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比較ひかく言語げんごがく

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比較ひかく言語げんごがく(ひかくげんごがく、英語えいご: comparative linguistics)とは、言語げんごがく歴史れきし言語げんごがく)のいち分野ぶんやであり、おやえん関係かんけい同系どうけいせい推定すいていされるもろ言語げんご比較ひかくすることにより、同系どうけいせいしんえんせい語族ごぞくかたり)を見出みいだしたり、あるいは共通きょうつう祖語そごさい構したりしようとする学問がくもん

インドからヨーロッパ言語げんごをまとめた「インド・ヨーロッパ語族ごぞく」(印欧語いんおうごぞく)にかんするものが代表だいひょうてき

一方いっぽう歴史れきしてき関係かんけい解明かいめい目的もくてきとせず、複数ふくすう言語げんご比較ひかくする研究けんきゅう対照たいしょう言語げんごがくばれ区別くべつされる。

方法ほうほう概要がいよう[編集へんしゅう]

  • 基本きほんてきには音韻おんいん体系たいけい言語げんご形態けいたい統語とうごろん語彙ごいなど、さまざまな要素ようそ複数ふくすう言語げんごあいだ比較ひかく分析ぶんせきする。言語げんごはつねに変化へんかしていくもので、とりわけ語彙ごいかく時代じだい造語ぞうご流行りゅうこう変化へんかによっておおきくわることがある。しかし、音韻おんいん体系たいけい統語とうごろんなど、言語げんご構造こうぞうかんする次元じげん変化へんかしにくく、変化へんかがある場合ばあい法則ほうそく見出みいだすことが可能かのうである。そのため、方法ほうほうろんてきには、音声おんせいがくもとづいた音韻おんいん対応たいおう分析ぶんせき有意ゆうい手続てつづきとしてもちいられる。
  • 比較ひかく方法ほうほうとは、同系どうけい関係かんけいにある言語げんごあいだ維持いじされた「どうみなもとcognate word)」をわせそこになんらかの対応たいおう関係かんけい規則きそく見出みいだし、それにもとづいて「祖語そごがたproto-form)」をさい構する手続てつづきのことである[1]
  • 比較ひかく言語げんごがく手法しゅほうは、同系どうけいせい前提ぜんていとされるかぎり、どのような言語げんごにも適応てきおうできる。たとえば、文献ぶんけん資料しりょうのないオーストロネシア語族ごぞくにも使つかわれ、すうおおくの成果せいかをあげている。
  • しるしおう比較ひかく言語げんごがく伝統でんとう依拠いきょするあまり、音韻おんいん対応たいおう見出みだせない言語げんごあいだ研究けんきゅうみとめられない傾向けいこうがある。だが、音韻おんいん対応たいおう以外いがいにも、言語げんご比較ひかく可能かのう方法ほうほうろん構築こうちく必須ひっすである。
  • 一般いっぱん普及ふきゅうしている言語げんご分類ぶんるい一覧いちらんも、比較ひかく言語げんごがく成果せいかをまとめたものである。
  • なお、語族ごぞく人種じんしゅかならずしも一致いっちしないが、Y染色せんしょくたいハプログループ遺伝子いでんしとのあいだにはある程度ていど相関そうかんみとめられる。

批判ひはん現在げんざい状況じょうきょう[編集へんしゅう]

しるしおう比較ひかく言語げんごがくへの批判ひはんとしてはフーゴ・シューハルト(1842-1927)の批判ひはんがある[2]。そもそも比較ひかく言語げんごがく研究けんきゅう方法ほうほう可能かのうであったのは、比較ひかく対象たいしょうであるそれぞれの言語げんご相互そうご比較ひかくできるほどの類似るいじてんそなえかつ独自どくじ構造こうぞうっていて、さらにそれらがほかの言語げんごじりうことなく、固有こゆう発展はってんてきたという前提ぜんていつからである。しかし言語げんご相互そうご影響えいきょうしあったりじりうという合成ごうせいぶつであるとしたら、この方法ほうほう成立せいりつしない。シューハルトは比較ひかく言語げんごがく静態せいたいてき前提ぜんていでなく、言語げんご変化へんかする動態どうたいてき存在そんざいであるとして、クレオール言語げんごがくへのみちひらいた。

むろんこうした批判ひはんをもって比較ひかく言語げんごがく無効むこうとするのは不当ふとうであり、比較ひかく言語げんごがくがこれまでに言語げんご研究けんきゅう深化しんかさせたことはいなめない。シューハルトとは直接的ちょくせつてき関係かんけいはないものの、20世紀せいき言語げんご研究けんきゅうにおいて、たとえばノーム・チョムスキーなま成文法せいぶんほうろんローマン・ヤコブソンクロード・レヴィ=ストロース構造こうぞう主義しゅぎ理論りろんてき進展しんてんによって、言語げんご構造こうぞう内在ないざいてき分析ぶんせき重視じゅうしされ、比較ひかく言語げんごがく旧態きゅうたいとして批判ひはんてき受容じゅようされたこともあった。

また、少数しょうすう言語げんご滅亡めつぼうしていくなか、フィールドワーク現地げんち調査ちょうさ優先ゆうせんされ、比較ひかく言語げんごがくてき系統けいとうろんはこれまで軽視けいしされることもあった。

たとえば「アルタイ言語げんごがく」などの日本語にほんご系統けいとうろん戦前せんぜん政治せいじてき背景はいけい想起そうきさせるため戦後せんご忌避きひされる傾向けいこうつよく、現在げんざいにいたっている。しかしアメリカロシア言語げんごがくではアルタイ諸語しょご比較ひかく研究けんきゅう現在げんざいでも継続けいぞくされている。

比較ひかく言語げんごがく歴史れきし[編集へんしゅう]

以下いか西欧せいおうにおける比較ひかく言語げんごがくについて記述きじゅつする。日本にっぽんにおける比較ひかく言語げんごがくについては項目こうもく日本語にほんご起源きげんなどを参照さんしょう

ウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)
比較ひかく言語げんごがくはウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)が嚆矢こうしとされる。ジョーンズはインド判事はんじとして赴任ふにんするなか、1786ねん「On the Hindu's」においてサンスクリット古典こてんギリシャラテン語らてんご共通きょうつう起源きげんゆうする可能かのうせいがあることを指摘してきした。当時とうじインドはムスリムのムガルあさであり、公用こうようペルシアだった。ジョーンズはペルシアかいさずに直接ちょくせつサンスクリット研究けんきゅうはじめた。すると、two(En.)-duo(Gr.)-dvi(サンスクリット)、me(En.)-me(Gr.)-mam(サンスクリット)など語彙ごいだけでなくかく変化へんかにおいても対応たいおう関係かんけいられた。
ヤーコプ・グリム(1785-1863)
ヤーコプ・グリム(1785-1863)は1822ねん『Deutsche Grammatik』のなかでゲルマンにおける子音しいん推移すいいしるしおう祖語そごからゲルマン祖語そごへの分化ぶんか過程かていきた音韻おんいん変化へんか)の法則ほうそくである「だいいち音声おんせい推移すいい Erste Lautverschiebung」について記述きじゅつした。ゆう声帯せいたいおんからゆうごえ破裂はれつおんへの変化へんか(bh → b:Bruder [どく], brother [えい]など)、ゆうごえ破裂はれつおんから無声むせい破裂はれつおんへの変化へんか(d → z/ts/ - t:duo [ラ] と zwei [どく], two [えい]など)、無声むせい破裂はれつおんから無声むせい摩擦音まさつおんおびおん)への変化へんか(p → f:pater [ラ] と Vater [どく], father [えい]など)などがそれであるがこれはのちグリムの法則ほうそくともばれる。またグリムは『ドイツ神話しんわがく』(1835)も著述ちょじゅつし、比較ひかく言語げんごがく比較ひかく神話しんわがくとは初期しょきより連携れんけいしながら展開てんかいしてきた。
ラスムス・ラスク(1787-1832)
デンマークのラスムス・ラスクは、アイスランド、ゲルマン、ギリシアラテン語らてんご子音しいん法則ほうそくいだし「古代こだいノルドすなわちアイスランド起原きげんかんする研究けんきゅう」(1818)を発表はっぴょうした。
フランツ・ボップ(1791-1867)
ボップはペルシャやサンスクリットをまな1816ねん「ギリシヤ・ラテン・ペルシャ・ゲルマン動詞どうし変化へんかとの比較ひかくにおけるサンスクリットの動詞どうし変化へんか組織そしきについて」を発表はっぴょうした。
フリードリヒ・マックス・ミュラー(1823-1900)
マックス・ミュラーはボップやウジェーヌ・ビュルヌフしたでサンスクリットをまなび、『リグ・ヴェーダ』の校訂こうてい翻訳ほんやくなどをおこなった。
ミシェル・ブレアル(1832-1915)
ミシェル・ブレアルは比較ひかく言語げんごがく以外いがいにも意味いみろん構築こうちくした。1881ねん、ブレアルの講義こうぎ聴講ちょうこうしにたソシュールをみとめ、パリ大学だいがくでの講師こうし斡旋あっせんする。またアントワーヌ・メイエ(1866-1936)をそだてた。ほかブレアルの神話しんわがく研究けんきゅうデュメジルにも影響えいきょうあたえた。
フェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)
ソシュールは一般いっぱん言語げんごがく有名ゆうめいだが、1878ねん論文ろんぶん『インド・ヨーロッパにおける原始げんしてき母音ぼいん体系たいけいについてのおぼき』を発表はっぴょう。これはしるしおう祖語そご母音ぼいん体系たいけいあきらかにしようとしたものである。この論文ろんぶんにおいて提出ていしゅつされた喉頭こうとうおん仮説かせつが、のちにヒッタイト解読かいどくによって実証じっしょうされ、20世紀せいきしるしおう祖語そご研究けんきゅうおおきな影響えいきょうあたえることになる。
アントワーヌ・メイエ(1866-1936)
メイエはアルメニア専攻せんこうし、1905ねんからはコレージュ・ド・フランスの比較ひかく言語げんごがく教授きょうじゅ弟子でしにバンヴェニストとデュメジルがいる。
エミール・バンヴェニスト(1902-1976)
バンヴェニストは理論りろん言語げんごがくやソグド文書ぶんしょ・バクトリア碑文ひぶん解読かいどくなどでもしゅうれた業績ぎょうせきげた。その集大成しゅうたいせいである『インド=ヨーロッパしょ制度せいど語彙ごいしゅう』(1969)では、人類じんるいがく考古学こうこがく民族みんぞくがく民俗みんぞくがくてき観点かんてんから古代こだいイラン・ギリシア古代こだいゲルマンゴート・サンスクリット古代こだいスラブトカラ・ヒッタイト古代こだいアイルランドそのわたって膨大ぼうだい言語げんごてき事実じじつをまとめた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 松本まつもと克己かつみ世界せかい言語げんごのなかの日本語にほんご三省堂さんせいどう2007,p.7.
  2. ^ 田中たなか克彦かつひこ『クレオール日本語にほんご岩波書店いわなみしょてん1999,pp.5-9.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]