しゅうととり

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寺島てらしまりょうやす和漢わかんさんさい図会ずえ』より「しゅうととり

しゅうととり(こかくちょう)は、中国ちゅうごく伝承でんしょうじょうとり西にしすすむ博物はくぶつげんちゅう』、明代あきよほん草書そうしょ本草ほんぞう綱目こうもく』などの古書こしょ記述きじゅつがあり、日本にっぽんでも江戸えど時代じだい百科ひゃっか事典じてん和漢わかんさんさい図会ずえ』に記述きじゅつされている[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

夜行やこう遊女ゆうじょ」「天帝てんてい少女しょうじょ」「乳母うばとり」「おにとり」ともいう[2]鬼神きじん一種いっしゅであって、よく人間にんげん生命せいめいうばうとある。夜間やかん飛行ひこうして幼児ようじがいするかいとりで、こえ幼児ようじのよう。中国ちゅうごく荊州おお棲息せいそくし、もうるととり変身へんしんし、ぐと女性じょせい姿すがたになるという[3]

他人たにん子供こどもうばって自分じぶんとする習性しゅうせいがあり、子供こどもよるしされた子供こども着物きもの発見はっけんするとしるしをつける。けられた子供こどもはたちまちたましいうばわれ、ひきつけ一種いっしゅである無辜むこかん(むこかん)という病気びょうきになるという[3]

これらの特徴とくちょうは、るととりぐと女性じょせいになるというてんあずますすむ小説しょうせつしゅうさがせかみ』にある「羽衣はごろもおんな」、他人たにんうばてんで『すわえ』にあるかみおんなおんな岐(じょき)」と共通きょうつうしており、しゅうととり伝承でんしょうは、これら中国ちゅうごく古典こてんじょう別々べつべつ伝承でんしょう統合とうごうされたものとられている[4]。またとうだい古書こしょとりざつまないた』では、しゅうととり出産しゅっさんんだにんけたものとのせつべられており[4]、『本草ほんぞう綱目こうもく』においてもこのせつ支持しじされている[2]

日本にっぽん伝承でんしょうとの関連かんれん[編集へんしゅう]

日本にっぽんでも茨城いばらきけん伝承でんしょうがあり、よる子供こども着物きものすと、「ウバメトリ」という妖怪ようかい自分じぶん子供こども着物きものだとおもって、その着物きもの目印めじるしとして自分じぶんちちしぼり、そのちちにはどくがあるといわれる[5]。これは中国ちゅうごくしゅうととり由来ゆらいとされ、かつて知識ちしきじんによって中国ちゅうごくしゅうととり情報じょうほう茨城いばらきまれたものとられている[6]

江戸えど時代じだい初頭しょとう日本にっぽんでは、日本にっぽん妖怪ようかい産女うぶめ」が中国ちゅうごく妖怪ようかいであるしゅうととり同一どういつされ、「しゅうととり」といて「うぶめ」とむようになったが、これは産婦さんぷにまつわる伝承でんしょうにおいて、産女うぶめしゅうととり混同こんどうされ、同一どういつされたためとられている[4]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 寺島てらしまりょうやす和漢わかんさんさい図会ずえ』 6かん平凡社へいぼんしゃ東洋文庫とうようぶんこ〉、1987ねん、342-343ぺーじISBN 978-4-582-80466-9 
  2. ^ a b 、396-397ぺーじ
  3. ^ a b かく、301-303ぺーじ
  4. ^ a b c 多田ただ、29-40ぺーじ
  5. ^ 民俗みんぞくがく研究所けんきゅうじょ編著へんちょ ちょ柳田やなぎだ國男くにお監修かんしゅう へん綜合そうごう日本にっぽん民俗みんぞく語彙ごいだい1かん平凡社へいぼんしゃ、1955ねん、136-137ぺーじNCID BN05729787 
  6. ^ 村上むらかみ健司けんじ編著へんちょ日本にっぽん妖怪ようかいだい事典じてん角川書店かどかわしょてん〈Kwai books〉、2005ねん、46ぺーじISBN 978-4-04-883926-6 
  7. ^ とりあずか史料しりょう - ふくろう 臺灣たいわん國立こくりつ自然しぜん科學かがく博物館はくぶつかん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 木場きば貴俊たかとし怪異かいいをつくる 日本にっぽん近世きんせい怪異かいい文化ぶんか文学ぶんがく通信つうしん、2020ねんISBN 978-4909658227  - しゅうととり産女うぶめどういち経緯けいいについてくわしい。