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チャンバワンバ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャンバワンバ
チャンバワンバ(2004ねん
基本きほん情報じょうほう
別名べつめい Skin Disease、Antidote (The Exと合同ごうどう)、Scab Aid
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ランカシャーしゅうバーンリー
ジャンル オルタナティブ・ロックフォークダンス
活動かつどう期間きかん 1982ねん - 2012ねん
レーベル Agit-Prop、ワン・リトル・インディアンEMI、MUTT、No Masters、ピースヴィル
共同きょうどう作業さぎょうしゃ Chimp Eats Banana
公式こうしきサイト chumba.com
きゅうメンバー ボフ・ホエーリー
ルー・ワッツ
ジュード・アボット
ニール・ファーガソン
フィル・ムーディ
ダンバート・ノバコン
ダンスタン・ブルース
アリス・ナッター
ハリー・パーマー
メイヴィス・デルソン
ポール・グレコ
ジュード・アボット、ニール・ファーガソン、ボフ・ホエーリー(2005ねん

チャンバワンバえい: Chumbawamba)は、1980年代ねんだいからイギリス活動かつどうしているオルタナティヴ・ロック・バンド。代表だいひょうきょくは「タブサンピング」(Tubthumping) 。

アナーキストはん社会しゃかいてきなスタイルが特徴とくちょう[1]音楽おんがくのジャンルはパンク・ロックから、フォークダンスなど多数たすうがける。

来歴らいれき

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初期しょき

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1982ねんイングランドランカシャーしゅうバーンリーでバンド「Chimp Eats Banana」のもとメンバー(ボフ・ホエーリー、ダンバート・ノバコンら)で結成けっせいされ、まもなくルー・ワッツが参加さんかした[2]同年どうねん1がつコンピレーション・アルバムにトラック「Three Years Later」を提供ていきょうしたのが最初さいしょのリリースとなる[2]

音楽おんがくてきにはザ・フォールPILワイヤーアダム&ジ・アンツらの影響えいきょうけており、クラスのような政府せいふ主義しゅぎてきなスタンスをっていた[2]初期しょきにリリースしたもののうちSkin Disease名義めいぎのものが1つあり、それはオイ!をパロディしている。その、ダンスタン・ブルース、アリス・ナッター、ハリー・ハーマー、メイヴィス・ディロンをメンバーにくわえ、リーズにて不法ふほう占拠せんきょした建物たてもの共同きょうどう生活せいかつをしながら活動かつどうしていた[2]。1980年代ねんだいにはアナーキー・パンクの最前線さいぜんせんにおり、不法ふほう占拠せんきょした建物たてものちいさなホールで、動物どうぶつ権利けんり保障ほしょう反戦はんせん運動うんどうをテーマとしたギグをしばしばった。

Agit-Propレーベル時代じだい

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1980年代ねんだいなかばにレーベル「Agit-Prop」を設立せつりつし、そこから1985ねん最初さいしょのシングル「Revolution」をリリースした。このきょくぜんえいインディー・チャートで4記録きろくし、またどうチャートに34週間しゅうかんもランクインするロングヒットとなった[2]。ファースト・アルバムは1986ねん発表はっぴょうされた『Pictures of Starving Children Sell Records』で、ボブ・ゲルドフ中心ちゅうしんとなって活動かつどうしていたライヴエイドが、世界中せかいじゅう飢餓きが本当ほんとう原因げんいん政治せいじであることからをそらすものだと批判ひはんする内容ないようだった[2]

ジ・エックス(The Ex)(オランダのパンク・バンド)とともヨーロッパ・ツアーをおこない、ともさくとしてAntidote名義めいぎでEP『Destroy Fascism!』をリリースした。

1987ねん発表はっぴょうされたセカンド・アルバム『Never Mind the Ballots』は、イギリスの民主みんしゅ主義しゅぎのありかたについて疑問ぎもんふくんだ内容ないようで、当時とうじそう選挙せんきょ同時どうじ発売はつばいされた[2]。また、Scab Aid名義めいぎ楽曲がっきょく「Let It Be」を発表はっぴょうし、このきょくフェリー・エイドビートルズの「レット・イット・ビー」を有名ゆうめい歌手かしゅらがチャリティーソングとしてカバーしたグループ)を揶揄やゆする内容ないようだった。

1988ねんのサード・アルバム『English Rebel Songs 1381-1914』は、これまでの音楽おんがくスタイルを全面ぜんめんえたもので、伝統でんとうてきなフォーク・ソングを全面ぜんめんしたものだった。このアルバムは、ドイツにおいてかれらの最大さいだい売上うりあげ記録きろくするものとなった。

ワン・リトル・インディアン・レーベル時代じだい

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1980年代ねんだい後半こうはんから1990年代ねんだい前半ぜんはんにかけて、テクノ・ミュージックレイヴ文化ぶんかから影響えいきょうはじめ、最初さいしょころのアナーキー・パンクのスタイルをてた。その時代じだい発表はっぴょうさくが、1990ねんのアルバム『Slap!』、1992ねんのアルバム『Shhh』(このアルバムは元々もともと『Jesus H Christ』というアルバムだったが、他人たにんきょくのフレーズをコピーした[1]ため著作ちょさくけん問題もんだいをクリアできず、ろくなおしとなった)である。また、1990ねんにははじめてのアメリカ・ツアーをおこなった[2]。そのころには10,000まいのセールスが保証ほしょうできるようになったため、日雇ひやといの仕事しごとめ、フルタイムで音楽おんがく活動かつどう従事じゅうじできるようになった。

イギリスの雑誌ざっし『Face』がジェイソン・ドノヴァン同性愛どうせいあいしゃであるとほうじたとき、チャンバワンバは「Jason Donovan - Queer As Fuck」と印刷いんさつしたTてぃーシャツをシングル「Behave」に付録ふろくとしてつけていた。

1993ねんワン・リトル・インディアン・レーベルと契約けいやくすると、はん政府せいふてき主張しゅちょういアルバム『アナーキー』を1994ねん発表はっぴょうした。このアルバムはぜんえいアルバムチャートのトップ30にはいるなど、この時点じてん最大さいだいのヒットさくとなり、シングルカットされた「Timebomb」「Enough Is Enough」もぜんえいシングルチャートにチャートインした。1995ねんにははつライブ・アルバム『ショウビジネス〜チャンバワンバLIVE』をリリースした。この成功せいこうけ、ワン・リトル・インディアンで過去かこのアルバムをさい発売はつばいすることになり、初期しょきの3まいのアルバムがはじめてCD形式けいしき発売はつばいされた。

1996ねん発表はっぴょうしたアルバム『スウィンギン・ウィズ・レイモンド』がセールス不振ふしんとなると、ワン・リトル・インディアン・レーベルかは契約けいやく解除かいじょされた。そのためメンバーは、また日雇ひやといの仕事しごとをすることになった。

ダンバード・ノバコン(1986ねん

EMIレーベル時代じだい

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1997ねん大手おおてのレーベルEMI契約けいやくしたが、過去かこにEMIを非難ひなんしていた(1989ねんに『Fuck EMI』というコンピレーション・アルバムに参加さんかしたことなど)ため、各所かくしょから批判ひはんび、アナーキー・パンク・バンドであるオイ・ポロイ英語えいごばんは『anti-Chumbawamba』というアルバムを発表はっぴょうすることさえした。チャンバワンバは、EMIと武器ぶきメーカーとのつながりがすうねんまえれたためであることを主張しゅちょうし、財政ざいせいてきにバンドがきていける機会きかいをもたらしたために契約けいやくしたことをメッセージとして発表はっぴょうした。

チャンバワンバ最大さいだいのヒットきょくタブサンピング」(ぜんえいシングルチャート2[3]全米ぜんべいシングルチャート6[4])は、かれらの歌詞かしなかもっと政治せいじてきなうちの1つである。このきょく労働ろうどうしゃ階級かいきゅううたで、貧困ひんこん不平等ふびょうどうによってノックダウンされるにもかかわらず、たのしいひとときをごす一般人いっぱんじんたたえるものである。日本にっぽん国内こくない深夜しんや放送ほうそうされていた音楽おんがく番組ばんぐみBEAT UK』(フジテレビ)でもUKシングルチャートで1獲得かくとくした。いでリリースした「記憶きおく喪失そうしつ」(Amnesia) はぜんえいシングルチャート10記録きろく[5]1998ねん開催かいさいされたブリット・アワード出演しゅつえんしたさい、「タブサンピング」の歌詞かし労働党ろうどうとう政権せいけん批判ひはんえてパフォーマンスし、バンド・メンバーのダンバード・ノバコンが、出席しゅっせきしていたイギリスふく首相しゅしょうジョン・プレスコットあたまからバケツ1はいみずびせる事件じけんこした[2]。メンバーのアリスがABC出演しゅつえんしたさい自分じぶんたちのアルバムを万引まんびするよううなが発言はつげんをし、かれらはすう週間しゅうかんおおきく報道ほうどうされた。大手おおてレコード会社かいしゃであるHMVヴァージンは、万引まんびきを防止ぼうしするためにチャンバワンバのアルバムをたなからのぞき、カウンターのうしろにいて販売はんばいする対応たいおうおこなった。1998ねんには日本にっぽん限定げんていでミニ・アルバム『記憶きおく喪失そうしつ』(Amnesia) を発売はつばいした。このミニ・アルバムは「タブサンピング」と「記憶きおく喪失そうしつ」のカントリー&ウエスタン・ヴァージョンを収録しゅうろくしている。

ミレニアム記念きねんとして、限定げんていばんシングル「Tony Blair」を発売はつばいした。このきょくは、すべての約束やくそくやぶったもと恋人こいびとたいして悲嘆ひたんする内容ないようバラードだった。バンドはさらに2ねん、ビートルズの「ハー・マジェスティ」をカヴァーしたシングルを発表はっぴょうした。さらに2000ねんにはビージーズの「ニューヨーク炭坑たんこう悲劇ひげき英語えいごばん」のカヴァーをふくむアルバム『ワッチュー・ゲット (WYSIWYG)』を発表はっぴょう。このアルバムからシングルカットされた「フレンズ (She's Got All the Friends That Money Can Buy)」のカップリングきょく「Passenger List For Doomed Flight #1721」の歌詞かしは、えてほしいとかんがえている人々ひとびと羅列られつした内容ないようで、そのなかにはトニー・ブレア、アリー・マクビール(コメディ・ドラマ『アリー my Love』の主人公しゅじんこう)、U2ボノビル・ゲイツビル・クリントンなどもふくまれている。

MUTTレーベル時代じだい

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2001ねんにEMIからはなれると、2002ねんにレーベル「MUTT」を設立せつりつ。そこからフォーク・ミュージックにダンス・ビートをふくあわさせたような内容ないようであるアルバム『Readymades』を発表はっぴょうした。どうアルバムはアメリカで発売はつばいするときには名称めいしょうを『Readymades And Then Some』に変更へんこうしている。

ゼネラルモーターズしゃが、テレビCMで「Pass It Along」(アルバム『ワッチュー・ゲット』収録しゅうろくきょく)を使用しようするために支払しはらわれた10まんドルを、ゼネラルモーターズしゃたいして環境かんきょう保護ほごのため告訴こくそしている組織そしき寄付きふした[6]

同年どうねんはじめてのサウンドトラックアレックス・コックス監督かんとく映画えいがリベンジャーズ・トラジディ英語えいごばん』に提供ていきょうした。2003ねんには、1988ねん発表はっぴょうしたアルバム『English Rebel Songs 1381-1914』をさい録音ろくおんして発表はっぴょうした。

2004ねん、バンドはワールドミュージック影響えいきょうけたアルバム『Un』を発表はっぴょうした。このアルバムは、イラク博物館はくぶつかんeBayうえ略奪りゃくだつされていることにたいする批判ひはんかいうた内容ないようふくんでいた。

No Mastersレーベル時代じだい

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2005ねん、チャンバワンバはバンドとしては活動かつどう休止きゅうしした。しかし、ボフ・ホエーリー、ルー・ワッツ、ジュード・アボット、ニール・ファーガソンは2005ねんから2006ねんにかけてイギリスとヨーロッパをツアーしつづけた。アルバム『A Singsong and a Scrap』を録音ろくおんしたのはこのメンバーで、No Mastersレーベルから2005ねん後半こうはんにリリースされた。

のこりのメンバーはバンドから脱退だったいしたかたちとなり、アリスは演劇えんげきテレビラジオ脚本きゃくほんとなり、ハリーはアリスが脚本きゃくほんした演劇えんげき音楽おんがく作曲さっきょくし、ダンバートは音楽おんがく活動かつどう継続けいぞくしてソロ・アルバムをリリースしている。

2008ねん3がつにアルバム『The Boy Bands Have Won』をリリース。

2010ねん3月1にちにアルバム『ABCDEFG』をリリース。

2012ねん7がつ8にち同年どうねんまつ解散かいさんすることを発表はっぴょうした[7]

バンドめい

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チャンバワンバとはどのような意味いみなのか、という質問しつもんたいし、バンドの公式こうしき回答かいとう以下いかのようになっている。

チャンバワンバという言葉ことばなに意味いみがありません。わたしたちは「チャンバワンバ」というおときでづけました。サッチャー・オン・アシッド英語えいごばんはよいバンドめいだとおもいました。サッチャー政権せいけんが11ねんつづいたのはかれらにとっては幸運こううんでしたが、わたしたちはふるくならないバンドめいしかったのです[8]

メンバー

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最終さいしゅうラインナップ

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  • ボフ・ホエーリー (Boff Whalley) - ボーカル、ギター、ウクレレ、クラリネット (1982ねん-2012ねん)
  • ルー・ワッツ (Lou Watts) - ボーカル、ギター、パーカッション、キーボード (1982ねん-2012ねん)
  • ジュード・アボット (Jude Abbott) - ボーカル、リコーダー、トランペット (1996ねん-2012ねん)
  • ニール・ファーガソン (Neil Ferguson) - ボーカル、ギター、ベース (1999ねん-2012ねん)
  • フィル・ムーディ (Phil Moody) - アコーディオン、ボーカル (2007ねん-2012ねん)

きゅうメンバー

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長期間ちょうきかん在籍ざいせきしたメンバーのみ記述きじゅつ

  • ダンバート・ノバコン (Danbert Nobacon) - ボーカル、キーボード (1982ねん-2004ねん)
  • ダンスタン・ブルース (Dunstan Bruce) - ボーカル、ベース、サックス、ターンテーブル、パーカッション (1982ねん-2004ねん)
  • アリス・ナッター (Alice Nutter) - ボーカル、パーカッション (1983ねん-2004ねん)
  • ハリー・ハーマー (Harry Hamer) - ボーカル、ドラム、プログラミング、パーカッション (1984ねん-2004ねん)
  • メイヴィス・ディロン (Mavis Dillon) - ボーカル、トランペット、ホルン、ベース (1984ねん-1995ねん)
  • ポール・グレコ (Paul Greco) - ベース (1992ねん-1999ねん)

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • Pictures of Starving Children Sell Records (1986ねん、Agit Prop)
  • Never Mind the Ballots (1987ねん、Agit Prop)
  • English Rebel Songs 1381-1914 (1988ねん、Agit Prop) ※2003ねんさい録音ろくおんばんをMUTTから発売はつばいしている
  • Slap! (1990ねん、Agit Prop)
  • Shhh (1992ねん、Agit Prop)
  • 『アナーキー』 - Anarchy (1994ねん、One Little Indian/London)
  • 『スウィンギン・ウィズ・レイモンド』 - Swingin' with Raymond (1995ねん、One Little Indian)
  • 『タブサンパー』 - Tubthumper (1997ねん、EMI/Universal)
  • 『ワッチュー・ゲット』 - WYSIWYG (2000ねん、EMI/Universal)
  • Readymades (2002ねん、MUTT)
  • Revengers Tragedy (2003ねん、MUTT) ※アレックス・コックス監督かんとく映画えいが『リベンジャーズ・トラジディ』サウンドトラック
  • Un (2004ねん、MUTT/Koch/Edel)
  • A Singsong and a Scrap (2005ねん、No Masters/Edel)
  • The Boy Bands Have Won (2008ねん、No Masters)
  • ABCDEFG (2010ねん、No Masters)

ライブ・アルバム

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  • 『ショウビジネス〜チャンバワンバLIVE』 - Showbusiness! (1995ねん、One Little Indian)
  • Get On with It Live (2006ねん、No Masters)

コンピレーション・アルバム

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  • First 2 (1992ねん、Agit Prop/One Little Indian)
  • 『アンイージー・リスニング〜アナーキー・ベスト』 - Uneasy Listening (1998ねん、EMI)
  • Shhhlap! (2003ねん、MUTT)
  • Another Decade Of The Same Old Shit (2021ねん)

シングル

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  • "Revolution" (1985ねん)
  • "We Are the World?" (1986ねん) ※A State of Mindとのスプリットばん
  • "Smash Clause 28! Fight the Alton Bill!" (1988ねん)
  • "I Never Gave Up" (1990ねん)
  • "(Someone's Always Telling You How To) Behave" (1992ねん)
  • "Enough Is Enough" (1993ねん)
  • "Timebomb" (1993ねん)
  • "Criminal Injustice" (1994ねん)
  • 「ホモフォビア・シスター・ミックス」 - "Homophobia" (1994ねん)
  • "Ugh! Your Ugly Houses!" (1995ねん)
  • "Just Look at Me Now" (1996ねん)
  • "Tubthumping" (1997ねん)
  • 「ジャパン・オンリー・ミニ・アルバム〜記憶きおく喪失そうしつ」 - "Amnesia" (1998ねん)
  • 「トップ・オブ・ザ・ワールド」 - "Top of the World (Olé, Olé, Olé)" (1998ねん)
  • "Tony Blair" (1999ねん)
  • 「フレンズ」 - "She's Got All the Friends That Money Can Buy" (2000ねん)
  • "Jacob's Ladder (Not in My Name)" (2003ねん)
  • "Home with Me" (2003ねん)
  • "Salt Fare North Sea" (2003ねん)
  • "On eBay" (2004ねん)
  • "The Wizard of Menlo Park" (2004ねん)
  • "Fade Away (I Don't Want To)" (2006ねん)
  • "In Memoriam: Margaret Thatcher" (2013ねん)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b アルバム『タブサンパー』(日本にっぽんばん)ライナーノーツ あゆさわ裕之ひろゆきちょ より。
  2. ^ a b c d e f g h i Glasper, Ian (2006) The Day the Country Died: a History of Anarcho-punk 1980–1984, Cherry Red Books, ISBN 978 1 901447 705, pp. 375–384
  3. ^ ChartArchive - Chumbawamba - Tubthumping”. 2012ねん6がつ28にち閲覧えつらん
  4. ^ あずまひさゆき、FMFAN編集へんしゅう『'98ミュージックチャートブック』共同通信社きょうどうつうしんしゃ、1998ねんISBN 978-4764130357 
  5. ^ ChartArchive - Chumbawamba - Amnesia”. 2012ねん6がつ28にち閲覧えつらん
  6. ^ Iain Aitch (2002ねん1がつ30にち). “General Motors gets tub-thumped”. Salon.com. 2007ねん8がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん7がつ22にち閲覧えつらん
  7. ^ Chumbawamba”. Chumba.com. 2014ねん2がつ28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2014ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  8. ^ http://www.chumba.com/FAQ1.htm[リンク]

外部がいぶリンク

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