久山 ひさやま 秀子 ひでこ (ひさやま ひでこ、1896年 ねん 12月11日 にち - 1976年 ねん 12月5日 にち )は、日本 にっぽん の探偵 たんてい 小説 しょうせつ 家 か 。
覆面 ふくめん 作家 さっか であり、女性 じょせい 名義 めいぎ で作品 さくひん を発表 はっぴょう していたが、実際 じっさい は男性 だんせい である。本名 ほんみょう は片山 かたやま 襄 じょう (かたやま のぼる)、のち改名 かいめい し芳村 よしむら 升 ます (よしむら のぼる)。別 べつ 名義 めいぎ に久山 ひさやま 千代子 ちよこ 、富田 とみた 達観 たっかん 、片山 かたやま 秀 しげる 。
代表 だいひょう 作 さく は、女 おんな スリ 師 し の隼 はやぶさ お秀 しゅう (はやぶさ おひで)こと久山 ひさやま 秀子 ひでこ を主人公 しゅじんこう とする、「隼 はやぶさ お秀 しゅう 」シリーズ。
1896年 ねん (明治 めいじ 29年 ねん )12月11日 にち 生 せい 。本籍 ほんせき 地 ち は東京 とうきょう 都 と 目黒 めぐろ 区 く 中目黒 なかめぐろ とされているが、出生 しゅっしょう 地 ち も同 おな じかどうかは不明 ふめい 。出生 しゅっしょう 名 めい は片山 かたやま 襄 じょう (かたやま のぼる)で、のちに芳村 よしむら 家 か の婿養子 むこようし となり、芳村 よしむら 升 ます (よしむら のぼる)と改名 かいめい した。本人 ほんにん の述懐 じゅっかい によれば、下町 したまち 生 う まれの旗本 はたもと 直参 じきさん の跡取 あとと り息子 むすこ だったが、長唄 ながうた の師匠 ししょう の家 いえ に婿養子 むこようし に入 はい ったという[2] [注釈 ちゅうしゃく 1] 。
1922年 ねん (大正 たいしょう 11年 ねん )、東京 とうきょう 帝国 ていこく 大学 だいがく 文学部 ぶんがくぶ 国文 こくぶん 科 か 卒業 そつぎょう 。1925年 ねん (大正 たいしょう 14年 ねん )4月 がつ から1928年 ねん (昭和 しょうわ 3年 ねん )3月 がつ まで立正大学 りっしょうだいがく 講師 こうし 。
1928年 ねん (昭和 しょうわ 3年 ねん )4月 がつ から1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )8月 がつ 15日 にち まで、海軍 かいぐん 教授 きょうじゅ として国語 こくご を教 おし える。海軍 かいぐん 飛行 ひこう 予 よ 科 か 練習 れんしゅう 生 せい (予科練 よかれん 、1930年 ねん 第 だい 1期生 きせい 入隊 にゅうたい )の教官 きょうかん として横須賀 よこすか 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい に赴任 ふにん し、その後 ご 、土浦 つちうら 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい (1940年 ねん 開 ひらき 隊 たい )に移籍 いせき 。当時 とうじ は中佐 ちゅうさ 待遇 たいぐう 文官 ぶんかん [4] 。土浦 つちうら 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい での同僚 どうりょう に、歌人 かじん の清水 しみず 房雄 ふさお がいる。清水 しみず によれば、芳村 よしむら (久山 ひさやま )は「小柄 こがら で、でっぷりして、いつもマドロスパイプをくわえてにこにこしている」が、文官 ぶんかん 教官 きょうかん と武官 ぶかん 教官 きょうかん の間 あいだ で対立 たいりつ が生 しょう じたときは、文官 ぶんかん 側 がわ の代表 だいひょう として絶対 ぜったい に譲 ゆず らなかったという。1943年 ねん (昭和 しょうわ 18年 ねん )春 はる から鹿児島 かごしま 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい (1943年 ねん 4月 がつ 開 ひらけ 隊 たい )に赴任 ふにん 。
終戦 しゅうせん により失職 しっしょく したのち、1948年 ねん (昭和 しょうわ 23年 ねん )に天理教 てんりきょう 校 こう 修養 しゅうよう 科 か を卒業 そつぎょう し天理教 てんりきょう 教師 きょうし 普通 ふつう 検定 けんてい に合格 ごうかく 、補 ほ 権 けん 訓導 くんどう (教師 きょうし )となる。1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )4月 がつ から1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )3月 がつ までラ・サール高等 こうとう 学校 がっこう 講師 こうし 。その後 ご 、天理教 てんりきょう 南国 なんごく 分 ぶん 教会 きょうかい 会長 かいちょう を務 つと める。
1976年 ねん (昭和 しょうわ 51年 ねん )12月5日 にち 死去 しきょ 。
「久山 ひさやま 秀子 ひでこ 」としての作家 さっか 活動 かつどう [ 編集 へんしゅう ]
『新 しん 青年 せいねん 』(博文 ひろぶみ 館 かん )の探偵 たんてい 小説 しょうせつ 公募 こうぼ に「久山 ひさやま 秀子 ひでこ 」名義 めいぎ で応募 おうぼ した『浮れてゐる「隼 はやぶさ 」』が、同誌 どうし 1925年 ねん 4月 がつ 号 ごう に掲載 けいさい され、作家 さっか デビュー。同 どう 作 さく で女 おんな スリ師 し の隼 はやぶさ お秀 しゅう をデビューさせる。なお、久山 ひさやま 秀子 ひでこ 名義 めいぎ の作品 さくひん は小説 しょうせつ ではなく、隼 はやぶさ お秀 しゅう こと本名 ほんみょう ・久山 ひさやま 秀子 ひでこ の自叙伝 じじょでん 、という設定 せってい になっており、そのほとんどが隼 はやぶさ お秀 しゅう の一人称 いちにんしょう で書 か かれている。以後 いご 、『新 しん 青年 せいねん 』を中心 ちゅうしん に作家 さっか 活動 かつどう を続 つづ ける。実際 じっさい は男性 だんせい であったものの、日本 にっぽん 初 はつ の「女性 じょせい 名 めい を名乗 なの った探偵 たんてい 作家 さっか 」である[注釈 ちゅうしゃく 2] 。
久山 ひさやま はメディア上 じょう では徹底 てってい して男性 だんせい であることを隠 かく し、女性 じょせい 作家 さっか 「久山 ひさやま 秀子 ひでこ 」を演 えん じ続 つづ けていた。久山 ひさやま 秀子 ひでこ 名義 めいぎ で発表 はっぴょう された文章 ぶんしょう は、小説 しょうせつ のみならず、エッセイやアンケート回答 かいとう に至 いた るまで、そのほとんどが隼 はやぶさ お秀 しゅう の語 かた り口 くち で書 か かれていた。なお、お秀 しゅう の妹 いもうと 「久山 ひさやま 千代子 ちよこ 」の名義 めいぎ や、お秀 しゅう の身元 みもと 引受 ひきうけ 人 じん である私立 しりつ 探偵 たんてい 「富田 とみた 達観 たっかん 」の名義 めいぎ で書 か かれた作品 さくひん も存在 そんざい する。
1928年 ねん (昭和 しょうわ 3年 ねん )発行 はっこう の『現代 げんだい 大衆 たいしゅう 文学 ぶんがく 全集 ぜんしゅう 35 新進 しんしん 作家 さっか 集 しゅう 』(平凡社 へいぼんしゃ )に収録 しゅうろく された久山 ひさやま の「著者 ちょしゃ 自伝 じでん 」には、「明治 めいじ 三 さん 十 じゅう 八 はち 年 ねん 五 ご 月 がつ 一 いち 日 にち 、東京 とうきょう 下谷 しもたに に生 な る。未婚 みこん 。」という、「久山 ひさやま 秀子 ひでこ 」としての架空 かくう の経歴 けいれき が記 しる されていた。また、1929年 ねん (昭和 しょうわ 4年 ねん )発行 はっこう の『日本 にっぽん 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 全集 ぜんしゅう 16 浜尾 はまお 四郎 しろう ・久山 ひさやま 秀子 ひでこ 集 しゅう 』(改造 かいぞう 社 しゃ )では、著者 ちょしゃ 近影 きんえい として和装 わそう の若 わか い女性 じょせい の写真 しゃしん が掲載 けいさい されている。
一方 いっぽう で、江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ ・星野 ほしの 龍 りゅう 緒 いとぐち (筆名 ひつめい ・春日野 かすがの 緑 みどり 。当時 とうじ 、大阪毎日新聞 おおさかまいにちしんぶん 社会 しゃかい 部 ぶ 副 ふく 部長 ぶちょう )らが1925年 ねん 4月 がつ に結成 けっせい した探偵 たんてい 作家 さっか らの親睦 しんぼく 団体 だんたい 「探偵 たんてい 趣味 しゅみ の会 かい 」に参加 さんか し、同 どう 会 かい 機関 きかん 誌 し の『探偵 たんてい 趣味 しゅみ 』(1925年 ねん 9月 がつ - 1928年 ねん 9月 がつ )にも作品 さくひん を発表 はっぴょう している。また、大森 おおもり ギャング事件 じけん (1932年 ねん 10月 がつ 6日 にち )に際 さい しては、その2日 にち 後 ご に『報知 ほうち 新聞 しんぶん 』が開催 かいさい した探偵 たんてい 作家 さっか 座談 ざだん 会 かい に、海野 うみの 十三 じゅうざ ・江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ ・大下宇陀児 おおしたうだる ・甲賀 こうが 三郎 さぶろう ・水谷 みずたに 準 じゅん ・横溝 よこみぞ 正史 せいし らとともに参加 さんか している[14] 。したがって、探偵 たんてい 作家 さっか 仲間 なかま の間 あいだ では、その正体 しょうたい は知 し られていたようである。
『新 しん 青年 せいねん 』1938年 ねん (昭和 しょうわ 13年 ねん )3月 がつ 号 ごう に発表 はっぴょう した200字 じ ほどの短 みじか いエッセイ『簡易 かんい 貯金 ちょきん 術 じゅつ 』が、隼 はやぶさ お秀 しゅう の語 かた り口 くち で書 か かれた最後 さいご の作品 さくひん となった。同誌 どうし 8月 がつ 号 ごう に「片山 かたやま 秀 しげる 」名義 めいぎ で『創作 そうさく 実話 じつわ 或 ある る成功 せいこう 者 しゃ の告白 こくはく 』を執筆 しっぴつ したのを最後 さいご に、作家 さっか 活動 かつどう を中断 ちゅうだん する。
終戦 しゅうせん をはさみ、1955年 ねん (昭和 しょうわ 30年 ねん )、『探偵 たんてい 倶楽部 くらぶ 』(共栄社 きょうえいしゃ )2月 がつ 号 ごう に『ゆきうさぎ〈梅 うめ 由 ゆかり 兵衛 ひょうえ 捕物 とりもの 噺 ばなし 〉』を発表 はっぴょう し、17年 ねん ぶりに久山 ひさやま 秀子 ひでこ 名義 めいぎ での作家 さっか 活動 かつどう に復帰 ふっき する。『ゆきうさぎ』掲載 けいさい にあたっては探偵 たんてい 小説 しょうせつ 家 か の大下宇陀児 おおしたうだる が推薦 すいせん 文 ぶん を寄 よ せ、その中 なか で、「久山 ひさやま 秀子 ひでこ 」が「東大 とうだい 国文学 こくぶんがく 出 で のまん丸 まる い顔 かお をした男性 だんせい で」「海軍兵学校 かいぐんへいがっこう 〔ママ 〕の教官 きょうかん だった」ことを明 あ かした。しかし、1958年 ねん (昭和 しょうわ 33年 ねん )までに『梅 うめ 由 ゆかり 兵衛 ひょうえ 捕物 とりもの 噺 ばなし 』7編 へん を断続 だんぞく 的 てき に発表 はっぴょう したのち、再 ふたた び筆 ひつ を折 お っている。
著作 ちょさく 集 しゅう 刊行 かんこう と遺稿 いこう 発見 はっけん [ 編集 へんしゅう ]
覆面 ふくめん 作家 さっか として「女性 じょせい 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 家 か ・久山 ひさやま 秀子 ひでこ 」を演 えん じた期間 きかん が長 なが く、男性 だんせい であることが明 あ かされてからも経歴 けいれき 不明 ふめい のままだったため、長 なが い間 あいだ 、本名 ほんみょう や生 なま 没年 ぼつねん すらもはっきりしない状態 じょうたい にあった。
中島 なかじま 河太郎 かわたろう は、生年月日 せいねんがっぴ を平凡社 へいぼんしゃ 『現代 げんだい 大衆 たいしゅう 文学 ぶんがく 全集 ぜんしゅう 』にしたがって1905年 ねん (明治 めいじ 38年 ねん )5月 がつ 1日 にち とした上 うえ で、本名 ほんみょう は当初 とうしょ 「片山 かたやま 襄 じょう 」、のちに「芳村 よしむら 升 ます 」に訂正 ていせい 、本職 ほんしょく は「横須賀 よこすか の海軍 かいぐん 経理 けいり 学校 がっこう に勤 つと めた国語 こくご の教官 きょうかん 」であったとしていた。細川 ほそかわ 涼一 りょういち は、久山 ひさやま の勤務 きんむ 先 さき に関 かん する中島 なかじま の記述 きじゅつ が海軍兵学校 かいぐんへいがっこう (江田島 えたじま )→海軍 かいぐん 機関 きかん 学校 がっこう (舞鶴 まいづる )→海軍 かいぐん 経理 けいり 学校 がっこう (築地 つきじ )と変化 へんか していることを指摘 してき した上 うえ で、三 さん 学校 がっこう の所在地 しょざいち はいずれも横須賀 よこすか ではないことを指摘 してき している。
生前 せいぜん に刊行 かんこう された著書 ちょしょ は『日本 にっぽん 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 全集 ぜんしゅう 16 浜尾 はまお 四郎 しろう ・久山 ひさやま 秀子 ひでこ 集 しゅう 』(改造 かいぞう 社 しゃ 、1929年 ねん )のみで、これも浜尾 はまお 四郎 しろう との合 ごう 集 しゅう であった。その後 ご 、長 なが らく著作 ちょさく がまとめられることはなかったが、2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )、初 はつ の単 たん 著 しる かつ著作 ちょさく 集 しゅう となる『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』I・IIが、横井 よこい 司 つかさ の監修 かんしゅう のもと、論 ろん 創 そう 社 しゃ の論 ろん 創 そう ミステリ叢書 そうしょ より刊行 かんこう された。
同書 どうしょ が『読売新聞 よみうりしんぶん 』2004年 ねん 11月17日 にち 付 づけ 夕刊 ゆうかん で紹介 しょうかい [18]
されると、当時 とうじ 、「読売 よみうり 歌壇 かだん 」の撰者 せんじゃ であった清水 しみず 房雄 ふさお が、同紙 どうし に対 たい して、久山 ひさやま (芳村 よしむら )が土浦 つちうら 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい での同僚 どうりょう だったことを申 もう し出 で た。さらに、そのエピソードが同紙 どうし 2005年 ねん 1月 がつ 11日 にち 付 づけ 夕刊 ゆうかん で紹介 しょうかい [4] されると、それを読 よ んだラ・サール高校 こうこう の元 もと 生徒 せいと から読売新聞社 よみうりしんぶんしゃ 文化 ぶんか 部 ぶ へ連絡 れんらく があり、天理教 てんりきょう 南国 なんごく 分 ぶん 教会 きょうかい に久山 ひさやま の遺稿 いこう が大量 たいりょう に残 のこ されていることが判明 はんめい した。その中 なか には久山 ひさやま の履歴 りれき 書 しょ も含 ふく まれており、それまで不明 ふめい だった経歴 けいれき の多 おお くが明 あき らかとなった。2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )、遺稿 いこう と新 しん 発見 はっけん された作品 さくひん からなる『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』III・IVが刊行 かんこう された。
浅草 あさくさ 六 ろく 区 く を根城 ねじろ とする女 おんな スリ師 し 、隼 はやぶさ お秀 しゅう を主人公 しゅじんこう とする、ユーモア色 しょく の強 つよ いシリーズ。ジョンストン・マッカレー の『地下鉄 ちかてつ サム』シリーズの影響 えいきょう が指摘 してき されている。デビュー作 さく 『浮れてゐる「隼 はやぶさ 」』(『新 しん 青年 せいねん 』1925年 ねん 4月 がつ 号 ごう )から、シリーズ最終 さいしゅう 作 さく となった『隼 はやぶさ 銃後 じゅうご の巻 まき 』(『新 しん 青年 せいねん 』1937年 ねん 12月 がつ 号 ごう )まで、『新 しん 青年 せいねん 』『探偵 たんてい 趣味 しゅみ 』などに20数 すう 編 へん が発表 はっぴょう されている[注釈 ちゅうしゃく 3] 。
シリーズ第 だい 2作 さく 『チンピラ探偵 たんてい 』(『新 しん 青年 せいねん 』1926年 ねん 3月 がつ 号 ごう )は、松竹 しょうちく キネマ蒲田 かまた 撮影 さつえい 所 しょ で映画 えいが 化 か され、1926年 ねん 8月 がつ 8日 にち に公開 こうかい されている。監督 かんとく は大久保 おおくぼ 忠 ただし 素 もと 、脚本 きゃくほん は村上 むらかみ 徳三郎 とくさぶろう で、主役 しゅやく の隼 はやぶさ は栗島 くりしま すみ子 こ が演 えん じた。
深川 ふかがわ 材木 ざいもく 問屋 とんや の主人 しゅじん ・由 ゆかり 兵衛 ひょうえ を主人公 しゅじんこう とする捕物 とりもの 帳 ちょう 。仲町 なかまち 芸者 げいしゃ の梅吉 うめきち を贔屓 ひいき にしており、料亭 りょうてい ・梅本 うめもと の離 はな れに入 い り浸 びた っていることから「梅 うめ の由 よし 兵衛 ひょうえ 」という通 とお り名 な がつけられた、という設定 せってい 。『探偵 たんてい 倶楽部 くらぶ 』1955年 ねん 2月 がつ 号 ごう から1958年 ねん 7月 がつ 号 ごう にかけて、全 ぜん 7編 へん が発表 はっぴょう された。このほかに大量 たいりょう の未 み 発表 はっぴょう 作品 さくひん があり、これらは論叢 ろんそう 社 しゃ 『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』III・IVに収録 しゅうろく されている。
江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ の『陰 かげ 獣 じゅう 』(『新 しん 青年 せいねん 』1928年 ねん 8月 がつ 増刊 ぞうかん 号 ごう - 10月 がつ 号 ごう )には、主人公 しゅじんこう の探偵 たんてい 小説 しょうせつ 家 か ・寒川 さむかわ が、次 つぎ のように語 かた るくだりがある。
僕 ぼく は或 ある る人 にん 物 ぶつ を思 おも い出 だ さないではいられなかった。ほかでもない、女流 じょりゅう 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 家 か 平山 ひらやま 日出子 ひでこ だ。世間 せけん ではあれを女 おんな だと思 おも っている。作家 さっか や記者 きしゃ 仲間 なかま でも、女 おんな だと信 しん じている人 ひと が多 おお い。日出子 ひでこ のうちへは毎日 まいにち のように愛読 あいどく 者 しゃ の青年 せいねん からのラブ・レターが舞 ま い込 こ むそうだ。ところがほんとうは彼 かれ は男 おとこ なんだよ。しかも、れっきとした政府 せいふ のお役人 やくにん なんだよ。 — 江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ 、『陰 かげ 獣 じゅう 』
「平山 ひらやま 日出子 ひでこ 」はこの箇所 かしょ にしか登場 とうじょう しないが、この、性別 せいべつ をいつわって作品 さくひん を発表 はっぴょう している作家 さっか の存在 そんざい が、犯人 はんにん の正体 しょうたい に関 かん する重要 じゅうよう なヒントとなっている。
のちに久山 ひさやま は、『新 しん 青年 せいねん 』1931年 ねん 2月 がつ 増刊 ぞうかん 号 ごう に発表 はっぴょう したエッセイ『丹那 にな 盆地 ぼんち の断層 だんそう 』の中 なか で、乱歩 らんぽ に対 たい して冗談 じょうだん まじりの抗議 こうぎ をしている。
(
略 りゃく )あたしが
大 だい の
男 おとこ であるなンてことを
幻想 げんそう する
者 もの があるから
困 こま っちゃう。しかしあれは
江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ が
良 よ くない。「
平山 ひらやま 日出子 ひでこ はれっきとした
政府 せいふ のお
役人 やくにん である」なアンて
与太 よた を
飛 と ばすもンだから、つい
実在 じつざい のあたしとコンガラカッちゃったんだわ。それよかね、
乱歩 らんぽ こそ、ほんとうは
江川 えがわ 乱 らん 助 すけ っていうの。スラリとした、
細面 ほそおもて の、
チャプリン 髭 ひげ を
生 は やした、トッテモいい
男 おとこ よ。
— 久山 ひさやま 秀子 ひでこ 、『丹那 にな 盆地 ぼんち の断層 だんそう 』
『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』
久山 ひさやま 秀子 ひでこ 『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』 I、論 ろん 創 そう 社 しゃ 〈論 ろん 創 そう ミステリ叢書 そうしょ 9〉、2004年 ねん 9月 がつ 20日 はつか 。ISBN 978-4-8460-0423-1 。
久山 ひさやま 秀子 ひでこ 『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』 II、論 ろん 創 そう 社 しゃ 〈論 ろん 創 そう ミステリ叢書 そうしょ 10〉、2004年 ねん 10月 がつ 30日 にち 。ISBN 978-4-8460-0425-5 。
久山 ひさやま 秀子 ひでこ 『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』 III、論 ろん 創 そう 社 しゃ 〈論 ろん 創 そう ミステリ叢書 そうしょ 16〉、2006年 ねん 4月 がつ 30日 にち 。ISBN 978-4-8460-0704-1 。
久山 ひさやま 秀子 ひでこ 『久山 ひさやま 秀子 ひでこ 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 』 IV、論 ろん 創 そう 社 しゃ 〈論 ろん 創 そう ミステリ叢書 そうしょ 17〉、2006年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 。ISBN 978-4-8460-0705-8 。
「探偵 たんてい 小説 しょうせつ 選 せん 」という名称 めいしょう であるが、現在 げんざい までに確認 かくにん されている久山 ひさやま 秀子 ひでこ の小説 しょうせつ 、エッセイ、アンケート回答 かいとう などを網羅 もうら 的 てき に収録 しゅうろく した、事実 じじつ 上 じょう の全集 ぜんしゅう である。III・IVは遺稿 いこう 中心 ちゅうしん 。
^ 結婚 けっこん ・改姓 かいせい の時期 じき は不明 ふめい だが、作家 さっか デビュー当時 とうじ は片山 かたやま 姓 せい だった形跡 けいせき がある(横井 よこい 2006a , p. 455)。
^ 日本 にっぽん 初 はつ の女性 じょせい 探偵 たんてい 作家 さっか は、『秘密 ひみつ 探偵 たんてい 雑誌 ざっし 』1923年 ねん 8月 がつ 号 ごう に「中野 なかの 圭介 けいすけ 」名義 めいぎ で創作 そうさく 探偵 たんてい 小説 しょうせつ 「皮剥 かわはぎ 獄門 ごくもん 」を発表 はっぴょう した松本 まつもと 恵子 けいこ である。久山 ひさやま と反対 はんたい に、女性 じょせい でありながら男性 だんせい 名義 めいぎ で作品 さくひん を発表 はっぴょう したため、久山 ひさやま との対比 たいひ でしばしば言及 げんきゅう される(細川 ほそかわ 2004 , p. 34)(横井 よこい 2004a , p. 324)。また、日本 にっぽん 初 はつ の「女性 じょせい 名 めい を名乗 なの った女性 じょせい 探偵 たんてい 作家 さっか 」は、『映画 えいが と探偵 たんてい 』1925年 ねん 12月 がつ 号 ごう に「丘 おか の家 いえ 」を発表 はっぴょう した小流 こながし 智 さとし 尼 あま (一条 いちじょう 栄子 えいこ )である。
^ エッセイとも創作 そうさく ともつかぬ作品 さくひん や、外伝 がいでん 的 てき な作品 さくひん などがあるため、正確 せいかく な作品 さくひん 数 すう は定 さだ め難 がた い。
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