(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ネグロイド - Wikipedia コンテンツにスキップ

ネグロイド

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニグロから転送てんそう
Tasmanian man, Tasmanian type
Kiwai man, Papuan type
Central African man, Pygmy type
San man, Bushman type
Shilluk man, Nilotic type
Khoikhoi man, Hottentot type
Aeta man, Negrito type
Hula man, Papuo-Melanesian type
アフリカの人々ひとびと (どく: Afrikanische Völker): サハラ以南いなんのアフリカじんは、ドイツ百科ひゃっか事典じてんマイヤーズ・コンヴェルサシオン-レキシコンだい4はんだい1かんのイラストで。

ネグロイドNegroid)とは、身体しんたいてき特徴とくちょうもとづく歴史れきしてき人種じんしゅ分類ぶんるい概念がいねんひとつ。日本にっぽんでは一般いっぱん黒色こくしょく人種じんしゅ黒人こくじん同義どうぎ理解りかいされる。ドイツ人類じんるい学者がくしゃブルーメンバッハによって提唱ていしょうされた五大ごだい人種じんしゅせつもとづく。現在げんざいでも便宜べんぎてき慣用かんようてき、またしばしば政治せいじてきもちいられる。これに分類ぶんるいされる人々ひとびと主要しゅよう居住きょじゅうサハラ以南いなんアフリカ大陸たいりくである。ラテン語らてんごのnigreos(ニグレオス、くろ)に由来ゆらいする。ニグロイドとも[注釈ちゅうしゃく 1]

概要がいよう

[編集へんしゅう]

現生げんなま人類じんるいは、生物せいぶつがくうえホモ・サピエンスというただいちしゅぞくしている。ただし、過去かこ自然しぜん人類じんるいがく文化ぶんか人類じんるいがくでは、ネグロイド、およびきたアフリカヨーロッパ西にしアジアアラブみなみアジアなどにられるコーカソイド白色はくしょく人種じんしゅ)、オセアニアられるオーストラロイドひがしアジア・東南とうなんアジア・ポリネシア・南北なんぼくアメリカ大陸あめりかたいりくなどにられるモンゴロイド黄色おうしょく人種じんしゅ)を4大人おとなしゅとして分類ぶんるいしていた。

DNA分析ぶんせき成果せいかによれば、現生げんなま人類じんるい発祥はっしょうはアフリカにあるとされ[よう出典しゅってん]、ネグロイドはアフリカをせずアフリカにとどまった集団しゅうだん直系ちょっけい子孫しそんとされる。したがってネグロイドの遺伝いでんてき多様たようせいはそのすべての人種じんしゅ遺伝いでんてき多様たようせいよりもたかい。

なお、はだいろ、およびはだいろ発現はつげんさせる遺伝子いでんしは、ヒトというたね集団しゅうだん分化ぶんか過程かていもっと選択せんたくあつけやすく短期間たんきかん変化へんかする形質けいしつひとつであり、はだいろ類似るいじまたは相違そういだけでは、いわゆる「人種じんしゅ」を区別くべつすることはできない。

伝統でんとうてき下位かい区分くぶん

[編集へんしゅう]

伝統でんとうてき区分くぶんによれば、黒人こくじんさらに、

  1. メラノ・アフリカ人種じんしゅ(コンゴイド)
  2. ナイロテック人種じんしゅまたナイロート(メラノ・アフリカ人種じんしゅ亜種あしゅ)
  3. ネグリロ人種じんしゅ Negrillo(ピグミー)
  4. コイサン人種じんしゅ(カポイド)
  5. マラガシー人種じんしゅ(オーストロネシア語族ごぞく)

などにけられてきた[1]。2と6は[2]参照さんしょうくわえた。

ネグロイドをコンゴイドカポイド2人ふたりしゅけ、これとモンゴロイドコーカソイドオーストラロイドわせて5大人おとなしゅとすることがある。また、アメリンドインディアン)をモンゴロイドからけ、6大人おとなしゅとする場合ばあいもある。

コンゴイドとカポイドは身体しんたいてき特徴とくちょうだけでなく、言語げんごおよび(欧米おうべい以前いぜんの)生活せいかつ様式ようしきによっても区分くぶんされた。

解剖かいぼうがくてき特徴とくちょう

[編集へんしゅう]

頭部とうぶはいわゆる、ちょうあたまである。グラベラ発達はったつし、オトガイ後退こうたい気味ぎみである[3]頭部とうぶ全体ぜんたいちいさめである[4]

手足てあしながく、とくひざからしたなが[3]手首てくび足首あしくびほそ[4]

ちょうこしすじ発達はったつしており、骨盤こつばんぜんかたぶけしている。ちょうこしすじはももをげる役割やくわりがある。

ほね密度みつどたかく、骨粗鬆症こつそしょうしょうになりにくい[5]

西にしアフリカのネグロイドは瞬発しゅんぱつりょくすぐれるとわれており[6]実際じっさいもオリンピックなどの世界せかいてき大会たいかいにおいて西にしアフリカにルーツを選手せんしゅ短距離たんきょりはしなどで上位じょうい独占どくせんしている。ひがしアフリカのネグロイドは持久じきゅうりょくすぐれるとわれており[6]、マラソンなどではケニアやエチオピアにルーツを選手せんしゅ世界せかいてき大会たいかい上位じょうい独占どくせんしている。(マラソンの世界せかいランキング上位じょうい100選手せんしゅ輩出はいしゅつするりつは、平均へいきんを1とした場合ばあい、ケニア全体ぜんたいで6.03、内陸ないりくのナンディじんは22.9とおどろくべき数字すうじ確認かくにんされている)。これらはことなるくに環境かんきょうのもとでそだったアフリカけい移民いみんあいだでも同様どうようたかかくりつすぐれた選手せんしゅ輩出はいしゅつされている。このことから遺伝いでんてきに、精神せいしんてきかつ肉体にくたいてき優位ゆういせい元々もともとそなわっているという可能かのうせい示唆しさされていたが、オリンピックのメダルすうかんする統計とうけい一般いっぱんしたことから現在げんざい[いつ?]では黒人こくじん身体しんたい能力のうりょくきわめて限定げんていてき領域りょういきでしか発揮はっきされていないことがデータによってあきらかにされている。

遺伝子いでんし

[編集へんしゅう]
アフリカ大陸たいりくのY染色せんしょくたいハプログループ

ネグロイドはアフリカをせず、アフリカにとどまったグループである。人種じんしゅ特徴とくちょうづけるY染色せんしょくたいハプログループとしてABEげられる[7]。ネグロイドをのぞいた現生げんなま人類じんるいかく遺伝子いでんしには絶滅ぜつめつしたネアンデルタール人類じんるい特有とくゆう遺伝子いでんしが1 - 4 %混入こんにゅうしているとの研究けんきゅう結果けっかもあるため、ホモ・サピエンスの原型げんけいによりちかいともえる。

古代こだいローマにおけるネグロイドかん

[編集へんしゅう]

2世紀せいきマ帝国まていこく有名ゆうめい学者がくしゃガレノスは、あつくちびるひろ鼻孔びこうちぢれた頭髪とうはつくろ、しわのあるあしうす眉毛まゆげ、とがったなが陰茎いんけい際立きわだった陽気ようきさを、黒人こくじん男性だんせいの10の特徴とくちょうとして列挙れっきょしている。そして、この際立きわだった陽気ようきさが「欠陥けっかんのある頭脳ずのうとそれに由来ゆらいする知性ちせいよわさゆえに、黒人こくじん男性だんせい支配しはいしている」とかれべている[8]。1世紀せいきプリニウスは、エティオピアの地誌ちし記載きさいしている『博物はくぶつ』6かん195せつにおいて「西にしほうにニグロイぞくがおり、そのおうはただひとつのがくにある。おもにヒョウやライオンのにく主食しゅしょくとしている「野獣やじゅうしょくじん」、なんでもかんでも貪食どんしょくする「貪食どんしょくぞく」、その食事しょくじひとにくである「しょくじんぞく」」がいる、と後述こうじゅつのイブン・ハルドゥーンの記載きさい類似るいじする内容ないよう記載きさいしている。

中世ちゅうせいイスラム世界せかいにおけるネグロイドかん

[編集へんしゅう]

預言よげんしゃムハンマド最期さいご説教せっきょうで「アラブじんアラブじん優越ゆうえつせず、アラブじんはアラブじん優越ゆうえつしない。白人はくじん黒人こくじん優越ゆうえつせず、黒人こくじん白人はくじん優越ゆうえつしない。ひとはただただしさによってのみ優越ゆうえつする」とっている[9]。このいましめはおおくのイスラム教徒きょうと順守じゅんしゅされ、結果けっかとして黒人こくじん信徒しんとえていったものの、ジャーヒリーヤ時代じだいからつづ黒人こくじんへの偏見へんけん根強ねづよのこり、イスラム初期しょき黒人こくじん詩人しじんからも差別さべつ存在そんざいがうかがえる。

『もしわたしはだがピンクならば、女性じょせいたちはわたしあいすだろう。しかし、かみわたしくろさと結婚けっこんさせた』といたスハイムは660ねんくなったアフリカ出身しゅっしん奴隷どれいであった。『わたし奴隷どれいであるが、わたしたましい気高けだか自由じゆうである。わたしはだいろくろいが、わたし性格せいかくしろいのである。』かれなかかれ本質ほんしつてき尊厳そんげん表現ひょうげんしている。

ヌサイブ・ブン・ラバーブは726ねんくなったが、アラブじん詩人しじんからのはだいろ理由りゆうとする自分じぶんへの非難ひなんたいし、かれ自身じしん痛烈つうれつ応答おうとうをしている。『わたしがこのものをしたとこの勇敢ゆうかんしんっているかぎり、くろさがわたし名誉めいよおとしめることはない。あるもの血統けっとうによりてられるが、わたし詩句しくわたし血統けっとうなのだ!ものをわない白人はくじんより、感受性かんじゅせいするどしんとはっきりとものを黒人こくじんのほうがどんなにすばらしいことか!』 イスラーム文化ぶんか女性じょせい例外れいがいとして、本質ほんしつてき肉体にくたいてき資質ししつよりも知的ちてき資質ししつおもんじた。独特どくとく肉体にくたいてきつよさを知的ちてきおとることとむすびつけることで、黒人こくじんへの侮蔑ぶべつ正統せいとうされ、助長じょちょうされた[8]

中世ちゅうせいイスラーム世界せかいでの黒人こくじん奴隷どれいによる反乱はんらんに、9世紀せいきアッバースあさ時代じだいメソポタミア南部なんぶ発生はっせいしたザンジュのらんられる[10]

11世紀せいき歴史れきしバクリーは「スーダンじんたちは人間にんげんよりも動物どうぶつちかく、かれらはもっぱら物欲ぶつよく興味きょうみち、しばしばしょくじんおこない、ほとんど羞恥心しゅうちしんたない」としるしている[11]

11世紀せいきのイスラーム時代じだい重要じゅうよう都市としトレドの裁判官さいばんかんであるサイード・アルアンダルスィーは、「かれらの気質きしつおおくなり、気性きしょうはげしく、かれらのいろくろく、かれらの頭髪とうはつちぢれている」「かれらは自制心じせいしんしん安定あんていけ、うつおろかさと無知むちっている。エチオピアのてにんでいる黒人こくじん、ヌビアじん、ザンジなどがそれにあたる」としるしている[8]

12世紀せいき地理ちり学者がくしゃイドリースィーは「スーダンじんたちはもっと堕落だらくした人々ひとびとであるが、子供こども能力のうりょくもっともすぐれている人々ひとびとである。かれらの生活せいかつはまるで動物どうぶつのようで、かれらはものおんな欲求よっきゅう以外いがいになんの関心かんしんもしめさない」としるしている[11]

14世紀せいき旅行りょこうイブン・バットゥータは「かれらの教養きょうようさや白人はくじんたいする無礼ぶれい態度たいどをみて、つくづくこんなところまでてしまったことを後悔こうかいした」としるしている[11]一方いっぽうで、イブン・バットゥータはマリ王国おうこくでの記録きろくにおいて、「かれらの美徳びとくとすべき行為こういとして、(まずだいいちに、)不正ふせい行為こういすくないてんにある。つまりスーダンじん黒人こくじん)のスルタンは、だれ一人ひとりとして、不正ふせい行為こういおかことゆるさない。つぎには、かれらの地方ちほう安全あんぜん保障ほしょうとどいているてんであり、したがって、その地方ちほうたびするものなん心配しんぱいごとく、(ながく)滞在たいざいするものでも強盗ごうとうぎにうことがい。……かれらの美徳びとくほかひとつとして、かれらが(イスラームの)礼拝れいはい厳守げんしゅし、それを社会しゃかい集団しゅうだんなかかれらの義務ぎむ行為こういとしていること……金曜日きんようびには、一般いっぱん人々ひとびと早朝そうちょうにモスクにかないと、あまりの混雑こんざつのため、どこで礼拝れいはいしているのかわからなくなってしまうほどである。とべている[12]

中世ちゅうせいイスラムのもっと偉大いだい歴史れきしイブン・ハルドゥーンは「黒人こくじん大半たいはん洞穴どうけつ密林みつりんみ、くさい、野蛮やばんのままで社会しゃかいてき集団しゅうだん生活せいかつをせず、たがいにころしてべる。黒人こくじん一般いっぱん軽率けいそつ興奮こうふんしやすく、非常ひじょう情緒じょうちょてき性格せいかくで、メロディをけばいつでもおどりたがり、また、黒人こくじんはどこにおいてもおろものとされている」としるしている[11]

オーストラロイドなどとのちが

[編集へんしゅう]

みなみインドドラヴィダじんオーストラリアアボリジニメラネシアンなどオセアニア先住民せんじゅうみんたちは、そのはだいろさ、メラネシアじんなどにかんしては頭髪とうはつ形状けいじょうからも黒人こくじんおもわれる場合ばあいもあるが、かれらはオーストラロイドである。またポリネシアンミクロネシアンはモンゴロイドとオーストラロイドの混合こんごう人種じんしゅである。同様どうようインド大陸たいりく人口じんこうの70%をめるアーリアじんおなじくはだいろから黒人こくじんだとおもわれる場合ばあいがあるが、かれらの場合ばあいはコーカソイドとオーストラロイドの混合こんごう人種じんしゅである。いずれもアフリカじんとは遺伝いでんてきことなる集団しゅうだんである。

イエズスかいによる蔑称べっしょう

[編集へんしゅう]
戦国せんごく時代じだい日本にっぽん到来とうらいしたイエズス会員かいいんなどの南蛮なんばんひとたち。白人はくじんほか黒人こくじんえがかれている。

黒人こくじん」は人種じんしゅのひとつであるが、人種じんしゅ差別さべつてき見方みかたからすれば蔑称べっしょうとして使用しようされることがあった。たとえば、イエズスかい宣教師せんきょうしフランシスコ・カブラルは、日本人にっぽんじん韓国かんこくじん黒人こくじんとみなし、「黒人こくじん」を蔑称べっしょうとして使用しようしている。

カブラルは、日本人にっぽんじん黒人こくじん低級ていきゅう国民こくみんび、その侮蔑ぶべつてき表現ひょうげんもちいた。かれはしばしば日本人にっぽんじんにむかい、「とどのつまり、おまえたちは日本人にっぽんじんジャポンイス)だ」というのがつねで、日本人にっぽんじんたいして、日本人にっぽんじんあやまった低級ていきゅう人間にんげんであることを理解りかいさせようとした。また、イエスズかい韓国かんこくじんたいしても黒人こくじん低級ていきゅう民族みんぞくであり、周辺しゅうへん民族みんぞくもっと野蛮やばん人種じんしゅとしていた。[13]

また、おなじくイエズスかい巡察じゅんさつアレッサンドロ・ヴァリニャーノもその著書ちょしょひがしインド巡察じゅんさつ』において、インドじん黒人こくじんとみなし、「黒人こくじん」を蔑称べっしょうとして使用しようしている[14]

(インドじんは)あまりにみじめであまりに卑劣ひれつなため、かれらが黒色こくしょく人種じんしゅとされても仕方しかたがないのである。 — 『ひがしインド巡察じゅんさつだい2しょう
黒色こくしょく人種じんしゅはみなほとんど知力ちりょくがなく性癖せいへきわるい。 — 『ひがしインド巡察じゅんさつだい26しょう

ヴァリニャーノのこうした人種じんしゅ差別さべつ意識いしき根拠こんきょとなったのが、アリストテレス政治せいじがくだい1かん先天的せんてんてき奴隷どれいせつであるとされる[15]

なお、日本人にっぽんじん黒人こくじんとみなしたカブラルとことなり、ヴァリニャーノは日本人にっぽんじん白人はくじんとみなした[16]

日本人にっぽんじんは)みなしょくしろく、洗練せんれんされており、しかもきわめて礼儀れいぎただしい。

と、日本人にっぽんじん白人はくじん設定せっていすることにより、本国ほんごくからの布教ふきょう支援しえんけようとしていた(白人はくじんとすると本国ほんごくから金銭きんせん人的じんてき支援しえんられたのである)。

アメリカにおける状況じょうきょう

[編集へんしゅう]

米国べいこくなどではニグロイド(negroidの英語えいご発音はつおんもとづくカナ表記ひょうき)といういいかた差別さべつ用語ようごとされ、政治せいじてきただしく丁寧ていねいかたとして「アフリカけいの○○ (African-○○)」を使つかうことがある。たとえばアメリカひとであった場合ばあいアフリカけいアメリカじん (African-American) という。ネグロイドは元来がんらい人種じんしゅたいする呼称こしょうであり、差別さべつてき意味合いみあいはおも黒人こくじん奴隷どれい使用しようしていた欧米おうべい諸国しょこく社会しゃかいてき要因よういんから派生はせいしたものである。ニグロとちぢめてぶのはぜん時代じだいてき語法ごほうであり、現在げんざいではあきらかな差別さべつ用語ようごとされている。さらに「ニガー (nigger)」 とした場合ばあい、その差別さべつてき意味いみつよまる。

米国べいこく以外いがい英語えいごけんでは、ブラック・パーソン(black person、複数ふくすうがたはブラック・ピープル - black people)とぶのが社会しゃかいてき政治せいじてきただしいとされている。これは、みなみアジア、カリブ、太平洋たいへいよう諸島しょとうなどアフリカ以外いがい地域ちいきにもはだくろ人種じんしゅ存在そんざいし、かれらをあやまって「アフリカけい」とんでしまうことをけるためである。「ブラック」とちぢめた場合ばあいは、非公式ひこうしき意味合いみあいがつよまる。

最近さいきん米国べいこくでは「アフリカけい」がよく使つかわれるが、米国べいこくにおいても、かならずしも「ブラック」という呼称こしょう差別さべつ用語ようごにあたるとはかぎらない。実際じっさい黒人こくじん自分じぶんたちのことをブラックとぶこともおおく、テレビのニュース番組ばんぐみでも「ブラック」という言葉ことばはしばしばもちいられる。ただし、明確めいかく差別さべつ用語ようごであるニガーという呼称こしょうも、アフリカけい同士どうしあいだでは、仲間なかま意識いしきめたびかけとしても使用しようされることからもわかるように、こうした用語ようごをアフリカけいひと使用しようする場合ばあい人種じんしゅひと使用しようする場合ばあいでは意味合いみあいやられかたことなる。白人はくじん黄色おうしょく人種じんしゅもちいるさいもちいる文脈ぶんみゃく考慮こうりょ慎重しんちょうさねば差別さべつてき意味いみられる可能かのうせいもあることに注意ちゅういする必要ひつようがある。すなわち「ブラック」という呼称こしょうはある意味いみ転換てんかんされたスティグマであり、当該とうがい主体しゅたいもちいる場合ばあいと、第三者だいさんしゃもちいることにはまった意味いみちがうことに留意りゅういすべきである。

さらに米国べいこくにおける黒人こくじんみずからの文脈ぶんみゃくで「ブラック」をもちいたれいとして、黒人こくじん公民こうみんけん運動うんどうなかもちいられてきた「くろうつくしい(ブラック・イズ・ビューティフル」というスローガンは象徴しょうちょうてきである。同様どうよう黒人こくじんコミュニティに関係かんけいした団体だんたい組織そしきおおくがみずか名称めいしょうに「ブラック」をもちいている。また『Black Hair Style』という黒人こくじんせんもんのヘアスタイル情報じょうほうや、『Black Enterprise』といった黒人こくじんせんもんビジネス雑誌ざっし存在そんざいもこの用例ようれいであろう。

日本にっぽんでは「黒人こくじん」のいいかとして研究けんきゅうしゃは「アフリカン・アメリカン」を使つかうことがおおいが、アフリカじんすべてが黒人こくじんではなく、またアメリカにいる黒人こくじんすべてがアフリカ出身しゅっしんでもないため、この用語ようごには疑問ぎもんている[17]。しかし、米国べいこくなどにおいても、アフリカ以外いがい土地とち出身しゅっしんしゃであっても、黒人こくじんならば「アフリカン・アメリカン」とばれてしまうことがおおいのが実情じつじょうである。なお、アメリカにいては過去かこ奴隷どれい政策せいさく反省はんせいとうから、しゅうごとに黒人こくじんたいする様々さまざま優遇ゆうぐう措置そちがあり、これが州法しゅうほう違反いはんしているとして問題もんだいしたこともある。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくは1995ねんに、人種じんしゅ民族みんぞく自称じしょうについての国勢調査こくせいちょうさおこなっている。これは、かれ自身じしん白人はくじん黒人こくじんヒスパニックインディアン、アラスカ先住民せんじゅうみん(インディアン、エスキモーアレウト)であると特定とくていした人々ひとびと、あるいは混血こんけつたいして、それぞれの人種じんしゅ民族みんぞくグループの呼称こしょうで、さだまったこのまないひとや、とくえらぶものがなかったひとふくめて、きな呼称こしょうはどれかえらんでもらったものである。黒人こくじん場合ばあいは、以下いかとおりであった。混血こんけつふくめ、単純たんじゅんに「アフリカけい」でないものふくまれて、一番いちばんこのまれている呼称こしょうは「ブラック(黒人こくじん」だった[18]

1. 黒人こくじん(Black) 44.15 %
2. アフリカけいアメリカじん(African American) 28.07 %
3. アフロ=アメリカン(Afro-American) 12.12 %
4. ニグロ(Negro) 03.28 %
5. その呼称こしょう 02.19 %
6. いろつき(Colored) 01.09 %
7. 回答かいとう 09.11 %

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 戦前せんぜん日本にっぽんでは英語えいごふうの「ニグロイド」の訳語やくごとして「ニグロじん」という呼称こしょう使つかわれていた。たとえば、1921ねん大正たいしょう10ねん11月6にちづけ大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん掲載けいさい記事きじ船主せんしゅ船員せんいん争議そうぎ頻発ひんぱつ」では「…米国べいこくこうしてまたニグロじん雇傭こようさらにスエズでアラビヤじんやとええ…」との記述きじゅつられる。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 米山よねやま俊直としなお『アフリカがくへの招待しょうたい日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい NHKブックス 503 1986ねん6がつ ISBN 9784140015032
  2. ^ 寺田てらだ和夫かずお人種じんしゅとはなにか』
  3. ^ a b 日本人にっぽんじんかお 小顔こがお美人びじんがお進化しんかなのか』 はにはら和郎かずおちょ 講談社こうだんしゃ 1999ねん1がつ ISBN 978-4-06-269048-5
  4. ^ a b ちにいくスポーツ生理学せいりがく根本ねもといさむちょ 山海さんかいどう 1999ねん9がつ ISBN 978-4-381-10346-8
  5. ^ メルクマニュアル家庭かていばん 60しょう 骨粗こつそしょうしょう
  6. ^ a b 黒人こくじんはなぜあしはやいのか』 わかはらただしおのれちょ 新潮社しんちょうしゃ 2010ねん6がつ ISBN 978-4-10-603663-7
  7. ^ 崎谷さきやみつる『DNA・考古こうこ言語げんご学際がくさい研究けんきゅうしめしん日本にっぽん列島れっとう』(つとむまこと出版しゅっぱん 2009ねん
  8. ^ a b c ロナルド・シーガルちょ設楽したら國廣くにひろやく『イスラームの黒人こくじん奴隷どれい明石書店あかししょてん 1993ねん9がつ ISBN 9784750325675
  9. ^ Elias, Abu Amina (2016ねん1がつ4にち). “Farewell Sermon: No one is superior to another except by good deeds” (英語えいご). Daily Hadith Online. 2019ねん1がつ15にち閲覧えつらん
  10. ^ 保坂ほさか修司しゅうじ (2020ねん7がつ22にち). “アラブ世界せかい黒人こくじんはいるか、アラブじんは「なにしょく」か、イスラーム教徒きょうと差別さべつしないのか”. ニューズウィーク日本にっぽんばん. 2020ねん7がつ25にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d 佐藤さとうつぎだか鈴木すずきただし都市とし文明ぶんめいイスラーム 』講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ新書しんしょイスラームの世界せかい 1993ねん9がつ ISBN 4061491628
  12. ^ イブン・バットゥータ家島いえじま彦一ひこいち、『だい旅行りょこう8』東洋文庫とうようぶんこ平凡社へいぼんしゃ
  13. ^ カブラルと対立たいりつしたヴァリニャーノの記述きじゅつによる。松田まつだ毅一きいち南蛮なんばん史料しりょう発見はっけん よみがえる信長のぶなが時代ときよ中公新書ちゅうこうしんしょ 1964,95-6ぺーじ
  14. ^ 高橋たかはし裕史ゆうじ『イエズスかい世界せかい戦略せんりゃく』(講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ)、講談社こうだんしゃ、2006ねん.p34
  15. ^ 高橋たかはし同書どうしょ、p/36
  16. ^ 高橋たかはし同書どうしょ、p/35
  17. ^ 藤田ふじたみどり『アフリカ「発見はっけん」』岩波書店いわなみしょてんなど
  18. ^ Bureau of Labor Statistics, U.S. Census Bureau Survey, May 1995.

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]