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ディオゲネス (犬儒けんじゅ学派がくは)

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シノペのディオゲネスから転送てんそう
シノペのディオゲネス
生誕せいたん 紀元前きげんぜん412ねん
シノペ
死没しぼつ 紀元前きげんぜん323ねん
コリントス
時代じだい 古代こだい哲学てつがく
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
学派がくは 古典こてんギリシア哲学てつがく
研究けんきゅう分野ぶんや 禁欲きんよく主義しゅぎ
キュニコス
無恥むち英語えいごばん
(Ἀναιδείας)
おも概念がいねん キュニコス哲学てつがく
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ディオゲネスの胸像きょうぞう

ディオゲネスえい: DiogenesまれΔιογένης Diogénēs紀元前きげんぜん412ねん? - 紀元前きげんぜん323ねん)は、古代こだいギリシア哲学てつがくしゃアンティステネス弟子でしで、ソクラテス孫弟子まごでしたる。シノペうまれ。シノペのディオゲネスとも。

犬儒けんじゅキュニコス)の思想しそう体現たいげんしていぬのような生活せいかつおくり、「いぬのディオゲネス」とわれた。また、だいたる住処すみかにしていた。翻訳ほんやくによっては、「(かめ)」ともやくされるが、これは古代こだいギリシアの酒樽さかだる木製もくせいのものではなく、であったためである。そのため、「たるのディオゲネス」ないし「のディオゲネス」ともわれた。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

「ディオゲネスは銀行ぎんこう(Τραπεζίτης:トラペジテス)のヒケシオス(Ικέσιος)のでシノペのひとかれ父親ちちおや(ポリス)の公金こうきんあつか銀行ぎんこう(έπιµελητής監督かんとくしゃ)であったが、“通貨つうか(ノミスマ)を変造へんぞう(パラハラクシス)した(παράχαράξαντος τό νόμισμα)”ので、ディオゲネスは追放ついほうされた。」(○・いち)

ディオゲネスは、両替りょうがえしょうヒケシオスのとしてシノペまれた。逸話いつわによって様々さまざまであるが、かれちち通貨つうか鋳造ちゅうぞうないしそれにかかわる仕事しごとおこなっていたとかんがえられる。ちち手伝てつだいをしていたとも、ディオゲネスが通貨つうか鋳造ちゅうぞうおこな職人しょくにんたちのまとめやく(監督かんとくやくέπιµελητής)だったともわれている。またちちがシノペの経済けいざい中枢ちゅうすうともえる貨幣かへい一般いっぱん仕切しき立場たちば(監督かんとくやくέπιµελητής)だったともわれる。シノペにころのディオゲネスは、このような要職ようしょくいていたことから経済けいざいてきゆたかで地位ちいもそれなりにあった立場たちば人間にんげんであったことがうかがえる。シノペはギリシア本国ほんごくからははなれたアナトリア半島はんとう位置いちする都市とし国家こっかであったため、つね陸続りくつづきのペルシャの太守たいしゅ(サトラプ)たちとの摩擦まさつなやんでいる立地りっちであった。

発掘はっくつされる貨幣かへいると、あきらかにシノペの信用しんようきずつけるような贋造がんぞう貨幣かへいおお出土しゅつどしている。なかには素人しろうと鋳造ちゅうぞうした粗末そまつなものもある。だが、シノペの貨幣かへいうらに、ヒケシオスとディオゲネスのイニシャル(“ΙΚΕΣΙΟ”、もしくは“ΔでるたΙいおたΟおみくろん”の文字もじ)ではなくペルシャ傘下さんかのカッパドキア太守たいしゅ(サトラプ)であるダタメス(ΔΑΤΑΜΑ文字もじ)、あるいは息子むすこのシシュナスの名前なまえきざまれたものが存在そんざいする。敵国てきこくからの偽造ぎぞう通貨つうか工作こうさくをうけて、侵略しんりゃく危険きけんつねにとなりあわせであった。そして出土しゅつどした貨幣かへいには独特どくとくきずがつけられていた。きんメッキをした贋金にせがねであるかどうかを判断はんだんするために鏨痕をける方法ほうほうがあった。贋金にせがねであることが判明はんめいした場合ばあい銀行ぎんこうにもってゆくとそれとおな金額きんがく貨幣かへい交換こうかんされ、回収かいしゅうされたとう。

おそらくは、その行為こういが「“通貨つうか(ノミスマ)を変造へんぞう(パラハラクシス)した(παράχαράξαντος τό νόμισμα)”」と行為こういだと推察すいさつできる。ディオゲネス(ないしヒケシオス)は通貨つうかに「きずをつけ(パラハラクシス)」贋金にせがねかどうかの判断はんだんをするために「通貨つうか変造へんぞう」した。しかし、これがおそらくはてきれることとなったために、贋造がんぞうつみといっしょくたに告訴こくそされてしまった。ディオゲネスは国外こくがいのがれたが、ちちヒケシオスは獄死ごくししたとされる。

国外こくがい追放ついほうはアテナイに定住ていじゅう哲学てつがくしゃとなるが、最低さいていでも55さいにはなっていたかれにとっては精神せいしんてきにも肉体にくたいてきにもつら時期じきであったとおもわれる。国家こっか要職ようしょくにありながら、市民しみんけん地位ちい財産ざいさん家族かぞくといった一切いっさいうしなった流浪るろうたびいかめしかった。裕福ゆうふく市民しみんならば奴隷どれい(ないし従者じゅうしゃ)をつれているものであったが、ともたびをするべくれてゆく従者じゅうしゃかずおおくなかったとおもわれる。

この流浪るろうたびなかこったエピソードが逸話いつわとしてのこっている。ディオゲネスに追従ついしょうしていた最後さいごのひとりの従者じゅうしゃ(奴隷どれい)であるマネスが突如とつじょ姿すがたしてしまった。困窮こんきゅう悲惨ひさんドン底どんぞこにあった主人しゅじんててしまったのだ。周囲しゅうい人々ひとびとが、ディオゲネスをあわれにおも捜索そうさくをしようとするが、ディオゲネスがみなめてった。「おかしなはなしだよ、マネス(奴隷どれい)のほうはディオゲネス(主人しゅじん)なしでもきてゆけるが、ディオゲネス(主人しゅじん)のほうはマネス(奴隷どれい)なしにはやっていけないとすれば」とこたえ、捜索そうさく無用むようとした。奴隷どれいにまで見捨みすてられ天涯孤独てんがいこどく人生じんせいにおいてかれ自身じしん哲学てつがく原点げんてん萌芽ほうがてとれる。アリストテレスのおいであり、代目だいめリュケイオンがくあたまであるテオフラストスが『メガラ』のなかでこうべている。「ネズミが寝床ねどこもとめることもく、暗闇くらやみおそれることもく、美味びみ美食びしょくおもわれるものをしがりもせずはしまわっているのをて」見出みいだすにいたったとある。

そのアテナイに到着とうちゃくしたディオゲネスは「異邦いほうじん(クセノス)」として、アテナイじんぐうされる。しかし、それは最初さいしょだけでありディオゲネスは当初とうしょ神殿しんでんなどを間借まがりしてホームレスのような生活せいかつおくっていたとされる。「アテナイじん自分じぶんのために住処すみかをしつらえてくれている」という本人ほんにん言葉ことばどおりだったのだろう。

しかし、それでも50をえる年齢ねんれい施設しせつ管理人かんりにんたちの文句もんくや、いやがらせをするものたちもあったのか小屋こやててもらおうと知人ちじんたよることにした。「あるひと手紙てがみして、自分じぶんのために小屋こやをひとつ用意よういしてくれるように」と手紙てがみした。しかし、なかなかつくってくれないため「メトロオンにあった(ピトス)を住居じゅうきょとしてもちいるようになった」。そのはアテナイじん若者わかものたちによってあるこわされてしまう。だが、アテナイじんはその若者わかもの鞭打むちうちにしばっしたのちわりの用意よういしてくれたとう。「かれはアテナイじんたちによってあいされていた」とある。

こうしてアテナイに定住ていじゅうしたディオゲネスは哲学てつがくしゃとして活動かつどうおこなう。そのスタイルはかつてのソクラテスがおこなったように辻説法つじせっぽう対話たいわといったものだった。かれ珍妙ちんみょうなキャラや行動こうどうはんして、けっして不条理ふじょうりこごめしない姿すがたから……次第しだいかれ有名人ゆうめいじんになっていた。かれもいくつか書物しょもつあらわしていたそうだが、散逸さんいつしてしまっている。かれかんするほんとしては、のちにキュニコスのメニッポスがあらわした『ディオゲネスの売却ばいきゃく』というほんがあった。アリストテレスのおいであり、リュケイオンの代目だいめがくあたまであるテオフラストスがっていたとされる『ディオゲネス語録ごろくしゅう』などがあった。これらはのディオゲネス・ラエルティオスの著作ちょさく哲学てつがくしゃ列伝れつでん」における「ディオゲネスでん」を作成さくせいするさい資料しりょうにもなっていたとされるが、現在げんざい散逸さんいつしてしまっている。そのかれ奴隷どれいしょうによって誘拐ゆうかいされ奴隷どれいとしてりにされてしまう。これにより、コリントスじんのクセニアデスの奴隷どれいとしてかれいえ生活せいかつすることになる。ディオゲネスは家事かじ全般ぜんぱん子供こども教育きょういくなどをメキメキとこなしたためにクセニアデスは「ふくかみんだ!」とよろこんだとされる。

最期さいごかんしては、はっきりとした逸話いつわのこっていない。ディオゲネスはアレクサンドロス大王だいおうおなごろんだ。死因しいんタコべてたったためとも、いぬあしみつかれたためとも、自分じぶんいきめる修行しゅぎょうをしたためともわれている。

思想しそう[編集へんしゅう]

ディオゲネスは「とく」が人生じんせい目的もくてきであり、欲望よくぼうから解放かいほうされて自足じそくすること、どうじないしんつことが重要じゅうようだとかんがえた。そのため肉体にくたいてき精神せいしんてき鍛錬たんれんおもんじた。

ディオゲネスは神託しんたくけ、貨幣かへい改鋳かいちゅうしゃ贋金にせがねづくり)としていきなり追放ついほうされた。ディオゲネスにくだされた神託しんたくは「ポリティコン・ノミスマ(くになかひろ通用つうようしてるもの=しょ制度せいど習慣しゅうかん道徳どうとく価値かち)をえよ」といったものだった。かれはそれにしたがって、実際じっさい通貨つうか価値かちえてみせた。ディオゲネスはそのため、国外こくがい追放ついほうされたのである。

また、知識ちしき教養きょうよう無用むようのものとし、音楽おんがく天文学てんもんがく論理ろんりがくをさげすんだ。とくプラトンイデアろん反対はんたいし、「わたしには『つくえそのもの』というのはえない」とった。プラトンは「それはきみがないからだ」といいかえした。に「プラトンの雄鶏おんどり」の逸話いつわ後述こうじゅつ)でも有名ゆうめいだが、のちにプラトンはディオゲネスについてかれて「くるったソクラテスだ」とひょうした。ディオゲネスのこれらの行動こうどう貴族きぞくてき言動げんどうをしていたプラトンへのけであったともわれている。

運動うんどう不可能ふかのう(おそらくゼノンのパラドックス)をろんじている哲学てつがくしゃまえで、あるまわってそのろんのおかしいことをしめした。

ポリス理念りねん否定ひていし、貴方あなた何人なんにんなのかとかれると「自分じぶんはコスモポリーテス(世界せかい市民しみん)だ」とい、史上しじょうはじめてコスモポリタニズムというかたりつくった。また女性じょせい子供こども共有きょうゆう主張しゅちょうした。

かれにはじゅうほどの著作ちょさくがあったというせつがあるが、一方いっぽうでまったく著作ちょさくしなかったとのせつもある。

モニモスクラテスなどの多数たすう弟子でしそだてた。

逸話いつわ[編集へんしゅう]

ラファエロさくアテナイの学堂がくどう」にえがかれたディオゲネス。中央ちゅうおう階段かいだん付近ふきんでだらしなく腰掛こしかけている。
コップをすてるディオゲネス(ジョン・マーティン
誠実せいじつ人間にんげんさがすディオゲネス (ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン)。

ディオゲネスは、その思想しそうよりも奇行きこう言動げんどうにまつわる逸話いつわによってられる。

  • 追放ついほう航海こうかいちゅう海賊かいぞくらえられ、奴隷どれいとしてられるときに「なにができるか」とかれると「ひと支配しはいすることだ」とこたえた。そのさいコリントスひとクセニアデスゆびさし、「このひとわたしってくれ。かれ主人しゅじん必要ひつようとしている」とった。クセニアデスはかれってコリントにかえり、自分じぶんどもたちの教育きょういくたらせ、またいえのこと一切いっさいかれゆだねた。ディオゲネスは上手うま仕切しきったため、クセニアデスは「ふくかみんだ」とよろこんだという。
  • ディオゲネスは、アテナイにやってくると、ソクラテスの弟子でしであったアンティステネス弟子入でしいりをねがった。かれ弟子でしらないことにしていたのでことわったが、ディオゲネスはしつこくたのんだ。アンティステネスがおこってつえあたまなぐろうとすると、かれはこうった。「どうぞなぐってください。わたしすほどかたくありません」。結果けっかディオゲネスはアンティステネスの弟子でしになった。
  • ディオゲネスはアンティステネスのとくたいする思想しそうぎ、物質ぶっしつてき快楽かいらくをまったくもとめず、外見がいけんにまったく無頓着むとんじゃくだった。粗末そまつ上着うわぎのみをて、頭陀袋ずだぶくろひとつをって乞食こじきのような生活せいかつをした。神殿しんでんアゴラでもにすることなく食事しょくじをしてはて「アテナイじん自分じぶんのために住処すみかつくってくれる」とった。あるときは酒樽さかだる大甕おおみか)にんだことから「たるのディオゲネス」と渾名あだなされるようになった。
  • 子供こどもみずをすくってんでいるのをて、自分じぶんはまだいたらなかったとかんがえ、唯一ゆいいつものであったコップ(さらとも)をてた。
  • ディオゲネスがアゴラでものべているところをひとて「まるでいぬだ」とののしったので、「ひとものっているときにあつまってくるおまえたちこそいぬじゃないか」といいかえした。
  • 宴会えんかいちゅうひとたちがディオゲネスをいぬ見立みたてて、からかってほねげつけると、かれいぬのように片足かたあしげてかれらに小便しょうべんけた。
  • みちばたで公然こうぜん自慰じい行為こういおよび、「こするだけで満足まんぞくできて、しかもかねもかからない。こんなによいことはにない。食欲しょくよくもこんなふうに簡単かんたんたされたらよいのに」とった。
  • 高級こうきゅう娼婦しょうふとしてをはせていたフリュネは、ディオゲネスの精神せいしんたか評価ひょうかしており、無償むしょうでディオゲネスをきゃくにとった。
  • プルタルコスの『英雄えいゆうでん』がつたえる逸話いつわとして、紀元前きげんぜん336ねんアレクサンドロス大王だいおうがコリントスに将軍しょうぐんとしておとずれたとき、ディオゲネスが挨拶あいさつなかったので、大王だいおうほうからいにった。そのときかれ体育たいいくじょうすみにいて日向ひなたぼっこをしていた。大勢おおぜいきょうれた大王だいおうが「わたしがアレクサンドロス大王だいおうである」と名乗なのると、ディオゲネスは「わたしいぬのディオゲネスです」とこたえたという。大王だいおうなに希望きぼうはないかとくと、「あなたがそこにたれると日陰ひかげになるからどいてください」とだけった。帰途きと大王だいおうは「わたしがもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」とったという。
  • 上記じょうき付随ふずいする逸話いつわとして、ラエルティオスの『ギリシア哲学てつがくしゃ列伝れつでん』では、アレクサンドロス大王だいおうがディオゲネスのまえって、「おまえは、わたしおそろしくないのか」とった。かれは「いったい、あなたは何者なにものなのですか。ぜんしゃなのですか、それとも、わるものなのですか」とたずねた。そこで大王だいおうが「無論むろんものだ」とこたえると、「それでは、だれものおそれるでしょうか」とったという。
  • オリンピア優勝ゆうしょうした闘技とうぎうつくしいおんなかえ様子ようすて、「偉大いだい闘技とうぎ小娘こむすめくびげられているよ」とからかった。
  • あるひとがディオゲネスにものおくり、人々ひとびとがその行為こういめた。すると、ディオゲネスは「もら価値かちのあるわたしめてくれ」とった。
  • あるひとサモトラケとう神殿しんでん感謝かんしゃ奉納ほうのうおおいと感心かんしんしていた。すると、ディオゲネスは「すくわれなかったひと奉納ほうのうしていたら、もっとおおかっただろう」とった。
  • プラトンが「人間にんげんとはほんあしある動物どうぶつである」と定義ていぎすると、ディオゲネスは「ではニワトリ人間にんげんか」といいかえした。それをけてプラトンが「人間にんげんとはほんあしあるのない動物どうぶつである」とさい定義ていぎすると、ディオゲネスは羽根はねをむしりった雄鶏おんどりたずさえてきて、「これがプラトンのいうところの人間にんげんだ」とった。その、プラトンはさき定義ていぎにさらに「ひらたいつめをした」という語句ごくくわえる羽目はめになった。これが「プラトンの雄鶏おんどり」のられる故事こじである。
  • にちちゅうランプともしてあるまわった。ひとから「なにをしているのだ」とかれ、「誠実せいじつ人間にんげんさがしているのだ」とこたえた。しかし、ろくでなしといややつしかつからなかった[1]
  • せまってきたとき、どのように埋葬まいそうしてしいかかれて「うつせに」とこたえた。理由りゆうかれると「もなく上下じょうげ逆転ぎゃくてんするだろうから」とこたえた。
  • ギリシアのひとたちは、ディオゲネスをわら一方いっぽうかれあいした。かれ住居じゅうきょにしている何者なにものかによってられたとき、べつあたえられたという。

ほかにもかぞれないほどの逸話いつわがあり、シニカルの語源ごげんとなったかれ思想しそう信条しんじょう(「シニカル」は、キュニコスす「cynic」を形容詞けいようししたもの)に相応ふさわしくひとったものがおおい。しかし、これらのおおくはおそらく、日本にっぽん一休いっきゅうはなしのように、ディオゲネスに仮託かたくして創作そうさくされた小話こばなしかんがえられている。

その[編集へんしゅう]

英国えいこく作家さっかアーサー・コナン・ドイル発表はっぴょうしたシャーロック・ホームズシリーズなか短編たんぺんギリシャ通訳つうやく」では、シャーロック・ホームズあにマイクロフト・ホームズは、他人たにんとの交流こうりゅうきらひとたちのためのロンドンでもっと風変ふうがわりなクラブ、「ディオゲネス・クラブ」の創立そうりつしゃ一員いちいんであり、その会員かいいんという設定せっていになっている。

ディオゲネスの言行げんこうを、現代げんだいきこもりセルフ・ネグレクト考察こうさつ使つかわれることがはじまり、「ディオゲネス症候群しょうこうぐん英語えいごばん、ディオゲネス・シンドローム」という語句ごくもちいられることがある。

ベネット・フォディ英語えいごばんによるコンピュータゲーム『Getting Over It with Bennett Foddy』では、下半身かはんしんがまにはまった男性だんせい主人公しゅじんこうであるが、そのをディオゲネスという[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ディオゲネス・ラエルティオス (1972) [1925]. "Διογένης (Diogenes)". Βίοι κかっぱαあるふぁγがんまνにゅーμみゅーαあるふぁιいおた τたうνにゅーνにゅー φιλοσοφίᾳ εいぷしろんὐδοκιμησάντων [Lives of eminent philosophers]. Volume 2. Translated by Robert Drew Hicks (Loeb Classical Library ed.). Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. ISBN 0-674-99204-0. Retrieved 2010-09-14. Ⅵ:32
  2. ^ 藤田ふじた祥平しょうへいつぼおとこ”としてブームをこした『Getting Over It』はなにをプレイヤーたちにしめしたかったのか? 絶望ぜつぼう放物線ほうぶつせんかさなる“さき”をいまかえ」『でんファミニコゲーマー』、2019ねん7がつ10日とおか2023ねん8がつ15にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]