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甲子園こうしえんボウル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
毎日まいにち甲子園こうしえんボウル
こんシーズンの大会たいかい:
だい78かい甲子園こうしえんボウル
だい71かい甲子園こうしえんボウル(関学かんがくだいたい早大そうだい
競技きょうぎ アメリカンフットボール
開始かいしねん 1947(昭和しょうわ22ねん
主催しゅさい 日本にっぽんアメリカンフットボール協会きょうかい
毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ
チームすう 2チーム
加盟かめいこく 日本の旗 日本にっぽん
前回ぜんかい優勝ゆうしょう 関西学院大学かんせいがくいんだいがくファイターズ(34かい
最多さいた優勝ゆうしょう 関西学院大学かんせいがくいんだいがくファイターズ(34かい(4かい両校りょうこう優勝ゆうしょうふくむ))
公式こうしきサイト
甲子園こうしえんボウル
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甲子園こうしえんボウル(こうしえんボウル)は、 全日本ぜんにほん大学だいがくアメリカンフットボール選手権せんしゅけん大会たいかい決勝けっしょうせん[1]毎年まいとし12がつだい3日曜日にちようびに、兵庫ひょうごけん西宮にしのみやにある阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょうおこなわれ、主催しゅさい日本にっぽんアメリカンフットボール協会きょうかい毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ特別とくべつ協賛きょうさん2016ねんシーズンから三菱電機みつびしでんきつとめている。現在げんざい正式せいしき名称めいしょうは「三菱電機みつびしでんきはいだい○○かい毎日まいにち甲子園こうしえんボウル」である。ボウル(bowl)とはどんぶりという意味いみで、試合しあいおこなわれる競技きょうぎじょう形状けいじょうているためこのように呼称こしょうされる[2]

2008ねんシーズンまでは、選手権せんしゅけん試合しあいではなく「東西とうざい大学だいがく王座おうざ決定けっていせん」として、関東かんとう学生がくせいリーグ関西かんさい学生がくせいリーグ代表だいひょうこうによる対抗たいこうせんとして大学だいがく王座おうざあらそった。2009ねんシーズンから全国ぜんこく8連盟れんめいによる全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけん開始かいしともに、2020ねんのぞきその決勝けっしょうせんとしての舞台ぶたい移行いこうした。

概要がいよう

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戦後せんごかく大学だいがく活動かつどう再開さいかいされ回復かいふく発展はってんうごきをせていたアメリカンフットボールのイベントを検討けんとうしていた毎日新聞社まいにちしんぶんしゃに、戦前せんぜんからおこなわれ中断ちゅうだんしていた同志社大学どうししゃだいがく慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがくはる定期ていきせん復活ふっかつさせるはなしまれたのが開催かいさい発端ほったんである。両校りょうこうはともに前年ぜんねんのリーグ優勝ゆうしょうこうでもあったために東西とうざい大学だいがく王座おうざ決定けっていせんとして位置いちづけられることとなり、当時とうじ運動うんどう記者きしゃであった葉室はむろ鐵夫てつおらが阪神電鉄はんしんでんてつはたらきかけ進駐軍しんちゅうぐんへの接収せっしゅうかれた甲子園こうしえん球場きゅうじょう使用しようすることにまった。こうしてだい1かい甲子園こうしえんバウル(だい5かい大会たいかいまでは米語べいご発音はつおんならってこのように表記ひょうき発音はつおんされていた)は1947ねん昭和しょうわ22ねん4がつ13にち慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく同志社大学どうししゃだいがくあいだおこなわれ、翌年よくねんだい2かい大会たいかいからも東西とうざいリーグの優勝ゆうしょうこう出場しゅつじょう勝者しょうしゃ大学だいがく王者おうじゃとする運営うんえい形態けいたい徐々じょじょととのえられていった。

2008ねんシーズンまでは関西かんさい学生がくせい連盟れんめい関東かんとう学生がくせい連盟れんめい代表だいひょうチームを招待しょうたいして、関西かんさい学生がくせいリーグの優勝ゆうしょうチーム(あるいは代表だいひょうチーム)と対決たいけつ東西とうざい大学だいがく王座おうざ決定けっていするという名目めいもく対抗たいこうせん試合しあいであった。
また2008ねんシーズン以前いぜん日本にっぽん大学だいがくアメリカンフットボール競技きょうぎでは全国ぜんこく規模きぼ統一とういつされた選手権せんしゅけん大会たいかい存在そんざいしておらず、さら技量ぎりょうめん関東かんとう関西かんさい学生がくせい連盟れんめい所属しょぞくこう全国ぜんこくなかぐんいており、かつほん大会たいかい日本にっぽん国内こくない有数ゆうすう伝統でんとうあるボウルゲームであることから事実じじつじょう学生がくせい日本一にっぽんいち決定けっていせんとして機能きのうしていた(関連かんれん後述こうじゅつライスボウルへの出場しゅつじょう方法ほうほうをめぐって参照さんしょう)。

2005ねん大会たいかい通算つうさん60かいかぞえ、ハーフタイムショーではこれを記念きねんして芝川しばかわ龍平りゅうへい関西学院大学かんせいがくいんだいがく)、東海とうかいたつわたる京都大学きょうとだいがく)、梶山かじやまりゅうまこと日本にっぽん大学だいがく)、河口かわぐち正史せいし立命館大学りつめいかんだいがく)の往年おうねんめい選手せんしゅ4めいまねいてセレモニーがおこなわれた。

大会たいかい運営うんえい

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対戦たいせんこう決定けってい方法ほうほう

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  • 2008ねんシーズン(平成へいせい20ねん)まで
    • 関西かんさい学生がくせいリーグの優勝ゆうしょうこう出場しゅつじょうする。関西かんさい学生がくせいリーグでは1所属しょぞくの8こうによる1かいそうあたりのリーグせん(シングル・ラウンド・ロビン方式ほうしき)で優勝ゆうしょうチームをめる。勝敗しょうはいすうのみでの順位じゅんい決定けっていのため、同率どうりつ1場合ばあいはすべて優勝ゆうしょうこうとし、甲子園こうしえんボウル出場しゅつじょうこう決定けっていせん(1試合しあいのプレーオフ)を別個べっこ実施じっししその勝者しょうしゃ出場しゅつじょうする。リーグ優勝ゆうしょうこうが3チーム以上いじょうとなった場合ばあいはトーナメント形式けいしき決定けっていせんおこなう(1996ねん平成へいせい8ねん)に京都きょうと大学だいがく関西学院大学かんせいがくいんだいがく立命館大学りつめいかんだいがく同率どうりつ1となったさい抽選ちゅうせんで1こうをシードあつかいとし、のこり2こう対戦たいせん(1回戦かいせん)の勝者しょうしゃ対戦たいせんする方式ほうしきだった)。
    • 関東かんとう学生がくせいリーグの優勝ゆうしょうこう招待しょうたいする(関東かんとう学生がくせいリーグの優勝ゆうしょうこう決定けってい方法ほうほうほん大会たいかい実施じっし要項ようこう規定きていされておらず、関東かんとう学生がくせい連盟れんめい一任いちにんされたものである)。関東かんとう学生がくせいリーグでは1所属しょぞく16こうを8こうずつの2ブロック(A・Bブロック)に毎年まいとし編成へんせいえをおこない、ブロックごとに1かいそうあたりのリーグせんおこなう。かくブロックの1こう関東かんとう大学だいがく選手権せんしゅけんクラッシュボウル)で対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ関東かんとう学生がくせいリーグの優勝ゆうしょうこうとして出場しゅつじょうする。
  • 2009ねんシーズン(平成へいせい21ねん)・2010ねんシーズン(平成へいせい22ねん
    • 全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけんとし、甲子園こうしえんボウルをその決勝けっしょうせん位置いちづける。選手権せんしゅけん全国ぜんこく8連盟れんめいのリーグ代表だいひょうこうによるトーナメントせん東日本ひがしにっぽん代表だいひょうこう西日本にしにほん代表だいひょうこうをそれぞれ決定けっていする。東日本ひがしにっぽん代表だいひょうこう関東かんとう学生がくせいリーグのA・Bブロックの優勝ゆうしょうこうがそれぞれ北海道ほっかいどう東北とうほく代表だいひょうこうたたかい、その勝者しょうしゃ同士どうし対戦たいせん決定けっていする(3試合しあいともにクラッシュボウル)。西日本にしにほん代表だいひょうこうはまず東海とうかい北陸ほくりくちゅう四国しこく九州きゅうしゅう代表だいひょう平和へいわだいボウル)が対戦たいせんし、さらに勝者しょうしゃ同士どうし対戦たいせんでの勝者しょうしゃ関西かんさい学生がくせいリーグの代表だいひょうこうとの代表だいひょう決定けっていせんすすむ。
    ただし、関西かんさい学生がくせいリーグの優勝ゆうしょう大学だいがくが3こうあった場合ばあいはその3こう東海とうかい北陸ほくりくちゅう四国しこく九州きゅうしゅうのトーナメントをがった大学だいがくまじえてのトーナメントで甲子園こうしえん出場しゅつじょうをかけることになった(2010ねん該当がいとう。このとき関西大学かんさいだいがく関西学院大学かんせいがくいんだいがく立命館大学りつめいかんだいがくの3チームが関西かんさいリーグ優勝ゆうしょう。これに南山大学なんざんだいがくくわえた4チームが甲子園こうしえん出場しゅつじょう目指めざすという方式ほうしきとなった)。
    • 一連いちれん構想こうそう発表はっぴょうされた2009ねん2がつ時点じてんで、甲子園こうしえんボウルを主管しゅかんする関西かんさい学生がくせい連盟れんめいは、この形態けいたいで2年間ねんかん運営うんえいし、2011ねんシーズンには制度せいど見直みなおすことを表明ひょうめいした。
  • 2011ねんシーズン(平成へいせい23ねん)から
    • 関東かんとう学生がくせいリーグA・Bかくブロックの優勝ゆうしょうこうによる関東かんとう大学だいがく選手権せんしゅけん(クラッシュボウルから「あずまボウル」に名称めいしょう変更へんこう)をおこな関東かんとう代表だいひょうめ、北海道ほっかいどう東北とうほく代表だいひょうこう東日本ひがしにっぽん代表だいひょうこう準決勝じゅんけっしょうせんパインボウル)をおこない、パインボウルの勝者しょうしゃ関東かんとう代表だいひょうにより東日本ひがしにっぽん代表だいひょうこう決定けっていせんおこなうように変更へんこうとなった。西日本にしにほん地区ちく変更へんこうはない。
  • 2014ねんシーズン(平成へいせい26ねん)から
    • 東日本ひがしにっぽん関東かんとう学生がくせいリーグがあたらしい1・2せい(「TOP8」(実質じっしつ1)と「BIG8」(実質じっしつ2)の8チームずつでクラスごとのリーグせんおこなう)に変更へんこうされたことにともない、関東かんとう選手権せんしゅけんは2013ねんをもって廃止はいしされ、甲子園こうしえんボウル(全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけん)の東日本ひがしにっぽん代表だいひょう決定けっていせんへはTOP8リーグの優勝ゆうしょうチームが進出しんしゅつする。西日本にしにほん地区ちく変更へんこうはない。
  • 2016ねんシーズン(平成へいせい28ねん)から
    • 西日本にしにほん代表だいひょうめるためのトーナメントの方式ほうしき出場しゅつじょう条件じょうけん変更へんこうとなった。関西かんさい学生がくせい連盟れんめいからは、優勝ゆうしょうこうくわえ2こう出場しゅつじょう決定けっていせん出場しゅつじょうできる。すなわち、九州きゅうしゅうちゅう四国しこく東海とうかい北陸ほくりくの4地区ちくが、前年ぜんねん選手権せんしゅけん順位じゅんいもとにしたパラマストーナメント方式ほうしきにより対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ関西かんさい2こう対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ関西かんさい1こう西日本にしにほん代表だいひょうこう決定けっていせん(WESTERN JAPAN BOWL)で対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ西日本にしにほん代表だいひょうこうとなる。東日本ひがしにっぽん地区ちく変更へんこうはない。
  • 2020ねんシーズン(れい2ねん
    • 西日本にしにほん代表だいひょうめるためのトーナメントの方式ほうしき変更へんこうになる予定よていであったが、新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう影響えいきょうにより、全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけん決勝けっしょうせんとすることを断念だんねん。2008ねんシーズン(平成へいせい20ねん)までと同様どうよう東西とうざい対抗たいこうせんあつかいとなる。
  • 2021ねんシーズン(れい3ねん
    • 西日本にしにほん代表だいひょうめるためのトーナメントの方式ほうしき変更へんこう関西かんさいだい3代表だいひょう(3こう)までが選手権せんしゅけん出場しゅつじょうする。すなわち関西かんさい以外いがいの4こうは、2018ねんのアメフト西日本にしにほん代表だいひょう決定けっていせんトーナメント1回戦かいせん敗退はいたいしたちゅう四国しこく代表だいひょうと、4回戦かいせん敗退はいたい東海とうかい代表だいひょう対戦たいせん。この勝者しょうしゃ関西かんさい3こう対戦たいせんする。2018ねんのアメフト西日本にしにほん代表だいひょう決定けっていせんトーナメント2回戦かいせん敗退はいたい北陸ほくりく代表だいひょうと3回戦かいせん敗退はいたい九州きゅうしゅう代表だいひょう対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ関西かんさい2こう対戦たいせんする。それぞれの勝者しょうしゃチーム同士どうし対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ関西かんさい1こう西日本にしにほん代表だいひょうこう決定けっていせん(WESTERN JAPAN BOWL)で対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ西日本にしにほん代表だいひょうこうとなる。3年間ねんかんはこの方式ほうしき採用さいようするとしていたが、実際じっさいには1ねんのみの方式ほうしきとなった。東日本ひがしにっぽん地区ちくつづ変更へんこうはない。WESTERN JAPAN BOWLは2021ねん終了しゅうりょうとなっている。
  • 2022ねんシーズン(れい4ねん
    • 従来じゅうらいの「東日本ひがしにっぽん」、「西日本にしにほん」という枠組わくぐみをはずし、全国ぜんこく8がくれんから代表だいひょう1こうずつのけい8こう選手権せんしゅけん出場しゅつじょうして、パラマストーナメント方式ほうしき変則へんそくトーナメントをおこなう。2023ねんまでの2年間ねんかん実施じっしとする。2021ねん選手権せんしゅけんは、東日本ひがしにっぽん代表だいひょうめるトーナメントに3こう西日本にしにほん代表だいひょうめるトーナメントに7こう参加さんかと、東西とうざい参加さんかこうすうまったちがうえ西日本にしにほんのトーナメントには関西かんさいから3こう出場しゅつじょうしており、西日本にしにほん代表だいひょう決定けっていせん関学かんがくたていのち関西かんさい学生がくせいリーグ優勝ゆうしょう決定けっていせん再戦さいせんとなっていたことが問題もんだいとされ、わずか1ねん方式ほうしき変更へんこうすることになった。かく地区ちくのパラマストーナメントの位置いちは、前年ぜんねん勝敗しょうはいによってえる。そのため関西かんさい代表だいひょうこう全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん準決勝じゅんけっしょうからとなり、関西かんさい代表だいひょうこうたいその地区ちくがりチームの対戦たいせんとなった。ただ、従来じゅうらいの「東日本ひがしにっぽん」、「西日本にしにほん」という枠組わくぐみをはずしたとはいえ、東海とうかい地区ちく代表だいひょうこうきゅう東日本ひがしにっぽん地区ちくがわのトーナメントにうつしただけである。順当じゅんとうなら決勝けっしょうせんである甲子園こうしえんボウルは東西とうざい対戦たいせんになることにわりはなかった。
  • 2024ねんシーズン(れい6ねん
    • 関西かんさい関東かんとうからは3こうまでの選手権せんしゅけん出場しゅつじょうとなる予定よてい。それ以外いがい地区ちく従来じゅうらいどおり優勝ゆうしょうこうのみが選手権せんしゅけん出場しゅつじょうする。関西かんさい1こうがわれいにすると、東北とうほく北陸ほくりくちゅう四国しこく代表だいひょうこう前年ぜんねん選手権せんしゅけん成績せいせきもとづくパラマストーナメント方式ほうしきのトーナメントをおこない、その勝者しょうしゃ関西かんさい1こう対戦たいせんする。その勝者しょうしゃ関東かんとう2こうたい関西かんさい3こう勝者しょうしゃ対戦たいせんし、その勝者しょうしゃ甲子園こうしえんボウルに出場しゅつじょうする。すなわち、決勝けっしょうまでの2つのトーナメントが東西とうざい地区ちくかく代表だいひょうこう混在こんざいすることになり、関西かんさい(または関東かんとう)1こうと2こう、あるいは2こうと3こう対戦たいせんなら同一どういつ地区ちく同士どうし甲子園こうしえんボウルもることになる。これは、甲子園こうしえんボウルがすでに東西とうざい王座おうざ決定けっていせんではないことはもちろん、完全かんぜん東日本ひがしにっぽんたい西日本にしにほん決戦けっせんでもなくなることを意味いみする。3年間ねんかんはこの方式ほうしき採用さいようする予定よていである。[3]

試合しあい方式ほうしき

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通常つうじょうの4クォーターせい(1クォーター15ふん)で試合しあいおこない、得点とくてんおおいチームのけ。同点どうてん場合ばあい以前いぜんコイントスによって

  • 2016ねんシーズン(平成へいせい28ねん)から
    • 西日本にしにほん代表だいひょうめるためのトーナメントの方式ほうしき出場しゅつじょう条件じょうけん変更へんこうとなった。関西かんさい学生がくせい連盟れんめいのステップへの出場しゅつじょうチームを決定けっていしていたが現在げんざいだい4クォーター終了しゅうりょうにゴールまえ25ヤードの地点ちてんから1かいごとに交互こうご攻守こうしゅかえし、どちらかの得点とくてん上回うわまわるまでプレーをおこなうタイブレーク方式ほうしきによる延長えんちょうせん進出しんしゅつチームをめる。ただしこの方式ほうしきになって以降いこう、まだ延長えんちょうせんおこなわれた事例じれいはない。なお決勝けっしょうせん甲子園こうしえんボウル)では延長えんちょうタイブレークはするが、大会たいかい記録きろくじょう両校りょうこう優勝ゆうしょうとなる。甲子園こうしえんボウルの勝者しょうしゃは2020ねんシーズンまではライスボウル出場しゅつじょうけんて、社会しゃかいじん王者おうじゃ対戦たいせんしていた。

フィールドの設定せってい

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だい65かい2010ねん以降いこう試合しあいは、ホームベースからバックスクリーンにかけてたて方向ほうこうにフィールドを設置せっちし、普段ふだんである内野ないやにも芝生しばふ敷設ふせつしてっている[ちゅう 1]。2010ねん・2011ねん完全かんぜんたて方向ほうこう(センターラインに並行へいこう)であった[4]が、だい67かい2012ねん)からは完全かんぜんたて方向ほうこうではなく、3るいベンチまえからライトスタンドにかってややかたむけた方向ほうこうにフィールドが設定せっていされる[5]

これ以前いぜんにフィールドの設置せっちをこの方向ほうこうにしたのは過去かこだい44かい1989ねん)のいちきりで、そのとき以外いがいはすべて外野がいやのライト-レフトあいだよこ方向ほうこう使つかってフィールドをもうけていた。そのさいにはとなっているレフトせん・ライトせん・2るいベース後方こうほう仮設かせつ天然てんねんしば敷設ふせつしていた(2009ねんよりレフトせん・ライトせん部分ぶぶんはなくなった)。ラッキーゾーンがあった時代じだいは、ラッキーゾーンをかこあみフェンスを撤去てっきょしたうえでフィールドを設置せっちしていた。また、マウンド付近ふきんには、関東かんとう代表だいひょうチームよう応援おうえんせきとテレビ実況じっきょうブース(毎日放送まいにちほうそうNHK)や関東かんとう代表だいひょうチームのスポッターせきようのプレハブの仮設かせつスタンドが、バックスクリーンには関西かんさい代表だいひょうチームのスポッターせき中継ちゅうけいようカメラが設置せっちされていた。だい60かい大会たいかい(2005ねん)(平成へいせい17ねん)の中継ちゅうけいでは、関学かんがくだいOBの濱田はまだあつしのりがバックスクリーンがわスポッターせきからの視点してん解説かいせつおこなった。

2007ねん平成へいせい19ねん)10がつから2009ねん平成へいせい21ねん)3がつまでのプロ野球やきゅうのシーズンオフ期間きかんちゅう阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう改修かいしゅう工事こうじおこなわれたため、2007ねんだい62かい大会たいかい、およびよく2008ねんだい63かい大会たいかいは、代替だいたい長居ながい陸上りくじょう競技きょうぎじょう会場かいじょううつして開催かいさいされた。大会たいかい名称めいしょうについては「毎日まいにち甲子園こうしえんボウル in NAGAI」とされた。

ハーフタイムショー

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試合しあい前半ぜんはん後半こうはんあいだには、ハーフタイムショーおこなわれる。

2020ねんは、新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう世界せかいてき流行りゅうこうによる影響えいきょうでショーは中止ちゅうしされ、武庫川女子大学むこがわじょしだいがく附属ふぞく中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこうによるムービー出演しゅつえんという形式けいしきをとった。

中学ちゅうがく招待しょうたいタッチフットボール試合しあい

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前座ぜんざ試合しあいとして、中学生ちゅうがくせいによるタッチフットボール試合しあいおこなわれる。ながらく滋賀しがけん長浜ながはま中学校ちゅうがっこう代表だいひょうこう招待しょうたいして関西学院かんせいがくいん中学ちゅうがく試合しあいする対戦たいせん形式けいしきおこなわれてきたが、現在げんざいでは関西かんさいかく府県ふけん中学校ちゅうがっこうでトーナメント形式けいしき予選よせんおこない、出場しゅつじょうチームが決定けっていされる。

ミルズはい

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甲子園こうしえんボウルの終了しゅうりょう学生がくせいアメリカンフットボールの年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅあたえられるのがミルズはい通称つうしょう「チャック・ミルズはい」)である。

NFLカンザスシティ・チーフスのアシスタントコーチ時代じだいだい1かいスーパーボウル出場しゅつじょうし、1971ねん昭和しょうわ46ねん以降いこう、ヘッドコーチとしてユタ州立しゅうりつ大学だいがくひきいて再三さいさん来日らいにち試合しあいやクリニックとうつうじて日本にっぽんのアメリカンフットボールの発展はってんおおきく寄与きよしたチャック・ミルズ(Chuck Mills)の功績こうせきたたえるべくそのかんせられ、1974ねん昭和しょうわ49ねん)からおくられている。毎年まいとしのトロフィーはミルズみずからが私費しひとうじてつくられている。またミルズは可能かのうかぎ甲子園こうしえんボウルのさい来日らいにちし、トロフィーを受賞じゅしょうしゃ直接ちょくせつ手渡てわたすようにしていた。

敗戦はいせんチームから受賞じゅしょうしゃ選出せんしゅつされることも過去かこ3(1982ねん、1985ねん、1996ねん)あり、2019ねんと2023ねんには甲子園こうしえんボウル進出しんしゅつのチームから受賞じゅしょうしゃ選出せんしゅつされている[6][7]

歴代れきだい受賞じゅしょうしゃ

歴代れきだい成績せいせき

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対戦たいせん結果けっか

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# 開催かいさい 天候てんこう 関東かんとう score 関西かんさい 備考びこう
1 1947ねん4がつ13にち   慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく 45-0 同志社大学どうししゃだいがく
2 1948ねん1がつ1にち   明治大学めいじだいがく 0-6 関西大学かんさいだいがく
3 1949ねん1がつ9にち   慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく 14-7 関西大学かんさいだいがく
4 1949ねん12月18にち   慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく 7-25 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
5 1950ねん12月10にち   慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく 6-20 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
6 1951ねん12月9にち   立教大学りっきょうだいがく 19-14 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
7 1952ねん12月7にち   立教大学りっきょうだいがく 20-0 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
8 1953ねん12月6にち   立教大学りっきょうだいがく 7-19 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
9 1954ねん12月5にち   立教大学りっきょうだいがく 7-15 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
10 1955ねん11月23にち   日本にっぽん大学だいがく 26-26 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 史上しじょうはじめての両校りょうこう優勝ゆうしょう
11 1956ねん11月23にち   日本にっぽん大学だいがく 0-33 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
12 1957ねん11月24にち   日本にっぽん大学だいがく 14-6 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
13 1958ねん12月7にち   日本にっぽん大学だいがく 13-12 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
14 1959ねん12月6にち   日本にっぽん大学だいがく 42-0 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
15 1960ねん12月4にち   立教大学りっきょうだいがく 36-16 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 甲子園こうしえん球場きゅうじょう改修かいしゅう工事こうじのため阪急はんきゅう西宮にしのみや球場きゅうじょうで「毎日まいにちボウル」として開催かいさい[8]
16 1961ねん12月10にち   日本にっぽん大学だいがく 14-6 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
17 1962ねん12月2にち   日本にっぽん大学だいがく 28-24 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
18 1963ねん12月8にち   日本にっぽん大学だいがく 30-18 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
19 1965ねん1がつ15にち   日本にっぽん大学だいがく 48-14 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
20 1965ねん12月5にち   立教大学りっきょうだいがく 22-22 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 史上しじょう2かい両校りょうこう優勝ゆうしょう
21 1966ねん12月4にち   日本にっぽん大学だいがく 40-12 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
22 1967ねん12月10にち   日本にっぽん大学だいがく 12-31 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
23 1968ねん12月15にち   明治大学めいじだいがく 36-38 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
24 1969ねん12月14にち   日本にっぽん大学だいがく 30-14 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
25 1970ねん12月13にち   日本にっぽん大学だいがく 6-34 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
26 1971ねん12月12にち   日本にっぽん大学だいがく 28-22 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
27 1972ねん12月10にち   法政大学ほうせいだいがく 34-20 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
28 1973ねん12月9にち   日本にっぽん大学だいがく 7-24 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
29 1974ねん12月8にち   日本にっぽん大学だいがく 20-28 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
30 1975ねん12月14にち   明治大学めいじだいがく 7-56 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
31 1976ねん12月12にち   明治大学めいじだいがく 22-29 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
32 1977ねん12月11にち   日本にっぽん大学だいがく 20-51 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
33 1978ねん12月10にち   日本にっぽん大学だいがく 63-7 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
34 1979ねん12月9にち   日本にっぽん大学だいがく 48-0 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
35 1980ねん12月13にち   日本にっぽん大学だいがく 42-7 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
36 1981ねん12月13にち   日本にっぽん大学だいがく 42-31 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
37 1982ねん12月12にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 65-28 京都大学きょうとだいがく
38 1983ねん12月11にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 14-30 京都大学きょうとだいがく
39 1984ねん12月9にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 42-42 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 史上しじょう3かい両校りょうこう優勝ゆうしょう(ライスボウルへは日本にっぽん大学だいがく出場しゅつじょう
40 1985ねん12月8にち はれ 明治大学めいじだいがく 46-48 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
41 1986ねん12月14にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 28-49 京都大学きょうとだいがく
42 1987ねん12月13にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 17-41 京都大学きょうとだいがく
43 1988ねん12月11にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 35-28 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
44 1989ねん12月17にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 45-14 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
45 1990ねん12月16にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 34-7 京都大学きょうとだいがく
46 1991ねん12月15にち はれ 専修大学せんしゅうだいがく 20-25 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
47 1992ねん12月13にち あめ 法政大学ほうせいだいがく 7-17 京都大学きょうとだいがく
48 1993ねん12月19にち はれ 日本体育大学にほんたいいくだいがく 10-35 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
49 1994ねん12月18にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 22-24 立命館大学りつめいかんだいがく
50 1995ねん12月17にち くもり 法政大学ほうせいだいがく 17-24 京都大学きょうとだいがく
51 1996ねん12月15にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 21-28 京都大学きょうとだいがく
52 1997ねん12月20にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 21-21 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 史上しじょう4かい両校りょうこう優勝ゆうしょう(ライスボウルへは法政大学ほうせいだいがく出場しゅつじょう
53 1998ねん12月19にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 17-25 立命館大学りつめいかんだいがく
54 1999ねん12月19にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 13-52 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
55 2000ねん12月17にち あめ 法政大学ほうせいだいがく 28-21 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
56 2001ねん12月16にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 6-24 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
57 2002ねん12月15にち はれ 早稲田大学わせだだいがく 14-51 立命館大学りつめいかんだいがく
58 2003ねん12月21にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 6-61 立命館大学りつめいかんだいがく
59 2004ねん12月19にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 17-38 立命館大学りつめいかんだいがく
60 2005ねん12月18にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 17-14 立命館大学りつめいかんだいがく
61 2006ねん12月17にち あめ 法政大学ほうせいだいがく 45-43 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 史上しじょうはじめてかみなりともなやく30分間ふんかん中断ちゅうだんだい3クォーター)をはさ
62 2007ねん12月16にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 38-41 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 甲子園こうしえん球場きゅうじょう改修かいしゅう工事こうじのため長居ながい陸上りくじょう競技きょうぎじょうで「毎日まいにち甲子園こうしえんボウル in Nagai」として開催かいさい[8]
63 2008ねん12月21にち くもり 法政大学ほうせいだいがく 8-19 立命館大学りつめいかんだいがく 前年ぜんねんつづき「毎日まいにち甲子園こうしえんボウル in Nagai」として開催かいさい[8]
- - - 東日本ひがしにっぽん - 西日本にしにほん -
64 2009ねん12月13にち くもり 法政大学ほうせいだいがく 38-50 関西大学かんさいだいがく 全日本ぜんにほん大学だいがくアメリカンフットボール選手権せんしゅけん大会たいかい」の決勝けっしょうせん移行いこう
3ねんりに甲子園こうしえん開催かいさいもど
65 2010ねん12月19にち 早稲田大学わせだだいがく 21-48 立命館大学りつめいかんだいがく
66 2011ねん12月18にち 日本にっぽん大学だいがく 3-24 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
67 2012ねん12月16にち はれ 法政大学ほうせいだいがく 17-20 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
68 2013ねん12月15にち 日本にっぽん大学だいがく 9-23 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
69 2014ねん12月14にち 日本にっぽん大学だいがく 10-55 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
70 2015ねん12月13にち くもり 早稲田大学わせだだいがく 27-28 立命館大学りつめいかんだいがく
71 2016ねん12月18にち 早稲田大学わせだだいがく 14-31 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
72 2017ねん12月17にち はれ 日本にっぽん大学だいがく 23-17 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
73 2018ねん12月16にち 早稲田大学わせだだいがく 20-37 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
74 2019ねん12月15にち はれ 早稲田大学わせだだいがく 28-38 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
- - - 関東かんとう 関西かんさい
75 2020ねん12月13にち 日本にっぽん大学だいがく 24-42 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう世界せかいてき流行りゅうこうにより、このとし東西とうざい王座おうざ決定けっていせんとなる
- - - 東日本ひがしにっぽん - 西日本にしにほん -
76 2021ねん12月19にち 法政大学ほうせいだいがく 7-47 関西学院大学かんせいがくいんだいがく ライスボウルが社会しゃかいじん優勝ゆうしょう決定けっていせん移行いこうしたため、学生がくせい最終さいしゅうせんとなる
- - - きゅう東日本ひがしにっぽん - きゅう西日本にしにほん -
77 2022ねん12月18にち 早稲田大学わせだだいがく 17-34 関西学院大学かんせいがくいんだいがく 東日本ひがしにっぽん」「西日本にしにほん」の概念がいねん撤廃てっぱい
78 2023ねん12月17にち 法政大学ほうせいだいがく 21-61 関西学院大学かんせいがくいんだいがく
通算つうさん成績せいせき関東かんとう東日本ひがしにっぽんきゅう東日本ひがしにっぽん代表だいひょうこう28しょう関西かんさい西日本にしにほんきゅう西日本にしにほん代表だいひょうこう46しょう、4

出場しゅつじょうこうべつ戦績せんせき

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出場しゅつじょう回数かいすうじゅん戦績せんせきおなじものは出場しゅつじょうふるじゅん優勝ゆうしょう回数かいすうかちすう引分ひきわけとなる。 (2023ねん12月17にち現在げんざい

こうめい 出場しゅつじょう かちすう 負数ふすう 引分ひきわけ
関西学院大学かんせいがくいんだいがく 57 30 23 4
日本にっぽん大学だいがく 35 19 14 2
法政大学ほうせいだいがく 19 4 14 1
立命館大学りつめいかんだいがく 9 8 1  
京都大学きょうとだいがく 8 6 2  
早稲田大学わせだだいがく 7 0 7  
立教大学りっきょうだいがく 6 3 2 1
明治大学めいじだいがく 5 0 5  
慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく 4 2 2  
関西大学かんさいだいがく 3 2 1  
同志社大学どうししゃだいがく 1 0 1  
専修大学せんしゅうだいがく 1 0 1  
日本体育大学にほんたいいくだいがく 1 0 1  

周辺しゅうへん情報じょうほう

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テレビ放送ほうそう

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甲子園こうしえんボウルがはじめてテレビ中継ちゅうけいされたのは1956ねんだい11かい大会たいかいであった。放送ほうそうきょくNHKよく1957ねんまで2年間ねんかん担当たんとうした。1958ねんはテレビ中継ちゅうけいがなかったが、1959ねん毎日放送まいにちほうそう中継ちゅうけいした。そのしばら中継ちゅうけいはなく、1966ねんだい21かい大会たいかいで7ねんりに中継ちゅうけい復活ふっかつした(担当たんとう毎日まいにち放送ほうそう当時とうじ腸捻転ちょうねんてん時代じだいだが、NETテレビ系列けいれつきょく放送ほうそうされたかは不明ふめい)。1967ねんから1984ねんまではNHKがテレビ放送ほうそう担当たんとう。1967ねんからカラー放送ほうそうとなった(サンテレビ同時どうじ中継ちゅうけいしていたとしもある)。1985ねんからふたた毎日放送まいにちほうそうがテレビ放送ほうそう担当たんとうし、1999ねんまではTBS系列けいれつにて試合しあい当日とうじつの14ないし15からの2あいだにわたり全国ぜんこくネットで放送ほうそうされていた。試合しあい前半ぜんはん録画ろくが後半こうはんなま中継ちゅうけいする形態けいたいおおかったが、2000ねんからは深夜しんやわく移動いどうし、時間じかん従来じゅうらいよりは短縮たんしゅくした録画ろくが中継ちゅうけいかたち放送ほうそうされていた(放送ほうそう時間じかんは24:30 - 26:24)。同局どうきょくけいのCS放送ほうそうきょくGAORAでは後日ごじつ完全かんぜん録画ろくが中継ちゅうけいかたち放送ほうそうされていた。2005ねん中継ちゅうけいでははじめてステディカム導入どうにゅうされコイントスと直後ちょくごのウォー・クライとう選手せんしゅ視点してんちか位置いちからの映像えいぞう威力いりょく発揮はっきした。2008ねん中継ちゅうけいでは、GAORAとBS-iにて試合しあい終了しゅうりょうまで完全かんぜんせい中継ちゅうけいされたが、地上波ちじょうはでは当日とうじつ深夜しんやのダイジェスト放送ほうそう前年ぜんねんどうじものの、放映ほうえい毎日放送まいにちほうそうとTBSのみになり、実質じっしつてき衛星えいせいへシフトするかたちとなる。

2009ねんより、毎日放送まいにちほうそうわってNHKがテレビ放送ほうそうすることになり、スポンサーなどの意向いこうより、NHK BS-1にてなま中継ちゅうけい放送ほうそうおこなわれている。

2012ねんから並行へいこうしてCSでの放送ほうそう復活ふっかつし、GAORAでの録画ろくが中継ちゅうけい実施じっしされている。

歴代れきだい実況じっきょうアナウンサー

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特別とくべつ協賛きょうさん

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実質じっしつじょうかんむりスポンサーである「特別とくべつ協賛きょうさん」については、主催しゅさいしゃである毎日新聞社まいにちしんぶんしゃつとめたほか、日清食品にっしんしょくひん1985ねん1987ねん)、三和銀行さんわぎんこうをはじめとする三和さんわ総合そうごう金融きんゆうグループ1988ねん1992ねん)、ハウス食品はうすしょくひん2000ねん2007ねん[ちゅう 2]パナソニック2008ねん2015ねん[ちゅう 3]担当たんとうし、2016ねんから三菱電機みつびしでんきつとめており、勝利しょうりチームには三菱電機みつびしでんきはい贈呈ぞうていされている。ハウス食品はうすしょくひんは、2008年度ねんどより協賛きょうさんスポンサーのひとつとして参加さんかしている。なおテレビ中継ちゅうけいは、1985ねん~1987ねん日清食品にっしんしょくひん、1988ねん~1991ねん三和さんわ総合そうごう金融きんゆうグループの1しゃ提供ていきょうだった。1992ねんかんしては三和さんわ総合そうごう金融きんゆうグループを筆頭ひっとうとし、ハウス食品はうすしょくひんSUNSTARなどの複数ふくすうしゃとなった。

ライスボウルへの出場しゅつじょう方法ほうほうをめぐって

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前述ぜんじゅつとおり2008ねんシーズンまでの甲子園こうしえんボウルは関西かんさい関東かんとうりょう学生がくせい連盟れんめい所属しょぞくこうによる対抗たいこうせんでありながら、学生がくせい選手権せんしゅけんとほぼひとしいとされており、勝者しょうしゃ学生がくせいチャンピオンと認知にんちされていた。そのため、ライスボウル社会しゃかいじんチャンピオンと対戦たいせんする全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんとなった1983ねん以降いこう自動的じどうてき出場しゅつじょうすることとなっていた。

その選手権せんしゅけん試合しあいのオープン推進すいしんされ2006年度ねんどより、東日本ひがしにっぽん学生がくせい王者おうじゃ決定けっていせんシトロンボウル)の勝者しょうしゃ西日本にしにほん学生がくせい王者おうじゃ決定けっていせんウエスタンボウル)の勝者しょうしゃあわせて3チームから学生がくせい代表だいひょう決定けってい委員いいんかい選定せんていするかたちとなり、一応いちおうりょう連盟れんめいのぞかく地域ちいきにも門戸もんこひらいたかたちとなった。

ただし、関西かんさい関東かんとうりょう連盟れんめい所属しょぞくこう地域ちいき連盟れんめい所属しょぞくこうあいだには実力じつりょくがある。これはシトロンボウル・ウエスタンボウルへの関東かんとう関西かんさい連盟れんめいからのかく出場しゅつじょうこうはリーグせんでも中位ちゅうい以下いかのチームがになっていることからもあきらかである(2006ねん現在げんざい、ウエスタンボウルは8大学だいがくのリーグ戦中せんちゅう6大学だいがく出場しゅつじょう)。そのため、ボウルゲームとしてのおもみにちがいがある。くわえて学生がくせい代表だいひょう決定けってい委員いいんかいのメンバー、ならび大学だいがく選定せんてい基準きじゅん不明ふめいである。結局けっきょく、2006年度ねんど甲子園こうしえんボウル優勝ゆうしょうこうである法政大学ほうせいだいがくがライスボウルに出場しゅつじょうした。

このような状況じょうきょうから、トーナメント方式ほうしき全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんなど学生がくせい日本一にっぽんいち決定けっていプロセスにあらたな枠組わくぐみを期待きたいするこえがかねてよりあり、これをまえ、前述ぜんじゅつのとおり、2009ねんシーズンから8連盟れんめいによる全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけん変更へんこうすることが発表はっぴょうされた。しかし、かくリーグせん運営うんえい日程にっていへの影響えいきょう出場しゅつじょうかく大学だいがく移動いどう費用ひようそのあらたな運営うんえい負担ふたん上記じょうき実力じつりょく格差かくさ所属しょぞく連盟れんめい/リーグ編成へんせい見直みなおしの可能かのうせい[ちゅう 4]など、解決かいけつすべき問題もんだいはなおおおのこされている。

なお、ライスボウルへの学生がくせい出場しゅつじょうは2020ねんシーズンが最後さいごとなった。2022ねん1がつ開催かいさいから、ライスボウルは社会しゃかいじん日本一にっぽんいち決定けっていせんとなり、学生がくせい出場しゅつじょう甲子園こうしえんボウルまでとなる。

補足ほそく

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だい1かい大会たいかいボクシング試合しあい前座ぜんざイベントとしておこなわれている。これは主催しゅさい毎日新聞社まいにちしんぶんしゃが、すりばちじょうのスタンドを甲子園こうしえん球場きゅうじょうでの開催かいさいにこだわったからである[9]当日とうじつは、試合しあい長引ながびいたため終了しゅうりょうたずにボクシングの試合しあいおこなわれている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なおだい75かい2020ねん)は、新型しんがたコロナウイルスの流行りゅうこうにより開催かいさい不透明ふとうめいであったことからしば準備じゅんびわず、内野ないやのままおこなわれた。
  2. ^ 深夜しんやTBS系列けいれつ全国ぜんこくネットの筆頭ひっとうスポンサーである。
  3. ^ 2008年度ねんど・2009年度ねんど・2010年度ねんどはグループ会社かいしゃのパナソニック電工でんこう
  4. ^ 2009ねん現在げんざい過去かこ経緯けいいから、甲信越こうしんえつ大学だいがく関東かんとう学生がくせい連盟れんめい参加さんかしたり(山梨大学やまなしだいがく新潟大学にいがただいがくれい)や、ちゅう四国しこく大学だいがく関西かんさい学生がくせい連盟れんめい参加さんかする(徳島大学とくしまだいがく岡山大学おかやまだいがく鳥取大学とっとりだいがく吉備きび国際こくさい大学だいがくなどのれい)などの事情じじょうために、かく連盟れんめいあいだでのチームすう/リーグせん試合しあいすう均衡きんこうなどの問題もんだいしょうじている(関東かんとう関西かんさい以外いがい地方ちほう連盟れんめいでは1所属しょぞくチームであっても部員ぶいんすう不足ふそく起因きいんするリーグせん不参加ふさんか試合しあいちゅう負傷ふしょうしゃ発生はっせいなどによる途中とちゅう棄権きけんなどもめずらしいれいではない)。今後こんご所属しょぞく各校かくこう意向いこうまえ、全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけんへの参加さんか前提ぜんていとしたリーグ・連盟れんめい再編さいへん必要ひつようせい議論ぎろん予想よそうされる。

出典しゅってん

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  1. ^ 甲子園こうしえんボウル中継ちゅうけいとMBSの偏愛へんあい”. 産経さんけいニュース (2021ねん12月11にち). 2021ねん12月11にち閲覧えつらん
  2. ^ 甲子園こうしえんボウルとは 〜ボウルゲームについて〜”. 三菱電機みつびしでんきはい だい78かい毎日まいにち甲子園こうしえんボウル. 2023ねん12月24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん12月24にち閲覧えつらん
  3. ^ 関西かんさいぜい関東かんとうぜい同士どうしによる甲子園こうしえんボウルも 2024ねんから全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけん方式ほうしき変更へんこう”. 4years.. 2023ねん12月4にち閲覧えつらん
  4. ^ 甲子園こうしえん球場きゅうじょう周辺しゅうへんマップ”. パナソニックはいだい66かい毎日まいにち甲子園こうしえんボウルオフィシャルサイト. 2014ねん12月14にち閲覧えつらん
  5. ^ 甲子園こうしえん球場きゅうじょう周辺しゅうへんマップ”. パナソニックはいだい69かい毎日まいにち甲子園こうしえんボウルオフィシャルサイト. 2014ねん12月14にち閲覧えつらん
  6. ^ 立命大りつめいだいQB荒木あらき甲子園こうしえんボウル出場しゅつじょうはつ年間ねんかんMVP 日刊にっかんスポーツ 2019ねん12月15にち
  7. ^ 甲子園こうしえんのがした関大かんだい須田すだ年間ねんかんMVP「来年らいねんはユニホームをて」”. スポーツ報知ほうち (2023ねん12月17にち). 2023ねん12月24にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c 今季こんきの「甲子園こうしえんボウル」08ねんまでの方式ほうしきもど予定よてい. nikkansports.com. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ. (2020ねん7がつ15にち). https://www.nikkansports.com/sports/news/202007140000902.html 2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん 
  9. ^ Touchdown No.479 June,2009 (71p)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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