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ソユーズTM-5

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Soyuz TM-5
徽章きしょう
ミッションの情報じょうほう
ミッションめい Soyuz TM-5
質量しつりょう 7000kg
乗員じょういんすう 3 (打上うちあ) / 2 (帰還きかん
コールサイン Роднии́к (Rodnik- 湧水わきみず)
打上うちあ日時にちじ 1988ねん6がつ7にち
14:03:13 UTC
ガガーリン発射はっしゃだい
着陸ちゃくりくまたは着水ちゃくすい日時にちじ 1988ねん9がつ7にち
00:49:38 UTC
ジェズカズガン南西なんせい202㎞
ミッション期間きかん 91にち10あいだ46ふん25びょう
周回しゅうかいすう ~1,475
遠地点えんちてん 241km
きん地点ちてん 173km
公転こうてん周期しゅうき 88.6ふん
軌道きどう傾斜けいしゃかく ~51.6°
年表ねんぴょう
前回ぜんかい 次回じかい
ソユーズTM-4 ソユーズTM-6

ソユーズTM-5は、ロシアの宇宙うちゅうステーションミールへの5かい長期ちょうき滞在たいざいである。

乗組のりくみいん

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打上うちあ:

帰還きかん:

ミッションハイライト

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ソユーズTM-5は、1988ねん6がつ7にちげられ、ブルガリア2人ふたり宇宙うちゅう飛行ひこうアレクサンドル・アレクサンドロフはこんで6がつ9にちミール到着とうちゃくした。かれは、ロシアの宇宙うちゅうステーションに到着とうちゃくした最初さいしょのブルガリアじんだった。(1979ねんグレゴリー・イワノフソユーズ33ごうサリュート6ごうへの到着とうちゃく失敗しっぱいしたときには、バックアップだった)。Rozhen astronomical experimentの照明しょうめい条件じょうけん調節ちょうせつのため、打上うちあげは当初とうしょ予定よていよりも2週間しゅうかんおくれた。9月5にち、TM-6ごう到着とうちゃくしたウラジーミル・リャホフアブドゥルアフド・ムハンマド帰還きかんのためミールをはなれた。かれらは軌道きどうモジュールを放棄ほうきし、軌道きどう離脱りだつ燃焼ねんしょう準備じゅんびをした。しかし、宇宙うちゅう飛行ひこうにもコロリョフツープにもらされず、ガイダンスコンピュータは6がつからブルガリアのミッションのため、ドッキングソフトウェアに使つかわれていた。赤外線せきがいせん水平すいへいセンサーが適切てきせつ高度こうど確認かくにんできなかったため、軌道きどう離脱りだつ燃焼ねんしょう予定よていされた時刻じこくこらなかった。予定よていより7ふん、センサーは適切てきせつ高度こうどたっしたことを確認かくにんし、メインエンジンに点火てんかされたが、リャホフは3びょうにそれを中止ちゅうしした。3あいだの2度目どめ点火てんかは6びょうしかつづかなかった。リャホフはすぐに手動しゅどうでの軌道きどう離脱りだつこころみたが、60びょうにコンピュータはエンジンを停止ていしした。

James Obergの著書ちょしょSecrets of Soyuzによると、2度目どめ点火てんかこころみのさい自動じどう降下こうかプログラムをさいスタートさせるために、リャホフは1度目どめ中断ちゅうだん無視むしするようコンピュータを設定せっていした。そのため、1度目どめ点火てんか成功せいこうであったように進行しんこうし、宇宙船うちゅうせん通常つうじょうさい突入とつにゅう軌道きどうはいることができた。

9月7にちに、大気圏たいきけんさい突入とつにゅう成功せいこうした。こののちソビエトは、ソユーズフェリー飛行ひこうでやっていたように、軌道きどう離脱りだつ燃焼ねんしょうわるまで軌道きどうモジュールをのこしておくようになった。