塩谷 朝 業
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略歴
こうして
年譜
- 1174
年 (承 安 4年 1月 24日 ) -宇都宮 業 綱 の次男 として朝 業 (幼名 竹 千 代 )誕生 。 - 1192
年 (建 久 3年 ) - 2月 24日 、父 ・業 綱 が夭逝 (37歳 )する。 - 1194
年 6月17日 (建 久 5年 5月 20日 (旧暦 )) –下野 国 国司 の野呂 行 房 から祖父 朝 綱 が公田 掠 領 (百 余 町 )したと訴 えられ、周防 国 に配流 となる。〔吾妻 鏡 〕 - 1199
年 (正治 元年 ) - この頃 から川崎 城 の築城 を開始 する。 - 1204
年 (建 仁 3年 ) -源実朝 が第 3代 将軍 となり、これに仕 えて歌詠 みの相手 となる。 - 1204
年 (建 仁 4年 ) - この頃 までに川崎 城 が竣工 し、居城 を川崎 城 に移 す。 - 1212
年 3月12日 (建 暦 2年 2月 1日 ) -実 朝 が梅 一枝 を持参 させた返歌 として「嬉 しさも匂 いも袖 に余 りける、我 が為 折 れる梅 の初 花 」と詠 む。〔吾妻 鏡 〕 - 1213
年 10月12日 (建 暦 3年 8月 20日 ) -和田 合戦 で将軍 御所 が焼失 したため、新 御所 を建 てて移転 が行 われた。京 からの使者 を新 御所 に迎 えるための行列 の御 後 の一人 として参列 する。〔吾妻 鏡 〕 - 1214
年 9月9日 (建 保 2年 7月 27日 ) -鎌倉 大倉 の大慈寺 新御堂 で供養 があり、随 兵 の一人 として実 朝 に付 き従 う。〔吾妻 鏡 〕 (同年 頃 、妻 死 す。) - 1218
年 7月 27日 (建 保 6年 6月27日 ) -実 朝 右 大将 就任 の拝賀 のため、鶴岡 八幡宮 に参 ずる行列 に衛 尉 の一人 として追従 する。〔吾妻 鏡 〕 - 1219
年 2月 20日 (建 保 7年 1月 27日 ) -実 朝 右大臣 就任 の拝賀 のため、鶴岡 八幡宮 に参 ずる行列 に参列 する。実 朝 、阿闍梨 公 暁 に襲 われて落命 する。〔吾妻 鏡 〕 - 1220
年 (承 久 2年 2月 ) -法然 の後継 者 証 空 上人 の教導 により出家 し、信生 法師 を名乗 る。 - 1225
年 (嘉 禄 元年 ) - 2月 10日 、修行 のため、東海道 を下 る。2月29日 、鎌倉 到着 。3月4日 、北条 政子 の許 しを得 て持仏堂 にて実 朝 の念仏 供養 。 - 1226
年 (嘉 禄 2年 ) -妻 十 三 回忌 。この頃 、川崎 城 に帰 る。 - 1248
年 (宝 治 2年 10月7日 ) -京都 にて客死 。火葬 される。享年 75。