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吉原よしはら炎上えんじょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉原よしはら炎上えんじょう
Tokyo Bordello
監督かんとく しゃ英雄えいゆう
脚本きゃくほん 中島なかじま貞夫さだお
原作げんさく 斉藤さいとう真一しんいち
出演しゅつえんしゃ 名取なとり裕子ゆうこ
音楽おんがく 佐藤さとうまさる
撮影さつえい もり田富たとみ士郎しろう
編集へんしゅう 市田いちだいさむ
製作せいさく会社かいしゃ 東映とうえい京都きょうと
配給はいきゅう 東映とうえい
公開こうかい 日本の旗 1987ねん6月13にち
上映じょうえい時間じかん 133ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 6おくえん[1]
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吉原よしはら炎上えんじょう』(よしわらえんじょう)は、1987ねん公開こうかい東映とうえい映画えいが主演しゅえん名取なとり裕子ゆうこ監督かんとくしゃ英雄えいゆう

吉原よしはら遊廓ゆうかくきたおんなたちのかた本格ほんかくてきげたはじめての映画えいがといわれる[2]花魁おいらん5にん悲喜ひきえが[3][4]。テレビでもふくすうかい放映ほうえいされこう視聴しちょうりつ記録きろくしている(テレビ朝日てれびあさひ日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう深夜しんやわくなど)。

名取なとりをはじめ、かたせ梨乃りの西川にしかわ峰子みねこふじ真利子まりこら、当時とうじ有名ゆうめい女優じょゆう大胆だいたんヌードシーン(とく名取なとり二宮にのみやさよレズビアンシーン)があったことがおおきな話題わだいんだ[5][6]

1998ねんには新橋しんばし演舞えんぶじょうにて、映画えいがおなじく名取なとり裕子ゆうこ主演しゅえん舞台ぶたいもされている。2007ねんには観月みづきありさ主演しゅえんでテレビドラマされた[7]

ストーリー

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主人公しゅじんこう久乃ひさの明治めいじわり、1907ねん明治めいじ40ねん)に吉原よしはらなかうめろう遊女ゆうじょとしてられた。そこでは借金しゃっきんしばられたおんなたちがろくねん年季ねんきけるまで、はるをひさいでいた。

まれては苦界くがいしてはてら世界せかいいた女郎じょろうけなかった女郎じょろう波乱万丈はらんばんじょう世界せかいえがいた作品さくひんである。

スタッフ

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キャスト

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主人公しゅじんこうたち

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上田うえだ久乃ひさのわかしおむらさき太夫たゆう
えんじ - 名取なとり裕子ゆうこ
主人公しゅじんこう
登場とうじょうは19さい岡山おかやまけん出身しゅっしん船乗ふなのりだったちち海難かいなん事故じここし、賠償金ばいしょうきん工面くめんのため吉原よしわらられてきた。
花魁おいらんとして「わかしお」の源氏名げんじな名乗なのり、最初さいしょきゃくと、いざことはじめる直前ちょくぜん羞恥心しゅうちしんからし、とらえられてきびしい折檻せっかんけ、九重ここのえからおとこよろこばせる方法ほうほうおそわる。
吉原よしはらはいったころから久乃ひさの成功せいこう予感よかんしたものたち期待きたいどおり、徐々じょじょ花魁おいらんとしての自尊心じそんしん芽生めばえ、金持かねもちの常連じょうれんいたつよしうんもあって御職おしょく目指めざすようになる。
九重ここのえ
えんじ - 二宮にのみやさよ
ちゅううめろう一番いちばん花魁おいらん御職おしょく)、はるあきらヒロイン。
主人公しゅじんこうあね女郎じょろう年上としうえということもあり、姉御あねごはだ本人ほんにんによると「(久乃ひさのから)いいにおいがしている」としていもうとぶんとしてっている。
きゃくからしたわかしお折檻せっかんするものの、をもってきゃくよろこばせる方法ほうほうおしえてくれた。
一番いちばん人気にんき上物じょうもののお得意とくいさまからこえがかかっているが、本人ほんにん学生がくせい宮田みやたねつげている。
自身じしんを「年増としま女郎じょろう」と自覚じかくしており、宮田みやたからかなわぬ結婚けっこんにおわされたことで落胆らくたんし、みせへの借金しゃっきん清算せいさんしてしずかに吉原よしはらってく。
吉里よしさと
えんじ - ふじ真利子まりこ
ちゅううめろうばん花魁おいらんなつあきらヒロイン。
九重ここのえのあとの御職おしょくいだが、きゃくにはめぐまれておらず、借金しゃっきんおおい。
わかしおには妊娠にんしんした場合ばあい処置しょちほう堕胎だたい方法ほうほう)をおしえる。
野口のぐちれており、かぶ大損おおそんをしたかね穴埋あなうめにわかしおづてで古島こじまから50えんりるものの、約束やくそく反故ほごにされてはん狂乱きょうらんになる。
のちに越後屋えちごや懇意こんいになり、冗談じょうだんで「一緒いっしょのうか」とわれたことがきっかけで剃刀かみそり片手かたて越後屋えちごやいかけまわし、ひょうあやまって金魚きんぎょりのくびってしまう。められたすえ、「なんだい、みんな、あたしの身体しんたいいものにしてやがるくせに…女郎じょろううえまえでってやがるくせに…」と啖呵たんかり、みずからのくび剃刀かみそりっててた。
小花こばな
えんじ - 西川にしかわ峰子みねこ
ちゅううめろうさんばん花魁おいらんあきあきらヒロイン。
周囲しゅういには「徳川とくがわてん家系かけいだったが、両親りょうしんくなったため、みかどだい医学部いがくぶかよおとうとのために花魁おいらんになった」と吹聴ふいちょうし、おとうと写真しゃしん肌身はだみはなさずっている。
年季ねんきけを目指めざしてきゃくぎたためか、無理むりたたって体調たいちょうくずし、御職おしょくむらさきわかしお)にうばわれてしまう。そのうえうえばなし虚構きょこうだったこともバレてしまい、屈辱くつじょくからはん狂乱きょうらんとなり、喀血かっけつして壮絶そうぜつ最期さいごむかえる。
菊川きくかわ
えんじ - かたせ梨乃りの
久乃ひさの先輩せんぱい女郎じょろうふゆあきらヒロイン。くちわるいが気立きだてはい。
久乃ひさのとは面倒めんどうるうちに仲良なかよくなり、「きくちゃん」「ひさちゃん」とうようになる。まずしいいえむすめで、女郎じょろうらしをしながら「白米はくまいべられる」とよろこび、自身じしん古着ふるぎ実家じっかおくっている。のちに「要領ようりょうわるく、かせぎがわるいから」との理由りゆうで、女将おかみからわれて品川しながわにあるべつ遊廓ゆうかくえした。
物語ものがたり中盤ちゅうばん久乃ひさの再会さいかいしたときには宮大工みやだいく所帯じょたいった様子ようすだった。
物語ものがたり終盤しゅうばんおっと寝取ねとられ吉原よしわら遊廓ゆうかくでは最下さいかそうみせなら羅生門らしょうもん河岸かわぎし長屋ながや女郎じょろうにまでとしていた。そして、古島こじまわせてほしいと懇願こんがんするむらさき啖呵たんかってかえす。
吉原よしはら炎上えんじょうにはちかくのかわんでたすかり、える吉原よしはらながめていた。

ちゅううめろう

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大倉おおくら伊三郎いさぶろう
えんじ - 山村やまむらさとし
主人しゅじん。スミによると、毎日まいにち仕事しごとまえ伊三郎いさぶろう直々じきじきかく部屋へやおとずれて挨拶あいさつする花魁おいらんは、九重ここのえ吉里よしさと小花こばな人気にんきのある3にん花魁おいらんだけ。
わかしおには「吉原よしわらいち花魁おいらんになる」と期待きたいせ、吉原よしはら伝統でんとうである花魁おいらん道中どうちゅうをやってほしいとおもうようになる。
大倉おおくらスミ
えんじ - 佐々木ささきすみ
女将おかみちゅううめろう仕切しきっている。古島こじまがチップとして1人ひとり50えんわたしているといたときは、かみととのえてみずかいそいでもらいにっていた。
伊三郎いさぶろう同様どうよう古島こじまつぼざかなど大身たいしん人物じんぶつ馴染なじきゃくわかしおを「うんつよ」とめ、「むらさき太夫たゆう)」という江戸えど時代じだいから吉原よしはらつたわる大変たいへん名跡みょうせきがせる。
おちか
えんじ - えんけい也子
ちゅううめろうかい階段かいだん廊下ろうか隣接りんせつした簡単かんたん座敷ざしきから、花魁おいらん女中じょちゅうたちのはたらきぶりをている。本人ほんにんは「ここがわたしにらみをきかせているなかうめろう司令塔しれいとう」としょうしている。
口達者くちだっしゃでよくしゃべる。女将おかみにも色々いろいろ自分じぶん注文ちゅうもんつたえている。
由松よしまつ
えんじ - ひだりとんぺい
客引きゃくひき。ちゅううめろう開店かいてんする時刻じこくともなれば、ちょう見世みせいまうショーウィンドウ)で、きゃくびこむための文句もんくべている。
こくさん/みなもとさん
えんじ - 岸部きしべ一徳かずのり/ビートきよし
ちゅううめろう雑用ざつようなどをこなしている。
おうら
えんじ - さわめぐむ
雑用ざつようなどをこなしている。わかしおとも桜田さくらだしょうはな家族かぞくについてはなしきにった。
小花こばなおおきな失敗しっぱいをして、旦那だんな女将おかみ逆鱗げきりんれたとき小花こばな味方みかたとなり、なみだながらにゆるしてもらえるようにおねがいした。
綾衣あやぎ
えんじ - 速水はやみ典子のりこ
役名やくめい不明ふめい
えんじ - 松岡まつおか知重ちえ

馴染なじきゃく

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古島こじましん
えんじ - 根津ねづ甚八じんぱち
救世きゅうせいぐん活動かつどうとうずる古島こじま財閥ざいばつ御曹司おんぞうしわかしおとなった久乃ひさの馴染なじきゃくわかしおはじめてのきゃくからしたとき川岸かわぎし偶然ぐうぜんう。わかしおはじめて指名しめいしたときは、おおくの花魁おいらん総揚そうあげ(※遊廓ゆうかく見世みせまるごとしきり、あそぶこと)して、さらに従業じゅうぎょういんたちにも1人ひとり50えんものかねをチップとして大盤振おおばんぶいをした。そのわかしおなん指名しめいして一夜いちやともにしているが、いちいたことはない。のちわかしお身請みうけをもうるも、わかしお拒否きょひされてしまい物別ものわかれにわる(ただしかね花魁おいらん道中どうちゅう挙行きょこうしている)。
わかしおむらさき名跡みょうせき襲名しゅうめいしたのち疎遠そえんになるが1ねんあらわれて2せんえんもの大金たいきん彼女かのじょわたした。それと同時どうじちち勘当かんどうされたことはなし、彼女かのじょまえからる。物語ものがたり終盤しゅうばんに、菊川きくかわのいる羅生門らしょうもん河岸かわぎしみせにいること判明はんめい。おはるねつげるようになる。
つぼさか義一ぎいち
えんじ - 小林こばやし稔侍ねんじ
むらさき太夫たゆうとなった久乃ひさのわかしお馴染なじきゃく役所やくしょつとめの裕福ゆうふくおとこ仕事しごとめて岡山おかやま事業じぎょうはじめるので一緒いっしょになってほしいとむらさき太夫たゆう結婚けっこんもうた。
宮田みやた
えんじ - 井上いのうえ純一じゅんいち
学生がくせい九重ここのえ馴染なじきゃく九重ここのえとはとしがあり、学生がくせいとあってまだまだ人生じんせい経験けいけんすくない。九重ここのえたいし「年増としまばわりすることもある。
野口のぐち
えんじ - 益岡ますおかとおる
かぶ吉里よしさと馴染なじきゃくかぶ大損おおそんをしてしまい、具体ぐたいてき損害そんがいがく不明ふめいだが400えんかね必要ひつようになった。吉里よしさと本気ほんきあいしたおとこ
越後屋えちごや善之助ぜんのすけ
えんじ - 河原崎かわらざき長一郎ちょういちろう
吉里よしさと馴染なじきゃくかね使づかいはあまりいいかたではないが、吉里よしさと指名しめいしている。吉里よしさととの布団ふとんうえで「一緒いっしょのうか」とのいかけにそれを承諾しょうだくするようなやりりをし、本人ほんにん冗談じょうだんのつもりだったがその事件じけん発展はってん
片山かたやま勇吉ゆうきち
えんじ - (役者やくしゃめい不明ふめい
久乃ひさのとは旧知きゅうちなかさがしていた久乃ひさのわかしおという花魁おいらんとなって吉原よしわらにいるのをつけて再会さいかいよろこび、いちばんともにした。博多はかたによるとそのはたらいていた造船ぞうせんしょ金庫きんこから大金たいきんぬすしたとのことで全国ぜんこく指名しめい手配てはいになっている。かねにもおんなにもだらしないフヌケで、おんなげているとのこと。
亭主ていしゅ
えんじ - 成瀬なるせただし
菊川きくかわ馴染なじきゃく

吉原よしはら人々ひとびと

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はる
えんじ - 野村のむら真美まみ
菊川きくかわいもうとぶん羅生門らしょうもん河岸かわぎし長屋ながや女郎じょろう古島こじま見初みそめられて指名しめいされるようになった。古島こじま結婚けっこんする約束やくそくをしていたが…。
今朝けさ
えんじ - 成田なりた三樹みきおっと
女衒ぜげん(ぜげん)。借金しゃっきんのカタに久乃ひさの吉原よしわられてきた人物じんぶつ久乃ひさの父親ちちおや瀬戸内せとうち船長せんちょうだったが、ふね転覆てんぷく事故じこによりふねもろともくなる。ふね借金しゃっきんいえ土地とちってへんいたが、からだよわ母親ははおや幼児ようじ性別せいべつ不明ふめい)がいて遺族いぞく保証ほしょうきんはらえないためられた。
桜田さくらだくれないよう
えんじ - 竹中たけなか直人なおと
演歌えんか小花こばな過去かこる。吉原よしわらとおりでヴァイオリンをきながらうたっている。
みねなかば女将おかみ
えんじ - 中島なかじままもる
写真しゃしん
えんじ - 大村崑おおむらこん
医者いしゃ
えんじ - 山本やまもときよし
遊廓ゆうかく花魁おいらんとしてはたらきにされるまえ女性じょせい検査けんさけんうめ妊娠にんしん検査けんさなどをおこなっている。
博多はかた巡査じゅんさ部長ぶちょう
えんじ - ひかりせきけん
久乃ひさの吉原よしわらはたらはじめるまえ遊廓ゆうかくがどのような場所ばしょであるかを説明せつめいした。のち片山かたやま勇吉ゆうきちという久乃ひさのしたしかったおとこ犯罪はんざいおかしたとして、久乃ひさの事情じじょう聴取ちょうしゅった。
福島ふくしま巡査じゅんさ
えんじ - 緒形おがたけん友情ゆうじょう出演しゅつえん[8][ちゅう 1]
冒頭ぼうとう遊廓ゆうかくでの「はずす」という言葉ことば作中さくちゅうでは、きゃくとの行為こういちゅううしなってしまうことと説明せつめい)を久乃ひさのおしえた。1ねんったとき久乃ひさのにはずしたことがあるかになっているようでたずねている。
ナレーター - 岸田きしだ今日子きょうこ

製作せいさく

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企画きかく

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日下部くさかべ五朗ごろう東映とうえいプロデューサーは、「本屋ほんやでふと、斎藤さいとう真一しんいち著書ちょしょ絵草紙えぞうし 吉原よしわら炎上えんじょう 祖母そぼむらさき遊女ゆうじょものがたり』(1985ねん11月刊行かんこう文芸春秋ぶんげいしゅんじゅう)というタイトルをにし、色気いろけ題材だいざいおおきさをかんじ、んでみて確信かくしんし、斎藤さいとうたくおとず映画えいがけんいただいた」とべている[9]西岡にしおか善信よしのぶは「1985ねん10がつ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ主催しゅさい西武せいぶアートフォーラムで『斎藤さいとう真一しんいち明治めいじ吉原よしわら細見さいけん』が開催かいさいされ、好評こうひょうたことから映画えいが企画きかくがった」とべている[10]

監督かんとく

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ほんさく製作せいさく決定けっていられる1985ねんまつごろ[11][12]宮尾みやお登美子とみこ原作げんさくの『夜汽車よぎしゃ』の企画きかく浮上ふじょう[11]宮尾みやお登美子とみこ原作げんさくしゃ英雄えいゆう監督かんとくものでは、『おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』 (1982ねん)『あきらろう』 (1983ねん)、『じょまい』 (1984ねん中島なかじま貞夫さだお監督かんとく)、『かい』 (1985ねん)とつづいており、「マンネリになってはいかん」と岡田おかだしげる東映とうえい社長しゃちょうは「『夜汽車よぎしゃ』の監督かんとくおもってえて降旗ふるはた康男やすおにする(山下やました耕作こうさく交代こうたい)。そのかわり、しゃくん吉原よしはらつよいから、『吉原よしはら炎上えんじょう』をらせる」[11]、「しゃくんがやりたいというから、すぐに原作げんさく映像えいぞうけんった。なぜかというと、しゃ監督かんとく浅草あさくさ木遣きやり一家いっかまれたんだ。子供こどもころからそういう環境かんきょうそだっているものだから、遊廓ゆうかくのことからなにからなにまで吉原よしわらのことは全部ぜんぶっている。あの映画えいがあそびがわかっとる人間にんげんでないとれないからね。だからしゃくんに『おまえおもったようにれ』ってったんだ」などとはなしている[13]。「このテの女性じょせい映画えいが、アダルト(大人おとなけ)ねらいの作品さくひんは、強烈きょうれつなものをやらないとたらない。としに1ほんか2ほん大事だいじあつかって温存おんぞんする」という方針ほうしんだった[11]日下部くさかべは「当時とうじ東映とうえい岡田おかださんの独裁どくさい国家こっかになっていた」とはなしており[14]当時とうじ東映とうえい岡田おかだ全部ぜんぶ仕切しきっていたといわれる[15]日下部くさかべは「『吉原よしはら炎上えんじょう』という題名だいめいり、すぐしゃさんにはなしたらってくれた」とはなしている[16]しゃ吉原よしはらまれを自称じしょう[17]東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ以下いか東映とうえい京都きょうと)で大作たいさくりたいというおもいから[17]、1986ねんまつに57さいにして、まれてはじめて東京とうきょうはなれ、東映とうえい京都きょうとから自転車じてんしゃで3ぶん京都きょうと太秦うずまさのマンションにうつんでいた[17]しゃは「豪華ごうか絵巻えまき裏側うらがわどくえがんで遊廓ゆうかく表現ひょうげんしたい。東映とうえい京都きょうとほど優秀ゆうしゅうなスタッフをかかえているところはなくなった。かれらを手放てばなさないためにも、メジャーな映画えいがをヒットさせたい」と決意けついべた[17]

脚本きゃくほん

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脚本きゃくほん構成こうせいとしてクレジットされている笠原かさはら和夫かずおは「『おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい以降いこうつづいた東映とうえい女性じょせい路線ろせんで、東映とうえいにもう男優だんゆう主役しゅやく)でくのはちょっとダメかなという雰囲気ふんいきがあった」とはなしている[18]。また、「(自身じしんの)作品さくひんみだれてきたので『吉原よしはら炎上えんじょう』で挽回ばんかいしようとかなり資料しりょう調しらべをやった」とはなしている[18]東映とうえいから笠原かさはらへのシナリオ発注はっちゅうは1985ねん11月13にち[12]実際じっさい作業さぎょう開始かいしは1986ねんはいってからで、1986ねん2がつ14にち斎藤さいとうわせののち、1986ねん4がつ1にち着手ちゃくしゅし、斎藤さいとう郷里きょうり岡山おかやまけんあじシナハンもと遊女ゆうじょ取材しゅざいなどをかさね、吉原よしはら遊廓ゆうかく資料しりょう丹念たんねんあつめて5がつ初旬しょじゅんわせ、シナリオ執筆しっぴつ原作げんさくクレジットの斎藤さいとう真一しんいち絵草紙えぞうし吉原よしはら炎上えんじょう[3][19]画集がしゅうもとに、そのなかにある女郎じょろうキャラクターつよかれ、それをかたちよっつかいつつのエピソードでかたプロットった[18][20]。しかし笠原かさはら当時とうじったのちで、からだがだるくあたまなかがまとまらない、つくえかえない状態じょうたいになり、続行ぞっこうはムリと日下部くさかべ降板こうばんもうれた[18]。この時点じてんでシナリオはほぼ出来できていたが[18]笠原かさはらシノプシス100まいつくり、1986ねん11月17にち体調たいちょう不良ふりょうにより降板こうばんした[12]いだ中島なかじま貞夫さだおがシナリオのかたちにした。このため笠原かさはら脚本きゃくほん構成こうせいとしてクレジットされた[18]笠原かさはらのち病院びょういん診察しんさつけたら、ったため、鉄分てつぶんあたまにまわらないと医者いしゃ診断しんだんされた、それをはやかっていれば、自分じぶん最後さいごまでいたとおもうとはなしている[18]

中島なかじまは1985ねんに『物語ものがたり』をったのち東映とうえいTBS提携ていけいした作品さくひん製作せいさくはなしなんほんかあり[20]実現じつげん寸前すんぜんまでいったおんな花火はなびはなしは、TBSがカネをすとこまでったが、岡田おかだ社長しゃちょう反対はんたいして頓挫とんざ[20]岡田おかだ一緒いっしょてた企画きかくはTBSが反対はんたいし、笠原かさはらほんさく脚本きゃくほん煮詰につまり、予定よていされていたクランクインまでギリになってしまい、脚本きゃくほん抜擢ばってきされた[20]日下部くさかべは「ぼく笠原かさはら和夫かずおさんに脚本きゃくほんたのみ、笠原かさはらさんがストーリーだけつくってりたから、封切ふうきりにあいだわせないといけないんで健筆けんぴつ中島なかじま貞夫さだお起用きようした」とはなしている[16]中島なかじまあし本直ほんなおしにちかかたち徹夜てつやふくむ20日間にちかん脚本きゃくほん仕上しあげた[20]中島なかじまは「しゃさんにはそんなに義理ぎりはなくわり仕事しごとじゃなかった」などとはなしている[20]

構成こうせい吉原よしはら遊廓ゆうかく明治めいじ40ねん1907ねんはるからはじまり、明治めいじ44ねん1911ねん4がつ9にち大火たいか焼失しょうしつするまでを、久乃ひさのむらさき太夫たゆう)をしんに、九重ここのえ吉里よしさと菊川きくかわ花魁おいらんからんで進行しんこうする。4にん辿たどみちは、幸福こうふくしゃ裏切うらぎり失望しつぼう病魔びょうま自失じしつひしがれえてゆく薄幸はっこうおんなひょううら生活せいかつとおしてかたられる[21]

キャスティング

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主演しゅえん名取なとり裕子ゆうこえんじる久乃ひさのは、原作げんさくしゃである斎藤さいとう真一しんいちやしなえ祖母そぼがモデル[8]いままで以上いじょう要求ようきゅうされる映画えいが名取なとり出演しゅつえん決断けつだんできず[22][23]年末ねんまつ多忙たぼう時期じき東京とうきょうから京都きょうとまでの新幹線しんかんせん座席ざせきれず、ちっぱなしでプロデューサーの日下部くさかべ五朗ごろう相談そうだんった[22]結果けっかはらくくった演技えんぎせた[22]小花おばなやく最後さいごまでまらず、クランクイン8にちまえしゃ推薦すいせん西川にしかわ峰子みねこ起用きようされた[24][25][26]出演しゅつえんシーンの最後さいご心身しんしん支障ししょうをきたした西川にしかわが、められた布団ふとん部屋へやでふくよかなバストをあらわにし、焦点しょうてんさだまらないで「だれでもいいからさ……いておくれよ。ねえ、んでよ、ここ。ここんでここ。ここんでここ!んでよおっ!」とさけつづけるシーンは鮮烈せんれつ印象いんしょうのこした[22][25][27]吉里よしざとやくふじ真利子まりこほんさく以前いぜんから斎藤さいとう真一しんいちのファンで、はじめて斎藤さいとう本物ほんものたのは、1983ねん東映とうえい京都きょうと緒形おがたけん控室ひかえしつはなしている[28]。その銀座ぎんざであった斎藤さいとう個展こてんあしはこんでいた。 ふじ眉毛まゆげったため、みんな眉毛まゆげったという[28][29]ヴァイオリンきの芸人げいにんやくチョイやく出演しゅつえんした竹中たけなか直人なおとは、しゃとは『薄化粧うすげしょう』(1985ねん)からのいだったが、どうさく松竹しょうちく映画えいがで、竹中たけなかはまだ俳優はいゆうイメージがなく、東映とうえいから「なんたけちゅうなんかすんだ!?」と反対はんたいされたが、しゃ東映とうえいたのんで無理むりやり出演しゅつえんくわえた[30]

撮影さつえい

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1985ねん11月に大阪おおさかナビオ美術館びじゅつかん開催かいさいされた斎藤さいとう真一しんいち明治めいじ吉原よしわら細見さいけんてん」を、撮影さつえいもり田富たとみ士郎しろう美術びじゅつ西岡にしおか善信よしのぶ鑑賞かんしょう斎藤さいとうやしなえ祖母そぼ久乃ひさの吉原よしはら遊廓ゆうかく太夫たゆうをしていたことがあり、展示てんじされたは、とお明治めいじあわかなしき苦界くがいきざまをえがいた150てんおよ連作れんさく[21]細密さいみつかい調ちょういろどられた物語ものがたり森田もりたは「これを映画えいがするのかと恐懼きょうくした」という[21]西岡にしおかはこの10ねんまえ瞽女ごぜシリーズ」からの斎藤さいとうのファンで、映画えいが予定よていつたえられた1985ねん12月から、仕事しごと合間あいまつけて当時とうじ吉原よしわら資料しりょう調査ちょうさおこなった[10]。1986ねん12がつ初旬しょじゅん森田もりた西岡にしおか本田ほんだ達男たつおプロデューサーとともに、斎藤さいとう画室がしつおとずれ、遊女ゆうじょ使用しようした化粧けしょう道具どうぐなど、斎藤さいとう収集しゅうしゅうした膨大ぼうだい吉原よしはら資料しりょうせてもらう[8]。そのいちヶ月かげつあいだ、スタッフが交替こうたい画室がしつおとずれ、門外不出もんがいふしゅつ写真しゃしんコピーなどの提供ていきょうけ、予算よさんないでどこまで吉原よしわら遊廓ゆうかく再現さいげんできるか検討けんとうした[10]斎藤さいとうフリーハンド個性こせいてき筆致ひっちで、シュールパース写実しゃじつである映画えいがのレンズでは再現さいげん不可能ふかのうで、フィルム素材そざいのアレンジなどで表現ひょうげんこころみた[4][8][21]。 

美術びじゅつ

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吉原よしはら遊廓ゆうかくのセットは全部ぜんぶみっつ、製作せいさく総額そうがく1おく2000まんえん以下いかこのふし金額きんがくすべ製作せいさく[10][31]
(1)東映とうえい京都きょうと最大さいだいのNo.11スタジオにメインのくるわなかうめろう建物たてものさんかいてのけセット。3500まんえん[10]名取なとり裕子ゆうこは「最初さいしょはいったときウワッとおもうぐらい、素晴すばらしいつくりでした。のち舞台ぶたいしましたが、あのスケールかん工夫くふうはしたけど舞台ぶたいではせなかったです」とべている[13]おなじスタジオに遊廓ゆうかくかこむ「おはぐろどぶ(お歯黒はぐろみぞ)」とばれたどぶかわばしなど「三加和みかわ界隈かいわいブルドーザーげ、ほんモノと寸分すんぶんもないほどに完璧かんぺき再現さいげんした[3][8][32]
(2)太秦うずまさ映画えいがむらとおりの一部いちぶひろげ、吉原よしはら大門だいもんとその近辺きんぺんのオープン・セット。1500まんえん[10]
(3)炎上えんじょうさせるなかうめろうのある吉原よしわら遊廓ゆうかく街並まちなみセットは、琵琶湖びわこほとり全長ぜんちょう120メートルのだいオープン・セットを建設けんせつした[10][ちゅう 2]予算よさん都合つごうじょうかたれつ街並まちなみでませる工夫くふういられた[8]映画えいがのチラシではこのセットだけで1おく5000まんえんかれているが[3]美術びじゅつ西岡にしおか善信よしのぶは5000まんえんはなしている[10]貴重きちょう資料しりょう東映とうえい提供ていきょうした斎藤さいとう夫妻ふさいで3ヵ所かしょのセットをすべ見学けんがくおとずれ「いやーァー本当ほんとうてられましたなァー」とよろこんでいたという[10]

同所どうしょ炎上えんじょう可能かのう京都きょうと近郊きんこうやまえないところ、ひろさ1500つぼとおりのひろさ100メートル程度ていど周囲しゅうい絶対ぜったい類焼るいしょうゆるされない、しやすいようみずじょうちか場所ばしょなどの条件じょうけんがあり[10][33]建設けんせつ場所ばしょ選定せんていには難航なんこう予想よそうされたが、意外いがいはや滋賀しがけん草津くさつ志那しなまち琵琶湖びわこほとり条件じょうけんかな恰好かっこう更地さらちつかり[10]日照ひでり時間じかんたいわせる角度かくど充分じゅうぶん計算けいさんしたうえで、いちヶ月かげつかけて建設けんせつした[10][17][21]。しかし炎上えんじょうシーン撮影さつえいころは、もっとはげしい比良びらおろし時季じき倒壊とうかいおそりと判明はんめいし、このためさんかいてのなかうめろうのセットを東映とうえい京都きょうとはじめて鉄骨てっこつんだ[10]炎上えんじょうさい鉄骨てっこつくずちずマズイのでないかという意見いけんたが、ほのおつよ結果けっかてき問題もんだいにならなかった[10]炎上えんじょうシーンは1987ねん4がつ2にち、3にちけて撮影さつえいされた。メインの3にち撮影さつえいはんがキャメラを5だいかくポジションに設置せっち当然とうぜんNGかない一発いっぱつりで、150にん群衆ぐんしゅううごきにわせたテストを執拗しつようかえした。これほどのサイズの火災かさい人数にんずう遭遇そうぐうする現場げんば体験たいけんだれにもなく、どの程度ていどあつさにえられるのか見当けんとうもつかず。消防しょうぼうかんからは危険きけんときはともかくげてくださいとの指示しじがあった。セットのあちこちに火薬かやく仕込しこみ、電気でんき系統けいとうはしらせ、ガソリンをまいてけた[33]恐怖きょうふからもっと火勢かせいちかいポジションのキャメラマンは我慢がまん出来できし、不安定ふあんていなキャメラもあったが[8]怪我人けがにんもなく無事ぶじ迫力はくりょくのある炎上えんじょうシーンの撮影さつえい成功せいこうした[21]炎上えんじょう琵琶湖びわこみずポンプ予定よていであったが、きるまでやした[33]。セット周辺しゅうへん住民じゅうみんには火事場かじば撮影さつえいがあるとビラいていたが、対岸たいがんまではいてなく、対岸たいがん雄琴おごとなどの消防署しょうぼうしょ通報つうほうがあった[33]。このやしたセットで深作ふかさく欣二きんじ監督かんとくの『はならん』(1988ねん)の関東大震災かんとうだいしんさいのシーンの撮影さつえいおこなわれた[34]

名取なとり裕子ゆうこは「えないところまで全部ぜんぶとどいた素晴すばらしい美術びじゅつでした。風俗ふうぞく文化ぶんかとしても貴重きちょう作品さくひんだとおもいます」とはなしている[13]

音楽おんがく

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げきちゅうでは「あきらめぶし」、「あゝかねや」、「増税ぞうぜいぶし(ゼーゼーぶし)」など、添田唖蝉坊そえだあぜんぼううた多数たすう使つかわれている。

古島こじましん輔がぞくしていた救世きゅうせいぐん行進こうしんは、「リパブリック讃歌さんか」。

撮影さつえい記録きろく

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  • 1986ねん12がつ初旬しょじゅん製作せいさく準備じゅんび[10]
  • 1986ねん12月26にち、スタッフ本読ほんよ[21]
  • 1987ねん2がつ2にち東映とうえい京都きょうとNo.2スタジオでクランクイン[21]
  • 1987ねん4がつ2にち、3にち琵琶湖びわこほとり吉原よしはら炎上えんじょうシーン[21]

宣伝せんでん

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女郎じょろう主役しゅやく吉原よしはらのドラマのため、女優じょゆうたちに重点じゅうてんいてしていく宣伝せんでん展開てんかいがなされた[9]

作品さくひん評価ひょうか

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興行こうぎょう成績せいせき

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配給はいきゅう収入しゅうにゅう6おくえん[1][6]

作品さくひんひょう

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  • 笠原かさはら和夫かずおは、「結局けっきょくしゃというのは、脚本きゃくほんにあるドラマせい把握はあくできないひとなんです。どうしてもからはいる。たしかにほうでは刺激しげきてきなものをつくるひとなんだけど、その全体ぜんたいのドラマのなかでどれくらいの価値かちがあるのかという解釈かいしゃくができないんですね。ぼく一番いちばんポイントにしていたのは根津ねづ甚八じんぱちえんじたおとこで、これがキーパーソンなんですけど、これをきちっととらえてないんだな。あのおとこインポテンツなんですよ。もっとそれをかるようにしなきゃいけないんですよ。ようするにインポテンツのおとこと、名取なとり裕子ゆうこ花魁おいらんになるためだったらなんでも利用りようしていこうというおんなせいかねのためにはからだるんだけども、あなただけは本当ほんとう愛情あいじょうそそぎたいというおんな願望がんぼうと、それをれられないおとこがいて、それがすれちがうという部分ぶぶんえがいてない。ドラマ全体ぜんたいながれというものを整理せいりしてくれてない。必要ひつようのないシーンでだい芝居しばいさせすぎ」などとひょうしている[18]
  • 岡田おかだしげるは「ほんとうにいい映画えいがだった。いまでもウチにのこっている財産ざいさんひとつ」などとべている[13]

エピソード

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  • じんささえかわ峰子みねこは、"映画えいがかいのドン"に「おれのオンナになったら、つぎ映画えいが峰子みねこちゃんが主演しゅえんだよ」と口説くどかれたが、ムカついて「仕事しごとがなくなっても仕方しかたないです」といいかえ即座そくざことわったという[31]
  • 小花こばなやくじんささえかわによると、「赤色あかいろしゃ監督かんとくきないろ監督かんとくから『赤色あかいろにはおんな情念じょうねんかなしみ、くるしみがめられている』とわれました」と回想かいそうしている。このこともあってほんさくでは、花魁おいらんたちの肌襦袢はだじばんちゅううめろう布団ふとん吉里よしさと最期さいごのシーンの金魚きんぎょほか様々さまざま場面ばめん赤色あかいろもの効果こうかてき使つかわれている[35]
  • 二宮にのみやさよえんじる九重ここのえが、名取なとり裕子ゆうこえんじる久乃ひさのおとこよろこばせる方法ほうほう手取てど足取あしどおしえるシーンでは、本番ほんばんまえにテストを30かい以上いじょうかえした。これにはしゃ女性じょせいうつくしくることにいのちけていたことと、文学ぶんがく出身しゅっしん二宮にのみやおおげさな芝居しばいおさえるねらいがあった[35]
  • ふじ真利子まりこえんじる吉里よしさと心中しんちゅうの騒動そうどうのシーンはなつ設定せっていだが、実際じっさい撮影さつえい真冬まふゆ京都きょうとおこなわれた。いきしろくなるのをふせぐため、出演しゅつえんしゃたちはこおりくちふくんでくちなか温度おんどげてから本番ほんばんのぞんだ[35]
  • 小花こばな最期さいごである布団ふとん部屋へやのシーンでは、本番ほんばんまえじんささえかわにしてほしいうごきをしゃみずからが手本てほんを1だけうごいてせ、彼女かのじょによるテストが1かいおこなわれた[35]本番ほんばんは、じんささえかわ喀血かっけつするのりが布団ふとん着物きものくといろわってしまうため一発いっぱつりでおこなわれた[ちゅう 3]。また、このシーンではしょうはなまわりにある布団ふとんしたにはすうにんのスタッフがはいり、意図いとてき布団ふとんうごかした状態じょうたい撮影さつえいおこなわれている[35]

テレビドラマばん

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テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ2007ねん12月29にち放送ほうそうされたテレビ朝日てれびあさひ東映とうえい制作せいさく年末ねんまつテレビドラマである[7]主演しゅえん観月みづきありさ

テレビ朝日てれびあさひでは開局かいきょく[ちゅう 4]以来いらいやく50年間ねんかんつづいたレギュラー放送ほうそう時代じだいげき視聴しちょうりつ不振ふしんなどを理由りゆうにこのとしの9月で終了しゅうりょうさせ、今後こんごは1年間ねんかんすうほん特番とくばんとして制作せいさく放送ほうそうする方針ほうしんえており、ほん作品さくひんがそのだい1だんにあたる。

視聴しちょうりつは16.3%(関東かんとう地区ちくビデオリサーチ調しらべ)、関西かんさいは19.1%。2018ねん1がつ2にち4:00∼5:50には関東かんとうローカルのみおはよう!時代じだいげき新春しんしゅんスペシャルでもさい放送ほうそう

キャスト

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スタッフ

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備考びこう

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  • 主演しゅえん観月みづきありさ、監督かんとく猪原いのはら達三たつぞう脚本きゃくほん橋本はしもとあやとも、時代じだいげきは「吉原よしはら炎上えんじょう」がはじめてである[7]
  • 田中たなか芳之よしゆきプロデューサーは、「映画えいがヌードシーンもあったが、そのようなえがかたはしない。かなしい境遇きょうぐうでもつよきる女性じょせい姿すがたえがくことで、現代げんだい女性じょせいにも共感きょうかんしてもらえるドラマにしたかった」と制作せいさく方針ほうしんはなしている[7]
  • 撮影さつえい映画えいがばんおなじく東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ撮影さつえいされた[7]吉原よしはら大門おおもんのセットのみ、映画えいがおなじものを使用しようしている[7]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 宣伝せんでんようポスターや予告編よこくへんとうでは出演しゅつえん表記ひょうきなし。緒形おがたほどのネームバリューのある現役げんえき主役しゅやくきゅう俳優はいゆう本筋ほんすじには直接ちょくせつかかわらない端役はやく出演しゅつえんする場合ばあい、クレジットタイトルでは「特別とくべつ出演しゅつえんあるいは「友情ゆうじょう出演しゅつえんとうただきがくか、単独たんどくでの表示ひょうじまたはタイトルの後半こうはんしょう人数にんずうでの表示ひょうじ配慮はいりょされるか(いまさくでいうところ山村やまむらさとしのようなあつかい)、もしくはノンクレジットのカメオ出演しゅつえんあつかいとなるのが通例つうれいだが、いまさくでは本編ほんぺんオープニングタイトルのキャストクレジットでも下位かいの「その大勢おおぜい脇役わきやくなか一人ひとりいでクレジットされている。これは非常ひじょうまれなケースである。
  2. ^ 実際じっさい吉原よしはら遊廓ゆうかく東西とうざい333メートル、南北なんぼく250メートル[3]
  3. ^ このときじんささえかわは、「絶対ぜったい失敗しっぱいできない。“西川にしかわ峰子みねこ”じゃなく小花こばなという花魁おいらんとしてたたかうんだ」と意気込いきごんで撮影さつえいのぞんだという。
  4. ^ 開局かいきょく当初とうしょ日本にっぽん教育きょういくテレビ(NET)であった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 「1987ねん邦画ほうが4しゃ封切ふうきりはいおさむベスト作品さくひん>」『キネマ旬報きねまじゅんぽう1988ねん昭和しょうわ63ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1988ねん、192ぺーじ 
  2. ^ BS-TBS 『吉原よしはら炎上えんじょう(Internet Archive)
  3. ^ a b c d e ぴあ映画えいがチラシ 『吉原よしはら炎上えんじょう(Internet Archive) 2019ねん2がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 東映とうえいチャンネル 吉原よしわら炎上えんじょう 2019ねん3がつ放送ほうそう(Internet Archive)
  5. ^ 名取なとり裕子ゆうこ伝説でんせつシーンを関係かんけいしゃ述懐じゅっかい抵抗ていこうあったようで…」(Internet Archive)
  6. ^ a b 名取なとり裕子ゆうこ主演しゅえん映画えいが吉原よしはら炎上えんじょう』が35ねんったいまでも「傑作けっさく」とばれるワケ じんささえかわ峰子みねこともちかしゃともえかたくす”. 週刊しゅうかん現代げんだい (講談社こうだんしゃ). (2022ねん7がつ17にち). オリジナルの2022ねん7がつ18にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220717100234/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97336?imp=0 2022ねん7がつ25にち閲覧えつらん 
  7. ^ a b c d e f 新鮮しんせん 普段ふだんちが自分じぶんテレビ朝日てれびあさひけいドラマ「吉原よしはら炎上えんじょう」で時代じだいげきはつ挑戦ちょうせん 観月みづき(みづき)ありさ”. 読売新聞よみうりしんぶん (2007ねん12月3にち). 2009ねん8がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c d e f g 日本にっぽん映画えいが時代じだい劇作げきさくほう だい20かい吉原よしはら炎上えんじょう』 / もり田富たとみ士郎しろう」『映画えいが撮影さつえいだい189ごう日本にっぽん映画えいが撮影さつえい監督かんとく協会きょうかい、2011ねん5がつ15にち、71 - 80ぺーじ 
  9. ^ a b 東映とうえい軌跡きせき 2016, pp. 348.
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 西岡にしおか善信よしのぶだい41かい日本にっぽん映画えいが技術ぎじゅつしょう受賞じゅしょう 西岡にしおか善信よしのぶ吉原よしはら炎上えんじょう』の美術びじゅつ」『日本にほんテレビ技術ぎじゅつ』1988ねん6がつごう日本にっぽん映画えいがテレビ技術ぎじゅつ協会きょうかい、36-38ぺーじISBN 978-4197104147 
  11. ^ a b c d 活動かつどう人生じんせい 2012, p. 208.
  12. ^ a b c ひととシナリオ 2003, p. 435.
  13. ^ a b c d いなき 2001, pp. 305–306.
  14. ^ シネマの極道ごくどう 2012, p. 171.
  15. ^ 脇田わきたたくみ彦・川端かわばた靖男やすお斎藤さいとうあきら黒井くろい和男かずお映画えいが・トピック・ジャーナルワイドばん 特別とくべつゲスト・岡田おかだしげる映連えいれん会長かいちょう、『東映とうえい社長しゃちょう、そして映画えいがプロデューサーとして』」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1987ねん3がつ上旬じょうじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、93ぺーじ 
  16. ^ a b 極彩色ごくさいしょく 2014, pp. 124–125.
  17. ^ a b c d e しゃ英雄えいゆう(58さい) 『エロスの極致きょくち京都きょうとから』」『月刊げっかん現代げんだい』1987ねん6がつごう講談社こうだんしゃ、197 - 204ぺーじ 
  18. ^ a b c d e f g h 昭和しょうわげき 2002, pp. 524–531.
  19. ^ 吉原よしはら炎上えんじょう(Internet Archive) - 東映とうえいビデオ
  20. ^ a b c d e f ゆうげき美学びがく 2004, pp. 104–107.
  21. ^ a b c d e f g h i 撮影さつえい報告ほうこく吉原よしはら炎上えんじょう」 / もり田富たとみ士郎しろう」『映画えいが撮影さつえいだい97ごう日本にっぽん映画えいが撮影さつえい監督かんとく協会きょうかい、1987ねん7がつ20日はつか、10 - 14ぺーじNDLJP:7954663/7 
  22. ^ a b c d ぬまでぬほどSEX 夏目なつめ雅子まさこ松坂まつさか慶子けいこ名取なとり裕子ゆうこ十朱とあけ幸代さちよ秋吉あきよし久美子くみこ樋口ひぐち可南子かなこ黒木くろきひとみ関根せきね恵子けいこほか 『女優じょゆうだからこそいだ』 銀幕ぎんまくいろどっただい女優じょゆう31にん覚悟かくごのセックスシーン』」『週刊しゅうかんポスト』2017ねん7がつ7にちごう小学館しょうがくかん、160ぺーじ 
  23. ^ 名取なとり裕子ゆうこ主演しゅえん映画えいが吉原よしはら炎上えんじょう』が35ねんったいまでも「傑作けっさく」とばれるワケ じんささえかわ峰子みねこともちかしゃともえかたくす”. 週刊しゅうかん現代げんだい (講談社こうだんしゃ): p. 3. (2022ねん7がつ17にち). オリジナルの2022ねん7がつ18にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220717100129/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97336?page=3 2022ねん7がつ25にち閲覧えつらん 
  24. ^ 石田いしだ伸也しんやじんささえかわ峰子みねこ 演歌えんか歌手かしゅから"情念じょうねん肉体にくたい女優じょゆう"へ転身てんしん」『戦後せんご70ねん芸能げいのう秘史ひし 日本にっぽんの『女神めがみれつでん』2015ねん徳間書店とくましょてん、102–103ぺーじISBN 978-4197104147 
  25. ^ a b 80年代ねんだい黄金おうごんヒロインたち 西川にしかわ峰子みねこ
  26. ^ 名取なとり裕子ゆうこ主演しゅえん映画えいが吉原よしはら炎上えんじょう』が35ねんったいまでも「傑作けっさく」とばれるワケ じんささえかわ峰子みねこともちかしゃともえかたくす”. 週刊しゅうかん現代げんだい (講談社こうだんしゃ): p. 2. (2022ねん7がつ17にち). オリジナルの2022ねん7がつ17にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220717100218/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97336?page=2 2022ねん7がつ25にち閲覧えつらん 
  27. ^ “「んで~!」ともちか仰天ぎょうてん吉原よしはら炎上えんじょう』の“めいシーン”はこうしてまれた ひとしささえかわ峰子みねこともちかしゃともえかたくす”. 週刊しゅうかん現代げんだい (講談社こうだんしゃ): p. 3. (2022ねん7がつ17にち). オリジナルの2022ねん7がつ18にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220718061534/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97338?imp=0 2022ねん7がつ25にち閲覧えつらん 
  28. ^ a b 石田いしだ伸也しんや斎藤さいとう真一しんいちvsふじ真利子まりこ映画えいが吉原よしはら炎上えんじょう対談たいだん―」『美術びじゅつまど』1988ねん2がつごう生活せいかつともしゃ、69-72ぺーじISBN 978-4197104147 
  29. ^ 極彩色ごくさいしょく 2014, pp. 155–159.
  30. ^ 極彩色ごくさいしょく 2014, pp. 143–144.
  31. ^ a b “「んで~!」ともちか仰天ぎょうてん吉原よしはら炎上えんじょう』の“めいシーン”はこうしてまれた ひとしささえかわ峰子みねこともちかしゃともえかたくす”. 週刊しゅうかん現代げんだい (講談社こうだんしゃ): p. 3. (2022ねん7がつ17にち). オリジナルの2022ねん7がつ17にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220717100726/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97338?page=3 2022ねん7がつ25にち閲覧えつらん 
  32. ^ 極彩色ごくさいしょく 2014, p. 114.
  33. ^ a b c d 極彩色ごくさいしょく 2014, pp. 131–132.
  34. ^ 極彩色ごくさいしょく 2014, p. 150.
  35. ^ a b c d e 週刊しゅうかん現代げんだい2022ねん7がつ16にちごうしゅうげんねつ討スタジアム」だい438かい映画えいが吉原よしはら炎上えんじょう」をかたろうp136-139

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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