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マツダ・オートザムレビュー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

レビュー (Autozam Revue)は、マツダ製造せいぞう販売はんばいしていた小型こがた乗用車じょうようしゃである。

マツダ・オートザムレビュー
DBがた
フロント
リア
マツダブランドとなった時期じきのモデル
概要がいよう
販売はんばい期間きかん 1990ねん9月–1998ねん12月[1]
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 5にん
ボディタイプ 4ドアショートノッチバックセダン
駆動くどう方式ほうしき FF
パワートレイン
エンジン B5-MIがた ちょく4 1.5L 88PS
B3-MIがた ちょく4 1.3L 76PS
変速へんそく 4そくAT/5そくMT
まえ (まえ)マクファーソンストラットしき独立どくりつ懸架けんか
()トーションビームしき
のち (まえ)マクファーソンストラットしき独立どくりつ懸架けんか
()トーションビームしき
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,390 mm (94.1 in)
全長ぜんちょう 3,800 mm (149.6 in)
全幅ぜんぷく 1,655 mm (65.2 in)
ぜんこう

1,495 mm (58.9 in)

(キャンバストップでない場合ばあいは1,470mm)
車両しゃりょう重量じゅうりょう 860 kg (1,896.0 lb)
系譜けいふ
後継こうけい DWけいデミオ統合とうごう
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概要がいよう

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1990ねん平成へいせい2ねん)9がつ、マツダ5チャンネルによって誕生たんじょうしたオートザムみせけの小型車こがたしゃである[注釈ちゅうしゃく 1]。デビュー当初とうしょはオートザムチャンネルでの販売はんばいであったためオートザム・レビュー名乗なのったが、モデル末期まっきにはマツダ・レビューへと改称かいしょうした。

プラットフォームDBプラットフォームで、おなじくマツダせいフォード・フェスティバようDAプラットフォーム後継こうけいにあたる。のちにこのフロアパンをもとデミオ設計せっけい生産せいさんされている。なお、当初とうしょはデミオが2代目だいめレビューとして開発かいはつされていたが、オートザムてんがマツダてん合併がっぺいされることになったため、べつ車種しゃしゅとして発売はつばいされた。

エンジンは1気筒きとうたり4バルブされた直列ちょくれつ4気筒きとうSOHC、インジェクション仕様しようBがた1.3 L・76馬力ばりきと1.5 L・88馬力ばりきの2種類しゅるいガソリンエンジンのみで、生産せいさん終了しゅうりょうまで車体しゃたいしょく以外いがい変更へんこう改良かいりょうはなかった。

駆動くどう方式ほうしきよこきエンジン前輪ぜんりん駆動くどうで、トランスミッションは5そくMTと、1.3 L に電子でんし制御せいぎょ4そくAT、1.5 L に電子でんし制御せいぎょ4そくATにくわえオートパワー機構きこう(いわゆるキックダウン)が設定せっていされていた。

ボディタイプは4ドアセダンのみで、おなじくオートザムてん人気にんき車種しゃしゅである2代目だいめキャロルのイメージを踏襲とうしゅうしたまるみをびた外観がいかん特徴とくちょう極端きょくたんみじかトランクデザインから「2.5ボックス(ショートノッチバック)セダン」ともばれていた。またフェスティバで人気にんきはくしたキャンバストップ設定せっていされた。レビューでは「3Way電動でんどうキャンバストップ」としょうされ、まえからうしろへひらくのはもちろん、うしろからまえへ、さらには前後ぜんごからひらいてなかせることもできた。またこうせきからも開閉かいへい操作そうさ可能かのうなのもおおきな特徴とくちょうであった。

1991ねん平成へいせい3ねん)の東京とうきょうモーターショーには、M2がレビューをベースとしたフルゴネットスタイルのコンセプトカー「M2 1004」を出品しゅっぴんしている[2]が、市販しはんにはいたらなかった。

日本にっぽん国内こくないではまる可愛かわいらしいスタイリングと宣伝せんでん方針ほうしんにより、女性じょせいユーザーねらいすぎたためかおおきな人気にんきられなかったが、みじか全長ぜんちょうなか大人おとな4にんがゆったりとれる居住きょじゅう空間くうかんと、スーツケース2おさまるトランクルーム合理ごうりてき設計せっけいたか評価ひょうかけた。

アウタードアハンドルは黒地くろじ塗装とそうパワーウィンドウ後部こうぶ座席ざせきまど設定せっていがなく、運転うんてんせきまどのスイッチは運転うんてんせきドアに1つのみで助手じょしゅせきまどのスイッチはドアにはなくセンターコンソールに1つのみなど、当時とうじのマツダにしては大胆だいたんなコストカットが国内外こくないがいわずられるのもこのくるま特徴とくちょうであり、これらは生産せいさん終了しゅうりょうまでつづいた。

デミオ登場とうじょうはオートザムてん合併がっぺいによりマツダ・レビューに名称めいしょう変更へんこうされて併売へいばいされたものの、日本にっぽんではファミリアとのいもあり、1997ねん12月[3]生産せいさん終了しゅうりょうし、1998ねん平成へいせい10ねん)12月に販売はんばい終了しゅうりょう。1だいかぎりのモデルであった。そう生産せいさん台数だいすうは5まん7723だい


海外かいがいへの輸出ゆしゅつ

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海外かいがいへはおもヨーロッパオセアニア地域ちいきけに、フォード・フェスティバをマツダブランドになおしして好評こうひょうはくした2代目だいめマツダ・121後継こうけいモデルとして輸出ゆしゅつされた(通算つうさん3代目だいめ初代しょだい2代目だいめコスモ)。

そのスタイルや室内しつないとトランクのひろさから人気にんきとなり、とくドイツではシトロエン・2CV再来さいらいといわれ、バックオーダーをかかえる状態じょうたいつづいた。121が欧州おうしゅう品薄しなうすとなったうらには、価格かかくたかクセドスブランドやマツダの高級こうきゅうしゃ輸出ゆしゅつ中心ちゅうしんであり、輸送ゆそうたいする利幅りはばすくないほんモデルの出荷しゅっか台数だいすうおさえていたことがある。

オーストラリアでも人気にんきており、どちらの市場いちばでも2020年代ねんだいはいっても中古ちゅうこしゃ市場いちばすうじゅうだい流通りゅうつうしている。

1996ねん、オセアニアではDWけいデミオが、ヨーロッパではフォード・フィエスタMk4のOEMしゃが、121の名称めいしょうかたちでフルモデルチェンジされた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ それまでのオートザムてん取扱とりあつかい車種しゃしゅ軽自動車けいじどうしゃランチアのみであった。

出典しゅってん

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  1. ^ デアゴスティーニジャパン週刊しゅうかん日本にっぽん名車めいしゃだい56ごう9ページより。
  2. ^ M2 1004 (Japan)” (英語えいご). Allcarindex.com. 2015ねん1がつ15にち閲覧えつらん
  3. ^ レビュー(マツダ)のカタログ”. カーセンサーnet. リクルート株式会社かぶしきがいしゃ (2020ねん1がつ28にち). 2020ねん1がつ28にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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