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三保さんぼう松子まつこ

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みほ まつこ
三保さんぼう 松子まつこ
本名ほんみょう 藪野やぶの かつ(やぶの かつこ、出生しゅっしょうめい
守本もりもと かつ(もりもと かつこ、結婚けっこん
べつ名義めいぎ 三保さんぼう 敦美あつみ(みほ あつみ)
生年月日せいねんがっぴ (1894-09-08) 1894ねん9月8にち
ぼつ年月日ねんがっぴ しょうねん
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう東京とうきょう現在げんざい東京とうきょう
職業しょくぎょう 女優じょゆう
ジャンル 新劇しんげき新派しんぱ劇映画げきえいが時代じだいげき現代げんだいげき剣戟けんげき映画えいがサイレント映画えいがトーキー
活動かつどう期間きかん 1911ねん - 1947ねん
配偶はいぐうしゃ 守本もりもとせんいち
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三保さんぼう 松子まつこ(みほ まつこ、1894ねん9月8にち - 没年ぼつねんしょう)は、日本にっぽん女優じょゆうである[1][2][3][4][5][6][7][8]出生しゅっしょうめい藪野やぶの かつ(やぶの かつこ)[8]結婚けっこん本名ほんみょう守本もりもと かつ(もりもと かつこ)[1][2][9]。1933ねん昭和しょうわ9ねん以降いこう芸名げいめい三保さんぼう 敦美あつみ(みほ あつみ)と改名かいめいする[2][3][4][5][7]

人物じんぶつ来歴らいれき[編集へんしゅう]

1894ねん明治めいじ27ねん9月8にち東京とうきょう東京とうきょう現在げんざい東京とうきょう)にまれる[1][2]

舞台ぶたい女優じょゆう以前いぜん経歴けいれきつたえられていないが、1917ねん大正たいしょう6ねん)に発行はっこうされた『女優じょゆうそうまくり』には、よしまち現在げんざい東京とうきょう中央ちゅうおう日本橋にほんばし人形にんぎょうまち)で芸者げいしゃをしていたが、やがて絵画かいがモデル転向てんこう洋画ようが荻原おぎわらいちひつじ懇意こんいになったむね記述きじゅつがなされている[10]たしかに荻原おぎわらとは親交しんこうがあり、黒田くろだ清輝きよてる日記にっきにも荻原おぎわらとともに2登場とうじょうするが、いずれも1912ねん7がつ19にち同年どうねん11がつ28にちと、三保さんぼう女優じょゆうになってからの時期じきである[11]

まん17さいとなった1911ねん明治めいじ44ねん)11月に、ゆう楽座らくざ同座どうざ附属ふぞく女優じょゆう養成ようせいしょ開設かいせつしたが、これに入所にゅうしょし、だい1期生きせいとなる[2]よく1912ねん大正たいしょう元年がんねん)10がつ11にちだい一回有楽座附女優劇がおこなわれ、ライナー・マリア・リルケさくもり鷗外わけ戯曲ぎきょく家常茶飯かじょうさはん』(ドイツ: Das tägliche Leben, 1901ねん[12]山崎やまざき紫紅しこうさく戯曲ぎきょくしまおんな』、巖谷いわや小波さざなみさくの『おんな文士ぶんし』、くりとうせまころもさくの『胡蝶こちょう』を上演じょうえん一條いちじょう潮路しおじあずま花枝はなええん花子はなこ岩間いわま桜子さくらここうやつむら春枝はるえ栗島くりしますみ葛城かつらぎ文子ふみこらとともに出演しゅつえんし、まん18さい新劇しんげき舞台ぶたい女優じょゆうとしてデビューする[2][13]どう劇団げきだんは、はなやかな女優じょゆうげきひろげた[14]。1913ねん大正たいしょう2ねん)にはどう劇団げきだん解散かいさんしたのちは、新派しんぱ転向てんこうし、村田むらた正雄まさお井上いのうえ正夫まさお川上かわかみ貞奴さだやっこら、それぞれが主宰しゅさいするかく一座いちざ転々てんてんとした[2]。この時期じき、1915ねん大正たいしょう4ねん)には、天然色てんねんしょく活動かつどう写真しゃしんてんかつ)が製作せいさくした柴田しばた善太郎ぜんたろう鈴木すずき歌子うたこ主演しゅえんによるサイレント映画えいがあらしまたはるがすみ』や中野なかのしんちか一派いっぱ出演しゅつえんした『若葉わかばかげ』に出演しゅつえんした記録きろくのこっている[3]

1923ねん大正たいしょう12ねん)3がつ20日はつか公開こうかいされた『おのれつみ』(監督かんとく大洞おおほら元吾げんご)では、横山よこやま運平うんぺい相手あいてやく主演しゅえんしている[3][4][6]どうさくは、前年ぜんねんから女優じょゆう導入どうにゅうするために日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょ設置せっちされたどう撮影さつえいしょだいさん製作せいさくによるものであったが[3]どう撮影さつえいしょは、同年どうねん9がつ1にちきた関東大震災かんとうだいしんさいによって壊滅かいめつし、ぜん機能きのう日活にっかつ関西かんさい撮影さつえいしょ移転いてん三保さんぼう京都きょうとうつった[3][4][15]

すでにまん32さいになった1926ねん大正たいしょう15ねん)、牧野まきの省三しょうぞうマキノ・プロダクション御室おむろ撮影さつえいしょ入社にゅうしゃよく1927ねん昭和しょうわ2ねん)2がつ25にち公開こうかいされた、同社どうしゃ提携ていけいする賀古かこ残夢ざんむ賀古かこプロダクション製作せいさく同社どうしゃ配給はいきゅうの『さぬなか』(監督かんとく賀古かこ残夢ざんむ)に出演しゅつえんした[2]どうさく映画えいがデビューさくとする資料しりょう存在そんざいするが[2]、それ以前いぜん出演しゅつえんれき上記じょうきとおりである[3][6]時期じき不明ふめいであるが、同社どうしゃ俳優はいゆうおなどし守本もりもとせんいち本名ほんみょう守本もりもと熊太郎くまたろう、1894ねん - 没年ぼつねんしょう)と結婚けっこんしており、1928ねん昭和しょうわ3ねん)に発行はっこうされた『日本にっぽん映画えいが俳優はいゆう名鑑めいかん 昭和しょうわよん年版ねんばん』にはそのむね記述きじゅつがなされている[1]。1929ねん昭和しょうわ4ねん)7がつ25にちには、牧野まきの省三しょうぞうくなり、同年どうねん9がつマキノ正博まさひろかくとしたしん体制たいせい発表はっぴょうになると、三保さんぼうは、マキノ智子さとこ松浦まつうらちくえだ岡島おかじま艶子つやこ大林おおばやし梅子うめこ生野いくの初子はつこ櫻木さくらぎ梅子うめこ河上かわかみ君榮きみえいずみ清子きよこ都賀つが静子しずこ北岡きたおかよしじゅう乃江田鶴子たづこ別所べっしょますらとともに「俳優はいゆう女優じょゆう」につらねた[16]

そのしん体制たいせいのマキノ・プロダクションは財政ざいせい悪化あっかし、1930ねん昭和しょうわ5ねん)12月、賃金ちんぎん未払みはらいが発生はっせいしてストライキがき、よく1931ねん昭和しょうわ6ねん)1がつ製作せいさく再開さいかいされたが[17]三保さんぼうは、同社どうしゃ解散かいさんまで所属しょぞく[2]同年どうねん3がつ13にち公開こうかいされた『昭和しょうわ人情噺にんじょうばなし』(監督かんとく吉野よしの二郎じろう)が記録きろくのこ同社どうしゃでの最後さいご出演しゅつえんさくとなった[3][4]同年どうねん帝国ていこくキネマ演芸えんげい移籍いせき、「三保さんぼう 敦美あつみ」と改名かいめいしたが、同社どうしゃは、1931ねん昭和しょうわ6ねん)8がつ28にち新興しんこうキネマ改組かいそされ、三保さんぼう継続けいぞくてきしん会社かいしゃ入社にゅうしゃした[2][3][4]新興しんこうキネマは、設立せつりつ以来いらい太秦うずまさ撮影さつえいしょ時代じだいげき現代げんだいげきをともに製作せいさくしていたが、1935ねん昭和しょうわ10ねん)に現代げんだいげき新設しんせつ東京とうきょう撮影さつえいしょ現在げんざい東映とうえい東京とうきょう撮影さつえいしょ)にはなしたため、太秦うずまさ撮影さつえいしょ京都きょうと撮影さつえいしょ現在げんざい東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ)とし、三保さんぼう京都きょうと撮影さつえいしょ脇役わきやく俳優はいゆうつづけた[2][3][4]。1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ10日とおか同社どうしゃは、日活にっかつ製作せいさく部門ぶもんとう合併がっぺいして大映だいえいとなるが、三保さんぼう同社どうしゃ消滅しょうめつまで在籍ざいせきし、記録きろくのこ同社どうしゃでの最後さいご出演しゅつえんさくは、1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつ7にち公開こうかいされた『はなまるしょう鳥丸とりまる』(監督かんとく吉田よしだ信三しんぞう)であった[2][3][4]

その三保さんぼう東宝とうほう移籍いせきし、1943ねん昭和しょうわ18ねん)12月29にち公開こうかいされた『浪曲ろうきょく忠臣蔵ちゅうしんぐら』(監督かんとく石田いしだ民三たみぞう)に出演しゅつえんした記録きろくのこっており、1944ねん昭和しょうわ19ねん)12がつ時点じてん同社どうしゃ俳優はいゆう専属せんぞくしゃリストにもそのがみられる[18]だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつも、まん52さいのときの1947ねん昭和しょうわ22ねん)1がつ21にち公開こうかいされた、吉本よしもと映画えいがプロダクション製作せいさくの『えんことなもの』(監督かんとく石田いしだ民三たみぞう)に茶店ちゃみせ老婆ろうばやく出演しゅつえんしたが、どうさく以降いこう出演しゅつえん記録きろく見当みあたらない[3][4][7]。その消息しょうそく不明ふめいである。没年ぼつねんしょう

フィルモグラフィ[編集へんしゅう]

ごうにわとり』と『天明てんめい果報かほうだん』(1928ねん)の公開こうかい予告よこくする当時とうじのチラシ。右側みぎがわの『天明てんめい果報かほうだん』に「三保さんぼう松子まつこ」の確認かくにんできる。
敵討かたきうち加賀かが見山みやま』(1929ねん公開こうかいのチラシ、「三保さんぼう松子まつこ」の確認かくにんできる。図柄ずがらマキノ智子さとこ

クレジットはすべて「出演しゅつえん」である[3][4]公開こうかい右側みぎがわには役名やくめい[3][4]、および東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター(NFC)、マツダ映画えいがしゃ所蔵しょぞうとう上映じょうえいようプリントの現存げんそんじょうきょうについてもしる[7][19]どうセンターとう所蔵しょぞうされていないものは、とくに1940年代ねんだい以前いぜん作品さくひんについてはほぼ現存げんそんしないフィルムである。資料しりょうによってタイトルのことなるものは併記へいきした。

てんかつ東京とうきょう撮影さつえいしょ[編集へんしゅう]

特筆とくひつ以外いがい製作せいさくは「てんかつ東京とうきょう撮影さつえいしょ」、配給はいきゅうは「天然色てんねんしょく活動かつどう写真しゃしん」、すべて「三保さんぼう松子まつこ名義めいぎ、すべてサイレント映画えいがである[3][4]

日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょだいさん[編集へんしゅう]

製作せいさくは「日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょだいさん」、配給はいきゅうは「日活にっかつ」、すべて「三保さんぼう松子まつこ名義めいぎ、すべてサイレント映画えいがである[3][4][6]

マキノプロダクション御室おむろ撮影さつえいしょ[編集へんしゅう]

特筆とくひつ以外いがいすべて製作せいさくは「マキノプロダクション御室おむろ撮影さつえいしょ」、配給はいきゅうは「マキノ・プロダクション」、すべて「三保さんぼう松子まつこ名義めいぎ、すべてサイレント映画えいがである[3][4]

新興しんこうキネマ[編集へんしゅう]

特筆とくひつ以外いがいすべて製作せいさく配給はいきゅうは「新興しんこうキネマ」、すべて「三保さんぼう敦美あつみ名義めいぎ、すべてサイレント映画えいがである[3][4]

新興しんこうキネマ京都きょうと撮影さつえいしょ[編集へんしゅう]

くにまももの日蓮にちれん』(1935ねん公開こうかいのチラシ。

特筆とくひつ以外いがいすべて製作せいさくは「新興しんこうキネマ京都きょうと撮影さつえいしょ」、配給はいきゅうは「新興しんこうキネマ」、すべて「三保さんぼう敦美あつみ名義めいぎ特筆とくひつ以外いがいすべてトーキーである[3][4]

東宝とうほう[編集へんしゅう]

すべて製作せいさく配給はいきゅうは「東宝とうほう」、「三保さんぼう敦美あつみ名義めいぎ、トーキーである[3][4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 映画えいが世界せかいしゃ[1928], p.110.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 三保さんぼう松子まつこjlogos.com, エア、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 三保さんぼう松子まつこ日本にっぽん映画えいがデータベース、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 三保さんぼう松子まつこ三保さんぼう敦美あつみ日本にっぽん映画えいが情報じょうほうシステム、文化庁ぶんかちょう、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 三保さんぼう松子まつこ三保さんぼう敦美あつみallcinema, 2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d 三保さんぼう松子まつこ日活にっかつデータベース、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 三保さんぼう松子まつこ三保さんぼう敦美あつみ東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  8. ^ a b 文芸ぶんげい協会きょうかい[1915], p.62.
  9. ^ 映画えいが世界せかいしゃ[1929], p.156.
  10. ^ べにとりせい[1917], p.110-112.
  11. ^ 黒田くろだ[1967], p.7, 34.
  12. ^ 家常茶飯かじょうさはん』:新字しんじしん仮名かめい - 青空あおぞら文庫ぶんこ、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  13. ^ 関根せきね[1918], p.407.
  14. ^ 松竹しょうちく[1964], p.104.
  15. ^ 田中たなか[1975], p.374.
  16. ^ 1929ねん マキノ・プロダクション御室おむろ撮影さつえいしょ所員しょいんろく立命館大学りつめいかんだいがく、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  17. ^ 御室おむろ撮影さつえいしょ立命館大学りつめいかんだいがく、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  18. ^ 東宝とうほう映画えいが俳優はいゆう専属せんぞくしゃリスト東宝とうほう、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c d e f g おも所蔵しょぞうリスト 劇映画げきえいが 邦画ほうがへんマツダ映画えいがしゃ、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  20. ^ a b 浪人ろうにんがい だい 樂屋がくや風呂ふろ東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター、2013ねん5がつ15にち閲覧えつらん
  21. ^ くにまももの日蓮にちれん日本にっぽん映画えいが情報じょうほうシステム、文化庁ぶんかちょう、2013ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  22. ^ 大人おとなになってもやっぱりこわい「ねこ」たちのよる神保じんぼうまちシアター、2013ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  23. ^ えんことなもの映画えいが資料しりょうしつ、2021ねん1がつ16にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]