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クルックスかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
オフ状態じょうたいとオン状態じょうたいのクルックスかんみぎのガラスかべ蛍光けいこうマルタ十字じゅうじかげしめすように、電子でんしせん陰極線いんきょくせん)は陰極いんきょくひだり)からたあと直進ちょくしんする。もと底部ていぶけられた電極でんきょく陽極ようきょくである。

クルックスかん(クルックスかん、えい: Crookes tube)とは、初期しょき実験じっけんよう真空しんくう放電ほうでんかんである。真空しんくう放電ほうでん実験じっけん利用りようされていた[1]。1869 - 1875ねんごろにイギリスじん物理ぶつり学者がくしゃウィリアム・クルックスなどによって発明はつめいされた[2][3]陰極線いんきょくせん、すなわち真空しんくうちゅう電子でんしせんはクルックスかんなかはじめて見出みいだされた[4]

前身ぜんしんであるガイスラーかんおなじように、クルックスかん様々さまざま形状けいじょうのガラス容器ようきりょうはし金属きんぞく電極でんきょく陰極いんきょく陽極ようきょく)をけたものである。ただし、ガイスラーかんよりもたか真空しんくうにまで排気はいきされている。電極でんきょくあいだこう電圧でんあつ印加いんかされると、陰極いんきょくからいわゆる陰極線いんきょくせんがまっすぐしてくる。クルックスのほか、ヴィルヘルム・ヒットルフユリウス・プリュッカー英語えいごばんオイゲン・ゴルトシュタインハインリヒ・ヘルツフィリップ・レーナルトらはクルックスかんもちいて陰極線いんきょくせん性質せいしつ研究けんきゅうした。陰極線いんきょくせんかんする最大さいだい知見ちけんは、その正体しょうたいまけ電荷でんか粒子りゅうしながだというもので、J. J. トムソン発見はっけんによる。この粒子りゅうしのちに「電子でんし」("electron")と名付なづけられた。現在げんざいではクルックスかん陰極線いんきょくせんえんじしめせようにしかもちいられていない。

ヴィルヘルム・レントゲン1895ねんにクルックスかんから放射ほうしゃされるXせん発見はっけんした。実験じっけんようのクルックスかんから発展はってんしただいいち世代せだいひや陰極いんきょくXせんかんは「クルックスのXせんかん」とばれ、1920ねんごろまで利用りようされていた[5]

オフ状態じょうたい
磁石じしゃくがなければ陰極線いんきょくせん直進ちょくしんする。
陰極線いんきょくせんがU磁石じしゃくによって下方かほうげられた。
陰極線いんきょくせん磁気じき偏向へんこう実演じつえんしている様子ようす陰極いんきょく右側みぎがわ)のちかくに磁石じしゃくいて水平すいへい方向ほうこう磁場じば作用さようさせると、陰極線いんきょくせん磁場じば直交ちょっこうする方向ほうこうちからけて下方かほうげられ、かんそこ蛍光けいこうスポットがしたにずれる。かんなか残留ざんりゅう空気くうき電子でんしせんけてピンクに発光はっこうしている。

動作どうさ原理げんり

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クルックスかん回路かいろしき

クルックスかんひや陰極いんきょくかん一種いっしゅである。すなわち、のち実用じつようされた真空しんくうかんことなりねつ電子でんし放出ほうしゅつのための加熱かねつフィラメントをっていない。そのわり、誘導ゆうどうコイルなどでつくったこうあつ直流ちょくりゅう電圧でんあつかずkV -  100 kV)を電極でんきょくあいだ印加いんかすることで、電離でんりした残留ざんりゅう気体きたい分子ぶんし陰極いんきょく衝突しょうとつさせて電子でんし生成せいせいする。このためクルックスかん内部ないぶ少量しょうりょう空気くうきがなければ動作どうさしない。必要ひつよう真空しんくうはおよそ10−6 - 5×10−8 atm(0.1 - 0.005 Pa)である。

クルックスかんなかではわずかなかずイオン自由じゆう電子でんしひかり電離でんり自然しぜん放射線ほうしゃせん電離でんり作用さようなどによって自然しぜん発生はっせいしている。これらの荷電かでん粒子りゅうしこう電圧でんあつ管内かんないつく電場でんじょうによって駆動くどうされる。電子でんしがほかの気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつすると、分子ぶんしない電子でんしそとたたされてイオンがのこることがある。この過程かてい連鎖れんさして多数たすうイオンが発生はっせいすることをタウンゼント放電ほうでんという。しょうじたイオンはすべて陰極いんきょく(カソード)にけられていき、陰極いんきょく突入とつにゅうしてその表面ひょうめんから大量たいりょう電子でんしたたす。この電子でんし陰極いんきょくから斥力せきりょくけ、陽極ようきょく(アノード)めがけてんでいったものが陰極線いんきょくせんである。

管内かんない適度てきど排気はいきされており、大半たいはん電子でんしいち気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつせずにかん全長ぜんちょうけることができる。軽量けいりょう電子でんしこう電圧でんあつ印加いんかによって相当そうとう速度そくどにまで加速かそくされる(典型てんけいてきかん電圧でんあつ10 kVにたいしてやく5まん9000 km/sひかり速度そくどの20%[6])。陽極ようきょく付近ふきんかった電子でんし運動うんどうりょうたかまっているため、陽極ようきょく引力いんりょくってそのよことおぎ、かんそこ内壁ないへきたる。電子でんしがガラスの原子げんし衝突しょうとつすると、その軌道きどう電子でんしうえエネルギーじゅんげる。励起れいきされた電子でんしはもとのエネルギーじゅんもどとき、そのエネルギー相当そうとうするひかり放出ほうしゅつする。蛍光けいこうばれるこのプロセスにより、ガラスは緑色みどりいろひかりはっする。電子でんしそのものはえないが、電子でんしビームが照射しょうしゃされているスポットは発光はっこうによって識別しきべつできる。後年こうねん研究けんきゅうしゃ発光はっこうやすくするためガラスかん内壁ないへき蛍光けいこうたいった。蛍光けいこうたいとは硫化りゅうか亜鉛あえんをはじめとする蛍光けいこう燐光りんこうはっする化学かがく物質ぶっしつ総称そうしょうである。内壁ないへきにぶつかった電子でんし最終さいしゅうてき陽極ようきょくにたどりき、陽極ようきょく接続せつぞくされた導線どうせんつたって電源でんげんへとすすみ、陰極いんきょくへとおくかえされてくる。

クルックスかんなか観察かんさつできる様々さまざまなグロー領域りょういき

電子でんし運動うんどうについては以上いじょうのように理解りかいすることができるが、クルックス管内かんないイオン電子でんし中性ちゅうせい原子げんし相互そうご作用さよう平衡へいこうプラズマになっているため、その運動うんどう細部さいぶまで完全かんぜん記述きじゅつするのは容易よういではない。管内かんない圧力あつりょくが10−6 atm(0.1 Pa)よりたかくなると、プラズマの作用さようにより、圧力あつりょくおうじてことなるいろ各種かくしゅのグロー領域りょういきまれる(みぎ)。その詳細しょうさいについては20世紀せいき初頭しょとうプラズマ物理ぶつりがく発展はってんするまで理解りかいされなかった。

歴史れきし

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クルックスかん前身ぜんしんとなったガイスラーかん現代げんだいネオンかん実験じっけんよう放電ほうでんかんである。ガイスラーかんは10−3 atm(100 Pa)程度ていどてい真空しんくう動作どうさするため[7]管内かんない電子でんしすこしのあいだんだだけで気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつする。したがって電子でんしながれはゆっくりした拡散かくさん過程かていによっておこなわれる。電子でんしかえ気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつしながらすすむので、運動うんどうエネルギーがそれほどたかくなることはない。このような事情じじょうによりガイスラーかんでは陰極線いんきょくせんのビームがつくられることはない。そのわり、電子でんし気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつしてそれらを励起れいきさせ、ひかり放出ほうしゅつさせることで、管内かんないあざやかないろグロー放電ほうでんたされる。

1902ねんバニティ・フェア掲載けいさいされたカリカチュア。クルックスとその発光はっこうかん名声めいせい物語ものがたっている。ラテン語らてんごのキャプション「ウビ・クルクス・イビ・ルクス」、すなわち「クルックスあるところにひかりあり」がえられていた。

1870年代ねんだいまでにクルックスは共同きょうどう研究けんきゅうしゃのギミンガムが改良かいりょうしたスプレンゲルしき水銀すいぎん真空しんくうポンプen:Sprengel pump[8]もちい、ガイスラーかん真空しんくうを10−6 - 5×10−8 atmにまで向上こうじょうさせた(ただし、ほかでも同様どうよう研究けんきゅうおこなわれていた)。その結果けっか管内かんない圧力あつりょくげていくにつれて、プラズマの陰極いんきょく近辺きんぺんから発光はっこうしない領域りょういきひろがりはじめてかん全域ぜんいきおおくし、かわりに陽極ようきょくがわのガラスかんそこ発光はっこうはじめることが発見はっけんされた。このくら領域りょういき現在げんざい「クルックス暗部あんぶ」とばれている。

ここできているのは以下いかのようなことである。管内かんない空気くうき排気はいきされるにつれて、陰極いんきょくからした電子でんし運動うんどうさまたげる気体きたい分子ぶんしかずっていき、電子でんし衝突しょうとつするまでにすす平均へいきん距離きょりながくなる。気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつによってひかり放出ほうしゅつするので、クルックス暗部あんぶかん全域ぜんいきおおくしたとき、電子でんし陰極いんきょくから陽極ようきょくまで衝突しょうとつすることなく直進ちょくしんしている。衝突しょうとつによってエネルギーをうしなうことがなくなり、またクルックスかん電圧でんあつたかいことから、電子でんし相当そうとう速度そくどにまで加速かそくされる。かんはし陽極ようきょくしかかったとき、だい多数たすう電子でんしはそのよこぎてガラスの内壁ないへきにぶつかる。電子でんしそのものはえないが、電子でんしがガラスかべにぶつかるとガラスを構成こうせいする原子げんし励起れいきされ、緑色みどりいろ蛍光けいこう放出ほうしゅつする。研究けんきゅうしゃはビームスポットをやすくするためにクルックスかんかんそこ蛍光けいこう塗料とりょうった。

このおもわぬ蛍光けいこう現象げんしょうにより、管内かんないにある陽極ようきょくなどの物体ぶったい蛍光けいこうスポットにくっきりしたかげうつすことが発見はっけんされた。1869ねんヒットルフ陰極いんきょくからなんらかの直進ちょくしんするビームがていなければかげつくられないことをはじめて指摘してきした[9]1876ねんゴルトシュタインなにかが陰極いんきょくから放出ほうしゅつされていることをたしかめ、「陰極線いんきょくせん」(Kathodenstrahlen)と名付なづけた[10]

その当時とうじ既知きち粒子りゅうしなか最小さいしょうのものは原子げんしであり、電子でんし存在そんざいられておらず、電流でんりゅうなにによってはこばれているかはなぞだった。そんななか陰極線いんきょくせん性質せいしつ探求たんきゅうするために様々さまざま工夫くふうらしたクルックスかん作製さくせいされた(ふし参照さんしょう)。真空しんくうちゅう弾道だんどうてき電子でんし導線どうせんながれる電子でんしよりも研究けんきゅう対象たいしょうとしてごろであり、その性質せいしつ次々つぎつぎあばかれていった。また、いろあざやかなひかりはっする放電ほうでんかんは、最新さいしん電気でんき科学かがく神秘しんぴ紹介しょうかいする公開こうかい講座こうざにおいても人気にんきはくした。蛍光けいこう鉱物こうぶつ材料ざいりょうとしたり、蛍光けいこう塗料とりょうちょうえがかれるなどの装飾そうしょくてきなクルックスかん作製さくせいされ、各種かくしゅ蛍光けいこう物質ぶっしつはな多彩たさいいろひかり観衆かんしゅうたのしませた。

1895ねんレントゲンはクルックスかんから放出ほうしゅつされているXせん発見はっけんした。Xせん様々さまざま使つかみちがあることはすぐにあきらかになり、ここでクルックスかんはじめて実用じつようてき用途ようとまれた。

クルックスかん動作どうさ不安定ふあんてい信頼しんらいせいけていた。陰極線いんきょくせんのエネルギーと流量りゅうりょうはどちらも残留ざんりゅう気体きたい圧力あつりょく左右さゆうされた。時間じかんとともに気体きたい分子ぶんしかんかべ吸収きゅうしゅうされていくため、圧力あつりょく減少げんしょうすることで陰極線いんきょくせん放出ほうしゅつりょう減少げんしょうしていった。さらに管内かんない電位でんい上昇じょうしょうするため、陰極線いんきょくせんはより「硬質こうしつ」な(エネルギーのたかい)ものとなる。そのうち圧力あつりょくがさらに低下ていかするとクルックスかんはまったく動作どうさしなくなってしまう。これをふせぐため、Xせんかんのように使用しよう頻度ひんどたかいクルックスかんでは、少量しょうりょう気体きたい放出ほうしゅつして機能きのう回復かいふくさせる調節ちょうせつ("softener")がまれていた。

クルックスかんのちいだのは、1906ねんごろに発明はつめいされた電子でんし回路かいろようねつ陰極いんきょく英語えいごばん 真空しんくうかんである。このたね真空しんくうかんはクルックスかんよりひくい10−9 atm(10−4 Pa)程度ていど圧力あつりょく動作どうさした。この圧力あつりょくでは気体きたい分子ぶんしすくなすぎるため電離でんりによる伝導でんどうおこなわれない。そのかわり、より信頼しんらいせいたか電子でんしげんとして、ねつ陰極いんきょくばれる加熱かねつようフィラメントからのねつ電子でんし放出ほうしゅつ利用りようしていた。現代げんだいでは、クルックスかんのように電離でんりによって陰極線いんきょくせんつく方式ほうしきは、サイラトロンのような特殊とくしゅ気体きたい放電ほうでんかんでしかもちいられていない。

クルックスかん開発かいはつされた電子でんしせん操作そうさ技術ぎじゅつは、時代じだい真空しんくうかんなかでもフェルディナント・ブラウンが1897ねん発明はつめいしたブラウン管ぶらうんかんかされている。

Xせん発見はっけん

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1910ねんごろのクルックスXせんかん
クルックスXせんかんかんの頸部(右側みぎがわ)にけられた装置そうちは「水素すいそ浸透しんとうしき圧力あつりょく調節ちょうせつ」である。

クルックスかんくわえられる電圧でんあつやく5000 V以上いじょう十分じゅうぶんたかであれば[11]陽極ようきょくやガラスかんかべにぶつかったときにXせん生成せいせいするほどの速度そくどまで電子でんし加速かそくすることができる。高速こうそく電子でんしがXせん生成せいせいする過程かていとおりある。まず、せい電荷でんか集中しゅうちゅうしている原子核げんしかく近傍きんぼうとおぎると電子でんし軌道きどうするどげられ、そのさいにXせん放射ほうしゃする。この過程かてい制動せいどう放射ほうしゃという。つぎに、電子でんし原子げんし衝突しょうとつして原子げんしない電子でんしうえエネルギーじゅんげたさい、その電子でんしもとのエネルギーじゅんもどるときに余分よぶんなエネルギーをXせんとして放出ほうしゅつすることがある。この過程かてい蛍光けいこうXせんばれる。

初期しょきつくられたクルックスかんもXせん発生はっせいさせていたのは間違まちがいない。実際じっさい、イヴァン・プリュイ(en)などの当時とうじ研究けんきゅうしゃは、クルックスかんちかくに感光かんこう写真しゃしん乾板かんぱんくと乾板かんぱんくもることにづいていた。1895ねん11月8にちくろ厚紙あつがみおおわれたクルックスかん操作そうさしていたレントゲンは、ちかくにいてあった蛍光けいこうスクリーンがかすかにひかりはっしていることに気付きづいた[12]。レントゲンはクルックスかんからなんらかのえない放射線ほうしゃせんており、厚紙あつがみ透過とうかしてスクリーンに蛍光けいこうはっさせていることを察知さっちした。手元てもとにあった紙片しへんほんではこの放射線ほうしゃせんさえぎることはできなかった。レントゲンはこしえてこの放射線ほうしゃせん研究けんきゅうかり、1895ねん12月28にちにはXせんかんする最初さいしょ研究けんきゅう論文ろんぶん公開こうかいした[13]。レントゲンはこの発見はっけんによりだいいちかいノーベル物理ぶつりがくしょう(1901ねん)を受賞じゅしょうした。

Xせん医療いりょう応用おうようされはじめ、クルックスかんはじめて実用じつようてき用途ようとまれた。各地かくち工房こうぼうではXせん発生はっせいとくしたクルックスかん製作せいさくされはじめ、これがXせんかん原型げんけいとなった。重金属じゅうきんぞくはXせん発生はっせいりょうおおきいため、陽極ようきょく材料ざいりょうとしておもプラチナもちいられた。陽極ようきょく陰極いんきょくたいして適当てきとう角度かくどかたむけられており、その表面ひょうめんからはっしたXせんかん側壁そくへき透過とうかするようになっていた。鮮明せんめいXせんぞうるにはXせんげんてん光源こうげんちかづける必要ひつようがあるため、陰極いんきょく形状けいじょうを凹球めんとすることで陽極ようきょくじょう直径ちょっけいmmのスポットに電子でんしせん集中しゅうちゅう照射しょうしゃしていた。このたねひや陰極いんきょくXせんかん1920ねんころまでもちいられていたが、ねつ陰極いんきょくクーリッジかんこうゆずった。

クルックスかんもちいた実験じっけん

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クルックスかんおおくの歴史れきしてき実験じっけんもちいられたが、その焦点しょうてん陰極線いんきょくせん正体しょうたいさぐることだった[14]当時とうじふたつのせつがあった。イギリスのクルックスやヴァ―リー(en)らがしんじているところでは、陰極線いんきょくせんとは「小体こてい」("corpuscle")ないし「放射ほうしゃ物質ぶっしつ」("radiant matter")、すなわち電荷でんかびた原子げんしであった。ドイツのヘルツゴルトシュタインらは陰極線いんきょくせんを「エーテル振動しんどう」、すなわち未知みち種類しゅるい電磁波でんじはだとみなし、管内かんないながれる電流でんりゅうとははなしてかんがえていた[15][16]トムソン陰極線いんきょくせん質量しつりょう測定そくていし、その正体しょうたいまけ電荷でんかった新種しんしゅ粒子りゅうしだと実証じっしょうしたことで論争ろんそう終結しゅうけつした。トムソンはこの粒子りゅうしを「小体こてい」とんでいたが、のちに「電子でんし」("electron")というあらためられた。

マルタ十字じゅうじ

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プリュッカー1869ねんマルタ十字じゅうじかた陽極ようきょくをクルックスかんけた。陽極ようきょくにはヒンジがついており、げてかん底面ていめんかせることができた。スイッチをれるとかんそこ蛍光けいこうめん鮮明せんめい十字じゅうじがたかげうつり、陰極線いんきょくせん直進ちょくしんしていることがれた。そのまましばらくおくと、蛍光けいこうが「へたって」ひかりよわまってくる。ここで十字架じゅうじかたおして陰極線いんきょくせん経路けいろけると、それまでかげだった領域りょういきよりもあかるく蛍光けいこうはっした。

表面ひょうめん垂直すいちょく方向ほうこうへの放出ほうしゅつ

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ゴルトシュタイン1876ねん陰極線いんきょくせんつね陰極いんきょく表面ひょうめんたいして垂直すいちょく放出ほうしゅつされることを発見はっけんした[17][10]陰極いんきょく平板へいばんなら、陰極線いんきょくせんはそのめん直交ちょっこうする直線ちょくせんじょうすすむ。これは陰極線いんきょくせん粒子りゅうしであるという証拠しょうこひとつだった。なぜなら、赤熱しゃくねつした金属きんぞくばんのような発光はっこうたいはあらゆる方向ほうこうひかりはっするが、荷電かでん粒子りゅうしならばどう電荷でんかびた物体ぶったい表面ひょうめんから垂直すいちょくとおざかる方向ほうこうちからけるはずである。陰極いんきょくが凹球めんさらがたであれば、陰極線いんきょくせんさらまえにあるいちてん集中しゅうちゅうする。これを利用りようして試料しりょういちてん陰極線いんきょくせん照射しょうしゃすることで高温こうおんねっすることができた。

電場でんじょうによる偏向へんこう

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ヘルツはクルックスかんりょう側面そくめんにもういちくみきょくばんけ、陰極線いんきょくせんはさむようにした。この構造こうぞうはごく素朴そぼくなCRT(ブラウン管ぶらうんかん)だとみなせる。もし陰極線いんきょくせん荷電かでん粒子りゅうしであれば、ごくいた電圧でんあつをかけると電場でんじょうしょうじて陰極線いんきょくせん軌道きどうげ、ビームが照射しょうしゃされているかんそこ蛍光けいこうスポットがよこうごくはずである。ヘルツは陰極線いんきょくせん偏向へんこう観察かんさつできなかったが、その原因げんいん装置そうち真空しんくう不十分ふじゅうぶんだったことで表面ひょうめん電荷でんか蓄積ちくせきし、電場でんじょう遮蔽しゃへいしていたためだとのち結論けつろんけられた。アーサー・シュスターはより真空しんくうたか装置そうちもちいて陰極線いんきょくせん偏向へんこうさせることに成功せいこうし、陰極線いんきょくせんせい電荷でんかびたきょくばんけられ、電荷でんか反発はんぱつすることを発見はっけんした。これは陰極線いんきょくせん電荷でんかびており、したがって電磁波でんじはではないことの証拠しょうことされた。

クルックスの磁気じき偏向へんこうかん

羽根車はねぐるま

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クルックスによる1879ねん論文ろんぶん"On Radiant Matter"で紹介しょうかいされている羽根車はねぐるま実験じっけん

クルックスは陰極線いんきょくせん経路けいろじょうちいさい羽根車はねぐるまけ、陰極線いんきょくせんたるとくるま回転かいてんすることを発見はっけんした。回転かいてん陰極いんきょくからはなれるきだったことから、ビームが陰極いんきょくからはっしていることが示唆しさされた。クルックスはこの現象げんしょうから陰極線いんきょくせん運動うんどうりょうっており、したがって質量しつりょう粒子りゅうしだと結論けつろんした。しかしのちになって、羽根車はねぐるままわるのは粒子りゅうし電子でんし)の運動うんどうりょうのためではなく、ラジオメーター効果こうかのためだと判明はんめいした。すなわち、羽根はね表面ひょうめん陰極線いんきょくせんたっている部分ぶぶんねつび、ねつ膨張ぼうちょうした気体きたい羽根はねすというものである。これを1903ねん実証じっしょうしたのはトムソンである。トムソンは計算けいさんにより、羽根車はねぐるまたっている電子でんし運動うんどうりょうではまいぶん1回転かいてんというゆっくりした回転かいてんしかこせないことをしめした。クルックスの実験じっけんしめしていたのは、たん陰極線いんきょくせん物体ぶったい表面ひょうめん加熱かねつすることができるということである。

電荷でんか

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ジャン・ペラン陰極線いんきょくせんそれ自体じたいまけ電荷でんかっているのか、あるいはドイツせつのように電荷でんかのキャリアべつ存在そんざいするのかをめようとした。1895ねん、ペランはクルックスかんに「捕獲ほかく」("catcher")をけた。これはりょうはしじたアルミニウムとうで、陰極いんきょくいたがわちいさいあなけられており、陰極線いんきょくせんとらえられるようになっていた。捕獲ほかくけん電器でんき接続せつぞくされ電荷でんか測定そくていすることが可能かのうだった。その結果けっか電荷でんか検出けんしゅつされ、陰極線いんきょくせんまけ電気でんきつことがたしかめられた。

陽極線ようきょくせん

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陰極いんきょくあなけられた特製とくせいのクルックスかん陽極線ようきょくせんしょうじている(上部じょうぶピンク色ぴんくいろ発光はっこう)。

1886ねんにゴルトシュタインは、陰極いんきょくあな穿うがつと陽極ようきょくぎゃくがわくちからぼんやりしたひかりはなつものがながすことを発見はっけんした[18][19]。この「陽極線ようきょくせん」に電場でんじょうをかけると、陰極線いんきょくせんとはぎゃく電荷でんかびたきょくばんけられた。陽極線ようきょくせん正体しょうたい陰極いんきょくせられたイオンのビームであった。ゴルトシュタインはこれを「カナルせん」("canal ray")と名付なづけた[20]

陽極線ようきょくせんかんしき。「perforated cathode」(あなひらいた陰極いんきょく)の右側みぎがわ陽極線ようきょくせん発生はっせいしている。

ドップラーシフト

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ゴルトシュタインは陰極線いんきょくせん速度そくど測定そくていする方法ほうほうつけたとかんがえた。クルックス管内かんない気体きたいにみられるグロー放電ほうでん陰極線いんきょくせん運動うんどうによってこされているなら、かん沿って陰極線いんきょくせんすす方向ほうこう放射ほうしゃされるこうドップラー効果こうかによって振動しんどうすう変調へんちょうけるはずである。変調へんちょう有無うむ放出ほうしゅつスペクトルせんのシフトを分光ぶんこうもちいて検出けんしゅつすることでたしかめられる。ゴルトシュタインはLがたのクルックスかんりょうはし電極でんきょくもうけ、一方いっぽう電極でんきょくからコーナーにけてアームに沿ってんできたひかりをコーナー分光ぶんこう観測かんそくできるようにした。まず分光ぶんこういているがわ電極でんきょく陰極いんきょくとしてグローのスペクトル測定そくていしたのち電源でんげん配線はいせんをつなぎえて陰極いんきょく陽極ようきょく交代こうたいさせ、電子でんし運動うんどう方向ほうこう逆転ぎゃくてんさせた状態じょうたいでスペクトルを記録きろくし、シフトりょう測定そくていした。しかしゴルトシュタインはシフトを検出けんしゅつすることができず、陰極線いんきょくせん移動いどう速度そくど極端きょくたんおそいと解釈かいしゃくせざるをなかった。現在げんざい理解りかいされているところでは、クルックスかんのグローこうはっしているのは電子でんしそのものではなく、電子でんし衝突しょうとつした気体きたい原子げんしである。原子げんし電子でんしすうせんばい質量しつりょうつため、その運動うんどう電子でんしくらべて非常ひじょうおそい。ドップラーシフトが検出けんしゅつできなかったのはこれが理由りゆうである。

レーナルトのまど

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フィリップ・レーナルト陰極線いんきょくせんをクルックスかんそとすことができるかたしかめようとした。かれ陰極いんきょくめんした容器ようきかべに「まど」をけ、外界がいかいからの大気たいきあつにちょうどえられる程度ていどあつさのアルミはくって陰極線いんきょくせんけるようにした。この仕組しくみはのちに「レーナルトのまど」とばれた。レーナルトが実験じっけんおこなうと、まさになにかがまどから放射ほうしゃされていた。まどまえかかげた蛍光けいこうスクリーンはひかりたっていなくとも蛍光けいこうはっし、写真しゃしん乾板かんぱんかかげると露光ろこうしていないはずなのにくろ感光かんこうした。この効果こうかおよ範囲はんい非常ひじょうみじかく、2.5 cm程度ていどであった。レーナルトは様々さまざま物質ぶっしつのシートをもちいて陰極線いんきょくせん透過とうかりょく測定そくていし、原子げんしせんには不可能ふかのうなほどあつ物体ぶったい陰極線いんきょくせん透過とうかできることを見出みいだした。原子げんし当時とうじもっとちいさい粒子りゅうしだとかんがえられていたため、当初とうしょこの結果けっか陰極線いんきょくせんなみである証拠しょうことみなされた。のちになって電子でんし原子げんしよりもちいさいことがあきらかになり、透過とうかりょくたかさもそのためだとされた。レーナルトはこの仕事しごとたいして1905ねんノーベル物理ぶつりがくしょう授与じゅよされた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ クルックスかん(クルックスかん)の意味いみ”. goo国語こくご辞書じしょ. 2019ねん12月8にち閲覧えつらん
  2. ^ Crookes, William (December 1878). “On the illumination of lines of molecular pressure, and the trajectory of molecules”. Phil. Trans. 170: 135–164. doi:10.1098/rstl.1879.0065. 
  3. ^ "Crookes Tube". The New International Encyclopedia. Vol. 5. Dodd, Mead & Co. 1902. p. 470. 2016ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ Crookes tube”. The Columbia Electronic Encyclopedia, 6th Ed.. Columbia Univ. Press (2007ねん). 2016ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  5. ^ Mosby's Dental Dictionary, 2nd ed., 2008, Elsevier, Inc. cited in "X-ray tube". The Free Dictionary. Farlex, Inc. 2008. 2016ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  6. ^ Kaye, George W. K. (1918). X-rays (3rd Ed ed.). London: Longmans, Green Co.. p. 262. https://books.google.co.jp/books?id=UFhDAAAAIAAJ&pg=PA262&redir_esc=y&hl=ja 2016ねん6がつ27にち閲覧えつらん  Table 27.
  7. ^ Tousey, Sinclair (1915). Medical Electricity, Rontgen Rays, and Radium. Saunders. p. 624. http://www.electrotherapymuseum.com/Library/TouseyMedicalElectricity/Vacuums/index.htm 2016ねん6がつ27にち閲覧えつらん 
  8. ^ C. H. Gimingham (1876). “On a new Form of the 'Sprengel' Air-pump and Vacuum-tap”. Proceedings of the Royal Society of London 25: 396-402. https://archive.org/details/philtrans05435332 2016ねん6がつ28にち閲覧えつらん. 
  9. ^ Pais, Abraham (1986). Inward Bound: Of Matter and Forces in the Physical World. UK: Oxford Univ. Press. p. 79. ISBN 0-19-851997-4. https://books.google.co.jp/books?id=mREnwpAqz-YC&pg=PA81&redir_esc=y&hl=ja 2016ねん6がつ28にち閲覧えつらん 
  10. ^ a b Thomson, Joseph J. (1903). The Discharge of Electricity through Gasses. USA: Charles Scribner's Sons. p. 138. https://books.google.co.jp/books?id=Ryw4AAAAMAAJ&pg=PA138&redir_esc=y&hl=ja 2016ねん6がつ28にち閲覧えつらん 
  11. ^ Xせんのエネルギーと透過とうかりょくかん電圧でんあつとともに上昇じょうしょうする。電圧でんあつ5000 V以下いかでもXせん生成せいせいするが、「硬度こうど」がりないため、ごくわずかなXせんしかガラスかべ貫通かんつうしない。
  12. ^ Peters, Peter (1995ねん). “W. C. Roentgen and the discovery of X-rays” (Chapter 1). Textbook of Radiology. Medcyclopedia.com, GE Healthcare. 2013ねん6がつ16にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん5がつ5にち閲覧えつらんレントゲンは死後しご研究けんきゅうノートをてさせたため、Xせん発見はっけん情況じょうきょうについてはおおくの異説いせつがある。この記述きじゅつ伝記でんき作家さっかつくげたストーリーである可能かのうせいたかい。
  13. ^ Röntgen, Wilhelm (1896-01-23). “On a New Kind of Rays”. Nature 53 (1369): 274–276. Bibcode1896Natur..53R.274.. doi:10.1038/053274b0. http://www.nature.com/nature/journal/v53/n1369/pdf/053274b0.pdf 2016ねん6がつ29にち閲覧えつらん. , 1895ねん12月28にちにWurtzberg Physical and Medical Societyにとどけられた論文ろんぶん英訳えいやくばん
  14. ^ Brona, Grzegorz. “The Cathode Rays”. Atom - The Incredible World. 2009ねん5がつ25にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  15. ^ (Pais 1986), pp. 79-81.
  16. ^ (Thomson 1903), pp. 189-190.
  17. ^ E. Goldstein (1876). Monat der Berl. Akad.. p. 284. 
  18. ^ E. Goldstein (1886). Berliner Sitzungsberichte 39: 391. 
  19. ^ (Thomson 1903)pp.158-159
  20. ^ Concept review Ch.41 Electric Current through Gasses”. Learning Physics for IIT JEE (2008ねん). 2016ねん6がつ29にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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