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井出いでゆう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
井出いで ゆう
SUPER GTだい3せん富士ふじ400kmでの井出いでゆう
(2010ねん
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 埼玉さいたまけん浦和うらわ
生年月日せいねんがっぴ (1975-01-21) 1975ねん1がつ21にち(49さい
F1での経歴けいれき
活動かつどう時期じき 2006
所属しょぞくチーム '06 スーパーアグリ
出走しゅっそう回数かいすう 4
タイトル 0
優勝ゆうしょう回数かいすう 0
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 0
通算つうさん獲得かくとくポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終さいしゅうせん 2006ねんサンマリノGP
テンプレートを表示ひょうじ

井出いで ゆう(いで ゆうじ、えい: Yuji Ide 1975ねん1がつ21にち - )は、埼玉さいたまけん浦和うらわげんさいたま出身しゅっしんレーシングドライバーもとF1ドライバー。

プロフィール

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レース経歴けいれき

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1990ねんレーシングカートはじめる。1992ねんのカート選手権せんしゅけんひがし関東かんとうシリーズA1クラスでランキング2となり、ジャパンカートグランプリSSストッククラス全国ぜんこく大会たいかい優勝ゆうしょうたす。1993ねん全日本ぜんにほんカート選手権せんしゅけんシリーズFAクラスに参戦さんせんした。

フォーミュラ3

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1994ねんよりよんりんレースにステップアップし、全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけんにデビューする。1998ねんまでの5シーズンで完走かんそうりつたかかったが、最高さいこう成績せいせきは9際立きわだった成績せいせきのこせなかったため、1999ねん一旦いったんカテゴリーをげてフォーミュラ・ドリーム(FD)に参戦さんせんし、松浦まつうらたかしあきら柳田やなぎだ真孝まさたからとそうってシリーズチャンピオンを獲得かくとくした。このフォーミュラ・ドリーム参戦さんせん井出いでにとってけであり、シーズン開幕かいまくまえ同年どうねん井出いでのレース活動かつどう資金しきん援助えんじょをした鈴木すずき久里くさとから「今年ことしのサポートはするけど、FDでチャンピオンをれなかったら引退いんたい」とわれていた。このFDシリーズチャンピオン獲得かくとく鈴木すずき久里くさと主宰しゅさいするARTAからのフォーミュラ・ニッポンSUPER GT参戦さんせん、そして短期間たんきかんにはなったがF1への参戦さんせんにつながった。

FDタイトル獲得かくとく、2000ねんよりふたた全日本ぜんにほんF3に参戦さんせん無限むげん×童夢どうむPROJECTより参戦さんせんし、2しょうげてランキング2獲得かくとく[1]。2001ねんマカオグランプリでは総合そうごう5入賞にゅうしょうした[2]

2002ねんはARTAプロジェクトと提携ていけいしたフランスのシグナチュール・チームよりフランスF3選手権せんしゅけんにフル参戦さんせんし、だい9せん予選よせん2グリッドからスタートするとオリビエ・プラニコラ・ラピエールとのあらそいをせい優勝ゆうしょうした[3]

フォーミュラ・ニッポン

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2003ねんセルモより日本にっぽん最高峰さいこうほうカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン参戦さんせん予選よせん順位じゅんいでは中団ちゅうだんうずもれるも、決勝けっしょうレースではタイヤマネージメントを習得しゅうとくし、安定あんていしたペースで走行そうこう。ゴールには上位じょういはしりで、最終さいしゅうランキングでチームメイトの松田まつだ次生つぎおよりも上位じょうい獲得かくとく評価ひょうかたかめる。

全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけんでは、ホシノインパルよりカルソニックスカイライン参戦さんせんし、ブノワ・トレルイエとのコンビで2しょうをあげた。

2004ねんからはフォーミュラ・ニッポンでもホシノインパルに移籍いせきし、最終さいしゅうせんまでチャンピオンあらそいを展開てんかいしてシリーズ3獲得かくとく。2005ねんは、つづきインパルよりフォーミュラ・ニッポンとSUPER GT(きゅう全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん)に参戦さんせんし、フォーミュラ・ニッポンではシリーズ2成績せいせきおさめた。

フォーミュラ1

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2006ねんオーストラリアGP

2006ねん鈴木すずき久里ひさとひきいるしんチーム、スーパーアグリよりF1に参戦さんせん。チームメイトは佐藤さとう琢磨たくまで、史上しじょうはつ日本人にっぽんじんドライバー2にんのチームメイト参戦さんせんであった。

開幕かいまくせんバーレーンGPでF1デビューをたしたが、様々さまざま要因よういんによって満足まんぞくなテスト走行そうこうもできなかったうえ、かつ自身じしんのマシンであるSA05がまともにはし代物しろものではない劣悪れつあく状態じょうたいである(くわしくは後述こうじゅつ)ことから、フリー走行そうこうよりトラブルが発生はっせいしてクルマをめるシーンがられ、決勝けっしょうでは35しゅうでリタイアとなった。だい2せんマレーシアGPもメカニカルトラブルでリタイアした。だい3せんオーストラリアGPでははつ完走かんそう(13)を記録きろくしたが、だい4せんサンマリノGPで、1しゅうMF1クリスチャン・アルバース接触せっしょくし、アルバースのマシンは横転おうてんしリタイアとなった。その接触せっしょくによるダメージもあり、ふたたびリタイアとなった。

ヨーロッパGPまえFIAがわから、「テストドライバーとしてF1の経験けいけんませるべきである」という助言じょげんがあり、これをチームがれたため、フランク・モンタニーにシートをゆずった。その5がつ10日とおかに、FIAから井出いでスーパーライセンスむね通告つうこくがあったことがチームから発表はっぴょうされた。これにより、井出いでふたたびライセンスをにするためには、F1に参戦さんせんしているぜんチームの同意どうい必要ひつようとなることから、シリーズへの出場しゅつじょう事実じじつじょう不可能ふかのうとなった。シーズン途中とちゅう発給はっきゅうみのスーパーライセンスがしとなったのは、本件ほんけん井出いで史上しじょうはつであり、また2023ねん現在げんざい唯一ゆいいつ事例じれいとなっている。

このけんかんしては、新規しんき参入さんにゅうだったこともあり、準備じゅんびおくれ、チーム全体ぜんたい実車じっしゃでのテスト走行そうこうがあまりできなかったことやそのあおりでマシンへの習熟しゅうじゅくもままならずにレースに参戦さんせんせざるをなかったことがチームの公式こうしき見解けんかいとなっている。また、アロウズのマシン設計せっけい急遽きゅうきょ転用てんようしたようにマシン開発かいはつ混乱こんらんなどのチームの準備じゅんび不足ふそくによってはやおそ以前いぜんうごかすのがしらげいちはいなマシンで出走しゅっそうしたことも背景はいけいにある。実際じっさい、シャシーナンバーがことなることから、井出いで後任こうにんであるフランク・モンタニー山本やまもと左近さこん井出いで使用しようしたマシンで出走しゅっそうしておらず、すくなくとも井出いでのマシンになんらかの問題もんだいかかえていることは示唆しさされていた。

国内こくないレース復帰ふっき

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2006ねん7がつ4にち、チームの公式こうしきサイトおよび自身じしんのサイトにおいて、7がつ8にちから鈴鹿すずかサーキット開催かいさいされるフォーミュラ・ニッポンだい4せんからDoCoMo TEAM DANDELION RACINGより参戦さんせん発表はっぴょうし、最終さいしゅうせんまでの6レースに出走しゅっそうした(なおスーパーアグリとの契約けいやくはシーズン終了しゅうりょうまで有効ゆうこうだったため、形式けいしきとしてはスーパーアグリからのレンタル移籍いせきというかたちでの参戦さんせんだった)。

また、SUPER GTにもNISMOからだい6せんにスポット参戦さんせんした。井出いで決勝けっしょうレースのドライバー交代こうたい直後ちょくごチームのくるま接触せっしょく危険きけん行為こういとしてドライブスルーペナルティーをせられた。しかし井出いではピットからのびかけを無視むしつづけ、さらにコントロールラインのオフィシャルからのサインボードの掲示けいじを3しゅうものあいだ無視むししつづけ、くろはた提示ていじされ失格しっかくとなった。この失格しっかく処分しょぶんによりNISMOはどう年度ねんど年間ねんかん優勝ゆうしょうのが結果けっかとなった。

SUPER GTを統括とうかつするGTアソシエイションは、かかる井出いで行為こういを「タワーの表示ひょうじ認識にんしきしない行為こういは、オフィシャルの存在そんざい軽視けいしした行為こうい同義どうぎ」として、30まんえん罰金ばっきんどう年度ねんどのこりレースの井出いでのエントリーを拒否きょひした。

2007ねん2がつ22にち鈴木すずき久里ひさとひきいるARTAのドライバーとして、フォーミュラ・ニッポンにフル参戦さんせんし、だい5せんでは3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした。一方いっぽうSUPER GTには、だい6せん鈴鹿すずか1000kmにサードドライバーとして出場しゅつじょうしている。

2008ねんは、ARTAのドライバーとしてつづきフォーミュラ・ニッポンにフル参戦さんせんし、くわえてSUPER GTにチーム国光こっこうから細川ほそかわまきわたるとのコンビでフル参戦さんせんした。

2009ねんは、ARTAがフォーミュラ・ニッポンへの参戦さんせんりやめたこともあり、SUPER GTのみの参戦さんせんとなり、つづきチーム国光こっこうから参戦さんせんした。

2010ねんは、古巣ふるすのARTAからSUPER GTにラルフ・ファーマンとのコンビで参戦さんせんしたほかMOTUL TEAM 無限むげんからフォーミュラ・ニッポンに復帰ふっきした。

2011ねんは、一転いってんレース活動かつどうおこなわず、みずからのしんチームをげるための準備じゅんび期間きかんとすることを、自身じしんのホームページであきらかにしたのちしんチームY's RACINGをちあげ、シビックワンメイクレースインターシリーズにだい4せんより参戦さんせんした。

本人ほんにんはレーシングドライバーとしての活動かつどう継続けいぞくみち模索もさくしていたものの、結局けっきょくスポンサー確保かくほなどが難航なんこう現役げんえき復帰ふっきむずかしくなったことから、2013ねん2がつに「レーシングドライバーとしてではなく、「だい人生じんせいとして」かんがえていた事業じぎょうすすめていく」として、「引退いんたい」という表現ひょうげんこそ否定ひていしたものの事実じじつじょうだい一線いっせん退しりぞかんがえをあきらかにした[4]。ところが同年どうねん4がつにはSUPER GT・GT300クラスに参戦さんせんするBonds Racing折目おりめりょうわって井出いでをドライバーに起用きようすることを発表はっぴょうし、一転いってんして現役げんえき復帰ふっきした。ただ復帰ふっきせん最後さいごにそのBonds Racingが活動かつどう休止きゅうししたため、2013ねんのレース参戦さんせんはこの1せんのみとなった。

2014ねん韓国かんこくのECSTA RACINGに加入かにゅうし、SUPERRACE CHAMPIONSHIP・スーパー6000クラスに参戦さんせん[5]。ドライバーズランキング5、チームランキング3という結果けっかわった。

2015ねんはSUPER GT・GT300クラスのUPGARAGE with BANDOHからマルコ・アスマー代役だいやくとして開幕かいまくせん参戦さんせんだい2せんだい3ドライバーとして登録とうろくされた。

2017ねんは、SUPER GT・GT300クラスへEIcars BENTLEY TTO(アイカーズ・ベントレー・テラモト・テクニカル・オフィス)から、阪口さかぐち良平りょうへいとのコンビで参戦さんせんすることが発表はっぴょうされた。マシンはベントレー・コンチネンタルGT3[6]

レース戦績せんせき

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  • 1990ねん - レーシングカートにデビュー
  • 1991ねん - 関東かんとうナショナルカップカート競技きょうぎ選手権せんしゅけん最終さいしゅうせん スポット参戦さんせん>(優勝ゆうしょう
  • 1992ねん
    • 地方ちほうカート選手権せんしゅけんひがし関東かんとうシリーズA1クラス(シリーズ2
    • ジャパンカートグランプリSSストッククラス全国ぜんこく大会たいかい優勝ゆうしょう
  • 1993ねん - 全日本ぜんにほんカート選手権せんしゅけんシリーズFAクラス
  • 1994ねん - 全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけん<Rd.1-5,10 スポット参戦さんせん>(#19 BLUE MAX☆033F→boutigue Z ☆ 033F→Dallara F393 MUGEN/トムス033F トヨタ・トムス3S-GEダラーラF393 無限むげんMF204
  • 1995ねん - 全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけん・Jクラス<Rd.1-3,5,6,8-10 スポット参戦さんせん>(アサダレーシング #11 Fboutigue 22 F393/ダラーラF393 無限むげんMF204)
  • 1997ねん - 全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけん<Rd.1,2 スポット参戦さんせん>(アサダレーシング #10 M-digital F396/ダラーラF396 無限むげんMF204)
  • 1998ねん - 全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけん<Rd.1〜7 スポット参戦さんせん>(NOW MOTOR SPORTS #33 5ZIGEN・DALLARA/ダラーラF396 トヨタ・トムス3S-GE)
  • 1999ねん
    • 全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん・GT300クラス(NISMO #15 ザナビィARTAシルビア/シルビア S15 SR20DET)(シリーズ2・3しょう
    • フォーミュラドリーム(シリーズチャンピオン)
  • 2000ねん
    • 全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけん無限むげん×童夢どうむプロジェクト #11 FドリームARTA無限むげん/ダラーラF300 無限むげんMF204B)(シリーズ2
    • 全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん・GT500クラス<Rd.1 スポット参戦さんせん>(NISMO #2 カストロール・ニスモGT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT
  • 2001ねん
    • 全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけんThreeBond Racing #12 ThreeBond/ダラーラF309→F301 ThreeBond NISSAN SR20VE)(シリーズ5
    • 全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん・GT300クラス(ハセミ・モータースポーツ #3 ユニシアジェックスシルビア/シルビア S15 SR20DET)(シリーズ4
  • 2002ねん - フランスF3選手権せんしゅけん(シリーズ7
  • 2003ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン(COSMO OIL RACING TEAM CERUMO #12/ローラB351 無限むげんMF308)(シリーズ7
    • 全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGTR BNR34 VQ30DETT)(シリーズ4・2しょう
  • 2004ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン(mobilecast TEAM IMPUL #20/ローラB351 無限むげんMF308)(シリーズ3・1しょう
    • 全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックインパルZ/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ11・1しょう
    • スーパー耐久たいきゅうシリーズ・Class3(RSちゅうはる #245 モバイルキャスト アドバン Z/フェアレディZ Z33 VQ35DE)(シリーズチャンピオン)
  • 2005ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン(mobilecast TEAM IMPUL #20/ローラB351 無限むげんMF308)(シリーズ2・2しょう
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックインパルZ/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ11
  • 2006ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン<Rd.4〜9>(DoCoMo DANDELION #41/ローラB06/51 HF386E
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦さんせん>(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)
  • 2007ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦さんせん>(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B
  • 2008ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ11
  • 2009ねん - SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ13
  • 2010ねん
    • 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんフォーミュラ・ニッポン(MOTUL TEAM 無限むげん #16/スウィフト017.n HR10E)(シリーズ15
    • SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ11・1しょう
  • 2015ねん - SUPER GT・GT300クラス(TEAM UPGARAGE with BANDOH #18 UPGARAGE BANDOH 86/86 ZN6 GTA V8)(シリーズ25
  • 2017ねん - SUPER GT・GT300クラス(EIcars BENTLEY TTO #117 EIcars BENTLEY GT3)
  • 2018ねん - SUPER GT・GT300クラス(EIcars BENTLEY #117 EIcars BENTLEY GT3)

フォーミュラ

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全日本ぜんにほんフォーミュラ3選手権せんしゅけん

[編集へんしゅう]
とし チーム シャーシ エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位じゅんい ポイント
1994ねん アクティブ トムス 033F トヨタ SUZ
14
FSW
Ret
TSU
17
SUZ
Ret
SEN
20
TOK
MIN
TAI
SUG
NC 0
アサダレーシング ダラーラ F393 無限むげん SUZ
10
1995ねん J SUZ
12
TSU
12
MIN
SUZ
Ret
TAI
Ret
SUG
FSW
14
SUZ
10
SEN
11
4 22
1997ねん ダラーラF396 SUZ
Ret
TSU
Ret
MIN
FSW
SUZ
SUG
SEN
TRM
FSW
SUZ
NC 0
1998ねん NOW MOTOR SPORTS トヨタ SUZ
9
TSU
10
MIN
16
FSW
16
TRM
Ret
SUZ
19
SUG
13
TAI
SEN
SUG
NC 0
2000ねん 無限むげん×童夢どうむ プロジェクト ダラーラ F300 無限むげん SUZ
Ret
TSU
1
FSW
6
MIN
3
TAI
6
SUZ
2
SUG
5
TRM
3
SEN
6
SUZ
1
2 35
2001ねん ThreeBond Racing ダラーラ F399 ThreeBond SUZ1
Ret
SUZ2
4
TSU1
7
TSU2
7
FSW1
5
FSW2
Ret
MIN1
4
MIN1
3
TRM1
Ret
TRM2
5
SUZ
5
SUG1
5
SUG2
5
SEN1
6
SEN2
6
TAI1
5
TAI2
8
TRM1
8
TRM2
8
5 100

フランス・フォーミュラ3選手権せんしゅけん

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とし チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位じゅんい ポイント
2002ねん ARTAシグナチュール ダラーラ F302 ルノー NOG1
9
NOG2
4
LED1
5
LED2
3
DIJ1
8
DIJ2
8
CRO1
2
CRO2
1
ALB1
Ret
ALB2
8
BUG1
8
BUG2
Ret
MAG1
13
MAG2
12
7 84

(key)

フォーミュラ・ニッポン

[編集へんしゅう]
とし チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位じゅんい ポイント
2003ねん COSMO OIL RACING TEAM CERUMO ローラ・B351 無限むげん SUZ
4
FSW
7
MIN
3
TRM
2
SUZ
7
SUG
10
FSW
Ret
MIN
3
TRM
12
SUZ
5
7 19
2004ねん mobilecast TEAM IMPUL SUZ
12
SUG
2
TRM
2
SUZ
3
SUG
7
MIN
7
SEP
10
TRM
1
SUZ
2
3 32
2005ねん TRM
2
SUZ
1
SUG
5
FSW
7
SUZ
8
MIN
1
FSW
3
TRM
4
SUZ
3
2 39
2006ねん DoCoMo TEAM DANDELION RACING ローラ・B06/51 ホンダ FSW SUZ TRM SUZ
12
AUT
12
FSW
11
SUG
Ret
TRM
Ret
SUZ
10
NC 0
2007ねん AUTOBACS RACING TEAM AGURI FSW
14
SUZ
10
TRM
16
OKA
Ret
SUZ
3
FSW
16
SUG
Ret
TRM
Ret
SUZ
10
13 6
2008ねん FSW
9
SUZ
18
TRM
15
OKA
Ret
SUZ1
15
SUZ2
Ret
TRM1
12
TRM2
Ret
FSW1
Ret
FSW2
19
SUG
17
19 2
2010ねん MOTUL TEAM 無限むげん スウィフト・017.n ホンダ SUZ
9
TRM
9
FSW
10
TRM
9
SUG
9
AUT
Ret
SUZ1
8
SUZ2
8
15 1

フォーミュラ1

[編集へんしゅう]
とし チーム Car. No. ランキング 獲得かくとくポイント 決勝けっしょう最高さいこう回数かいすう 表彰台ひょうしょうだい回数かいすう 予選よせん最高さいこう回数かいすう
2006ねん スーパーアグリ 23 25 0 13 0かい 21
とし チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2006ねん スーパーアグリ SA05 BHR
Ret
MAL
Ret
AUS
13
SMR
Ret
EUR ESP MON GBR CAN USA FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 25 0

(key)

全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん/SUPER GT

[編集へんしゅう]
とし チーム 使用しよう車両しゃりょう クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位じゅんい ポイント
1996ねん HOSHINO RACING 日産にっさん・シルビア GT300 SUZ FSW SEN
Ret
FSW SUG MIN NC 0
1999ねん NISMO GT300 SUZ
9
FSW
Ret
SUG
1
MIN
1
FSW
Ret
TAI
1
TRM
4
2 72
2000ねん 日産にっさん・スカイラインGT-R GT500 TRM
5
FSW SUG FSW TAI MIN SUZ 22 6
2001ねん ハセミモータースポーツ 日産にっさん・シルビア GT300 TAI
6
FSW
2
SUG
12
FSW
2
TRM
9
SUZ
2
MIN
12
4 53
2003ねん TEAM IMPUL 日産にっさん・スカイラインGT-R GT500 TAI
12
FSW
2
SUG
Ret
FSW
1
FSW
16
TRM
6
AUT
11
SUZ
1
4 64
2004ねん 日産にっさん・フェアレディZ GT500 TAI
8
SUG
10
SEP
Ret
TOK
11
TRM
Ret
AUT
5
SUZ
1
11 35
2005ねん GT500 OKA
Ret
FSW
15
SEP
8
SUG
5
TRM
3
FSW
13
AUT
4
SUZ
9
11 35
2006ねん NISMO GT500 SUZ OKA FSW SEP SUG SUZ
DSQ
TRM AUT FSW NC 0
2007ねん Autobacs Racing Team Aguri ホンダ・NSX GT500 SUZ OKA FSW SEP SUG SUZ
2
TRM AUT FSW 18 15
2008ねん TEAM KUNIMITSU GT500 SUZ
13
OKA
9
FSW
4
SEP
5
SUG
5
SUZ
2
TRM
16
AUT
9
FSW
Ret
11 41
2009ねん GT500 OKA
7
SUZ
12
FSW
11
SEP
4
SUG
4
SUZ
9
FSW
12
AUT
6
TRM
8
13 29
2010ねん Autobacs Racing Team Aguri ホンダ・HSV-010 GT GT500 SUZ
Ret
OKA
6
FSW
11
SEP
11
SUG
12
SUZ
1
FSW
C
TRM
7
11 29
2013ねん Bonds Racing 日産にっさん・GT-R NISMO GT3 GT300 OKA FSW
5
SEP SUG SUZ FSW AUT TRM 20 6
2015ねん TEAM UPGARAGE with BANDOH トヨタ・86 MC GT300 OKA
19
FSW
Ret
CHA
Ret
FSW
Ret
SUZ SUG AUT
9
TRM
Ret
25 2
2017ねん EIcars BENTLEY TTO ベントレー・コンチネンタル GT3 GT300 OKA
20
FSW
16
AUT
19
SUG FSW
18
SUZ
Ret
CHA TRM
22
NC 0
2018ねん EIcars BENTLEY GT300 OKA
21
FSW
22
SUZ
18
CHA
FSW
13
SUG
15
AUT
18
TRM
19
NC 0
2022ねん BUSOU Drago CORSE 日産にっさん・GT-R NISMO GT3 GT300 OKA
11
FSW
2
SUZ
6
FSW SUZ SUG AUT MOT 20 12.5

出演しゅつえん番組ばんぐみ

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人物じんぶつ

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  • フォーミュラドリームの2年間ねんかんを、「F1ドライバーになるためにはしるレース」でなく、「プロとしてたたかうレース=スポンサーやチームへ結果けっかのこすためにプレッシャーをかんじながらたたかうレース」を勉強べんきょうしながらったこと経験けいけんだったとかたっている[7]

しん東京とうきょうサーキット

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2020ねん9がつ10にちづけで、千葉ちばけん市原いちはらしん東京とうきょうサーキットのオーナーとなり、レーシングカートサーキットの経営けいえいはじめる[8]。しかしオーナーとなるが、しん東京とうきょうサーキットの共同きょうどう経営けいえいしゃである若濱わかはま真之まさゆきかい本業ほんぎょうであるフラワーペイメント株式会社かぶしきがいしゃは2021ねん2がつ不正ふせい顧客こきゃく情報じょうほうえる「熊本くまもと電力でんりょくでの違法いほうなスイッチング行為こうい」など数々かずかずのトラブルをこすことになる。2021ねん7がつ熊本くまもと電力でんりょく主張しゅちょうみとめられ仮処分かりしょぶんくだる。翌月よくげつの2021ねん8がつサーキットスタッフから新型しんがたコロナウイルスのクラスター感染かんせん発生はっせいするが、わかはま真之まさゆきかいはそれを隠蔽いんぺいして営業えいぎょうおこなっていたことが発覚はっかく結果けっか、SNSを中心ちゅうしん利用りようしゃからおおくの不満ふまんこえがる。井出いではスタッフが療養りょうようちゅうにひとりでサーキット営業えいぎょうおこなっていた2021ねん8がつ28にち不可解ふかかいかたち代表だいひょう取締役とりしまりやく解任かいにんとなる。その損害そんがい賠償ばいしょうとう請求せいきゅう事件じけん名誉めいよ棄損きそんおよび、株主かぶぬし総会そうかい決議けつぎ存在そんざい確認かくにんとう請求せいきゅう事件じけんとしてうったえをこし、千葉ちば地方裁判所ちほうさいばんしょにて現在げんざい係争けいそうちゅうである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ オートスポーツ NO.809 2000ねん11/24ごう 118-121ぺーじ井出いで、リベンジ達成たっせい!無限むげん×童夢どうむが1-2フィニッシュ。井出いで、ランキング2獲得かくとく!」
  2. ^ 週刊しゅうかんオートスポーツ NO.845 2001ねん11/29ごう 72ぺーじだい48かいマカオ・グランプリ・レースリポート」
  3. ^ 週刊しゅうかんオートスポーツ NO.880 2002ねん8/15&22ごう 28ぺーじ追撃ついげき体制たいせいととのった!松浦まつうらたかしあきら井出いでゆう どう週末しゅうまつどくふつF3連続れんぞく制覇せいは!」より
  4. ^ 井出いでゆう復帰ふっきへの活動かつどう区切くぎり。引退いんたい否定ひてい - オートスポーツ・2013ねん2がつ5にち
  5. ^ らせ - 井出いでゆう公式こうしきサイト
  6. ^ EIcars BENTLEY TTOによるベントレーのGT300参戦さんせん決定けってい井出いで阪口さかぐちのコンビに,オートスポーツ,2017ねん2がつ18にち
  7. ^ 週刊しゅうかんオートスポーツNO.852 2002ねん1/24ごう日本人にっぽんじんヨーロッパF3戦士せんしそう決起けっき集会しゅうかい 2002勝利しょうり公約こうやく」より。
  8. ^ もとF1レーサー井出いでゆうがカートコース「しん東京とうきょうサーキット」オーナーになってやりたいこととは?”. clicccar.com (2020ねん11月7にち). 2021ねん9がつ1にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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