島村 速雄
1858 | |
1923 | |
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1880 | |
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「
生涯
[生 い立 ち
[兵 学校 から士官 へ
[23
常備 艦隊 参謀
[イギリスから
日 清 戦争
[結婚
[義和 団 の乱
[日 露 戦争
[後進 の育成
[また、この
軍令 部長
[晩年
[エピソード
[同郷 の吉 松茂 太郎 大将 とは生涯 を通 じた友人 だった。漢学 者 の家系 である吉松 は文系 が得意 で、島村 は逆 に理系 に強 かったが、海軍兵学校 時代 の試験 で数学 の問題 を解 き終 えた島村 が歌舞伎 役者 の落書 きを書 いて吉松 に見 せつけ、吹 き出 した吉松 が教官 から叱責 された。吉松 はその悪戯 を本気 で根 に持 っていたという。大尉 時代 には、仁礼 景 範 中将 の令嬢 春子 との縁談 があった。しかし島村 はイギリス留学 中 に落馬 事故 を起 こし、耳鳴 りの後遺症 が残 った。このことが大 げさに日本 へ報告 されたため、結婚 の話 は沙汰止 みとなった。ちなみに春子 はのちに斎藤 実 大将 に嫁 いでいる。春子 は二・二六事件 で夫 を失 い、自 らも夫 をかばって銃弾 を受 けたが、98歳 の長寿 を全 うした。- この
落馬 事故 の際 に見舞 った有馬 良 橘 (のち海軍 大将 )を島村 は終生 かわいがった。この時 には有馬 が研究 していた和文 手旗 信号 の完成 を大 いに賞賛 している。のちに日 露 戦争 で有馬 が陣頭 指揮 を執 った旅順 口 閉塞 作戦 がことごとく失敗 したため、有馬 を連合 艦隊 参謀 から更迭 せざるを得 なくなったが、島村 も自 ら連合 艦隊 参謀 長 の座 から退 いている。これは有馬 を慮 った行動 ではないかと言 われる。 艦長 職 としては唯一 、戦艦 「初瀬 」を担当 している。操艦 術 は得意 ではなく、石橋 甫 副長 や千坂 智 次郎 航海 長 ら現場 経験 の長 いスタッフ任 せだったと言 われている。元山 港 入港 時 に石橋 副長 に無断 で操艦 し、係留 ロープをスクリューに巻 き込 んでしまい、一 晩 かけてほどく羽目 になったこともある。同期 の藤井 較一大将 とは正 反対 の性格 ながら馬 が合 った。日本海 海戦 直前 の作戦 会議 では、対馬海峡 残留 を説 く藤井 に賛同 する者 はまったくなかったが、遅 れて登場 した島村 が藤井 と同 意見 を述 べるや、会議 の流 れは一挙 に対馬 残留 に変化 したという。また私生活 でも、借家 の賃貸 期限 が切 れそうになって途方 に暮 れる島村 に、藤井 が長 らく住 んでいた旧宅 を提供 している。ただし、実 は藤井 の旧宅 も借家 だった(藤井 本人 は戸建 と信 じて疑 わなかった)ため、家主 に乗 り込 まれた島村 は大 いに困惑 したという。日 露 戦争 中 の旅順 封鎖 作戦 終了 後 に島村 から連合 艦隊 参謀 長 を引 き継 いだ加藤 友三郎 とは、海軍兵学校 時代 からの旧友 であり無 二 の親友 である。加藤 の総理 大臣 就任 については、加藤 の健康 状態 を慮 って頑強 に反対 している。しかし自 らが先 に脳 梗塞 で倒 れ、病床 のうわ言 で加藤 を案 じながら逝去 した。島村 が厄年 の頃 に「若 い女性 と婚約 した」と報道 された際 、加藤 が新聞 の切抜 きを手 に「この報道 は事実 か?」と尋 ねたことがある。生涯 家庭 に恵 まれなかった加藤 に何 か思 うところがあったのではないかと島村 は述懐 している。家庭 人 としては温厚 な家長 であった。早 くに父 を亡 くし、母 との暮 らしが長 かった。姑 との仲 がよくやり繰 り上手 な妻 を持 ち、子供 の教育 にもおおらかであった。一方 、客人 を必要 以上 にもてなすために家計 は苦 しく、清貧 生活 を貫 いた。千葉 県 一宮 町 に別荘 を所有 した。近隣 には斎藤 実 、加藤 友三郎 や仁礼 景 範 など海軍 出身 者 の別荘 が建 ち並 んでいた。海軍 大 学校 校長 時代 、博文 館 の雑誌 『太陽 』が企画 した「次代 の適任 者 は誰 か」という読者 投票 企画 で、「次代 の連合 艦隊 司令 長官 」部門 で第 一 位 となった。しかし島村 は「日 露 戦争 での戦勝 はひとえに東郷 司令 長官 と名 参謀 たちによるもので、自分 は特段 の働 きをしておりません。もし将来 自分 が連合 艦隊 司令 長官 を拝命 し、業績 を残 して職務 を全 うしたなら、そのときに初 めてお受 けします」と言 って表彰 を固辞 したという。
家族
[父 の島村 左 五 平 は高知 県 士族 。母 の鹿 (1838-1917)は土佐 郷士 ・徳弘 直作 の長女 。叔父 (母 の弟 )の徳 広 正輝 (1855-1936)は土佐 で自由 民権 運動 に関 わり、上京 後 北海道 開拓 に興味 を持 ち、1882年 に原野 だった湧別 町 に入植 、「徳弘 農場 」を拓 き、北湧 校 分教場 (現 ・湧別 町立 中湧別 小学校 )に土地 を寄付 するなど、湧別 開拓 の祖 とされる[1]。アイヌの女性 を内妻 とし10人 の子 を儲 け、高知 出身 の正妻 との間 にも二 子 を儲 けた(のち離婚 )[2]。1898年 の湧別川 の氾濫 で被災 して以降 は土地 を切 り売 りし、農場 跡地 は現在 中湧別 神社 (北緯 44度 11分 31秒 東経 143度 35分 43秒 / 北緯 44.19203207783328度 東経 143.59525935028617度 )になっており、顕彰 碑 などがある。徳弘 については小池 喜孝 の『伝蔵 と森 蔵 自由 民権 とアイヌ連帯 の記録 』のほか、漫画 『王道 の狗 』にも登場 する[3]。弟 の島村 茂穂 (1867年生 )は東京 専門 学校 政治 科 卒 の自由 民権 家 であり、のちには常陸 セメント役員 となった[4][5]。妻 の菅尾 (1880年生 )は高知 県 人 ・近藤 正英 の娘 。19歳 のとき、22歳 上 の速雄 と結婚 した。[6][7]長男 に島村 初太郎 (1902年生 )。襲爵 し男爵 となる。一 高 理科 卒 。[8]二男 の立花 和雄 (1907年生 )は、立花 寛治 の孫娘 の入 り婿 になり立花 伯爵 家 を継承 。学習 院 を経 て北海道 帝国 大学 卒 、帝室 林野 局 勤務 ののち柳川 で料理 旅館 経営 [9][10]。著書 に『柳川 の殿 (トン)さんとよばれて…―旧 柳河 藩 第 十 六 代 当主 立花 和雄 私 史 』 (梓 書院 、1996)がある。その長男 の立花 宗鑑 (1937年生 )は慶應義塾大学 卒業 後 、三井物産 、ユニシスを経 て立花 財団 理事 長 [11]。二女 ・原田 万 紗子 (1944年生 )は千鳥 屋 創業 家 の原田 良 康 に嫁 ぎ、千鳥 屋 総 本家 の役員 などを経 て、夫 の母親 が別荘 に使 っていた糸島 市 で食品 販売 を手掛 ける[12]。
年譜
[安政 5年 (1858年 )10月26日 -土佐 国 (現 ・高知 県 )で出生 。幼名 は午 吉 。明治 13年 (1880年 )12月17日 -海軍兵学校 卒業 (7期 )。任 海軍 少尉 補 。明治 16年 (1883年 )11月2日 -任海 軍 少尉 。明治 18年 1885年 )明治 19年 1886年 )7月 13日 -任海 軍 大尉 。明治 22年 (1889年 )8月 2日 - イギリス出張 。明治 25年 (1892年 )5月23日 -巡洋艦 「高雄 」分隊 長 兼 砲術 長 。明治 27年 (1894年 )12月9日 -任海 軍 少佐 。明治 29年 (1896年 )1月 13日 -海軍 大 学校 教官 。明治 30年 (1897年 )明治 32年 (1899年 )明治 35年 (1902年 )7月 18日 -戦艦 「初瀬 」艦長 。明治 36年 (1903年 )明治 37年 (1904年 )6月6日 -任海 軍 少将 。明治 38年 (1905年 )明治 39年 (1906年 )明治 41年 (1908年 )8月 28日 -任海 軍 中将 。海軍 大 学校 校長 。明治 42年 (1909年 )12月1日 -第 二 艦隊 司令 長官 。明治 44年 (1911年 )12月1日 -佐世保 鎮守 府 司令 長官 。大正 3年 (1914年 大正 4年 (1915年 )大正 5年 (1916年 )7月 14日 -男爵 。大正 12年 (1923年 )1月 8日 -死去 。元帥 。正 二 位 。
栄典
[位階
- 1883
年 (明治 16年 )12月25日 -正 八 位 [13] - 1885
年 (明治 18年 )9月16日 -従 七 位 [14] - 1890
年 (明治 23年 )11月1日 -正 七 位 [15] - 1894
年 (明治 27年 )12月28日 -従 六 位 [16] - 1898
年 (明治 31年 )3月8日 -正 六 位 [17] - 1899
年 (明治 32年 )10月31日 -従 五 位 [18] - 1904
年 (明治 37年 )7月 15日 -正 五 位 [19] - 1908
年 (明治 41年 )12月11日 -従 四 位 [20] - 1910
年 (明治 43年 )12月27日 -正 四 位 [21] - 1914
年 (大正 3年 )1月 20日 -従 三 位 [22] - 1917
年 (大正 6年 )2月 10日 -正 三 位 [23]
勲章 等
- 1894
年 (明治 27年 )11月24日 -勲 六 等 瑞宝章 [24] - 1895
年 (明治 28年 )9月27日 -単 光 旭日 章 ・功 四 級 金鵄勲章 [25] - 1899
年 (明治 32年 )11月10日 -勲 五 等 瑞宝章 [26] - 1901
年 (明治 34年 )11月1日 -功 三 級 金鵄勲章 、勲 三 等 旭日 中 綬章 [27] - 1905
年 (明治 38年 )11月30日 -勲 二 等 瑞宝章 [28] - 1906
年 (明治 39年 )4月 1日 -功 二 級 金鵄勲章 、旭日重光章 、明治 三 十 七 八 年 従軍 記章 [29] - 1912
年 (明治 45年 )5月24日 -勲一等 瑞宝章 [30] - 1915
年 (大正 4年 ) - 1916
年 (大正 5年 )7月 14日 -男爵 [33] - 1920
年 (大正 9年 )11月1日 -旭日 桐 花 大 綬章 ・大正 三 年 乃至 九 年 戦役 従軍 記章 [34] - 1923
年 (大正 12年 )1月 8日 -元帥 [35]
外国 勲章 佩用 允許
脚注
[- ^
和人 の定着 開基 百 年 上湧別 町 史 - ^
屯田 兵 村 を訪 ねて宮 良 高弘 、リベラル・アーツ :札幌大学 教養 部 教育 研究 ,2,32-41 (1990-01-15) - ^ 『
湧別 原野 開拓 の父 ・徳弘 正輝 の物語 』 えんがる歴史 物語 、遠軽 町 役場 経済 部 商工 観光 課 - ^ 『
伝蔵 と森 蔵 自由 民権 とアイヌ連帯 の記録 』小池 喜孝 、現代 史 出版 会 , 1976 、p57 - ^
島村 茂穂 『人事 興信録 』第 14版 上 - ^
島村 速雄 軍人 顕彰 会 、 - ^
島村 速雄 『人事 興信録 』第 4版 [大正 4(1915)年 1月 ] - ^
島村 初太郎 『人事 興信録 』第 14版 上 - ^
伯爵 令嬢 ・立花 文子 立花 家 史料 館 - ^
立花 氏 庭園 の歴史 御 花 - ^ 17
代 主 が語 る戦国 武将 立花 宗茂 公 の生涯 南田中 のまちを考 える会 、2015年 11月1日 - ^
糸島 人 ~千 鳥屋 糸島 別荘 原田 万 紗子 さん自家 栽培 の甘 夏 で作 ったジャムがマーマレード世界 大会 で銅賞 に!糸島 市役所 シティプロモーション、2019年 6月 25日 - ^ 『
官報 』第 183号 「叙任 」1884年 2月 12日 。 - ^ 『
官報 』第 705号 「叙任 」1885年 11月5日 。 - ^ 『
官報 』第 2207号 「叙任 及辞令 」1890年 11月6日 。 - ^ 『
官報 』第 3453号 「叙任 及辞令 」1895年 1月 4日 。 - ^ 『
官報 』第 4402号 「叙任 及辞令 」1898年 3月 9日 。 - ^ 『
官報 』第 4902号 「叙任 及辞令 」1899年 11月1日 。 - ^ 『
官報 』第 6315号 「叙任 及辞令 」1904年 7月 19日 。 - ^ 『
官報 』第 7640号 「叙任 及辞令 」1908年 12月12日 。 - ^ 『
官報 』第 8257号 「叙任 及辞令 」1910年 12月28日 。 - ^ 『
官報 』第 442号 「叙任 及辞令 」1914年 1月 21日 。 - ^ 『
官報 』第 1357号 「叙任 及辞令 」1917年 2月 12日 。 - ^ 『
官報 』第 3430号 「叙任 及辞令 」1894年 12月3日 。 - ^ 『
官報 』第 3676号 「叙任 及辞令 」1895年 9月 28日 。 - ^ 『
官報 』第 4910号 「叙任 及辞令 」1899年 11月11日 。 - ^ 『
官報 』第 5508号 「叙任 及辞令 」1901年 11月11日 。 - ^ 『
官報 』第 6727号 「叙任 及辞令 」1905年 12月1日 。 - ^ 『
官報 』号外 「叙任 及辞令 」1906年 12月30日 。 - ^ 『
官報 』第 8679号 「叙任 及辞令 」1912年 5月 27日 。 - ^ 『
官報 』第 1194号 「叙任 及辞令 」1916年 7月 24日 。 - ^ 『
官報 』第 1310号 ・付録 「辞令 」1916年 12月13日 。 - ^ 『
官報 』第 1187号 「叙任 及辞令 」1916年 7月 15日 。 - ^ 『
官報 』第 2612号 「叙任 及辞令 」1921年 4月 19日 。 - ^ 『
官報 』第 3129号 「叙任 及辞令 」1923年 1月 9日 。 - ^ a b c 『
官報 』第 8558号 「叙任 及辞令 」1911年 12月28日 。
参考 文献
[中村 彰彦 『海 将 伝 』(角川書店 、1996年 )
島村 速雄 を演 じた俳優
[1916 |