(Translated by https://www.hiragana.jp/)
大寨村 - Wikipedia コンテンツにスキップ

だい寨村

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく 山西さんせいしょう だい寨村
簡体字かんたいじ だい
繁体字はんたいじ だい
拼音 Dàzhài
カタカナ転写てんしゃ ダーヂャイ
国家こっか 中華人民共和国の旗 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく
しょう 山西さんせい
きゅう すすむ中市なかいち
けん むかしけん
行政ぎょうせいきゅうべつ むら
面積めんせき
そう面積めんせき 1.88 km²
人口じんこう
そう人口じんこう(2004) 0.0510 まんにん
経済けいざい
電話でんわ番号ばんごう

だい寨村(だいさい-そん)は中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく山西さんせいしょうむかしけんだい寨鎮に位置いちするむら1964ねんに「工業こうぎょう大慶たいけいまな中国語ちゅうごくごばん」とともに提唱ていしょうされた「農業のうぎょうだい寨にまな中国語ちゅうごくごばんというスローガンのもと、集団しゅうだん農業のうぎょう模範もはんとして中国ちゅうごく政府せいふによる政治せいじ宣伝せんでん活動かつどうもちいられた[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

だい寨はたいゆき山脈さんみゃくとらあたま山麓さんろく位置いちする。むらめいそうだいそうぐんがこのにおいてりょう軍隊ぐんたい攻撃こうげきしたことに由来ゆらいする。人口じんこうぜんむらで160世帯せたい510にんあまり。ひろさは東西とうざいやく2km、南北なんぼくはばやく1km、そう面積めんせきやく1.88km2海抜かいばつ1162.6m。ぜんむらすべてで700うね以上いじょうであった、しかしやま尾根おねたにによる土地とちわるさからむらは4せん8ひゃく以上いじょう分断ぶんだんされ、その劣悪れつあく地形ちけいぞくに「ななみぞはちはりいちめん坡(沢山だくさんたに尾根おねそしていちめんさか)」といわれた。1ねんしもりないのは5ヶ月かげつあまり、10ねんうち9ねん旱魃かんばつ見舞みまわれ1うね平均へいきんで70から80きん(1きん=500グラム)と自然しぜん環境かんきょう非常ひじょう劣悪れつあくであった。

だい寨の歴史れきし[編集へんしゅう]

改革かいかく開放かいほうまえ[編集へんしゅう]

もう主席しゅせき語録ごろくだい寨村の村民そんみん(1967ねん

1946ねん互助ごじょぐみ成立せいりつ1952ねんちんえいたかだい寨村のとう支部しぶ書記しょき就任しゅうにんすると、翌年よくねん農業のうぎょう生産せいさん合作がっさくしゃ設立せつりつ人民公社じんみんこうしゃ設立せつりつ運動うんどうさいしては1958ねん先駆さきがけて設置せっちしている。この期間きかんちゅうちんえいたか指導しどうした村民そんみんやましたから運搬うんぱん人工じんこう棚田たなだをきずきあげた。平均へいきんいちにんたりのいし運搬うんぱんりょうは1000m3にのぼり、は80まん担をえた(1担=やく50kg以上いじょう)。一人ひとりにつきとし平均へいきんいしを880担以じょうくそ農作物のうさくもつを10まんきん1964ねん2がつ10日とおか人民日報じんみんにっぽう新華社通信しんかしゃつうしん記者きしゃによるレポート「だい寨之」にだい寨村の事柄ことがら掲載けいさいされ、あわせて社説しゃせつよう革命かくめい精神せいしん建設けんせつやまてきこう榜様」(革命かくめいてき精神せいしんもっ模範もはんてき農村のうそん建設けんせつする)が発表はっぴょうされた。中国ちゅうごく人民じんみんだい寨の精神せいしん学習がくしゅうせよとびかけ、中国ちゅうごくにおいて自力じりき更生こうせい象徴しょうちょうとして「だい寨にまねべ」という運動うんどう勃興ぼっこうするにいたった[2]

改革かいかく開放かいほう[編集へんしゅう]

改革かいかく開放かいほう中国ちゅうごく経済けいざい計画けいかく経済けいざいから市場いちば経済けいざい転換てんかんし、だい寨もはぶけけんさん段階だんかいによる所有しょゆう制度せいど部隊ぶたい基礎きそとした人民公社じんみんこうしゃ体制たいせいから世帯せたい生産せいさん請負うけおい責任せきにんせいへと徐々じょじょ移行いこうした。1983ねんだい寨は農業のうぎょう生産せいさん責任せきにんせい実行じっこうし、村営そんえい企業きぎょう設立せつりつし、個人こじん養殖ようしょくぎょう運輸うんゆぎょうはじめた。1992ねんだい経済けいざい開発かいはつそう公司こうし設立せつりつされ、年産ねんさん10まんトンのセメント会社かいしゃとなった。それと並行へいこうしてじゅうすう企業きぎょう発展はってんした。だい寨村のそう生産せいさんがくは1978ねんの18.56まんげんから1992ねんの327まんげん2005ねんにはだい寨の経済けいざいそう収入しゅうにゅうは11600まんげんえ、としいちにんたり平均へいきん收入しゅうにゅうは5500げんとなった。だい寨の経済けいざいそう収入しゅうにゅううち農業のうぎょう収入しゅうにゅうめる割合わりあいは0.3%、工業こうぎょう收入しゅうにゅうは56%、流通りゅうつうぎょう10%、サービスぎょう旅行りょこうぎょうは30%をめ、じゅうねん発展はってん結果けっかだい寨はすでに「政治せいじのブランド」から「経済けいざいのブランド」への脱皮だっぴ成功せいこうしたといえる。

だい寨の中国ちゅうごく農業のうぎょうへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

農業のうぎょうだい寨にまな運動うんどう全国ぜんこく農村のうそん基本きほん建設けんせつおおきな影響えいきょうあたえた。しかし中国共産党ちゅうごくきょうさんとう中央ちゅうおうぎた宣伝せんでんした中国ちゅうごく農村のうそんでは黄土おうど場所ばしょうつしたり、人造じんぞう平原へいげんつくるなどのプロジェクトなど一部いちぶのリーダー幹部かんぶ業績ぎょうせき向上こうじょうのためわれるままにしたがい、中国ちゅうごく自然しぜん環境かんきょうおおきな打撃だげきあたえることとなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Spence's "The Search for Modern China" 2nd Edition, p.562
  2. ^ Patrick Fuliang Shan, "Chen Yonggui Revisited: Intriguing Figure, Diverse Identities, and Maoist Regimentation," American Journal of Chinese Studies, (Vol. 25, no. 1, April 2018), pp. 31-46.

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]