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モンゴリアン・ストンパー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・モンゴリアン・ストンパー
ザ・モンゴリアン・ストンパーの画像
1963ねん
プロフィール
リングネーム ザ・モンゴリアン・ストンパー
ザ・ストンパー
アーチー・ゴルディー
本名ほんみょう アーチボルド・エドワード・ゴルディー
ニックネーム つぶ野郎やろう
こうむいにしえ禿鷹はげたか
身長しんちょう 188cm - 190cm
体重たいじゅう 118kg - 120kg
誕生たんじょう 1936ねん11月22にち[1]
死亡しぼう (2016-01-23) 2016ねん1がつ23にち(79さいぼつ[1]
出身しゅっしん カナダの旗 カナダ
オンタリオ州の旗 アルバータしゅうカーボン
スポーツれき アメリカンフットボール
トレーナー スチュ・ハート
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アーチー "ザ・モンゴリアン・ストンパー" ゴルディーArchie "The Mongolian Stomper" Gouldie本名ほんみょうArchibald Edward Gouldie1936ねん11月22にち - 2016ねん1がつ23にち[1])は、カナダアルバータしゅう出身しゅっしんプロレスラー

そのリングネームのとおり、強烈きょうれつストンピングみつけ・り)を攻撃こうげき主体しゅたいとするブルファイターとして活躍かつやくした[2]日本にっぽんでは「つぶ野郎やろう」の異名いみょう[2]、アメリカ修行しゅぎょう時代じだいアントニオ猪木いのきともタッグをんでいた[3]

来歴らいれき

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アメリカンフットボール活動かつどうスチュ・ハートのトレーニングをけ、1960年代ねんだい初頭しょとうにデビュー[4]地元じもとアルバータしゅうカルガリー皮切かわきりにアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにも進出しんしゅつして、ノースカロライナテキサスアマリロなどを転戦てんせん[5]1963ねんカンザスシティNWAセントラル・ステーツ地区ちくはい[4]どう地区ちくブッカーだったパット・オコーナーのアイデアで、ザ・モンゴリアン・ストンパーThe Mongolian Stomper)に変身へんしん[5]よく1964ねん日本にっぽんから海外かいがい武者むしゃ修行しゅぎょうのために遠征えんせいしてきたトーキョー・トムことアントニオ猪木いのきとの「(にせ)アジアじんコンビ」でされた[3]

猪木いのき帰国きこくモンゴリアンギミックヒールとして活躍かつやくし、1965ねん4がつ16にちロン・リードからNWAセントラル・ステーツ・ヘビーきゅう王座おうざを、8がつ14にちロニー・エチソンからどう地区ちくばんのUSヘビーきゅう王座おうざをそれぞれ奪取だっしゅ[6][7]1966ねん4がつ12にちと5がつ17にちにはジン・キニスキーNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんしている[8]同年どうねん12がつ31にちには当時とうじアメリカン・レスリング・アライアンスのテリトリーだったサンフランシスコにて、サイクロン・ネグロんでレイ・スティーブンス&パット・パターソンのブロンド・ボンバーズからサンフランシスコばんのAWA世界せかいタッグ王座おうざ奪取だっしゅした[9]

以後いご、アメリカではストンパー、カナダではおも本名ほんみょうアーチー・ゴルディーArchie Gouldie名義めいぎ活動かつどう[10]。カルガリーにもどると、1968ねん2がつ28にちにトーナメントの決勝けっしょうでパット・オコーナーをやぶり、のちダイナマイト・キッドブレット・ハート戴冠たいかんするどう地区ちくのフラッグシップ・タイトル、スタンピード北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ初代しょだいチャンピオンとなる[11]同年どうねん7がつにはキニスキーのNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざさい挑戦ちょうせんした[12]以降いこうもカルガリーのスタンピード・レスリング主戦しゅせんじょうに、北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざめぐってビル・ロビンソンアブドーラ・ザ・ブッチャーキラー・トーア・カマタオックス・ベーカースタン・スタージャックアンジェロ・モスカカール・フォン・ショッツらとこうそう展開てんかい、カナダを代表だいひょうするトップクラスのレスラーとなった(以後いごどう王座おうざには1983ねんまでけい11かい戴冠たいかん[11]

カナダではマリタイム地区ちくのイースタン・スポーツ・アソシエーション(アトランティック・グランプリ・レスリング)でも活動かつどうし、1969ねん8がつ12にちノバスコシアしゅうハリファックスにて、どう地区ちくのフラッグシップ・タイトルであるESA北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざザ・ビーストから奪取だっしゅ[13]以降いこうボボ・ブラジルキラー・カール・クラップボロ・モンゴルレオ・バークらと王座おうざあらそった[13]

1971ねん1がつ日本にっぽんプロレスはつ来日らいにち。「アメリカ修行しゅぎょうちゅう猪木いのきとタッグをんでいたが、そのあまりにも残虐ざんぎゃく試合しあいぶりに猪木いのき激怒げきどして仲間割なかまわれ、猪木いのきへの復讐ふくしゅうのために日本にっぽん来襲らいしゅう」などというサイド・ストーリーも用意よういされ注目ちゅうもくあつめる[2]。1月7にちにはザ・ケンタッキアンをパートナーに、大阪おおさか府立ふりつ体育館たいいくかんにてジャイアント馬場ばば猪木いのきBIほう保持ほじしていたインターナショナル・タッグ王座おうざ挑戦ちょうせん[14]。2月2にちには広島ひろしま県立けんりつ体育館たいいくかん馬場ばばインターナショナル・ヘビーきゅう王座おうざにも挑戦ちょうせんしてけ、2がつ4にち大田おおた体育館たいいくかんでの猪木いのきとのシングルマッチ(3ほん勝負しょうぶ)では反則はんそくからみながら勝利しょうりおさめるなどの活躍かつやくせた[14]よく1972ねん11月のさい来日らいにちではキラー・カール・コックス凶悪きょうあくコンビを結成けっせいした[2][15]

以降いこうもカナダを本拠地ほんきょちに、テネシーアラバマフロリダなどアメリカ南部なんぶ転戦てんせん各地かくちのローカル・タイトルを奪取だっしゅする一方いっぽうドリー・ファンク・ジュニアジャック・ブリスコテリー・ファンクなど1970年代ねんだい歴代れきだいNWA世界せかい王者おうじゃ再三さいさんわたって挑戦ちょうせん暴走ぼうそうかぎりをくしての名誉めいよ反則はんそくけで「まぼろしのNWA世界せかいチャンピオン」ともばれた[16]。カルガリーでは1974ねんハーリー・レイスとも北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざあらそっている[11]

アメリカでは1975ねんよりテネシーのNWAミッドアメリカ地区ちく主戦しゅせんじょうとして、1977ねんより発足ほっそくしたジェリー・ジャレットしん団体だんたいCWAにも継続けいぞく参戦さんせんジェリー・ローラージャッキー・ファーゴボブ・アームストロングロッキー・ジョンソンビル・ダンディートミー・リッチらとこうそうひろげた。ローラーとはタッグもみ、1978ねん9月にジョー・ルダック&ジャン・ルイから南部なんぶタッグ王座おうざ奪取だっしゅしている[17]1979ねん5月14にちにはメンフィスのミッドサウス・コロシアムにて、当時とうじテリー "ザ・ハルク" ボールダーと名乗なのっていた若手わかて時代じだいハルク・ホーガンとも対戦たいせんした[18]

1979ねん11月、おなじくテネシーを主戦しゅせんじょうとしていたジプシー・ジョー仲介ちゅうかい国際こくさいプロレス来日らいにち久々ひさびさ日本にっぽんマット登場とうじょうたす。ジョー、アレックス・スミルノフ上田うえだすけ常連じょうれん主力しゅりょくヒールがかおそろえたシリーズにおいて外国がいこくじん陣営じんえいのエースとしてむかえられ、12月4にち後楽園こうらくえんホールにてラッシャー木村きむらIWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんした[19]国際こくさいプロレスにはよく1980ねん2がつにもさい来日らいにちし、3月8にち鹿児島かごしま県立けんりつ体育館たいいくかんにて木村きむらさい挑戦ちょうせんしている[20]。この来日らいにちには弟子でしかくのトム・スタントンをパートナーに、3月21にち浜北はまきた大会たいかいにてマイティ井上いのうえ&アニマル浜口はまぐちIWA世界せかいタッグ王座おうざにも挑戦ちょうせんした[20]

同年どうねん9がつには日本にっぽんプロレスへのはつ来日らいにち一緒いっしょだったビル・ドロモや、のちミッドナイト・エクスプレスのオリジナル・メンバーとなるランディ・ローズノーベル・オースチンらを配下はいかに「ストンパー軍団ぐんだん」を結成けっせいしての3度目どめ国際こくさいプロレス参戦さんせん告知こくちされたが、急性きゅうせい気管支炎きかんしえんわずら来日らいにち中止ちゅうしとなった(代打だいだには、ストンパー本人ほんにん自分じぶんわるリーダーに指名しめいしたというみでロン・バス来日らいにち[21]。なお、国際こくさいプロレスでの入場にゅうじょうテーマきょくにはジェフ・ベックの "Led Boots" が使用しようされていた(アルバム『ワイアード』に収録しゅうろく[22]

そのジム・バーネット主宰しゅさいジョージア・チャンピオンシップ・レスリング参戦さんせんし、1980ねん12月12にちにジャック・ブリスコからNWAナショナル・ヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅ[23]よく1981ねん5月29にちスティーブ・オルソノスキーやぶれるまで、アンドレ・ザ・ジャイアントダスティ・ローデスミスター・レスリング2ごうテッド・デビアストニー・アトラスなどの強豪きょうごう相手あいて防衛ぼうえいせんおこなった[24]。テネシーやジョージアと並行へいこうして参戦さんせんしていたアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングでは、1978ねんから1981ねんにかけて、ジミー・ゴールデンロバート・フラーロニー・ガービンリッキー・ギブソンディック・スレータージェリー・スタッブスらをやぶり、フラッグシップ・タイトルのNWAサウスイースタン・ヘビーきゅう王座おうざ通算つうさん11かい獲得かくとくしている[25]

国際こくさいプロレス崩壊ほうかい1982ねん3がつにはNWAルートで全日本ぜんにほんプロレスチャンピオン・カーニバル出場しゅつじょう[26]公式こうしきリーグせんではブルーザー・ブロディバック・ロブレイ乱入らんにゅうもあって馬場ばばけるなど[27]はつ来日らいにちのインターせん再現さいげんしたが、優勝ゆうしょう戦線せんせん浮上ふじょうするにはいたらず、これが最後さいご来日らいにちとなった。かえりまいはテキサスしゅうサンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングに進出しんしゅつ、ジョージアやアラバマをとおしての宿敵しゅくてきスレーターとサウスウエスト・ヘビーきゅう王座おうざあらそった[28]

1983ねんより古巣ふるすのカルガリーに定着ていちゃくし、北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざめぐってバッドニュース・アレンこうそう。「息子むすこ」のストンパー・ジュニアことジェフ・ゴルディーとの親子おやこタッグ[29]や、キラー・カーンとのモンゴリアン対決たいけつ実現じつげんした[30]1984ねん3月、カルガリーとの提携ていけいルートでしん日本にっぽんプロレスへの参加さんか決定けっていしていたが急遽きゅうきょキャンセルしている。1985ねん下期しもきからはバーン・ガニア主宰しゅさいAWA参戦さんせんシーク・アドナン・アル=ケイシーひきいる反米はんべい軍団ぐんだん加入かにゅうしてボリス・ズーコフノード・ザ・バーバリアン共闘きょうとうし、サージェント・スロータージェリー・ブラックウェルカート・ヘニングスコット・ホールロード・ウォリアーズらと抗争こうそうした[31]

そのはサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングの後継こうけい団体だんたいコンチネンタル・レスリング・フェデレーションをて、キャリア晩年ばんねん1990年代ねんだい前半ぜんはんジム・コルネット主宰しゅさいのスモーキー・マウンテン・レスリングに出場しゅつじょうしていた[4][10]引退いんたい長年ながねん主戦しゅせんじょうでもあったテネシーしゅうノックスビル居住きょじゅうし、刑務けいむかんてんじていた[32][33]

2016ねん1がつ23にち、ノックスビルの病院びょういんにて睡眠すいみんちゅう死去しきょ[1][5]。79さいぼつ[1]晩年ばんねんアルツハイマーびょうわずら[4]死亡しぼうの2週間しゅうかんまえ転倒てんとうしてこしほねり、手術しゅじゅつけたものの回復かいふくはしていなかったという[5]

エピソード

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  • アメリカ修行しゅぎょう時代じだいアントニオ猪木いのきにとって、ストンパーは公私こうしにわたってのきパートナーだったようであり、試合しあいのないには自宅じたく招待しょうたいしてもらえたなどと自著じちょしるしている。しかし、特製とくせい人参にんじんジュースをご馳走ちそうになったさいは、みすぎてすう日間にちかん勃起ぼっき状態じょうたいおさまらなくなってしまったという[34]
  • スタンピード・レスリングでは1983ねんから1984ねんにかけて、ストンパーはベビーフェイスのポジションで北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざバッドニュース・アレンあらそっていた。1983ねん12月19にちしん日本にっぽんプロレスのカナダ遠征えんせいおこなわれた猪木いのきvsケリー・ブラウンせんスチュ・ハートジン・キニスキー共同きょうどうプロモートによるバンクーバーでの興行こうぎょう)では、試合しあい乱入らんにゅうしたアレンらヒールぜいおそわれるかつてのパートナー猪木いのき救出きゅうしゅつし、現地げんちのファンの喝采かっさいびるという一幕ひとまくられた(翌年よくねんしん日本にっぽんプロレスへのはつ参加さんか発表はっぴょうされたがまぼろしわっている)[3]
  • 1979ねん国際こくさいプロレスはつ登場とうじょうおこなわれたラッシャー木村きむらとのIWA世界せかいヘビーきゅうタイトルマッチは、おなじシリーズに参戦さんせんして仲間割なかまわれをこしたアレックス・スミルノフ介入かいにゅう王座おうざ奪取だっしゅ失敗しっぱいしている。後年こうねん、ストンパーが参加さんかした全日本ぜんにほんプロレスのチャンピオン・カーニバル1982ねん大会たいかいにはスミルノフも来日らいにちしていたが、スミルノフの棄権きけんにより公式こうしきリーグせんでの両者りょうしゃ対戦たいせんおこなわれなかった[26]
  • モンゴリアン・ギミックの後継こうけいしゃでもあるキラー・カーンは、日本にっぽんプロレス入門にゅうもんした最初さいしょのシリーズにはつ来日らいにちしたストンパーの試合しあいグレート小鹿こじかとのシングルマッチ)に衝撃しょうげきけ、小鹿こじか一方いっぽうてきめてダルマにしたストンパーにふるえがまらなかったと述懐じゅっかいしており、「これまでに外国がいこくじんレスラーのなかもっとつよ印象いんしょうのこっている」「おれもいつか、あんな迫力はくりょくのあるレスラーになれたらとおもった」などと自著じちょしるしている[35]

得意とくいわざ

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ストンピングをはじめ、分厚ぶあついブーツからすキック攻撃こうげき得意とくいとした。

獲得かくとくタイトル

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アメリカン・レスリング・アライアンス
セントラル・ステーツ・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA南部なんぶヘビーきゅう王座おうざフロリダはん):2かい[37]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナル・ヘビーきゅう王座おうざ:1かい[23]
NWAミッドアメリカ / コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • NWA南部なんぶヘビーきゅう王座おうざメンフィスはん):1かい[38]
  • AWA南部なんぶヘビーきゅう王座おうざ:1かい[38]
  • AWA南部なんぶタッグ王座おうざ:1かい(w / ジェリー・ローラー[17]
  • CWAインターナショナル・ヘビーきゅう王座おうざ:1かい
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング / コンチネンタル・レスリング・フェデレーション
  • NWAサウスイースタン・ヘビーきゅう王座おうざ:11かい[25]
  • NWAサウスイースタン・ヘビーきゅう王座おうざ南部なんぶばん):2かい[39]
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座おうざ:2かい(w / ジミー・ゴールデン、モンゴリアン・ストンパー・ジュニア)[40]
  • NWAサウスイースタンTV王座おうざ:1かい[41]
  • NWAサウスイースタン・ブラスナックル王座おうざ:1かい[42]
  • NWA世界せかいブラスナックル王座おうざサウスイースタンばん):3かい[43]
  • CWFタッグ王座おうざ:1かい(w / ジミー・ゴールデン)[44]
スタンピード・レスリング
  • スタンピード北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ:11かい[11]
  • Stampede Wrestling Hall of Fame
イースタン・スポーツ・アソシエーション
  • ESA北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ:6かい[13]
  • インターナショナル・タッグ王座おうざ:2かい(w / ザ・ビースト[45]
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCプエルトリコ・ヘビーきゅう王座おうざ:1かい[46]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWサウスウエスト・ヘビーきゅう王座おうざ:1かい[28]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e Archibald "The Mongolian Stomper" Edward Gouldie Obituary”. Obit Tree.com. 2016ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST100』P216-217(1981ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  3. ^ a b c 『Gスピリッツ Vol.16』P64-65「カンジ・イノキのアメリカ武者むしゃ修行しゅぎょう」(2010ねん辰巳たつみ出版しゅっぱんISBN 4777808017
  4. ^ a b c d Archie "Mongolian Stomper" Gouldie dead at 78”. Wrestling Observer. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c d Archie 'The Stomper' Gouldie dies”. SLAM! Sports. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  6. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  7. ^ a b NWA United States Heavyweight Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  8. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1966”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  9. ^ a b AWA World Tag Team Title [San Francisco]”. Wrestling-Titles.com. 2012ねん8がつ17にち閲覧えつらん
  10. ^ a b Archie Gouldie: Places”. Wrestlingdata.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  12. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1968”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  13. ^ a b c North American Heavyweight Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  14. ^ a b JWA 1971 New Year Champion Series”. Puroresu.com. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  15. ^ JWA 1972 International Championship Series”. Puroresu.com. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  16. ^ 『ゴング』1976ねん10がつごう P92「テリー完敗かんぱい! ストンパーがしんNWA世界せかい王者おうじゃに…?」(1976ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  17. ^ a b NWA-AWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  18. ^ CWA at Memphis 1979/05/14”. Wrestlingdata.com. 2014ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  19. ^ IWE 1979 Devilish Fight Series”. Puroresu.com. 2019ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  20. ^ a b IWE 1980 Super Fight Series”. Puroresu.com. 2019ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  21. ^ 国際こくさいプロレス クロニクル 下巻げかん特典とくてん付録ふろくCD-ROM 国際こくさいプロレスぜんパンフレット「1980ねん ダイナマイト・シリーズ」(2011ねん、クエスト)
  22. ^ わすれじの国際こくさいプロレス』P90(2014ねんスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃISBN 4583620802
  23. ^ a b NWA National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  24. ^ The GCW matches fought by Archie Gouldie in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014ねん5がつ29にち閲覧えつらん
  25. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  26. ^ a b AJPW 1982 The 10th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  27. ^ AJPW 10th Champion Carnival - Tag 11”. Cagematch.net. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  28. ^ a b SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  29. ^ 実際じっさい親子おやこではなく、ギミックうえ設定せっていである。ジェフはのちマーティ・ジャネッティとの「アップタウン・ボーイズ」やマイク・デービスとの「ロックンロールRPMs」で活躍かつやくするトミー・リー・ジョーンズ(a.k.a. トミー・ロジャース、トミー・レーン)で、ストンパーの実質じっしつてき弟子でしであり、かれのブッキングでセントラル・ステーツ地区ちくやテネシーCWAを主戦しゅせんじょうとしていたが、大成たいせいはできなかった(Online World of Wrestling)。
  30. ^ The Stampede matches fought by Archie Gouldie in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  31. ^ The AWA matches fought by Archie Gouldie in 1986”. Wrestlingdata.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  32. ^ The Mongolian Stomper”. Online World of Wrestling. 2009ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  33. ^ Archie Gouldie, The Mongolian Stomper, Dead at 71”. Wrestling News World. 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  34. ^ 猪木いのきひろしいたり自伝じでん』P81(1998ねん新潮社しんちょうしゃISBN 4104239011
  35. ^ 『"こうむいにしえ怪人かいじん" キラー・カーン自伝じでん 』P44-45(2017ねん辰巳たつみ出版しゅっぱんISBN 4777817814
  36. ^ NWA North American Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2013ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  37. ^ NWA Southern Heavyweight Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  38. ^ a b NWA-AWA Southern Heavyweight Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  39. ^ NWA Southeastern Heavyweight Title [Southern Division]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  40. ^ NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  41. ^ NWA Southeastern Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  42. ^ NWA Southeastern Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  43. ^ NWA World Brass Knuckles Title [Southeastern]”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  44. ^ Continental Wrestling Federation Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014ねん11月8にち閲覧えつらん
  45. ^ International Tag Team Title [Maritime Provinces]”. Wrestling-Titles.com. 2024ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  46. ^ WWC Puerto Rico Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ17にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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