げんだい蒸気じょうきせん

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推進すいしん機関きかんディーゼルガスタービンすすみ、蒸気じょうきによって推進すいしんするふね比較的ひかくてき少数しょうすうかぎられたふねしゅかんしゅだけになっている。

大型おおがたLNGタンカー
LNGタンカー登場とうじょう初期しょきから輸送ゆそう貨物かもつであるLNG輸送ゆそうちゅう蒸発じょうはつした天然てんねんガス(ボイルオフガス、BOG)を蒸気じょうきタービンエンジンの燃料ねんりょうとされてきたが、21世紀せいき初頭しょとう現在げんざいではLNGの価値かちたかまったために、BOGのさい液化えきかによって輸送ゆそうえきりょうらさず、大型おおがた貨物かもつせん同様どうようにA重油じゅうゆやC重油じゅうゆ使つかった低速ていそく回転かいてん2ストロークディーゼルエンジン採用さいようするふねおおくなってきている[7]
原子力げんしりょく空母くうぼ原子力げんしりょく潜水せんすいかん砕氷さいひょうせん
原子力げんしりょく空母くうぼでは原子げんしつくられた高熱こうねつ蒸気じょうき発生はっせいさせてタービンをまわす。原子力げんしりょく発電はつでん推進すいしんプラントは航続力こうぞくりょく半永久はんえいきゅうてきなまでにばせるので長距離ちょうきょり高速こうそく移動いどうする軍艦ぐんかんにはく。とく空母くうぼではカタパルトをうごかすさい蒸気じょうきざんりょう考慮こうりょせずにうえ排煙はいえん煙突えんとつによる気流きりゅうみだれを考慮こうりょせずにむ、電力でんりょく余裕よゆうがあるので機器きき艦載かんさい更新こうしん対応たいおうしやすい、重油じゅうゆ搭載とうさいせずにむので弾薬だんやく航空機こうくうき搭載とうさいするスペースがひろ確保かくほできるなどのメリットがある。原子力げんしりょく潜水せんすいかんでは酸素さんそ必要ひつようとしないのでさらにてきする[8][9]。ロシアのすうせき砕氷さいひょうせん軍艦ぐんかん同様どうよう原子力げんしりょくプラントをそなえる[10]
保存ほぞんせん
 
蒸気じょうきせんあおふうごう」(青森あおもりこう
世界せかい各地かくち保存ほぞん団体だんたい愛好あいこうあいだ現在げんざいでもレシプロしき蒸気じょうきせん運航うんこうされる。あらたに建造けんぞうされるれいもある。日本にっぽんでは2000年代ねんだい初頭しょとう青森あおもりみちのく北方ほっぽう漁船ぎょせん博物館はくぶつかんで『みちのくロードアイランドごう』が運行うんこうされた。2016ねん現在げんざいは『あおふうごう』が、青函せいかん連絡れんらくせんメモリアルシップはちかぶと田丸たまるなどを運営うんえいする特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじん“あおもりみなとクラブ”によって運行うんこうされている[11]に2000年代ねんだい愛好あいこうによって『PINOCCHIOごう』、『英光ひでみつまる』が建造けんぞうされた[12]
アトラクション
ディズニーパークアトラクションとして、パークないじた環状かんじょうの「アメリカがわ」を周遊しゅうゆうする「蒸気じょうきせんマークトウェインごう」が運航うんこうされている。ちなみに東京とうきょうディズニーランドられるものは、日本にっぽんせい蒸気じょうきせんとしてはもっとあたらしい蒸気じょうきせんである。

英語えいごけんではふねめいまえに Steam Ship または Screw-driven Steamship の意味いみで、艦船かんせん接頭せっとう「SS」または「S/S」をつける習慣しゅうかんがある。

有名ゆうめい蒸気じょうきせん

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シリウス
 
タービニア
 
タイタニック
  • シリウスごうアイルランド、SS Sirius, 1837) - 建造けんぞう段階だんかいから「グレート・ウェスタン」「ブリティシュクイーン」(1839ねん完成かんせい)との蒸気じょうきせん3せきによる大西洋たいせいようはつ横断おうだん記録きろく競走きょうそうとなり、見事みごと勝利しょうりして1838ねんはじめて蒸気じょうき機関きかんちからのみを利用りようして大西洋たいせいよう横断おうだん成功せいこうした定期ていき航路こうろ蒸気じょうきせんである。1838ねん3がつ28にちロンドンはつ(4がつ4にちコーク寄港きこう)〜4がつ22にち午後ごご10ハミルトン要塞ようさいおき投錨とうびょう)ニューヨーク平均へいきん速度そくど6.7 kt石炭せきたん450トンやロジンなどすべての燃料ねんりょうきたため最後さいごすう日間にちかん船内せんない木製もくせい調度ちょうどひんにくべていた。(もと沿岸えんがん航海こうかいよう外輪がいりん蒸気じょうきせん、703そうトン船長せんちょう60.9 m、船幅せんぷく7.62 m、2ほんマスト、320馬力ばりき、9 kt) そのの1847ねん1がつ16にち、コークとバリコットンのおき座礁ざしょう沈没ちんぼつ。8にん救命きゅうめいボートにったすうじゅうめいのうち20めい死亡しぼう本船ほんせんのこほかふねたすけられた71めい怪我けがもなく生存せいぞん数少かずすくない生存せいぞんしゃもの救命きゅうめいていいたバリコットンのちかくのきし地元民じもとみんにより略奪りゃくだつされすべてがうしなわれた。
  • グレート・ウェスタンごう(イギリス、SS Great Western, 1838) - 1838ねん4がつ8にちにブリストルを出発しゅっぱつし、シリウスごうおくれることすうあいだでニューヨーク到着とうちゃくした。(遠洋えんよう航海こうかいよう外輪がいりん蒸気じょうきせん、1,320そうトン)
  • ヴェガごうスウェーデン、SS Vega) - 1878ねん学者がくしゃノルデンショルドによって史上しじょうはじめてシベリア沿岸えんがん北東ほくとう航路こうろ制覇せいはした蒸気じょうきせん1879ねん日本にっぽん横浜よこはまこう寄港きこうし、世界中せかいじゅうにセンセーションをまきおこした。
  • タービニアごう(イギリス、Turbinia, 1897) - チャールズ・アルジャーノン・パーソンズによって開発かいはつされた蒸気じょうきタービン機関きかん搭載とうさいした実験じっけんせん当初とうしょ海軍かいぐん購入こうにゅうはたらきかけたが、海軍かいぐん首脳しゅのうには蒸気じょうきタービンのレシプロしき蒸気じょうき機関きかんたいする優位ゆういせい理解りかいされず、ことわられた。そこで1897ねんポーツマスでおこなわれたビクトリア女王じょおう観艦式かんかんしきにおいて突然とつぜん参加さんかしてデモンストレーションをおこない、蒸気じょうきタービンの優位ゆういせいをアピールした。
  • タイタニックごう(イギリス、RMS Titanic, 1912) - 1912ねん4がつ15にち北大西洋きたたいせいよう航路こうろ氷山ひょうざん衝突しょうとつ沈没ちんぼつした豪華ごうか客船きゃくせん推進すいしんじく3じくのうちりょうふなばたの2じくこうあつ蒸気じょうきによるレシプロしき4シリンダーさんだん複式ふくしき蒸気じょうきエンジン駆動くどうし、この蒸気じょうきエンジンの排気はいきである低圧ていあつ蒸気じょうき蒸気じょうきタービンにみちび中央ちゅうおうじく駆動くどうするタービン併用へいよう複式ふくしき蒸気じょうき機関きかん採用さいようしていた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ よしみなが8ねん 1855ねんというせつもある

出典しゅってん

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  1. ^ 横井よこい勝彦かつひこちょ『アジアのうみだいえい帝国ていこく講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ 2004ねん ISBN 4-06-159641-1
  2. ^ 杉浦すぎうら昭典あきのりちょ 「蒸気じょうきせん世紀せいき」 NTT出版しゅっぱん 1999ねん6がつ28にち初版しょはんだいいちさつ発行はっこう ISBN 4-7571-4008-8
  3. ^ 野沢のざわ和夫かずおちょ 「ふね この巨大きょだい力強ちからづよ輸送ゆそうシステム」 大阪大学おおさかだいがく出版しゅっぱんかい 2006ねん9がつ10日とおか初版しょはんだいいちさつ発行はっこう ISBN 4-87259-155-0
  4. ^ a b c d 玉木たまき俊明としあき物流ぶつりゅう世界せかいをどうえたのか』PHP新書しんしょ、2018ねん 
  5. ^ 安達あだち裕之ひろゆき異様いようふね洋式ようしきせん導入どうにゅう鎖国さこく体制たいせい平凡社へいぼんしゃ平凡社へいぼんしゃ選書せんしょ〉、1995ねん、173ぺーじ
  6. ^ 北九州きたきゅうしゅうイノベーションギャラリー:産業さんぎょう技術ぎじゅつ年表ねんぴょう
  7. ^ いとさん直之なおゆきちょ 「LNGせんがわかるほん」 成山なりやまどう出版しゅっぱん 2005ねん1がつ18にち 増補ぞうほ改訂かいてい初版しょはん発行はっこう ISBN 4-425-32123-5
  8. ^ 軍事ぐんじ研究けんきゅう 2007ねん8がつごう別冊べっさつ21世紀せいき原子力げんしりょく空母くうぼ
  9. ^ 河津かわづみゆきえいちょ 「21世紀せいきのアメリカ海軍かいぐん」 アリアドネ企画きかく 2007ねん9がつ15にちだいいちさつ発行はっこう ISBN 978-4-384-03176-8
  10. ^ 野沢のざわ和夫かずおちょ 「氷海ひょうかい工学こうがく」 成山なりやまどう書店しょてん 2006ねん3がつ28にち初版しょはん発行はっこう ISBN 4-425-71351-6
  11. ^ 蒸気じょうきせん洋上ようじょうウォッチング/青森あおもり
  12. ^ 「ほのぼの三浦みうら写真しゃしん日記にっき

関連かんれん項目こうもく

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