北野きたのまち (神戸こうべ)

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北野きたのどお
ウィーン・オーストリアのいえデンマークかん
ベンのいえ
北野きたの外国がいこくじん倶楽部くらぶ
神戸こうべ北野きたの天満てんま神社じんじゃ

北野きたのまち(きたのちょう)は、兵庫ひょうごけん神戸こうべ中央ちゅうおう町名ちょうめい現行げんこう行政ぎょうせい地名ちめい北野きたのまちいち丁目ちょうめから北野きたのまちよん丁目ちょうめ郵便ゆうびん番号ばんごう650-0002。

地理ちり[編集へんしゅう]

きゅう生田いくた北東ほくとう明治めいじ初期しょきまで存在そんざいした北野きたのむら北端ほくたんにあたる。住宅じゅうたく地域ちいき異人いじんかん保存ほぞんされる観光かんこうでもある。明治めいじ20年代ねんだいから大正たいしょう初期しょきにかけて建築けんちくされた異人いじんかんのこ観光かんこう名所めいしょとしてられ、2007ねん現在げんざい33むねがある。やく32haを都市とし景観けいかん条例じょうれいもとづいて都市とし景観けいかん形成けいせい地域ちいき指定していし、このうち9.3haが文化財ぶんかざい保護ほごほうによる重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちくにも「北野きたのまち山本通やまもとどおり」として指定していされている[1]ひがし加納かのうまちみなみ西にし山本通やまもとどおりきた神戸こうべこう地方ちほうせっする。ひがしからじゅんいちよん丁目ちょうめかれている。

河川かせん[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

俗説ぞくせつ平清盛たいらのきよもり福原ふくはらきょう遷都せんとさい北野きたの天満てんまみや勧進かんじんしたともあるが、『西にし大観たいかん』によれば「小野おの」のきた傾斜地けいしゃちというのが地名ちめい由来ゆらいであるという。宇治うじ平野へいや夢野ゆめのなどととも神戸こうべ七野しちのひとつにかぞえられる。

北野きたの天満てんま神社じんじゃ境内けいだいには行者ぎょうじゃづかばれた古墳こふんがあって山伏やまぶしから信仰しんこうあつめたが、明治めいじ22ねん1889ねん)の市道しどう工事こうじ一部いちぶ破壊はかいされ、土器どき鉄器てっき出土しゅつどした記録きろくがある[1]

北野きたの中世ちゅうせい以前いぜんより交通こうつう要所ようしょとしてられ、丁度ちょうど古墳こふんのあたりがとうげで、さん丁目ちょうめには「北野きたの三本松さんぼんまつ」としてられた目印めじるしいこいのがあったが、大正たいしょうはつ一本いっぽんられ、昭和しょうわ7ねん1932ねん)の台風たいふうほんたおれ、のこ一本いっぽん昭和しょうわ13ねん1938ねん)にたおされた[1]

今日きょう北野きたのまちはその北端ほくたん一部いちぶにあたり、明治めいじ27ねん1894ねん)に成立せいりつし、せい施行しこうまで「神戸こうべ」をかんして神戸こうべ北野きたのまちとされていた。昭和しょうわ6ねん1931ねん)から神戸こうべ昭和しょうわ20ねん1945ねん)より生田いくた昭和しょうわ55ねん1980ねん)より中央ちゅうおうぞくす。

  • 江戸えど時代じだい北野きたのむらがあり、最初さいしょ幕府ばくふりょう現在げんざい北野きたのまちはその北端ほくたんにすぎない。『神戸こうべ』によると農業のうぎょうほかおとこ酒造しゅぞうかせぎ、おんな木綿もめんかせぎをするのが普通ふつうだったという。神社じんじゃ天満てんまみや聖霊せいれい権現ごんげんみや寺院じいん浄土宗じょうどしゅう医王山いおうぜん浄福寺じょうふくじ[2]
  • 元和がんわ元年がんねん1615ねん)、一部いちぶ大和やまとこく小泉こいずみはんりょう元和がんわ3ねん1617ねん)、残余ざんよ尼崎あまがさきはんりょう
  • 寛永かんえい04ねん1627ねん)、一部いちぶ小泉こいずみはんから旗本はたもと片桐かたぎり知行ちぎょうに。
  • 明治めいじ元年がんねん1868ねん)、きゅう生田川いけだがわほとりから北野きたのまちとおって相生あいおいまちたっする山手やまて新道しんどう開通かいつう
  • 明治めいじ02ねん1869ねんごろから外国がいこくじんいえはじめる。
  • 明治めいじ05ねん1872ねん)、北野きたのむら神戸こうべまち編入へんにゅうされ、北野きたのまちとなり、神戸こうべ3番組ばんぐみ所属しょぞく
  • 明治めいじ07ねん1874ねん)、上山手かみやまてどおりいちろく丁目ちょうめ山本通やまもとどおりいちろく丁目ちょうめ中山手通なかやまてどおりいちなな丁目ちょうめ北長狭通きたながさどおりいちなな丁目ちょうめとなる。
  • 明治めいじ27ねん1894ねん)、旧来きゅうらい北野きたのまち北端ほくたん神戸こうべ山本通やまもとどおりいちろく丁目ちょうめから神戸こうべ北野きたのまちいちよん丁目ちょうめとして町名ちょうめい復活ふっかつする。
  • 明治めいじ20年代ねんだいから大正たいしょう初期しょきにかけて同町どうちょうから神戸こうべ山本通やまもとどおりにかけて異人いじんかん建築けんちくブームとなり、ひゃくむねあまり近代きんだい建築けんちくのきつらねた。
  • 昭和しょうわ35ねん1960ねん)、きゅうハッサムてい中山手通なかやまてどおり丁目ちょうめ相楽さがらえん移築いちく
  • 昭和しょうわ38ねん1963ねんきゅうハンターていなだ青谷あおたにまちいち丁目ちょうめ移築いちく
  • 昭和しょうわ46ねん1971ねん)ユダヤ教会堂きょうかいどう建立こんりゅう
  • 昭和しょうわ55ねん1980ねん加納かのうまちいちろく丁目ちょうめ神戸こうべこう地方ちほうかく一部いちぶ編入へんにゅう

人口じんこう統計とうけい[編集へんしゅう]

  • 平成へいせい17ねん国勢調査こくせいちょうさ2005ねん10月1にち現在げんざい)での世帯せたいすう1,229、人口じんこう2,340、うち男性だんせい1,075にん女性じょせい1,265にん[3]
  • 昭和しょうわ63ねん1988ねん)の世帯せたいすう1,467・人口じんこう3,425[2]
  • 昭和しょうわ35ねん1960ねん)の世帯せたいすう842・人口じんこう3,111[2]
  • 大正たいしょう9ねん1920ねん)の世帯せたいすう745・人口じんこう2,942[2]
*明治めいじ34ねん1901ねん)の戸数こすう408・人口じんこう1,727[2]

施設しせつ[編集へんしゅう]

いち丁目ちょうめ
丁目ちょうめ
さん丁目ちょうめ
よん丁目ちょうめ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 神戸こうべ学会がっかい へん神戸こうべ町名ちょうめい 改訂かいていばん神戸こうべ新聞しんぶん総合そうごう出版しゅっぱんセンター、2007ねんISBN 978-4-343-00437-6 
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい 竹内たけうちさん へん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 28 兵庫ひょうごけん角川書店かどかわしょてん、1988ねんISBN 978-4040012803