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ソユーズ5ごう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソユーズ5ごう
1969ねん1がつ16にちに、2有人ゆうじん宇宙船うちゅうせん最初さいしょのドッキングをおこなったのちソユーズ4ごうとソユーズ5ごうのイメージ。
ミッションの情報じょうほう
ミッションめい ソユーズ5ごう
質量しつりょう 6,585 kg (14,517 lb)
乗員じょういんすう 3めい発射はっしゃ
1めい着陸ちゃくりく
コールサイン Байкал (Baikal - "バイカル"の)
発射はっしゃだい ガガーリン発射はっしゃだい[1]
打上うちあ日時にちじ 1969ねん1がつ15にち
07:04:57(UTC)
着陸ちゃくりくまたは着水ちゃくすい日時にちじ 1969ねん1がつ18にち
07:59:12(UTC)
ミッション期間きかん 3にち00あいだ54ふん15びょう
周回しゅうかいすう 49しゅう
遠地点えんちてん 212 km (132 mi)
きん地点ちてん 196 km (122 mi)
公転こうてん周期しゅうき 88.6ふん
軌道きどう傾斜けいしゃかく 51.7°
年表ねんぴょう
前回ぜんかい 次回じかい
ソユーズ4ごう ソユーズ6ごう

ソユーズ5ごうロシア: Союз 5ソユーズは『団結だんけつ』『統合とうごう』の)は、1969ねん1がつ15にちソビエト連邦れんぽう発射はっしゃした宇宙船うちゅうせんである。軌道きどううえさきげられたソユーズ4ごう史上しじょうはつとなる人間にんげん搭乗とうじょうした宇宙船うちゅうせん同士どうしドッキングをし、またこれも史上しじょうはつとなる宇宙うちゅう空間くうかんでのほか宇宙船うちゅうせんへの移乗いじょう実現じつげんした。うつりはふねがい活動かつどうによっておこなわれた。

この飛行ひこう大気圏たいきけんさい突入とつにゅうとき発生はっせいした事故じこによってもられている。機械きかいせん司令しれいせんから分離ぶんりされなかったため、宇宙船うちゅうせん先端せんたんから大気圏たいきけんむことになり、ボリス・ボリノフ(Boris Volynov)飛行ひこうさい突入とつにゅうあいだシートベルトで座席ざせき宙吊ちゅうづりにされるかたちになった。機械きかいせんはやがて空気くうき抵抗ていこう分解ぶんかいし、司令しれいせん底部ていぶたいねついた前方ぜんぽうける正規せいき姿勢しせいになったためハッチが損傷そんしょうけることはなにとかまぬかれたが、パラシュートのひもがもつれ減速げんそくようロケット故障こしょうしたため、ボリノフは着陸ちゃくりく衝撃しょうげきることとなった。

搭乗とうじょういん[編集へんしゅう]

地位ちい 発射はっしゃ搭乗とうじょういん 着陸ちゃくりく搭乗とうじょういん
船長せんちょう ボリス・ヴォリノフ(Boris Volynov)
はつ飛行ひこう
同左どうさ
機関きかん アレクセイ・エリセーエフ(Aleksei Yeliseyev)
はつ飛行ひこう
なし
調査ちょうさ技術ぎじゅつ エフゲニー・フルノフ(Yevgeny Khrunov)
はつ飛行ひこう
なし

支援しえん搭乗とうじょういん[編集へんしゅう]

地位ちい 発射はっしゃ搭乗とうじょういん 着陸ちゃくりく搭乗とうじょういん
船長せんちょう アナトリー・フィリプチェンコ(Anatoli Filipchenko) 同左どうさ
機関きかん ヴィクトル・ゴルバトコ(Viktor Gorbatko) なし
調査ちょうさ技術ぎじゅつ ワレリー・クバソフ(Valeri Kubasov) なし

予備よび搭乗とうじょういん[編集へんしゅう]

地位ちい 発射はっしゃ搭乗とうじょういん 着陸ちゃくりく搭乗とうじょういん
船長せんちょう アナトリー・ククリン(Anatoli Kuklin) 同左どうさ
機関きかん ウラディスラフ・ボルコフ(Vladislav Volkov) なし
調査ちょうさ技術ぎじゅつ ピョートル・コロディン(Pyotr Kolodin) なし

技術ぎじゅつてき詳細しょうさい[編集へんしゅう]

ふねがい活動かつどう[編集へんしゅう]

  • エリセーエフ、フルノフ:EVA(Extra-Vehicular Activity、ふねがい活動かつどう)-1
  • EVA 1開始かいし:1969ねん1がつ16にち 12:43:00(UTC)
  • EVA 1終了しゅうりょう:1がつ16にち 13:15(UTC)
  • 時間じかん:37分間ふんかん

計画けいかく焦点しょうてん[編集へんしゅう]

ソユーズ5ごうには船長せんちょうのボリス・ボリノフと航空こうくう機関きかんのアレクセイ・エリセーエフ、エフゲニー・フルノフが搭乗とうじょうし、りょう機関きかんは4ごううつ大気圏たいきけんさい突入とつにゅうした。飛行ひこう計画けいかくにはほかにも科学かがく技術ぎじゅつ医療いりょうにおける研究けんきゅうや、宇宙船うちゅうせんのシステムや設計せっけい試験しけん宇宙船うちゅうせん操縦そうじゅう操作そうさしてのドッキング、軌道きどうじょうでのへの移乗いじょうなどがふくまれていた。

ひとり5ごうのこったボリノフは、このあと大気圏たいきけんさい突入とつにゅうあやうくいのちとしかけることになる。ソユーズは帰還きかんさい、まず球形きゅうけい軌道きどうせん分離ぶんりし、ロケットをぎゃく噴射ふんしゃして速度そくどとしたあと機械きかいせん分離ぶんりして、司令しれいせんのみが帰還きかんする。だがこのときは、ぎゃく噴射ふんしゃ機械きかいせん分離ぶんりしなかったのである。おなじような事故じこボストークボスホートでも発生はっせいしたことはあったが、今回こんかい事態じたいははるかに深刻しんこくだった。なぜならソユーズの機械きかいせんりょう宇宙船うちゅうせんくらべてずっとおおきいため、このままではどんなそらりょく負荷ふか機体きたいはたらくかまった予想よそうできないからである。たいねついたられていない機首きしゅ部分ぶぶんから大気圏たいきけん突入とつにゅうすれば、機体きたい分解ぶんかいしてしまう可能かのうせいもある。しかしながらぎゃく噴射ふんしゃ終了しゅうりょうしてしまったこの段階だんかいとなっては、もはや後戻あともどりすることは不可能ふかのうだった。

大気圏たいきけん上層じょうそう空気くうき抵抗ていこうきはじめると、機体きたいもっと安定あんていした姿勢しせいおそれていた、機首きしゅ前方ぜんぽうける最悪さいあく姿勢しせい – をとりはじめた。おも司令しれいせん前方ぜんぽうて、出入でいようのハッチが高温こうおん気流きりゅうにさらされることになったのである。ハッチの気密きみつよう保護ほごシールねつけだし、船内せんないには有毒ゆうどくなガスが充満じゅうまんしはじめた。このあいだボリノフは、通常つうじょうさい突入とつにゅうときとはぎゃく座席ざせきからベルトでつりげられるかたちとなった。さいわいにして結合けつごうねつ破壊はかいされたために機械きかいせん分離ぶんりし、司令しれいせんたいねついた前方ぜんぽうける正規せいき姿勢しせいいた。

司令しれいせん無事ぶじパラシュートをひらいたものの、ひもがからまり減速げんそくよう小型こがたロケットも点火てんかしなかったため、ボリノフは着陸ちゃくりくさい衝撃しょうげきってしまった。着陸ちゃくりく地点ちてん予定よていしていたカザフスタン基地きちからはるかにはなれた、オレンブルク近郊きんこうクスタニ(Kustani)の2km南西なんせいの、ウラル山脈さんみゃく山中さんちゅうであった。周囲しゅうい気温きおんは−38℃である。救助きゅうじょたい到着とうちゃくするまでにはなんあいだもかかることがかっていたので、ボリノフはカプセルからし、かずkmもあるいてようやくつけた小作農こさくのう農家のうか避難ひなんした。ボリノフがソユーズ21ごうさい飛行ひこうするのは、7ねんのことであった。

同様どうよう事故じこ2008ねんソユーズTMA-11でも発生はっせいしたが、着陸ちゃくりくさい衝撃しょうげきはこのときほどひどいものではなかった。

ふねがい活動かつどう詳細しょうさい[編集へんしゅう]

飛行ひこう計画けいかくには、アポロ9ごう計画けいかくされていたものとおなじようなふねがい活動かつどうふくまれていた。また最初さいしょげられたソユーズ4ごうとのあいだで、史上しじょうはつとなる有人ゆうじん宇宙船うちゅうせん同士どうしのドッキングをたした。タス通信たすつうしんはこの模様もようを「相互そうご機能きのうする宇宙船うちゅうせん誕生たんじょうした…せん電気でんき回路かいろ接続せつぞくされた。ここに搭乗とうじょういんのためのよっつの区画くかく実験じっけんてき宇宙うちゅうステーションてられ、機能きのう開始かいししたのである」と報道ほうどうした。

モスクワテレビは、5ごう軌道きどうせんなかでエリセーエフとフルノフがボリノフ船長せんちょうたすけをりながらヤストレブ(Yastreb、ロシアたか宇宙うちゅうふく映像えいぞう生放送なまほうそう中継ちゅうけいした。

ヤストレブ宇宙うちゅうふく設計せっけい1965ねんはじまり、すぐにボスホート2ごうアレクセイ・レオーノフ飛行ひこうによって史上しじょうはつふねがい活動かつどう使用しようされたが、技術ぎじゅつてき欠陥けっかんがあることが判明はんめいした。レオーノフは1966ねんいち年間ねんかんは、宇宙うちゅうふく改良かいりょうのための助言じょげんスタッフとして参加さんかした。新型しんがた宇宙うちゅうふく製造せいぞう試験しけん1967ねんはじまったが、このとしの4がつソユーズ1ごう事故じこ発生はっせいし、また2ごう3ごうもドッキングに失敗しっぱいしたため、新型しんがたふく使用しようは4ごうと5ごう飛行ひこうまでたなければならなかった。

ヤストレブはふく膨張ぼうちょうするのをふせぐため、 関節かんせつ部分ぶぶん滑車かっしゃとケーブルを装備そうびしている。上腕じょうわん部分ぶぶん灰色はいいろのナイロン周囲しゅういにめぐらされた金属きんぞくせいのリングが、上半身じょうはんしん関節かんせつがねとなっている。また胸部きょうぶ腹部ふくぶには長方形ちょうほうけい再生さいせいしき生命せいめい維持いじ装置そうちそなえ、ソユーズのふねがい活動かつどうようハッチからの出入でいりを容易よういにしている。

ボリノフは司令しれいせんもどまえにフルノフとエリセーエフの生命せいめい維持いじ装置そうち通信つうしんシステムを点検てんけんし、ハッチをめると軌道きどうせん減圧げんあつした。宇宙船うちゅうせんみなみアメリカ上空じょうくう飛行ひこうソ連それん本国ほんごくとの通信つうしんがとだえているあいだ、まずフルノフが4ごう軌道きどうせんうつった。ソ連それん上空じょうくうにさしかかるころ今度こんどはエリセーエフが移乗いじょうした。かれらが背後はいごにあるふねがい活動かつどうようのハッチをじると、4ごう船長せんちょうのシャタロフは再度さいど船内せんないあずかあつし、りょう宇宙うちゅうふくぐのを手伝てつだうために軌道きどうせんなかはいった。二人ふたり飛行ひこうはシャタロフに、かれ宇宙うちゅうったのち発行はっこうされた新聞しんぶん手紙てがみ電報でんぽうなどを手渡てわたし、宇宙うちゅう空間くうかんでの宇宙船うちゅうせんうつりが完全かんぜん成功せいこうしたことを証明しょうめいした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Baikonur LC1”. Encyclopedia Astronautica. 2009ねん4がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん3がつ4にち閲覧えつらん