ソユーズTMA-18M

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ソユーズTMA-18M
ISSから分離ぶんりされたソユーズTMA-18M (2016ねん3がつ2にち)
運用うんようしゃロスコスモス
COSPAR ID2015-043A
SATCAT №40885
特性とくせい
宇宙うちゅう11F747 No.718
宇宙うちゅう機種きしゅべつソユーズTMA-M 11F747
製造せいぞうしゃRKKエネルギア
乗員じょういん
乗員じょういんすう3
乗員じょういんセルゲイ・ヴォルコフ
アンドレアス・モーゲンセン
アイディン・アイムベトフ
着陸ちゃくりくミハイル・コルニエンコ
スコット・ケリー
コールサインEridan (エーリダノス)
任務にんむ開始かいし
2015ねん9がつ2にち
04:37:42 UTC
ロケットソユーズFG
任務にんむ終了しゅうりょう
着陸ちゃくりく2016ねん3がつ2にち
04:25:27 UTC
軌道きどう特性とくせい
参照さんしょう座標ざひょう地球ちきゅう周回しゅうかい軌道きどう
体制たいせいてい軌道きどう
ISSのドッキング(捕捉ほそく
ドッキング ポイスク
ドッキング(捕捉ほそくにち 2015ねん9がつ4にち
07:42:00 UTC
分離ぶんり 2016ねん3がつ2にち
01:02:30 UTC
dock時間じかん 179にち17あいだ20ふん

ひだりからモーゲンセン、ヴォルコフ、アイムベトフ
ソユーズ計画けいかく
(有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこう)

ソユーズTMA-18M国際こくさい宇宙うちゅうステーションだい45長期ちょうき滞在たいざいクルーをおくとどけるために2015ねん9月2にちバイコヌール宇宙うちゅう基地きちからげられた有人ゆうじん宇宙船うちゅうせんで、1967ねんはつ以来いらい127ソユーズ宇宙船うちゅうせんである。セルゲイ・ヴォルコフ、アンドレアス・モーゲンセン、アイディン・アイムベトフの3めい搭乗とうじょうした[1]。 アイディン・アイムベトフははつのカザフじん宇宙うちゅう飛行ひこうで、はつ宇宙うちゅう飛行ひこうであった[2]。また、アンドレアス・モーゲンセンははつのデンマークじん宇宙うちゅう飛行ひこうであった[3]

アイムベトフとモーゲンセンはソユーズTMA-16M搭乗とうじょうして2015ねん9がつ12にちさき帰還きかんし、ソユーズTMA-18Mの帰還きかんにはヴォルコフのほか1年間ねんかん長期ちょうき滞在たいざいえたミハイル・コルニエンコスコット・ケリーの3めい搭乗とうじょうして2016ねん3がつ2にちにカザフスタンに着陸ちゃくりくした。

クルー[編集へんしゅう]

地位ちい[4] メンバー 着陸ちゃくりくメンバー
コマンダー ロシアの旗 セルゲイ・ヴォルコフ, RSA
だい45長期ちょうき滞在たいざい
最後さいご・3かい宇宙うちゅう飛行ひこう
フライトエンジニア 1 デンマークの旗 アンドレアス・モーゲンセン[5], ESA
IrISS[6]
1かい宇宙うちゅう飛行ひこう
ロシアの旗 ミハイル・コルニエンコ, RSA
だい46長期ちょうき滞在たいざい
最後さいご・2かい宇宙うちゅう飛行ひこう
フライトエンジニア 2 カザフスタンの旗 アイディン・アイムベトフ[1], KazCosmos
なし
1かい宇宙うちゅう飛行ひこう
アメリカ合衆国の旗 スコット・ケリー, NASA
だい46長期ちょうき滞在たいざい
最後さいご・4かい宇宙うちゅう飛行ひこう

バックアップクルー[編集へんしゅう]

地位ちい[7] メンバー
コマンダー ロシアの旗 オレグ・スクリポチカ, RSA
フライトエンジニア 1 フランスの旗 トーマス・ペスケ, ESA
フライトエンジニア 2 ロシアの旗 セルゲイ・プロコピエフ, RSA

宇宙うちゅう旅行りょこうしゃ搭乗とうじょう予定よてい顛末てんまつ[編集へんしゅう]

当初とうしょ宇宙うちゅう旅行りょこうしゃとしてイギリスの歌手かしゅサラ・ブライトマン搭乗とうじょうすることが予定よていされていた。しかし、彼女かのじょは2015ねん5がつ13にち家庭かてい事情じじょう訓練くんれん中断ちゅうだんすると発表はっぴょうした[8]

バックアップクルーとして日本人にっぽんじん起業きぎょう高松たかまつさとし訓練くんれんける予定よていだったが、かれ当時とうじたずさわっていたプロジェクトの関係かんけい訓練くんれんりできなくなり、将来しょうらい飛行機ひこうきかい挑戦ちょうせんすることになった[2]

ロシアじん実業じつぎょうのフィラレット・ガルチェフにも打診だしんがあったが、かれ訓練くんれん時間じかんれないとして断念だんねんした[1]

結局けっきょく、ロスコスモスはアイディン・アイムベトフを搭乗とうじょうさせることに決定けっていした[2]

帰還きかん[編集へんしゅう]

国際こくさい宇宙うちゅうステーションに1年間ねんかん滞在たいざいしたクルー2めいふくむ3めいせ、2016ねん3がつ2にち 04:26 UTC[9]無事ぶじ帰還きかんした。

その[編集へんしゅう]

ソユーズTMA-18Mの帰還きかんカプセルは、デンマークじんはつ宇宙うちゅう飛行ひこうであるアンドレアス・モーゲンセンが搭乗とうじょうしたことを記念きねんしてヘルシンゲルにあるデンマーク科学かがく技術ぎじゅつ博物館はくぶつかん展示てんじされている[10]

References[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c TASS (2015ねん6がつ22にち). “Kazakhstani cosmonaut to fly to ISS in September in place of British singer Brightman”. 2015ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c Jeff Foust (2015ねん6がつ22にち). “Kazakh Cosmonaut To Take Brightman’s Place On Soyuz Flight”. Space News. http://spacenews.com/kazakh-cosmonaut-to-take-brightmans-place-on-soyuz-flight/ 
  3. ^ Soyuz TMA-18M launches on two day trip to ISS” (2015ねん9がつ1にち). 2015ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  4. ^ ru:Планируемые полёты” (ロシア). astronaut.ru. 2012ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  5. ^ Andreas Mogensen set for Soyuz mission to Space Station in 2015
  6. ^ ESA. “Andreas Mogensen’s mission name links cosmos and Earth”. 2015ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  7. ^ astronaut.ru (2013ねん). “Орбитальные полёты”. 2014ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  8. ^ Singer Sarah Brightman calls off flight to space station 13 May 2015
  9. ^ Gebhardt,Chris (2016ねん3がつ1にち). “Year In Space mission ends with Soyuz TMA-18M return”. nasaspaceflight.com. 2016ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  10. ^ “Historic space capsule ‘touches down’ in Denmark”. (2018ねん4がつ12にち). http://cphpost.dk/news/historic-space-capsule-touches-down-in-denmark.html 2018ねん5がつ8にち閲覧えつらん 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • ウィキメディア・コモンズには、ソユーズTMA-18Mかんするカテゴリがあります。