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渡良瀬川わたらせがわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡良瀬川わたらせがわ
渡良瀬川 2007年3月28日撮影
にしきさくらきょう付近ふきん桐生きりゅう
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 利根川とねがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 107.6[1] km
平均へいきん流量りゅうりょう -- m3/s
流域りゅういき面積めんせき 2,621 km2
水源すいげん 皇海山すかいさん日光にっこう
水源すいげん標高ひょうこう 2,144 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 利根川とねがわ古河ふるかわ/加須かぞ
流域りゅういき 栃木とちぎけん群馬ぐんまけん茨城いばらきけん埼玉さいたまけん
地図
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渡良瀬川わたらせがわ(わたらせがわ)は、北関東きたかんとうながれる利根川とねがわ水系すいけい利根川とねがわ支流しりゅう一級いっきゅう河川かせんである。りゅう延長えんちょう107.6kmは利根川とねがわ支流しりゅうちゅうで、鬼怒川きぬがわ小貝川こかいがわいでだい3ながさをつ。流域りゅういき面積めんせき2,621km2利根川とねがわ支流しりゅうちゅうでは最大さいだいである。

地理ちり

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栃木とちぎけん日光にっこう群馬ぐんまけん沼田ぬまたとのさかいにある皇海山すかいさん(すかいさん)にみなもとはっし、足尾あしお山塊さんかいみずあつ草木くさきダム南西なんせいながれる。群馬ぐんまけんみどり大間々おおまままち)で平野へいやて、南東なんとうきゅうきをえ、桐生きりゅうから足利あしかが太田おおた佐野さの館林たてばやしなど、おおむね群馬ぐんま栃木とちぎ県境けんきょう付近ふきん両毛りょうけ地域ちいき)を東南東とうなんとうながれる。

栃木とちぎけん栃木とちぎ藤岡ふじおか地域ちいき明治めいじ大正たいしょう開削かいさくされたひろしせき台地だいち藤岡ふじおか台地だいち)をひがしけたのちみなみきをえ、わたりりょう遊水地ゆうすいちはいともえ波川はかわ(うずまがわ)、思川おもいがわあわせる。茨城いばらきけん埼玉さいたまけん県境けんきょうみなみながれ、茨城いばらきけん古河ふるかわ埼玉さいたまけん加須かぞ境界きょうかい利根川とねがわ合流ごうりゅうする。

一般いっぱんてき日光にっこう足尾あしお地区ちくわたりりょうにある神子かみこ内川うちかわとの合流ごうりゅうから下流かりゅう渡良瀬川わたらせがわであり、これより上流じょうりゅう松木川まつぎがわ(まつきがわ)とけられている。なお国土こくど交通省こうつうしょうでは、足尾あしおダムから神子みこ内川うちかわまでの合流ごうりゅう部分ぶぶんふくめて渡良瀬川わたらせがわさだめている。また、足尾あしおダムよりも上流じょうりゅう松木川まつぎがわ渡良瀬川わたらせがわぶことがある。

名称めいしょう由来ゆらい

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上流じょうりゅうにある足尾あしおまち渡良わたらという地名ちめい由来ゆらいする[2]伝承でんしょうによれば、この地名ちめい日光にっこう開山かいさんしたかちどう上人しょうにんによる命名めいめいである。かちどう上人しょうにんかわわたろうとしたところ、わたるのにちょうど浅瀬あさせがあったのでその場所ばしょ渡良わたらづけたという。

歴史れきし

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およそ5まんねんまえまでのりゅうは、関東平野かんとうへいや大間々おおまままち(2006ねんからみどり付近ふきんからみなみきに深谷ふかや方向ほうこうながれ、利根川とねがわ合流ごうりゅうした[3]大間々おおまままちおうぎいただきとする大間々おおまま扇状地せんじょうち形成けいせいした。

その渡良瀬川わたらせがわひがしきへながれえ、東京とうきょうわんみなみりゅうする思川おもいがわかわどうかった。すなわち現在げんざい桐生きりゅう足利あしかが太田おおた館林たてばやしとお板倉いたくらまちいた[4]。そこから南下なんか加須かぞきゅう大利根おおとねまちいき付近ふきん思川おもいがわ合流ごうりゅうした [5][6]。およそ5000ねんまえ縄文じょうもんうみすすむときはこの渡良瀬川わたらせがわかわどうには板倉いたくらまち付近ふきんまで東京とうきょうわん湾入わんにゅうした。

古代こだいには、渡良瀬川わたらせがわ本流ほんりゅう桐生きりゅうがわとの合流ごうりゅうてん足利あしかが小俣おまた)より下流かりゅう太田おおたとのさかい蛇行だこうしながらひがしながし(現在げんざい矢場やばがわ)、上野うえのこく下野げやこく国境こっきょうとなっていた[7][8]板倉いたくらまち大曲おおまがり細谷ほそや付近ふきんでは館林たてばやしとの境界きょうかいひがしながし、藤岡ふじおか台地だいちひろしせき台地だいち)のえんたってきを南下なんかしていた。

ただしその本流ほんりゅうは、只上ただかり市場いちばまち付近ふきん上野うえのこく太田おおた)で、よりきたながれえ(桐生きりゅうがわ松田川まつだがわかわどうちかづき)、次第しだい下野げやこくうちひがしりゅうするようになり、現在げんざい矢場やばがわながれなくなっていった。

板倉いたくらまち海老瀬えびせ本郷ほんごう地区ちくでは藤岡ふじおか台地だいちえん沿った南下なんかからふたたひがしきをえ、ひろしせき台地だいちはばせまくなった地点ちてんかたちきゅう谷中やなかむら方向ほうこうけてながれていた[9][10]。ここをけたのちは、海老瀬えびせ地区ちく上野うえのこく)ときゅう谷中やなかむら下野げやこく)の境界きょうかい屈曲くっきょくかえしながらみなみながし、ななきょくがりとばれた。加須かぞ小野袋おのふくろきゅうごうかわ利根川とねがわ支流しりゅう)と合流ごうりゅう[11]、そこからは下野げやこく武蔵むさしこく国境こっきょうながれ(ながやく1km)、古河ふるかわのすぐ西にし思川おもいがわ合流ごうりゅうした。

思川おもいがわとの合流ごうりゅう以降いこうみなみながし、武蔵むさしこく下総しもうさこく国境こっきょうを4kmながれたのち[12]当時とうじ利根川とねがわ本流ほんりゅうへの合流ごうりゅうかう分流ぶんりゅうわかれ、下総しもうさこく葛飾かつしかぐんを50km貫流かんりゅう東京とうきょうわんそそいだ。下流かりゅう現在げんざい江戸川えどがわりゅうちか[13]、「ふとし日川にっかわ」(ふといがわ)とばれた。当時とうじ利根川とねがわ本流ほんりゅうとはほぼ平行へいこうしてみなみながし、東京とうきょうわんへの河口かこうことなっていた。

戦国せんごく時代じだい後期こうきに、現在げんざい足利あしかがでは渡良瀬川わたらせがわかわどう本格ほんかくてき矢場やばがわから分離ぶんりさせうつ工事こうじおこなわれ[14][15]現在げんざい渡良瀬川わたらせがわ本流ほんりゅうとなった。

元和がんわ7ねん(1621ねん)にあらたな利根川とねがわ本流ほんりゅうかわどうとして新川しんかわとおる開削かいさくして、加須かぞ旗井はたい久喜くき栗橋くりはしきた1km)で利根川とねがわ渡良瀬川わたらせがわ接続せつぞくし、以降いこうは、渡良瀬川わたらせがわ利根川とねがわ支流しりゅうとなった。

寛文ひろふみ4ねん(1664ねん)に、矢場やばがわ館林たてばやし木戸きどから下早川田しもさがわだまで開削かいさく渡良瀬川わたらせがわ本流ほんりゅう合流ごうりゅうさせた。このあらたな矢場やばがわかわどう(および合流ごうりゅうてんより下流かりゅう渡瀬わたせがわ)にわせて上野うえのこく下野げやこく国境こっきょう移動いどうされた[16]

大正たいしょう7ねん(1918ねん)に藤岡ふじおか台地だいち開削かいさくつうすいし、藤岡ふじおかまち赤麻あかま[17]わたりりょう遊水地ゆうすいち経由けいゆするかわどうとなった。

支流しりゅう

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河川かせん施設しせつ

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邑楽おうら頭首とうしゅこう

橋梁きょうりょう

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上流じょうりゅう

足尾あしおダムとどうきょう
古河ふるかわきょう

中流ちゅうりゅう

はねたきはし
中橋なかはし

下流かりゅう

しんさんこくきょう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう 関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 渡良瀬川わたらせがわ河川かせん事務所じむしょ渡良瀬川わたらせがわろう』 2016ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ 渡良瀬川わたらせがわ - こがナビ(古河ふるかわ観光かんこう協会きょうかい
  3. ^ 当時とうじ利根川とねがわはその付近ふきんからみなみきのながれとなり、荒川あらかわりゅうとお東京とうきょうわんそそいだ。
  4. ^ そのあいだ桐生きりゅうがわ松田川まつだがわなどが合流ごうりゅう、また分流ぶんりゅう変遷へんせんがあった。
  5. ^ 先史せんし時代じだい利根川とねがわ水系すいけいとその変遷へんせん菊地きくち隆男たかお、アーバンクボタ、1981ねん
  6. ^ 利根川とねがわもおよそ3000ねんまえひがしきへかわどうえ、分流ぶんりゅうしながら渡良瀬川わたらせがわりゅう路地ろじたい加須かぞから越谷こしがや)へかってながれるようになり(大落古利根川おおとしふるとねがわなど)、分流ぶんりゅう一部いちぶ渡良瀬川わたらせがわ合流ごうりゅうした。
  7. ^ 歴史れきしてき農業のうぎょう環境かんきょう閲覧えつらんシステム - 農業のうぎょう環境かんきょう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ、2016ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  8. ^ この国境こっきょうはほぼ栃木とちぎけん足利あしかが佐野さの栃木とちぎ藤岡ふじおかまち)と群馬ぐんまけん太田おおた館林たてばやし板倉いたくらまちとのさかいたる。
  9. ^ 板倉いたくらがわやく400mきた地点ちてんにあたる。これが自然しぜん開削かいさくなのか人工じんこうなのかは異論いろんがある。
  10. ^ この地点ちてんかわだん面積めんせきちいさく水位すいい上昇じょうしょうして板倉いたくらまちがわ波及はきゅう堤防ていぼう決壊けっかいきやすかった。ぼうなどによる下流かりゅう水位すいいにも影響えいきょうけた。
  11. ^ 合流ごうりゅうてんには谷田川やたがわながんでいる。
  12. ^ 渡良瀬川わたらせがわ思川おもいがわとの合流ごうりゅう以降いこう加須かぞ旗井はたいとお加須かぞ琴寄ことより利根川とねがわ浅間あさまがわ)と合流ごうりゅうするまで、武蔵むさしこく下総しもうさこく国境こっきょうかわどうやく8km)を西向にしむきにながれていたというかんがえもある(「越谷こしがや市内しないとその周辺しゅうへん河川かせん歴史れきし」2016ねん9がつ24にち閲覧えつらん)。
  13. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう 関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 渡良瀬川わたらせがわ河川かせん事務所じむしょ渡良瀬川わたらせがわのうつりかわり』 2016ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  14. ^ 足利あしかが借宿かりやどきたとおかわどうや、板倉いたくらまち除川よけがわ西岡にしおかきたとおかわどうなどの開削かいさく工事こうじおこなわれた。
  15. ^ 板倉いたくらまち水辺みずべ松浦まつうら茂樹しげき国際こくさい地域ちいきがく研究けんきゅう2009ねん3がつ
  16. ^ 群馬ぐんまけん館林たてばやし板倉いたくらまち栃木とちぎけん足利あしかが佐野さの藤岡ふじおかまちとの境界きょうかいにあたる。
  17. ^ きゅう谷中やなかむらきたにあたり、赤麻あかまぬまがあった。開削かいさくされたかわどう藤岡ふじおか新川しんかわばれた。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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