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トルクメニスタンのくにあきら

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トルクメニスタンのくにあきら
詳細しょうさい
使用しようしゃ トルクメニスタン
採用さいよう 2003ねん
トルクメニスタンの郵便ゆうびん切手きってえがかれたくにあきら(1992ねん

トルクメニスタンくにあきら(トルクメニスタンのこくしょう)は、1991ねんソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいによりトルクメニスタンが独立どくりつしたのち制定せいていされたものであり、いろやシンボルなどにトルクメニスタンの国旗こっき共通きょうつうてんおおい。

構成こうせい要素ようそ[編集へんしゅう]

エンブレム全体ぜんたいかたちは、ルブ・エル・ヒズブ(Rub El Hizb,۞ )とばれるはちすすきぼしで、トルクメニスタンの多数たすう宗教しゅうきょうであるイスラム教いすらむきょう象徴しょうちょうする。ルブ・エル・ヒズブの内部ないぶ緑色みどりいろえん金色きんいろであり、中央ちゅうおうにはあかえんがある。えん周囲しゅうい小麦こむぎたばかこみ、したには7つのしろ木綿こわたはなが、頂上ちょうじょうにはイスラムシンボルであるしろ三日月みかづきほしがある。あかえん内部ないぶには、国旗こっきられるのとおなじ5つのトルクメン絨毯じゅうたん模様もようがあり、あおちいさなえんかこんでいる。あおえんなかにはアハルテケ(アカール=テケ、Akhal-Teke)とばれる、トルクメンじんほこりであるすぐれたうま品種ひんしゅえがかれている。1992ねんから2003ねんにかけては、ルブ・エル・ヒズブを使つかわず全体ぜんたいかたち円形えんけいいろ若干じゃっかんことなるくにしょうもちいられていた[1][2]

5つの伝統でんとうてき絨毯じゅうたん模様もようはトルクメンの5つの代表だいひょうてき部族ぶぞくを、またくに伝統でんとうてき宗教しゅうきょうてき価値かちかんあらわしている。これらの部族ぶぞくとは、テケ(Teke / Tekke)、ヨムト(Yomut / Yomud)、アルサリ(Arsary / Ersary)、チョウドゥル(Chowdur / Choudur)、サリク(Saryk / Saryq)をす。サリル(Salyr / Salor)など近代きんだい以前いぜんたたかいにやぶれて没落ぼつらくした部族ぶぞくはここではあらわされていない。また小規模しょうきぼ部族ぶぞくや、部族ぶぞく内部ないぶ支族しぞくなどもあらわされない。

みどりあかいろは、トルクメンの人々ひとびとにより歴史れきしてき崇拝すうはいされていたいろである。小麦こむぎたばは、トルクメンの人々ひとびと客人きゃくじんを「パンとしお」でもてなす習慣しゅうかん由来ゆらいする。小麦こむぎたば頂上ちょうじょうにある三日月みかづきほしはイスラムの象徴しょうちょうであるのと同時どうじに、トルコをはじめテュルクけいくに国旗こっきくにしょうにはよく登場とうじょうする象徴しょうちょうである。しろ三日月みかづきは、将来しょうらいちてかがやくというくに希望きぼうあらわし、5つあるほしトルクメニスタンの5つのしゅう、すなわちアハルしゅうバルカンしゅうダショグズしゅうレバプしゅうマルしゅうす。

独立どくりつ以前いぜんくにあきら[編集へんしゅう]

ロシア帝国ていこく[編集へんしゅう]

ソビエト連邦れんぽう[編集へんしゅう]


1991ねん独立どくりつ以前いぜんトルクメン・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくソビエト連邦れんぽうくにあきら類似るいじしたデザインのくにしょうもちいていた。あかほしかまとハンマーえがかれ、石油せきゆ採掘さいくつようのリグとパイプラインが大地だいちち、そのまわりを小麦こむぎ木綿もめんたば、ブドウのぼう、トルクメンの絨毯じゅうたん模様もよう(どの部族ぶぞく象徴しょうちょうしない模様もようのもの)が配置はいちされていた。また「万国ばんこく労働ろうどうしゃ団結だんけつせよ」のスローガンがトルクメンロシアかれたあかいリボンが小麦こむぎ木綿もめんたばいていた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]