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カネボウ (1887-2008) - Wikipedia

カネボウ (1887-2008)

1887-2008ねん存在そんざいした日本にっぽん企業きぎょう
しょうふかし紡績ぼうせきから転送てんそう

カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ英文えいぶん社名しゃめいKanebo, Ltd.)は、かつて繊維せんいをはじめ化粧けしょうひん食品しょくひん薬品やくひんにち用品ようひんなどの事業じぎょう展開てんかいしていた日本にっぽん会社かいしゃ2007ねん6月30にち解散かいさん決議けつぎされ、同時どうじ清算せいさん会社かいしゃとして海岸かいがんベルマネジメント株式会社かぶしきがいしゃ(かいがんベルマネジメント)に商号しょうごう変更へんこう2008ねん11月11にちトリニティ・インベストメント株式会社かぶしきがいしゃ清算せいさん目的もくてき吸収きゅうしゅう合併がっぺいされて消滅しょうめつした。

トリニティ・インベストメント

編集へんしゅう
トリニティ・インベストメント株式会社かぶしきがいしゃ
Trinity Investment Co.,Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 108-0022
東京とうきょうみなと海岸かいがん3-20-20
合併がっぺいまえ東京とうきょう千代田ちよだ紀尾井町きおいちょう4ばん5ごうから移転いてん
設立せつりつ 1979ねん5がつ22にち株式会社かぶしきがいしゃカーセブン)
法人ほうじん番号ばんごう 6010401061691  
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく 五木田ごきた律子りつこ
資本しほんきん 4おく6,000まんえん
主要しゅよう株主かぶぬし 3投資とうし会社かいしゃ運営うんえいするファンドの出資しゅっしする会社かいしゃ (100%)
特記とっき事項じこう海岸かいがんベルマネジメントに出資しゅっししたファンドけい会社かいしゃ。2008ねん11月11にち海岸かいがんベルマネジメントを吸収きゅうしゅう合併がっぺいし、同社どうしゃ所在地しょざいち移転いてん
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かつて存在そんざいしたカネボウ株式会社かぶしきがいしゃ粉飾ふんしょく決算けっさん事件じけんともなう、産業さんぎょう再生さいせい機構きこうによる支援しえん決定けっていけて、以下いか目的もくてきに、投資とうし会社かいしゃ(ファンド)3しゃアドバンテッジ パートナーズ有限ゆうげん責任せきにん事業じぎょう組合くみあい株式会社かぶしきがいしゃMKSパートナーズユニゾン・キャピタル)が、既設きせつ休眠きゅうみん会社かいしゃ活用かつようした目的もくてき会社かいしゃである。

当社とうしゃ目的もくてき以下いかとおり。
  • カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ傘下さんかおさめる
    カネボウ化粧けしょうひんきゅう・カネボウブティック)との株式かぶしき相互そうご持合もちあい解消かいしょうさいして、同社どうしゃつカネボウかぶゆずけ、カネボウを傘下さんかおさめた。その株式かぶしき公開こうかい買付かいつ(TOB)を実施じっし(2005ねん6がつ10日とおか上場じょうじょう廃止はいしのカネボウ株価かぶか360えんたいし、2006ねん2がつから3がつにかけて1かぶあたり162えんでTOBが成立せいりつ。この金額きんがくたいして不当ふとうであるとしてTOBにおうじなかった株主かぶぬしなどから告訴こくそがなされ、係争けいそうつづいている)。
  • カネボウ株式会社かぶしきがいしゃとは一切いっさい資本しほん関係かんけいのないざら会社かいしゃ3しゃ(カネボウ・トリニティ・ホールディングス、ならびに同社どうしゃ子会社こがいしゃのカネボウホームプロダクツ、カネボウ製薬せいやく)に事業じぎょう譲渡じょうと会社かいしゃ分割ぶんかつではない)
    ざら会社かいしゃ各社かくしゃ商号しょうごうにあった「カネボウ」が「クラシエ」に変更へんこうされたのは、「カネボウ」の商標しょうひょうけんがカネボウ化粧けしょうひん譲渡ゆずりわたされていたこと、その商標しょうひょうけん譲渡じょうと一定いってい期間きかんはカネボウ化粧けしょうひんから商標しょうひょう使用しよう許可きょかされていたが、その期限きげん到来とうらいしたことによる。
  • カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ子会社こがいしゃ(カネボウフーズ)の株式かぶしきをカネボウ・トリニティ・ホールディングスに売却ばいきゃく
  • カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ海岸かいがんベルマネジメント株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこう)を吸収きゅうしゅう合併がっぺい方式ほうしきにて合併がっぺいし、合併がっぺい時点じてんにおける同社どうしゃ株主かぶぬしやく83%は当社とうしゃのこやく17%は2006ねんのTOBにおうじなかった株主かぶぬし)について(存続そんぞく会社かいしゃである当社とうしゃ株式かぶしき割当わりあてではなく)金銭きんせん交付こうふ実施じっし(1かぶあたり130えん

しょうふかし紡績ぼうせき株式会社かぶしきがいしゃとして

編集へんしゅう
海岸かいがんベルマネジメント株式会社かぶしきがいしゃ
きゅうカネボウ株式会社かぶしきがいしゃ
Kaigan Bell Management, Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ(2008ねん11月11にち吸収きゅうしゅう合併がっぺいにて消滅しょうめつ
市場いちば情報じょうほう
東証とうしょう1 3102
1949ねん5がつ16にち - 2005ねん6がつ13にち
本社ほんしゃ所在地しょざいち 東京とうきょうみなと海岸かいがん3-20-20 ヨコソーレインボータワー
設立せつりつ 1944ねん2がつ1にちしょうふかし工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ)(ちゅう1)
業種ぎょうしゅ 化学かがく
法人ほうじん番号ばんごう 6010401061691  
事業じぎょう内容ないよう 清算せいさん業務ぎょうむ清算せいさんまえはトイレタリー製品せいひん薬品やくひん食品しょくひんなどの製造せいぞう販売はんばい
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう清算せいさんじん 中嶋なかじま章義あきよし
資本しほんきん 1おくえん(2006ねん9がつ下旬げじゅんに350おく9998まん5000えんから減資げんし
主要しゅよう株主かぶぬし トリニティ・インベストメント株式会社かぶしきがいしゃ(83%)
特記とっき事項じこうちゅう1:しょうふかし紡績ぼうせき株式会社かぶしきがいしゃ(1887ねん5がつ6にち東京とうきょう綿めん商社しょうしゃとして設立せつりつし、1893ねんしょうふかし紡績ぼうせき社名しゃめい変更へんこう)としょうふかし実業じつぎょう株式会社かぶしきがいしゃとの新設しんせつ合併がっぺいにより設立せつりつ1946ねん5月に「しょうふかし紡績ぼうせき株式会社かぶしきがいしゃ」に商号しょうごう変更へんこう1971ねん12月に「鐘紡かねぼう株式会社かぶしきがいしゃ」に商号しょうごう変更へんこう2001ねん1がつに「カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ」に商号しょうごう変更へんこう。2007ねん6がつ30にち解散かいさん決議けつぎをし、同時どうじ清算せいさん会社かいしゃとして「海岸かいがんベルマネジメント株式会社かぶしきがいしゃ」に商号しょうごう変更へんこう。2008ねん11月11にち、トリニティ・インベストメント株式会社かぶしきがいしゃ清算せいさん目的もくてき吸収きゅうしゅう合併がっぺいされて消滅しょうめつ
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1887ねん創業そうぎょう。かつての商号しょうごうである「しょうふかし紡績ぼうせき株式会社かぶしきがいしゃ(かねがふちぼうせき)」がしめすとおり、創業そうぎょう業種ぎょうしゅ繊維せんい事業じぎょうで、天然てんねん繊維せんい化学かがく繊維せんい両方りょうほうがけていた。じゅうだい紡績ぼうせき会社かいしゃじゅうだい)のひとつであった。

カネボウ時代じだい現在げんざい東証とうしょうだい1(現在げんざいのプライム)に上場じょうじょうし、特定とくてい企業きぎょうグループにはぞくしていないものの三井みつい銀行ぎんこうげん三井住友銀行みついすみともぎんこう)を主力しゅりょく取引とりひき銀行ぎんこうとしていたため、かつての三井みつい財閥ざいばつけいふくまれることがあった。

番組ばんぐみ筆頭ひっとう提供ていきょうクレジットにおけるキャッチコピー「うつくしきヒューマンライフを目指めざすカネボウ」(のちに「芸術げいじゅつ産業さんぎょう目指めざすカネボウ」)や、コマーシャルにおける「Kanebo, For Beautiful Human Life.(カネボウ、うつくしい人間にんげん生活せいかつのために)」のサウンドロゴでられていた。ところが文法ぶんぽうてきあやまりがあるためにその意味いみが「カネボウ、うつくしいヒトがた生物せいぶつのために」「カネボウ、(我々われわれは)うつくしいヒトがた生命せいめいたい味方みかた(です)」[1]となってしまうため、英語えいごネイティブからは不評ふひょうだった。サウンドロゴは基本きほんてき女性じょせいであるが、男性だんせいようおよ企業きぎょうCMの場合ばあい男性だんせいおこなっていた。90年代ねんだい状況じょうきょうによっては使用しようしない、サウンドロゴ背景はいけい割愛かつあいする場合ばあいもあった。

かつてっていた事業じぎょう以下いかのような変遷へんせん辿たどっている。

  • 創業そうぎょう当時とうじ事業じぎょうである繊維せんい事業じぎょうは、一部いちぶが2005ねん7がつ1にちセーレン子会社こがいしゃ・KBセーレンに譲渡ゆずりわたされたほか、KBスピニング(げんKBツヅキ)、ベルポリエステルプロダクツなどが継承けいしょうしている。
  • ホームプロダクツ・製薬せいやく食品しょくひん事業じぎょう朋友ほうゆうホールディングス傘下さんかクラシエ継承けいしょうしている。前身ぜんしんは2006ねん時点じてんまできゅうカネボウにのこっていた事業じぎょう新旧しんきゅう分離ぶんり継承けいしょうしたカネボウ・トリニティ・ホールディングスおよびその事業じぎょう子会社こがいしゃであり、現在げんざいきゅうカネボウと同一どういつ本社ほんしゃ事業じぎょう継続けいぞくしている。また公式こうしきサイトではきゅうカネボウのぜん事業じぎょう会社かいしゃ歴史れきしとしてあつかっている[2]
  • 化粧けしょうひん事業じぎょうとブランド商標しょうひょうけん花王かおう子会社こがいしゃカネボウ化粧けしょうひん売却ばいきゃくされた。

カネボウの社名しゃめい由来ゆらい

編集へんしゅう

東京とうきょうみなみ葛飾かつしかぐん墨田すみだむらかねふちげん東京とうきょう墨田すみだ墨田すみだ北部ほくぶ[3])で創業そうぎょうした紡績ぼうせき会社かいしゃであるため。のち略称りゃくしょう鐘紡かねぼう(カネボウ)が正式せいしき社名しゃめいとなる。

また、以下いかとおり、各地かくちに「鐘紡かねぼうまち」という地名ちめい存在そんざいする。これは、同地どうちにカネボウ関連かんれん工場こうじょうがあったことに由来ゆらいする。

  • 山口やまぐちけん防府ほうふ鐘紡かねぼうまち - かつて同地どうちにカネボウ防府ほうふ工場こうじょうがあったが、カネボウの経営けいえい再建さいけんちゅう閉鎖へいさされた。跡地あとちはベルポリエステルプロダクツの工場こうじょうとなったほか、2008ねん3がつ14にち跡地あとち一部いちぶにロックシティ防府ほうふげんイオンタウン防府ほうふ)が開店かいてんした。
  • 富山とやまけん高岡たかおか鐘紡かねぼうまち - カネボウ製薬せいやく承継しょうけいしたきゅうクラシエ製薬せいやく(のちにクラシエの工場こうじょうとなっている)の工場こうじょうがある。
  • 滋賀しがけん長浜ながはま鐘紡かねぼうまち - カネボウの繊維せんい事業じぎょう承継しょうけいしたKBセーレンの工場こうじょうがある。
  • 長野ながのけん長野ながの大字だいじ若里わかさと鐘紡かねぼう - げん長野ながの若里わかさと丁目ちょうめろく丁目ちょうめ1993ねんまでカネボウ綿糸めんし長野ながの工場こうじょう存在そんざい跡地あとち長野ながの赤十字せきじゅうじ病院びょういん工場こうじょう存在そんざいちゅう1983ねん工場こうじょう敷地しきち一部いちぶ使用しようして開設かいせつ)、長野ながの保健所ほけんじょ水野みずの美術館びじゅつかんなど。また、鐘紡かねぼうゆう園地えんちという公園こうえん同地どうち存在そんざいする。特筆とくひつすることとして、1993ねん長野ながの売却ばいきゃくされた工場こうじょう建物たてもの一部分いちぶぶん改装かいそううえ1998ねん長野ながのオリンピックパラリンピックとき活字かつじメディアのメインプレスセンターとして活用かつようされた。パラリンピック終了しゅうりょうこわされ、現在げんざい若里わかさと多目的たもくてき広場ひろばとして整備せいびされている。[4]

事業じぎょうしょ

編集へんしゅう
  • 本社ほんしゃ - 東京とうきょうみなと海岸かいがん3-20-20 ヨコソーレインボータワー
    同地どうち横浜よこはま倉庫そうこ本社ほんしゃビルであり、清算せいさん法人ほうじんとなった海岸かいがんベルマネジメント、トリニティ・インベストメント(海岸かいがんベルマネジメントを吸収きゅうしゅう合併がっぺい)、クラシエもそれぞれ本社ほんしゃ所在地しょざいちとしている。

日本にっぽん最大さいだい企業きぎょう戦後せんご復興ふっこう

編集へんしゅう

1887ねん明治めいじ20ねん)に東京とうきょうみなみ葛飾かつしかぐん隅田すだむら通称つうしょうかねふち[ちゅう 1]東京とうきょう綿めん商社しょうしゃとして創立そうりつされ、初代しょだい頭取とうどりには三越みつこしとくみぎ衛門えもん就任しゅうにんした。紡績ぼうせき会社かいしゃとして創業そうぎょうした企業きぎょうであった。紡績ぼうせき工場こうじょう1889ねん完成かんせいした[5]戦前せんぜん繊維せんい産業さんぎょうはかつての鉄鋼てっこう現在げんざい自動車じどうしゃ匹敵ひってきする基幹きかん産業さんぎょうであり、武藤むとう山治やまじ支配人しはいにん社長しゃちょうをつとめた明治めいじから昭和しょうわ初期しょきにかけて、国内こくない企業きぎょう売上うりあげだか1ほこ隆盛りゅうせいきわめた[5]。また、しょうふかしデイゼル工業こうぎょうげんUDトラックス)や茨木いばらぎ自動車じどうしゃ現在げんざい近鉄きんてつバス一部いちぶ)などの業種ぎょうしゅ傘下さんかにおさめていた。なお「かねふち」の通称つうしょうは、東武とうぶ伊勢崎線いせさきせんかねふちえき駅名えきめいとしてそののこしている。昭和しょうわ恐慌きょうこうの1930ねん鐘紡かねぼうの4わり減給げんきゅうあん反対はんたいし、かく工場こうじょうだい争議そうぎ発展はってん中間なかま日本にっぽん労働ろうどう組合くみあいそう連合れんごう指導しどうしたが、敗北はいぼくてき解決かいけつわった。

だい世界せかい大戦たいせんした1945ねん空襲くうしゅうとうで、兵庫ひょうご工場こうじょうなど国内外こくないがい工場こうじょううしない、カネボウ(以下いか「カネボウ」としるす)はゼロからさい出発しゅっぱつすることになった。またきゅう経営けいえいじん公職こうしょく追放ついほうされたことをけ、1947ねん武藤むとう山治やまじ息子むすこ武藤むとういと社長しゃちょう就任しゅうにんし、1949ねん繊維せんい事業じぎょう鐘淵化学工業かねがふちかがくこうぎょう通称つうしょうかねげんカネカ)として分離ぶんり独立どくりつさせた。その1961ねんには、化粧けしょうひん事業じぎょうかねからもどし(げんカネボウ化粧けしょうひん)、1964ねんには、ガムメーカーのハリスげんクラシエ フーズカンパニー)を買収ばいしゅうして食品しょくひん事業じぎょう進出しんしゅつ1966ねんには、山城やましろ製薬せいやく買収ばいしゅうして薬品やくひん事業じぎょうげん・クラシエ 薬品やくひんカンパニー)に参入さんにゅうするなど、繊維せんい事業じぎょう進出しんしゅつしていった(グレーター・カネボウ計画けいかく)。このあいだ創業そうぎょう紡績ぼうせき工場こうじょう1963ねん化粧けしょうひん工場こうじょう転換てんかんし、1969ねんには閉鎖へいさされた[5]。また経営けいえいめんでは、1958ねん経営けいえい危機ききに、労使ろうし運命うんめい共同きょうどうたい路線ろせん確立かくりつした。1968ねん武藤むとういと会長かいちょう退しりぞき、45さい伊藤いとう淳二じゅんじ社長しゃちょういた。

ペンタゴン経営けいえい絶頂ぜっちょう終焉しゅうえん

編集へんしゅう

社長しゃちょう就任しゅうにんした伊藤いとうは、武藤むとういとのグレーター・カネボウ計画けいかくぎ、労使ろうし運命うんめい共同きょうどうたいろん=労使ろうし協調きょうちょう、ペンタゴン経営けいえい=多角たかく路線ろせん繊維せんい化粧けしょうひん食品しょくひん薬品やくひん住宅じゅうたくの5事業じぎょうからなる[6])を推進すいしんした。とくにペンタゴン経営けいえいまれた化粧けしょうひん事業じぎょうは、1970年代ねんだい高度こうど経済けいざい成長せいちょうから1980年代ねんだい安定あんてい成長せいちょうにかけて、猛烈もうれつ営業えいぎょう攻勢こうせい人気にんきタレントを起用きようした宣伝せんでん広告こうこくげをばし、業界ぎょうかい首位しゅい資生堂しせいどうげていった。

しかし、この経営けいえい路線ろせん後々あとあとのカネボウにとって不幸ふこうとなった。労使ろうし協調きょうちょう路線ろせん経営けいえい不振ふしん整理せいり解雇かいこあしかせとなり、わりに自然しぜん退職たいしょく採用さいよう抑制よくせいによって人員じんいん整理せいりおこなわれたが、抜本ばっぽんてきなリストラにはれなかった。一方いっぽうのペンタゴン経営けいえい化粧けしょうひん以外いがいはいずれも業界ぎょうかいでは中途半端ちゅうとはんぱ規模きぼまる採算さいさん事業じぎょうとなり、創業そうぎょう以来いらい業種ぎょうしゅである繊維せんい事業じぎょう毎期まいき損失そんしつ計上けいじょうしていた。しかし事業じぎょう赤字あかじでも、化粧けしょうひん事業じぎょうがそれをおぎなってあまりあるこう収益しゅうえきげていたため、社内しゃないから経営けいえいじょう危機ききかん経営けいえい刷新さっしんおこな意欲いよく喪失そうしつさせた。

1973ねん昭和しょうわ48ねん)に発生はっせいしたオイルショックは、カネボウのみならず繊維せんい業界ぎょうかい全体ぜんたい影響えいきょうあたえた。カネボウはこの事態じたい対処たいしょするため人員じんいん削減さくげん工場こうじょう閉鎖へいさ機能きのう移転いてん採算さいさん事業じぎょう撤退てったい子会社こがいしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいするなどの経営けいえい改革かいかくんだ。その結果けっか1983ねんには8ねんぶりの復配ふくはいとなった。1984ねん伊藤いとう後継こうけい社長しゃちょう岡本おかもとすすむ指名しめい会長かいちょう退しりぞいた。

しん社長しゃちょう就任しゅうにんした岡本おかもともと従来じゅうらいのペンタゴン経営けいえいわる21世紀せいきへの経営けいえいビジョンとして情報じょうほうシステム、エレクトロニクス、機能きのうせい高分子こうぶんし、バイオテクノロジーを中心ちゅうしんとしたプレセンチュリー計画けいかくし、1988ねんには創業そうぎょう110周年しゅうねんにあたる1997ねんまでにグループ売上うりあげだか1ちょうえん経常けいじょう利益りえき500おくえん目標もくひょうとした110計画けいかくがスタートした。おりからのバブル景気けいきによって売上うりあげ増加ぞうかしたが、新規しんき事業じぎょう参入さんにゅうした結果けっか設備せつび投資とうしのための借入金かりいれきん増加ぞうかした。バブル崩壊ほうかい1992ねん伊藤いとう名誉めいよ会長かいちょう退しりぞ経営けいえいだい一線いっせんから退しりぞいた。

ちなみに伊藤いとうはカネボウでの実績じっせき評価ひょうかされ、1985ねんには日航にっこうジャンボ機じゃんぼき墜落ついらく事故じこ経営けいえい再建さいけん急務きゅうむだった日本航空にほんこうくう会長かいちょう抜擢ばってきされる。しかし、労使ろうし対立たいりつはげしい日航にっこうでは得意とくい労使ろうし協調きょうちょう路線ろせんれられず、結果けっかせぬまま1ねんあまりで政府せいふにより更迭こうてつされた(この状況じょうきょう山崎やまざき豊子とよこ小説しょうせつしずまぬ太陽たいよう』に詳説しょうせつされているが、ほんさくは、伊藤いとうについて脚色きゃくしょくおおいといわれる)。

相次あいつ分社ぶんしゃ子会社こがいしゃ合併がっぺい

編集へんしゅう

バブル崩壊ほうかい、カネボウは事業じぎょう一部いちぶ分社ぶんしゃ子会社こがいしゃ同士どうし合併がっぺいすすめる。1993ねんには食品しょくひん本部ほんぶ分社ぶんしゃし、同時どうじにベルフーズと合併がっぺいしカネボウフーズを設立せつりつ1994ねんにはストッキング事業じぎょう1995ねんには椎茸しいたけ事業じぎょう1996ねん1997ねんには綿めん羊毛ようもう合繊ごうせん事業じぎょう化粧けしょうひん事業じぎょう一部いちぶをそれぞれ分社ぶんしゃ1998ねんにはカネボウシルクエレガンスを本体ほんたい吸収きゅうしゅう合併がっぺいした。1999ねんには医療いりょうよう新薬しんやく事業じぎょう化成かせいひん事業じぎょう2000ねんには情報じょうほうシステム事業じぎょうをそれぞれ営業えいぎょう譲渡じょうとした。

1998ねん社長しゃちょう就任しゅうにんした帆足ほあしたかしは、カネボウではまったくの傍流ぼうりゅうだった。1961ねん松山まつやま商科しょうか大学だいがく卒業そつぎょう、カネボウの大阪おおさか子会社こがいしゃ・カネボウ化粧けしょうひん販売はんばい入社にゅうしゃ猛烈もうれつ営業えいぎょう頭角とうかくあらわし、30だい支配人しはいにん抜擢ばってきされていた。

その活躍かつやくぶりが伊藤いとうまり、本社ほんしゃ登用とうよう。そのもノルマ強化きょうか化粧けしょうひん事業じぎょう増収ぞうしゅう増益ぞうえきさせ、成果せいかげての社長しゃちょう就任しゅうにんだった。歴代れきだい社長しゃちょうは「慶大けいだいそつ本社ほんしゃ管理かんり部門ぶもん出身しゅっしんしゃ」(前述ぜんじゅつ武藤むとう親子ちかこ伊藤いとうはこの条件じょうけんてはまる)がめるなかで、傍流ぼうりゅうの「地方ちほう大学だいがくそつ子会社こがいしゃ出身しゅっしんしゃ」である帆足ほあし抜擢ばってきは、まさに異例いれいちゅう異例いれいだった。

かえされる粉飾ふんしょく産業さんぎょう再生さいせい機構きこう傘下さんか

編集へんしゅう

売上うりあげ目標もくひょう必達を厳命げんめいしたものの、繊維せんいをはじめとするほか事業じぎょう赤字あかじ化粧けしょうひん事業じぎょう黒字くろじ補完ほかんする収益しゅうえき構造こうぞうつづき、過酷かこくなノルマ達成たっせいももはや不可能ふかのうとなっていた。帆足ほあしは「モーニングコーヒーからよるさかまで一緒いっしょだった」とひょうされる宮原みやはらたくふく社長しゃちょうはない、2001ねん債務さいむ超過ちょうかかくすため、粉飾ふんしょく決算けっさんかえすことになる。

バブル崩壊ほうかい以降いこう粉飾ふんしょく決算けっさんかえされたのは、それを黙認もくにんする企業きぎょう風土ふうどくわえ、2000ねん3がつから導入どうにゅうされた連結れんけつ決算けっさん重視じゅうしする、しん会計かいけい基準きじゅん実質じっしつ支配しはいりょく基準きじゅん)もおおきく影響えいきょうしていた。連結れんけつ決算けっさんにより、最終さいしゅう利益りえき赤字あかじ債務さいむ超過ちょうかおちいっていることが判明はんめいすると銀行ぎんこう融資ゆうし不可能ふかのうになり、また上場じょうじょう廃止はいし確実かくじつだったためである。

平成へいせい14ねん3がつ決算けっさん [7]
セグメント 営業えいぎょう利益りえき (ひゃくまんえん)
化粧けしょうひん 25,646
ホームプロダクツ 6,995
繊維せんい △8,620
食品しょくひん 2,272
薬品やくひん △1,106
その △995
連結れんけつ 23,816

2002ねん決算けっさんでは、業績ぎょうせき不振ふしん子会社こがいしゃ15しゃふくめた連結れんけつ決算けっさんしょ作成さくせい義務ぎむづけられ、やく260おくえん赤字あかじを7000まんえん黒字くろじに、やく1900おくえん債務さいむ超過ちょうかを9おく2600まんえん資産しさん超過ちょうか粉飾ふんしょくした有価ゆうか証券しょうけん報告ほうこくしょ提出ていしゅつ[7]よく年度ねんど同様どうよう手口てぐち粉飾ふんしょくかえした。しかし、こうした架空かくうげはいたずらに損失そんしつ累積るいせきさせ、抜本ばっぽんてき改革かいかく先送さきおくりされた。結局けっきょく2003ねん決算けっさんで3553おくえんにもおよ債務さいむ超過ちょうかにつながることになる。

2004ねん最後さいご自主じしゅ再建さいけんさくとして化粧けしょうひん部門ぶもん花王かおうへの売却ばいきゃく発表はっぴょうされるが、労働ろうどう組合くみあい反対はんたい頓挫とんざした。以後いご経営けいえい迷走めいそうつづけ、同年どうねん産業さんぎょう再生さいせい機構きこう支援しえん要請ようせいした。産業さんぎょう再生さいせい機構きこうは、当初とうしょカネボウおよびカネボウ化粧けしょうひん一体いったい再生さいせい目的もくてきとして減資げんし強行きょうこうするが、のち一体いったい再生さいせい撤回てっかいし、分離ぶんり再生さいせい方針ほうしん変更へんこうする。

2005ねん5月、東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょおよび大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょがカネボウかぶ上場じょうじょう廃止はいし決定けってい上場じょうじょう最終さいしゅう6がつ10日とおか廃止はいし6月13にちとなった。また7がつ29にちには、帆足ほあしもと社長しゃちょう宮原みやはらもとふく社長しゃちょうきゅう経営けいえいじん証券しょうけん取引とりひきほう違反いはん逮捕たいほされている。同年どうねん9がつ13にちには同社どうしゃ会計かいけい監査かんさにあたっていながら、粉飾ふんしょく決算けっさん指南しなんしていた中央ちゅうおう青山あおやま監査かんさ法人ほうじん公認こうにん会計士かいけいし4めい証券しょうけん取引とりひきほう違反いはん逮捕たいほされた(これにより中央ちゅうおう青山あおやま監査かんさ法人ほうじんは2006ねん金融きんゆうちょうから業務ぎょうむ停止ていし命令めいれいけ、のち解散かいさんまれた)。

2006ねん2がつ、カネボウ化粧けしょうひん花王かおうへの売却ばいきゃくともない「カネボウ」の商標しょうひょうけんがカネボウ化粧けしょうひん譲渡ゆずりわたされた。これにより、のこったカネボウ本体ほんたい買収ばいしゅうした投資とうしファンド傘下さんかでの事業じぎょうは、あらたなブランドめいの「クラシエ」にえられた。

2006ねん5月1にちには、カネボウは営業えいぎょうけんをカネボウ・トリニティ・ホールディングスに譲渡じょうとし、同社どうしゃ統括とうかつ会社かいしゃとする、しんカネボウグループとしてさいスタートをった。なお、きゅうカネボウとカネボウ・トリニティ・ホールディングスには資本しほん関係かんけいはなく、完全かんぜん独立どくりつしたべつ会社かいしゃである。

カネボウ解散かいさん会社かいしゃ消滅しょうめつ

編集へんしゅう

このように経営けいえい破綻はたん寸前すんぜんとなったカネボウは、2007ねん4がつ27にち取締役とりしまりやくかいにて、カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ解散かいさん定時ていじ株主かぶぬし総会そうかいにて上程じょうていすることを決議けつぎ。2007ねん6月28にちだい90かい定時ていじ株主かぶぬし総会そうかい開催かいさい多数たすう質問しつもんたが、解散かいさんふく議案ぎあん採決さいけつされる。

2007ねん6月30にちにカネボウとしての最終さいしゅう営業えいぎょうむかえ、このをもってカネボウは解散かいさんし、事実じじつじょう、120ねんにわたる歴史れきしまくりた。経営けいえい破綻はたん寸前すんぜんまぬかれたものの、実質じっしつてきにはほとんど経営けいえい破綻はたんしていた状況じょうきょうであった。

カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ海岸かいがんベルマネジメント株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこう清算せいさん業務ぎょうむのみをおこな会社かいしゃとして、残余ざんよ資産しさん株主かぶぬし配分はいぶんするひとし処分しょぶんすす清算せいさんかっていたが、清算せいさんゆいりょうによる自主じしゅ廃業はいぎょうとしての消滅しょうめつではなく、筆頭ひっとう株主かぶぬしのトリニティ・インベストメントに2008ねん11月11にちづけ合併がっぺいされ、名実めいじつどもにカネボウの法人ほうじんかく消滅しょうめつした。この合併がっぺいさいして、(存続そんぞく会社かいしゃ株式かぶしき割当わりあてではなく)合併がっぺい交付こうふきん交付こうふおこなわれたが、その金銭きんせん交付こうふがくが2006ねんのTOBよりもさらに少額しょうがくとなる1かぶあたり130えんであったことにたいして、海岸かいがんベルマネジメントのかぶを83%を保有ほゆうするトリニティ・インベストメント以外いがい株主かぶぬしからさらなる反発はんぱつけた。

2007ねん7がつ1にちには、カネボウの事業じぎょう承継しょうけいしていたカネボウ・トリニティ・ホールディングス、カネボウホームプロダクツ、カネボウフーズ、カネボウ製薬せいやくカネボウ薬品かねぼうやくひん各社かくしゃが、クラシエホールディングス、クラシエホームプロダクツ、クラシエフーズ、クラシエ製薬せいやくクラシエ薬品やくひんへ、それぞれ商号しょうごう変更へんこうしている。2023ねん10がつ1にちにはグループの再編さいへんおこなわれ、クラシエホームプロダクツ・クラシエフーズ・クラシエ製薬せいやくの3しゃはクラシエHDに吸収きゅうしゅう合併がっぺいされたうえで「クラシエ株式会社かぶしきがいしゃ」に、クラシエ薬品やくひんはクラシエの子会社こがいしゃとなった。

沿革えんかく

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再生さいせいファンドと少数しょうすう株主かぶぬし対立たいりつ

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2005ねん5がつ12にち東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ一連いちれん粉飾ふんしょく決算けっさん上場じょうじょう廃止はいし基準きじゅん該当がいとうするとし、カネボウの上場じょうじょう廃止はいし決定けっていする。産業さんぎょう再生さいせい機構きこうおよび経済けいざい産業さんぎょうしょう中心ちゅうしん東証とうしょう上場じょうじょう継続けいぞくもとめるこえもあったが、市場いちば信頼しんらいせい維持いじするため上場じょうじょう廃止はいし決定けっていした。大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょは、おくれて5月24にち上場じょうじょう廃止はいし決定けっていした。上場じょうじょう廃止はいしは2005ねん6がつ13にち上場じょうじょう最終さいしゅうは6がつ10にちである。

上場じょうじょう廃止はいし直前ちょくぜん産業さんぎょう再生さいせい機構きこう片山かたやま執行しっこう役員やくいんは、ざら企業きぎょうたいしてTOB実施じっし条件じょうけんにすると発言はつげんし、大幅おおはば下落げらくしていたカネボウかぶ復調ふくちょうきざしをせる。上場じょうじょう最終さいしゅうにおける最終さいしゅう取引とりひき価格かかくは360えんだった。再生さいせい機構きこうは、ぞう減資げんしなどの資本しほん整理せいり事業じぎょう整理せいりのち入札にゅうさつ実施じっしし、花王かおうおよび国内こくない3ファンド(アドバンテッジパートナーズ有限ゆうげん責任せきにん事業じぎょう組合くみあい株式会社かぶしきがいしゃMKSパートナーズユニゾン・キャピタル株式会社かぶしきがいしゃ連合れんごう支援しえん企業きぎょう決定けってい。カネボウおよびカネボウ化粧けしょうひんかぶどうファンドに売却ばいきゃくするが、売却ばいきゃく価格かかくを「守秘しゅひ義務ぎむたる」として公表こうひょうしなかった(どう機構きこうによるダイエー再生さいせいでは、丸紅まるべにへの売却ばいきゃく価格かかく公表こうひょうされている)。

2006ねん2がつ16にち臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいにて、中嶋なかじま会長かいちょうのぞ経営けいえいじんのファンドがわ出身しゅっしんしゃへの交代こうたい決定けってい。そのさい一般いっぱん株主かぶぬしからTOBについて質問しつもんされるが、直前ちょくぜんまでトリニティ・インベストメント代表だいひょう取締役とりしまりやくだったファンド出身しゅっしん小森こもりしん社長しゃちょうは、「トリニティしゃのTOB価格かかくらない」と回答かいとうする。

2006ねん2がつ21にち、カネボウ化粧けしょうひん所有しょゆうするカネボウかぶが3ファンド出資しゅっしざら会社かいしゃトリニティ・インベスティメント株式会社かぶしきがいしゃ譲渡ゆずりわたされ、同社どうしゃがカネボウの筆頭ひっとう株主かぶぬしとなる。同日どうじつ同社どうしゃ株主かぶぬしたいしてTOBを実施じっしする。TOB価格かかく上場じょうじょう廃止はいしの360えんからおおきくかけはなれたもので、またおおくの一般いっぱん株主かぶぬしにとって想定そうていがいの162えんだった。TOBがわのカネボウは、その5にちまえ株主かぶぬし総会そうかいで「らない」といったにもかかわらず、即日そくじつ妥当だとう株価かぶかである」と評価ひょうかする。また、このTOBで一般いっぱん株主かぶぬし郵送ゆうそうされた文書ぶんしょでは「この公開こうかいかいづけ応募おうぼしない場合ばあい産業さんぎょう再生さいせい特別とくべつ措置そちほうもとづく金銭きんせん交換こうかんスクイーズアウト)によっての買取かいとりとなり、162えんである保証ほしょうはない」とう脅迫きょうはくちか文言もんごんならび、なに情報じょうほうたないおおくの株主かぶぬしはTOBにおうじざるをないと解釈かいしゃくしたひとおおかった。

TOB価格かかくについてファンドがわは「DCFほう市場いちば株価かぶか基準きじゅんほうひとし勘案かんあんした結果けっか」162えんであると結論けつろんしたとTOB公告こうこくしるした。しかし、買付かいつけ期間きかん終了しゅうりょう2006ねん3月28にちの7にちまえである3月21にちに、ファンドは市場いちば株価かぶか基準きじゅんほう実際じっさいにはもちいなかったという内容ないようなどをふく公告こうこく訂正ていせいおこなった。市場いちば株価かぶかからかんがえると市場いちば株価かぶか基準きじゅんほうもちいていないことは明白めいはくだったため、ファンドにたいして虚偽きょぎ記載きさいたるとの指摘してきがあったためではないかといわれている。しかし、訂正ていせい公告こうこく買付かいつけ期間きかん終了しゅうりょう直前ちょくぜんだったことや、一般いっぱん株主かぶぬしへの郵送ゆうそうでの公告こうこく訂正ていせい通知つうちおこなわなかったことから、「意図いとてきかくしたのではないか」という批判ひはんおおた。

TOB価格かかく決定けっていについては、トリニティしゃ第三者だいさんしゃ機関きかんである国内こくない証券しょうけん会社かいしゃみずほ証券しょうけんげん資産しさんおよび将来しょうらい業績ぎょうせき予測よそくなどの算定さんてい依頼いらいした。このみずほ証券しょうけんはカネボウかぶ所有しょゆうしていることが判明はんめいし、「第三者だいさんしゃ」とはいえないのではないかとの指摘してきがなされた。またTOB発表はっぴょう数日すうじつまえには、「(TOB価格かかくは)らない」といったカネボウがわは、このTOB価格かかくについて「独自どくじ第三者だいさんしゃ依頼いらいした算定さんてい結果けっか考慮こうりょすると妥当だとう」と取締役とりしまりやくかいにて即時そくじ賛同さんどうしめしているなど、疑惑ぎわくをもたれかねない不審ふしんうごきをせる。

2006ねん3月18にち、ファンドがわしめしたTOBに個人こじん株主かぶぬし有志ゆうしおうじず、株主かぶぬしとしてカネボウのさい上場じょうじょうもとめていく方針ほうしん討議とうぎ。「カネボウ個人こじん株主かぶぬし権利けんりまもかい」を発足ほっそくさせる。

その、TOBは成立せいりつする。しかしファンドがわ予想よそう大幅おおはば下回したまわり、ファンドがわ議決ぎけつけんの85%程度ていどしかめることができなかった。

2006ねん4がつに、主要しゅよう3事業じぎょうのファンドがわ企業きぎょうへの営業えいぎょう譲渡じょうと発表はっぴょうされる。反対はんたいする株主かぶぬしにはかぶ買取かいとり請求せいきゅう可能かのうであることが通知つうちされた。ただし、買取かいとり請求せいきゅう受付うけつけ期間きかんが2週間しゅうかんほどとみじかかったこと、公告こうこく掲載けいさい場所ばしょ限定げんていてきだったこと(カネボウのWEBサイトのみ。法的ほうてきには問題もんだいなし)から、おおくの株主かぶぬし請求せいきゅう可能かのうであることをらずに買取かいとり請求せいきゅう期間きかん終了しゅうりょうした。

2006ねん4がつ21にち、「個人こじん株主かぶぬし権利けんりまもかい有志ゆうしが、東京とうきょう地裁ちさい営業えいぎょう譲渡じょうとめの仮処分かりしょぶんもうてを申請しんせい4がつ28にちどう申請しんせい却下きゃっかされる。5月1にち東京とうきょう高裁こうさい即時そくじ抗告こうこく7がつ28にち仮処分かりしょぶんもうてを却下きゃっかされる。

2006ねん12月4にち、「カネボウ個人こじん株主かぶぬし権利けんりまもかい」を中心ちゅうしんとする個人こじん株主かぶぬしは、2006ねん5がつ営業えいぎょう譲渡じょうとにかかわる免責めんせき債務さいむ承認しょうにんおよ自社じしゃ株式かぶしき担保たんぽについて、「カネボウのぜん株主かぶぬし利益りえき確保かくほするという取締役とりしまりやく忠実ちゅうじつ義務ぎむ違反いはんし、カネボウに損害そんがいあたえた」として、中嶋なかじま会長かいちょう小森こもり社長しゃちょう経営けいえいじん会社かいしゃほう特別とくべつ背任はいにんつみ東京とうきょう地検ちけん刑事けいじ告発こくはつした。東京とうきょう地検ちけん特捜とくそうは2006ねん12月11にち、この刑事けいじ告発こくはつ受理じゅりした。

2006ねん12月13にち、「カネボウ個人こじん株主かぶぬし権利けんりまもかい」を中心ちゅうしんとする個人こじん株主かぶぬしは、中嶋なかじま会長かいちょう小森こもり社長しゃちょう以下いかカネボウ取締役とりしまりやく5めいたいして、営業えいぎょう譲渡じょうと債権さいけん回収かいしゅうぶん425おくえんあまりを連帯れんたいしてカネボウに返済へんさいすることをもとめる株主かぶぬし代表だいひょう訴訟そしょう東京とうきょう地裁ちさいこした。

2006ねん12月27にち、カネボウが発表はっぴょうした2007年度ねんど3がつちゅうあいだ決算けっさんにおいて、さき主要しゅよう3事業じぎょう営業えいぎょう譲渡じょうとともな営業えいぎょう譲渡じょうと代金だいきん債権さいけんについて、かしたおせ引当ひきあてきん計上けいじょうしていることがあきらかになった。これは、監査かんさ法人ほうじんである監査かんさ法人ほうじんトーマツ指摘してきによるものとされており、カネボウ自身じしんはさしたる根拠こんきょもなく、文書ぶんしょちゅうで「ほん営業えいぎょう譲渡じょうと代金だいきん問題もんだいなく回収かいしゅうできるとかんがえている」とべている。しかし、通常つうじょうかしたおせ引当ひきあてきん計上けいじょう対象たいしょう債権さいけん回収かいしゅう不能ふのう貸倒かしだおれ)になるリスクの軽減けいげん目的もくてきに、その損失そんしつ見越みこしておこなわれる会計かいけい処理しょりであり、監査かんさ法人ほうじんは、ほん債権さいけん回収かいしゅう不能ふのうになることをカネボウがわ視野しやれている可能かのうせい指摘してきをしたと推測すいそくした。

2007ねん9月28にちきゅうカネボウの主要しゅようさん事業じぎょう営業えいぎょう譲渡じょうと反対はんたいする株主かぶぬし株式かぶしき買取かいとり価格かかく請求せいきゅう事件じけんにおいて、鑑定かんていじんより鑑定かんてい結果けっか提出ていしゅつされる。価格かかくは、トリニティ・3ファンドがわがTOBや買取かいとり請求せいきゅう提示ていじした価格かかくである162えん大幅おおはば上回うわまわる323えんとされた(のちにミスの訂正ていせいにより360えんあらためられた)。どう鑑定かんていでは、価格かかく決定けってい原告げんこくがわ主張しゅちょうするDCFほう採用さいようしたとされている。一方いっぽうトリニティ・3ファンドがわも、TOB価格かかく決定けっていするにおいてDCFほう採用さいようしたとしているが、両者りょうしゃ価格かかくにはおおきなへだたりがあった。

2008ねん3月14にちさき東京とうきょう地裁ちさいでの「株式かぶしき買取かいとり価格かかく決定けってい申請しんせい事件じけん」ついて、裁判さいばんちょうは「1かぶ360えん」の鑑定かんてい結果けっか追認ついにんする決定けっていをした、しかしきゅうカネボウがわ株主かぶぬしともにこの決定けってい不服ふふくとして東京とうきょう高裁こうさい即時そくじ抗告こうこくおこなったが、2010ねん5がつ26にち東京とうきょう高裁こうさい双方そうほう抗告こうこく却下きゃっか株主かぶぬしがわによる最高裁さいこうさいへの特別とくべつ抗告こうこく却下きゃっかされて、買取かいとり価格かかくは360えん確定かくていした[ちゅう 2]

カネボウの歴代れきだいトップ

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慶応けいおうばつ代表だいひょうてき企業きぎょうとして長年ながねんられ、15ねん以上いじょう長期ちょうき君臨くんりんした武藤むとう山治やまじ津田つだ信吾しんご武藤むとういと伊藤いとう淳二じゅんじ(これ以外いがいはすべて6ねん以下いか)の4にん全員ぜんいん慶応けいおうそつである。

カネボウの関連かんれん会社かいしゃ団体だんたい

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カネボウ再建さいけんのスポンサー企業きぎょう

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カネボウが提供ていきょうしていた番組ばんぐみ

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原則げんそくとしていちしゃ提供ていきょう番組ばんぐみのみ掲載けいさい

カネボウのおも歴代れきだいキャンペーンガール

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1968ねんから2003ねんまで水着みずぎキャンペーンガールを起用きよう終了しゅうりょう直前ちょくぜん正式せいしき名称めいしょうは、カネボウスイムウエアイメージモデル。

テレビ番組ばんぐみ

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関連かんれん書籍しょせき

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  • 松尾まつお健治けんじ組織そしき衰退すいたいのメカニズム:歴史れきし活用かつようがもたらすわな白桃はくとう書房しょぼう、2022ねん2がつISBN 9784561267638。 - きゅうカネボウが戦後せんご衰退すいたいしていくプロセスとメカニズムについて、史料しりょう関係かんけいしゃ証言しょうげんをもとに詳細しょうさい分析ぶんせきした経営けいえいがく書籍しょせき。   

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ げん東京とうきょう墨田すみだ墨田すみだ5丁目ちょうめぼくつつみどお沿い。現在げんざい花王かおうおよび子会社こがいしゃであるカネボウ化粧けしょうひん物流ぶつりゅうセンターとなっており、その一角いっかくにあるカネボウ公園こうえん関係かんけいしゃ以外いがい立入たちいり可能かのう)に「しょうふかし紡績ぼうせき株式会社かぶしきがいしゃ発祥はっしょう」としるされた石碑せきひっている。
  2. ^ 株式かぶしき買取かいとり価格かかく決定けってい申立もうしたて事件じけんにおける株主かぶぬしがわ500めい以上いじょう申立もうしたて代理人だいりにん三井みつい法律ほうりつ事務所じむしょ大塚おおつか和成かずなり西岡にしおか祐介ゆうすけら(げん二重橋にじゅうばし法律ほうりつ事務所じむしょ)。

出典しゅってん

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  1. ^ 副島そえじま隆彦たかひこ英文えいぶんほうなぞく』 ちくま新書しんしょ 1995 ISBN 4480056416
  2. ^ 会社かいしゃ歴史れきし会社かいしゃ概要がいよう企業きぎょう情報じょうほう | クラシエ”. クラシエ. 2024ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  3. ^ 工業こうぎょうとしての発展はってん本所ほんじょ向島むこうじま > 日本にっぽん代表だいひょうする企業きぎょう成長せいちょうした「しょうふかし紡績ぼうせき”. このまちアーカイブス. 三井みつい住友すみともトラスト不動産ふどうさん. 2022ねん7がつ22にち閲覧えつらん
  4. ^ 長野ながの だいななかん 歴史れきしへん 現代げんだい”. adeac.jp. 2024ねん11月17にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c 前田まえだりょう太郎たろう (2012ねん12月24にち). “(東京とうきょう記憶きおくしょうふかし紡績ぼうせき 遷移せんいまち 下町したまち人情にんじょう 日本にっぽん経済けいざい成長せいちょう牽引けんいん”. 読売新聞よみうりしんぶん朝刊ちょうかん都民とみんばん: p. 31 
  6. ^ 名門めいもんカネボウの落日らくじつ
  7. ^ a b カネボウ株式会社かぶしきがいしゃ 平成へいせい14ねん3がつ 決算けっさん短信たんしん連結れんけつ (PDF) (Report). 23 May 2002.
  8. ^ 過去かこ栄光えいこうてろ! 〜企業きぎょう再生さいせいのサムライたち〜 - テレビ東京てれびとうきょう 2004ねん5がつ11にち

外部がいぶリンク

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