マツダ・コスモ

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マツダ・コスモ
4代目だいめ(ユーノスコスモ)
概要がいよう
別名べつめい コスモスポーツ(初代しょだい)
コスモAP(2代目だいめ)
ユーノス・コスモ(4代目だいめ
製造せいぞうこく 日本の旗 日本にっぽん
販売はんばい期間きかん 1967ねん-1972ねん(初代しょだい)
1975ねん-1996ねん(2-4代目だいめ
ボディ
ボディタイプ 2ドアクーペ
2/4ドアハードトップ(3代目だいめ)
4ドアセダン(3代目だいめ)
駆動くどう方式ほうしき こう駆動くどう
系譜けいふ
後継こうけい マツダ・RX-8
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コスモえい: Cosmo)は、マツダがかつて生産せいさん販売はんばいしていた乗用車じょうようしゃである。

1967ねん5月に日本にっぽんしゃはつロータリーエンジン搭載とうさいしゃとして発売はつばいされ、1972ねん販売はんばい終了しゅうりょうをもって一時いちじてき絶版ぜっぱんとなるも1975ねん復活ふっかつ1990ねんには前年ぜんねんから展開てんかいされたユーノスブランドのフラッグシップモデル「ユーノス・コスモ」として登場とうじょうし、1996ねんまで販売はんばいされた。

すべての世代せだいにおいてクーペタイプのボディをつ(3代目だいめのみ4ドアセダン設定せってい)が、その性質せいしつ世代せだいによっておおきくことなる。また、3代目だいめ以外いがい世代せだいごとにことなるサブネームをつけて販売はんばいされていた。

初代しょだい・コスモスポーツ(1967ねん - 1972ねん[編集へんしゅう]

マツダ・コスモスポーツ(初代しょだい
L10がた[1]
前期ぜんきがた
概要がいよう
製造せいぞうこく 日本の旗 日本にっぽん
販売はんばい期間きかん 1967ねん5月 - 1972ねん9月[1]
設計せっけい統括とうかつ 山本やまもと健一けんいち
デザイン 小林こばやし平治へいじ
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 2めい
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン位置いち フロント
駆動くどう方式ほうしき こう駆動くどう
パワートレイン
エンジン 10Aがた 982cc 2ローター
最高さいこう出力しゅつりょく 110PS/7,000rpm(L10A)
128PS/7,000rpm(L10B)
最大さいだいトルク 13.3kgf·m/3,500rpm(L10A)
14.2kgf·m/5,000rpm(L10B)
変速へんそく 4そくMT(前期ぜんき)/5そくMT(後期こうき)
サスペンション
まえ ダブルウィッシュボーン
のち ドデオンチューブ
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,200/2,350mm(前期ぜんき/後期こうき)
全長ぜんちょう 4,140mm(前期ぜんき)
全幅ぜんぷく 1,595mm
ぜんこう 1,165mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 940kg(前期ぜんき)
その
生産せいさん台数だいすう 1176だい[1]
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1967ねん昭和しょうわ42ねん5月発売はつばいされたコスモスポーツは、世界せかいはつ実用じつよう量産りょうさんロータリーエンジン搭載とうさいした自動車じどうしゃである。

世界せかいはじめて市販しはんされたロータリーエンジン搭載とうさいしゃは、正確せいかくにはNSU1964ねん昭和しょうわ39ねん)に発売はつばいしたリアエンジンくるまヴァンケルスパイダーであったが、このくるま搭載とうさいされたエンジンはロータリーエンジン特有とくゆうおおくの課題かだい解決かいけつのままであった。これにたいし、コスモスポーツに搭載とうさいされた10Aがたエンジンは、それらの課題かだい克服こくふくして量産りょうさんえうるものであった。また、ヴァンケルスパイダーはシングルローターエンジンであったため、10Aがた気筒きとう(マルチローター)ロータリーエンジンとしても世界せかいはつ市販しはんしゃようエンジンである。

1968ねん昭和しょうわ43ねん)8がつ、mazda110Sのでコスモスポーツをようしてニュルブルクリンクおこなわれた84あいだ耐久たいきゅうレース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦ちょうせんした。このレースは、生産せいさんしゃのスピードと耐久たいきゅうせいきそわれる文字通もじどおりのマラソンレースで、ポルシェランチアBMWサーブオペルシムカダットサンなどと激戦げきせんひろげた。結果けっかはポルシェ、ランチアに総合そうごう4順位じゅんいは84あいだ走行そうこう距離きょりめられる)で完走かんそうした。なお、参加さんかした59だいちゅう完走かんそうしたのはわずか26だいであった。

コスモスポーツに搭載とうさいされた10Aがたエンジンは、それ以降いこうファミリアロータリークーペサバンナGTなどに搭載とうさいされた。10Aがたエンジンは5つのハウジング(2つのつつと3まいいた)で構成こうせいされており、開発かいはつ目的もくてき量産りょうさん規模きぼちいさいスポーツカー搭載とうさいようであるため、エンジンは0813 13 101cの2だいのローターハウジングまでふくめてそうアルミニウム合金ごうきんせいであった。コスモスポーツ以後いご量産りょうさんモデルでは、サイドハウジング(フロント、インターミディエイト、リアの3まい)が鋳鉄ちゅうてつせい変更へんこうされている。コスモスポーツの10Aがたエンジンは炭素たんそこう溶射されていて高価こうかかつんだものであるのにたいし、10Aがたエンジンよりのちのエンジンでは、特殊とくしゅ鋳鉄ちゅうてつ高周波こうしゅうは焼入やきい加工かこうしたものが採用さいようされ、量産りょうさんていコストはかられている。また、加工かこうほうもコスモスポーツのすながた鋳造ちゅうぞうたいかねがた鋳造ちゅうぞうとされ、大量たいりょう生産せいさんされた。

コスモスポーツは、前期ぜんきがた(L10Aがた)が1967ねん昭和しょうわ42ねん)に343だい販売はんばいされたのを皮切かわきりに、1972ねん昭和しょうわ47ねん)の後期こうきがた(L10Bがた)の最終さいしゅう販売はんばいしゃまで累計るいけい1,176だい販売はんばいされた。

プロトタイプ[編集へんしゅう]

1963ねん昭和しょうわ38ねん10月26にちから11月10にち開催かいさいされただい10かい全日本ぜんにほん自動車じどうしゃショー現在げんざい東京とうきょうモーターショー)に、マツダロータリーエンジンとして400cc×1ローター(35PS)と400cc×2ローター(70PS)の2種類しゅるい試作しさくエンジンが出展しゅってんされ、あわせて「ロータリーエンジン テストよう試作しさくしゃ(コスモスポーツのプロトタイプ)」の写真しゃしんパネルも会場かいじょう掲示けいじされた[2]車両しゃりょう展示てんじはなかったが[注釈ちゅうしゃく 1]当時とうじ松田まつだ恒次つねじ社長しゃちょうみずからコスモスポーツのいち試作しさくしゃ「MAZDA 802 (L402A)」のステアリングをにぎり、遠路えんろはるばる広島ひろしまから自動車じどうしゃショーの会場かいじょうりつけて話題わだいをさらった。また、帰路きろにはかく販売はんばい会社かいしゃメインバンク住友銀行すみともぎんこう池田いけだ勇人はやと首相しゅしょうなどを訪問ほうもんしたというエピソードものこっている。なお、はじめてコスモスポーツのプロトタイプが一般いっぱん公表こうひょうされたのは、自動車じどうしゃショーが開催かいさいされる6にちまえの1963ねん10がつ20にちけの朝日新聞あさひしんぶん紙上しじょう[4]であり、これは朝日新聞あさひしんぶんのスクープであった。

いち試作しさくしゃすくなくとも2だい存在そんざいし、「こう 5 そ 32-85」のナンバープレート(1963ねん8がつ登録とうろく)がりつけられた個体こたいは、前後ぜんごウィンドウのウェザーストリップにメッキモールがなく、ワイパーは平行へいこうしきの3ブレードで、クォーターピラーのエンブレム位置いちしたり、カーラジオのアンテナの取付とりつ位置いちはリアガラスとトランクリッドのあいだ横長よこながのテールランプは中央ちゅうおう仕切しきりのあるよんとうタイプ、という仕様しようであった[5][6][7][8]。「こう 5 そ 57-35」のナンバープレート(1963ねん10がつ登録とうろく)がりつけられた個体こたいは、前後ぜんごウィンドウのウェザーストリップにメッキモールがあり、ワイパーは平行へいこうしきの2ブレードで、クォーターピラーのエンブレム位置いちはピラーの中央ちゅうおう、カーラジオのアンテナの取付とりつ位置いちみぎリアフェンダー上部じょうぶ横長よこながのテールランプは中央ちゅうおう仕切しきりがなく外観がいかんじょうは2とうしきえるものであった(内部ないぶ仕込しこまれていたランプのかずは、32-85しゃじゅんじていたとおもわれる)[9][10][11]

この2だいの「MAZDA 802」が、サプライズとして自動車じどうしゃショーの駐車ちゅうしゃじょう姿すがたあらわした[12]いち試作しさくしゃは、自動車じどうしゃショーが開催かいさいされるまでに5だい製作せいさくされている[12]

よく1964ねん昭和しょうわ39ねん)の9月26にちから10月9にちにかけて開催かいさいされただい11かい東京とうきょうモーターショーに、はじめて実車じっしゃプロトタイプ)が正式せいしき出展しゅってんされた。出展しゅってん名称めいしょうは「MAZDA COSMO」であった。搭載とうさいされたエンジンは、399cc×2ローターのL8Aがた(70ps/6,000rpm)で、試作しさくしゃにあたり、いち試作しさくしゃとはテール部分ぶぶん意匠いしょう大幅おおはばことなり量産りょうさんがたちかいものとなっていた。また、サイドウインドウに三角さんかくまど追加ついかされ、ワイパーは2ブレードの対向たいこうしきとなり、外観がいかんじょう特徴とくちょうひとつであるフロントフェンダーのルーバーが、いち試作しさくしゃの6つあなメッキぶつからほそいスリットのメッキぶつ変更へんこうされていた[13]試作しさくしゃまでは、ルーフの後部こうぶ左右さゆうのクォーターピラーまでおおしろいカバーがりつけられていた[14]ことも、外観がいかんじょうおおきな特徴とくちょうであった。試作しさくしゃ複数ふくすう製作せいさくされ、ワイパーが平行へいこうしき2ブレードのもの、ホイールカバーがハーフカバータイプで5あなのホイールが装着そうちゃくされたもの、センターロックしきのワイヤースポークホイールが装着そうちゃくされたもの、クォーターピラーのはばせまいもの、カウルトップの通気つうきこういち試作しさくしゃ同様どうよう格子こうしじょうのもの、フロントフェンダーサイドのエアアウトレットがルーバーじょうでないもの、ドアのアウターハンドルがながくドアパネルにくぼみがないもの、フロントウインカーのレンズがアンバーしょくのものなど、様々さまざま仕様しよう存在そんざいした[15][16][17]

1965ねん昭和しょうわ40ねん10月29にちから11月1にち開催かいさいされただい12かい東京とうきょうモーターショーにもコスモスポーツのプロトタイプが出展しゅってんされた。出展しゅってんしゃ名称めいしょうはこのとしも「MAZDA COSMO」であった。ショーの会場かいじょう配布はいふされたパンフレットには「革命かくめいてきなエンジンは(中略ちゅうりゃく)ローターすう2、たんしつ容積ようせき500cc」と記載きさいされていたことから、出展しゅってんしゃには491cc×2の10Aがたエンジンのプロトタイプが搭載とうさいされていたとかんがえられる。さん試作しさくしゃおもわれる出展しゅってんしゃは、しろいルーフカバーが省略しょうりゃくされルーフ全面ぜんめんとクォーターピラーがしろ塗装とそうとなり、フルカバータイプのホイールカバーの意匠いしょう少々しょうしょう変更へんこうされていた。また、フロントフェンダーのルーバーがフェンダーパネルに直接ちょくせつスリットをプレス成型せいけいした簡素かんそなものとなっていた。これは、部品ぶひん点数てんすう製造せいぞうラインでの工数こうすう削減さくげんしコストをげるための設計せっけい変更へんこうとされる。このとき展示てんじしゃ最終さいしゅう生産せいさんがた発表はっぴょうされ、全国ぜんこく各地かくちのマツダディーラー委託いたくして実用じつようテストをおこなうことが発表はっぴょうされた[18]。「社外しゃがい委託いたく試験しけんしゃ」と名付なづけられた試作しさくしゃは、車体しゃたい各部かくぶ特徴とくちょうからさん試作しさくしゃの「MAZDA COSMO」あるいはさん試作しさくしゃ改良かいりょうがただったと推察すいさつされる。社外しゃがい委託いたく試験しけん当初とうしょ1965ねん昭和しょうわ40ねん)8がつから開始かいしされ、30だい試験しけんしゃとして貸与たいよされる予定よていであった[19]

1966ねん昭和しょうわ41ねん10月26にちから11月8にち開催かいさいされただい13かい全日本ぜんにほん自動車じどうしゃショーにも、つづけてコスモスポーツのプロトタイプが出展しゅってんされた。出展しゅってんしゃ名称めいしょうは「MAZDA COSMO SPORTS」だった(市販しはんモデルの名称めいしょうは「MAZDA COSMO SPORT」)。実用じつようテストにもとづいてさらなる改良かいりょうくわえられ、1967ねん昭和しょうわ42ねんはる発売はつばい予定よてい価格かかく未定みていとアナウンスされた[20]

市販しはんまでに、社外しゃがい委託いたく試験しけん各地かくちのディーラーに貸与たいよされた「MAZDA COSMO」47だい[21]により、1966ねん昭和しょうわ41ねん)1がつから12がつまで1ねん期間きかんついやして実施じっしされ、そのあいだ本社ほんしゃでは試作しさくしゃによる10まんkmにおよ連続れんぞく耐久たいきゅうテストをふくみ、そう距離きょり300まんkmにもたっする走行そうこうテストがおこなわれた。

前期ぜんきがた[編集へんしゅう]

コスモスポーツの前期ぜんきがたL10Aには、10Aがたロータリーエンジン(491 cc ×2)が搭載とうさいされた。9.4のこう圧縮あっしゅくとツインプラグによって110 PS /7,000 rpm、13.3 kgf·m /3,500 rpm を発生はっせいする。くるまじゅうは940kg比較的ひかくてき軽量けいりょうであった。

エンジン以外いがい基本きほんレイアウトは、この時代じだいでは常識じょうしきてきであったフロントエンジン・リアドライブであるが、当時とうじ日本にっぽんせい乗用車じょうようしゃとしては相当そうとう高度こうどなスペックがおごられていた。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン+コイルスプリングの独立どくりつ懸架けんか、リアは独立どくりつ懸架けんかこそ断念だんねんされたが、バネ重量じゅうりょう軽減けいげんはかり、ド・ディオンアクスルをリーフスプリングで形式けいしき採用さいようされた。ステアリングギアにはクイックなラック・アンド・ピニオン形式けいしき採用さいようしている。トランスミッションは4そくフルシンクロで、ブレーキは前輪ぜんりんがダンロップがたディスクこうはアルフィン・ドラムであった。なおブレーキは前後ぜんご2系統けいとう独立どくりつしたタンデムマスターシリンダーしきとなっており、どちらかが故障こしょうした場合ばあいそなえた安全あんぜんせいたかいものとなっていた。

ロータリーエンジンは極力きょくりょくひくく、そして後方こうほう搭載とうさいされ、のマツダのアイデンティティーともなるフロント・ミッドシップ発想はっそうすでかされていた。重量じゅうりょうぶつであるバッテリーは、前期ぜんきがたではトランクかれ、後期こうきがたでは助手じょしゅせき後部こうぶもうけられたツマミで開閉かいへいするぶたきのケースにおさめられた。

ボディ[編集へんしゅう]

ロータリーエンジン搭載とうさいよう専用せんよう設計せっけいされたボディはセミモノコック方式ほうしきである。ボディは開口かいこう以外いがいにはがなく、ハンドメイドのスペシャルティカーしかとしたものであった。また、開口かいこうのリッドるいたるべき高速こうそく時代じだい見越みこして、すべ安全あんぜんまえヒンジ(エンジンフードはぎゃくアリゲーター)とされた。デザインにあたっては革新かくしんてきなロータリーエンジンにふさわしい、大胆だいたんかつ斬新ざんしんなスタイルがのぞまれた。開発かいはつ当初とうしょ当時とうじ社長しゃちょうである松田まつだ恒次つねじから「すつもりのないイメージカーだ」とわれたからこそ、このおもったスタイリングがまれたともされる。

ぜんこうは1,165 mm とひくかった。「軽量けいりょうコンパクトなロータリーエンジンでなければしえないデザインを」という、学芸がくげいだい卒業そつぎょうのマツダはつのデザイナー小林こばやし平治へいじ意図いとはそのひくさに結実けつじつし、びやかなリア・オーバーハング、ボディー中央ちゅうおうはしプレスラインとあいまって、コスモスポーツの未来みらいてきなイメージをさらに強調きょうちょうしている。ボンネットひくさとエンジンフード(リッド)のちいささは、ロータリーエンジンのコンパクトさを暗示あんじしている。また、バンパーさかい上下じょうげけたテールランプ特徴とくちょうてきである。ただし、全長ぜんちょうしてリアオーバーハングがおおきいスタイルのため、運動うんどうせいめんでは不利ふりなものとなり、「スポーツ」のとは裏腹うらはらにむしろグランツーリスモとしての性格せいかくつよくなった。

内装ないそう[編集へんしゅう]

後期こうきがたコスモスポーツのインパネトヨタ博物館はくぶつかん

フルパッドのダッシュボードわされるアルミニウムのインパネはつやしのくろ統一とういつされ、反射はんしゃガラスの7れんメーターひだりから時計とけい燃料ねんりょうけい電流でんりゅうけい速度そくどけいタコメーターあぶらゆたかけい水温すいおんけいじゅん)が整然せいぜんならぶ。内装ないそう天井てんじょうふくめてくろビニールレザーのフルトリムとされ、通気つうきせい考慮こうりょし、シート中央ちゅうおうのみ白黒しろくろ千鳥ちどり格子こうしウール使用しようしている。なお、前期ぜんきがた法制ほうせいまえのため、ヘッドレストたない。

前後ぜんご調節ちょうせつ可能かのう(テレスコピック)な3ほんスポークのウッドステアリングホイール(一部いちぶ1970ねん - 1971ねんしきナルディしゃせいΦふぁい380)が標準ひょうじゅんとなっている。ゆか敷物しきもの絨毯じゅうたんで、シフトノブ自然しぜんろした位置いちにあり、うでおおきくうごかすこと操作そうさできるショートストロークとなっている。クラリオンせいオートラジオトグルスイッチ上下じょうげ作動さどうさせるタイプのセミオート・アンテナ、メーター照度しょうど調節ちょうせつホーン音質おんしつ切替きりかえ(市街地しがいちもちい高速こうそくよう)、2スピードワイパー払拭ふっしょくちゅうにスイッチをっても停止ていし位置いち復帰ふっきするタイプ。高速こうそくうわがりを防止ぼうしするフィンき)、さらにマップ・足元あしもと(ドア開閉かいへい連動れんどう)・グローブボックス・トランクのかくランプなども標準ひょうじゅん装備そうびされていた。

ドアはだんチェッカーであり、スマートにりできるようにかんがえられていた。座席ざせきうしろには手荷物てにもつくためのスペースがもうけられ、固定こていようベルトも装備そうびされていた。リアガラスは非常ひじょうきょくりつおおきなものがもちいられ、室内しつない開放かいほうかんたかめた。RX-8、および歴代れきだいRX-7のリアガラスは、このオマージュとされる。助手じょしゅせきがわサンバイザー裏面りめんにはかがみ足元あしもとにはフットレスト、グローブボックスわきにはアシストグリップも装備そうびされた。

内装ないそうのデザインは、相馬そうま亮一りょういちをチーフとする内装ないそうチームが担当たんとうした[22]

販売はんばい価格かかく[編集へんしゅう]

価格かかくは148まんえんで、どう時期じき趣味しゅみせいたか車種しゃしゅ比較ひかくすると、いすゞ・117クーペの172まんえんトヨタ・2000GTの238まんえんほどではないが、ダットサン・フェアレディ2000の88まんえん日産にっさんプリンス・スカイライン2000GT-Bの94まんえんくらべるとはるかに高価こうかであった。

走行そうこう性能せいのう[編集へんしゅう]

ロータリーエンジンのはしりは、レシプロエンジンとはまさに次元じげん感覚かんかくをもたらした。当時とうじ、ほとんどのレシプロエンジン搭載とうさい国産こくさんしゃは4,000 rpmをぎたあたりから騒音そうおん振動しんどうおおきくなり、100 km/hえる高速こうそく走行そうこうでは会話かいわすら困難こんなんとなり、怒鳴どなりあうようにしなければならないこともたたあった。しかし、ロータリーエンジンはレッドゾーンの7,000 rpmまで静粛せいしゅくかつスムーズにけあがった。

カーグラフィックによるマツダせいロータリーエンジンしゃ燃費ねんぴテスト結果けっか以下いかしめす。

  • コスモスポーツ (L10A)8.3 km/L試験しけん距離きょり公道こうどう998 km、サーキット108 km、1967ねん9がつごう
  • カペラロータリークーペGS7.07 km/L試験しけん距離きょり:4,300.6 km、1970ねん10がつごう
  • サバンナRX-7リミテッド (SA22C)7.68 km/L試験しけん距離きょり:1,555 km、1978ねん6がつごう
  • サバンナRX-7 GT-X (FC3S)5.0 km/L試験しけん距離きょり:1,007 km、1985ねん12月ごう
  • アンフィニRX-7 type R (FD3S)5.2 km/L試験しけん距離きょり:970 km、1992ねん2がつごう

かく年代ねんだい道路どうろ事情じじょうやテスト条件じょうけん相違そういなどから一概いちがい結論けつろんけられないが、以上いじょうくるまなかでは、燃費ねんぴ性能せいのうでトップの記録きろくしている。

後期こうきがた[編集へんしゅう]

コスモスポーツ後期こうきなな前方ぜんぽうより(トヨタ博物館はくぶつかん、2007ねん2がつ撮影さつえい
コスモスポーツ後期こうき後部こうぶ(マツダミュージアム、2005ねん3がつ撮影さつえい
コスモスポーツ後期こうき右側みぎがわめん(マツダミュージアム、2005ねん3がつ撮影さつえい

1968ねん昭和しょうわ43ねん)7がつにははやくもマイナーチェンジ(L10AからL10Bに形式けいしき変更へんこう)がおこなわれ、ラジエーターエアインテーク拡大かくだい、ブレーキ冷却れいきゃくこう新設しんせつホイールベーストレッド拡大かくだいトランスミッションの5そく前後ぜんごブレーキへのハイドロマスター(ばいりょく装置そうち)が装着そうちゃくされた。ラジアルタイヤ標準ひょうじゅん(155HR15)、ポートタイミングの変更へんこうにともなう吸入きゅうにゅう効率こうりつ向上こうじょうによるパワーアップ(110 PS /13.3 kgf·m → 128 PS /14.2 kgf·m)とうほどこされた。この結果けっか最高さいこうそくは185 km/h → 200 km/h、0-400 m 加速かそくも16.3びょう → 15.8びょうとなった。

マイナーチェンジによって、当時とうじとしては高級こうきゅうひんであったヂーゼル機器ききせいカークーラーがオプションで装着そうちゃく可能かのうとなった。このヂーゼル機器ききせいクーラーの価格かかくは40まんえんえたという。ユニットは座席ざせきうしろの手荷物てにもつスペースにかれたため、冷風れいふう後方こうほうからかたちであった。コスモスポーツ専用せんよう設計せっけいのクーラーであったためきはわるくなかったが、スナッチが発生はっせいしにくいロータリーはTOPギアで低速ていそく走行そうこう可能かのうであったため、当時とうじ取扱とりあつかい説明せつめいしょでは「クーラ装着そうちゃくしゃはクーラ作動さどう、シフトをTOPおよびO・Tにし、エンジン回転かいてん1,500rpm以下いかてい回転かいてんでノロノロ運転うんてんしている場合ばあいオーバ・ヒート気味ぎみになることがありますので、このような場合ばあいはシフトを2すみやか3そくにして運転うんてんしてください。」(原文げんぶん)と注意ちゅういうながしている。

また室内しつないのウォッシャー・ワイパー・ディマー・ターンシグナルの4スイッチが、1ほんのコンビネーション・レバーにまとめられた。3てんしきシートベルト調整ちょうせい可能かのうヘッドレスト後期こうきがたより装備そうびされた。駐車ちゅうしゃとう(エンジン始動しどう自動じどう消灯しょうとう)や非常ひじょうとう装備そうびされた。

この後期こうきがた(L10B)の価格かかくは158まんえんであった。なお、車両しゃりょう型式けいしきめいはL10Bとなり、エンジンの排気はいきりょうわらず型式けいしきも10Aがたのままであったが、ポートキャブレターマフラーなどの仕様しようすうかい変更へんこうされた。

その[編集へんしゅう]

コスモスポーツの発売はつばいわせ、東洋工業とうようこうぎょうは、1967ねん6月1にち新聞しんぶん各紙かくしに「世界せかい注目ちゅうもくをあつめてロータリーエンジン搭載とうさいしゃいよいよ登場とうじょう!」とだいする全面ぜんめん広告こうこくした。その広告こうこく全面ぜんめんであることをかし、市販しはん量産りょうさんしゃとしては世界せかいはつのエンジンであること、耐久たいきゅうせい革新かくしんせい、スムーズさ、スタイリング、保証ほしょう制度せいど装備そうび発表はっぴょうかい告知こくちとううったえるものであった。その翌日よくじつ6月2にち今度こんどトヨタ自動車とよたじどうしゃ2000GT全面広告ぜんめんこうこくしており、当時とうじのトヨタのマツダ・ロータリーにたいする対抗たいこう意識いしき垣間見かいまみえる。

その、6月6にちから11にちにかけて、東京とうきょう中央ちゅうおう日本橋にほんばし髙島で、コスモスポーツ発表はっぴょうかい開催かいさいされた。コスモスポーツ1号車ごうしゃ出品しゅっぴんされ、展示てんじかい撮影さつえいかい試乗しじょうかいといった内容ないようであった。

松下電器産業まつしたでんきさんぎょうげんパナソニック創業そうぎょうしゃ松下まつした幸之助こうのすけ松田まつだ恒次つねじ親交しんこうがあり、ロータリーエンジン評価ひょうかして、コスモスポーツの顧客こきゃくだいいちごうとなった[23]

よく1967ねん昭和しょうわ42ねん)には、調布ちょうふ - 八王子はちおうじあいだ開通かいつうした中央ちゅうおう自動車じどうしゃどうに、高速こうそくパトロールカーとして警視庁けいしちょうだいはち方面ほうめん交通こうつう機動きどうたい配備はいびされた。

1971ねん昭和しょうわ46ねん)の特撮とくさつテレビ番組ばんぐみかえってきたウルトラマン』にて、防衛ぼうえいチームMATの専用せんよう車両しゃりょう「マットビハイクル」として後期こうきがた登場とうじょうしている。その未来みらいてきなフォルムをかして、おおきな改造かいぞう[注釈ちゅうしゃく 2]ほぼ量産りょうさんしゃそのままの外観がいかん使用しようされている。また、どうさくのオマージュ要素ようそつよい「ヱヴァンゲリヲンしん劇場げきじょうばん」にもNERVかんようしゃとして登場とうじょうしている。

月刊げっかんコロコロコミック連載れんさいされていた刑事けいじマンガ「リトルコップ」では主人公しゅじんこう愛車あいしゃとして登場とうじょう主人公しゅじんこう父親ちちおや形見かたみでもあり、覆面ふくめんパトカー仕様しようという設定せっていだった。

2代目だいめ・コスモAP/コスモL(1975ねん - 1981ねん[編集へんしゅう]

マツダ・コスモAP/コスモL(2代目だいめ
CD22がた[24]
コスモAP
コスモL
コスモAP(後期こうきがた
概要がいよう
販売はんばい期間きかん 1975ねん10月 - 1981ねん9月[24]
デザイン 前田まえだまた三郎さぶろう
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 5めい
ボディタイプ 2ドア ノッチバッククーペ
2ドア ファストバッククーペ
エンジン位置いち フロント
駆動くどう方式ほうしき こう駆動くどう
パワートレイン
エンジン 13B 1,308cc 2ローター
12Aがた 1,146cc 2ローター
MAがた 2,000cc 直列ちょくれつ4気筒きとう
VCがた 1,800cc
変速へんそく 3そくAT/4そくMT/5そくMT
サスペンション
まえ マクファーソンストラット
のち 4リンク
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,510mm
全長ぜんちょう 4,545mm
全幅ぜんぷく 1,685mm
ぜんこう 1,325mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 1,220kg
その
データモデル コスモAP リミテッド
国内こくない新車しんしゃ登録とうろく台数だいすう累計るいけい 14まん9159だい[24]
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コスモAP[編集へんしゅう]

コスモスポーツの生産せいさん中止ちゅうしから3ねんの1975ねん10がつに「コスモAP」として復活ふっかつ。「AP」はアンチポリューション(公害こうがい対策たいさく)の意味いみである。オイルショックのちにマツダがはじめて発表はっぴょうしたモデルで、コスモスポーツと路線ろせんことなるスペシャルティカーとなった背景はいけいには、北米ほくべい市場いちば要求ようきゅうがあった。このため内装ないそう装備そうびいたっても高級こうきゅうかん豪華ごうかさをしたものとなり、あかいボディカラーとともに注目ちゅうもくける存在そんざいとなった。CMキャラクターは宇佐美うさみ恵子けいこしばたはつみの『マイ・ラグジュアリー・ナイト』をCMソングに起用きようし、どうきょくだいヒットを記録きろくした。

2代目だいめルーチェモノコックのフロアパネルを共用きょうようして、マツダのフラッグシップモデルとして、サスペンション・内装ないそう装備そうびしん設計せっけいした。しん設計せっけいしたパーツは、のマツダしゃへの流用りゅうよう(ルーチェやカペラとう)を考慮こうりょして、部品ぶひん共用きょうようによるコストダウン効果こうかねらった。

前期ぜんきがたまるがた4とうヘッドランプとLがたテールランプたて基調きちょうラジエーターグリルと、マツダ独自どくじそらりょく理論りろん[注釈ちゅうしゃく 3]もとづくエンジンフード先端せんたん処理しょり特徴とくちょうであった。1979ねんのマイナーチェンジでは、ことがた角形かくがた2とうのヘッドランプと格子こうし調ちょうのグリル、横長よこながのテールランプへと変更へんこうされ、雰囲気ふんいき一変いっぺんした。

エンジンは135PSの13Bがたエンジン、125PSの12Aがたエンジンレシプロエンジンの2,000cc(MAがた)、1,800cc(VCがた)の4タイプのバリエーションがあった。このうち、レシプロの2000㏄のエンジン(MAがた)は、キャブレターによるさんげん触媒しょくばい使用しようしたエンジンで、業界ぎょうかいはつのエンジンとなり、コスモLの発表はっぴょう追加ついかした。1800㏄のVCがたは、サーマルリアクターしき公害こうがい対策たいさくおこなっていたので、徐々じょじょにMAがた変更へんこうされていった。

サスペンションは、フロントはロアアームをAアームにしたストラットしき、リアは5リンクしき採用さいようした。

当時とうじおりからの自動車じどうしゃ排出はいしゅつガス規制きせい影響えいきょうによって、スポーツモデルが次々つぎつぎえていこうとしている時期じきであり、そのなか登場とうじょうしたパワフルなコスモAPは一際ひときわ目立めだ存在そんざいとなり、発売はつばいから半年はんとしで2まんだいげるだいヒットさくとなった。

輸出ゆしゅつめいはロータリーエンジン搭載とうさいしゃが「マツダ・RX-5」、レシプロエンジン搭載とうさいしゃが「マツダ・121」であった。

コスモL[編集へんしゅう]

コスモAPからおくれること2ねん1977ねん7がつ派生はせいモデルとして「コスモL」が追加ついかされた。“L”はランドウトップの頭文字かしらもじで、高級こうきゅう馬車ばしゃであるランドーレット屋根やね形式けいしき由来ゆらいする名前なまえである。最大さいだい特徴とくちょうは、そののとおりランドウトップにある。コスモAPではファストバックであったが、コスモLではノッチバック + オペラウインドウ(英語えいごばん) + ハーフレザーのトップ(車両しゃりょう屋根やね)となっていた。これも北米ほくべい市場いちばからのつよ要求ようきゅうによるもので、マスタングをはじめトヨタカローラおよびセリカなども2種類しゅるいのバックスタイルのクーペボディをそろえている。

ランドウトップのコスモLはリアシートの頭上ずじょうだか余裕よゆうがあり、居住きょじゅうせいいことと、クオーターウインドウ(オペラウィンドウと呼称こしょうしていた)がちいさく、プライバシーまもれることで、コスモAPとの性能せいのう装備そうびちがいはくとも、ややたか年齢ねんれいそうけた高級こうきゅうモデルとしての位置いちづけであった。

1979ねんマイナーチェンジ。APと同様どうようにフロントマスクをことがた角形かくがた2とうのヘッドランプと格子こうし調ちょうのグリルに変更へんこうした。

市場いちばでの評価ひょうかとはべつに、工場こうじょううちでの評価ひょうかまったことなるものがあった。ファストバック車両しゃりょう場合ばあいは、プレスした車体しゃたいパネルを溶接ようせつするさい、Cピラーの溶接ようせつ部分ぶぶんひょうてしまうので、通常つうじょう半田はんだ表面ひょうめんめてなだらかに仕上しあげる工程こうていがあった。ランドウトップでは、この工程こうてい省略しょうりゃくできたのでなまり公害こうがい発生はっせいせず、その意味いみたか評価ひょうかることになった。

3代目だいめ・コスモ(1981ねん - 1990ねん[編集へんしゅう]

マツダ・コスモ(3代目だいめ
HBがた[25]
2ドアハードトップ
4ドアハードトップ2000 EGI XG-X
4ドア ロータリーターボリミテッド
概要がいよう
販売はんばい期間きかん 2ドアハードトップ:1981ねん9月 - 1990ねん
4ドアハードトップ:1981ねん10月 - 1990ねん
4ドアセダン:1981ねん10月 - 1986ねん
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 5めい
ボディタイプ 2/4ドア ハードトップ
4ドア セダン
エンジン位置いち フロント
駆動くどう方式ほうしき こう駆動くどう
パワートレイン
エンジン MAがた 2,000cc 直列ちょくれつ4気筒きとう
12Aがた 1,146cc 2ローター
2,200ccディーゼルエンジン
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,615mm
全長ぜんちょう 4,640mm
全幅ぜんぷく 1,690mm
ぜんこう 1,340mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 1,135kg
その
姉妹しまいしゃ マツダ・ルーチェ
販売はんばい終了しゅうりょう前月ぜんげつまでの新車しんしゃ登録とうろく台数だいすう累計るいけい 9まん7874だい(一部いちぶルーチェをふくむ)[25]
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歴代れきだい唯一ゆいいつサブネームがされず「コスモ」の単独たんどくしゃめいとなる。4代目だいめルーチェとは姉妹しまいしゃ関係かんけいにある。ボディタイプは3種類しゅるいで、1981ねん9月1にち[26]に2ドアハードトップが先行せんこう発売はつばいされ、1かげつ同年どうねん10月1にち[27]に4ドアハードトップ、2週間しゅうかん10月16にち[28]に4ドアサルーン(セダン)およびロータリーエンジン搭載とうさいしゃがそれぞれ発表はっぴょうされた。CMソングは中本なかもとマリの「Sing Our Song Together」。

そらりょく配慮はいりょされたデザインが特徴とくちょうであり、ハードトップは4とうしきリトラクタブル・ヘッドライトつ。2ドアのCd当時とうじとしては世界せかいトップクラスの0.32を記録きろくしていた。

エンジンは当初とうしょ従来じゅうらいがたおなじMAがた4気筒きとう2,000ccレシプロエンジン(EGIおよびキャブレター仕様しよう)のみが先行せんこう発売はつばいされたが、のちに2,200ccディーゼルエンジン(サルーンのみ)、12Aがたロータリーエンジン(573cc×2)が追加ついかされた。

12Aがたロータリーエンジンはあらたに6PI(シックスピーアイ)と名付なづけられた、6ポートインダクションを採用さいよう。これは従来じゅうらい1ローターあたりプライマリーポート、セカンダリーポートと吸気きゅうきポートを2つ(2段階だんかいもうけていたものを、あらたにセカンダリーポートをメインポートとはいあつ開閉かいへいする補助ほじょポートとに分割ぶんかつし、1ローターごと3ポート(3段階だんかい)、2ローターでけい6ポートとしていた。これによって回転かいてんすう負荷ふか見合みあった吸気きゅうきタイミングの最適さいてきはかり、燃費ねんぴ出力しゅつりょく向上こうじょう寄与きよした。

1982ねん9月[29]12Aがたロータリーターボくるま発売はつばい。ロータリーエンジンとターボのわせはルーチェとともに世界せかいはつである。「全域ぜんいきぜんそくターボ」と名付なづけられたこのエンジンは、1982ねん当時とうじ日本にっぽんしゃなかではトップクラスの性能せいのうほこり、1980年代ねんだいひろげられる性能せいのう戦争せんそう先鞭せんべんをつけた。

インテリアでは、デジタルながら面積めんせき変化へんか情報じょうほうつたえるスピードメーター、サテライトスイッチの影響えいきょうられるメーターナセルりょうはしはいしたエアコン灯火ともしびるいワイパーなどのスイッチ、カセットテープコンパクトカセット)をせるデザインのせいだてがたトランスポートを採用さいようしたカーオーディオ三菱電機みつびしでんき共同きょうどう開発かいはつ)、シートバックの中折なかお機構きこうなどに特徴とくちょうがある。

自動車じどうしゃジャーナリストの三本みもと和彦かずひこは1982ねん9がつ茨城いばらきけん筑波つくばぐん谷田部やたべまちげんつくば)の日本にっぽん自動車じどうしゃ研究所けんきゅうじょ高速こうそく周回しゅうかいにおいて、コスモロータリーターボの24あいだ耐久たいきゅうテストをおこなった。高速こうそく耐久たいきゅうトライアルとしてはトヨタ・2000GTによるものが有名ゆうめいであるが、6あいだ時点じてんでの2000GTのしん国際こくさい記録きろく210.42km/hを上回うわまわっていた(2000GTは最終さいしゅうてきに72あいだ平均へいきん206.02km/h)。

1983ねん10月、マイナーチェンジ。個性こせいてきなデザインからかルーチェともども販売はんばいかんばしくなく、4ドアハードトップのフロントマスクを一般いっぱんてき固定こていしきヘッドライトへと変更へんこう(2ドアハードトップはリトラクタブル・ヘッドライトを継続けいぞく)。同時どうじに4ドアしゃ13Bがたロータリースーパーインジェクションしゃ設定せっていする。キャッチコピーは「いてるオトコの。~BIG RUN」。CMソングは西松にしまつ一博かずひろの「いてるオトコの。」。

1984ねん9月、2ドアハードトップをマイナーチェンジ。「GT」以外いがい改良かいりょうおこない、4ドア同様どうよう固定こていしきヘッドライトへと変更へんこうされた。

1985ねん5月、モデル末期まっきのグレード整理せいり販売はんばいテコ入てこいれとして、レシプロエンジンしゃに「ジェンティール」シリーズを投入とうにゅう

1986ねん9月、ルーチェのフルモデルチェンジと同時どうじに4ドアサルーンを廃止はいしし、2/4ドアハードトップのみに整理せいり

1988ねん10月、ボディーカラー一部いちぶ

1990ねん4がつ、ユーノス・コスモの登場とうじょうにより生産せいさん終了しゅうりょう

4代目だいめ・ユーノスコスモ(1990ねん - 1996ねん[編集へんしゅう]

マツダ・ユーノスコスモ[30](4代目だいめ
JCESE/JC3SE/JCES/JC3Sがた
20Bロータリー搭載とうさいしゃ
リア
概要がいよう
販売はんばい期間きかん 1990ねん4がつ1996ねん6がつ[30]
デザイン 小泉こいずみいわお
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 4めい
ボディタイプ 2ドア ノッチバッククーペ
エンジン位置いち フロント
駆動くどう方式ほうしき こう駆動くどう
パワートレイン
エンジン 13B-REWがた 1,308cc 2ローター
20B-REWがた 1,962cc 3ローター
最高さいこう出力しゅつりょく 230PS/6500rpm(2ローター)
280PS/6500rpm(3ローター)
最大さいだいトルク 30.0kgf·m/3500rpm(2ローター)
41.0kgf·m/3000rpm(3ローター)
変速へんそく 4そくAT
サスペンション
まえ ダブルウィッシュボーン
のち ツインダンバーづけマルチリンク
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,750 mm
全長ぜんちょう 4,815 mm
全幅ぜんぷく 1,795 mm
ぜんこう 1,305 mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 1,490-1,640 kg
系譜けいふ
後継こうけい マツダ・RX-8やく7ねん空白くうはくゆう
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1990ねん4月発売はつばい。ボディは2ドアクーペのみ。当時とうじのマツダは販売はんばいチャンネルの拡充かくじゅうはかっており(マツダ、ユーノスアンフィニオートザムオートラマ)、このくるまはユーノスブランドのフラッグシップとして登場とうじょうした。キャッチコピーは『クーペ・ダイナミズム』。

コスモとしては初代しょだい以来いらいとなるロータリーエンジン専用せんようしゃであり、2ローターの13B-REWがたと、市販しはんしゃでは世界せかいはつとなる3ローターの20B-REWがたの2種類しゅるい設定せっていされた。いずれもシーケンシャルツインターボで、これは日本にっぽんしゃとしてははつ採用さいようであった。このくるま使用しようされたユーノスのエンブレムはコスモスポーツのようなローターをかたどったものである。

耳目じもくあつめた世界せかいはつの「CCS」とばれるGPSカーナビ三菱電機みつびしでんき共同きょうどう開発かいはつ)を、20B搭載とうさいしゃのTYPE-E.CCSグレードに標準ひょうじゅん装備そうびした。また、高級こうきゅうクーペらしく内装ないそうにも相応そうおうのこだわりがあり、イタリアであつらえたウッドパネルをインパネに装着そうちゃく、しかし全面ぜんめんるようなことはせず効果こうかてきはいしてしなよくまとめられていた。さらに、フルオートエアコンの操作そうさはカーナビディスプレイをねるタッチパネルでのみ操作そうさ可能かのうという当時とうじとしては画期的かっきてき方式ほうしきで、以降いこう各社かくしゃでも高級こうきゅうしゃ中心ちゅうしん普及ふきゅうすることとなった。カーナビが標準ひょうじゅん装備そうびされない場合ばあい液晶えきしょうきフルオートエアコン操作そうさパネルがく。グレードはTYPE-ECCS・TYPE-E・TYPE-S(前期ぜんき中期ちゅうきがた)・TYPE-SX(後期こうきがたのみ)。プラットフォームマツダ・JCプラットフォーム採用さいようしている。

マツダエンジニアのゆめであった「Vがた12気筒きとうエンジンなみなめらかさをつ」とわれる3ローターの20Bエンジンは非常ひじょうこう出力しゅつりょくで、当初とうしょ333馬力ばりき設計せっけいされていたが、当時とうじ運輸省うんゆしょう行政ぎょうせい指導しどうによって280馬力ばりき国内こくない自主じしゅ規制きせいわくないおさめることが必要ひつようとなり、デチューンのうえ市販しはんされた。ターボへのはいあつひくくし最高さいこう出力しゅつりょくおさえるため、13Bと比較ひかくして排気はいきポートが変更へんこうされている。20Bのローターとローターハウジングは13Bとどうすんである。20Bの自動車じどうしゃぜい種別しゅべつわりにおける排気はいきりょう区分くぶんは「2,500ccちょうから3,000 cc以下いか」の区分くぶん該当がいとうする。

その出力しゅつりょく構造こうぞう、メディアによっては「リッター3キロのちょうこう燃費ねんぴしゃ」と紹介しょうかいされることもあり[31]市街地しがいち走行そうこうでの実際じっさい燃費ねんぴは2km/Lを維持いじするのが精一杯せいいっぱいで、条件じょうけんによっては1km/Lだいにまで悪化あっかすることもあった[32]

シーケンシャルツインターボは、FD3SがたRX-7に搭載とうさいされているものとはことなり、プライマリーがわとセカンダリーがわことなるサイズのタービンが採用さいようされた。20B搭載とうさいしゃのマフラーはこう回転かいてんいき経路けいろ変更へんこうされる可変かへん排気はいき機能きのう採用さいようされており、4ほんのマフラーが回転かいてんにより開口かいこうポートすう変化へんかしている。外観がいかんでは13B搭載とうさいしゃのテールパイプが2ほんしであるのにたいし、20B搭載とうさいしゃでは4ほんしとなっている。

トランスミッションはぜんグレードで4そくATのみが設定せっていされ、MT設定せっていはない。こう出力しゅつりょくエンジンと当時とうじとしては大柄おおがら車体しゃたいであったにもかかわらず、タイヤサイズは前後ぜんごとも215/60R15という一般いっぱんてきなものであった。

1991ねん平成へいせい3ねん)、ハードサスペンションやBBSのホイールを装着そうちゃくした特別とくべつ仕様しようしゃ、TYPE-SXが登場とうじょうした。

なお、開発かいはつ当初とうしょサンルーフ装備そうび企画きかくされており、液晶えきしょうもちいた先進せんしんてき透過とうかりつ可変かへんしき予定よていされていた。生産せいさんしゃにも専用せんよう回路かいろ存在そんざいしていたが、ノイズ処理しょり耐久たいきゅうせいなどの問題もんだいをクリアできず、販売はんばい低迷ていめいでコスモ自体じたい採算さいさん見込みこめなくなったため断念だんねんされた。

1995ねん8がつ[33]生産せいさん終了しゅうりょう在庫ざいこ対応たいおうぶんのみの販売はんばいとなる。

1996ねん6がつ在庫ざいこ対応たいおうぶんがすべて完売かんばい販売はんばい終了しゅうりょう販売はんばい期間きかんちゅう新車しんしゃ登録とうろく台数だいすう累計るいけいは8,842だい[30]後継こうけいしゃはなくモデル廃止はいしとなり、コスモのくるまめい生産せいさん中断ちゅうだん期間きかんふくめて29年間ねんかん歴史れきし終止符しゅうしふった。

コスモ21[編集へんしゅう]

マツダスピード製作せいさくし、2002ねん東京とうきょうオートサロン出展しゅってんされたコンセプトカー。NBがたロードスターをベースにコスモスポーツを再現さいげんしたうち外装がいそう変更へんこうし、砲丸ほうがんがたサイドミラーを採用さいようするなどレトロな雰囲気ふんいきただようが、ウインカーやテールランプにはこう輝度きどLED多用たようしており、部分ぶぶんてきには未来みらいてきなイメージも強調きょうちょうしている。エンジンは最高さいこう出力しゅつりょく250 PSを発生はっせいする新型しんがたロータリーエンジン「RENESIS」を搭載とうさい。これはRX-8搭載とうさいされるエンジンとおなじものである。300まんえんだい限定げんてい販売はんばいモデルとして発売はつばいされる計画けいかくもあったが、市販しはんにはいたらなかった[34]

くるまめい由来ゆらい[編集へんしゅう]

イタリア宇宙うちゅう意味いみする「コスモ」(COSMO)から。「宇宙うちゅう時代じだいにふさわしいエンジンを」というねがいがめられている。また、宇宙うちゅうをギリシャで「コスモス」(KOSMOS)とむが、そちらは関係かんけいしていない。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ コスモスポーツのプロトタイプを出展しゅってんしなかった理由りゆうについて、社長しゃちょう松田まつだは「ロータリー・エンジンをはじめ、マツダ・ルーチェ、ファミリアなどの新型しんがたしゃ発表はっぴょうしたうえに、ロータリー・エンジン搭載とうさいしゃまで出品しゅっぴんすることは、他社たしゃたいして刺激しげきがあまりにもおおぎることを懸念けねんしたため」と説明せつめいしている[3]
  2. ^ だい32落日らくじつ決闘けっとう」では、迷彩めいさいしょくられ屋根やねじょうにロケットランチャーを搭載とうさいした改造かいぞうしゃ登場とうじょうしている。
  3. ^ このそらりょく理論りろんは4代目だいめファミリアと3代目だいめカペラにもれられている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c デアゴスティーニジャパン 週刊しゅうかん日本にっぽん名車めいしゃだい3ごう3ページより。
  2. ^ モーターマガジン '63ねん12がつごう P28およびP87
  3. ^ 月刊げっかん自動車じどうしゃ '63ねん12がつごう P50
  4. ^ 1963ねん10がつ20にち朝日新聞あさひしんぶん記事きじ
  5. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (43/68)| レスポンス
  6. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (44/68)| レスポンス
  7. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (45/68)| レスポンス
  8. ^ Cosmo Sport NET
  9. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (46/68)| レスポンス
  10. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (47/68)| レスポンス
  11. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (48/68)| レスポンス
  12. ^ a b 月刊げっかん自動車じどうしゃ '63ねん12がつごう P50
  13. ^ マツダ「RX‐VISION」 待望たいぼう新型しんがたロータリー搭載とうさい | 経済けいざいプレミア・トピックス | 編集へんしゅう | 毎日新聞まいにちしんぶん経済けいざいプレミア」
  14. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (49/68)| レスポンス
  15. ^ 画像がぞう】マツダ コスモスポーツ 50周年しゅうねんる、ロータリーの歴史れきし未来みらい (53/68)| レスポンス
  16. ^ M-BASE エムベース | カタログとその時代じだい だい50かい Automobile Council 2016 – そのⅡ
  17. ^ ★1967ねん マツダ・コスモスポーツ…の画像がぞう | ポルシェ356Aカレラ
  18. ^ 日本にっぽんのショーカー1 1954〜1969ねん P.79
  19. ^ 毎日まいにちグラフ '65ねん5がつ1にちごう P88
  20. ^ 日本にっぽんのショーカー1 1954〜1969ねん P.90
  21. ^ マツダ公式こうしきブログ 2017ねん7がつ18にち
  22. ^ Nostalgic Hero Vol,38(1993ねん8がつごう) P62
  23. ^ “ロータリーエンジン、疾走しっそう50ねん 時代じだいなみえ…「さい点火てんかつファン”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2017ねん5がつ30にち). http://www.asahi.com/articles/DA3S12963973.html 2017ねん6がつ11にち閲覧えつらん 
  24. ^ a b c デアゴスティーニジャパン 週刊しゅうかん日本にっぽん名車めいしゃだい6ごう15ページより。
  25. ^ a b デアゴスティーニジャパン 週刊しゅうかん日本にっぽん名車めいしゃだい9ごう13ページより。
  26. ^ 自動車じどうしゃガイドブック '81-'82 vol.28 304ぺーじ
  27. ^ 自動車じどうしゃガイドブック '82-'83 vol.29 118ぺーじ
  28. ^ 自動車じどうしゃガイドブック '82-'83 vol.29 119ぺーじ
  29. ^ 自動車じどうしゃガイドブック '82-'83 vol.29 314ぺーじ
  30. ^ a b c デアゴスティーニジャパン週刊しゅうかん日本にっぽん名車めいしゃだい79ごう13ページより。
  31. ^ おぎやはぎの愛車あいしゃ遍歴へんれき』2013ねん10がつ5にち放送ほうそうぶんより。
  32. ^ 徳大寺とくだいじ有恒ありつねしる '90年度ねんどばん・'96年度ねんどばん間違まちがいだらけのクルマえらび」 くさおもえしゃ
  33. ^ ユーノスコスモ(マツダ)のカタログ”. リクルート株式会社かぶしきがいしゃ (2020ねん1がつ25にち). 2020ねん1がつ25にち閲覧えつらん
  34. ^ 【オートサロン2002速報そくほう】『コスモスポーツ』が21世紀せいき日本にっぽんかえってきた!!

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]