トリニティ・インベストメント株式会社 かぶしきがいしゃ Trinity Investment Co.,Ltd. 種類 しゅるい
株式会社 かぶしきがいしゃ 本社 ほんしゃ 所在地 しょざいち
108-0022東京 とうきょう 都 と 港 みなと 区 く 海岸 かいがん 3-20-20 (合併 がっぺい 前 まえ の東京 とうきょう 都 と 千代田 ちよだ 区 く 紀尾井町 きおいちょう 4番 ばん 5号 ごう から移転 いてん ) 設立 せつりつ
1979年 ねん 5月 がつ 22日 にち (株式会社 かぶしきがいしゃ カーセブン) 法人 ほうじん 番号 ばんごう
6010401061691 代表 だいひょう 者 しゃ
代表 だいひょう 取締役 とりしまりやく 五木田 ごきた 律子 りつこ 資本 しほん 金 きん
4億 おく 6,000万 まん 円 えん 主要 しゅよう 株主 かぶぬし
3投資 とうし 会社 かいしゃ が運営 うんえい するファンドの出資 しゅっし する会社 かいしゃ (100%) 特記 とっき 事項 じこう :海岸 かいがん ベルマネジメントに出資 しゅっし したファンド系 けい の会社 かいしゃ 。2008年 ねん 11月11日 にち に海岸 かいがん ベルマネジメントを吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい し、同社 どうしゃ 所在地 しょざいち に移転 いてん 。テンプレートを表示 ひょうじ
かつて存在 そんざい したカネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ の粉飾 ふんしょく 決算 けっさん 事件 じけん に伴 ともな う、産業 さんぎょう 再生 さいせい 機構 きこう による支援 しえん 決定 けってい を受 う けて、以下 いか を目的 もくてき に、投資 とうし 会社 かいしゃ (ファンド)3社 しゃ (アドバンテッジ パートナーズ 有限 ゆうげん 責任 せきにん 事業 じぎょう 組合 くみあい 、株式会社 かぶしきがいしゃ MKSパートナーズ 、ユニゾン・キャピタル )が、既設 きせつ の休眠 きゅうみん 会社 かいしゃ を活用 かつよう した目的 もくてき 会社 かいしゃ である。
当社 とうしゃ の目的 もくてき は以下 いか の通 とお り。
カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ を傘下 さんか に収 おさ める
カネボウ化粧 けしょう 品 ひん (旧 きゅう ・カネボウブティック)との株式 かぶしき 相互 そうご 持合 もちあい 解消 かいしょう に際 さい して、同社 どうしゃ の持 も つカネボウ株 かぶ を譲 ゆず り受 う け、カネボウを傘下 さんか に収 おさ めた。その後 ご 、株式 かぶしき 公開 こうかい 買付 かいつ け (TOB)を実施 じっし (2005年 ねん 6月 がつ 10日 とおか 上場 じょうじょう 廃止 はいし 時 じ のカネボウ株価 かぶか 360円 えん に対 たい し、2006年 ねん 2月 がつ から3月 がつ にかけて1株 かぶ あたり162円 えん でTOBが成立 せいりつ 。この金額 きんがく に対 たい して不当 ふとう であるとしてTOBに応 おう じなかった株主 かぶぬし などから告訴 こくそ がなされ、係争 けいそう が続 つづ いている)。
カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ とは一切 いっさい 資本 しほん 関係 かんけい のない受 う け皿 ざら 会社 かいしゃ 3社 しゃ (カネボウ・トリニティ・ホールディングス、並 なら びに同社 どうしゃ 子会社 こがいしゃ のカネボウホームプロダクツ、カネボウ製薬 せいやく )に事業 じぎょう 譲渡 じょうと (会社 かいしゃ 分割 ぶんかつ ではない)
受 う け皿 ざら 会社 かいしゃ 各社 かくしゃ の商号 しょうごう にあった「カネボウ」が「クラシエ 」に変更 へんこう されたのは、「カネボウ」の商標 しょうひょう 権 けん がカネボウ化粧 けしょう 品 ひん に譲渡 ゆずりわた されていたこと、その商標 しょうひょう 権 けん 譲渡 じょうと 後 ご も一定 いってい 期間 きかん はカネボウ化粧 けしょう 品 ひん から商標 しょうひょう の使用 しよう が許可 きょか されていたが、その期限 きげん が到来 とうらい したことによる。
カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ の子会社 こがいしゃ (カネボウフーズ)の株式 かぶしき をカネボウ・トリニティ・ホールディングスに売却 ばいきゃく
カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ (海岸 かいがん ベルマネジメント株式会社 かぶしきがいしゃ に商号 しょうごう 変更 へんこう )を吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい 方式 ほうしき にて合併 がっぺい し、合併 がっぺい 時点 じてん における同社 どうしゃ の株主 かぶぬし (約 やく 83%は当社 とうしゃ 、残 のこ る約 やく 17%は2006年 ねん のTOBに応 おう じなかった株主 かぶぬし )について(存続 そんぞく 会社 かいしゃ である当社 とうしゃ の株式 かぶしき 割当 わりあて ではなく)金銭 きんせん 交付 こうふ を実施 じっし (1株 かぶ あたり130円 えん )
鐘 しょう 淵 ふかし 紡績 ぼうせき 株式会社 かぶしきがいしゃ として
編集 へんしゅう
海岸 かいがん ベルマネジメント株式会社 かぶしきがいしゃ (旧 きゅう カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ )Kaigan Bell Management, Ltd. 種類 しゅるい
株式会社 かぶしきがいしゃ (2008年 ねん 11月11日 にち 吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい にて消滅 しょうめつ ) 市場 いちば 情報 じょうほう
本社 ほんしゃ 所在地 しょざいち
東京 とうきょう 都 と 港 みなと 区 く 海岸 かいがん 3-20-20 ヨコソーレインボータワー 設立 せつりつ
1944年 ねん 2月 がつ 1日 にち (鐘 しょう 淵 ふかし 工業 こうぎょう 株式会社 かぶしきがいしゃ )(注 ちゅう 1) 業種 ぎょうしゅ
化学 かがく 法人 ほうじん 番号 ばんごう
6010401061691 事業 じぎょう 内容 ないよう
清算 せいさん 業務 ぎょうむ (清算 せいさん 前 まえ はトイレタリー製品 せいひん 、薬品 やくひん 、食品 しょくひん などの製造 せいぞう ・販売 はんばい ) 代表 だいひょう 者 しゃ
代表 だいひょう 清算 せいさん 人 じん 中嶋 なかじま 章義 あきよし 資本 しほん 金 きん
1億 おく 円 えん (2006年 ねん 9月 がつ 下旬 げじゅん に350億 おく 9998万 まん 5000円 えん から減資 げんし ) 主要 しゅよう 株主 かぶぬし
トリニティ・インベストメント株式会社 かぶしきがいしゃ (83%) 特記 とっき 事項 じこう :注 ちゅう 1:鐘 しょう 淵 ふかし 紡績 ぼうせき 株式会社 かぶしきがいしゃ (1887年 ねん 5月 がつ 6日 にち に東京 とうきょう 綿 めん 商社 しょうしゃ として設立 せつりつ し、1893年 ねん に鐘 しょう 淵 ふかし 紡績 ぼうせき に社名 しゃめい 変更 へんこう )と鐘 しょう 淵 ふかし 実業 じつぎょう 株式会社 かぶしきがいしゃ との新設 しんせつ 合併 がっぺい により設立 せつりつ 。1946年 ねん 5月に「鐘 しょう 淵 ふかし 紡績 ぼうせき 株式会社 かぶしきがいしゃ 」に商号 しょうごう 変更 へんこう 、1971年 ねん 12月に「鐘紡 かねぼう 株式会社 かぶしきがいしゃ 」に商号 しょうごう 変更 へんこう 、2001年 ねん 1月 がつ に「カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ 」に商号 しょうごう 変更 へんこう 。2007年 ねん 6月 がつ 30日 にち に解散 かいさん 決議 けつぎ をし、同時 どうじ に清算 せいさん 会社 かいしゃ として「海岸 かいがん ベルマネジメント株式会社 かぶしきがいしゃ 」に商号 しょうごう 変更 へんこう 。2008年 ねん 11月11日 にち 、トリニティ・インベストメント株式会社 かぶしきがいしゃ に清算 せいさん 目的 もくてき で吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい されて消滅 しょうめつ 。テンプレートを表示 ひょうじ
1887年 ねん に創業 そうぎょう 。かつての商号 しょうごう である「鐘 しょう 淵 ふかし 紡績 ぼうせき 株式会社 かぶしきがいしゃ (かねがふちぼうせき)」が示 しめ すとおり、創業 そうぎょう 時 じ の業種 ぎょうしゅ は繊維 せんい 事業 じぎょう で、天然 てんねん 繊維 せんい ・化学 かがく 繊維 せんい の両方 りょうほう を手 て がけていた。十 じゅう 大 だい 紡績 ぼうせき 会社 かいしゃ (十 じゅう 大 だい 紡 )のひとつであった。
カネボウ時代 じだい は現在 げんざい の東証 とうしょう 第 だい 1部 ぶ (現在 げんざい のプライム)に上場 じょうじょう し、特定 とくてい の企業 きぎょう グループには属 ぞく していないものの三井 みつい 銀行 ぎんこう (現 げん ・三井住友銀行 みついすみともぎんこう )を主力 しゅりょく 取引 とりひき 銀行 ぎんこう としていたため、かつての三井 みつい 財閥 ざいばつ 系 けい に含 ふく まれる事 こと があった。
番組 ばんぐみ の筆頭 ひっとう 提供 ていきょう クレジットにおけるキャッチコピー「美 うつく しきヒューマンライフを目指 めざ すカネボウ 」(のちに「芸術 げいじゅつ 化 か 産業 さんぎょう を目指 めざ すカネボウ 」)や、コマーシャルにおける「Kanebo, For Beautiful Human Life. (カネボウ、美 うつく しい人間 にんげん 生活 せいかつ のために)」のサウンドロゴで知 し られていた。ところが文法 ぶんぽう 的 てき な誤 あやま りがあるためにその意味 いみ が「カネボウ、美 うつく しいヒト型 がた 生物 せいぶつ のために」「カネボウ、(我々 われわれ は)美 うつく しいヒト型 がた 生命 せいめい 体 たい の味方 みかた (です)」[ 1] となってしまうため、英語 えいご ネイティブ からは不評 ふひょう だった。サウンドロゴは基本 きほん 的 てき に女性 じょせい であるが、男性 だんせい 用 よう 及 およ び企業 きぎょう CMの場合 ばあい は男性 だんせい で行 おこな っていた。90年代 ねんだい は状況 じょうきょう によっては使用 しよう しない、サウンドロゴ背景 はいけい を割愛 かつあい する場合 ばあい もあった。
かつて行 い っていた事業 じぎょう は以下 いか のような変遷 へんせん を辿 たど っている。
創業 そうぎょう 当時 とうじ の事業 じぎょう である繊維 せんい 事業 じぎょう は、一部 いちぶ が2005年 ねん 7月 がつ 1日 にち にセーレン の子会社 こがいしゃ ・KBセーレンに譲渡 ゆずりわた されたほか、KBスピニング(現 げん ・KBツヅキ )、ベルポリエステルプロダクツ などが継承 けいしょう している。
ホームプロダクツ・製薬 せいやく ・食品 しょくひん 事業 じぎょう は朋友 ほうゆう ホールディングス傘下 さんか のクラシエ が継承 けいしょう している。前身 ぜんしん は2006年 ねん 時点 じてん まで旧 きゅう カネボウに残 のこ っていた事業 じぎょう を新旧 しんきゅう 分離 ぶんり で継承 けいしょう したカネボウ・トリニティ・ホールディングスおよびその事業 じぎょう 子会社 こがいしゃ であり、現在 げんざい も旧 きゅう カネボウと同一 どういつ の本社 ほんしゃ で事業 じぎょう を継続 けいぞく している。また公式 こうしき サイトでは旧 きゅう カネボウの全 ぜん 事業 じぎょう を会社 かいしゃ の歴史 れきし として扱 あつか っている[ 2] 。
化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう とブランド商標 しょうひょう 権 けん は花王 かおう 子会社 こがいしゃ のカネボウ化粧 けしょう 品 ひん に売却 ばいきゃく された。
東京 とうきょう 府 ふ 南 みなみ 葛飾 かつしか 郡 ぐん 墨田 すみだ 村 むら 鐘 かね ヶ淵 ふち (現 げん ・東京 とうきょう 都 と 墨田 すみだ 区 く 墨田 すみだ 北部 ほくぶ [ 3] )で創業 そうぎょう した紡績 ぼうせき 会社 かいしゃ であるため。後 のち に略称 りゃくしょう の鐘紡 かねぼう (カネボウ)が正式 せいしき 社名 しゃめい となる。
また、以下 いか の通 とお り、各地 かくち に「鐘紡 かねぼう 町 まち 」という地名 ちめい が存在 そんざい する。これは、同地 どうち にカネボウ関連 かんれん の工場 こうじょう があったことに由来 ゆらい する。
本社 ほんしゃ - 東京 とうきょう 都 と 港 みなと 区 く 海岸 かいがん 3-20-20 ヨコソーレインボータワー
同地 どうち は横浜 よこはま 倉庫 そうこ の本社 ほんしゃ ビルであり、清算 せいさん 法人 ほうじん となった海岸 かいがん ベルマネジメント、トリニティ・インベストメント(海岸 かいがん ベルマネジメントを吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい 後 ご )、クラシエもそれぞれ本社 ほんしゃ 所在地 しょざいち としている。
日本 にっぽん 最大 さいだい の企業 きぎょう と戦後 せんご の復興 ふっこう
編集 へんしゅう
1887年 ねん (明治 めいじ 20年 ねん )に東京 とうきょう 府 ふ 南 みなみ 葛飾 かつしか 郡 ぐん 隅田 すだ 村 むら の通称 つうしょう ・鐘 かね ヶ淵 ふち [ 注 ちゅう 1] に東京 とうきょう 綿 めん 商社 しょうしゃ として創立 そうりつ され、初代 しょだい 頭取 とうどり には三越 みつこし 得 とく 右 みぎ 衛門 えもん が就任 しゅうにん した。紡績 ぼうせき 会社 かいしゃ として創業 そうぎょう した企業 きぎょう であった。紡績 ぼうせき 工場 こうじょう は1889年 ねん に完成 かんせい した[ 5] 。戦前 せんぜん 、繊維 せんい 産業 さんぎょう はかつての鉄鋼 てっこう ・現在 げんざい の自動車 じどうしゃ に匹敵 ひってき する基幹 きかん 産業 さんぎょう であり、武藤 むとう 山治 やまじ が支配人 しはいにん ・社長 しゃちょう をつとめた明治 めいじ から昭和 しょうわ 初期 しょき にかけて、国内 こくない 企業 きぎょう 売上 うりあげ 高 だか 1位 い を誇 ほこ り隆盛 りゅうせい を極 きわ めた[ 5] 。また、鐘 しょう 淵 ふかし デイゼル工業 こうぎょう (現 げん ・UDトラックス )や茨木 いばらぎ 自動車 じどうしゃ (現在 げんざい の近鉄 きんてつ バス の一部 いちぶ )などの異 い 業種 ぎょうしゅ も傘下 さんか におさめていた。なお「鐘 かね ヶ淵 ふち 」の通称 つうしょう は、東武 とうぶ 伊勢崎線 いせさきせん ・鐘 かね ヶ淵 ふち 駅 えき の駅名 えきめい としてその名 な を残 のこ している。昭和 しょうわ 恐慌 きょうこう 下 か の1930年 ねん 、鐘紡 かねぼう の4割 わり 減給 げんきゅう 案 あん に反対 はんたい し、各 かく 工場 こうじょう で大 だい 争議 そうぎ に発展 はってん 。中間 なかま 派 は の日本 にっぽん 労働 ろうどう 組合 くみあい 総 そう 連合 れんごう が指導 しどう したが、敗北 はいぼく 的 てき 解決 かいけつ に終 お わった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 下 した の1945年 ねん の空襲 くうしゅう 等 とう で、兵庫 ひょうご 工場 こうじょう など国内外 こくないがい の工場 こうじょう を失 うしな い、カネボウ(以下 いか 「カネボウ」と記 しる す)はゼロから再 さい 出発 しゅっぱつ することになった。また旧 きゅう 経営 けいえい 陣 じん が公職 こうしょく 追放 ついほう されたことを受 う け、1947年 ねん に武藤 むとう 山治 やまじ の息子 むすこ ・武藤 むとう 絲 いと 治 ち が社長 しゃちょう に就任 しゅうにん し、1949年 ねん 、非 ひ 繊維 せんい 事業 じぎょう を鐘淵化学工業 かねがふちかがくこうぎょう (通称 つうしょう ・鐘 かね 化 か 、現 げん ・カネカ )として分離 ぶんり 独立 どくりつ させた。その後 ご 1961年 ねん には、化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう を鐘 かね 化 か から買 か い戻 もど し(現 げん ・カネボウ化粧 けしょう 品 ひん )、1964年 ねん には、ガムメーカーのハリス (現 げん ・クラシエ フーズカンパニー)を買収 ばいしゅう して食品 しょくひん 事業 じぎょう に進出 しんしゅつ 、1966年 ねん には、山城 やましろ 製薬 せいやく を買収 ばいしゅう して薬品 やくひん 事業 じぎょう (現 げん ・クラシエ 薬品 やくひん カンパニー)に参入 さんにゅう するなど、非 ひ 繊維 せんい 事業 じぎょう に進出 しんしゅつ していった(グレーター・カネボウ計画 けいかく )。この間 あいだ 、創業 そうぎょう 地 ち の紡績 ぼうせき 工場 こうじょう は1963年 ねん に化粧 けしょう 品 ひん 工場 こうじょう に転換 てんかん し、1969年 ねん には閉鎖 へいさ された[ 5] 。また経営 けいえい 面 めん では、1958年 ねん の経営 けいえい 危機 きき を機 き に、労使 ろうし 運命 うんめい 共同 きょうどう 体 たい 路線 ろせん が確立 かくりつ した。1968年 ねん 、武藤 むとう 絲 いと 治 ち は会長 かいちょう に退 しりぞ き、45歳 さい の伊藤 いとう 淳二 じゅんじ が社長 しゃちょう に就 つ いた。
ペンタゴン経営 けいえい の絶頂 ぜっちょう と終焉 しゅうえん
編集 へんしゅう
社長 しゃちょう に就任 しゅうにん した伊藤 いとう は、武藤 むとう 絲 いと 治 ち のグレーター・カネボウ計画 けいかく を引 ひ き継 つ ぎ、労使 ろうし 運命 うんめい 共同 きょうどう 体 たい 論 ろん =労使 ろうし 協調 きょうちょう 、ペンタゴン経営 けいえい =多角 たかく 化 か 路線 ろせん (繊維 せんい ・化粧 けしょう 品 ひん ・食品 しょくひん ・薬品 やくひん ・住宅 じゅうたく の5事業 じぎょう からなる[ 6] )を推進 すいしん した。特 とく にペンタゴン経営 けいえい で生 う まれた化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう は、1970年代 ねんだい の高度 こうど 経済 けいざい 成長 せいちょう 期 き から1980年代 ねんだい の安定 あんてい 成長 せいちょう 期 き にかけて、猛烈 もうれつ な営業 えいぎょう 攻勢 こうせい と人気 にんき タレントを起用 きよう した宣伝 せんでん 広告 こうこく で売 う り上 あ げを伸 の ばし、業界 ぎょうかい 首位 しゅい の資生堂 しせいどう を追 お い上 あ げていった。
しかし、この経営 けいえい 路線 ろせん は後々 あとあと のカネボウにとって不幸 ふこう となった。労使 ろうし 協調 きょうちょう 路線 ろせん は経営 けいえい 不振 ふしん 時 じ に整理 せいり 解雇 かいこ の足 あし かせとなり、代 か わりに自然 しぜん 退職 たいしょく と採用 さいよう 抑制 よくせい によって人員 じんいん 整理 せいり が行 おこな われたが、抜本 ばっぽん 的 てき なリストラには踏 ふ み切 き れなかった。一方 いっぽう のペンタゴン経営 けいえい は化粧 けしょう 品 ひん 以外 いがい はいずれも業界 ぎょうかい では中途半端 ちゅうとはんぱ な規模 きぼ に留 と まる不 ふ 採算 さいさん 事業 じぎょう となり、取 と り分 わ け創業 そうぎょう 以来 いらい の業種 ぎょうしゅ である繊維 せんい 事業 じぎょう は毎期 まいき 損失 そんしつ を計上 けいじょう していた。しかし他 た 事業 じぎょう が赤字 あかじ でも、化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう がそれを補 おぎな って余 あま りある高 こう 収益 しゅうえき を上 あ げていたため、社内 しゃない から経営 けいえい 上 じょう の危機 きき 感 かん と経営 けいえい 刷新 さっしん を行 おこな う意欲 いよく を喪失 そうしつ させた。
1973年 ねん (昭和 しょうわ 48年 ねん )に発生 はっせい したオイルショック は、カネボウのみならず繊維 せんい 業界 ぎょうかい 全体 ぜんたい に影響 えいきょう を与 あた えた。カネボウはこの事態 じたい に対処 たいしょ するため人員 じんいん の削減 さくげん 、工場 こうじょう の閉鎖 へいさ ・機能 きのう 移転 いてん や不 ふ 採算 さいさん 事業 じぎょう の撤退 てったい 、子会社 こがいしゃ を吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい するなどの経営 けいえい 改革 かいかく に取 と り組 く んだ。その結果 けっか 1983年 ねん には8年 ねん ぶりの復配 ふくはい となった。1984年 ねん 、伊藤 いとう は後継 こうけい 社長 しゃちょう に岡本 おかもと 進 すすむ を指名 しめい し会長 かいちょう に退 しりぞ いた。
新 しん 社長 しゃちょう に就任 しゅうにん した岡本 おかもと の元 もと 、従来 じゅうらい のペンタゴン経営 けいえい に変 か わる21世紀 せいき への経営 けいえい ビジョンとして情報 じょうほう システム、エレクトロニクス、機能 きのう 性 せい 高分子 こうぶんし 、バイオテクノロジーを中心 ちゅうしん としたプレセンチュリー計画 けいかく を打 う ち出 だ し、1988年 ねん には創業 そうぎょう 110周年 しゅうねん にあたる1997年 ねん までにグループ売上 うりあげ 高 だか 1兆 ちょう 円 えん 、経常 けいじょう 利益 りえき 500億 おく 円 えん を目標 もくひょう とした110計画 けいかく がスタートした。折 おり からのバブル景気 けいき によって売上 うりあげ が増加 ぞうか したが、新規 しんき 事業 じぎょう に参入 さんにゅう した結果 けっか 、設備 せつび 投資 とうし のための借入金 かりいれきん が増加 ぞうか した。バブル崩壊 ほうかい 期 き の1992年 ねん 、伊藤 いとう は名誉 めいよ 会長 かいちょう に退 しりぞ き経営 けいえい の第 だい 一線 いっせん から退 しりぞ いた。
ちなみに伊藤 いとう はカネボウでの実績 じっせき が評価 ひょうか され、1985年 ねん には日航 にっこう ジャンボ機 じゃんぼき 墜落 ついらく 事故 じこ で経営 けいえい 再建 さいけん が急務 きゅうむ だった日本航空 にほんこうくう の会長 かいちょう に抜擢 ばってき される。しかし、労使 ろうし 対立 たいりつ が激 はげ しい日航 にっこう では得意 とくい の労使 ろうし 協調 きょうちょう 路線 ろせん は受 う け入 い れられず、結果 けっか を出 だ せぬまま1年 ねん 余 あま りで政府 せいふ により更迭 こうてつ された(この状況 じょうきょう は山崎 やまざき 豊子 とよこ の小説 しょうせつ 『沈 しず まぬ太陽 たいよう 』に詳説 しょうせつ されているが、本 ほん 作 さく は、伊藤 いとう について脚色 きゃくしょく が多 おお いといわれる)。
相次 あいつ ぐ分社 ぶんしゃ 化 か と子会社 こがいしゃ の合併 がっぺい
編集 へんしゅう
バブル崩壊 ほうかい 後 ご 、カネボウは事業 じぎょう の一部 いちぶ 分社 ぶんしゃ 化 か や子会社 こがいしゃ 同士 どうし の合併 がっぺい を進 すす める。1993年 ねん には食品 しょくひん 本部 ほんぶ が分社 ぶんしゃ し、同時 どうじ にベルフーズと合併 がっぺい しカネボウフーズを設立 せつりつ 。1994年 ねん にはストッキング事業 じぎょう 、1995年 ねん には椎茸 しいたけ 事業 じぎょう 、1996年 ねん と1997年 ねん には綿 めん ・羊毛 ようもう ・合繊 ごうせん 事業 じぎょう 、化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう の一部 いちぶ をそれぞれ分社 ぶんしゃ 化 か 。1998年 ねん にはカネボウシルクエレガンスを本体 ほんたい に吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい した。1999年 ねん には医療 いりょう 用 よう 新薬 しんやく 事業 じぎょう ・化成 かせい 品 ひん 事業 じぎょう 、2000年 ねん には情報 じょうほう システム事業 じぎょう をそれぞれ営業 えいぎょう 譲渡 じょうと した。
1998年 ねん に社長 しゃちょう に就任 しゅうにん した帆足 ほあし 隆 たかし は、カネボウでは全 まった くの傍流 ぼうりゅう だった。1961年 ねん に松山 まつやま 商科 しょうか 大学 だいがく 卒業 そつぎょう 後 ご 、カネボウの大阪 おおさか の子会社 こがいしゃ ・カネボウ化粧 けしょう 品 ひん 販売 はんばい に入社 にゅうしゃ 。猛烈 もうれつ な営業 えいぎょう で頭角 とうかく を現 あらわ し、30代 だい で支配人 しはいにん に抜擢 ばってき されていた。
その活躍 かつやく ぶりが伊藤 いとう の目 め に留 と まり、本社 ほんしゃ に登用 とうよう 。その後 ご もノルマ強化 きょうか で化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう を増収 ぞうしゅう 増益 ぞうえき させ、成果 せいか を引 ひ っ提 さ げての社長 しゃちょう 就任 しゅうにん だった。歴代 れきだい 社長 しゃちょう は「慶大 けいだい 卒 そつ ・本社 ほんしゃ 管理 かんり 部門 ぶもん 出身 しゅっしん 者 しゃ 」(前述 ぜんじゅつ の武藤 むとう 親子 ちかこ 、伊藤 いとう はこの条件 じょうけん に当 あ てはまる)が占 し める中 なか で、傍流 ぼうりゅう の「地方 ちほう 大学 だいがく 卒 そつ ・子会社 こがいしゃ 出身 しゅっしん 者 しゃ 」である帆足 ほあし の抜擢 ばってき は、まさに異例 いれい 中 ちゅう の異例 いれい だった。
繰 く り返 かえ される粉飾 ふんしょく 、産業 さんぎょう 再生 さいせい 機構 きこう 傘下 さんか へ
編集 へんしゅう
売上 うりあげ 目標 もくひょう 必達を厳命 げんめい したものの、繊維 せんい をはじめとする他 ほか の事業 じぎょう の赤字 あかじ を化粧 けしょう 品 ひん 事業 じぎょう の黒字 くろじ が補完 ほかん する収益 しゅうえき 構造 こうぞう が続 つづ き、過酷 かこく なノルマ達成 たっせい ももはや不可能 ふかのう となっていた。帆足 ほあし は「モーニングコーヒーから夜 よる の盛 さか り場 ば まで一緒 いっしょ だった」と評 ひょう される宮原 みやはら 卓 たく 副 ふく 社長 しゃちょう と話 はな し合 あ い、2001年 ねん 度 ど の債務 さいむ 超過 ちょうか を隠 かく すため、粉飾 ふんしょく 決算 けっさん を繰 く り返 かえ すことになる。
バブル崩壊 ほうかい 以降 いこう 、粉飾 ふんしょく 決算 けっさん が繰 く り返 かえ されたのは、それを黙認 もくにん する企業 きぎょう 風土 ふうど に加 くわ え、2000年 ねん 3月 がつ 期 き から導入 どうにゅう された連結 れんけつ 決算 けっさん を重視 じゅうし する、新 しん 会計 かいけい 基準 きじゅん (実質 じっしつ 支配 しはい 力 りょく 基準 きじゅん )も大 おお きく影響 えいきょう していた。連結 れんけつ 決算 けっさん により、最終 さいしゅう 利益 りえき が赤字 あかじ で債務 さいむ 超過 ちょうか に陥 おちい っていることが判明 はんめい すると銀行 ぎんこう 融資 ゆうし が不可能 ふかのう になり、また上場 じょうじょう 廃止 はいし も確実 かくじつ だったためである。
平成 へいせい 14年 ねん 3月 がつ 期 き 決算 けっさん [ 7]
セグメント
営業 えいぎょう 利益 りえき (百 ひゃく 万 まん 円 えん )
化粧 けしょう 品 ひん
25,646
ホームプロダクツ
6,995
繊維 せんい
△8,620
食品 しょくひん
2,272
薬品 やくひん
△1,106
その他 た
△995
連結 れんけつ
23,816
2002年 ねん 度 ど 決算 けっさん では、業績 ぎょうせき 不振 ふしん の子会社 こがいしゃ 15社 しゃ を含 ふく めた連結 れんけつ 決算 けっさん 書 しょ 作成 さくせい を義務 ぎむ づけられ、約 やく 260億 おく 円 えん の赤字 あかじ を7000万 まん 円 えん の黒字 くろじ に、約 やく 1900億 おく 円 えん の債務 さいむ 超過 ちょうか を9億 おく 2600万 まん 円 えん の資産 しさん 超過 ちょうか に粉飾 ふんしょく した有価 ゆうか 証券 しょうけん 報告 ほうこく 書 しょ を提出 ていしゅつ し[ 7] 、翌 よく 年度 ねんど も同様 どうよう の手口 てぐち で粉飾 ふんしょく を繰 く り返 かえ した。しかし、こうした架空 かくう 売 う り上 あ げはいたずらに損失 そんしつ を累積 るいせき させ、抜本 ばっぽん 的 てき な改革 かいかく は先送 さきおく りされた。結局 けっきょく 、2003年 ねん 度 ど 決算 けっさん で3553億 おく 円 えん にも及 およ ぶ債務 さいむ 超過 ちょうか につながることになる。
2004年 ねん 、最後 さいご の自主 じしゅ 再建 さいけん 策 さく として化粧 けしょう 品 ひん 部門 ぶもん の花王 かおう への売却 ばいきゃく が発表 はっぴょう されるが、労働 ろうどう 組合 くみあい の反対 はんたい で頓挫 とんざ した。以後 いご 、経営 けいえい は迷走 めいそう を続 つづ け、同年 どうねん 、産業 さんぎょう 再生 さいせい 機構 きこう に支援 しえん を要請 ようせい した。産業 さんぎょう 再生 さいせい 機構 きこう は、当初 とうしょ カネボウおよびカネボウ化粧 けしょう 品 ひん の一体 いったい 再生 さいせい を目的 もくてき として減資 げんし を強行 きょうこう するが、後 のち に一体 いったい 再生 さいせい を撤回 てっかい し、分離 ぶんり 再生 さいせい の方針 ほうしん に変更 へんこう する。
2005年 ねん 5月、東京 とうきょう 証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ および大阪 おおさか 証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ がカネボウ株 かぶ の上場 じょうじょう 廃止 はいし を決定 けってい 。上場 じょうじょう 最終 さいしゅう 日 び は6月 がつ 10日 とおか 、廃止 はいし 日 び は6月13日 にち となった。また7月 がつ 29日 にち には、帆足 ほあし 元 もと 社長 しゃちょう 、宮原 みやはら 元 もと 副 ふく 社長 しゃちょう ら旧 きゅう 経営 けいえい 陣 じん が証券 しょうけん 取引 とりひき 法 ほう 違反 いはん で逮捕 たいほ されている。同年 どうねん 9月 がつ 13日 にち には同社 どうしゃ の会計 かいけい 監査 かんさ にあたっていながら、粉飾 ふんしょく 決算 けっさん を指南 しなん していた中央 ちゅうおう 青山 あおやま 監査 かんさ 法人 ほうじん の公認 こうにん 会計士 かいけいし 4名 めい も証券 しょうけん 取引 とりひき 法 ほう 違反 いはん で逮捕 たいほ された(これにより中央 ちゅうおう 青山 あおやま 監査 かんさ 法人 ほうじん は2006年 ねん に金融 きんゆう 庁 ちょう から業務 ぎょうむ 停止 ていし 命令 めいれい を受 う け、後 のち に解散 かいさん に追 お い込 こ まれた)。
2006年 ねん 2月 がつ 、カネボウ化粧 けしょう 品 ひん の花王 かおう への売却 ばいきゃく に伴 ともな い「カネボウ」の商標 しょうひょう 権 けん がカネボウ化粧 けしょう 品 ひん に譲渡 ゆずりわた された。これにより、残 のこ ったカネボウ本体 ほんたい を買収 ばいしゅう した投資 とうし ファンド傘下 さんか での事業 じぎょう は、新 あら たなブランド名 めい の「クラシエ 」に切 き り替 か えられた。
2006年 ねん 5月1日 にち には、カネボウは営業 えいぎょう 権 けん をカネボウ・トリニティ・ホールディングスに譲渡 じょうと し、同社 どうしゃ を統括 とうかつ 会社 かいしゃ とする、新 しん カネボウグループとして再 さい スタートを切 き った。なお、旧 きゅう カネボウとカネボウ・トリニティ・ホールディングスには資本 しほん 関係 かんけい はなく、完全 かんぜん に独立 どくりつ した別 べつ 会社 かいしゃ である。
このように経営 けいえい 破綻 はたん 寸前 すんぜん となったカネボウは、2007年 ねん 4月 がつ 27日 にち に取締役 とりしまりやく 会 かい にて、カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ の解散 かいさん を定時 ていじ 株主 かぶぬし 総会 そうかい にて上程 じょうてい することを決議 けつぎ 。2007年 ねん 6月28日 にち 、第 だい 90回 かい 定時 ていじ 株主 かぶぬし 総会 そうかい 開催 かいさい 。多数 たすう の質問 しつもん が出 で たが、解散 かいさん を含 ふく む議案 ぎあん が採決 さいけつ される。
2007年 ねん 6月30日 にち にカネボウとしての最終 さいしゅう 営業 えいぎょう 日 び を迎 むか え、この日 ひ をもってカネボウは解散 かいさん し、事実 じじつ 上 じょう 、120年 ねん にわたる歴史 れきし に幕 まく が下 お りた。経営 けいえい 破綻 はたん は寸前 すんぜん で免 まぬか れたものの、実質 じっしつ 的 てき にはほとんど経営 けいえい は破綻 はたん していた状況 じょうきょう であった。
カネボウ株式会社 かぶしきがいしゃ は海岸 かいがん ベルマネジメント株式会社 かぶしきがいしゃ に商号 しょうごう 変更 へんこう 。清算 せいさん 業務 ぎょうむ のみを行 おこな う会社 かいしゃ として、残余 ざんよ 資産 しさん を株主 かぶぬし に配分 はいぶん する等 ひとし の処分 しょぶん を進 すす め清算 せいさん に向 む かっていたが、清算 せいさん 結 ゆい 了 りょう による自主 じしゅ 廃業 はいぎょう としての消滅 しょうめつ ではなく、筆頭 ひっとう 株主 かぶぬし のトリニティ・インベストメントに2008年 ねん 11月11日 にち 付 づけ で合併 がっぺい され、名実 めいじつ 共 ども にカネボウの法人 ほうじん 格 かく は消滅 しょうめつ した。この合併 がっぺい に際 さい して、(存続 そんぞく 会社 かいしゃ の株式 かぶしき 割当 わりあて ではなく)合併 がっぺい 交付 こうふ 金 きん の交付 こうふ が行 おこな われたが、その金銭 きんせん 交付 こうふ 額 がく が2006年 ねん のTOBよりもさらに少額 しょうがく となる1株 かぶ あたり130円 えん であったことに対 たい して、海岸 かいがん ベルマネジメントの株 かぶ を83%を保有 ほゆう するトリニティ・インベストメント以外 いがい の株主 かぶぬし からさらなる反発 はんぱつ を受 う けた。
2007年 ねん 7月 がつ 1日 にち には、カネボウの事業 じぎょう を承継 しょうけい していたカネボウ・トリニティ・ホールディングス、カネボウホームプロダクツ、カネボウフーズ、カネボウ製薬 せいやく 、カネボウ薬品 かねぼうやくひん の各社 かくしゃ が、クラシエホールディングス、クラシエホームプロダクツ、クラシエフーズ、クラシエ製薬 せいやく 、クラシエ薬品 やくひん へ、それぞれ商号 しょうごう 変更 へんこう している。2023年 ねん 10月 がつ 1日 にち にはグループの再編 さいへん が行 おこな われ、クラシエホームプロダクツ・クラシエフーズ・クラシエ製薬 せいやく の3社 しゃ はクラシエHDに吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい された上 うえ で「クラシエ株式会社 かぶしきがいしゃ 」に、クラシエ薬品 やくひん はクラシエの子会社 こがいしゃ となった。
→カネボウの
沿革 えんかく については「
クラシエ 」を
参照 さんしょう
再生 さいせい ファンドと少数 しょうすう 株主 かぶぬし の対立 たいりつ
編集 へんしゅう
2005年 ねん 5月 がつ 12日 にち 、東京 とうきょう 証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ は一連 いちれん の粉飾 ふんしょく 決算 けっさん が上場 じょうじょう 廃止 はいし 基準 きじゅん に該当 がいとう するとし、カネボウの上場 じょうじょう 廃止 はいし を決定 けってい する。産業 さんぎょう 再生 さいせい 機構 きこう および経済 けいざい 産業 さんぎょう 省 しょう を中心 ちゅうしん に東証 とうしょう に上場 じょうじょう 継続 けいぞく を求 もと める声 こえ もあったが、市場 いちば の信頼 しんらい 性 せい を維持 いじ するため上場 じょうじょう 廃止 はいし を決定 けってい した。大阪 おおさか 証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ は、遅 おく れて5月24日 にち に上場 じょうじょう 廃止 はいし を決定 けってい した。上場 じょうじょう 廃止 はいし 日 び は2005年 ねん 6月 がつ 13日 にち 、上場 じょうじょう 最終 さいしゅう 日 び は6月 がつ 10日 にち である。
上場 じょうじょう 廃止 はいし 直前 ちょくぜん 、産業 さんぎょう 再生 さいせい 機構 きこう の片山 かたやま 執行 しっこう 役員 やくいん は、受 う け皿 ざら 企業 きぎょう に対 たい してTOB の実施 じっし を条件 じょうけん にすると発言 はつげん し、大幅 おおはば 下落 げらく していたカネボウ株 かぶ は復調 ふくちょう の兆 きざ しを見 み せる。上場 じょうじょう 最終 さいしゅう 日 び における最終 さいしゅう 取引 とりひき 価格 かかく は360円 えん だった。再生 さいせい 機構 きこう は、増 ぞう 減資 げんし などの資本 しほん 整理 せいり ・事業 じぎょう 整理 せいり の後 のち 、入札 にゅうさつ を実施 じっし し、花王 かおう および国内 こくない 3ファンド(アドバンテッジパートナーズ 有限 ゆうげん 責任 せきにん 事業 じぎょう 組合 くみあい 、株式会社 かぶしきがいしゃ MKSパートナーズ 、ユニゾン・キャピタル 株式会社 かぶしきがいしゃ )連合 れんごう を支援 しえん 企業 きぎょう に決定 けってい 。カネボウおよびカネボウ化粧 けしょう 品 ひん 株 かぶ を同 どう ファンドに売却 ばいきゃく するが、売却 ばいきゃく 価格 かかく を「守秘 しゅひ 義務 ぎむ に当 あ たる」として公表 こうひょう しなかった(後 ご の同 どう 機構 きこう によるダイエー 再生 さいせい では、丸紅 まるべに への売却 ばいきゃく 価格 かかく は公表 こうひょう されている)。
2006年 ねん 2月 がつ 16日 にち 、臨時 りんじ 株主 かぶぬし 総会 そうかい にて、中嶋 なかじま 会長 かいちょう を除 のぞ く経営 けいえい 陣 じん のファンド側 がわ 出身 しゅっしん 者 しゃ への交代 こうたい を決定 けってい 。その際 さい 、一般 いっぱん 株主 かぶぬし からTOBについて質問 しつもん されるが、直前 ちょくぜん までトリニティ・インベストメント の代表 だいひょう 取締役 とりしまりやく だったファンド出身 しゅっしん の小森 こもり 新 しん 社長 しゃちょう は、「トリニティ社 しゃ のTOB価格 かかく は知 し らない」と回答 かいとう する。
2006年 ねん 2月 がつ 21日 にち 、カネボウ化粧 けしょう 品 ひん の所有 しょゆう するカネボウ株 かぶ が3ファンド出資 しゅっし の受 う け皿 ざら 会社 かいしゃ トリニティ・インベスティメント株式会社 かぶしきがいしゃ に譲渡 ゆずりわた され、同社 どうしゃ がカネボウの筆頭 ひっとう 株主 かぶぬし となる。同日 どうじつ 、同社 どうしゃ が他 た 株主 かぶぬし に対 たい してTOBを実施 じっし する。TOB価格 かかく は上場 じょうじょう 廃止 はいし 時 じ の360円 えん から大 おお きくかけ離 はな れたもので、また多 おお くの一般 いっぱん 株主 かぶぬし にとって想定 そうてい 外 がい の162円 えん だった。被 ひ TOB側 がわ のカネボウは、その5日 にち 前 まえ の株主 かぶぬし 総会 そうかい で「知 し らない」といったにもかかわらず、即日 そくじつ 「妥当 だとう な株価 かぶか である」と評価 ひょうか する。また、このTOBで一般 いっぱん 株主 かぶぬし に郵送 ゆうそう された文書 ぶんしょ では「この公開 こうかい 買 かい 付 づけ に応募 おうぼ しない場合 ばあい 、産業 さんぎょう 再生 さいせい 特別 とくべつ 措置 そち 法 ほう に基 もと づく金銭 きんせん 交換 こうかん (スクイーズアウト )によっての買取 かいとり となり、162円 えん である保証 ほしょう はない」等 とう と脅迫 きょうはく に近 ちか い文言 もんごん が並 なら び、何 なに も情報 じょうほう を持 も たない多 おお くの株主 かぶぬし はTOBに応 おう じざるを得 え ないと解釈 かいしゃく した人 ひと も多 おお かった。
TOB価格 かかく についてファンド側 がわ は「DCF法 ほう 、市場 いちば 株価 かぶか 基準 きじゅん 法 ほう 等 ひとし を勘案 かんあん した結果 けっか 」162円 えん であると結論 けつろん を出 だ したとTOB公告 こうこく に記 しる した。しかし、買付 かいつけ 期間 きかん 終了 しゅうりょう 2006年 ねん 3月28日 にち の7日 にち 前 まえ である3月21日 にち に、ファンドは市場 いちば 株価 かぶか 基準 きじゅん 法 ほう を実際 じっさい には用 もち いなかったという内容 ないよう などを含 ふく む公告 こうこく 訂正 ていせい を行 おこな った。市場 いちば 株価 かぶか から考 かんが えると市場 いちば 株価 かぶか 基準 きじゅん 法 ほう を用 もち いていないことは明白 めいはく だったため、ファンドに対 たい して虚偽 きょぎ 記載 きさい に当 あ たるとの指摘 してき があったためではないかといわれている。しかし、訂正 ていせい 公告 こうこく が買付 かいつけ 期間 きかん 終了 しゅうりょう 直前 ちょくぜん だったことや、一般 いっぱん 株主 かぶぬし への郵送 ゆうそう での公告 こうこく 訂正 ていせい 通知 つうち を行 おこな わなかったことから、「意図 いと 的 てき に隠 かく したのではないか」という批判 ひはん が多 おお く出 で た。
TOB価格 かかく 決定 けってい については、トリニティ社 しゃ は第三者 だいさんしゃ 機関 きかん である国内 こくない 証券 しょうけん 会社 かいしゃ のみずほ証券 しょうけん に現 げん 資産 しさん および将来 しょうらい 業績 ぎょうせき 予測 よそく などの算定 さんてい を依頼 いらい した。このみずほ証券 しょうけん はカネボウ株 かぶ を所有 しょゆう していることが判明 はんめい し、「第三者 だいさんしゃ 」とはいえないのではないかとの指摘 してき がなされた。またTOB発表 はっぴょう の数日 すうじつ 前 まえ には、「(TOB価格 かかく は)知 し らない」といったカネボウ側 がわ は、このTOB価格 かかく について「独自 どくじ に第三者 だいさんしゃ へ依頼 いらい した算定 さんてい 結果 けっか を考慮 こうりょ すると妥当 だとう 」と取締役 とりしまりやく 会 かい にて即時 そくじ に賛同 さんどう を示 しめ しているなど、疑惑 ぎわく をもたれかねない不審 ふしん な動 うご きを見 み せる。
2006年 ねん 3月18日 にち 、ファンド側 がわ が示 しめ したTOBに個人 こじん 株主 かぶぬし の有志 ゆうし が応 おう じず、株主 かぶぬし としてカネボウの再 さい 上場 じょうじょう を求 もと めていく方針 ほうしん を討議 とうぎ 。「カネボウ個人 こじん 株主 かぶぬし の権利 けんり を守 まも る会 かい 」を発足 ほっそく させる。
その後 ご 、TOBは成立 せいりつ する。しかしファンド側 がわ の予想 よそう を大幅 おおはば に下回 したまわ り、ファンド側 がわ は議決 ぎけつ 権 けん の85%程度 ていど しか占 し めることができなかった。
2006年 ねん 4月 がつ に、主要 しゅよう 3事業 じぎょう のファンド側 がわ 企業 きぎょう への営業 えいぎょう 譲渡 じょうと が発表 はっぴょう される。反対 はんたい する株主 かぶぬし には株 かぶ の買取 かいとり 請求 せいきゅう が可能 かのう であることが通知 つうち された。ただし、買取 かいとり 請求 せいきゅう 受付 うけつけ 期間 きかん が2週間 しゅうかん ほどと短 みじか かったこと、公告 こうこく 掲載 けいさい 場所 ばしょ が限定 げんてい 的 てき だったこと(カネボウのWEBサイトのみ。法的 ほうてき には問題 もんだい なし)から、多 おお くの株主 かぶぬし が買 か い取 と り請求 せいきゅう が可能 かのう であることを知 し らずに買取 かいとり 請求 せいきゅう 期間 きかん が終了 しゅうりょう した。
2006年 ねん 4月 がつ 21日 にち 、「個人 こじん 株主 かぶぬし の権利 けんり を守 まも る会 かい 」有志 ゆうし が、東京 とうきょう 地裁 ちさい に営業 えいぎょう 譲渡 じょうと の差 さ し止 と めの仮処分 かりしょぶん の申 もう し立 た てを申請 しんせい 。4月 がつ 28日 にち 、同 どう 申請 しんせい は却下 きゃっか される。5月1日 にち 、東京 とうきょう 高裁 こうさい に即時 そくじ 抗告 こうこく 。7月 がつ 28日 にち 、仮処分 かりしょぶん の申 もう し立 た てを却下 きゃっか される。
2006年 ねん 12月4日 にち 、「カネボウ個人 こじん 株主 かぶぬし の権利 けんり を守 まも る会 かい 」を中心 ちゅうしん とする個人 こじん 株主 かぶぬし は、2006年 ねん 5月 がつ の営業 えいぎょう 譲渡 じょうと にかかわる免責 めんせき 債務 さいむ の承認 しょうにん 及 およ び自社 じしゃ 株式 かぶしき の担保 たんぽ 化 か について、「カネボウの全 ぜん 株主 かぶぬし の利益 りえき を確保 かくほ するという取締役 とりしまりやく の忠実 ちゅうじつ 義務 ぎむ に違反 いはん し、カネボウに損害 そんがい を与 あた えた」として、中嶋 なかじま 会長 かいちょう 、小森 こもり 社長 しゃちょう ら経営 けいえい 陣 じん を会社 かいしゃ 法 ほう の特別 とくべつ 背任 はいにん 罪 つみ で東京 とうきょう 地検 ちけん に刑事 けいじ 告発 こくはつ した。東京 とうきょう 地検 ちけん 特捜 とくそう 部 ぶ は2006年 ねん 12月11日 にち 、この刑事 けいじ 告発 こくはつ を受理 じゅり した。
2006年 ねん 12月13日 にち 、「カネボウ個人 こじん 株主 かぶぬし の権利 けんり を守 まも る会 かい 」を中心 ちゅうしん とする個人 こじん 株主 かぶぬし は、中嶋 なかじま 会長 かいちょう 、小森 こもり 社長 しゃちょう 以下 いか カネボウ取締役 とりしまりやく 5名 めい に対 たい して、営業 えいぎょう 譲渡 じょうと 債権 さいけん の未 み 回収 かいしゅう 分 ぶん 425億 おく 円 えん あまりを連帯 れんたい してカネボウに返済 へんさい することを求 もと める株主 かぶぬし 代表 だいひょう 訴訟 そしょう を東京 とうきょう 地裁 ちさい に起 お こした。
2006年 ねん 12月27日 にち 、カネボウが発表 はっぴょう した2007年度 ねんど 3月 がつ 期 き 中 ちゅう 間 あいだ 決算 けっさん において、先 さき の主要 しゅよう 3事業 じぎょう 営業 えいぎょう 譲渡 じょうと に伴 ともな う営業 えいぎょう 譲渡 じょうと 代金 だいきん 債権 さいけん について、貸 かし 倒 たおせ 引当 ひきあて 金 きん を計上 けいじょう していることが明 あき らかになった。これは、監査 かんさ 法人 ほうじん である監査 かんさ 法人 ほうじん トーマツ の指摘 してき によるものとされており、カネボウ自身 じしん はさしたる根拠 こんきょ もなく、文書 ぶんしょ 中 ちゅう で「本 ほん 営業 えいぎょう 譲渡 じょうと 代金 だいきん は問題 もんだい なく回収 かいしゅう できると考 かんが えている」と述 の べている。しかし、通常 つうじょう 貸 かし 倒 たおせ 引当 ひきあて 金 きん の計上 けいじょう は対象 たいしょう 債権 さいけん が回収 かいしゅう 不能 ふのう (貸倒 かしだお れ)になるリスクの軽減 けいげん を目的 もくてき に、その損失 そんしつ を見越 みこ して行 おこな われる会計 かいけい 処理 しょり であり、監査 かんさ 法人 ほうじん は、本 ほん 債権 さいけん が回収 かいしゅう 不能 ふのう になることをカネボウ側 がわ が視野 しや に入 い れている可能 かのう 性 せい の指摘 してき をしたと推測 すいそく した。
2007年 ねん 9月28日 にち 、旧 きゅう カネボウの主要 しゅよう 三 さん 事業 じぎょう の営業 えいぎょう 譲渡 じょうと に反対 はんたい する株主 かぶぬし の株式 かぶしき 買取 かいとり 価格 かかく 請求 せいきゅう 事件 じけん において、鑑定 かんてい 人 じん より鑑定 かんてい 結果 けっか が提出 ていしゅつ される。価格 かかく は、トリニティ・3ファンド側 がわ がTOBや買取 かいとり 請求 せいきゅう で提示 ていじ した価格 かかく である162円 えん を大幅 おおはば に上回 うわまわ る323円 えん とされた(後 のち にミスの訂正 ていせい により360円 えん に改 あらた められた)。同 どう 鑑定 かんてい では、価格 かかく 決定 けってい に原告 げんこく 側 がわ が主張 しゅちょう するDCF法 ほう を採用 さいよう したとされている。一方 いっぽう トリニティ・3ファンド側 がわ も、TOB価格 かかく を決定 けってい するにおいてDCF法 ほう を採用 さいよう したとしているが、両者 りょうしゃ の価格 かかく には大 おお きな隔 へだ たりがあった。
2008年 ねん 3月14日 にち 、先 さき の東京 とうきょう 地裁 ちさい での「株式 かぶしき 買取 かいとり 価格 かかく 決定 けってい 申請 しんせい 事件 じけん 」ついて、裁判 さいばん 長 ちょう は「1株 かぶ 360円 えん 」の鑑定 かんてい 結果 けっか を追認 ついにん する決定 けってい をした、しかし旧 きゅう カネボウ側 がわ ・株主 かぶぬし ともにこの決定 けってい を不服 ふふく として東京 とうきょう 高裁 こうさい に即時 そくじ 抗告 こうこく を行 おこな ったが、2010年 ねん 5月 がつ 26日 にち に東京 とうきょう 高裁 こうさい は双方 そうほう の抗告 こうこく を却下 きゃっか 。株主 かぶぬし 側 がわ による最高裁 さいこうさい への特別 とくべつ 抗告 こうこく も却下 きゃっか されて、買取 かいとり 価格 かかく は360円 えん と確定 かくてい した[ 注 ちゅう 2] 。
慶応 けいおう 閥 ばつ の代表 だいひょう 的 てき 企業 きぎょう として長年 ながねん 知 し られ、15年 ねん 以上 いじょう 長期 ちょうき 君臨 くんりん した武藤 むとう 山治 やまじ 、津田 つだ 信吾 しんご 、武藤 むとう 絲 いと 治 ち 、伊藤 いとう 淳二 じゅんじ (これ以外 いがい はすべて6年 ねん 以下 いか )の4人 にん は全員 ぜんいん 慶応 けいおう 卒 そつ である。
※原則 げんそく として一 いち 社 しゃ 提供 ていきょう 番組 ばんぐみ のみ掲載 けいさい
1968年 ねん から2003年 ねん まで水着 みずぎ キャンペーンガールを起用 きよう 。終了 しゅうりょう 直前 ちょくぜん の正式 せいしき 名称 めいしょう は、カネボウスイムウエアイメージモデル。
松尾 まつお 健治 けんじ 『組織 そしき 衰退 すいたい のメカニズム:歴史 れきし 活用 かつよう がもたらす罠 わな 』白桃 はくとう 書房 しょぼう 、2022年 ねん 2月 がつ 。ISBN 9784561267638 。 - 旧 きゅう カネボウが戦後 せんご に衰退 すいたい していくプロセスとメカニズムについて、史料 しりょう や関係 かんけい 者 しゃ の証言 しょうげん をもとに詳細 しょうさい に分析 ぶんせき した経営 けいえい 学 がく の書籍 しょせき 。