あぐり

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あぐり
ジャンル ドラマ
原作げんさく 吉行よしゆきあぐり梅桃ゆすらうめみのるとき」
脚本きゃくほん 清水しみず有生ゆうせい
演出えんしゅつ 清水しみず一彦かずひこ
だいあきらみやび
遠藤えんどう
大橋おおはしまもる
管原すがわらひろし
本木もとぎ一博かずひろ
はらはやし麻奈まな
出演しゅつえんしゃ 田中たなか美里みさと
野村のむらまんとき
高嶋たかしま政伸まさのぶ
山田やまだ純大じゅんだい
馬渕まぶち英里何えりか
野村のむら宏伸ひろのぶ
磯野いその貴理子きりこ
若林わかばやし久弥ひさや
苅谷かりや俊介しゅんすけ
梅沢うめざわ昌代まさよ
山田やまだ邦子くにこ
森本もりもとレオ
菅井すがいきん
松原まつばら智恵子ちえこ
田村たむらあきら
名取なとり裕子ゆうこ
草笛くさぶえ光子こうし
ほし由里子ゆりこ
吉行よしゆき和子かずこ
里見さとみ浩太朗こうたろう
ナレーター 堀尾ほりお正明まさあき
音楽おんがく 岩代いわしろ太郎たろう
時代じだい設定せってい 明治めいじ40ねん - 昭和しょうわ29ねん
製作せいさく
制作せいさく NHK
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1997ねん4がつ7にち - 10月4にち
放送ほうそう時間じかん15ふん
回数かいすう156
番組ばんぐみ年表ねんぴょう
前作ぜんさくふたりっ
つぎさく甘辛あまからしゃん
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あぐり』は、1997ねん平成へいせい9ねん4がつ7にちから10月4にちまで放送ほうそうされたNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつ』のだい56さく[1]主演しゅえん田中たなか美里みさと

主要しゅよう舞台ぶたいは、岡山おかやまけん岡山おかやま東京とうきょう市ヶ谷いちがや)と山梨やまなしけん

概要がいよう[編集へんしゅう]

ドラマの舞台ぶたいとなった1920年代ねんだい日本にっぽん美容びようしつ様子ようす写真しゃしん初代しょだいメイ牛山うしやま美容びようしつ

美容びようとしてられる吉行よしゆきあぐり[ちゅう 1]実話じつわエッセイをモチーフに展開てんかいされたドラマで、岡山おかやまけん山梨やまなしけん舞台ぶたいになったはじめての連続れんぞくテレビ小説しょうせつ作品さくひんである[2]

ヒロイン・あぐり(田中たなか美里みさと)の美容びようにかける情熱じょうねつとそれを人間にんげん関係かんけい、それと平行へいこうしてあぐりのまわりでは世津子せつこ健太郎けんたろう、チェリーと沢田さわだ光代みつよ片桐かたぎり民子たみこりん太郎たろう淳之介じゅんのすけ美和子みわことうひとみちからそれたこい片想かたおもい、もしくはそれにじゅんずる関係かんけい当時とうじ時代じだい背景はいけいなどもからませてえがかれた。なかでも野村のむらまんときえんじるヒロインのおっと・エイスケが人気にんきあつめたが、かれ急死きゅうしする展開てんかい視聴しちょうしゃ衝撃しょうげきあたえ、NHKに助命じょめい嘆願たんがん[ちゅう 2]とどくほどだったという[3]

あぐり美容びようしつのモダンな外観がいかんは、日本にっぽん近代きんだい建築けんちくのこ実物じつぶつそくしたものである(ただし、戦後せんご全国ぜんこくチェーンてんのオーナーになるといった設定せっていなど、多少たしょう脚色きゃくしょくもある)。

前年度ぜんねんどからってきたしゅうタイトル(原則げんそく、1週間しゅうかん=6を1つのくくりとしている)にくわえ、この作品さくひんでははじめて出演しゅつえんしゃのナレーションりによる次週じしゅう予告よこく放送ほうそうされた。

1997ねん平均へいきん視聴しちょうりつは28.4%、最高さいこう視聴しちょうりつは31.5%(関東かんとう地区ちくビデオリサーチ調しらべ)[4]

2003ねん総集編そうしゅうへんの、2004ねん10がつ20日はつか完全かんぜんばんのDVDが発売はつばいされた。

2004年度ねんど下半期しもはんき(2004ねん9がつ27にち - 2005ねん3がつ25にち)にNHK BS22021ねん3月29にちから9がつ25にちまでNHK BSプレミアムおよNHK BS4K[ちゅう 3]にてアンコール放送ほうそうされた。

あらすじ[編集へんしゅう]

1907ねん明治めいじ40ねん7がつ10日とおか岡山おかやままれたあぐりはお転婆てんば少女しょうじょ。だがあね2人ふたり父親ちちおや相次あいついでスペインかぜくし、母親ははおや遺産いさんだまられて困窮こんきゅうする。そんななか岡山おかやまでも指折ゆびおりの土木どぼく請負うけおいぎょう望月もちづきとの縁談えんだんがる。1923ねん大正たいしょう12ねん)4がつ、あぐりは女学校じょがっこう在学ざいがくのまま15さい望月もちづきエイスケとつぐ。

東京とうきょうがえりのエイスケは家業かぎょうそっちのけで、あそびや小説しょうせつ執筆しっぴつ熱中ねっちゅうしていた。当初とうしょ反発はんぱつしていたあぐりだが、やがてエイスケのしんやさしさにかれていく。作家さっかへのゆめれないエイスケは東京とうきょう出奔しゅっぽん。まもなく関東大震災かんとうだいしんさいき、エイスケは消息しょうそく不明ふめいになる。あぐりは妊娠にんしん判明はんめい。その、エイスケは無事ぶじだったが帰郷ききょう拒否きょひ。しかし正月しょうがつにこっそり岡山おかやまもどってきたエイスケにったあぐりは産気さんけづき、長男ちょうなん淳之介じゅんのすけ出産しゅっさんする。

家族かぞくそろってごしたのもつかのま、エイスケはふたた上京じょうきょう父親ちちおや健太郎けんたろう仕送しおくりをめ、あぐりを上京じょうきょうさせる。1925ねん大正たいしょう14ねん)2がつ上京じょうきょうしたあぐりはエイスケのいえつけるが、小説しょうせつくエイスケは岡山おかやまかえろうとせず、あぐりの仕送しおくりをって出奔しゅっぽん。あぐりは上原うえはら世津子せつこがマダムをつとめる「カフェ・セ・ラ・ヴィ」で美容びようチェリー山岡やまおか出会であい、美容びようになることを決意けつい。4月、上京じょうきょうしてきたしゅうと光代みつよ淳之介じゅんのすけあづけ、みの内弟子うちでしになる。

エイスケは世津子せつこ創刊そうかんした婦人ふじん雑誌ざっし婦人ふじん現代げんだい』に協力きょうりょく。あぐりは、チェリーのむすめ反抗はんこうてき真知子まちこ先輩せんぱい弟子でしとのトラブルにまれながらも美容びよう修行しゅぎょうはげむ。エイスケのおとうと勇造ゆうぞう自動車じどうしゃ技師ぎしゆめをあきらめ、望月もちづきぐみ跡取あととりになる。チェリーのはからいで、あぐりは3ねん内弟子うちでしを2ねんげてかよいの弟子でしとなり、子育こそだてと仕事しごと両立りょうりつすることになる。しゅうと健太郎けんたろうは、あぐりの美容びよう修行しゅぎょう反対はんたいしていたが、肋膜炎ろくまくえんたおれるほど仕事しごと熱心ねっしんなあぐりに感心かんしんし、独立どくりつすすめる。

1929ねん昭和しょうわ4ねん)、健太郎けんたろう援助えんじょ周囲しゅうい協力きょうりょくであぐりは『あぐり美容びよういん』を建築けんちく店員てんいん辰子たつこ内弟子うちでしとめ沢子さわこむかえ8がつ開店かいてんする。当時とうじまだめずらしかった電気でんきパーマネント導入どうにゅうし、みせ繁盛はんじょうごうてん出店しゅってんする。エイスケも作家さっかとしてれっになるが、いえかない日々ひびつづく。

1934ねん昭和しょうわ9ねん)12月、あぐりのはは美佐みさ病死びょうし。あぐりは翌年よくねんなつ長女ちょうじょ和子かずこ出産しゅっさんする。自由じゆう思想しそうたいするしめつけがはじまり、もり じゅん世津子せつこ特高とっこうわれて姿すがたす。えきれなくなったエイスケはふでる。にちちゅう戦争せんそう長引ながびなか贅沢ぜいたくひかえる風潮ふうちょうひろまる。1938ねん昭和しょうわ13ねん)、東京とうきょう美容びようしつにはパーマネント自粛じしゅくれいされ、あぐりの美容びようしつもたびたびいやがらせをけるようになる。エイスケは株式かぶしき投資とうし成功せいこうし、自動車じどうしゃ別荘べっそう購入こうにゅうする。1939ねん昭和しょうわ14ねん)7がつ8にち、あぐりは次女じじょ理恵りえ出産しゅっさん翌年よくねん1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつ9にち、エイスケは療養りょうようしょ和子わこ見舞みまったあと、狭心症きょうしんしょう急死きゅうしする。かなしむあぐりのまえ女流じょりゅう画家がか緑川みどりかわ靖子やすこがあらわれる。エイスケの宿やどした靖子やすこパリ旅立たびだつ。

1943ねん昭和しょうわ18ねん)、金属きんぞくるい回収かいしゅうれいであぐり美容びようしつのパーマネント供出きょうしゅつ1944ねん昭和しょうわ19ねん)、静岡しずおか高等こうとう学校がっこう退学たいがくしようとした淳之介じゅんのすけ岡山おかやま徴兵ちょうへいされ出征しゅっせいするが、体調たいちょうくず喘息ぜんそく診断しんだん即日そくじつ帰郷ききょうとなる。1945ねん昭和しょうわ20ねん)、建物たてもの疎開そかいであぐり美容びようしつこわされる。5月25にち空襲くうしゅう望月もちづき全焼ぜんしょう一家いっかはとめの実家じっか山梨やまなし疎開そかいし、終戦しゅうせんむかえる。

1946ねん(昭和しょうわ21ねん)、あぐりはとめ夫妻ふさいのブドウ農園のうえん手伝てつだいながらひかりだい介護かいごしていたが、美容びよういん再開さいかいしたチェリーの手紙てがみ上京じょうきょう美容びよう教員きょういんとなるが、周囲しゅういはげましでふたた美容びよういん開店かいてんする。

1948ねん(昭和しょうわ23ねんあき、あぐりは沢田さわだから美容びよういんチェーンの経営けいえいさそわれる。岡山おかやまではしゅうと健太郎けんたろう病死びょうし。そのあぐりは新聞しんぶん記者きしゃはやし あきら再婚さいこん全国ぜんこくチェーンの「ビューティーサロン 光美てるみどう」のふく社長しゃちょうとなり支店してんやしていく。子供こどもたちがそれぞれ進路しんろめていくなか、あぐりはますます多忙たぼうきわめる。じゅう店舗てんぽ達成たっせいパーティのあと、挿絵さしえ画家がかになっていたはやし勉強べんきょうのためフランスきたいとけ、あるあさ旅立たびだつ。あぐりも自分じぶん本当ほんとうゆめ気付きづき、光美てるみどう辞職じしょくする。

1955ねん昭和しょうわ30ねん)5がつ、あぐりは自分じぶんひとりでひとりのきゃく相手あいてするちいさな美容びよういん「あぐり美容びよういん」を開店かいてんする。これがあぐりのたどりついたゆめだった。

キャスト[編集へんしゅう]

あぐりの家族かぞく[編集へんしゅう]

川村かわむら望月もちづきはやし あぐり(かわむら→もちづき→はやし あぐり)
えんじ - 田中たなか美里みさと[5]幼少ようしょう秋定あきさだ里穂りほ
川村かわむらさんじょとして誕生たんじょう。「最後さいごおんなであってほしい」というねがいから「あぐり」と名付なづけられる。おさなころからのぼりが得意とくい好物こうぶつ饅頭まんじゅう勉強べんきょうぎらいで男子だんし顔負かおまけのお転婆てんばさを発揮はっきし、美佐みさ謝罪しゃざいさせてばかりいた。成長せいちょうはうっかりている描写びょうしゃおおい。いろくろだったことになやんでおり、これがのちの仕事しごとつながる。
あね2にん相次あいついでスペインかぜくしたあと、一念いちねん発起ほっきして受験じゅけん勉強べんきょうはげみ、見事みごと岡山おかやま高等こうとう女学校じょがっこう合格ごうかく
女学校じょがっこう在学ざいがくちゅう今度こんどちちをスペインかぜでくし、一家いっか経済けいざいてき困窮こんきゅうする。
望月もちづき健太郎けんたろう光代こうだい夫妻ふさいのぞまれ、「女学校じょがっこうには卒業そつぎょうするまでかよう」という条件じょうけんつきで15さいとき望月もちづきとつぐ。じつ結婚けっこんまええがいていたエイスケと出会であっているが、そのさいかれを「闇夜やみよのカラス」と酷評こくひょうし、結婚式けっこんしきはじめてかおわせると「あのとき闇夜やみよのカラスちゃん」とわれ、だいいち印象いんしょう最悪さいあくであった。退学たいがく騒動そうどうさいにエイスケからかばわれて「最愛さいあいつま」「ぼくまもる」とわれたことでかれやさしさにく。淳之介じゅんのすけ妊娠にんしんして女学校じょがっこう自主じしゅ退学たいがくした。
エイスケをって上京じょうきょう。チェリーと出会であったことで弟子でしになり、美容びようへのみちあゆみ、「あぐり美容びよういん」を開店かいてん
戦時せんじちゅう建物たてもの疎開そかいみせこわされ、空襲くうしゅういえ全焼ぜんしょうしたため山梨やまなし疎開そかい美容びようをあきらめ、ブドウはたけ手伝てつだっていた。
戦後せんご、チェリーと沢田さわだがはじめた戦争せんそう未亡人みぼうじんのための美容びよう教習所きょうしゅうじょ教員きょういんとなるが、美容びよう復帰ふっきすることを決意けついてん再開さいかいする。新聞しんぶん記者きしゃはやし出会であ紆余曲折うよきょくせつすえ再婚さいこん美容びよういん全国ぜんこくチェーン「ビューティーサロン光美てるみどう」の経営けいえいしゃとなる。
望月もちづき エイスケ(もちづき エイスケ)
えんじ - 野村のむらまんとき[6]
あぐりのおっと本名ほんみょう望月もちづき栄助えいすけ
望月もちづき長男ちょうなんだが家業かぎょうがあわないと出奔しゅっぽんし、作家さっか目指めざす。飄々ひょうひょうとした性格せいかくで、平気へいき女性じょせいとデートをかさねる奔放ほんぽう生活せいかつぶりをせるが、あぐりの理解りかいしゃである(あぐりが女学校じょがっこう退学たいがくになりそうになったさい学校がっこう抗議こうぎく、あぐりの美容びよう活動かつどう応援おうえんする、など)。子煩悩こぼんのう淳之介じゅんのすけ木馬もくばつくったり、和子わこ風呂ふろれるため毎日まいにち帰宅きたくしたりしている。
人気にんき作家さっかとなるが、作家さっか仲間なかま特高とっこうわれて姿すがたしていくことに内心ないしんショックをけ、断筆だんぴつする。その株式かぶしき投資とうし成功せいこうし、高級こうきゅう自動車じどうしゃ別荘べっそう購入こうにゅうするなど羽振はぶりがよくなるが、じつ愛人あいじん緑川みどりかわ多額たがく借金しゃっきんをしていた。
昭和しょうわ15ねん7がつ9にち伊豆いず伊東いとう病院びょういん入院にゅういんしていた和子わこ見舞みまったあと、狭心症きょうしんしょうのため急死きゅうし
モデルは吉行よしゆきエイスケ
望月もちづき 淳之介じゅんのすけ(もちづき じゅんのすけ)
えんじ - 鎌田かまた佳祐けいすけ柴田しばた卓也たくや生田いくたしん大根田おおねた良樹よしき山田やまだ純大じゅんだい[7]
あぐりとエイスケの長男ちょうなん。はじめ、エイスケは「あつし」と命名めいめいしたが、後継こうけいしゃとしては弱々よわよわしい印象いんしょうがあるので「かい」にえたいという健太郎けんたろう意向いこうんで、あらためてエイスケが「淳之介じゅんのすけ」と命名めいめいした経緯けいいがある。ちちは17さいははは16さいのときのであった。どものころのあだは「ジュンノーちゃん」。ただし命名めいめい経緯けいいから、あぐりやエイスケからは「あつし」とばれていた。
中学ちゅうがく卒業そつぎょう静岡しずおか高等こうとう学校がっこう進学しんがく小説しょうせつこころざ退学たいがくしようとするが、りん太郎たろう説得せっとくおもいとどまる。岡山おかやま召集しょうしゅうされて甲種こうしゅ合格ごうかく出征しゅっせいするが持病じびょう喘息ぜんそくのために即日そくじつ帰郷ききょうとなる。空襲くうしゅうされたあとも東京とうきょうまり、尚久なおひさ下宿げしゅくから帝国ていこく大学だいがく英文えいぶんかよう。終戦しゅうせん闇市やみいち三角さんかくくじ(たからくじ)で一等いっとうせんえんてて、尚久なおひさみなみれて温泉おんせん旅行りょこうき、疎開そかいしていたあぐりたちに食料しょくりょうとどけた。美容びよういん跡地あとちにバラック小屋こやてて東京とうきょうもどったあぐりたちをむかえる。大学だいがく休学きゅうがくして逗子ずし女学校じょがっこう教員きょういんとなるが、女性じょせい問題もんだいまれ退職たいしょくした。世津子せつこのもとで「婦人ふじん現代げんだい」を再刊さいかん編集へんしゅうしゃつとめながら小説しょうせつとなる。
ちちとはちがってかた性格せいかくである。はやしたいするおもいは複雑ふくざつで、あぐりがはやし同居どうきょするようになるといえ下宿げしゅくし、結婚式けっこんしきおこなわないわりにった家族かぞく写真しゃしん撮影さつえい欠席けっせきしようとした(りん太郎たろう説得せっとくによりおもとどまった)。
仕事しごとちゅう結核けっかくおかされていて入院にゅういんし、医師いしから大変たいへん危険きけん状態じょうたいわれるほど意識いしき不明ふめい重体じゅうたいおちいったが、数日すうじつとうげえた。そのときすで度目どめ芥川賞あくたがわしょう候補こうほだった小説しょうせつ(『驟雨しゅうう』がモデル)が芥川賞あくたがわしょうえらばれた。
モデルは吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ
望月もちづき( → はやし和子かずこ(もちづき かずこ)
えんじ - 新穂にいほえりかだて真由子まゆこ浜丘はまおか麻矢まや馬渕まぶち英里何えりか
あぐりとエイスケの長女ちょうじょおさないころは喘息ぜんそくのため、いえはなれて伊豆いず病院びょういん転地てんち療養りょうようしていた。エイスケの死後しご望月もちづきもどる。はやしには複雑ふくざつおもいをいだき、なかなか父親ちちおやとしてみとめようとはしなかった。彼女かのじょ誕生たんじょうもり一緒いっしょにチェーホフの芝居しばいかんってよるおそくなったことを本気ほんきしかられたこと・かれ誕生たんじょうパーティーの準備じゅんびをしていたことをって和解わかいする。これがきっかけで女優じょゆうこころざすようになり、高校こうこう卒業そつぎょう劇団げきだんはいる。
モデルは吉行よしゆき和子かずこ
望月もちづき( → はやし理恵りえ(もちづき りえ)
えんじ - いかり由貴子ゆきこ前田まえだ未来みらい藤原ふじわらまゆか
あぐりとエイスケの次女じじょ。エイスケの記憶きおくがほとんどないため、はやしにはちち面影おもかげをダブらせ、再婚さいこんには好意こういてきだった。
自分じぶん趣味しゅみとしてくのが得意とくい
モデルは吉行よしゆき理恵りえ
望月もちづき 健太郎けんたろう(もちづき けんたろう)
えんじ - 里見さとみ浩太朗こうたろう[8]
エイスケのちち岡山おかやま建築けんちくぎょう望月もちづきぐみ」をいとなむ。通称つうしょう望月もちづきのおじよう」、従業じゅうぎょういんからは「御大おんたい」とばれる。もと親戚しんせきのところへ富美子とみことつ予定よていだったため、川村かわむらとは顔見知かおみしりであった。わかころ世津子せつことは「い」があったらしい。
だいらかで茶目ちゃめがある。息子むすこのことも理解りかいはしているが、エイスケが「小説しょうせつになること」に反対はんたい家業かぎょうぐことをいたり、あぐりが「奉公ほうこうる(美容びようになるために内弟子うちでし修業しゅうぎょうする)こと」にもだい反対はんたいだったが、かれなりの愛情あいじょうあらわれで、それ、「望月もちづきぐみ」のために自分じぶんゆめてた勇造ゆうぞうには複雑ふくざつおもいをいている。
そのはあぐりにも理解りかいしめし、美容びよういん建設けんせつ土地とち資金しきん提供ていきょうしたり、光代みつよ片桐かたぎり交際こうさいにも寛容かんよう態度たいどしめす。
戦後せんご光代みつよわかれてからは俳句はいくっていたが、べつ季語きごふたれるなどあまり上手うまくない。あぐりの美容びよういんチェーンの土地とち買収ばいしゅう手伝てつだおうと東京とうきょうたが、だまされかけて自分じぶんいを自覚じかくし、岡山おかやまもどった。
はやし再婚さいこんするつもりなら望月もちづきいえからおくしたい」と電話でんわであぐりへつたえようとした最中さいちゅう狭心症きょうしんしょう発作ほっさき、エイスケと光代こうだいのちうように死去しきょ。「はるにカラスがべる梅桃ゆすらうめ(ゆすらうめ)」が遺作いさくとなり、そのには世津子せつこなみだした。
モデルは吉行よしゆきエイスケのちちである吉行よしゆきさわ太郎たろう土木どぼく請負うけおいぎょう吉行よしゆきぐみ)を代々だいだいいとなんでいた。
望月もちづき 光代みつよ(もちづき みつよ)
えんじ - ほし由里子ゆりこ
エイスケのはは。あぐりをむすめ同様どうようにかわいがるも、よめとしてのしつけにはかない。地獄耳じごくみみ
「エイスケを勘当かんどうする」とした健太郎けんたろうといいになると東京とうきょう淳之介じゅんのすけれてしかける。エイスケとあぐりを全面ぜんめんてき後押あとおしする。
アキの登場とうじょうによりいち岡山おかやまもどるが、勇造ゆうぞうつま(あぐりの女学校じょがっこうつながりの後輩こうはい)が出来できすぎたために居場所いばしょがなくなり、また東京とうきょうもどる。
片桐かたぎりからバイオリンをならったことでがってしまい、交際こうさいにまで発展はってんしていた。片桐かたぎり死後しごはショックで放心ほうしん状態じょうたいになり、くちがきけなくなってしまった。だが疎開そかいさきたずねてきた健太郎けんたろうから、片桐かたぎり岡山おかやまおくったレコードをせてもらいはげまされたことで、ふたた元気げんきもどした。
戦時せんじちゅうはあぐりと山梨やまなし疎開そかいする。終戦しゅうせん肝臓かんぞうがんわずらゆかせるようになり、健太郎けんたろうられ、岡山おかやまくなる。
モデルは吉行よしゆきエイスケのはは吉行よしゆきさわ太郎たろうつま)である、吉行よしゆき盛代せいだい
望月もちづき 勇造ゆうぞう(もちづき ゆうぞう)
えんじ - 若林わかばやし久弥ひさや
エイスケのおとうとあにせい反対はんたい真面目まじめ性格せいかくで「東京とうきょう自動車じどうしゃつくる」というゆめっている。自由じゆう奔放ほんぽうあになや父親ちちおやかねてゆめをあきらめ、「望月もちづきぐみ」をぐ。
望月もちづきぐみ」をいでからもあぐり一家いっかとの交流こうりゅうつづいており、岡山おかやまにきたあぐりを狭心症きょうしんしょう急死きゅうしした健太郎けんたろう対面たいめんさせたり、結核けっかく入院にゅういんした淳之介じゅんのすけのためにおまもりをってきたりした。
吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ随筆ずいひつによると、モデルとなった「岡山おかやまのおじさん」はかなり豪快ごうかい人物じんぶつであった。代替だいがわりしてからはその豪快ごうかいさがすこえがかれている。
佐伯さえき ふき(さえき ふきこ)
えんじ - 磯野いその貴理子きりこ
エイスケのあね岡山おかやま市内しないとついでいるが、どもができないことでとつさきとはいがわるく、ひまあましてちょくちょく実家じっかかえってくる。
あぐりに嫉妬しっとして嫌味いやみったり意地悪いじわるをすることがおおいが、「どうやったらしょっちゅう実家じっかかえれるのか」とかえされるとあわてていた。
妊娠にんしんしてからはしゅうととのなか改善かいぜんし、一転いってんしておだやかな性格せいかくになり、実家じっかにもかおさなくなる。
淳之介じゅんのすけ岡山おかやま出征しゅっせい見送みおく久々ひさびさ登場とうじょうする。
川村かわむら あきら(かわむら あきら)
えんじ - 田村たむらあきら
あぐりのちち職業しょくぎょう弁護士べんごし。「女性じょせい学問がくもん大切たいせつになる」「おとこおんなへだてるのはこのまない」とおしえる開明かいめい思想しそうぬし。お転婆てんばなあぐりをしかりつけるのではなく、さとしていいきかせる。
あぐりが女学校じょがっこう入学にゅうがく、スペインかぜがぶりかえし、授業じゅぎょう遠足えんそくっているあいだ他界たかいくなるまえ、あぐりには「まっすぐにすすむのがいところ」とっていた。
あぐりが生死せいし彷徨ほうこうったさいゆめや、最終さいしゅうしゅうでは美佐みさゆめ登場とうじょうした。
川村かわむら 美佐みさ(かわむら みさ)
えんじ - 松原まつばら智恵子ちえこ[9]
あぐりのはは裕福ゆうふく家庭かてい出身しゅっしん経済けいざい観念かんねんうとい。幼少ようしょうにお転婆てんばなあぐりにいていた。おっと死後しご知人ちじん岩見いわみすすめられた土地とち投機とうき遺産いさんだまられてしまい、一家いっか困窮こんきゅうする主因しゅいんつくってしまう。
おっとりとしていてプラス思考しこう見栄みえりでぎらいなめんがあり、でまかせやったはなしをすることがしばしば(これによっていく周囲しゅうい危機ききすくっている)。洋楽ようがくきで機嫌きげんいとくちずさんでいる。
あぐりが望月もちづきとついでいくと、光代みつよとの関係かんけい修復しゅうふく一役ひとやくったり東京とうきょうきを応援おうえんするなどした。
あぐりが独立どくりつすると上京じょうきょうして美容びよういん訪問ほうもんし、突然とつぜん、プレゼントに蓄音機ちくおんきおくったり「自分じぶんちからきていくように」とす(このころのどにガンを発症はっしょうしてさきながくない状態じょうたいだった)。岡山おかやまかえったあと、しばらく容態ようだい安定あんていしていたものの、結婚けっこんする時期じききゅう容体ようだい悪化あっか肺炎はいえん併発へいはつしたためにはなすことが困難こんなんであった。岡山おかやま病院びょういんであぐりに看取みとられ、昭和しょうわ9ねんれにしずかにこのった。
川村かわむら 紀美子きみこ(かわむら きみこ)
えんじ - 白鳥しらとり夕香ゆか
あぐりの長姉ちょうし神戸こうべ繊維せんい問屋とんやとつぐも、ほどなくしてスペインかぜに感染かんせんし、1920ねん正月しょうがつまつうち急逝きゅうせい
ちち同様どうよう富美子とみことあぐりのゆめにも登場とうじょう
川村かわむら 富美子とみこ(かわむら とみこ)
えんじ - 山崎やまざき宏美ひろみ
あぐりのあね。あぐりとことなり、色白いろじろいろくろにするあぐりに美白びはく化粧けしょうひんけてくれた。
望月もちづき親戚しんせき婚約こんやくちゅうだったが、あねから20にちしくもおなびょうくなる。今際いまわさいに「アイスクリームべたい」とい、あぐりが閉店へいてん洋食ようしょくてんたのんでれたアイスクリームをははべさせてもらいながらくなった。
紀美子きみこ同様どうよう、あぐりのゆめにも登場とうじょうした。
川村かわむら (かわむら いつき)
えんじ - 倉沢くらさわ桃子ももこ井原いはら由希ゆき
あぐりのいもうと和歌わか才能さいのうがあったらしく、女学校じょがっこう時代じだいには表彰ひょうしょうされるほどの出来できで、山神さんじん教諭きょうゆからも絶賛ぜっさんされていた。
あぐりがだいいち妊娠にんしん退学たいがくせざるをないむねかされると美佐みさつたえたため、退学たいがくまぬかれた。
あぐりが独立どくりつするとはは美佐みさいわいにけるが、ははがんわずらって苦悩くのうしていることを告白こくはくする。
はは岩見いわみだまされたことで他人たにん信用しんようできなくなっており、ながらく独身どくしんつらぬいていたが、美佐みさくなるころ結婚けっこんした。
川村かわむら 正彦まさひこ(かわむら まさひこ)
えんじ - 小此木おこのぎゆう高村たかむらゆうあつし
あぐりのおとうとすえ
しばらく本編ほんぺん登場とうじょうしなかったが、美佐みさくなるころには京都きょうと大学だいがくかよっていることがえがかれる。
はやし あきら(はやし あきら)
えんじ - 高嶋たかしま政伸まさのぶ
新聞しんぶん記者きしゃ文芸ぶんげい社会しゃかい)でもと民子たみこい。エイスケを誹謗ひぼうする記事きじいて淳之介じゅんのすけたちをおこらせるが、じつはエイスケのファンであり、あぐりからも理解りかいされる。
火事かじされたことがきっかけで息子むすことともにあぐり一家いっか同居どうきょ紆余曲折うよきょくせつすえ再婚さいこん元々もともと画家がか志望しぼうでそのうでえがいた似顔絵にがおえ放火ほうかはん逮捕たいほつながることもあったが、それがもとつまいのちちぢめたとやんでふでった過去かこがあるが、あぐりのすすめでふたたえがはじめる。
だい25しゅう新聞しんぶん記者きしゃめ、主夫しゅふとしてあぐりをささえながら挿絵さしえ画家がか仕事しごとをしていたが、最終さいしゅうばなしではふたた勉強べんきょうをするためにパリへ旅立たびだってった。吉行よしゆきあぐりが再婚さいこんしたつじふくがモデル。
はやし 洋介ようすけ(はやし ようすけ)
えんじ - 後藤ごとう拓也たくや
あきら息子むすこ理恵りえとはとしおなじで小学校しょうがっこうおなじだった。自身じしんいちさいころははくし、あきらによって男手おとこで一人ひとりそだてられてきた。ははとのおもがあまりないことから、あぐりとの再婚さいこん歓迎かんげいしていた。

エイスケの文士ぶんし仲間なかま[編集へんしゅう]

上原うえはら 世津子せつこ(うえはら せつこ)
えんじ - 草笛くさぶえ光子こうし
新宿しんじゅく文士ぶんしつど喫茶店きっさてん「カフェ・セ・ラ・ヴィ」のマダム。洋服ようふくこのむ。文士ぶんしそだて、雑誌ざっし婦人ふじん現代げんだい」を創刊そうかん愛称あいしょうは「せっちゃん」。
芸者げいしゃ時代じだいには健太郎けんたろうとも「い」があったらしいが、とう本人ほんにん岡山おかやまでの生活せいかつ婚約こんやくしゃ光代みつよ)をえらんだ。ある作家さっか一緒いっしょになることを夢見ゆめみくしたこともあったが、有名ゆうめいになった途端とたんてられて金持かねもちの女性じょせいられたという過去かこもある。
プロレタリア文学ぶんがく作家さっか支援しえんしたことで当局とうきょくからをつけられ、もり逃走とうそうさせたのちみずからも姿すがたす。終戦しゅうせん消息しょうそく不明ふめいだったが、上海しゃんはいからやつれた姿すがた帰国きこくする。
戦争せんそうつうじて人間にんげんおろかさをおもり、エイスケのもあって、文士ぶんしそだてることからはこうとするも、淳之介じゅんのすけいた小説しょうせつんでかつての熱情ねつじょうもどし、「婦人ふじん現代げんだい」を再刊さいかんする。
最終さいしゅうしゅうには、かつて交際こうさいしており、つまくし今際いまわさいにあった小説しょうせつ長堀ながほり俊介しゅんすけ看取みとるため岩手いわて移住いじゅうすることをあぐりにつたえる。
辻村つじむら りん太郎たろう(つじむら りんたろう)
えんじ - 野村のむら宏伸ひろのぶ
エイスケの文士ぶんし仲間なかま架空かくう人物じんぶつで、特定とくていのモデルは存在そんざいしない[10]口調くちょう丁寧ていねいドイツ語どいつごができ、二枚目にまいめのために女性じょせいによくもて、山岡やまおか真知子まちこ中村なかむら民子たみこからおもいをせられる。本人ほんにんはあぐりに好意こういせるが、南方なんぽう戦地せんちへの取材しゅざいまえ今村いまむらつた結婚けっこんする。(戦後せんご時点じてんではつたとのあいだすで息子むすこゆうかいがおり、成長せいちょうしている。)
エイスケよりもはや出版しゅっぱんしゃから才能さいのう評価ひょうかされる。
淳之介じゅんのすけ文才ぶんさい(というよりはエイスケの姿すがた)を見出みいだし、かれ高校こうこうかよっていたころから指導しどうするとともに父親ちちおやわりであった。
終戦しゅうせん直後ちょくご自分じぶんいた戦争せんそう鼓舞こぶする作品さくひんがある兵士へいしいやったとして自分じぶんめてスランプにおちいっていたが、おなじく自分じぶんいたがあるひと自殺じさつおもいとどまらせたことをるとなおった。
淳之介じゅんのすけ小説しょうせつ芥川賞あくたがわしょう候補こうほとなったときには選考せんこう委員いいん1人ひとりだった。
もり じゅん(もり じゅん)
えんじ - 森本もりもとレオ
エイスケの文士ぶんし仲間なかま自由じゆうもとめて全国ぜんこく放浪ほうろうしている。ごとこのみ、独特どくとくないいまわしをしたりまわりくどいいいかたをしてけむいたりするも、あぐりはこう印象いんしょういだく。
東京とうきょう大震災だいしんさいには青森あおもり放浪ほうろうしていたために被害ひがいからまぬかれる(たまたまエイスケをしたことで被災ひさいせずにんだため、あぐりからは「いのち恩人おんじん」とばれる)。
戦時せんじちゅう政府せいふ主義しゅぎしゃうたがいで特高とっこうねらわれ、世津子せつこ援助えんじょ上海しゃんはいこうび。戦後せんご、いちはや帰国きこくし、温泉おんせん旅行りょこう淳之介じゅんのすけ再会さいかいすると同行どうこうして旅館りょかんだいはらわせた。
つねかねこまっているがたかりの名人めいじんである(健太郎けんたろう→エイスケ→淳之介じゅんのすけさんにんからたかっており、いわく「さんだいからたかった」)。
つじじゅんがモデルではあるが、つじ戦時せんじちゅうくなったのにたいし、もり戦後せんご登場とうじょうする。
川原かわはら 甚八じんぱち(かわはら じんぱち)
えんじ - 東根ひがしねつくる寿ことぶきすぐる
エイスケの文士ぶんし仲間なかまプロレタリア作家さっか作風さくふうちがいから対立たいりつ気味ぎみであった。
戦時せんじちゅう特高とっこう逮捕たいほされ釈放しゃくほうされたが、ひどい拷問ごうもんってしんんでしまい、実家じっかかえった。
高山たかやま ヒロシ(たかやま ヒロシ)
えんじ - 秋山あきやま武史たけし
「カフェ・セ・ラ・ヴィ」のマスター。独身どくしん
世津子せつこ失踪しっそうもカフェをまもつづけ、戦時せんじちゅうは「珈琲こーひー 世良せらよし」に改名かいめいして営業えいぎょうつづけた。終戦しゅうせん店名てんめいもどしジャズ喫茶きっさとして復興ふっこうさせる。
すずおん(すずね)
えんじ - 小林こばやしめぐみ
深川ふかがわ芸者げいしゃ。「スズメ」と間違まちがえられるのがなやみのたね。エイスケを「おにいちゃん」とび、世津子せつこを「ねえさん」とぶ。
世津子せつこ逃亡とうぼうをエイスケらと手助てだすけしたのち、エイスケが突然とつぜんくなったさいにはしんじられずにくずれていた。
昭和しょうわ19ねんには盛岡もりおか疎開そかいした設定せっていかたられ、戦後せんごには登場とうじょうしなかった。

チェリー山岡やまおかとその関係かんけいしゃ[編集へんしゅう]

チェリー 山岡やまおか( - やまおか)
えんじ - 名取なとり裕子ゆうこ[11]
本名ほんみょう山岡やまおか桜子さくらこ美容びよう。あぐりのとなるひと大正たいしょう11ねんにアメリカから帰国きこくしていて、英語えいごはなせる。銀座ぎんざみせかまえ、女性じょせいらしさと高級こうきゅうかんりにしている。
世津子せつこすずおんとは顔見知かおみしり。生活せいかつりにった「カフェ・セ・ラ・ヴィ」での講習こうしゅうかい偶然ぐうぜん参加さんかしたことから交流こうりゅうはじまる。あぐりに洋髪ようはつすすめ、急遽きゅうきょマネキン(=モデル)の仕事しごと依頼いらいするなどする。「女性じょせいそれぞれがうつくしさをっている」「女性じょせい自立じりつすること」などをおしえてくれた。
あぐりが通例つうれいよりもはや独立どくりつすることを許可きょかしたり、「女性じょせいはたらく」ことを後押あとおしし、支店してんすことを提案ていあんするなど、交流こうりゅうつづく。
戦時せんじちゅう埼玉さいたま疎開そかいしていたが、戦後せんご銀座ぎんざ美容びよういん再開さいかい沢田さわだ戦争せんそう未亡人みぼうじんのための美容びよう教習所きょうしゅうじょ開設かいせつし、講師こうしとしてあぐりをもどした。あぐりの美容びよう復帰ふっき意思いしると、沢田さわだ融資ゆうしたのんで復帰ふっき後押あとおしした。
既婚きこんであり、おっとはアメリカにのこ別居べっきょ事実じじつじょう離婚りこん状況じょうきょうであったが太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう収容しゅうようしょらしでからだこわ自力じりきあるけないところまで悪化あっかかれ最後さいご見届みとどけるためアメリカにもどる。最終さいしゅうしゅうにはおっとくしたのち帰国きこく光美てるみどう事業じぎょう拡大かくだいのあぐりをたずね、最終さいしゅうばなしでは光美てるみどうふく社長しゃちょう独立どくりつするあぐりから業務ぎょうむぐ。
モデルは山野やまの千枝子ちえこ
山岡やまおか 真知子まちこ(やまおか まちこ)
えんじ - 吉野よしの紗香さやか
チェリーのむすめ仕事しごと優先ゆうせん自分じぶんかまわないはは反発はんぱつし、平気へいきうそをついてあぐりをこまらせる。
りん太郎たろうきになったことがきっかけでしんひらはじめ、淳之介じゅんのすけはなれてらすあぐりをるうち、チェリーへのわだかまりがける。このころから創作そうさくはじめ、雑誌ざっし入選にゅうせんする。
かよいをゆるされたあぐりには淳之介じゅんのすけへのプレゼントのくつわたしておくした。
山岡やまおか さち(やまおか -)
えんじ - 大森おおもり暁美あけみ
チェリーのはは外国がいこくかぶれしたむすめ子供こどもかえりみず仕事しごとれていることをこころよおもっていない。
山岡やまおか 武史たけし(やまおか たけし)
えんじ - 平松ひらまつ卓真たくま
チェリーの息子むすこあね真知子まちこ同様どうよう理由りゆうであぐりに意地悪いじわるをするが、あねよりさきにあぐりにしんひらく。
川田かわた ゆき(かわだ ゆき)
えんじ - 多田ただ慶子けいこ
チェリーの一番いちばん弟子でし秋田あきた出身しゅっしん比較的ひかくてき温厚おんこう美容びよう技術ぎじゅつたかく、のあるきゃくからの指名しめいおおいが保守ほしゅてき。「みなきゃく」との意識いしきつよく、時子ときこ反発はんぱつすることがおおい。
横浜よこはま支店してんまかされなかったショックから石坂いしざか和子かずこきにおうじてチェリーのもとるが、からだよくてられ、新橋しんばし焼鳥やきとりはたらくまでにちぶれる。そこをあぐりにつけられ、びをれたことでチェリーのもともどった。
戦後せんごはアメリカへうつったチェリーのみせいだことがチェリーのくちからかたられている。
市川いちかわ 和代かずよ(いちかわ かずよ)
えんじ - 及森おいもり玲子れいこ
チェリーの弟子でし仙台せんだい出身しゅっしん辰子たつこいわく「ゆき腰巾着こしぎんちゃく」。技術ぎじゅつたかいが口下手くちべたで、辰子たつこからは「ゆきがいないとなにもできない」とおもわれている。
ゆき一緒いっしょ石坂いしざか和子かずこのところへうつるが、ゆきとほぼ同様どうよう経緯けいいでチェリーのところへもどってた。
石森いしもり 時子ときこ(いしもり ときこ)
えんじ - こだまあい
チェリーの弟子でし大阪おおさか出身しゅっしん。はっきり性格せいかく他者たしゃ手厳てきびしい。チェリーから、あたらしい髪型かみがたへの感性かんせい評価ひょうかされている。ゆきとは価値かちかんわないことがおおい。
石坂いしざか和子かずこへの対抗たいこうさくから、横浜よこはま支店してんまかせられる。
山本やまもと 花枝はなえ(やまもと はなえ)
えんじ - ひろしじんじゅん
チェリーの弟子でし。「岡山おかやまとなり」の姫路ひめじ出身しゅっしん。お節介せっかいでおしゃべり。
時子ときことともに横浜よこはま支店してんうつることになる。
岩崎いわさき千代子ちよこ(いわさき ちよこ)
えんじ - 吉本よしもと多香美たかみ
チェリーの弟子でし美容びようになって地元じもとみせちたいというつよおもいがあるが、ドジなめん要領ようりょうわるさが目立めだち、なかなか見習みならいからせずあぐりにかれる。チェリーのいえではあぐりと同室どうしつになる。通称つうしょうは「千代ちよちゃん」。
あぐりが独立どくりつする直前ちょくぜん郷里きょうり北海道ほっかいどうでのえん談話だんわがったために退職たいしょく
松島まつしま絹代きぬよ(まつしま きぬよ)
えんじ - 小林こばやし千晴ちはる
千代子ちよこ後任こうにん弟子でし
沢田さわだ みのる(さわだ みのる)
えんじ - 中条ちゅうじょうきよし
チェリーの「支援しえんしゃ」。「パトロン以上いじょう関係かんけい」である。
戦後せんごはチェリーと共同きょうどう戦争せんそう未亡人みぼうじんのための美容びよう教習所きょうしゅうじょ開設かいせつ市ヶ谷いちがや土地とち担保たんぽにあぐり美容びよういん再開さいかい資金しきん出資しゅっしする。さらに美容びよういんチェーンの経営けいえいし、あぐりを責任せきにんしゃ指名しめいする。
健太郎けんたろうがあぐりのために支店してん候補こうほさがしてさい、そのはなし詐欺さぎであったことを確認かくにん、すんでのところ被害ひがいふせいだ。
石坂いしざか 和子かずこ(いしさか かずこ)
えんじ - 高橋たかはしひとみ
フランスがえりの美容びよう断髪だんぱつやレザーカットを日本にっぽんみ、おんならしさと高級こうきゅうかんりにするチェリーのライバル。
チェリーの横浜よこはま支店してん開店かいてんのゴタゴタにじょうじ、みせつぶそうとゆきたちベテランの弟子でしいたうえ、ぞんざいにてた。
長堀ながほり 喜美子きみこ(ながぼり きみこ)
えんじ - 岩本いわもと多代たよ
山岡やまおか美容びよういんきゃく小説しょうせつ長堀ながほり俊介しゅんすけつま
来店らいてんしたさいにあぐりからエイスケの小説しょうせつんでほしいとわたされる。
おっと芸者げいしゃ時代じだい世津子せつこ関係かんけいにいまだっており、出版しゅっぱん会社かいしゃには世津子せつこたちの予定よてい婦人ふじん雑誌ざっし出版しゅっぱんさせないよう圧力あつりょくをかけた。
すずおんによると、喜美子きみこ誤解ごかいをしているのは、世津子せつこがエイスケの小説しょうせつむために、長堀ながほり利用りようしたとのこと。ただ、喜美子きみこ執念深しゅうねんぶかうらみの理由りゆうには、あぐりがきな長堀ながほり小説しょうせつ烏丸からすま物語ものがたり」にあるらしい。
しかし、あぐりが誤解ごかいこうと土下座どげざ嘆願たんがんしたため、出版しゅっぱん会社かいしゃ婦人ふじん雑誌ざっし出版しゅっぱん白紙はくし撤回てっかいさせた。
戦後せんごおっと俊介しゅんすけよりさきくなったことが世津子せつことあぐりの会話かいわあきらかになる。

あぐり美容びよういん光美てるみどう関係かんけいしゃ[編集へんしゅう]

中野なかの大久保おおくぼ辰子たつこ(なかの(おおくぼ)たつこ)
えんじ - 鈴木すずき砂羽さわ[12]
チェリーの弟子でし部屋へやは、あぐり・千代子ちよこおなじ。色々いろいろ忠告ちゅうこくしてくれるが人並ひとなみにうわさばなしなどもする。あぐりが弟子でしになったことでチェリーのびとから卒業そつぎょうする。
チェリーからの「開店かいてんいわい」であぐり美容びよういん移籍いせきして以降いこう主任しゅにんとしてはたらく。
あぐりとはちがってしっかりしゃ、マイペースぶりにあきれることもおおい。とめ・沢子さわこ採用さいようには、当初とうしょ反対はんたい立場たちばっていた。
結婚けっこんし、昭和しょうわ18ねん妊娠にんしんちゅう南方なんぽうおっと戦死せんしする悲劇ひげき見舞みまわれる。その子供こどもまれるが、戦局せんきょく悪化あっかともなおっと実家じっかさきうつる。
戦後せんご、あぐりが開店かいてんした光美てるみどうにはくわわらなかったが、淳之介じゅんのすけはじめて芥川賞あくたがわしょう候補こうほになったときはあぐりたくおとずれており、交流こうりゅうつづいている。
太田おおた とめ(おおた とめ)
えんじ - 細川ほそかわふみえ
あぐりの最初さいしょ弟子でし山梨やまなし出身しゅっしん。6ねんまえ家出いえでしてちちいかけられてあぐり美容びよういんんだことがきっかけで美容びよう興味きょうみち、そのまま弟子でしりした。辰子たつこより2つ年上としうえ
仕事しごと丁寧ていねいおぼえはく、家事かじいちとおりこなすが、時間じかんがかかりぎるのが欠点けってん。のんびりした発言はつげんおお反面はんめんひとなごませるため、すぐあぐりがる。
空襲くうしゅうされたあぐりらをれて実家じっか疎開そかいするが、あねのあさとの対立たいりつなやむ。戦後せんご幼馴染おさななじみの富士夫ふじお結婚けっこん妊娠にんしんし、実家じっか経営けいえいするブドウ農園のうえん手伝てつだう。
戦後せんご、あぐりが開店かいてんした光美てるみどうにはくわわらなかったが、淳之介じゅんのすけはじめて芥川賞あくたがわしょう候補こうほになったときは、あぐりたく久々ひさびさおとずれる。
本谷ほんや太田おおた富士夫ふじお (ほんたに(おおたに)ふじお)
えんじ - 小西こにし博之ひろゆき
とめの幼馴染おさななじみはつ登場とうじょうは40さいくらい。
つま先立さきだたれ、ひとりで3にんどもをそだてている。そのなか息子むすこ太郎たろうが、意地悪いじわるをされた理恵りえをかばい、和子わこにとっても味方みかたになってくれた。
とめに好意こういいており、もどってきたとめと疎開そかいしてきたあぐりらの面倒めんどうた。無事ぶじ、とめと婿入むこい結婚けっこんしたあとは子供こどもめぐまれる。
安田やすだ木村きむら沢子さわこ(やすだ(きむら)さわこ)
えんじ - 三浦みうら理恵子りえこ
あぐりの弟子でし静岡しずおか出身しゅっしん弟子入でしい未成年みせいねん病気びょうきちちあねがいた。特技とくぎはマッサージ。
元々もともとぬすみの常習犯じょうしゅうはん有名人ゆうめいじんのところに偽名ぎめい使つかって「弟子入でしいり」してはぬすみをかえしていた。美容びよういんでもぬすみをはたらくも、あぐりが被害ひがいとどけさずにかばってかみってあげたことにより改心かいしんし、あらためて弟子でしり。ぬすみの被害ひがいったすずおんらはもう反対はんたいするも、世津子せつこ彼女かのじょ意志いしみとめ、弟子入でしいりを後押あとおしした(あぐりのまえあらわれたのはとめよりはやいが、一度いちど警察けいさつつかまったのち、とめの弟子入でしい正式せいしき弟子でしりしたため、ばん弟子でしあつかい)。
軍人ぐんじん相思相愛そうしそうあいとなるが出征しゅっせいすることとなり結婚けっこん、その戦争せんそう未亡人みぼうじんとなり、戦後せんごあぐりが開店かいてんした光美てるみどうにいちはや復帰ふっきし、主任しゅにんとして活躍かつやく後輩こうはいせんはなのことであたまいためていた。
最終さいしゅうばなしでは、光美てるみどうめるあぐりから本店ほんてんまかされる。
木村きむら けんいち(きむら けんいち)
えんじ - 尾崎おざき英二郎えいじろう
沢子さわこ恋人こいびと
召集しょうしゅうまえにプロポーズをするかどうかまよっていたが、美容びよういんこわされる直前ちょくぜんにプロポーズをし、結婚式けっこんしきげて沢子さわこ自分じぶん実家じっか疎開そかいさせるも、自身じしん戦死せんしした。
生田いくた 千花ちか(いくた ちはな)
えんじ - 麻生あそうかおり
あぐりの弟子でし終戦しゅうせん直後ちょくご弟子でしり(お客様きゃくさま血縁けつえんで、たってのたのみで弟子入でしいり)。
自身じしん提案ていあん(あるいは考案こうあん)した髪型かみがたをあぐりやきゃく評価ひょうかされるとう美容びようとしてのセンスはあるが、民主みんしゅ主義しゅぎ勘違かんちがいしているふしがあり、弟子入でしい直後ちょくご新人しんじん仕事しごとである雑用ざつようこばもうとしたことはじめ、様々さまざま騒動そうどうこした。
その修行しゅぎょうみ、光美てるみどう名古屋なごや支店してんしたさいにはみせまかされる。
佐藤さとう 弘子ひろこ(さとう ひろこ)
えんじ - 沢村さわむら
せんはなのちはいった弟子でし
経理けいり課長かちょう
えんじ - 高村たかむらしょうえだ
あぐりが沢田さわだ後押あとおしではじめた美容びよういんのチェーンてん光美てるみどう(こうびどう。光代みつよ美佐みさからいちずつった)の経理けいり課長かちょう

淳之介じゅんのすけ仲間なかま[編集へんしゅう]

池田いけだ 諒子りょうこ(いけだ りょうこ)
えんじ - 小倉おぐら星羅せいら大路おおじ恵美えみ
淳之介じゅんのすけ小学校しょうがっこう時代じだい同級生どうきゅうせい学校がっこうのマドンナだったが、鎌倉かまくらしてしまい、いち淳之介じゅんのすけわかれる。
じつ片桐かたぎりいもうとまごであり、ピアノを片桐かたぎりからならっていた。安吉やすよし出征しゅっせいさいに、かれのためにF・ショパンの『わかれのきょく』を演奏えんそうかせた。高校生こうこうせいとき片桐かたぎりいえ淳之介じゅんのすけ再会さいかいし、うようになる。音楽おんがく大学だいがく進学しんがくしてからは国分寺こくぶんじ下宿げしゅくしている。戦後せんごはジャズバンドにはいり、演奏えんそう活動かつどうおこなう。終戦しゅうせん直前ちょくぜん淳之介じゅんのすけいちわかれていたが、ジャズ喫茶きっさとなったカフェ・セ・ラ・ヴィで再会さいかいすることになる。淳之介じゅんのすけから結婚けっこん前提ぜんてい告白こくはくされるが、れた生活せいかつからなおったみのるとジャズ活動かつどうえらんだ。
岩本いわもと 尚久なおひさ(いわもと なおひさ)
えんじ - 西にししょうたいら宮沢みやざわ祐輔ゆうすけ関口せきぐち知宏ともひろ
淳之介じゅんのすけ親友しんゆう諒子りょうこきで、小学生しょうがくせいとき淳之介じゅんのすけにラブレターの代筆だいひつたのんだが、皮肉ひにくにも、これが諒子りょうこ淳之介じゅんのすけ接近せっきんのきっかけとなってしまう。もっとも、かれ自身じしん諒子りょうこ眼中がんちゅうにはなかった様子ようす本人ほんにん悪気わるぎはないようだが卑怯ひきょうなところがあり、そのしのぎにうそをついたりするが、そのたび周囲しゅういにはあきれられている。
理工りこうけいのため召集しょうしゅうされず、ぐん関係かんけい研究所けんきゅうじょ勤務きんむ様々さまざま情報じょうほうきつけては淳之介じゅんのすけつたえていた。戦後せんご実家じっか建築けんちくぎょうぐ。
福沢ふくさわ みなみ(ふくざわ みなみ)
えんじ - 松田まつださとし宮本みやもと大輝だいき池内いけうち万作まんさく
小学校しょうがっこうからの淳之介じゅんのすけ親友しんゆう
召集しょうしゅうされるも、房総ぼうそう部隊ぶたい配置はいちされたために無事ぶじ終戦しゅうせんむかえる。戦後せんご弁護士べんごししょくく。
もとから常識じょうしきてきなところがあり、(淳之介じゅんのすけ小説しょうせつ掲載けいさいされた)婦人ふじん現代げんだい復刊ふっかんりょうおくったという尚久なおひさはなしいたときは「バカ、アホ、無神経むしんけい」といいかえした。
小川おがわ 安吉やすきち(おがわ やすきち)
えんじ - 坂本さかもとおさむさとし小磯こいそ勝弥かつや
諒子りょうこ幼馴染おさななじみやまいせっているちちわってはははたらきにている。おとうと1人ひとりいもうとが3にんいる。
おさなころ乱暴らんぼうしゃだったが、諒子りょうこのために人形にんぎょういえつくってやるなど、やさしいいちめんもあった。りょうへのラブレター代筆だいひつ騒動そうどう淳之介じゅんのすけとも仲良なかよくなるが、諒子りょうこした直後ちょくご宮大工みやだいくになるために新潟にいがた修業しゅうぎょうていく。
淳之介じゅんのすけとはこいのライバルでもあったが、諒子りょうこ淳之介じゅんのすけへのおもいにはづいており、かれりょうたくして出征しゅっせい。その半年はんとしにあえなく戦死せんし

望月もちづきぐみ関係かんけいしゃ[編集へんしゅう]

磯辺いそべ(いそべ)
えんじ - 山本やまもとすすむ
経理けいり担当たんとう光代みつよむすめとつさき世話せわをしたため、あたまがらない。わかころまずわずの状態じょうたいでいたところを健太郎けんたろうひろわれた。かつては活弁かつべんになるゆめがあったらしい。
健太郎けんたろう相当そうとうなショックをけてしまい、認知にんちしょう発症はっしょう、しばしばつまろういわく「電球でんきゅうれた」状態じょうたいになっていたが、あぐりがさがしていた、かつてはやしかざっていたカフェのマスターの所在しょざいおもし、あぐりがはやしさがすのに貢献こうけんする。
伊沢いさわ つまろう(いざわ つまごろう)
えんじ - 苅谷かりや俊介しゅんすけ
建築けんちく現場げんば指揮しき担当たんとう。あぐりがんだときにはげまし、しんささえになっていく。くちかたいほうで健太郎けんたろうおんなあそびもないフリをしている。
強面こわおもてのため、健太郎けんたろう指示しじひかりだいもどしに東京とうきょうときりに間違まちがえられるなど、騒動そうどうきた。
健太郎けんたろう病死びょうししたあとは年老としおいても磯辺いそべとも若手わかて部下ぶかたちのおお望月もちづきぐみのこつづける。
しお
えんじ - 梅沢うめざわ昌代まさよ
女中じょちゅうあたま秋田あきた出身しゅっしん早口はやくちしゃべる。主人しゅじん使用人しようにんとの距離きょりかんおもんじる。かみなり苦手にがて
自由じゆううあぐりにいており、ふき賛同さんどうすることがおおいも、ときどきしれっとどくく。
光代みつよ東京とうきょうったころさとかえっていたが、あぐりが理恵りえ出産しゅっさんしたころ望月もちづきもどり、戦後せんご望月もちづきつかつづけている。
かよ
えんじ - 青木あおき麻由子まゆこ
奉公人ほうこうにん。あぐりとい、「親友しんゆう」とまでわれていた。
勇造ゆうぞうこいをしていたが、仕事しごとはいらなくなり農家のうかとついでく。
はる
えんじ - 大矢おおやゆかり
淳之介じゅんのすけ出産しゅっさんからやとわれていた女中じょちゅう
づる
えんじ - 根本ねもと千明ちあき
女中じょちゅう
アキ
えんじ - 一色いっしき彩子あやこ
光代みつよいえてからはいった女中じょちゅう未亡人みぼうじん。しおにわって女中じょちゅうあたまつとめる。
健太郎けんたろうからられ、これを察知さっちした光代みつよ岡山おかやまもどることになる。
せんきち(せんきち)
えんじ - みね勝成かつなり
いさむづくりへの代替だいがわりはいった男衆おとこしゅ

岡山おかやま人達ひとたち[編集へんしゅう]

中村なかむら(→五十嵐いがらし中村なかむら民子たみこ(なかむら(いがらし)たみこ)
えんじ - 笹峰ささみねあい
あぐりの親友しんゆう岡山おかやま高等こうとう女学校じょがっこう同級生どうきゅうせい)。他校たこう男子だんし生徒せいとからいじめられていたところをあぐりにたすけられて以来いらい親交しんこうがある。愛称あいしょうは「みんちゃん」。
異性いせいへの関心かんしんつよく、エイスケのだいファンでもあった。あぐりがエイスケと結婚けっこんすることをるといかり、とついで1ヶ月かげつはんほどがつと「大嫌だいきらい」と宣言せんげんして絶交ぜっこう。その男子だんし学生がくせい活動かつどう写真しゃしんかんったことで山神さんじん教諭きょうゆから注意ちゅういけ、そのままち。あぐりが悪影響あくえいきょうあたえたとして退学たいがくされるかかのだい騒動そうどうとなる(結局けっきょく相手あいて学生がくせい怖気おじけずき、民子たみこ自身じしん東京とうきょう親戚しんせきたくせていたことがかり、1週間しゅうかんほどの謹慎きんしん解決かいけつとなった)。
あぐりが妊娠にんしんして学内がくない孤立こりつ退学たいがくさせられそうになると嘆願たんがんしょ配付はいふするなどして手助てだすけし、このことで友情ゆうじょう復活ふっかつする。
出産しゅっさんのために女学校じょがっこうめたのち、淳之介じゅんのすけまれると望月もちづきかおせにて、ちちめた相手あいて軍人ぐんじん)と結婚けっこんまったことを報告ほうこくする。結婚けっこんのために東京とうきょうるが、りん太郎たろうへの片思かたおもい、別居べっきょ二・二六事件ににろくじけんあさおっと五十嵐いがらし幸雄ゆきお少佐しょうさ自決じけつげ、岡山おかやまへとかえる(夫婦ふうふ関係かんけいすでにうまくいっておらず、別居べっきょ当初とうしょ離婚りこんとどけ記入きにゅうしてのこしたが、二・二六事件ににろくじけんかえされた離婚りこんとどけ五十嵐いがらしおくったせいいちはい愛情あいじょうだった)。
おっと別居べっきょしたころから「婦人ふじん現代げんだい」の編集へんしゅう仕事しごと手伝てつだっており、岡山おかやまかえってからは新聞しんぶん記者きしゃとしてつとめ、戦後せんご世津子せつこ依頼いらいで「婦人ふじん現代げんだい編集へんしゅうちょう就任しゅうにんし、淳之介じゅんのすけきびしく指導しどうする。
山神さんじん 鶴子つるこ(やまがみ つるこ)
えんじ - 山田やまだ邦子くにこ
高等こうとう女学校じょがっこう時代じだい担任たんにん教諭きょうゆ担当たんとう教科きょうか英語えいご授業じゅぎょうちゅう英単語えいたんごじえてはなす。生徒せいと指導しどうとく男女だんじょ交際こうさい)にきびしく、あだは「やまんば」。ズレをなおそうとメガネにえるクセがある。
あぐりが出産しゅっさんのために退学たいがくするときには「まれてくるどものために」と英語えいご辞書じしょ餞別せんべつとしてわたした。この辞書じしょ淳之介じゅんのすけがれた。
戦後せんご淳之介じゅんのすけつとめる逗子ずし女学校じょがっこう校長こうちょうとなる[ちゅう 4]淳之介じゅんのすけ男女だんじょ関係かんけい問題もんだいとなったときにあぐりと再会さいかい淳之介じゅんのすけ擁護ようごするが、同時どうじ教師きょうしよりもいた仕事しごとがあることも見抜みぬき、さらには美容びよういん再開さいかいするかどうかなやんでいたあぐりをはげます。
津島つしま(つしま)
えんじ - 佐々木ささきいさお
高等こうとう女学校じょがっこう教諭きょうゆ山神さんじんちがって進歩しんぽてきで、あぐりの行動こうどう肯定こうていてきとらえている。
職員しょくいん会議かいぎ退学たいがく話題わだいると「馬鹿馬鹿ばかばかしい」と一蹴いっしゅうし、妊娠にんしん発覚はっかくすると「生徒せいとたちに妊娠にんしん身近みぢかかんじていい」と擁護ようごする。
小早川こばやかわ(こばやかわ)
えんじ - 杉本すぎもとゆう
高等こうとう女学校じょがっこう教諭きょうゆ。エイスケを一目いちもくて「素敵すてきだ」とっていた。
衣笠きぬがさ(きぬがさ)
えんじ - キモサベポンふとし
高等こうとう女学校じょがっこう教諭きょうゆ日和見ひよりみてき発言はつげんおおく、津島つしま賛同さんどうすることがおおい。
忠野ちゅうの(ただの)
えんじ - 阿南あなみ健治けんじ
巡査じゅんさ。あぐりのことは幼少ようしょうころからっている。あぐりが結婚けっこん初夜しょやにいなくなってさわぎになったさい健太郎けんたろうに「(あぐりのことを)らないのはモグリ」とった。
署長しょちょう
えんじ - 水野みずのはるろう
岩見いわみ伸一しんいち(いわみ しんいち)
えんじ - 斉藤さいとう晴彦はるひこ
もとはあぐりのちちあきらい。美佐みさから遺産いさんだまって失踪しっそうしていた。
東京とうきょう偶然ぐうぜんにもエイスケのまえにもあらわれ、「下田しもだ」と偽名ぎめいし、昆布こぶ相場そうばはなしちかけて美容びよういん建設けんせつだまり、みせのパーマネントさえられるさわぎの原因げんいんになる。偶然ぐうぜん上京じょうきょうした美佐みさ遭遇そうぐうし、美佐みさ自分じぶんゆるしたことで改心かいしん。「罪滅つみほろぼし」としてしばらくきょつき、世津子せつこいわっても二束三文にそくさんもんにしかならなかった昆布こぶ相場そうばが、台風たいふう北海道ほっかいどう直撃ちょくげきしたこと成育せいいくされた昆布こぶながされてしまった影響えいきょう高騰こうとうし、そのもうぶん美佐みさからだまったぶんとエイスケがそんしたぶんだまらせたぶん返金へんきんとう仕事しごとつけてってった。
たね
えんじ - せきえつ
産婆さんば

東京とうきょう人達ひとたち[編集へんしゅう]

岩淵いわぶち/岩渕いわぶち うめ(いわぶち - )
えんじ - 菅井すがいきん
本所ほんじょでのエイスケたく隣人りんじん春子はるこしゅうと。7にんそだげた。典型てんけいてき下町したまち気質きしつ。あぐり一家いっか転居てんきょするまで、ちょくちょく垣根越かきねごしにのぞしては世話せわいていた。
岩淵いわぶち/岩渕いわぶち 春子はるこ(いわぶち はるこ)
えんじ - 川俣かわまたしのぶ
うめのよめおっと大工だいく職人しょくにん
うめとはしょっちゅう悪口わるぐちをいいあっているが、おしゃべきな気質きしつなど、ている部分ぶぶんおおい。
生活せいかつこまったあぐりに「一六銀行いちろくぎんこう」としょうして質屋しちや紹介しょうかいしたり料理りょうりおしえたりする。
岩淵いわぶち/岩渕いわぶち よしぞう(いわぶち よしぞう)
えんじ - 鈴木すずき一馬かずま
うめの息子むすこははよめ圧倒あっとうされがち。むかし芸者げいしゃれあげたらしい。
平山ひらやま 真佐子まさこ(ひらやま まさこ)
えんじ - 吉行よしゆき和子かずこ[13]
作家さっか。あぐり美容びよういんきゃく伯爵はくしゃく夫人ふじんよこりですらゆるさなかったあぐりをって常連じょうれんとなる。世津子せつことも面識めんしきがある。
2人ふたりども(吉行よしゆき自身じしんがモデルである望月もちづき和子かずこ)を妊娠にんしんしたあぐりに「わたしは(つぎは)おんなだとおもうわ」とうおあそびのシーンがある。
綾小路あやのこうじ 貴子たかこ(あやのこうじ たかこ)
えんじ - 西田にしだひかる
やんごとなき名家めいか令嬢れいじょう侍女じじょ美容びよういん来店らいてんし、当時とうじめずらしかった電気でんきパーマネントをかけた。
大澤おおさわ 祥子さちこ(おおさわ さちこ)
えんじ - 津島つしま恵子けいこ
綾小路あやのこうじ貴子たかこきの女性じょせい貴子たかこがあぐりらと直接ちょくせつ会話かいわすることをゆるさず、電気でんきパーマネントをかけるさいにも色々いろいろきびしくせっする。
鳥海とりうみ 三津子みつこ(とりうみ みつこ)
えんじ - はやし真理子まりこ
真佐子まさこ友人ゆうじん女流じょりゅう作家さっか真佐子まさこ紹介しょうかいであぐり美容びよういん利用りようする。
うわさばなしきで「(文壇ぶんだんの)放送ほうそうきょく」とあだされている。
今村いまむら辻村つじむら)つた(いまむら(つじむら)つたこ)
えんじ - 麻乃あさの佳世かよ
新聞しんぶん記者きしゃりん太郎たろう結婚けっこん相手あいて長野ながの出身しゅっしん
りん太郎たろうのあぐりへのおもいにはづいていたが、南方なんぽう戦地せんち取材しゅざいころりん太郎たろう結婚けっこんした。戦後せんごにあぐりや世津子せつこたちと再会さいかいしたさいには息子むすこゆうかいえんじ - 島田しまだ智之としゆきかい)をれていた。
質屋しちや主人しゅじん
えんじ - 横山よこやまあきお
銀座ぎんざ警察官けいさつかん
えんじ - 津村つむらたかこころざし
警察官けいさつかん
えんじ - 高橋たかはし克実かつみ
あぐり美容びよういんからものをぬすんだ沢子さわこ連行れんこうしてあぐり美容びよういんへやってくる。
佐々木ささき
えんじ - 尾藤びとうイサオ
墓石はかいしもり友人ゆうじん広告こうこくすことを条件じょうけん婦人ふじん現代げんだい創刊そうかんに1まんえん出資しゅっしした。
片桐かたぎり 真二郎しんじろう(かたぎり しんじろう)
えんじ - 中山なかやまひとし
光代みつよ出会であったヴァイオリンの先生せんせい淳之介じゅんのすけかよ小学校しょうがっこうのそばで教室きょうしつひらいており、光代みつよかよううちにしたしくなり、交際こうさい健太郎けんたろうもうる(先妻せんさいくしている)。
上述じょうじゅつとおり、諒子りょうこ淳之介じゅんのすけ再会さいかいのきっかけもつくったが、空襲くうしゅうにより死去しきょ淳之介じゅんのすけ尚久なおひさ様子ようすおとずれたときは防空壕ぼうくうごうでヴァイオリンをかかえたまま死亡しぼうしていたのを確認かくにんした)。
緑川みどりかわ 靖子やすこ(みどりかわ やすこ)
えんじ - 中川なかがわ安奈あんな
女流じょりゅう画家がか。エイスケの死後しご発覚はっかくした愛人あいじん(エイスケとのどもも妊娠にんしんしていた)。エイスケのったときは1ヶ月かげつほど海外かいがい滞在たいざいしていた。
当初とうしょは「あぐりの世話せわにはならない」としておかねりを拒否きょひしていたが、「いていかれたもの同士どうし」とのかんがえを共有きょうゆうすると、和解わかいしてパリへと旅立たびだってった。
編集へんしゅうしゃ
えんじ - 木村きむら靖司やすし
文芸ぶんげい部長ぶちょう
えんじ - ちょう克巳かつみ
大徳寺だいとくじ 喜久よしひさ(だいとくじ きく)
えんじ - すみがえ和枝かずえ
隣組となりぐみ班長はんちょう国防こくぼう婦人ふじんかい一員いちいんでもあり、あぐり美容びよういんおとずれては散々さんざん嫌味いやみうも、光代こうだいにはかるながされて退散たいさんした。
やまだい空襲くうしゅうまちおおうみかおうとするが、あぐりたちからげるようにさとされてさかしたまでびた。
なおひさいで、ビルマに出兵しゅっぺいした息子むすこすで戦死せんししていたらしい。
野々村ののむら 美和子みわこ(ののむら みわこ)
えんじ - 床嶋とこしま佳子けいこ
淳之介じゅんのすけ尚久なおひさ下宿げしゅくさき大家たいか三鷹みたか在住ざいじゅう元々もともとなおひさだけが投宿とうしゅくしていた。大学だいがくがあるため、疎開そかいしたあぐりたちわかれた淳之介じゅんのすけ入居にゅうきょした前日ぜんじつおっと戦死せんししらせがはいり、わかくして戦争せんそう未亡人みぼうじんとなる。そして淳之介じゅんのすけ接近せっきんし、諒子りょうこ淳之介じゅんのすけわかれの遠因えんいんになる。
三枝さえぐさ みのる(さえぐさ みのる)
えんじ - 高山たかやまひろ
諒子りょうこのバンド仲間なかま。トランペット担当たんとう淳之介じゅんのすけ再会さいかいしたころ諒子りょうこかれ同棲どうせいしていた。音楽おんがく芸術げいじゅつせいをわかろうともしないきゃくまえ演奏えんそうすることに疑念ぎねんいだき、すさんだ生活せいかつおくるようになった。
土屋つちやデスク
えんじ - 螢雪けいせつろう
社会しゃかい時代じだいはやし上司じょうしはやし放火ほうかはん遭遇そうぐうされたさいに、入院にゅういんさき病院びょういんしかけ、はやしがスクープ写真しゃしん撮影さつえいしたものと勘違かんちがいしめたのちじつ撮影さつえいしていないことをぎゃくののしはじめ、居合いあわせたあぐりからもう抗議こうぎける。

その[編集へんしゅう]

雪江ゆきえ(ゆきえ)
えんじ - 江口えぐち由起ゆき
健太郎けんたろうりの遊女ゆうじょ
エイスケとも友人ゆうじんであり、雪江ゆきえのいる遊郭ゆうかく感性かんせい刺激しげきけて執筆しっぴつ活動かつどうはげんでいた。
高田たかだめぐむ(たかだもえこ)
えんじ - 和泉いずみちぬ
列車れっしゃなか財布さいふがないとさわいだおとこえんじ - 石塚いしづか英彦ひでひこ)にからまれたあぐりをたすけた貴婦人きふじん宝石商ほうせきしょう名乗なのる。
あぐりに色々いろいろ忠告ちゅうこくしてくれ、宝石ほうせきのついた指輪ゆびわまでプレゼントしてくれるが、正体しょうたいカミソリおきょうというのスリ。韋駄てん銀次ぎんじからんだおとこ)とんでぜん財産ざいさんをスリった。
石川いしかわあさ(いしかわ あさこ)
えんじ - 大島おおしま蓉子ようこ
とめのあね両親りょうしん二人ふたりむすめらす。戦時せんじちゅう東京とうきょうから疎開そかいしてきたあぐり一家いっかこころよおもわず、自分じぶんたちの食糧しょくりょうけない、あぐりあて電報でんぽう配達はいたつじんわたさせないなどの仕打しうちでしにかかる。食糧しょくりょう不足ふそくくわえ、たきり状態じょうたいはは介護かいごもしており、生活せいかつ余裕よゆうがない。とめいわく「どものころから意地悪いじわるだった」らしい。おっとかくれて浮気うわきしていたのをとめにおどされ、一家いっかへの手出てだしをひかえる。
太田おおた六助ろくすけ(おおた ろくすけ)
えんじ - 石井いしい愃一
とめのちち東京とうきょう家出いえでしてきたとめをって山梨やまなしもどそうとした。あぐりのけ(エイスケがあぐりをだましたイカサマコイン)により、とめの美容びよういんつとめをゆるした。
そのはとめのことをよくしてくれるあぐりにには、とめの恩人おんじんとして感謝かんしゃする。
空襲くうしゅうけた東京とうきょうはなれてとめとともに疎開そかいしてきたあぐりたちをあたたかくむかえ、長女ちょうじょのあさとのいざこざをふせぐためとなり小屋こやまわせることを提案ていあんした。
その
えんじ - 村上むらかみ冬樹ふゆき沼崎ぬまざきゆう木村きむらこう下村しもむら恵里えり愛禾あいかみさ松田まつだ真知子まちこ下村しもむら彰宏あきひろ伊藤いとうしん猪又いのまた太一たいち大竹おおたけ竜二りゅうじ田中たなかさゆり金澤かなざわ江美えみ山梨やまなしハナ古川ふるかわまこと山上やまかみ賢治けんじ高井たかい純子じゅんこ三浦みうらはる正太郎しょうたろう)、福本ふくもと伸一しんいち佐々木ささきあつしはるのべとも民子たみこちち)、谷村たにむら慶子けいこ民子たみこはは)、江良えらじゅん千代子ちよこちち)、矢田やたただししん(※あぐり出演しゅつえん以降いこう現在げんざい名義めいぎでは、矢田やた政伸まさのぶ)(五十嵐いがらし幸雄ゆきお民子たみこおっと〉)、たけはつ史郎しろう中島なかじま先生せんせい)、野口のぐち雅弘まさひろ岩本いわもとまさる尚久なおひさちち〉)、小林こばやし百合子ゆりこ福沢ふくさわ通子みちこみなみはは〉)、朝倉あさくら伸二しんじ小川おがわ金治きんじ安吉やすよしちち〉)、宮地みやじ雅子まさこ小川おがわみね〈安吉やすよしはは〉)、奥山おくやま眞佐子まさこ江口えぐち俊子としこ)、神田かんだ時枝ときえ江口えぐちまつ〈俊子としこしゅうと〉)、有福ありふくせいこころざし鬼頭おにがしら教頭きょうとう)、岩崎いわさきひろしほか

スタッフ[編集へんしゅう]

放送ほうそう日程にってい[編集へんしゅう]

放送ほうそうしゅう かい 放送ほうそう サブタイトル 次回じかい予告よこくのナレーション 演出えんしゅつ
だい01しゅう 001 - 006 1997ねん4がつ07にち - 04がつ12にち 花嫁はなよめは15さい 望月もちづきあぐり:田中たなか美里みさと 清水しみず一彦かずひこ
だい02しゅう 007 - 012 1997ねん4がつ14にち - 04がつ19にち エイスケの秘密ひみつ しお:梅沢うめざわ昌代まさよ
だい03しゅう 013 - 018 1997ねん4がつ21にち - 04がつ26にち なぞおんな 望月もちづき勇造ゆうぞう若林わかばやし久弥ひさや
だい04しゅう 019 - 024 1997ねん4がつ28にち - 05月03にち おやしん 磯部いそべ山本やまもとすすむ だいあきらみやび
だい05しゅう 025 - 030 1997ねん5がつ05にち - 05がつ10日とおか あかちゃん誕生たんじょう 辻村つじむらりん太郎たろう野村のむら宏伸ひろのぶ
だい06しゅう 031 - 036 1997ねん5がつ12にち - 05月17にち はじめての東京とうきょう 岩渕いわぶち春子はるこ川俣かわまたしのぶ 遠藤えんどう
だい07しゅう 037 - 042 1997ねん5がつ19にち - 05月24にち ゆめ美容びよう 佐伯さえきふき磯野いそのたか 清水しみず一彦かずひこ
だい08しゅう 043 - 048 1997ねん5がつ26にち - 05月31にち 内弟子うちでし1年生ねんせい 山本やまもと花枝はなえひろしじんじゅん だいあきらみやび
だい09しゅう 049 - 054 1997ねん6がつ02にち - 06がつ07にち 先生せんせい醜聞しゅうぶん(スキャンダル) すずおん小林こばやしめぐみ 遠藤えんどう
だい10しゅう 055 - 060 1997ねん6がつ09にち - 06月14にち ちち背中せなか 中野なかの辰子たつこ鈴木すずき砂羽さわ 大橋おおはしまもる
だい11しゅう 061 - 066 1997ねん6がつ16にち - 06月21にち うわさ断髪だんぱつ(ショートヘア) 伊沢いさわつま五郎ごろう苅谷かりや俊介しゅんすけ 本木もとぎ一博かずひろ
だい12しゅう 067 - 072 1997ねん6がつ23にち - 06月28にち でっかいお年玉としだま 岩崎いわさき千代子ちよこ吉本よしもと多香美たかみ 清水しみず一彦かずひこ
だい13しゅう 073 - 078 1997ねん6がつ30にち - 07がつ05にち 美容びよういん開店かいてん 安田やすだ沢子さわこ三浦みうら理恵子りえこ だいあきらみやび
だい14しゅう 079 - 084 1997ねん7がつ07にち - 07がつ12にち ははからのおくりもの 望月もちづき淳之介じゅんのすけ鎌田かまた佳祐けいすけ 遠藤えんどう
だい15しゅう 085 - 090 1997ねん7がつ14にち - 07がつ19にち おとこおんなあいだには 川村かわむら井原いはら由希ゆき 清水しみず一彦かずひこ
だい16しゅう 091 - 096 1997ねん7がつ21にち - 07がつ26にち わかれのきょく 五十嵐いがらし民子たみこ笹峰ささみねあい 大橋おおはしまもる
だい17しゅう 097 - 102 1997ねん7がつ28にち - 08がつ02にち 受験生じゅけんせいはは 望月もちづきエイスケ:野村のむらまんとき 管原すがわらひろし
だい18しゅう 103 - 108 1997ねん8がつ04にち - 08がつ09にち エイスケ 太田おおたとめ:細川ほそかわふみえ 清水しみず一彦かずひこ
だい19しゅう 109 - 114 1997ねん8がつ11にち - 08がつ16にち 淳之介じゅんのすけ初恋はつこい 高山たかやま秋山あきやま武史たけし だいあきらみやび
だい20しゅう 115 - 120 1997ねん8がつ18にち - 08がつ23にち さよなら東京とうきょう 岩本いわもと尚久なおひさ関口せきぐち知宏ともひろ 遠藤えんどう
だい21しゅう 121 - 126 1997ねん8がつ25にち - 08がつ30にち ははあつなつ 望月もちづき光代みつよほし由里子ゆりこ 清水しみず一彦かずひこ
だい22しゅう 127 - 132 1997ねん9がつ01にち - 09月06にち ゆめふたたび 福沢ふくさわみなみ池内いけうち万作まんさく はらはやし麻奈まな
だい23しゅう 133 - 138 1997ねん9がつ08にち - 09月13にち なおちから 望月もちづき淳之介じゅんのすけ山田やまだ純大じゅんだい 本木もとぎ一博かずひろ
だい24しゅう 139 - 144 1997ねん9がつ15にち - 09がつ20日はつか 最後さいご親孝行おやこうこう 望月もちづき和子かずこ浜丘はまおか麻矢まや
望月もちづき理恵りえ前田まえだ未来みらい
遠藤えんどう
だい25しゅう 145 - 150 1997ねん9がつ22にち - 09月27にち 人生じんせい冒険ぼうけん旅行りょこう はやしあぐり:田中たなか美里みさと 清水しみず一彦かずひこ
だい26しゅう 151 - 156 1997ねん9がつ29にち - 10月04にち 素晴すばらしき日々ひび

総集編そうしゅうへん[編集へんしゅう]

放送ほうそうかい サブタイトル
だい1かい 花嫁はなよめは15さい
だい2かい ゆめ美容びよう
だい3かい わかれのきょく
最終さいしゅうかい 素晴すばらしき日々ひび


受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

備考びこう[編集へんしゅう]

はやしあきらやく高嶋たかしま政伸まさのぶは、個人こじんとしては1988ねん下半期しもはんきの『じゅんちゃんの応援おうえん以来いらい[14]芸能げいのう一家いっか高島たかしまとしては前作ぜんさくふたりっ』で有沢ありさわ英之ひでゆきやくちち忠夫ただおつづいてのあさドラ出演しゅつえんとなった[15]。なお、えんじたやくは3にんども「ヒロインの親族しんぞく」である[ちゅう 6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 小説しょうせつ吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ女優じょゆう吉行よしゆき和子かずこ小説しょうせつ詩人しじん吉行よしゆき理恵りえははで、小説しょうせつ吉行よしゆきエイスケつま2015ねん1がつ逝去せいきょ
  2. ^ じつきていた」という設定せっていにしてしい、など。
  3. ^ 2021年度ねんどからBS4Kでもアンコール放送ほうそう開始かいしされた。
  4. ^ 採用さいようはあぐりの息子むすことはらなかったが、淳之介じゅんのすけから上記じょうき辞書じしょつけはじめてづく。自分じぶんはは面識めんしきがあること最後さいごまでつたえなかった。
  5. ^ オープニングでは肩書かたがき表記ひょうきがなく“吉行よしゆきあぐり「梅桃ゆすらうめ(ゆすらうめ)がみのるとき」より”と表記ひょうき
  6. ^ 政宏まさひろ政伸まさのぶともに「ヒロインのおっと[16]忠夫ただおは「ヒロインの祖父そふ」。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ (メディア情報じょうほう) へん『NHK年鑑ねんかん'98』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1998ねん10がつ30にち、178ぺーじ 
  2. ^ 「ご当地とうちマップ」参照さんしょう
  3. ^ だい56さく「あぐり」 - あさドラ100 - NHK
  4. ^ NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ視聴しちょうしゃ −“あさドラ”はどうられているか −” (PDF). メディア研究けんきゅう. NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ (2020ねん1がつ30にち). 2023ねん7がつ27にち閲覧えつらん(「付表ふひょう1 NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ作品さくひん一覧いちらんひょう】」の154ぺーじの56)
  5. ^ 田中たなか美里みさと - NHK人物じんぶつろく
  6. ^ 野村のむらまんとき - NHK人物じんぶつろく
  7. ^ 山田やまだ純大じゅんだい - NHK人物じんぶつろく
  8. ^ 里見さとみ浩太朗こうたろう - NHK人物じんぶつろく
  9. ^ 松原まつばら智恵子ちえこ - NHK人物じんぶつろく
  10. ^ NHKあさ連続れんぞくテレビ小説しょうせつ「あぐり」のなか登場とうじょうする〈辻村つじむらりん太郎たろう吉行よしゆきエイスケの友人ゆうじん)は実在じつざいするのか。”. レファレンス協同きょうどうデータベース. 2021ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  11. ^ 名取なとり裕子ゆうこ - NHK人物じんぶつろく
  12. ^ 鈴木すずき砂羽さわ - NHK人物じんぶつろく
  13. ^ 吉行よしゆき和子かずこ - NHK人物じんぶつろく
  14. ^ 髙嶋政伸まさのぶ 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ じゅんちゃんの応援おうえん(1988) - NHK人物じんぶつろく
  15. ^ 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ『ふたりっ - NHK放送ほうそう
  16. ^ じゅんちゃんの応援おうえん (98) - NHK

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

NHK 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
ふたりっ
(1996年度ねんど下半期しもはんき
あぐり
(1997年度ねんど上半期かみはんき
甘辛あまからしゃん
(1997年度ねんど下半期しもはんき
NHK BSプレミアムNHK BS4K 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ・アンコール
みおつくし
(2020年度ねんど下半期しもはんき
あぐり
(2021年度ねんど上半期かみはんき
  • ほんさくよりBS4Kでの放送ほうそう開始かいし
マーねえちゃん
(2021年度ねんど下半期しもはんき