熊本 謙二郎
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1938 | |
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生涯
[1921
著書
[開成 館
[- English Drill Books[1]
- New English Drill Books[1]
- New School Readers[1]
- Girls' New Taishō Readers(
津田 梅子 合 著 )[1] - Elementary Grammar[1]
- Some More Grammar[1]
- The English Reader for Elementary Schools[1]
- Elementary Composition[1]
- Some More Composition[1]
- Pearl Readers(
津田 梅子 合 著 )[1] - The Harmony Readers[1]NDLJP:924550
- Girls' English Composition(
岩脇 莞爾 合 著 )[1] - New Advanced Composition(
岩脇 莞爾 合 著 )[1] - Edgar Wallace, Katherine Mansfield and Agatha Christie[1]
有朋 堂
[その他
[人物
[岡倉 由三郎 と共 に英語 教授 界 の双璧 とされ[5]、「理論 の岡倉 、実地 の熊本 」と評 された[1]。痩身 のため極度 の寒 がりで、冬 にはよく風邪 を引 いた[2]。大阪 時代 は野球 部 を監督 し[2]、テニスを広 めたほか、撃剣 、弓道 [5]、ビリヤード、釣 り、囲碁 、将棋 を嗜 み[2]、那珂 通世 の影響 で自転車 も始 めた[6]。若 い頃 銃猟 にも熱中 したが、銃 で右 指 を怪我 してからやらなくなった[2]。謡 も習 い、書道 は文 徴 明 の行書 を手本 とした[2]。晩年 神経痛 の名医 という及川 道子 祖父 の診療 を受 けた際 、その影響 で俳句 を始 め、松蘿 と号 して『オアシス』誌 に投稿 した[7]。
栄典
[家族
[脚注
[- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as
上井 1939. - ^ a b c d e f g h i j k l m
熊本 1939. - ^ a b
佐伯 1939. - ^ a b
平田 1939. - ^ a b c
萩原 1939. - ^
佐川 1939. - ^
増田 1939. - ^ 『
論語 』「朝 に道 を聞 かば、夕 べに死 すとも可 なり。」に依 る。 - ^
長谷川 1939. - ^
黒川 歩兵 中尉 結婚 願 の件 - ^
熊本 伸一 郎 「フーゼル油 の研究 」『日本 化 学会 誌 』第 53巻 第 1号 、日本 化 学会 、1932年 。 - ^ “ÜBER DIE SYNTHETISCHE WIRKUNG DES PEPSINS”. The Journal of Biochemistry (
日本 生 化 学会 ) 28 (1). (1938) .
参考 文献
[上井 磯 吉 「熊本 謙二郎 教授 略伝 」『英語 青年 』第 80巻 第 9号 、研究 社 、1939年 2月 1日 。佐伯 好郎 「熊本 謙二郎 君 を追懐 して」『英語 青年 』第 80巻 第 9号 、研究 社 、1939年 2月 1日 。萩原 恭平 「熊本 先生 の教授 法 」『英語 青年 』第 80巻 第 9号 、研究 社 、1939年 2月 1日 。佐川 春水 「想 出 草 」『英語 青年 』第 80巻 第 9号 、研究 社 、1939年 2月 1日 。平田 禿木 「熊本 さんの訃報 に接 して」『英語 青年 』第 80巻 第 9号 、研究 社 、1939年 2月 1日 。熊本 伸 一郎 「父 を語 る」『英語 青年 』第 80巻 第 10号 、研究 社 、1939年 2月 15日 。目黒 真澄 「『お前 はまだ若 い』」『英語 青年 』第 80巻 第 10号 、研究 社 、1939年 2月 15日 。長沢 英一郎 「学習 院 時代 の熊本 先生 」『英語 青年 』第 80巻 第 10号 、研究 社 、1939年 2月 15日 。長谷川 康 「熊本 先生 の御 人柄 」『英語 青年 』第 80巻 第 10号 、研究 社 、1939年 2月 15日 。増野 肇 「熊本 先生 と女優 」『英語 青年 』第 80巻 第 10号 、研究 社 、1939年 2月 15日 。