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平井章
平井 章(ひらい あきら、1899年(明治32年)1月21日[1] - 1970年(昭和45年)8月2日[2])は、日本の内務・厚生官僚。官選県知事。
愛知県出身。平井由次郎の三男として生まれる[1]。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる[1][3]。
以後、地方警視、健康保険署事務官、内務省社会局事務官、長崎県書記官・経済部長、厚生省保険院社会保険局長などを歴任し、1942年、厚生省保険局長に就任。
1944年8月、石川県知事に就任し、終戦を迎えた[1]。1945年10月に熊本県知事に転じ、戦後の復興に尽力。1946年1月、公職追放となり退官した[3][4]。
追放解除後は1953年の総選挙で郷里の愛知2区(当時)から出馬するものの落選に終わり、石川製作所取締役[1]、東京厚生年金会館長[2]を務めた。
- ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』462頁。
- ^ a b 『朝日新聞』(東京本社発行)1970年8月3日夕刊、9面の訃報より。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』242頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』1049頁。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。