京急 けいきゅう 700形 かたち 電車 でんしゃ (けいきゅう700がたでんしゃ)、及 およ び730形 かたち 電車 でんしゃ は1956年 ねん (昭和 しょうわ 31年 ねん )に登場 とうじょう した京浜急行電鉄 けいひんきゅうこうでんてつ の特急 とっきゅう 形 がた 車両 しゃりょう で、同社 どうしゃ 初 はつ の高性能 こうせいのう 電車 でんしゃ でもある。両 りょう 形 かたち は1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )に600形 かたち (2代 だい )に編入 へんにゅう され、1986年 ねん (昭和 しょうわ 61年 ねん )までに全車 ぜんしゃ 廃車 はいしゃ された。
戦後 せんご 初 はつ の2扉 とびら セミクロスシート 車 くるま として製造 せいぞう されたデハ500形 かたち 同様 どうよう 、2扉 とびら セミクロスシート車 しゃ とされ、京浜急行電鉄 けいひんきゅうこうでんてつ 初 はつ のカルダン駆動 くどう による高性能 こうせいのう 電車 でんしゃ として設計 せっけい された。
全 ぜん 電動 でんどう 車 しゃ 方式 ほうしき であり、当時 とうじ 各社 かくしゃ で採用 さいよう されはじめていた全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい 準 じゅん 張 ちょう 殻 から 構造 こうぞう 車体 しゃたい を採用 さいよう して軽量 けいりょう 化 か を実現 じつげん 、デハ500形 かたち より5.5tほど軽量 けいりょう 化 か された。
車体 しゃたい ・台車 だいしゃ を東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製造 せいぞう と川崎 かわさき 車輌 しゃりょう 、電装 でんそう 品 ひん を東洋電機製造 とうようでんきせいぞう と三菱電機 みつびしでんき がそれぞれ担当 たんとう し、東洋 とうよう 製 せい 電装 でんそう 品 ひん を搭載 とうさい するデハ700形 かたち ・デハ750形 かたち が各 かく 11両 りょう 、三菱電機 みつびしでんき 製 せい 電装 でんそう 品 ひん を搭載 とうさい するデハ730形 かたち ・デハ780形 かたち が各 かく 9両 りょう 、合計 ごうけい 40両 りょう が1958年 ねん (昭和 しょうわ 33年 ねん )まで製造 せいぞう された。
デハ700・730形 かたち が浦賀 うらが 寄 よ り、デハ750・780形 かたち が品川 しながわ 寄 よ りに連結 れんけつ され、それぞれ700-750・730-780で搭載 とうさい 機器 きき を集約 しゅうやく 分散 ぶんさん するMM'方式 ほうしき により2両 りょう 1ユニットを構成 こうせい する。電装 でんそう 品 ひん メーカーは異 こと なるがユニット単位 たんい で相互 そうご の併結が可能 かのう なように各 かく 機器 きき の仕様 しよう が定 さだ められており、実際 じっさい にも混用 こんよう された。
デハ600形 がた への改 あらため 番 ばん 、半数 はんすう の中 なか 間 あいだ 車 しゃ 化 か 、冷房 れいぼう 改造 かいぞう を経 へ て快速 かいそく 特急 とっきゅう など優等 ゆうとう 列車 れっしゃ 中心 ちゅうしん に使用 しよう されたが、2000形 かたち の登場 とうじょう により1984年 ねん (昭和 しょうわ 59年 ねん )から1986年 ねん (昭和 しょうわ 61年 ねん )にかけて全車 ぜんしゃ 廃車 はいしゃ され、6両 りょう が高松 たかまつ 琴平 ことひら 電気 でんき 鉄道 てつどう に譲渡 ゆずりわた された。
特記 とっき のない限 かぎ り、以下 いか の文中 ぶんちゅう では各種 かくしゅ 文献 ぶんけん に倣 なら い、京急 けいきゅう 本線 ほんせん 上 じょう で南側 みなみがわ を「浦賀 うらが 寄 よ り」または「浦賀 うらが 方 かた 」、北側 きたがわ を「品川 しながわ 寄 よ り」または「品川 しながわ 方 かた 」、東側 ひがしがわ を「海 うみ 側 がわ 」、西側 にしがわ を「山側 やまがわ 」と呼 よ ぶ。編成 へんせい 番号 ばんごう は浦賀 うらが 方 かた 先頭 せんとう 車 しゃ の車両 しゃりょう 番号 ばんごう で代表 だいひょう する。「1000形 かたち 」は1959年 ねん (昭和 しょうわ 34年 ねん )登場 とうじょう の1000形 がた (初代 しょだい ) をさす。
車体 しゃたい 長 ちょう 17,500 mm、車体 しゃたい 幅 はば 2,700 mmの全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい 準 じゅん 張 ちょう 殻 から 構造 こうぞう 車体 しゃたい を備 そな える。
構造 こうぞう 面 めん ではデハ420形 かたち までの車両 しゃりょう で窓 まど の上下 じょうげ に露出 ろしゅつ していたウィンドウヘッダーおよびウィンドウシル と呼 よ ばれる補強 ほきょう 帯 たい が外 そと 板 ばん の内側 うちがわ に隠 かく されたこと、鋼板 こうはん プレス 構造 こうぞう であった客 きゃく 用 よう 扉 とびら が平坦 へいたん な構造 こうぞう に変更 へんこう されたこと、さらに雨 あめ 樋 とい 位置 いち が屋根 やね 上部 じょうぶ に移設 いせつ されて外 そと 板 ばん の幕 まく 板 いた 部 ぶ が屋根 やね の肩 かた の部分 ぶぶん まで引 ひ き上 あ げられた、いわゆる張 は り上 あ げ屋根 やね 構造 こうぞう とされたことで、全体 ぜんたい 的 てき に平滑 へいかつ な外観 がいかん が実現 じつげん している。
窓 まど 配置 はいち はデハ500形 がた のd1 (1) D5D (1) 1(d:乗務 じょうむ 員 いん 扉 とびら 、D:客 きゃく 用 よう 扉 とびら 、(1):戸袋 とぶくろ 窓 まど )を基本 きほん とするが、戸袋 とぶくろ 窓 まど を扉 とびら 間 あいだ に置 お くように変更 へんこう してd1D (1) 5 (1) D1とし、扉 とびら 間 あいだ の5枚 まい の通常 つうじょう 窓 まど の部分 ぶぶん を全 すべ て向 む かい合 あ わせ配置 はいち の固定 こてい クロスシートとすることでクロスシートの数 かず を10組 くみ 40席 せき とした。これは、客 きゃく 用 よう 扉 とびら に隣接 りんせつ する左右 さゆう 両 りょう 端 はし の窓 まど 各 かく 1枚 まい 分 ぶん を乗降 じょうこう を円滑 えんかつ にするためにロングシートとせざるを得 え ず、クロスシートが6組 くみ 24席 せき となっていたデハ500形 かたち と比較 ひかく して大 おお きな改善 かいぜん であった。
なお、本 ほん 形式 けいしき で車 くるま 端 はし 部 ぶ および戸袋 とぶくろ 窓 まど 部 ぶ をロングシートとしているのは、乗降 じょうこう を円滑 えんかつ にする目的 もくてき と共 とも に、主 しゅ 電動 でんどう 機 き およびその駆動 くどう 装置 そうち の点検 てんけん 蓋 ぶた を床 ゆか 面 めん の心 しん 皿 さら 前後 ぜんこう に設置 せっち する必要 ひつよう から、それに干渉 かんしょう するクロスシートの設置 せっち が困難 こんなん であったため[注 ちゅう 1] である。
保存 ほぞん 車 しゃ デハ601の車内 しゃない 手前 てまえ ロングシート部 ぶ の床 ゆか 面 めん に点検 てんけん 蓋 ぶた が設 もう けられていることに注意 ちゅうい 。
側 がわ 窓 まど は戸袋 とぶくろ 窓 まど が高 たか さ1,000 mm、幅 はば 900 mmのHゴム支持 しじ による固定 こてい 窓 まど 、それ以外 いがい が高 たか さ1,000 mm、幅 はば 1,200 mmの2段 だん 上昇 じょうしょう 窓 まど [注 ちゅう 2] で、これらの寸法 すんぽう はデハ500形 がた から継承 けいしょう したものである。車両 しゃりょう 限界 げんかい が小 ちい さいため、転落 てんらく 防止 ぼうし 等 とう の観点 かんてん から下段 げだん 中央 ちゅうおう を横切 よこぎ る位置 いち に保護 ほご 棒 ぼう が設置 せっち されている。
前面 ぜんめん はデハ500形 がた の湘南 しょうなん 形 がた スタイルによる2枚 まい 窓 まど 構成 こうせい を継承 けいしょう するが、窓 まど 寸法 すんぽう が1,000 mm×1,000 mmであったのを1,100 mm×900 mmとして窓 まど の下辺 かへん を側 がわ 窓 まど よりやや持 も ち上 あ げ、センターピラー の部分 ぶぶん を細 ほそ くすることで鈍重 どんじゅう な印象 いんしょう となるのを防 ふせ ぎ、また側 がわ 窓 まど の大 おお きさを強調 きょうちょう している。このデザインは京浜急行 けいひんきゅうこう における湘南 しょうなん 形 がた スタイルの完成 かんせい 形 がた となり、以後 いご 同一 どういつ 寸法 すんぽう のままでデハ800形 がた (初代 しょだい ) や1968年 ねん のデハ500形 かたち 更新 こうしん 車 しゃ などに継承 けいしょう されている。
前 ぜん 照 あきら 灯 とう は当時 とうじ の標準 ひょうじゅん に従 したが い、前 ぜん 頭部 とうぶ 中央 ちゅうおう に白熱 はくねつ 灯 とう を1灯 とう 設置 せっち しており、標識 ひょうしき 灯 とう は左右 さゆう 腰部 ようぶ に角形 かくがた のものを各 かく 1灯 とう 設置 せっち する。
連結 れんけつ 面 めん の貫通 かんつう 路 ろ 幅 はば はデハ500形 がた の仕様 しよう を継承 けいしょう して1,000 mmの広幅 ひろはば とされている。
屋根 やね にはモニタールーフを載 の せ、ここに三菱電機 みつびしでんき 製 せい 16インチ径 みち ファンデリア を各車 かくしゃ 6基 き ずつ搭載 とうさい する。
車内 しゃない のカラースキーム は、当初 とうしょ 東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製造 せいぞう 製 せい が淡紅 あわべに 色 しょく のメラミン樹脂 じゅし 化粧 けしょう 板 ばん にエンジ色 しょく の腰掛 こしか けモケット という暖色 だんしょく 系 けい 、川崎 かわさき 車輌 しゃりょう 製 せい が淡 あわ 緑色 みどりいろ のメラミン樹脂 じゅし 化粧 けしょう 板 ばん に青色 あおいろ の腰掛 こしか けモケットという寒色 かんしょく 系 けい で、対照 たいしょう 的 てき な組 く み合 あ わせであったが、これは1958年 ねん (昭和 しょうわ 33年 ねん )製 せい 車 しゃ で後者 こうしゃ に統一 とういつ され、1956年 ねん (昭和 しょうわ 31年 ねん )・1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )製 せい 車 しゃ についても後 のち に寒色 かんしょく 系 けい に統一 とういつ された。
照明 しょうめい には蛍光 けいこう 灯 とう を連続 れんぞく カバー付 つ きで取 と り付 つ けてある。
車体 しゃたい 外部 がいぶ の塗装 とそう はデハ600形 がた (初代 しょだい )・クハ650形 かたち で初 はつ 採用 さいよう されたダークヴァーミリオンを基本 きほん とし、側面 そくめん 窓 まど 下 か に白 しろ 帯 たい を配 はい するというデザインを踏襲 とうしゅう するが、100 mmであった白 しろ 帯 たい の幅 はば を150 mmに拡幅 かくふく した上 うえ で前面 ぜんめん にも帯 おび を回 まわ して被 ひ 視認 しにん 性 せい の向上 こうじょう を図 はか っており、この構成 こうせい は以降 いこう 700形 がた (2代 だい ) までそのまま踏襲 とうしゅう された。
上述 じょうじゅつ の通 とお り、デハ700形 かたち ・デハ750形 がた (東洋電機製造 とうようでんきせいぞう )とデハ730形 かたち ・デハ780形 がた (三菱電機 みつびしでんき )では搭載 とうさい 機器 きき のメーカーが異 こと なっており、走行 そうこう 性能 せいのう や制御 せいぎょ シーケンスなどは統一 とういつ されていたものの、互 たが いに全 まった く異質 いしつ なシステムを構築 こうちく している。
主 しゅ 電動 でんどう 機 き ・駆動 くどう 装置 そうち [ 編集 へんしゅう ]
両社 りょうしゃ の相違 そうい が最 もっと も顕著 けんちょ に表 あらわ れている部分 ぶぶん であり、相互 そうご の部品 ぶひん 互換 ごかん 性 せい は皆無 かいむ である。
東洋電機製造 とうようでんきせいぞう
三菱電機 みつびしでんき
なお、主 しゅ 電動 でんどう 機 き は優等 ゆうとう 列車 れっしゃ 主体 しゅたい に運用 うんよう されることから高速 こうそく 性能 せいのう を重視 じゅうし して最 さい 弱 よわ め界 かい 磁率 は50%に設定 せってい されており、いずれも補償 ほしょう 巻 まき 線 せん を持 も たない直流 ちょくりゅう 直 ちょく 巻 まき 整流 せいりゅう 子 こ 式 しき 電動 でんどう 機 き として設計 せっけい されている。また、歯 は 数 すう 比 ひ はそれぞれの電動 でんどう 機 き の定 てい 格 かく 回転 かいてん 数 すう 差 さ を吸収 きゅうしゅう するため、東洋電機製造 とうようでんきせいぞう 製 せい 電動 でんどう 機 き 搭載 とうさい 車 しゃ で77:14(5.5)、三菱電機 みつびしでんき 製 せい 電動 でんどう 機 き 搭載 とうさい 車 しゃ で88:19(4.63)として、定 てい 格 かく 速度 そくど を59km/h(車輪 しゃりん 径 みち 860mm時 じ )に揃 そろ えている。
東洋電機製造 とうようでんきせいぞう 製 せい はACDF-H875-560A(ES-560A)、三菱電機 みつびしでんき 製 せい はABF-108-15MDHA(CB-10C)で、いずれも当時 とうじ としては一般 いっぱん 的 てき な多段 ただん 電動 でんどう カム軸 じく 式 しき 自動 じどう 加速 かそく 制御 せいぎょ 器 き である。これらはそれぞれデハ700・730形 かたち に抵抗 ていこう 器 き と共 とも に搭載 とうさい された。制御 せいぎょ 段数 だんすう はいずれも直列 ちょくれつ 8段 だん 、並列 へいれつ 6段 だん 、弱 よわ め界 かい 磁3段 だん である。
なお、これらは編成 へんせい 中 ちゅう に異 こと なるメーカー製 せい の機器 きき を搭載 とうさい するユニットが混在 こんざい する場合 ばあい でも進 すすむ 段 だん タイミングが同期 どうき するように制御 せいぎょ シーケンスなどを規格 きかく 化 か して設計 せっけい されており、実際 じっさい にも相互 そうご の併結・混用 こんよう が特 とく に区別 くべつ 無 な く実施 じっし されている。
台車 だいしゃ は車体 しゃたい メーカー両社 りょうしゃ による競作 きょうさく となっており、こちらも全 まった く異 こと なったコンセプトに基 もと づく2系統 けいとう の設計 せっけい が共存 きょうぞん する。基本 きほん 的 てき には東洋電機製造 とうようでんきせいぞう +東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製造 せいぞう (デハ700形 かたち ・デハ750形 かたち )と三菱電機 みつびしでんき +川崎 かわさき 車輌 しゃりょう (デハ730形 かたち ・デハ780形 かたち )で車体 しゃたい メーカー2社 しゃ と機器 きき メーカー2社 しゃ がそれぞれペアを組 く み、主 しゅ 電動 でんどう 機 き 支持 しじ 架 か もそれぞれの形状 けいじょう に特 とく 化 か した設計 せっけい となっている。ただし、例外 れいがい 的 てき にデハ707 - デハ757の2両 りょう 1編成 へんせい のみは東洋電機製造 とうようでんきせいぞう +川崎 かわさき 車輌 しゃりょう のコンビでの製造 せいぞう となったため、台車 だいしゃ 側 がわ の主 しゅ 電動 でんどう 機 き 支持 しじ 架 か やギアボックスの吊 つ り受 う け座 ざ 周辺 しゅうへん の寸法 すんぽう ・形状 けいじょう をWNドライブ 対応 たいおう から中空 ちゅうくう 軸 じく 平行 へいこう カルダン駆動 くどう 対応 たいおう に設計 せっけい 変更 へんこう して対処 たいしょ している。
東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製造 せいぞう
川崎 かわさき 車輛 しゃりょう
枕 まくら ばねがコイル+オイルダンパー、軸 じく 箱 ばこ 支持 しじ が長 ちょう 腕 うで 形 がた 軸 じく 梁 はり 式 しき のOK-18・18A・18B [注 ちゅう 6] [2] を供給 きょうきゅう 。山陽 さんよう 電鉄 でんてつ 2000系 けい 2002 - 2009 に採用 さいよう されたOK-15など設計 せっけい 時期 じき で先行 せんこう するOK形 がた 台車 だいしゃ 各 かく 形式 けいしき の基本 きほん 構造 こうぞう を踏襲 とうしゅう しつつ、上 うえ 枕 まくら 梁 はり を側 がわ 枠 わく 左右 さゆう に突 つ き出 だ して側 がわ 受位置 いち を可能 かのう な限 かぎ り外 そと に出 だ すことで車体 しゃたい のローリング 周期 しゅうき を長 なが くし乗 の り心地 ごこち の改善 かいぜん を図 はか るなど、様々 さまざま な特徴 とくちょう を備 そな えた台車 だいしゃ である。
基礎 きそ ブレーキは両社 りょうしゃ の台車 だいしゃ ともに踏面両 りょう 抱 いだ き式 しき であり、台車 だいしゃ 毎 ごと にブレーキシリンダーが4個 こ 装着 そうちゃく されている。
ブレーキは従来 じゅうらい の自動 じどう 空気 くうき ブレーキ に代 か えて、応答 おうとう 性 せい に優 すぐ れたHSC-D発電 はつでん 制動 せいどう 併用 へいよう 電磁 でんじ 直通 ちょくつう ブレーキ を搭載 とうさい する。
HSC-Dブレーキでは直通 ちょくつう 管 かん (SAP)、ブレーキ管 かん (BP)、元 もと 空気 くうき 溜 ため 管 かん (MRP)の3系統 けいとう の空気 くうき 配管 はいかん を各車 かくしゃ 間 あいだ に引 ひ き通 とお す必要 ひつよう があるが、新造 しんぞう 時 じ の本 ほん 形式 けいしき が採用 さいよう していた三菱電機 みつびしでんき K-2A密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き は自動 じどう 空気 くうき ブレーキに必要 ひつよう なBPとMRPの2系統 けいとう の空気 くうき 配管 はいかん しかコネクタが内蔵 ないぞう されていなかった。このため、K-2Aを採用 さいよう している期間 きかん に新造 しんぞう された2形式 けいしき のHSC-D搭載 とうさい 車 しゃ 、つまり本 ほん 形式 けいしき とデハ800形 がた (初代 しょだい )の2形式 けいしき に限 かぎ っては、密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き とは別 べつ にSAPを通常 つうじょう のブレーキホースで引 ひ き通 とお す処置 しょち を行 おこな っており、増 ぞう 解 かい 結 ゆい 作業 さぎょう の際 さい には密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き の解 かい 結 ゆい 操作 そうさ とは別 べつ に、このブレーキホースの接続 せつぞく ・分離 ぶんり 作業 さぎょう を行 おこな う必要 ひつよう があった。
このように自動 じどう 空気 くうき ブレーキ搭載 とうさい 車 しゃ と取 と り扱 あつか いが異 こと なっていたことから、都営地下鉄 とえいちかてつ 乗 の り入 い れ実施 じっし に伴 ともな う連結 れんけつ 器 き 交換 こうかん 時 じ にもこのSAPはBPおよびMRPとは連結 れんけつ 器 き を挟 はさ んで反対 はんたい 側 がわ に設置 せっち され、その後 ご 採用 さいよう された柴田 しばた 式 しき 密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き でようやく3管 かん 一括 いっかつ での内蔵 ないぞう が実現 じつげん している。
空気 くうき ブレーキの制 せい 輪 わ 子 こ は営業 えいぎょう 運転 うんてん 終了 しゅうりょう 時 じ まで鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい であり、合成 ごうせい 制 せい 輪 わ 子 こ への交換 こうかん は行 おこな われなかった。
補助 ほじょ 電源 でんげん 装置 そうち [ 編集 へんしゅう ]
車内 しゃない のサービス機器 きき や制御 せいぎょ 器 き の動作 どうさ 電源 でんげん として、デハ750形 かたち およびデハ780形 かたち に以下 いか の2機種 きしゅ いずれかを搭載 とうさい する。[注 ちゅう 7] [3]
東洋 とうよう 製 せい TDK-315 (DC7.0kW)
三菱 みつびし 製 せい MG-54D-S (AC3.0kVA DC3.5kW)
空気 くうき 圧縮 あっしゅく 機 き [ 編集 へんしゅう ]
ブレーキ用 よう の空気圧 くうきあつ 供給 きょうきゅう 源 げん として、デハ750形 かたち およびデハ780形 かたち に以下 いか の機種 きしゅ を搭載 とうさい する。
竣工 しゅんこう 時 じ にはデハ700形 かたち ・デハ730形 がた の浦賀 うらが 寄 よ り(運転 うんてん 台 だい 寄 よ り)に各 かく 1基 き ずつ通常 つうじょう の菱 ひし 枠 わく 形 がた パンタグラフを搭載 とうさい していた。
製造 せいぞう 時 じ のバリエーション[ 編集 へんしゅう ]
1956年 ねん 製造 せいぞう 車 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
登場 とうじょう 時 じ の姿 すがた 『最近 さいきん の十 じゅう 年 ねん 』1958年 ねん 発行 はっこう より
製造 せいぞう 所 しょ の「東急 とうきゅう 」は東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製 せい 、「川崎 かわさき 」は川崎 かわさき 車輌 しゃりょう 製 せい 。左 ひだり が浦賀 うらが 方 かた を示 しめ す。以下 いか 各 かく 製造 せいぞう 時 じ で同 おな じ。
Mu
Ms
製造 せいぞう 所 しょ
電装 でんそう 品 ひん
701
751
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
731
781
川崎 かわさき
三菱 みつびし
本 ほん 形式 けいしき で最初 さいしょ に製造 せいぞう されたグループ。
1957年 ねん 製造 せいぞう 車 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
Mu
Ms
製造 せいぞう 所 しょ
電装 でんそう 品 ひん
702
752
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
703
753
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
704
754
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
705
755
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
706
756
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
707
757
川崎 かわさき
東洋 とうよう
732
782
川崎 かわさき
三菱 みつびし
733
783
川崎 かわさき
三菱 みつびし
734
784
川崎 かわさき
三菱 みつびし
735
785
川崎 かわさき
三菱 みつびし
前年 ぜんねん 製造 せいぞう 車 しゃ に続 つづ いて20両 りょう が製造 せいぞう された。東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製造 せいぞう 分 ぶん の台車 だいしゃ がTS-310Aに変更 へんこう された。既 すで に記 しる した通 とお り、川崎 かわさき 車輌 しゃりょう -東洋電機 とうようでんき の組 く み合 あ わせとなった707-757には中空 ちゅうくう 軸 じく 平行 へいこう カルダン駆動 くどう 用 よう として主 しゅ 電動 でんどう 機 き 支持 しじ 袈形状 じょう が異 こと なるOK-18A台車 だいしゃ が装着 そうちゃく されている。
1958年 ねん 製造 せいぞう 車 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
Mu
Ms
製造 せいぞう 所 しょ
電装 でんそう 品 ひん
708
758
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
709
759
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
710
760
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
711
761
東急 とうきゅう
東洋 とうよう
736
786
川崎 かわさき
三菱 みつびし
737
787
川崎 かわさき
三菱 みつびし
738
788
川崎 かわさき
三菱 みつびし
739
789
川崎 かわさき
三菱 みつびし
本 ほん 形式 けいしき の最終 さいしゅう 製造 せいぞう グループである。前年 ぜんねん 製造 せいぞう 車 しゃ と比較 ひかく して、東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製 せい 車両 しゃりょう の台車 だいしゃ がTS-310に、川崎 かわさき 車輌 しゃりょう 製 せい 車両 しゃりょう の台車 だいしゃ がOK-18Bに、それぞれ変更 へんこう されたことが最大 さいだい の相違 そうい 点 てん となる。制御 せいぎょ 器 き にはB-55電 でん 空 そら 制御 せいぎょ 器 き [注 ちゅう 8] が搭載 とうさい されたため、東洋 とうよう 製 せい はES-560Bに、三菱 みつびし 製 せい はCB-10C2に変更 へんこう された[注 ちゅう 9] 。また、車内 しゃない のカラースキームが車体 しゃたい メーカーにかかわらず寒色 かんしょく 系 けい に統一 とういつ されている。
改 あらため 番 ばん ・改造 かいぞう [ 編集 へんしゅう ]
廃車 はいしゃ までの間 あいだ に各種 かくしゅ 改造 かいぞう が行 おこな われた。
連結 れんけつ 器 き 交換 こうかん [ 編集 へんしゅう ]
1965年 ねん (昭和 しょうわ 40年 ねん )から1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )にかけて、デハ700形 かたち ・デハ730形 がた の奇数 きすう 番 ばん 車 しゃ およびデハ750形 かたち ・デハ780形 がた の偶数 ぐうすう 番 ばん 車 しゃ の先頭 せんとう 部 ぶ 連結 れんけつ 器 き を三菱電機 みつびしでんき K-2A電気 でんき 連結 れんけつ 器 き 内蔵 ないぞう 密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き から都営 とえい 地下鉄 ちかてつ 1号線 ごうせん 乗 の り入 い れ規格 きかく 準拠 じゅんきょ の日本製鋼所 にほんせいこうしょ NCB-6密着 みっちゃく 自動 じどう 連結 れんけつ 器 き に交換 こうかん する工事 こうじ が行 おこな われた[注 ちゅう 10] 。連結 れんけつ 器 き 高 たか さ変更 へんこう が伴 ともな ったため、車体 しゃたい に切 き り欠 か きが追加 ついか された[注 ちゅう 11] 。ジャンパ栓 せん 配置 はいち も変更 へんこう され、品川 しながわ 方 かた 先頭 せんとう 車 しゃ に開放 かいほう ジャンパ栓 せん 受を取 と り付 つ けるため浦賀 うらが 方 かた 先頭 せんとう 車 しゃ も含 ふく めて標識 ひょうしき 灯 とう 位置 いち が変更 へんこう されている。連結 れんけつ 器 き 交換 こうかん 後 ご はK-2A密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き を搭載 とうさい した車両 しゃりょう が先頭 せんとう に出 で る形 かたち で2両 りょう +2両 りょう の4両 りょう 編成 へんせい が組成 そせい され、連結 れんけつ 器 き 交換 こうかん が完了 かんりょう した1966年 ねん 3月 がつ 21日 にち 付 づけ でNCB-6密着 みっちゃく 自動 じどう 連結 れんけつ 器 き を搭載 とうさい した車両 しゃりょう が先頭 せんとう に出 で る形 かたち に編成 へんせい が改 あらた められた。
デハ700形 かたち ・デハ730形 かたち ・デハ750形 かたち ・デハ780形 かたち と4形式 けいしき に分 わ かれていたが、1966年 ねん 4月 がつ 19日 にち 付 づけ で形式 けいしき の整理 せいり が実施 じっし されて全 すべ てデハ600形 かたち に統一 とういつ され、以下 いか の通 とお り改 あらため 番 ばん が実施 じっし された。
デハ701・デハ751 → デハ601・デハ602
デハ702・デハ752 → デハ603・デハ604
デハ703・デハ753 → デハ605・デハ606
デハ704・デハ754 → デハ607・デハ608
デハ705・デハ755 → デハ609・デハ610
デハ706・デハ756 → デハ611・デハ612
デハ707・デハ757 → デハ621・デハ622
デハ708・デハ758 → デハ615・デハ616
デハ709・デハ759 → デハ613・デハ614
デハ710・デハ760 → デハ617・デハ618
デハ711・デハ761 → デハ619・デハ620
デハ731・デハ781 → デハ627・デハ628
デハ732・デハ782 → デハ625・デハ626
デハ733・デハ783 → デハ629・デハ630
デハ734・デハ784 → デハ631・デハ632
デハ735・デハ785 → デハ623・デハ624
デハ736・デハ786 → デハ635・デハ636
デハ737・デハ787 → デハ633・デハ634
デハ738・デハ788 → デハ639・デハ640
デハ739・デハ789 → デハ637・デハ638
中 ちゅう 間 あいだ 車 しゃ 化 か 改造 かいぞう [ 編集 へんしゅう ]
列車 れっしゃ 単位 たんい の大型 おおがた 化 か に伴 ともな い1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )から1968年 ねん (昭和 しょうわ 43年 ねん )にかけて総数 そうすう の半分 はんぶん に当 あ たるデハ602・デハ603・デハ606・デハ607・デハ610・デハ611・デハ614・デハ615・デハ618・デハ619・デハ622・デハ623・デハ626・デハ627・デハ630・デハ631・デハ634・デハ635・デハ638・デハ639の20両 りょう [注 ちゅう 12] について運転 うんてん 台 だい の撤去 てっきょ と客室 きゃくしつ 化 か 、妻 つま 面 めん への広幅 ひろはば 貫通 かんつう 路 ろ の設置 せっち およびロングシートの延長 えんちょう が実施 じっし され、乗務 じょうむ 員 いん 扉 とびら 跡 あと には2段 だん 上昇 じょうしょう 窓 まど が設置 せっち された。また、連結 れんけつ 器 き はK-2A密着 みっちゃく 連結 れんけつ 器 き から棒状 ぼうじょう の永久 えいきゅう 連結 れんけつ 器 き に交換 こうかん された。車体 しゃたい 寸法 すんぽう には変化 へんか はない。同時 どうじ に1号 ごう 形 がた ATS を設置 せっち し、車内 しゃない 放送 ほうそう 機器 きき をトランジスタ 増幅 ぞうふく によるものへ交換 こうかん 、前 ぜん 照 あきら 灯 とう をシールドビーム化 か 、前面 ぜんめん 窓 まど 内 ない 上部 じょうぶ に方向 ほうこう 幕 まく ・列車 れっしゃ 種別 しゅべつ 表示 ひょうじ 幕 まく ・列車 れっしゃ 番号 ばんごう 表示 ひょうじ 幕 まく を設置 せっち した。
番号 ばんごう 順 じゅん に組成 そせい すると4両 りょう 編成 へんせい 10本 ほん となるが、当時 とうじ の需要 じゅよう にあわせて、4両 りょう 編成 へんせい 2本 ほん を6両 りょう ・2両 りょう 編成 へんせい 各 かく 1本 ほん に組 く み替 か えて出場 しゅつじょう した編成 へんせい もある。ただし、これらはその後 ご 2度 ど の編成 へんせい 替 が えを経 へ て、1978年 ねん (昭和 しょうわ 53年 ねん )10月 がつ までにすべて番号 ばんごう 順 じゅん の4両 りょう 編成 へんせい となっている。
窓 まど ・ドアの交換 こうかん [ 編集 へんしゅう ]
1969年 ねん (昭和 しょうわ 44年 ねん )に車体 しゃたい 更新 こうしん で不要 ふよう となった、デハ500形 がた の側 がわ 窓 まど 用 よう アルミサッシの下段 げだん 分 ぶん を使用 しよう して側 がわ 窓 まど 下段 げだん のみのアルミサッシ化 か が実施 じっし された。また、翌 よく 1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )に客 きゃく 用 よう ドアがステンレス製 せい のものに変更 へんこう された。
冷房 れいぼう 化 か 改造 かいぞう [ 編集 へんしゅう ]
社会 しゃかい で冷房 れいぼう 化 か のニーズが高 たか まり、また当時 とうじ 京王帝都電鉄 けいおうていとでんてつ 5000系 けい を皮切 かわき りに各 かく 私鉄 してつ に波及 はきゅう した通勤 つうきん 車 しゃ 冷房 れいぼう 化 か の趨勢 すうせい を受 う けて、1971年 ねん (昭和 しょうわ 46年 ねん )から1972年 ねん (昭和 しょうわ 47年 ねん )にかけて車体 しゃたい 更新 こうしん 工事 こうじ と併 あわ せて、モニター屋根 やね の撤去 てっきょ と構体の補強 ほきょう を実施 じっし の上 うえ で以下 いか のように冷房 れいぼう 化 か 改造 かいぞう 工事 こうじ が行 おこな われた。
屋上 おくじょう 集中 しゅうちゅう 式 しき
日立製作所 ひたちせいさくしょ FTUR-550-206A・FTUR-550-206C、および三菱電機 みつびしでんき CU-71の3種 しゅ を併用 へいよう 。いずれも冷房 れいぼう 能力 のうりょく 36,000kcal/hで、寸法 すんぽう や各部 かくぶ 仕様 しよう が統一 とういつ されており、相互 そうご の載 の せ替 が えが可能 かのう である。冷房 れいぼう 能力 のうりょく の有効 ゆうこう 活用 かつよう のため、扇風機 せんぷうき 6基 き を併用 へいよう する。屋根 やね は平 ひら 天井 てんじょう に改造 かいぞう して風洞 ふうどう が通 とお されている。この方式 ほうしき はパンタグラフを搭載 とうさい し、床下 ゆかした の機器 きき 設置 せっち スペースに余裕 よゆう のない奇数 きすう 車 しゃ 全車 ぜんしゃ に採用 さいよう された。
屋上 おくじょう 分散 ぶんさん 式 しき [注 ちゅう 13]
冷房 れいぼう 能力 のうりょく 8,500kcal/hの東京 とうきょう 芝浦 しばうら 電気 でんき RPU-2209を各車 かくしゃ 4基 き ずつ搭載 とうさい する。屋根 やね は丸天井 まるてんじょう 、扇風機 せんぷうき 6基 き 搭載 とうさい である。1972年 ねん 改造 かいぞう の偶数 ぐうすう 車 しゃ 16両 りょう に採用 さいよう された。
床下 ゆかした 集中 しゅうちゅう 式 しき
低 てい 重心 じゅうしん 化 か を狙 ねら い、東京 とうきょう 芝浦 しばうら 電気 でんき RPU-9004を1セット床下 ゆかした に搭載 とうさい する。これはヒートポンプ式 しき の冷暖房 れいだんぼう 兼用 けんよう 機種 きしゅ で、夏期 かき には冷房 れいぼう 能力 のうりょく 34,000kcal/hの冷房 れいぼう として、冬期 とうき には発熱 はつねつ 量 りょう 27,000kcal/hの暖房 だんぼう として動作 どうさ する。冷房 れいぼう 時 じ には固定 こてい クロスシート部 ぶ の窓 まど 下 か に送風 そうふう 口 こう を、窓 まど 間 あいだ の柱 はしら 部 ぶ にリターン口 こう をそれぞれ設 もう け、暖房 だんぼう 時 じ には通常 つうじょう 通 どお り座席 ざせき 下 か に送風 そうふう 口 こう を設 もう け、冷暖房 れいだんぼう 切 き り替 か え操作 そうさ と送風 そうふう 口 こう 切 き り替 か えが連動 れんどう するという独特 どくとく の構造 こうぞう である。屋根 やね は平 ひら 天井 てんじょう に改造 かいぞう されており、扇風機 せんぷうき 4台 だい と排気 はいき 扇 おうぎ 2台 だい を搭載 とうさい する。この方式 ほうしき は1971年 ねん 改造 かいぞう の偶数 ぐうすう 車 しゃ 4両 りょう 、デハ630・デハ632・デハ638・デハ640の各車 かくしゃ に採用 さいよう されたが、乗客 じょうきゃく のちょうど首筋 くびすじ のあたりに冷風 れいふう があたり、また保守 ほしゅ 面 めん でも不便 ふべん であったため総 そう じて不評 ふひょう で、1984年 ねん (昭和 しょうわ 59年 ねん )の本 ほん 形式 けいしき の最初 さいしょ の廃車 はいしゃ 時 じ に全車 ぜんしゃ 廃車 はいしゃ されている。
補助 ほじょ 電源 でんげん 装置 そうち は定 てい 格 かく 容量 ようりょう 75kVAのTDK3735-AもしくはMG-111-Sに交換 こうかん された。同 どう 時期 じき に新造 しんぞう された1000形 かたち 冷房 れいぼう 車 しゃ がすべて屋上 おくじょう 集中 しゅうちゅう 式 しき だったことと比較 ひかく すると、600形 がた の場合 ばあい は試験 しけん 的 てき な意味 いみ も含 ふく まれていたと見 み られている。なお、この冷房 れいぼう 化 か 改造 かいぞう により自重 じちょう は33tから36tとなり、3t増加 ぞうか している。
その他 た 下記 かき 改造 かいぞう が同時 どうじ に行 おこな われている。
列車 れっしゃ 無線 むせん が搭載 とうさい され、無線 むせん アンテナ設置 せっち のため奇数 きすう 車 しゃ のパンタグラフが無線 むせん アンテナを搭載 とうさい しない中 なか 間 あいだ 車 しゃ も含 ふく め浦賀 うらが 寄 よ りから品川 しながわ 寄 よ りに移設 いせつ された。
連結 れんけつ 器 き がNBC-6形 がた からNCB-II形 がた に交換 こうかん され、連結 れんけつ 器 き 胴 どう 受 う けが設置 せっち された。この両者 りょうしゃ は相互 そうご に連結 れんけつ が可能 かのう である。
上段 じょうだん 窓 まど のアルミサッシ化 か 、下段 げだん 窓 まど の固定 こてい 化 か と上段 じょうだん の開口 かいこう 寸法 すんぽう 拡大 かくだい 、および保護 ほご 棒 ぼう の撤去 てっきょ 。
前面 ぜんめん 方向 ほうこう 幕 まく 類 るい が車体 しゃたい 中心 ちゅうしん よりに若干 じゃっかん 移設 いせつ された。
車体 しゃたい 腐食 ふしょく 部 ぶ の切 き り接 は ぎ修繕 しゅうぜん が行 おこな われ、内装 ないそう もA-A基準 きじゅん に準拠 じゅんきょ した更新 こうしん を実施 じっし 。
主 しゅ 制御 せいぎょ 器 き は一部 いちぶ 回路 かいろ の無 む 接点 せってん 化 か [注 ちゅう 14] 。
試作 しさく 機器 きき の試験 しけん [ 編集 へんしゅう ]
本 ほん 形式 けいしき は次世代 じせだい 車両 しゃりょう のテストベッドとして、いくつかの試作 しさく 機器 きき を搭載 とうさい して試験 しけん を実施 じっし している。
補償 ほしょう 巻 まき 線 せん 付 つ き主 しゅ 電動 でんどう 機 き [ 編集 へんしゅう ]
東洋電機製造 とうようでんきせいぞう と共同 きょうどう で開発 かいはつ した補償 ほしょう 巻 まき 線 せん 付 つ きのTDK-810/1-Bを1957年 ねん に搭載 とうさい して営業 えいぎょう 運転 うんてん でデータ収集 しゅうしゅう を行 おこな った。これは1958年 ねん (昭和 しょうわ 33年 ねん )製 せい デハ800形 かたち 用 よう TDK-810/3-Eとして量産 りょうさん され、さらにデハ1000形 がた のTDK-815Aに発展 はってん することとなる。
直 ちょく 並列 へいれつ サイリスタチョッパ制御 せいぎょ 器 き [ 編集 へんしゅう ]
1972年 ねん (昭和 しょうわ 47年 ねん )3月 がつ から4月 がつ にかけて、冷房 れいぼう 化 か 改造 かいぞう のため久里浜工場 くりはまこうじょう に入場 にゅうじょう 中 ちゅう だった2両 りょう 編成 へんせい のデハ609・デハ612の内 うち 、デハ609の車内 しゃない に座席 ざせき を撤去 てっきょ の上 うえ で東洋電機製造 とうようでんきせいぞう の開発 かいはつ したサイリスタチョッパ制御 せいぎょ 器 き を搭載 とうさい し、さらに回生 かいせい 失効 しっこう を抑止 よくし するためにデハ612の品川 しながわ 寄 よ り屋根 やね 上 じょう にパンタグラフを追加 ついか 設置 せっち した上 うえ で、久里浜工場 くりはまこうじょう 内 ない と本線 ほんせん で夜 よる 間 あいだ を中心 ちゅうしん に試験 しけん 運転 うんてん を実施 じっし した。この制御 せいぎょ 器 き は合成 ごうせい 周波数 しゅうはすう 522Hz へるつ の2相 そう 構成 こうせい 、かつ回生 かいせい ブレーキ時 じ に直 ちょく 並列 へいれつ 演算 えんざん を行 おこな う方式 ほうしき で、直 ちょく 巻 まき 電動 でんどう 機 き でも高速 こうそく 域 いき から回生 かいせい 制動 せいどう が使用 しよう 可能 かのう な点 てん がメリットであったが、京浜急行 けいひんきゅうこう では正式 せいしき 採用 さいよう には至 いた らなかった。
座席 ざせき 枕 まくら カバー変更 へんこう [ 編集 へんしゅう ]
1978年 ねん (昭和 しょうわ 53年 ねん )頃 ごろ に座席 ざせき 上部 じょうぶ のビニール製 せい カバーが白色 はくしょく から模様 もよう の入 はい った銀色 ぎんいろ のものに交換 こうかん された。
デハ636は1964年 ねん (昭和 しょうわ 39年 ねん )10月 がつ 10日 とおか に横浜 よこはま 駅 えき 停車 ていしゃ 中 ちゅう 、500形 かたち デハ505に追突 ついとつ され、アンチクライマー の一部 いちぶ が損失 そんしつ した。その後 ご 同車 どうしゃ は復旧 ふっきゅう したが、その際 さい アンチクライマーは1000形 がた の正面 しょうめん 貫通 かんつう 型 がた 車 しゃ のものに交換 こうかん されている。
通常 つうじょう のアンチクライマー形状 けいじょう
デハ636のアンチクライマー形状 けいじょう
600
形 かたち に
改 あらため 番 ばん 後 ご 、
廃車 はいしゃ 直前 ちょくぜん のデハ601
1983
年 ねん 8
月 がつ 、
逸見 いつみ 駅 えき にて
撮影 さつえい
通勤 つうきん 快 かい 特 とく 12両 りょう 613 1985年 ねん 、青物 あおもの 横丁 よこちょう 駅 えき にて撮影 さつえい 先頭 せんとう の613は2018年 ねん 現在 げんざい 、還暦 かんれき を迎 むか えてもなお譲渡 じょうと 先 さき の高松 たかまつ 琴平 ことひら 電気 でんき 鉄道 てつどう で現役 げんえき である。
(京急 けいきゅう 本線 ほんせん 横浜 よこはま -京浜川崎 けいひんかわさき 間 あいだ 、1985年 ねん 3月 がつ 6日 にち )
竣工 しゅんこう 後 ご 、京浜急行電鉄 けいひんきゅうこうでんてつ の看板 かんばん 電車 でんしゃ としてハイキング特急 とっきゅう 、海水浴 かいすいよく 特急 とっきゅう 、週末 しゅうまつ 特急 とっきゅう 等 とう の優等 ゆうとう 列車 れっしゃ を中心 ちゅうしん に使用 しよう された。
一時 いちじ は編成 へんせい が2両 りょう 単位 たんい であることを活用 かつよう し、金沢 かなざわ 八景 はっけい で分割 ぶんかつ 併合 へいごう を行 おこな う逗子 ずし 線 せん 直通 ちょくつう 特急 とっきゅう が設定 せってい され、またクロスシート車 しゃ であることを生 い かして全席 ぜんせき 座席 ざせき 指定 してい の特急 とっきゅう 「三浦 みうら ビーチ号 ごう 」が夏期 かき に設定 せってい されるなど、その機能 きのう を有効 ゆうこう 活用 かつよう する運用 うんよう が実施 じっし されていた。
もっとも、1972年 ねん 以降 いこう は本 ほん 形式 けいしき も冷房 れいぼう 化 か されていたにもかかわらず夏季 かき 特別 とくべつ 列車 れっしゃ などには運用 うんよう されなかった。その一方 いっぽう で、1974年 ねん (昭和 しょうわ 49年 ねん )から実施 じっし された朝 あさ ラッシュ時 じ の12両 りょう 編成 へんせい 特急 とっきゅう 、その後 ご 1981年 ねん (昭和 しょうわ 56年 ねん )に運転 うんてん 開始 かいし された通勤 つうきん 快 かい 特 とく にも1985年 ねん 3月 がつ まで運用 うんよう された。
本 ほん 形式 けいしき は歯 は 数 すう 比 ひ が低 ひく い上 うえ 、主 しゅ 電動 でんどう 機 き が後 こう のデハ1000形 かたち と同 どう 一定 いってい 格 かく 出力 しゅつりょく ながら補償 ほしょう 巻 まき 線 せん を持 も たず、加減 かげん 速 そく 性能 せいのう が以後 いご の各 かく 形式 けいしき と比 くら べて劣 おと るため、ダイヤ作成 さくせい および運用 うんよう 上 じょう 制約 せいやく となった[注 ちゅう 15] 。
2000形 がた の登場 とうじょう により、1984年 ねん (昭和 しょうわ 59年 ねん )から廃車 はいしゃ が始 はじ まり、1986年 ねん (昭和 しょうわ 61年 ねん )3月 がつ のさよなら運転 うんてん を最後 さいご に全車 ぜんしゃ 廃車 はいしゃ された。吊 つ り掛 か け式 しき であるデハ500形 かたち よりも5か月 げつ であるが先 さき に形式 けいしき 消滅 しょうめつ した[注 ちゅう 16] [注 ちゅう 17] 。
高松 たかまつ 琴平 ことひら 電気 でんき 鉄道 てつどう への譲渡 じょうと 車両 しゃりょう
静態 せいたい 保存 ほぞん されたデハ601
廃車 はいしゃ 後 ご は高松 たかまつ 琴平 ことひら 電気 でんき 鉄道 てつどう にデハ605・デハ608・デハ609・デハ612・デハ613・デハ616の6両 りょう が譲渡 じょうと され、前面 ぜんめん 貫通 かんつう 化 か やロングシート化 か が行 おこな われた後 のち 1070形 かたち として入線 にゅうせん した。2011年 ねん に2両 りょう が廃車 はいしゃ されたが、残 のこ る4両 りょう は新 しん 製 せい から60年 ねん 以上 いじょう 経過 けいか したものの2021年 ねん 現在 げんざい もなお健在 けんざい であり、京急 けいきゅう 在籍 ざいせき 期間 きかん よりも琴 きん 電 でん 入 い りしてからの期間 きかん の方 ほう が長 なが くなっている[注 ちゅう 18] 。
また、トップナンバーであるデハ601が逗子 ずし 市 し に譲渡 ゆずりわた され、神武 じんむ 寺 てら 駅 えき 近 ちか くの逗子 ずし 池子 いけご 第 だい 一 いち 運動公園 うんどうこうえん に静態 せいたい 保存 ほぞん された。長 なが らく屋外 おくがい の屋根 やね もない場所 ばしょ で雨風 あめかぜ にさらされていたため一部 いちぶ 部品 ぶひん も破損 はそん するなど荒廃 こうはい が進 すす んでいたが、2012年 ねん には公園 こうえん の再 さい 整備 せいび に合 あ わせて新 あら たな用地 ようち も確保 かくほ しての大 だい 規模 きぼ な修復 しゅうふく 工事 こうじ が行 おこな われて綺麗 きれい な姿 すがた を取 と り戻 もど した。 またこの頃 ころ から有志 ゆうし による保存 ほぞん 会 かい も結成 けっせい され、現在 げんざい は定期 ていき 的 てき な車両 しゃりょう 清掃 せいそう 活動 かつどう を行 おこな いつつ永続 えいぞく 的 てき な保存 ほぞん と有効 ゆうこう 活用 かつよう に向 む けて、逗子 ずし 市 し と連携 れんけい しながらの活動 かつどう を進 すす めている。
^ 同 どう 時代 じだい に他社 たしゃ が製造 せいぞう した2扉 とびら クロスシート車 しゃ 、例 たと えば京阪 けいはん 1900系 けい 電車 でんしゃ などでも同 おな じ理由 りゆう から電動 でんどう 車 しゃ はセミクロスシート車 しゃ としている。
^ 上下 じょうげ 段 だん とも上昇 じょうしょう する。
^ 端子 たんし 電圧 でんあつ 375V時 じ 一 いち 時 じ 間 あいだ 定 てい 格 かく 出力 しゅつりょく 75kW、電流 でんりゅう 225A、定 てい 格 かく 回転 かいてん 数 すう 2,000rpm(全 ぜん 界 さかい 磁)。
^ 端子 たんし 電圧 でんあつ 375V時 じ 一 いち 時 じ 間 あいだ 定 てい 格 かく 出力 しゅつりょく 75kW、電流 でんりゅう 225A、定 てい 格 かく 回転 かいてん 数 すう 1,700rpm(全 ぜん 界 さかい 磁)。
^ TS-303・303AとTS-310の相違 そうい は側 がわ 受の位置 いち で、TS-303・303Aでは内側 うちがわ にあった側 がわ 受がTS-310では外 そと に出 だ され、揺 ゆら 動 どう 特性 とくせい の改善 かいぜん が図 はか られている。
^ 基本 きほん 的 てき な設計 せっけい ・構造 こうぞう は3種 しゅ とも同様 どうよう で、特 とく にOK-18とOK-18Aの外観 がいかん 上 じょう の相違 そうい 点 てん は皆無 かいむ である。ただし、上述 じょうじゅつ の事情 じじょう でデハ707・デハ757用 よう OK-18Aのみは中空 ちゅうくう 軸 じく 平行 へいこう カルダン駆動 くどう 用 よう のギアボックスとTDK-810Aに対応 たいおう するため、これに関連 かんれん する各 かく 部材 ぶざい の形状 けいじょう ・寸法 すんぽう ・取 と り付 つ け角度 かくど などが他 た の2種 しゅ と相違 そうい する。
^ 三菱 みつびし 製 せい は交流 こうりゅう 出力 しゅつりょく の電源 でんげん 装置 そうち であることから客室 きゃくしつ 内 ない 照明 しょうめい の蛍光 けいこう 灯 とう は交流 こうりゅう 点灯 てんとう の40 W 管 かん が用 もち いられたが、東洋 とうよう 製 せい は直流 ちょくりゅう 点灯 てんとう 用 よう の物 もの を用 もち いざるを得 え ず20 W 管 かん を倍数 ばいすう 用 もち いることで補 おぎな っている。但 ただ し直流 ちょくりゅう 点灯 てんとう の欠点 けってん として適度 てきど に極性 きょくせい を反転 はんてん しないと電極 でんきょく 付近 ふきん の黒 くろ 化 か が早 はや く、照度 しょうど は消費 しょうひ 電力 でんりょく 量 りょう が同等 どうとう に関 かか わらず東洋 とうよう 車 しゃ が三菱 みつびし 車 しゃ を20ルクスほど下回 したまわ った
^ 発電 はつでん ブレーキから空気 くうき ブレーキに切 き り替 か わる際 さい の衝動 しょうどう を軽減 けいげん するため、従来 じゅうらい のB-1電 でん 空 そら 制御 せいぎょ 器 き に電磁 でんじ 弁 べん を追加 ついか したものである。
^ 従来 じゅうらい のCB-10CはCB-10C1に形式 けいしき が変更 へんこう された。
^ デハ700形 かたち ・デハ730形 がた の偶数 ぐうすう 番 ばん 車 しゃ およびデハ750形 かたち ・デハ780形 がた の奇数 きすう 番 ばん 車 しゃ はすでに中 ちゅう 間 あいだ 車 しゃ への改造 かいぞう が計画 けいかく されていたため、連結 れんけつ 器 き 交換 こうかん の対象 たいしょう 外 がい となった。
^ 直通 ちょくつう 規格 きかく に厳密 げんみつ に一致 いっち するNCB-II形 がた でも車体 しゃたい の切 き り欠 か きは必要 ひつよう であるが、車体 しゃたい ピン側 がわ で左右 さゆう に、連結 れんけつ 部 ぶ 直後 ちょくご で上下 じょうげ に首 くび を振 ふ る構造 こうぞう であるk-2-Aの連結 れんけつ 器 き 胴 どう を流用 りゅうよう した暫定 ざんてい 品 ひん のNCB-6では殊更 ことさら 首 くび 振 ふ り範囲 はんい が大 おお きく、それに合 あ わせてNCB-IIの場合 ばあい より更 さら に大 おお きく欠 か き取 と られている。
^ いずれも連結 れんけつ 器 き 交換 こうかん 工事 こうじ の対象 たいしょう 外 がい となった車両 しゃりょう である。
^ 集約 しゅうやく 分散 ぶんさん 式 しき 冷房 れいぼう 装置 そうち 、分散 ぶんさん 式 しき 冷房 れいぼう 装置 そうち での定義 ていぎ に従 したが い、冷気 れいき ダクトがないため「分散 ぶんさん 式 しき 」に分類 ぶんるい される。
^ この改造 かいぞう により東洋 とうよう 製 せい の制御 せいぎょ 器 き はES-560Dに形式 けいしき が変更 へんこう された。
^ 補償 ほしょう 巻 まき 線 せん 付 つ き電動 でんどう 機 き の試験 しけん は本 ほん 形式 けいしき で実施 じっし されており、電動 でんどう 機 き の換 かわ 装 そう により性能 せいのう 統一 とういつ を図 はか ることも不可能 ふかのう ではなかったはずであるが、その種 たね の改造 かいぞう は実施 じっし されなかった。本 ほん 形式 けいしき が停車駅 ていしゃえき 数 すう が少 すく なく加減 かげん 速 そく の機会 きかい の少 すく ない快速 かいそく 特急 とっきゅう に重点的 じゅうてんてき に運用 うんよう され続 つづ けたのも、この性能 せいのう 面 めん での制約 せいやく による。
^ 本 ほん 形式 けいしき が2扉 とびら 、デハ500形 かたち が4扉 とびら だったこと、デハ500形 がた の方 ほう が走行 そうこう 性能 せいのう が高 たか かったこと、デハ500形 かたち が空港線 くうこうせん で運用 うんよう できる3両 りょう 編成 へんせい だった事 こと などが鉄道 てつどう 雑誌 ざっし などでは理由 りゆう として挙 あ げられている。
^ 本 ほん 形式 けいしき の廃車 はいしゃ が始 はじ まった1984年 ねん 当時 とうじ 、デハ500形 かたち には台車 だいしゃ 交換 こうかん などの延命 えんめい 工事 こうじ が行 おこな われており、空港線 くうこうせん 延伸 えんしん 開業 かいぎょう まで運用 うんよう する構想 こうそう だったが、冷房 れいぼう 化 か の要望 ようぼう により廃車 はいしゃ が早 はや まった。
^ 同 どう 時期 じき に1000形 かたち 初期 しょき 車 しゃ (非 ひ 冷房 れいぼう のまま残 のこ っていた4両 りょう )も廃車 はいしゃ されていたが、当時 とうじ は瓦 かわら 町 まち 駅 えき のホームが急 きゅう 曲線 きょくせん 上 じょう にあり、中央 ちゅうおう 扉 とびら の乗降 じょうこう に難 なん があったため3扉 とびら 車 しゃ が存在 そんざい せず、阪神電鉄 はんしんでんてつ から譲渡 じょうと された3扉 とびら 車 しゃ も2扉 とびら 化 か 改造 かいぞう されており、性能 せいのう 面 めん では有利 ゆうり だが非 ひ 冷房 れいぼう かつ3扉 とびら のデハ1000形 がた ではなく、2扉 とびら の本 ほん 形式 けいしき が譲渡 じょうと されている。なお、デハ1000形 がた の譲渡 じょうと は冷房 れいぼう 改造 かいぞう 車 しゃ の廃車 はいしゃ が発生 はっせい した1988年 ねん 以降 いこう となる。
『鉄道 てつどう ピクトリアル』1980年 ねん 9月 がつ 臨時 りんじ 増刊 ぞうかん 号 ごう (通巻 つうかん 380号 ごう )、1988年 ねん 9月 がつ 臨時 りんじ 増刊 ぞうかん 号 ごう (通巻 つうかん 501号 ごう )
佐藤 さとう 良介 りょうすけ 『京急 けいきゅう 初代 しょだい 700形 がた (上 うえ )』<RM LIBRARY 188>、2015年 ねん 、ISBN 978-4-7770-5378-0
佐藤 さとう 良介 りょうすけ 『京急 けいきゅう 初代 しょだい 700形 がた (下 した )』<RM LIBRARY 189>、2015年 ねん 、ISBN 978-4-7770-5380-3
現有 げんゆう 車両 しゃりょう
過去 かこ の車両 しゃりょう