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フリーダム宇宙うちゅうステーション

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリーダム宇宙うちゅうステーション
Space Station Freedom (1991 design)
フリーダム宇宙うちゅうステーション (1991ねんあん)
詳細しょうさい
乗員じょういんすう4
打上うちあ日時にちじ1996ねん3がつ1にち
運用うんようじょうきょう中止ちゅうし
居住きょじゅう空間くうかん878 m³
(31,000 ft³)
きん地点ちてん400km
遠地点えんちてん400km
軌道きどう傾斜けいしゃかく28.5 deg

フリーダム宇宙うちゅうステーションは、アメリカ航空こうくう宇宙うちゅうきょく(NASA)が計画けいかくしていた、地球ちきゅう衛星えいせい軌道きどううえ建設けんせつする恒久こうきゅうてき有人ゆうじん宇宙うちゅうステーション名称めいしょうである。当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうロナルド・レーガン承認しょうにんけ、1984ねん一般いっぱん教書きょうしょ演説えんぜつ発表はっぴょうされたが、当初とうしょ計画けいかくどおりには建設けんせつされず、すう削減さくげんて、計画けいかく一部いちぶ国際こくさい宇宙うちゅうステーションがれた。

当初とうしょ提案ていあん[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい初頭しょとうスペースシャトル完成かんせいけ、NASAは大型おおがた恒久こうきゅうてき有人ゆうじん宇宙うちゅうステーションの建設けんせつ提唱ていしょうした。当時とうじNASA長官ちょうかんであったジェイムズ・ベッグズは、これは宇宙うちゅう開発かいはつの「つぎ必然ひつぜんてき段階だんかい」であるとった。いくつかのてんで、それはソ連それんミール宇宙うちゅうステーションにたいするアメリカ回答かいとうとなるはずだった。NASAは、のちにフリーダムとばれることになるこの宇宙うちゅうステーションに、人工じんこう衛星えいせい軌道きどうじょう修理しゅうりじょう宇宙船うちゅうせん組立くみたてじょう天文学てんもんがくしゃ観測かんそくしょ科学かがくしゃ微小びしょう重力じゅうりょく研究所けんきゅうじょ企業きぎょう微小びしょう重力じゅうりょく工場こうじょう機能きのうもとめていた。

レーガンは1984ねんにフリーダム宇宙うちゅうステーションの建設けんせつ計画けいかく発表はっぴょうし、「我々われわれは、とおほしへのゆめ追求ついきゅうし、平和へいわ経済けいざい科学かがく発展はってんのために宇宙うちゅうんではたらくことができる」とべた。

設計せっけい変遷へんせん[編集へんしゅう]

「パワータワー」構想こうそうのイラスト

大統領だいとうりょう発表はっぴょうけてNASAは、宇宙うちゅうステーションが潜在せんざいてきにどのような利用りよう可能かのうせいっているか、科学かがく研究けんきゅう工業こうぎょう利用りよう両方りょうほうについて、またアメリカ国内こくないだけでなく国外こくがいかんしても検討けんとう開始かいしした。これによりすうせんけんもの、可能かのうせいのあるミッションと搭載とうさいぶつのデータベースが作成さくせいされた。地球ちきゅうてい軌道きどうおこなうミッションだけでなく、惑星わくせい探査たんさ計画けいかく利用りようする可能かのうせい検討けんとうされた。1980年代ねんだいから90年代ねんだい初頭しょとうには、スペースシャトルのすうかい飛行ひこうで、宇宙うちゅうステーション建設けんせつ技術ぎじゅつ実験じっけん実証じっしょうおこなうためのふねがい活動かつどうおこなわれた。最初さいしょ基本きほん設計せっけい決定けっていしたのち、さらに幅広はばひろ検討けんとうおこなわれ、宇宙うちゅうステーションのおおきさと費用ひよう増大ぞうだいした。

パワータワー (1984ねん)[編集へんしゅう]

1984ねん4がつジョンソン宇宙うちゅうセンターうち新設しんせつされた宇宙うちゅうステーション計画けいかく事務所じむしょは、今後こんご計画けいかく基本きほんとしてもちいられる、最初さいしょのリファレンスコンフィギュレーション(たただいとして使つかわれる基本きほん設計せっけい)を策定さくていした。ここでえらばれたのは中央ちゅうおうのキール(基礎きそとなる骨組ほねぐみ)の下端かたんに5つのモジュール、上端じょうたん関節かんせつ太陽たいよう電池でんちパネルをけ、サービスベイ(衛星えいせいなどの組立くみたて整備せいびおこな施設しせつ)もゆうする「パワータワー」とばれるあんだった。1985ねん4がつ、NASAは定義ていぎ検討けんとう作業さぎょう予備よび設計せっけい発注はっちゅうし、建設けんせつ増加ぞうか長期ちょうきてき運用うんよう経費けいひ削減さくげん比較ひかくしてトレードオフがおこなわれた。

2じゅうキール設計せっけい (1986ねん)[編集へんしゅう]

1986ねん3月、システム要求ようきゅう検討けんとう会議かいぎで、より微小びしょう重力じゅうりょく環境かんきょうられるようにモジュールをトラス中央ちゅうおう重心じゅうしんちか場所ばしょうつし、2くみおおきなキールでトラス構造こうぞうりょう増加ぞうかした「2じゅうキール "Dual-Keel"」設計せっけい構成こうせい修正しゅうせいした。国際こくさい協力きょうりょく体制たいせい組織そしきされたので、アメリカの研究けんきゅうモジュールは2つから1つにらされ、わりにヨーロッパ日本にっぽんのモジュールの設置せっち場所ばしょくわえられた。さらに、設計せっけい無駄むだ改善かいぜんするために全面ぜんめんてきな「あらとし "scrubbed"」作業さぎょうおこなわれ、おおくのシステムが修正しゅうせいまたは削除さくじょされた。宇宙うちゅうステーションにそなける予定よていだった軌道きどうあいだ輸送ゆそう延期えんきされ、居住きょじゅうモジュールは8めい乗員じょういん利用りようするものを1つだけ設置せっちすることになった。

1986ねん5がつにNASAは、組立くみたて初期しょき段階だんかい乗員じょういん滞在たいざいできない状態じょうたい宇宙うちゅうステーションを、スペースシャトルのドッキングちゅう作業さぎょうおこなうことで研究けんきゅう活動かつどう利用りようできるようにする組立くみたて計画けいかく作成さくせいした。この状態じょうたいは「訪問ほうもん(man-tended)宇宙うちゅうステーション」ともばれた。

スペースシャトルチャレンジャーごう事故じこのち宇宙うちゅうステーションの有効ゆうこうせい安全あんぜんせいさい評価ひょうかし、設計せっけい見直みなおすために、評価ひょうか決定けってい作業さぎょうチームが編成へんせいされた。「チャレンジャー事故じこ」に検討けんとうされた安全あんぜん対策たいさくまえ、細部さいぶ設計せっけい組立くみたて手順てじゅん変更へんこう考慮こうりょしつつ、2じゅうキール設計せっけい使つかうかどうかが検討けんとうされた。ジョンソン宇宙うちゅうセンターは、宇宙うちゅうステーションの組立くみたて必要ひつようふねがい活動かつどうりょうと、チャレンジャー事故じこ安全あんぜんさくのためにシャトルの輸送ゆそう能力のうりょく低下ていかしていることに懸念けねん表明ひょうめいした。

1986ねん9がつに、「チャレンジャー事故じこ」の基本きほん計画けいかくまえた、計画けいかく費用ひよう見直みなお報告ほうこくしょ作成さくせいされた。この報告ほうこくは、NASAが確実かくじつ根拠こんきょって費用ひようとスケジュールを確定かくていすることを目的もくてきとしていた。報告ほうこくしょでは、2じゅうキール構成こうせい費用ひようは182おくあめりかドル(1989ねん価値かち)で、初回しょかい要素ようそげ(first-element launch: FEL)の時期じき当初とうしょ1993ねん1がつから、1994ねん1がつにずれむことがあきらかになった。

修正しゅうせい基本きほん構成こうせい (1987ねん)[編集へんしゅう]

修正しゅうせい基本きほん構成こうせい(1987ねん) 2じゅうキール構成こうせい完成かんせいした状態じょうたい予想よそう太陽たいよう電池でんちパドルやラジエータの構成こうせいは、のISSとほとんどおなじになっている
2じゅうキール構成こうせいいバージョン

1986ねん後半こうはん、2じゅうキール構造こうぞう見直みなおしと平行へいこうして、NASAはより安上やすあがりなあたらしい基本きほん構成こうせい検討けんとうおこなった。この設計せっけいは、まずモジュールを中心ちゅうしんとしたスカイラブのような宇宙うちゅうステーションを建設けんせつし、段階だんかいてきに2じゅうキール構成こうせいてていくというものだった。このアプローチは、2つの段階だんかいかれていた。だい1段階だんかいでは、中央ちゅうおうのモジュールとよこ方向ほうこうのトラスを設置せっちするが、わくのようなキールは設置せっちしない。太陽たいよう電池でんちパネルは75kW以上いじょう電力でんりょく確保かくほできるようけられるが、ごく軌道きどうプラットフォームと軌道きどうじょう作業場さぎょうば設置せっちはさらに延期えんきされた。報告ほうこくしょは、費用ひようおさえて否定ひていてき影響えいきょう最小さいしょうにすることで、計画けいかく実行じっこう可能かのうになったと結論けつろんけ、あらたな計画けいかく修正しゅうせい基本きほん構成こうせい名付なづけた。しん計画けいかく開発かいはつは153おくあめりかドル(1989ねん価値かち)で、FELは1994ねんだいいち四半期しはんき予定よていする。この計画けいかく1987ねん9月に国家こっか科学かがく研究けんきゅう委員いいんかい承認しょうにんされ、2段階だんかい設計せっけい決定けっていするまえ長期ちょうきてき国家こっか目標もくひょうさだめるよう勧告かんこくされた。

1986ねんから1987ねんにかけて、アメリカの宇宙うちゅう計画けいかくには様々さまざま検討けんとうくわえられ、宇宙うちゅうステーションにも影響えいきょうあたえた。かれらは、修正しゅうせい基本きほん計画けいかくをさらに縮小しゅくしょうするよう勧告かんこくした。そのうちの1つは、4にん搭乗とうじょういんが180日間にちかん滞在たいざいするようにして、運用うんよう補給ほきゅうのために飛行ひこうするスペースシャトルを年間ねんかん5便びんとすることだった。

フリーダム (1988ねん) からアルファ (1993ねん)へ[編集へんしゅう]

1988ねん9がつ、NASAは最終さいしゅうてき宇宙うちゅうステーション開発かいはつ計画けいかくの、10年間ねんかん契約けいやく締結ていけつした。計画けいかくはようやく、実際じっさい機材きざい製造せいぞうする段階だんかい移行いこうした。フリーダム宇宙うちゅうステーションの設計せっけいは1989ねん後半こうはんほろ修正しゅうせいされ、1990会計かいけい年度ねんど予算よさんは20おく5000まんあめりかドルから17おく5000まんあめりかドルに削減さくげんされた。

度重たびかさなる予算よさん削減さくげんで、最初さいしょげは1ねん延期えんきされ、1995ねん3がつになった。宇宙うちゅうステーションが恒久こうきゅうてき有人ゆうじんされるのは1997ねん完成かんせい1998ねんになった。

1990ねん宇宙うちゅう開発かいはつイニシアチブにおいて、宇宙うちゅうステーション建設けんせつ計画けいかくはフリーダムと命名めいめいされた。

1990ねんに、フリーダムの重量じゅうりょう予定よていを23%超過ちょうかし、費用ひよう増加ぞうかして、組立くみたて困難こんなんになり、一方いっぽう電力でんりょく供給きょうきゅう充分じゅうぶんでないことが判明はんめいして、計画けいかく混乱こんらんした。1990ねん10がつ議会ぎかいは1991年度ねんど予算よさんを25おくドルから19おくドルに削減さくげんするよう、さい設計せっけい(redesign)を要求ようきゅうした。NASAは1991ねん3がつに、宇宙うちゅうステーションのあたらしい設計せっけい公表こうひょうした。

フリーダム計画けいかく費用ひよう超過ちょうかと、ロシアの財政ざいせい問題もんだいから、NASAはNPOエネルギアミール2利用りようすることになった。1993ねん11月、フリーダムとミール2、ヨーロッパと日本にっぽんのモジュールは、1つの「国際こくさい宇宙うちゅうステーション」に統合とうごうされた。

計画けいかく凍結とうけつ[編集へんしゅう]

NASAが宇宙うちゅうステーションの費用ひよう過小かしょう見積みつもったことと、アメリカ議会ぎかい計画けいかく充分じゅうぶん資金しきん拠出きょしゅつすることにでなかったことから、フリーダムの設計せっけい建設けんせつ定期ていきてき見直みなおしとさい検討けんとうけ、さらにおくれた。1984ねんから1993ねんにかけて7かいおおきな設計せっけい変更へんこうがあり、そのたびに容量ようりょう能力のうりょくらされていった。開始かいしから10ねんっても、レーガンが予想よそうしたようなフリーダム宇宙うちゅうステーションは完成かんせいしないどころか、いまだに宇宙うちゅうステーションを建設けんせつするためにスペースシャトルがげられたことすらなかった。

1993ねんまでに、フリーダムは政治せいじてき前進ぜんしんしていなかった。アメリカの政権せいけん交代こうたいし、議会ぎかい宇宙うちゅうステーションにこれ以上いじょう資金しきんむことに嫌気いやけがさしていた。さらに、宇宙うちゅうステーションには解決かいけつ問題もんだいがあった。さい設計せっけいにより科学かがく研究けんきゅう能力のうりょく大半たいはん削除さくじょされ、宇宙うちゅう開発かいはつ競争きょうそうソ連それん脱落だつらくまくじた。NASAはクリントン大統領だいとうりょうにいくつかの提案ていあんおこなったが、依然いぜんとしてそれらはこれまでと同様どうよう、あまりにも高価こうかだった。1993ねん6がつ、アメリカ下院かいん宇宙うちゅうステーション計画けいかく中止ちゅうしする法案ほうあんが、わずか1ひょう否決ひけつされた。同年どうねん10がつ、NASAとロシア連邦れんぽう宇宙うちゅうきょくは、双方そうほう計画けいかく一体化いったいかして国際こくさい宇宙うちゅうステーションとすることに合意ごういした。

フリーダム計画けいかく縮小しゅくしょうされ、アルファとばれるようになるころには計画けいかく軌道きどうり、おおくの構成こうせい要素ようそ設計せっけい完了かんりょうし、実際じっさい飛行ひこうする機材きざい製造せいぞうされたが、乗員じょういん帰還きかんなど一部いちぶ機材きざい開発かいはつ中止ちゅうしされた。

国際こくさい宇宙うちゅうステーションへ[編集へんしゅう]

2011ねん3がつ国際こくさい宇宙うちゅうステーション。船首せんしゅがわ金色きんいろこうのとり船尾せんびがわのバツ欧州おうしゅう補給ほきゅう

1993ねん、クリントン政権せいけんはフリーダム計画けいかく国際こくさい宇宙うちゅうステーション計画けいかく(ISS)変更へんこうすることを発表はっぴょうした。ダニエル・ゴールディンNASA長官ちょうかんは、ロシアの計画けいかく参加さんか監督かんとくした。縮小しゅくしょうした予算よさんわせて、宇宙うちゅうステーションのゆか面積めんせきは47平方へいほうメートルから33平方へいほうメートルへ縮小しゅくしょうし、NASAが提供ていきょうする部分ぶぶん滞在たいざい人数にんずうは7めいから3めいらされ(最終さいしゅうてきには6めいまで増加ぞうかする)、機能きのう削減さくげんされた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  • Lyn Ragsdale, “The U.S. Space Program in the Reagan and Bush Years,” in eds. Roger Launius and Howard McCurdy, Spaceflight and the Myth of Presidential Leadership (Champaign, Ill.: U of Illinois P, 1997)
  • James Oberg, Star-Crossed Orbits: Inside the U.S.-Russian Space Alliance (New York: McGraw Hill, 2001)
  • NASA TM-109725 - Space Station Program Response to the Fiscal Year 1988 and 1989 Reduced Budgets

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]