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日高ひだかつよし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日高ひだか つよし
阪神はんしんタイガース ぐんバッテリーコーチ補佐ほさ #84
阪神はんしんタイガース現役げんえき時代じだい
(2013ねん6がつ5にち阪神はんしん鳴尾浜なるおはま球場きゅうじょう
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう小倉北こくらきた
生年月日せいねんがっぴ (1977-08-15) 1977ねん8がつ15にち(47さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
182 cm
79 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうひだり
ポジション 捕手ほしゅ
プロ 1995ねん ドラフト3
はつ出場しゅつじょう 1998ねん4がつ16にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2014ねん6がつ6にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
コーチれき

日高ひだか つよし(ひだか たけし、1977ねん8がつ15にち - )は、福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう小倉北こくらきた出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ捕手ほしゅ)。みぎとうひだり

2019ねんより阪神はんしんタイガースのファームコーチつとめる。[1]

経歴けいれき

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プロまえ

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ソフトボールからだおおきいからと捕手ほしゅつとめてから、一貫いっかんして捕手ほしゅとして活動かつどうした[2]

九州国際大きゅうしゅうこくさいだいづけ高校こうこうでは2ねんつぎ捕手ほしゅ、4ばん打者だしゃとして1994ねんなつ甲子園こうしえんけん予選よせん決勝けっしょう進出しんしゅつするが、九州きゅうしゅうこう敗退はいたいし、翌年よくねんけん予選よせんやぶれ、甲子園こうしえんには出場しゅつじょうできなかった。

1995ねんのプロ野球やきゅうドラフト会議かいぎで、オリックス・ブルーウェーブから3指名しめい入団にゅうだんした。

オリックス時代じだい

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3ねん1998ねん中嶋なかじまさとし西武せいぶライオンズFA移籍いせきし、三輪みわたかしプロ野球やきゅう脱税だつぜい事件じけんにより出場しゅつじょう停止ていしというチーム状況じょうきょうともな一軍いちぐん昇格しょうかく。その三輪みわ復帰ふっきまでのせい捕手ほしゅ期待きたいされた高田たかだまこと打撃だげき不振ふしんもあり、それまで一軍いちぐん出場しゅつじょうは1試合しあいもなかったが強肩きょうけんとパンチりょくのある打撃だげき武器ぶきせい捕手ほしゅとなった。しかし、打撃だげきはパンチりょくがある一方いっぽう確実かくじつせいけ、常時じょうじバスターほうをするなど試行錯誤しこうさくごをしたが2わり前後ぜんこうてい打率だりつつづいた。

2001ねん打率だりつ.247をのこし、打撃だげきめん向上こうじょうせた。

2002ねん打率だりつ.193に低下ていかしたがはつの2けたとなる12本塁打ほんるいだはなち、チーム唯一ゆいいつ長打ちょうだちからがある日本人にっぽんじん選手せんしゅという信頼しんらいた。

2003ねんはじめて打率だりつ.250をえ、よくシーズンの2004ねん後半こうはんせん打撃だげき好調こうちょう自己じこ最高さいこう打率だりつ.275をのこしたが、この2年間ねんかん投手とうしゅじん崩壊ほうかいし、とくに2003ねんにはチームがプロ野球やきゅう史上しじょう最低さいていのチーム防御ぼうぎょりつ5.95、シーズン927失点しってん記録きろくするなど、せい捕手ほしゅとしてはい球面きゅうめんでの責任せきにんわれた。このとしのシーズンオフには大阪おおさか近鉄きんてつバファローズとの球団きゅうだん合併がっぺいともなしん球団きゅうだん東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルスとの分配ぶんぱいドラフトをつづきオリックスと契約けいやく

2005ねん開幕かいまくせんで6かいひょう松坂まつさか大輔だいすけからチームはつ安打あんだとなる二塁打にるいだはなち、オリックス・バファローズとしてのはつ安打あんだ記録きろくした。ライバルとしてきゅう大阪おおさか近鉄きんてつバファローズのせい捕手ほしゅであったいくわさん哲也てつや移籍いせきしてきたがせい捕手ほしゅゆずらず、強力きょうりょくになったリリーフじん守備しゅびめんでの信頼しんらい回復かいふくした。シーズンでの打率だりつは.217、本塁打ほんるいだは1ほんのみと打撃だげき成績せいせきとした。

2006ねん先発せんぱつ出場しゅつじょうはじめて100試合しあいえ、4わり以上いじょう盗塁とうるい阻止そしりつ記録きろくした。同年どうねんFAけん取得しゅとくし、オフにFA宣言せんげん地元じもと球団きゅうだんであり当時とうじ捕手ほしゅ選手せんしゅそううすかった福岡ふくおかソフトバンクホークスひか捕手ほしゅ不安ふあんのある読売よみうりジャイアンツ獲得かくとくうごくのではないかとうわさされたが、球団きゅうだんからのオファーはなくオリックスに残留ざんりゅうした。

2007ねんは、しん監督かんとくテリー・コリンズのシーズン当初とうしょ構想こうそうからはずれ、自身じしん打撃だげき不振ふしんで9がつまつにやっと2わりだいせるほどのてい打率だりつわった。

2008ねん前半ぜんはんせんは3わりちか打率だりつ維持いじし、5月25にち横浜よこはませんでは1試合しあい5安打あんだ記録きろく同年どうねんのオールスターにも出場しゅつじょうだい2せんマーク・クルーンげた161km/hの速球そっきゅう右中間うちゅうかんスタンドにはこ本塁打ほんるいだはなった。自己じこ最多さいたの134試合しあい出場しゅつじょうし、プロ13ねんはつ規定きてい打席だせき到達とうたつとなったほか、6ねんぶりの2けた本塁打ほんるいだとなる自己じこ最多さいたの13本塁打ほんるいだ打率だりつ.269、チームトップの18犠打ぎだ自己じこ最高さいこう打撃だげき成績せいせき記録きろくした。一方いっぽうで、捕手ほしゅとしてリーグワーストの6失策しっさく盗塁とうるい阻止そしりつ規定きてい試合しあいすう到達とうたつした捕手ほしゅなかではりょうリーグつうじて最低さいていの.221にわった。

2009ねん前任ぜんにん北川きたがわ博敏ひろとしから指名しめい選手せんしゅ会長かいちょう就任しゅうにんし、4がつ23にち西武せいぶせんでは9かいうら大沼おおぬま幸二こうじから自身じしんはつとなるサヨナラ本塁打ほんるいだはなつ(エイとったらピョーンとはいったとコメント。またこのは、チーム13ねんぶりのトリプルプレーも達成たっせいしている)[3]。4月は勝負しょうぶつよさを発揮はっきするとう打撃だげき好調こうちょうだったが、5がつ中旬ちゅうじゅんからは一転いってんし、せい捕手ほしゅとしてはチームの深刻しんこくとう壊を阻止そしできずにチーム防御ぼうぎょりつ悪化あっかさらに7がつ7にちみぎふとももうらつう登録とうろく抹消まっしょう[4]。8月23にち復帰ふっきするも復調ふくちょうせず、2000ねんからつづけてきた100試合しあい出場しゅつじょうもこのとし途切とぎれた。

2010ねんは、せい捕手ほしゅとして開幕かいまくダッシュに貢献こうけんするも、このとし監督かんとく就任しゅうにんした岡田おかだ彰布あきのぶからはい球面きゅうめん酷評こくひょうされることがおおく、開幕かいまく25試合しあいとなった4がつ23にち日本にほんハムせんで、シーズン15度目どめの2けた安打あんだとなる13安打あんだ11失点しってん記録きろくし、翌日よくじつはやくもぐん降格こうかくとなった[5]。6月30にち楽天らくてんせんで、9かいうら川岸かわぎしつよしから逆転ぎゃくてんサヨナラ2ランをはなったものの[6]ふたたはい球面きゅうめん岡田おかだから不興ふきょう場面ばめんおおくなり、7がつ18にちぐん降格こうかく[7]。3ぐん降格こうかくもあって79試合しあい出場しゅつじょうとどまった。一方いっぽう打撃だげきでは打率だりつ.279、6本塁打ほんるいだという成績せいせきのこした。

2011ねん伊藤いとうひかり鈴木すずきいくようおも先発せんぱつマスクとして起用きようされ、だいさん捕手ほしゅもロッテから移籍いせきした齋藤さいとう俊雄としおうばわれたため、捕手ほしゅとしての出場しゅつじょうは5試合しあい先発せんぱつマスクをかぶったのは4がつ14にちのソフトバンクせんのみであった。打撃だげきだいスランプにおちいり1998ねん一軍いちぐん定着ていちゃく以降いこうでは自己じこ最少さいしょうの26試合しあい出場しゅつじょうで、わずか3安打あんだ打率だりつ.068にわりぐんでも打率だりつ.182、2本塁打ほんるいだわった。

2012ねん開幕かいまくぐんスタートとなり、5月2にち一軍いちぐん登録とうろくされるも、代打だいだ指名しめい打者だしゃとしての出場しゅつじょうがほとんどだった。5月25にち広島ひろしませんで、1てんう9かいうら一死いっし代打だいだとして出場しゅつじょうすると、デニス・サファテから2ねんぶりの本塁打ほんるいだとなる同点どうてんソロ本塁打ほんるいだはなち、チームのサヨナラちにおおきく貢献こうけんした。6月2にち巨人きょじんせんでは、4ねんぶりの三塁打さんるいだとなる適時てきじ三塁打さんるいだはなったが、その打撃だげき不振ふしんおちいり、打率だりつを1わりだいにまでんだことで6がつ26にち登録とうろく抹消まっしょうされた。8月21にちに、まえ試合しあい投手とうしゅじん崩壊ほうかいまねいた責任せきにん同時どうじぐん降格こうかくとなった伊藤いとう斉藤さいとうわりで、横山よこやま徹也てつやとも昇格しょうかくし、8がつ23にち試合しあいでシーズンではじめて先発せんぱつマスクをこうむると、8がつ26にち西武せいぶせんでは途中とちゅう加入かにゅうアレッサンドロ・マエストリ来日らいにちはつ完投かんとう勝利しょうり、9月5にちのロッテせんでは前田まえだ祐二ゆうじのプロはつ先発せんぱつはつ勝利しょうりみちびひとし随所ずいしょこうリードをせた。最終さいしゅうてきには54試合しあい出場しゅつじょうし、打率だりつは1わりだいから.239になおすなどせい捕手ほしゅ奪還だっかんあしがかりとなった。

同年どうねんオフ、海外かいがいFAけん行使こうし。11月27にち阪神はんしんタイガース移籍いせきした[8]

阪神はんしん時代じだい

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2013ねんは、開幕かいまくから一軍いちぐん登録とうろくされると、打力だりょくかすべくひだり代打だいだ起用きようされたほか、このとしから先発せんぱつ投手とうしゅ転向てんこうした榎田えのきだ大樹だいき登板とうばんする試合しあい中心ちゅうしんに、先発せんぱつマスクをまかされていた。しかし7がつ6にちたい広島ひろしませんマツダスタジアム)6かいひょう守備しゅびちゅうに、三塁さんるいがわのファウルゾーンにがったフレッド・ルイス飛球ひきゅう追跡ついせきちゅうに、三塁手さんるいしゅ新井あらい良太りょうた激突げきとつしたため交代こうたい激突げきとつ影響えいきょうひだり大腿だいたいよんとうすじ損傷そんしょうしたため、翌日よくじつから戦線せんせん離脱りだつし、およそ2かげつにわたって治療ちりょうとリハビリに専念せんねんした。一軍いちぐん44試合しあい出場しゅつじょうわったが、このシーズンで、NPB通算つうさん打率だりつランキングの対象たいしょうとなる4000打数だすう到達とうたつした。

2014ねんは、横浜よこはまDeNAベイスターズから移籍いせきしたベテラン捕手ほしゅ鶴岡つるおか一成いっせいや、新人しんじん捕手ほしゅ梅野うめの隆太郎りゅうたろう台頭たいとう一軍いちぐん公式こうしきせんへの出場しゅつじょう機会きかい激減げきげんし、10月3にち現役げんえき引退いんたい発表はっぴょうした[9]。11月6にちづけ任意にんい引退いんたい選手せんしゅとして公示こうじされた[10]

現役げんえき引退いんたい

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引退いんたい球団きゅうだんのこり、2014ねん12月26にちづけ球団きゅうだん本部ほんぶ編成へんせい配属はいぞくされ、のプロ野球やきゅう球団きゅうだん所属しょぞく選手せんしゅ調査ちょうさする「プロスカウト」として活動かつどうした[11]

2017ねん企画きかく担当たんとう異動いどう[12]

阪神球団はんしんきゅうだんが「トラックマン投球とうきゅう打球だきゅう軌道きどう測定そくていする機器きき)」を導入どうにゅうした2018ねんシーズンからは、テクニカルアドバイザーをつとめる和田わだゆたからとともに、トラックマンで計測けいそくされたデータの分析ぶんせきになった[13]

2019ねん分析ぶんせきチームでの執務しつむ経験けいけん評価ひょうかされ、ファーム育成いくせいけん分析ぶんせき担当たんとうコーチに抜擢ばってき[14]背番号せばんごうは84[15]

トラックマンをもちいて分析ぶんせきおこな日高ひだかコーチ

2020ねん、ファーム打撃だげきけん分析ぶんせき担当たんとうコーチへ配置はいち転換てんかん[16]現在げんざいいたる。

選手せんしゅとしての特徴とくちょう

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パンチりょくめた打撃だげき強肩きょうけん魅力みりょく捕手ほしゅ[17]打撃だげきではてい打率だりつにあえぐシーズンもおおく、2002ねんには確実かくじつせいもとめてバスターほう挑戦ちょうせんすることもあった[17]。オリックス時代じだいながらくせい捕手ほしゅとして活躍かつやく[17]阪神はんしん時代じだいおも代打だいだ榎田えのきだ大樹だいき専属せんぞく捕手ほしゅつとめた[17]

打撃だげきりょくひくいといってもそれはあくまで2000年代ねんだい打撃だげきがた捕手ほしゅ時代じだいにおいてのことである。たとえば規定きてい打席だせき到達とうたつした2008ねん打率だりつ本塁打ほんるいだ当時とうじとしては「てない捕手ほしゅ」の打撃だげき成績せいせきとされたが、2020年代ねんだいの「てない捕手ほしゅ」とくらべれば十分じゅうぶんたか成績せいせきである[18]

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき

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とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
1998 オリックス 78 197 180 16 41 10 0 2 57 14 1 1 5 0 11 0 1 42 3 .228 .276 .317 .593
1999 96 267 239 22 44 12 0 3 65 31 0 1 9 3 13 0 3 50 3 .184 .233 .272 .505
2000 101 307 256 31 52 9 0 6 79 34 1 1 11 2 35 0 3 34 6 .203 .304 .309 .613
2001 129 420 376 33 93 15 3 8 138 37 1 2 16 2 22 0 4 63 6 .247 .295 .367 .662
2002 124 377 336 34 65 14 2 12 119 36 1 0 9 0 29 2 3 65 7 .193 .264 .354 .618
2003 118 355 321 29 86 14 2 9 131 37 0 1 10 3 16 0 5 69 3 .268 .310 .408 .718
2004 114 375 324 42 89 18 2 5 126 38 0 2 16 4 29 2 2 43 9 .275 .334 .389 .723
2005 103 297 253 20 55 17 0 1 75 31 1 1 19 2 23 2 0 51 4 .217 .281 .296 .577
2006 115 349 304 23 73 11 0 1 87 29 3 0 11 2 28 0 4 53 8 .240 .311 .286 .597
2007 109 282 253 19 51 15 0 5 81 25 0 0 14 3 10 1 2 43 7 .202 .235 .320 .555
2008 134 474 417 44 112 27 1 13 180 47 1 4 18 3 28 3 8 67 11 .269 .325 .432 .756
2009 93 315 295 22 75 15 0 5 105 34 1 2 2 2 13 0 3 36 12 .254 .291 .356 .647
2010 79 243 219 18 61 9 0 6 88 24 0 0 4 1 18 1 1 25 8 .279 .335 .402 .737
2011 26 50 44 1 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 5 0 1 12 1 .068 .180 .091 .271
2012 52 122 117 4 28 5 1 1 38 8 0 0 1 1 3 0 0 33 1 .239 .256 .325 .581
2013 阪神はんしん 44 100 97 9 28 3 0 2 37 7 1 0 0 0 2 0 1 16 0 .289 .310 .381 .691
2014 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 --- --- --- ---
通算つうさん:17ねん 1517 4530 4031 367 956 195 11 79 1410 434 11 15 145 28 285 11 41 702 89 .237 .292 .350 .642

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき

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とし
たま
だん
捕手ほしゅ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ


いっ
もり

りつ
くわだて

かず
もと
ぬすめ
るい
ぬすめ
るい
とげ

とめ
りつ
1998 オリックス 76 317 38 3 5 6 .992 47 31 16 .340
1999 94 404 71 6 11 1 .988 82 54 28 .341
2000 101 533 48 2 10 6 .997 64 42 22 .344
2001 127 822 65 9 10 7 .990 94 65 29 .309
2002 110 658 53 1 11 4 .999 64 40 24 .375
2003 108 649 64 4 16 4 .994 111 78 33 .297
2004 113 643 60 3 17 3 .996 73 46 27 .370
2005 103 556 32 4 9 1 .993 53 38 15 .283
2006 112 525 54 4 7 0 .993 64 38 26 .406
2007 107 561 51 1 4 1 .998 78 52 26 .333
2008 129 782 57 6 5 2 .993 86 67 19 .221
2009 87 523 37 2 6 1 .996 60 46 14 .233
2010 73 441 34 2 1 1 .996 64 48 16 .250
2011 5 12 2 0 0 0 1.000 2 2 0 .000
2012 31 166 15 0 4 0 1.000 27 20 7 .259
2013 阪神はんしん 36 147 14 0 4 0 1.000 13 10 3 .231
2014 2 4 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
通算つうさん 1414 7743 695 47 120 37 .994 983 678 305 .310

記録きろく

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はつ記録きろく
節目ふしめ記録きろく
その記録きろく
  • 開幕かいまくせん代打だいだ本塁打ほんるいだ:2003ねん3がつ28にちたい大阪おおさか近鉄きんてつバファローズ1回戦かいせん大阪おおさかドーム)、5かいひょう三輪みわたかし代打だいだ出場しゅつじょうジェレミー・パウエルからみぎえつソロ ※史上しじょう16にん(パ・リーグ10にん
  • オールスターゲーム出場しゅつじょう:5かい(2000ねん - 2002ねん、2006ねん、2008ねん

背番号せばんごう

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  • 47(1996ねん - 2003ねん
  • 7(2004ねん
  • 27(2005ねん - 2012ねん
  • 37(2013ねん - 2014ねん
  • 84(2019ねん - )

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日高ひだかつよしファーム育成いくせいけん分析ぶんせき担当たんとうコーチ就任しゅうにん会見かいけん”. 阪神はんしんタイガース. 2022ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ 現役げんえきみなさんにきました キャッチャーの魅力みりょくおしえてください」 『週刊しゅうかんベースボール』2009ねん6がつ1にちごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2009ねん雑誌ざっし20441-6/1、20-21ぺーじ
  3. ^ 日高ひだか「エイッ」と人生じんせいはつサヨナラだん!”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009ねん4がつ24にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/04/24/kiji/K20090424Z00001580.html 2013ねん5がつ1にち閲覧えつらん 
  4. ^ “オリックスいたい…にちだか抹消まっしょう「オールスターけには…」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009ねん7がつ7にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/07/07/kiji/K20090707Z00000770.html 2013ねん5がつ1にち閲覧えつらん 
  5. ^ Bs岡田おかだ監督かんとくたれぎ」11失点しってんにちだかぐん”. スポニチ Sponichi Annex 大阪おおさか (2010ねん4がつ23にち). 2010ねん4がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  6. ^ 監督かんとくまかせてくれた オリックス された女房にょうぼう 逆転ぎゃくてんサヨナラだん. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010ねん7がつ1にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/07/01/kiji/K20100701Z00002510.html 2013ねん5がつ1にち閲覧えつらん 
  7. ^ Bs小松こまつ炎上えんじょうかい失点しってんにちだか度目どめの2ぐん降格こうかく”. スポニチ Sponichi Annex 大阪おおさか (2010ねん7がつ18にち). 2010ねん7がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  8. ^ “【阪神はんしん】FAにちだか入団にゅうだん会見かいけん 背番号せばんごう37”. 日刊にっかんスポーツ. (2012ねん11月27にち). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121127-1052482.html 2013ねん7がつ15にち閲覧えつらん 
  9. ^ 日高ひだかつよし選手せんしゅ現役げんえき引退いんたい発表はっぴょう球団きゅうだん公式こうしきサイト2014ねん10がつ3にち配信はいしん
  10. ^ 2014年度ねんど 任意にんい引退いんたい選手せんしゅ 日本にっぽん野球やきゅう機構きこうオフィシャルサイト 2014ねん11月6にち閲覧えつらん
  11. ^ 日高ひだかプロスカウト、久保田くぼた打撃だげき投手とうしゅ 日刊にっかんスポーツ、2014ねん12月26にち閲覧えつらん
  12. ^ 阪神はんしん日高ひだかつよしぐんコーチが就任しゅうにん会見かいけんいまはワクワク」 - プロ野球やきゅう : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com. 2022ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  13. ^ 阪神はんしん和田わだTAトラックマンチーム加入かにゅう すぐれた分析ぶんせきりょく”. 日刊にっかんスポーツ (2017ねん11月23にち). 2017ねん11月23にち閲覧えつらん
  14. ^ 阪神はんしん 来季らいき1、2ぐんコーチングスタッフ発表はっぴょう 2ぐんコーチに日高ひだかつよししん加入かにゅう”. スポーツニッポン (2018ねん10がつ22にち). 2018ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  15. ^ 日高ひだかつよしファーム育成いくせいけん分析ぶんせき担当たんとうコーチ就任しゅうにん会見かいけん”. 阪神はんしんタイガース球団きゅうだんHP (2018ねん10がつ22にち). 2018ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  16. ^ 2020年度ねんど 監督かんとく・コーチについて”. 阪神はんしんタイガース球団きゅうだんHP (2019ねん11月19にち). 2019ねん11月19にち閲覧えつらん
  17. ^ a b c d 日高ひだかつよし”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2021ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  18. ^ 【なぜてないの?】"てるキャッチャーがすくない問題もんだい"にさとさきむ!! Satozaki Channel 2023/06/04 (2023ねん6がつ4にち閲覧えつらん)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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